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詩集「弧塔」「海の賦」「カモメ」から(3)

 交 感

白い鳩が
 夕陽を斬って翔ぶ さわさわと さわさわと
噴泉は
 優しい嗟嘆にくずれおちる
濡れた瞳よ
 静かな埋葬の歌を唄え
重い霧が空をつつみ
 夜は重なりあって眠る
星たちが
 無言のことばを交わしはじめた


 冬の蝶

二月の雨は蝶の羽根の上に降る
弧塔よ
わが記憶の棲家より
君の未知の肉体に燃える
命の火箭よ

夢は捕らえようとすれば
     こと切れるのだ
野性の棕櫚さえ
鳴り響む南国の海の願いを抗いは
しなかったのに

美よ
獅士の硬い鬣が流す金色の涙よ
憩うべき棘ふかい薔薇の繁みに眠る
おお! 思い出
    切り落とされた首


 向日葵

おまえは
太陽をみつめすぎたため
大きな瞳のなかで
滅んでいく

時間に渇き
時間に飽き
黄金の夢に憑かれた
おまえの咽喉は
棒のように朽ちてしまった

茜い夕べの雲よ
遠い湖の
つめたい風を送れよ

燃える影のなか
緑滴る

おまえの夏は
銃剣のように
おまえの背中に突き刺さったままだ


 酒 杯

人生は誰も読むことのない詩集のようだ
行開けの柵(しがらみ)を散歩する
それは他人の空似

人生は宛先のない手紙のようなわたしの恋人だ
ただ幻のみ慕わしくて だれひとり弔うもののない
夜とぎのよう

ああ むかしのわたしの愛する人につげてください
おまえがわたしから去ったとき
わたしはわたしを棄てたのだと

神様 どうか死の床には わたしの愛人を呼んでください
雨の夜の庭に 餌をやる猫はまだ来ているのかと

人生は深い河
停まったままに 流れることもなく
暗い思いのみ渦まいて
一盃の酒杯には誰の顔も映ることはない


 パウル・ツエランの墓

  ―花を埋葬せよ そして人を墓の上に添えよ

あなたが横たわる雪のベッド
あなたが飲む朝の黒いミルク

硬直した青銅の天使たちが
地面に顔を埋めた者たちを起こして
その頭蓋をひとつひとつ銃で撃ちぬく

死者の瞼を殺ぐ屠殺者の鋼の爪
薔薇はその傷口を曝したまま
眼は恐怖に瞠かれる
蛾は白い卵を産みつける
裂かれた声 砕かれた顎の奥深くに

雪のベッド 黒いミルク
夜に飲み 昼に飲む 朝に
1970年4月 彼が飛び込んだセーヌの水
消えない 暗い水音
動かない 青い空





詩集「弧塔」「海の賦」「カモメ」から(2)

 逝く女

官能の森のなかで
囚われの女よ
悲しい君の自由は
愛よりも死を願った
君の鉱石の胸は
海を湛え
野性の自然は
君の鼻梁を貫いて天に接し
君の眼のなかには
恒に蒼穹があった
砂漠から来た
死の騎士だけが
君を認めると
君は歓んで
その甲冑の胸に身を任し
夕陽は哭くように森を焦がし
白鳥は天をついて昇っていった


 雨 情

小止みなく 雨はふるよ
   紫陽花のうえ はこべのうえ
小止みなく 雨はふるよ
   一人去り 二人去り 友よ
小止みなく 雨はふるよ
   酔いどれし 舗石のうえに
小止みなく 雨はふるよ
   やり場なき 怒りをおさえ
小止みなき 雨はふるよ
   さまよいし 歓楽の街
小止みなき 雨はふるよ
   腕をふり 涙をおさえ
小止みなく 雨はふるよ
   目をつぶり 心をとじて
小止みなく 雨はふるよ
   人々の悲しみのうえ


 黄昏の海

夕暮の海に吹きすぎていく風よ
女の臀のように 色褪せた海よ

かって俺の傷口に
塩辛い夢想を そそぎこんだおまえ

俺はおぼえている
瀕死の太陽を抱いて 蒼穹にのたうつおまえ

おお 静かな海よ

おまえはまだ覚えているか
まるで黒点だらけの太陽が
俺の肌を炙り
砂に溶けた俺の耳に囁いた
虚ろな愛を

また 燦爛たる夕暮
泣き濡れたおまえの項に聞こえた
歓びの鐘
おまえの淫らな曲線に沈む
満天の星屑
孤独なほど青い
おまえの祭壇へ
俺は口づけた

おまえの深い欲望の水底に
透明な亀裂をもとめ
昇天のように墜ちていく
俺の魂を
おまえの虚無の淵へ
浮ばせるため

おまえの近く あるいは遠く
海鳴りを聞き
俺は生きてきた
泡立つ静脈の黄昏
おお
老いたる海よ
おまえの灰色の瞳にあふれる
古い悲しみ

夜は来たのか
恩寵は去ったか

もはや
おまえは俺を見ない

俺が
おまえを見ないように


 ヴェネツィアのオンディーヌ

ヴェネツィアの水は 動かぬ空を喫み
黒い波は橋の下で 淫らな音を立てる

繻子のドレスを纏い
私を運ぶこの閑雅な舟に
おまえを乗せて しばし彷徨ってみようか
この入り組んだ迷路の中へ

そして象牙色したテラスに腰掛け
夕日を浴びて佇む石の貴婦人たちよ
その燃える闇の裳裾をひるがえして
真昼の輝ける海と空へと 漕ぎだそうか
教会の尖塔から いまひとつの星が瞬き墜ちた
秘めやかな私たちの婚姻の徴として・・・

ああ だがここでは 蒼ざめた私のオンディーヌよ
おまえはあまりに おとなしすぎるのだ





詩集「弧塔」「海の賦」「カモメ」から(1)

 女王弧楽

一撃 
 呻吟の立ちこめる迷路より
 非情の甍の上に
おまえ凜然たり静謐の女王よ
樫のように硬い高貴な額には
せりあがる恍惚と不安の王冠を戴き
おまえは眩暈の矜恃を低く
吟じながら
この地上に起立したのだ
いつか蒼穹が
痴呆の笑いをおまえにもたらしたときも
反抗の拳を秘かに固めたおまえは
天使のように微笑んだだけだ
強い憂愁が
衰耗したおまえの軀を
腐り落とそうとしたときも
狂おうしい死の鬼火が
おまえの胸倉を這えあがり
殺害の血を烈しく欲したときも
おお苦悶に満ちた高貴なる女王よ
力と優雅の舞踏よ
鉄軸のおまえの理性は
美の狂宴に酔い痴れながら
夕映えのように美しい嘶きを聴いたのだ
輪郭の競立
     色彩の跳躍
歓喜の王国
女王よおまえはそこにいた
おお 街道の存在
おまえはよろめきながら
「幸福」を見た
疲れた軀を横たえておまえは睡りに落ちた
起きあがっては子供のように夢を追った

暗転する
夢また夢
青春の地獄
女王の影絵は
   身を捩って死に果てる


 ジャコメッティ

広場を横切り
雨の中を駈けぬけ

わたしは 入っていった
祈りのようにか細い腕の建つ
美しい廃墟

そこに おまえは
いた

わたしを みつめるものが
ある

身すくむ 至福の中に
かれのほうへ

歩いていく わたしが・・・・


 朝のねむり

夕べの渚にいでて
おまえ恋したあの日から
風がわたしの眠る追憶の頁をめくり
わが瞼を殺ぐ 棘のような光の雫

おまえ苦しみをもて 受胎する巫女よ
岩に凍みいる 密やかな愛を忍び
あかげらの音絶えし このさびしき林のなかに

おまえの紡ぐ夢中の絲で 真珠母色の空のかたちを彫れ
そして 親しき友等が集う丘の上に
朝霧にぼやけた おまえの曙のレースをひろげてみよう


 カモメ

今朝 輝く海の青は
昨日の 夜の煌めきか
開き放たれた窓からは こうして風がそよいでいく

波が満ち ぼくたちの足跡はきれいに流れ
おまえのからだはいま 海月の骨のように明るくなった
この広い海へそそがれる 葡萄の酒などないものか
すべてをくれ とおまえはいう

おお 無限とは
ぼくたちの貧しい限界を超えていくもの

ごらん 絶え間なく沖にむかって海は毀れ
  カモメは空から離れられないので
  あんなに激しく飛んでいる





加藤典洋「孤立の感覚」

 しばしば文藝評論家の加藤の文章を読んでいると、切断された痛みにちかい感覚を呼び覚まされる。たとえば、ヴィジュアル系の本「なんだそうだったのか、早く言えよ」のなかにあるこんな文章だ。
「なぜわたしはこの人の文章が好きだと感じたのだったか。文章が好きだ、とはそもそもどういうことなのか。荒木陽子さんが死に、また誰のよりもその文章にひかれた武田百合子さんが死に、そうして間の抜けたことに、いま気づくが、そもそも文章を好きになる、とは人を好きになる、一つのあり方なのではないだろうか。それは人に会うことを必要としていない。しかし、にもかかわらず、人に会いたかったと思わずにいない力をもつことをやめない。」(「荒木陽子の非凡」)
 この文章にあらわれているのは、紛れもなく加藤典洋の思考がたどる、喩えてみれば地面を歩いていく小鳥の足跡を思わせる。一二歩まえに進んだかとおもうとふとたちどまり、また歩きだすがその進路は一様ではない。
「文章を好き」が「人を好きになる、一つのあり方」であるが、「それは人に会うことを必要としていない」「にもかかわらず、人に会いたかったと思わずにいない力をもつ」との結語まで、その歩行の足取りは均一な流れをみせない。加藤の思考がとるこの特異のスタイルこそがこの世界をまえに、梶井基次郎の「闇の絵巻」の泥棒の男が闇のなかを疾走する際、胸に突き立てる三尺ほどの木の棒のようなものだ。この文章は好例とはいえないが、ヴィジュアル系を扱った論考を集めたこの本は、文芸評論家の加藤の思考の地肌を眺めるには都合のいい側面をみせているのである。
 ついでにこの本から、画家「バルチュス」が好きだという加藤の論考をみてみたい。実をいえば私自身が一時、東京駅のステーションギャラリーで開催された「バルチュス」展以来、この画家に魅せられた経験があった。それは大きな風景画で私を圧倒した。だがいまはその体験は措いておこう。ただ加藤がこの画家をまえにいかなる反応をみせるかに注目してみることにしよう。
 加藤は「窓辺に寄る少女」(1955年)が好きだと告白している。普通の美術評論家はこういうことばを発しないものだが、この点加藤の美術論の語り口は正直でユニークなものとなっている。
「ずいぶんと長い間、わたしはバルテュスがセザンヌと似ているという感想をもってきた。セザンヌはわたしのとても好きな画家だから、そのせいもあるのかも知れないが、最近この文章を書くため、世のバルテュス好きの書いた一冊のバルテュス本を読んで、このわたしの受けとり方が全くの少数派に属することを知り、不思議な気がした。(中略)バルチュスの絵が、わたしに喚起する一種独特な感情、それを「窃視」の感情、そう呼ぶことができるように思う」
(いつだったか、「ブリジストン美術館」で某音楽評論家からセザンヌの若い時代に描いたエロチックな絵画数点を見せられたことを私は思いだし、ヴァルテュスとセザンヌのエロスにおける親近性を考えざる得なかった)
 ここまでならば、特別に不思議なことはなにもない。窃視の感情は誰もがヴァルテュスの絵画から懐く印象なのだからだ。だが加藤の思考(=嗜好)が前述した特異のスタイルをみせるのはこの先からなのである。それは加藤がつぎのように述べるところからはじまる。
「先の絵のうち、少女のわざとらしさの部分、少女と椅子の部分をためしに手で隠してみる。するとその室内の色調を含め、筆致がセザンヌのある種の絵に似ていることがわかる。また長方形、この絵の形とほぼ相似形に切りとられた庭の景色は、室内以上にセザンヌの別種の風景画に似ているとわかる。このことは、このバルテュスの絵にしばしば現われる人物の不自然さ、わざとらしさが要素として、絵の中で孤立している、ということを示している。」
 この「孤立」はどこから加藤にやってくるのであろうか。「窃視」という言葉に加藤が独特な意味をつけようとするからである。
「『窃視』、覗き見るという時、わたし達は、わたし達でない何かをかきわけ、そのすきま、物陰からの別の何かを見る。逆からいうなら、わたしの中でわたしが二つになる。その一方のわたしが、前方のわたしをかきわけ、何かを覗く。いわばわたしの欲望(これをエロスと呼ぶ)がわたしの感情の『格子』を透かしてあの絵の中の孤立した要素を見る時、わたしは、わたしの中に『窃視』の感情が生じているのを感じるのである。
 バルテュスの絵の秘密は、このように見るわたし達を、二つに分けるところにあるのだとわたしは思う。」
 理解するのに困難と思われる文言は、まずつぎのことであるだろう。
「逆からいうなら、わたしの中でわたしが二つになる。」という一文だ。だが「窃視」という行為を一般的に考えるなら、この心理的現象はおかしくはない。だが加藤の思考の特異なのは、こういう考えを逆に否定しているところにこそある。
「ところでわたしは、なぜその絵からやってくるものを『窃視』というように感じるのだろう。たとえば、『窃視』ということでは現代の若い画家にエリック・フィシュルがいるが、彼は二人の裸の女性が部屋にいる自作に触れ、こういっている。ここでも、『肝心なのは絵の鑑賞者がこの二人にどのように見られるかという点にある。そんなところに居てはいけないことになっているのだ』
 フィシュルの絵についても、わたし達はしばしば「窃視」という言葉を使う。しかしその意味が違っている。正確には、フィシュルの絵の前で感じる不安、落ちつかなさは「窃視」の感情ではない。というのも、誰が、どこから「覗いて」いるのか。窃視は物陰、遮蔽物を要する。「窃視」、覗き見るという時、わたし達は、わたし達でない何かをかきわけ、そのすきま、物陰から別の何かを見る。逆からいうなら、わたしの中でわたしが二つになる。その一方のわたしが、前方のわたしをかきわけ、何かを覗く。いわばわたしの欲望(これをエロスと呼ぶ)がわたしの感情の『格子』を透かしてあの絵の中の孤立した要素を見る時、わたしは、わたしの中に『窃視』の感情が生じているのを感じるのである。」
 私は2回も同じことばを引用する羽目になったが、こうさせるのは加藤の思考がそれを強いるからだといえよう。
 つぎの文章は加藤が自身の謎解きを自分でしている文章なのですこし厄介なところだ。
「その絵は、少なくとも1950年代あたりのものまで、いわばタブローの地(グラウンド)の上に、孤立した要素としての図(フィギュア)を置く形になっている。絵にあの“セザンヌ”を見るわたしの背後から、わたしを『かきわける』ようにして、もう一人のわたしが“ヴァルテュス”を見るのがわかる。自分が、そのように、少女を見ているのがわかる時、たぶんわたしは、あの不思議な『窃視』の感情、自分が誰かに『みていることを知られている』という奥深い感情を、おぼえているのである。」
 だがこの美術評論の最後の文章はそうではない。加藤が加藤自身へ向き合って書いている趣きが強いからだ。
「あの、『五分後の一秒間』(A・カミユ)化石したさまをとらえられたバルテュスの少女達、彼女らは『みられていることを知っている』。そのぎこちなさ、わざとらしさはそこからくる。しかし、誰が彼女らをわたしが見るに先立って『見ている』のか。たぶん、あのわたしの中にもう一人のわたしが、わたしのすきまから、わたしより『五分の一秒間』早く、彼女らを見ているのである。」
 ここに、1948年の戦後に生をうけた加藤典洋という先鋭的な文芸評論家の思考のスタイルが顔をだしている。
「しかし、誰が彼女らをわたしが見るに先立って『見ている』のか。たぶん、あのわたしの中にもう一人のわたしが、わたしのすきまから、わたしより『五分の一秒間』早く、彼女らを見ているのである。」
 この「窃視」のまなざしが、加藤自身を含めた「戦後」を長いスパンで透視する歴史の眼と無縁でないことに注意しておきたい。
そして、これこそが「孤立した要素」としか名指しえないものだ。「私が二人となる」のはそのためなのである。この不透明に孤立したものは、加藤が1970年の一年は中原中也ばかりの読んでいたと「自注年譜」に記した中原中也の詩のなかにある「不思議な『窃視』の奥深い感情」に通じるものなのである。
 「私が二人となる」のはこの「孤立の感覚」においてなのである。その「もう一人」はわたしより『五分の一秒間』早く存在しなければならないという、この微妙な時差に加藤の重心がかけられている。「不思議な『窃視』の奥深い感情」という加藤が強調する観点こそが、ヴァルテュスの絵に「孤立した要素」を見させている当のものなのである。彼岸から此岸をのぞくようなこの視線は、加藤が1970年という一年の間は、中原中也ばかりの読んでいたと「自注年譜」に記した詩人の詩のなかにあるものを呼び覚まさないではおかない。たとえば詩集「在りし日の歌」の詩「骨」の中にそれはある。
  ホラホラ、これが僕の骨―
  見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
  霊魂はあとに残って、
  また骨の處にやって来て、
  見てゐるのかしら?
 中原中也と交友した小説家の大岡昇平は、中原についての強烈な印象をこんなふに記している。直に中也を知った大岡でなければ吐けない科白であろう。
「中原の不幸は果たして人間という存在の根本条件に根拠を持っているのか。いい替えれば、人間は誰でも中原のように不幸にならなければならないものであるか」
 この大岡の問いは、この詩人の本質を穿つ深くておもいことばである。文藝批評家にかろうじて脱皮を遂げたともいえる加藤典洋の中に、青年(幼虫)時代の中也と同型の詩人がいたとしてもおかしくはない。詩「一つのメルヘン」の中にもそれはある。「孤立の感覚」は他界からのまなざしからやって来るものといっていいのである。
 ここまで来て、ようやくのことに、加藤の思考が画家バルテュスの絵画に特異の洞察をくわえ、新しい視界を切り拓いていることを知らされるのだ。そして、この「孤立の感覚」が加藤典洋という批評家の背後に「一人二役」として、もう一人の詩人を存在させずには済まないことを理解させることになる。ここで、加藤が「日本風景論」の最後に記した「年譜」から、1977年(昭和52)29歳のエピソードを挿入しておいても唐突とはいわれないだろう。
 10月、長男良誕生。中原中也について書き続けている間生れた子どもの誕生日がそれぞれ中也の亡児文也の死亡の日と重ったことに因縁を感じる。
 加藤の「孤立の感覚」は不思議な因縁として、ここに「他者」を随伴させなければこの「孤立」は十全なものとならないのである。そして、この「他者」は「死者」と重なるのである。それは、現実には不慮の事故で35歳で亡くした長男の良であり、「敗戦後論」という想像の世界においては、日本国がその追悼を必要とした、数千万人に及ぶ内外の死者たちとなるのである。
 リアルポリティクスの立場からみれば、絵空事と揶揄されるかも知れない。しかし、加藤が「敗戦後論」のエピグラムに「きみは悪から善をつくるべきだ それ以外に方法がないのだから」という映画「ストーカー」からの題辞を記したことから、戦後のスタート地点に加藤は思想の拠点を立てたことを、軽くみるべきではないだろう。大袈裟かもしれないが、加藤が批評の代償に払ったものはかれ自身の短命に終わった人生そのものだったかもしれないではないか。
 生者と死者との一人二役のまなざしの交錯する場所でこそ、加藤典洋氏の特異の思考は発動する。この思考が「世界の限界」をまえに未来を見据えさせ、この日本の「戦後」にある「ねじれ」を洞察させ、その欺罔からの脱却を説かせるのである。そして、幕末の開国以前から連なる新たな歴史の地平に、日本の「再生」を構想するのは、詩人と文芸評論家という二重の人格者の使命だったと言ってもいいのではないか。どうにもそんなふうに思われてならないのだ。





百瀬博教という詩人

 ある日、留守中に家人が電話をうけた。それは出版した詩集「海の賦」(85年)を贈った人からの電話に相違なかった。事情を知らない家人はろくに相手を確かめずに、電話を切ってしまったようだ。それほどにいわく言いがたい電話の内容であったのだろうと推測したが残念な思いもあった。石原裕次郎の用心棒で秋田の刑務所に6年もいた100貫を越す巨漢の詩人、その電話は百瀬博教氏からにちがいなかったからである。
 百瀬博教氏は、処女詩集『絹半纏』を出版し、1988年(昭和63年)に『新潮創刊100号記念』誌上で文芸評論家の山本健吉により、上記の表題で詩人として認められた異色の人物であった。私は文藝雑誌を読んで、山本健吉が詩人としてこの人を紹介して評価したことに賛同しないはずはなかった。山本健吉がいう通り、まさに現代には稀にみる血湧き肉躍る百瀬氏の文章に感激したからである。まして、この人物が東京市浅草区(現台東区)柳橋出身で、同じ下町に住んでいるという偶然を喜び、私の詩集をお贈りしたのだ。
 なぜ今頃になり氏を思い出したのを記しておこう。私の誕生日が2月20日であったことから、同じ誕生日の人間を面白半分に調べてみた。その中になんと百瀬博教という名前を発見したのである。その他、志賀直哉、長嶋茂雄、石川啄木、志村けん、水之江ターキー、黛敏郎、アントニオ猪木、左卜全等のリストがずらりと並んでいた。家人は「変わった人がまたずいぶんと・・・」と口の中でなにやらつぶやいていたが、一度、仕事で銀座の資生堂の「花椿賞」の担当課長に会う約束があって出かけたことがあった。その時、「花椿賞」のパーティー当日のアルバムをみせられ、その写真のなかにこの百瀬博教氏の野球帽の姿を見たときは驚いたが、この詩人の叔父貴が同じ町に住み、詩人本人を知っていることに資生堂の人はまた吃驚したようであった。
 ご参考までにウイキーからこの人の経歴を掲載することをご寛恕ねがおう。

東京市浅草区(現台東区)柳橋出身。侠客の百瀬梅太郎の次男として出生。学生時代は相撲取りを目指し、私立市川高等学校[3]では相撲部を創設して、関東大会2位、国民体育大会に出場した。立教大学文学部史学科在籍中も相撲部に所属し、同大学の相撲部は、百瀬と交流のある周防正行が1992年(平成4年)に監督した映画『シコふんじゃった。』のモデルになっているという[4]。
大学時代は1960年(昭和35年)から赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で用心棒を勤めた。そこで俳優の石原裕次郎と知り合うことになり[5]「弟分」を名乗ることとなる。用心棒として23歳のときから拳銃の密輸を始め、28歳のときに拳銃不法所持により警視庁へ出頭。その後、裁判前に秋田県に逃亡したが結局逮捕され、6年間の刑務所生活を送り、その間に読書生活を送った[6][7][8]。
 34歳で出所し、処女詩集『絹半纏』を出版、1988年(昭和63年)に『新潮』誌上で文芸評論家の山本健吉に認められる。バブル経済の最中、債権の回収を行なったり、株式運用を行なったが、バブル崩壊により無一文になった。並行して作家の曽野綾子の進言により『新潮45』で1989年から『不良日記』を連載[5]。1992年(平成4年)から『週刊文春』で『不良ノート』の連載を開始、その他『週刊宝石』で『百瀬博教交遊録』を連載し、エッセイを執筆するなど作家として本格的に活動を始めた。日本文化研究家のエドワード・G・サイデンステッカーとは1989年(平成元年)に共著を出版。テレビ番組制作プロダクションのイーストの富永正人社長と親交を持ち、イースト制作の番組に出演した他、イーストライツが出版する雑誌『Free&Easy』に連載を持った。
格闘技愛好家としても知られる。プロレスラー・アントニオ猪木と親交を持ち、総合格闘技イベントPRIDEには1999年(平成11年)から関わりを持っていた。メディア登場時には「FOREVER YOUNG AT HEART」(心は永遠の若者)とプリントされた黒い野球帽を常に被っている事でも知られていた。大手ネット掲示板2ちゃんねるでの通称は「ピーチ」。「百瀬」の読み、「ももせ」を「桃」としてその英語読みから取られたもので、猪木はそのニックネームを知ると「ピーちゃん」と気に入っていた。
 2008年(平成20年)1月27日午前2時40分ごろ、自宅を訪れた知人が風呂場の湯船の中で意識を失っている百瀬を発見。救急搬送されたが、同日午後3時半ごろ、死亡が確認された。 死の3年ほど前から体調を悪化させていたという[15]。映画『タバコ・ロード』について書いた文章が絶筆となった。2月20日に青山葬儀所でしのぶ会「不良ノート」が開かれ、アントニオ猪木、ビートたけし、周防正行、EXILEのHIROら約700人が参列した。

 一度も会う機会はなかったが、この人は我が町の祭を盛り上げる影の人物であり、また、幾つかのエピソードがある懐かしい思い出の人であったのだ。文芸評論家の山本健吉氏は詩人の高橋睦郎氏から詩集「絹半纏」を送られて一読、得心するところがあったらしい。合掌して終わりにしたいが、「新潮」掲載の文章から、そのほんの数行の引用を許されたい。

 「私は『絹半纏』を読みながら、しばしばヴィヨンの名を思いだした。百瀬氏こそ、今日の日本でただ一人の、ヴィヨンの流ではないのか。詩に正雅の流れがあれば、怨者の流れがあり、背徳の流れもあるのが、あるべき公正なあり方ではないか。」



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プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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