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古今亭志ん生

 NHKラジオに月曜アーカイブス「声でつづる昭和人物史」という番組がある。
司会はノンフィクション作家の保坂正康。古今亭志ん生の録音を二回このラジオで聞いた。三十一歳で真打ちになって16回も名前を変え、志ん生として売れ出したのが五十七歳。芸は客の顔をみてからの出たとこ勝負だそうで、そのまえに稽古の仕込みがあるという。
 浅草から上野の佐竹(往時住んでいた場所)まで歩いて片道二時間、往復四時間の稽古ができると語る志ん生の稽古熱心には感心する。
 貧乏生活の下積みが長かったが、呑む、打つ、買う、の放蕩生活を止めることなく、女房の着物から師匠の羽織まで質屋にいれて、それで寄席から下ろされて納豆売りをしたこともあったらしい。酒に目がなく、天ぷらにお酒をかけ、双葉山と飲み比べもしたとのこと。こうして芸風をつかむまでにそうとうな年季がはいっていたというわけだ。
 昭和42年に勲四等瑞宝章になったときは、女房が泣いて喜んだそうだ。先祖は江戸のころには徳川の直参のお侍さんだと娘が語っていた。
 明治23年、東京は神田の生れの江戸っ子。江戸っ子というのはと問われて、志ん生は「痩せ我慢のかたまり」とこたえている。人が入らない熱い朝風呂に、何食わぬ顔でズブッとはいり、なんだこんななまぬるい風呂と平気な顔をしているのが江戸っ子だというのだ。
 江戸っ子といえば、勝海舟の親父の勝小吉がいた。「夢酔独言」という江戸弁の本を晩年に書いた。「おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ」と冒頭にある。大坂へ放浪の旅にでて、帰りの静岡で崖から転がり落ち、睾丸をしたたかに打つなど破天荒な行動が目立つが、れっきとした旗本。生涯無役の自由人で、江戸の侠客・新門辰五郎もこの小吉を「喧嘩で右に出る者はいない」と評している。剣術の腕は実践の喧嘩で身につけたらしい。鳶が鷹を生んだわけでもないだろうが、勝海舟が福沢諭吉から「痩せ我慢」で批判され、「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず」と応じたのは、バタ臭い知識人への江戸っ子海舟の胸のすく啖呵だ。

 話しが脇に逸れたが、昭和20年5月、55歳の時に志ん生は満州に慰問へ行った。東京は空襲に曝されている最中、こんなときに慰問だなぞと逃げるのかと反対されたそうだ。満州には森繁久弥がNHKのアナウンサーにいた。志ん生はこの人にはなにか形になるものがあると直感したという。
 74歳での「芸界夜話」の録音を聞くと、「芸はお客に聞かすもの。日常の些細なことに気をつけることが芸を磨く。小話は無駄なことばがあってはいけない」と話している。師匠の「鰍沢」を聞いていると、外に雨が降っていないのにそう感じさせられたと。
 志ん生は大津絵節が好きだった。それを慶応義塾の塾長の小泉信三氏が聞いて、必ず「今宵うちのひとに・・・」と言うくだりに来ると声を出して泣いたという。参考にユーチュウーブでさがし聞いてみたが、艶のあるいい声だ。大津絵節の詞を最後に掲げておこう。

 志ん生の川柳。借りのある人が湯船の中にいる 焼きたての秋刀魚に客の来るつらさ 丸髷で帰る女房に除夜の鐘
「志ん生には地肌で触れあう魅力があった。お客は志ん生の語りがなくても、座っているだけでいいと。正直に正直に芸一筋の人生を生きた、破格だが志ん生が愛された所以だ」とは保坂氏の感想である。

冬の夜に風が吹く しらせの半鐘がじゃんと鳴りゃ 
これさ女房わらじ出せ
刺しっ子襦袢に 火事頭巾 四十八組追追と お掛り衆の下知を受け
出て行きゃ女房はそのあとで うがい手水になぁ ああ 
うがい手水にその身を清め 今宵うちのひとになあ ああ 
今宵うちのひとに怪我のないように 南無妙法蓮華経なあ ああ 
南無妙法蓮華経 清正公菩薩  ありゃりゃん りょう との掛声で勇みゆく
ほんにお前はままならぬ もしもこの子が男の子なら お前の商売させやせぬぞえ~ 
罪じゃもの





アルベルト・カミーユの墓

 フランスのプロバンスにルールマランという質素な町がある。アルベルト・カミーユの墓はその町を好んだカミユが妻と一時を暮した処であったろう。妻のフランシーヌの墓地は花に飾られていたが、隣りのカミユの墓は草木が茂るにまかせた荒れ地にも等しかった。それがカミユの意図したことなのか定かではないが、カミユの文学に少しでも親炙した者には、ごく自然に受け入れられる光景であったのだ。私がパリからプロバンスへ旅をしてカミユの墓地を訪れたのは2016年の春であった。
 カミユには「太陽の讃歌」と「反抗の論理」というタイトルの「手帖」2冊が1962年と65年に刊行されているが、その後1992年に、カミユの手帖全文(1935年から1959年)が一冊としてまとめられ1992年に発刊された。9個のノートからなり年譜を含め662頁の大著である。第5のノートには、このコロナ禍の現代人に広く読まれた作品「ペスト」への幾つかと「ルールマラン」の町への記述があるので参考のため、引用をしておこう。

 「ペスト」。これまでの生涯において、これほど大きな挫折感を味わったことは一度もなかった。最後まで行き着けるかどうかさえ分らない。しかし、ときどきは・・・・。

 なにかも吹っ飛ばしてしまうこと。反抗を風刺文書のような形で表現すること。革命も、決して人を殺さない人びとも、反抗の布教も槍玉にあげる。ただの一つも譲歩しないこと。

 新しい古典主義という観点に立てば、『ペスト』は集団的情熱に形を与える最初の試みとなるはずである。
 
 『ペスト』のために。デフォーによる『ロビンソン』第三巻の序文を参照すること。生にたいする重要な考察とロビンソン・クルーソーの驚くべき冒険。「ある種の囚われの状態を別の種類のそれによって表現することは、現実に存在する何かを存在しない何かによて表現するのと、同じくらい理に適ったことである。もし私が一人の男の私的な物語を描くという普通の方法を採用していたら、私が述べることはすべてあなたがたにいかなる気晴らしを与えることもなかったろう。」

 「ペスト」は風刺的小説(パンフレット)だ。

 どのようにして砂漠で死ぬことを学んだらよいのだろう!

 ルールマラン。幾歳月ののちに訪れたその最初の晩。リュぺロンの山上にかかる一番星。広大な沈黙。糸杉。そしてその糸杉のてっぺんはぼくの疲労の底でふるえている。荘重で峻厳な土地だーその驚くべき美しさにもかかわらず。

 「手帖」のほんの数片から、カミユの内面をのぞきみることができる。「どのように砂漠で死ぬことを学んだらよいのだろう!」とはカミユの心底をつねに湧き出てやまなかった声である。ここにでてくる糸杉は、ゴッホの遺作に現われる糸杉を連想させるものだ。
 この度、短篇集「追放と王国」から「不貞」を読んだ。「不貞」というタイトルは意味深長なものがある。因みに、この短篇集は妻のフランシーヌに捧げられているが、妻とは窺いしれない葛藤があったらしい。1960年一月二日カミユは、汽車でパリに戻るフランシーヌと子どもたちをアヴィニオンの駅まで送り、翌日、ミッシェル・ガリマールの家族とともに車でパリに向かう。四日、ヴィルヴァン近くで事故死。享年47歳、44歳で最年少のノーベル文学賞からたった3年しか生きていなかった。遺骸はルールマランに埋葬された。この地に家を購入したのは、ノーベル賞の翌年であった。ちなみに、アヴィニオンは私が愉しい時を過した町の一つであった。

 さて、上記の「手帖」から、たったニ行ほどの文章を、ここに引いておこう。

 なぜぼくは芸術家であって哲学者ではないのか。それはぼくが言葉でものを考え、観念からではないからである。(カミユはサルトルの「嘔吐」の書評で「小説は舞台に移し変えられた哲学以外のなにものでもない」と述べている。)

 ところで、カミユには裏と表の顔があった。平凡な生活者への憧憬と芸術家たらんとする情熱との表裏の顔である。おそらくルールマランの町は、妻のフランシーヌと過したほんの数年の記憶がある場所であったろう。すべてを忘却して家族と暮したほんのわずかな時が流れた小さくて静かな町である。カミユが3年もかけて書いた小説を、たった5行でそれも引用を間違えての批評に、苦い思いを噛みしめた一文もこの手帖のなかに見える。

 短篇集「追放と王国」の冒頭の小説「不貞」は、夫の貧しい商売に連れ添ってきた細君が馴れない土地で、眠れない夜に1人宿屋を抜け出し、「リュぺロンの山上にかかる一番星。広大な沈黙」にも似た夜空を仰ぎ見て畏怖に似た感情に動顛した細君が、宿屋へ急いで戻ったところ、商売の苦労に疲れ果てた夫からその様子を不信がられ、「いったいおまえどうしたんだね」と問われ、「何でもないのよ、あなた、何でもないの」と答える細君のことばで終わる、荒涼として痛切な短篇である。だが、カミユの小説にときおり顕われる「沈黙の宇宙」との一体感、それはまた人生の吐息にも似たこの瞬間はいったいなんであろのだろう。
 私は人間がこの不条理な世界の果てに、カミユの散文のなかに現われる星の燦めき、詩的ななにものかであるように想われてならないのだ。
「手帖」のなかから、「詩」に関するカミユの素っ気ない言及を引きだしておくことにする。

 私の≪神に対抗する創造≫のために、芸術は、たとえそれがなにを目的にしていようと、常に神への罪深い挑戦であるといったのは、あるカトリックの批評家だ。(中略)ペギーもまたその一人だ。≪神の不在から光りを引き出す詩さえある。それはいかなる恩寵もあてにはしないし、詩それ自体以外の、なにものをも頼りにしていない。詩とは、大地によって報われる、空間の間隙を埋める人間の努力だ。≫
 護教論的文学と、神と競り合う文学のあいだに中間はない。

 この文言のまえにある。写真への苛烈な文句とともに、カミユの「不条理」がいかに峻厳な芸術の鏡であったかの参考になるだろう。

 この世界を映すということは、多分、それを変容させることより、より確実に世界を裏切ることだ。もっとも見事な写真とは、すでに一つの裏切りである。

 風、この世界には数少ない清潔なものの一つ。

 墓地からルールマランの町への帰途、私は明るいオレンジ色の実をいっぱいつけたミモザの樹を目にして、ホッとしたことを思いだす。




ミモザ2 ルールマランの村 ルールマラン







小説「最後の老人」

 凍りだした田沢湖が日に照り眩しいほどだった。
 切石竜三は妻のヤエと最後に訪れた温泉の途中で、この湖をバスから眺めたことがあった。晩秋の温泉は白一色に蔽われ、積もった雪に足元を気遣いながら、背中におぶった妻へ声をかけた。
「ホレ! 温く白い温泉やで。ここに浸かってな、ゆっくりしーな」
 背中の妻のヤエが、竜三のその声を聞いているのかはあやしかった。肉はそげ落ちて、骨と皮だけになった彼女はもう藁のように軽い。
 案内された部屋に入ると、竜三はすぐ押入から布団を引っ張り出し、ヤエを横たえさせた。白濁した瞳が竜三をぼんやりと見つめている。意識はあるがもう誰だか見分けがつかないのかも知れないと竜三は気がきでならない。布団はひんやりと冷たい。竜三は妻を寝かせると、湯たんぽを借りにフロントへ行った。
「そんなものありませんです」
 若い娘の一言で、竜三ははじき返された。彼の目が憤怒に針のように光った。
「あまりに冷たい布団でなー、病人には温くないじゃけんー」
 太いが低い声を喉の奥でふるわせ、竜三は大きな躯を屈めるようにして、娘のまえに頭を低くして、周囲を見まわした。奥に人の気配がなければ、細い娘の頸に両手をかけてでも、湯たんぽが欲しかった。娘はその竜三の躯から発する、得体の知れない圧力に押されるかのように、
「電気炬燵ならあるかも知れませんで、さがして来ますから・・・」
 そう声にもならない声をつぶやくと、奥へ逃げるように小走りで姿を消した。水っ洟を手の甲で拭った竜三は、奇妙な笑いを浮かべていた。自分が娘に求めたものと、娘が捜しに行ったものとの、その奇妙な違いがなぜか可笑しくてならなかったのだ。
 その頃の竜三は独りではなかった。背に負うヤエがいた。息子にも孫にも会うことができた。だがその時、滑稽な可笑しさとともに、彼は淋しいようなもどかしさに、苛立ち身をふるわせている自分がそこにいることには、さらさら気がついていなかった。

 竜三が六十に近くなった頃、わずかな農地を手放し、県庁のある大きな街にでたが仕事はなかった。灰色のシャッターばかり並んだ暗い商店街のコンクリートの床に段ボールを敷いて身を横たえた。そこで二夜を過ごしたが、三日目に同じような仲間の一人から叩き起こされたのだ。
「おめえどこの誰さ? 木戸銭もなしにいい度胸しとるけんなあ」
 竜三は細い目を開けて、その男の顔を股下からチラリとにらんだ。その竜三の刃物のような目に、男の顔からすうっと表情が消えいった。
 ゆっくりと竜三は何かを拝むように起きあがった。仁王立ちになっている男の股に素早く頭を突っ込み、そのまま力任せに押し倒した。男は不意を突かれ、体を仰け反らして、羽目板のように後ろへ頭から倒れた。石の床にしたたかに頭を打った男は、そのまま起きあがってこない。まだ夜が明けたばかしで、誰もこの光景を見た者はいなかった。竜三は仰向けに転がった男の胴巻きから財布を抜きとり、そっと男の顔を覗き見た。竜三のその熊のような体つきの落ちついて敏捷な動作は、子供の頃から彼がまわりから学び、身につけたものだ。
「チェ! おれを舐めるとどうなるか・・・」
 舌打ちをした竜三は男の後頭部から、床に流れ出しているどす黒い血を一瞥すると、足音もなくそっと現場から姿をくらました。
 竜三はその足ですぐに一番列車に飛び乗り、仕事を求めて東京へ出た。当たり前のように仕事らしいものはなく、公園の隅や川べりの橋の下で、段ボール暮らしをしながら残飯を探してうろつき廻った。
「母ちゃん、いまに田舎さ帰るから、それまで待っていろや」
 竜三は十も離れた妻のヤエを、すがりつくような思いで、一人息子の茂夫婦に託してきた。その頃から、妻ヤエの健康は目に見えて衰弱をはじめていた。そして、竜三がいなくなると、やえは長年の疲れが出てきたのか、床に伏してそのまま起きることもなくなった。
 一人息子の茂は県の専門学校で電気工事の資格をとると、県で二番目に大きい市街に、電気工務店を開いて、同じ専門学校で知り合った女友達と世帯を持ち、四歳の息子が一人いた。竜三にとって目に入れても痛くないほどの孫であった。息子の嫁もよくできた女だったのが幸いに、ヤエを預けるにはさほどの不安はなかった。だがこの不景気がどこまで続くか、ヤエを預けた茂の暮らし向きがどうなるか、心配をすればきりがなかった。
 必死に過ごした数ヶ月が経つと、竜三は田舎で押し倒した男のことを思いださずにはおれなかった。もしかしたら警察が自分を捜し回っていないともかぎらない。息子の茂の家へ警察の手が回っているかも知れないと考えると、段ボールのすきま風に馴れはじめた竜三は急に目を覚ました。敷石に流れたどす黒い液体がしだいに赤みを増して目の奥にひろがっていく。
 歳よりずっと若く見える竜三の躯には、若いときに働いたヤクザの血がいまも脈打って、それがふとした拍子に暴れ回るようだった。そのときが来ると竜三は、なにもこの世にこわいものはなくなった。だが寄る年波には竜三も勝てなかった。もうこの世になんの未練も残っていなかったが、家族への情にだけは弱くなっていく自分を感じた。田舎にいるヤエと息子の茂夫婦の家族だけは、いつも竜三の胸を離れたことはない。この世にもう思い残すことはそれほどなかったが、田舎で暮らしている息子夫婦の家族を思い、妻のヤエの姿を浮かべると、どうしても生きていたい気持が吹き返した。
 一冬が去ると春の日が射しはじめた。湿って汚れた布団を川べりに干した。着ているものも脱いで、破れたズボンひとつになって、アカに汚れたからだを陽に浴びせた。こするとボロボロとアカが面白いほどに剥けておちる。やがて川べりの土に菜の花が黄色と緑の一群を広げるのをみた。その下草にのぞく土の色を眺めながら、おなじようにこの冬を一緒に過ごした村井半三のことを思いださずにはおれなかった。こうした暮らしに馴れていた半三からはずいぶんと親切にされたと、竜三は半三の面影を眩しく輝くような菜の花の群落の下に、思いうかべた。その村井半三はこの冬の寒さのなかで、虫のように息をひきとって死んだのである。
 半三はオシのように口をきかず、片目がつぶれていた。だから竜三は半三がどこからきた、どんな男なのかというこまかなことはまるで知らなかった。だが竜三が自分と同じ境遇にあると分かると、ぶっきらぼうな、よくは分からない訛りことばで、野外での暮らしの方途をそれとなく教えてくれたのである。その親切が竜三のこころに染みた。
 あれはいつだったか、どこからか少年たちが数人現れた。彼らは太陽を背にしてはじめは黒い影でしかなかったが、手に手に棒を持ち、インディアンのような奇声を発して、二人の塒を襲ってきた。
「薄汚い襤褸たちを掃除しよう!」
「臭い人間のクズたち!」
「奴等をここから追い払ってやるぞ!」
 その突然の襲撃に、驚き、おろおろと逃げまわったが、半三の弱った足ではすぐに捉まり、したたかに全身を叩かれ殴られて追い回されてから、村井半三は急に糸が切れたように元気を失った。
 それから竜三をさそって、残飯探しを共にしてくれた半三は段ボールの中に閉じこもったまま、外へ出て来ようとしなくなった。
 いくど竜三が段ボールを押し開け、しきりと声をかけても、半三は躯を棒杭のように固くしたまま、動こうとしなくなったのだ。
「半三、そんなことをしてたら、おまえ死んでしまうぞ」
 竜三の怒鳴る声も、石のように横たわる半三にはなんの効果もなかった。
 そんな数日後、日光が燦々と射す午前、竜三が半三の段ボールを引っぱがしてみると、骨と皮だけになった半三はもう息をしていなかった。湿気に腐った棒きれのように、半三は死んでいたのだ。
 竜三はそこに自分をみた。そのものを言わずに、わずかな襤褸きれを着けて捨てられた小枝のようになった半三を、時の経つのも忘れて眺めていた竜三から、やがて堪えきれないドブ水のような涙があふれだした。そして誰へとも分からず、どこへとも知れない憤怒がそれに紛れ、獣のような嗚咽の声が竜三の口から洩れる声が聞こえた。
「あーおー、あーいー、おーおー」
 その竜三の顔は、水っ洟と目やにと分かち難い両の目から溢れる涙と、真一文字に結ばれた唇から垂れてくる唾液で蔽われ、そこに燦々たる陽光があたって、無慈悲な輝きを誇るかのように、燃え上がるのだった。
 竜三はあたりを窺い、人目がないことをたしかめると、手早く半三のゴミのようなイエを片づけ、半三の死体を草の中へ引っ張り込んだ。それから、その草の茂みの中を引き摺って、穴を掘り棒切れになった半三の死体を土に埋めると、両足膝を使って柔らかい地面を踏み固め、その傍らに菜の花の数本を根ごと運んできて植えた。
 半三に持ち物らしいものは一つもなかった。半三の住んでいた粗末な段ボールのイエの痕、特に半三が横たわっていた場所は小さな黒いシミとなっていたが、やがて太陽はそのシミを乾かせ、夕暮れの風がそこへ吹きすぎると、半三という人間がこの世に生きていたしるしのすべては、塵ひとつ残さずに消えてしまった。
その後、竜三は川から拾ってきた鉄の板棒の先端を硬い石の背にこすって刃のかたちに尖らせ、それを手元から放さなかった。もしまた奴等が来たら、その仲間の誰でもいいから、それで滅多斬りにしてから突き刺し、半三の仇を取ってやろうと堅く心に決めていたのだ。
 半三を埋めた地面に、菜の花の一群が増殖して、やがて土も見えなくなると、竜三はその川べりを引き払った。荷物の底に鉄板を小刀のように川石で研いで柄の部分へ、握り易いように布きれを二重三重に巻いた。すぐに取りだし易いように、柄だけを出してあとは板で挟んで荷物の中に押し隠した。
 半三が居た場所をチラリと目にしてから、川に沿って竜三は上流へ遡り、新しい居住場所を求めて歩きだした。どこへ行っても川べりは無数の蚊や虻に悩まされ、定住者の冷たい目が竜三を追ってこないところはなかった。虫に侵された箇所を汚れた爪で掻いたせいで、化膿して爛れた肌はかさぶただらけになった。きれいなせせらぎを見つけると、そこを冷水で洗って消毒し、太陽にあてて乾かすことを竜三は忘れなかった。
 上流に上り行けば行くほど、人影は少なくなったが、それは逆に、乞食同然の風袋をした者が目立つ危険性もあることを竜三は肝に銘じ、用心深く神経を研ぎ澄ました。彼はできるだけ使われなくなった納屋や壊れかけたお堂に忍び込み、農家の庭先から農作物をくすねるか、人影もない台所へ音もなく風ように侵入して、食べ物を物色してくちた腹を癒した。
 竜三がもっとも恐れたのが、彼の影を見ただけで、鋭く吠えたてる犬たちだった。あるとき、熊のようなからだをした大きな犬に睨まれたことがあった。その黒い犬は喉の奥で獰猛な声を奮わせ、ゆっくりと牙を剥いて、闘牛のように後ろ足で地面を蹴って竜三を睨んだ。咄嗟に荷物の中に彼の手が伸びて鉄板の柄を掴み、竜三が後ろを見せると、獰猛な声をあげて彼の背中へ飛びかかった。そのとき彼は自分があたかも黒犬と同類の獣になったような気がしたことを、悪夢をみるように思いだした。
 竜三は犬の猛々しい目を見つめ返し、ゆっくりと躯を屈め膝をつきながら、自分の躯を地面低くに寝かしていった。犬は竜三の静かな涼しほどの両の瞳に、一瞬怪訝な眼差しを注いだかにみえた。そのかさぶたに赤らみむくんだような男の顔の中に、男の姿が隠れていくような不思議な錯覚から、黒犬はその顔を目がけ、爪をたて牙を剥いて飛びかかった。その一瞬、牙にかかったと思った男の顔は素早く消えた。その途端に、上から強い手に頭部を押され黒犬は地面に抑えこまれた。男の右手が下から犬の顎を持ち上げると、握られた鉄板の柄が強く素早く撫でるように引かれた。鋭利な鉄板は犬の喉の肉を切り裂き、勢い余った犬の全身は背中から地面に叩きつけられた。犬は吠える暇もなく、喉を深く剔られてどす黒い血を吹きだし、そのまま横たわった。
 さわさわと竹藪の葉が風に鳴って、真夏の太陽が大地をジリジリと灼き、音もない静かな午後のことである。
 さすがに竜三も肩で息を切らし、その犬の屍体から大きな肉の塊の一部分だけを手早く切り取り、残りを古井戸へ投げこんで、黒犬の残骸は跡形もなくなった。竜三はそうしながらも、農家の庭先へチラリと視野を放った。家の中にも庭先にも誰もいる気配はなかった。台所から斧を一本手に握りしめ庭へ竜三は出てくると、洗濯物から仕事着用のズボンと上着を小脇にかかえ、雑木林に入り込んで素早く着替え、それまで着ていた衣類を深い穴を掘って埋めた。足跡を消すため小川の中を音もなく大股で歩き、小さな橋の下まで来るとぐったりと横になって竜三は躯を蛇のように丸くして眠りこけた。夢の中に半三を地面に埋めた時の光景が甦えり、驚いて目を覚ますと、橋の上を子供が数人駆けていく声が間遠に耳に響いていた。その声は竜三に息子を思いださせた。
「おお茂かいな、ヤエの面倒を見てくれろよ、頼むでなあ・・・」
 夢見心地で竜三はつぶやくと、腹が音をたてて鳴る空腹に襲われ、下腹部に痛みが走った。両足の汚れを小川の茂みの葉で拭ながら、
「もうちと辛抱せい・・・」
 と腹を押さえて、子供にでも言うように自分に言い聞かせ、せせらぎで洗った両足を緑の茂みに投げ出し、横になるとこんどは大の字になってそのまま深い眠りに落ちた。
 竜三は自分の躯が衰えていくことを知らないではなかった。このままでは野犬に喰い殺されるか、少年達の暴行に逃げ切れずに半三のようになるだけのように思われた。早く田舎へ帰って生きているうちにヤエの顔を見たかった。
 ヤエはまだ生きていてくれるだか・・・。ヤエがいたからこそ自分は六十の歳まで生きながらえることができた気がした。そして茂もヤエの細やかな愛に育まれて普通に育つことができたのだ。ヤエがいなければ、茂にやさしい心持ちの嫁が来るはずはなかった。身体が動くうちは働いて、すこしの金でも稼ぎ、その金で近所の男たちと酒場で酒を呑んでいたかった。働いて金を稼ぎたい。その一心で矢も立てもいられず、後ろ髪を引かれる思いでヤエを預けて、東京へ出てきても仕事はなかった。そしていまでは野犬同然の姿になってしまった。いや野犬の肉に食らいつく、野犬以下の獣になり果ててしまったのだ。
 家族がいるあの田舎の街で、あの一日中陽も射さない通りで、自分の前に仁王立ちになった男を突き転ばしていなければ、そして警察に追われるような羽目になっていなければ、一刻も早く田舎へ帰って和やかな家族の中で、穏やかに老いていくことができたはずなのである。 
 竜三はヤエをおぶった晩秋の温泉の白い風景を思いだした。凍えた湖の陽の光に輝いた湖を眼交(まなかい)に見た。痩せ衰えたヤエを抱いて朝まで寝た温泉の窓に、幾本も凍りついた氷柱がみえた。そして、最後にヤエの顔を眺めて二人で食べた白い飯粒が幻のようにうかんできた。
 竜三のなかからことばが堪えきれずにあふれ出した。
「お母あ! わしはおまえの元に帰るぞ! たとえどんな咎めがあろうと、わしはおまえと茂がいるところで死にていだよ・・・」
 竜三はヤエをおんぶした、その遙かむかしに、自分が母親をおんぶしたことを、ぼんやりとかすかに思いだしていることには気づきもせずに、ヤエの藁のように軽いからだを思いうかべた。彼の口元をついて出た最初のことばには、もうずっとむかしに死んだ自分の母親の、老い衰えたおぼろなその面影も重なっていたのだが、それらの二つの記憶はごったになり、ただ一つの言葉にしかならなかったのである。
 夏の黄昏の陽がゆっくりと落ちていった。辺り野面一帯に闇が降り、夏の虫が騒がしいほどに啼いていた。
 そのとき、竜三の眼には見えず、耳に聞こえない遠いの野原の一角に、数人の警官と村の若い者をまじえた村落の者等十数人の、険しい表情を固めた一隊が、赤い幡を立てた村の賑やかな祠の前に集まっていることなど、竜三は知るよしもなかった。
 だが、もしその一団が竜三の目前に現れたその時、半三を虫のように殺した少年達を思いうかべ、野原を流れる川面に落ちた月光を背に、黒い影の一塊と映じた一群の背後にまわりこんで、彼奴等を端から追いかけまわしてやる。そして散り散りになった奴等達を、竜三を襲った大きな熊に似た黒犬と同様に、彼に残った最後の力を奮い起こして、一人また一人と死闘をつづけること以外、竜三がやれることはもうなにもなかった。



(注)2020年4月、岐阜県下で橋の下で暮していた老人が、若者と少年らにより、襲撃殺害された事件があった。本小説はそれ以前に起きた少年たちによるホームレスへの殺害事件に触発されて書かれたものであるが、ここに再掲した。
 



三味線掘

 谷崎潤一郎の短篇「秘密」がラジオで朗読されている。俳優の朗読は読書とはまた別格の趣向で、私を陶酔させ酩酊させてくれた。
 谷崎は明治四十三年に「刺青」で文壇に躍り出るや、翌年には「秘密」を発表して籾山書店から「刺青」として短篇集を刊行している。後に述べるがこの籾山書店から泉鏡花が出した小説に「三味線堀」がある。まずは谷崎の「秘密」へ韜晦して現下の息苦しい世界から、消閑の時を白昼夢で満たすべく、妖しげな下町の陋巷へ気まぐれの散策をはじめてみることにしよう。
 小説「秘密」の冒頭はつぎのように始まっている。
「その頃私はある気紛れな考えから、今まで自分の身のまわりを裏(つつ)んでいた賑やかな雰囲気を遠ざかって、いろいろの関係で交際を続けていた男や女の圏内から、ひそかに逃れ出ようと思い、方々と適当な隠れ家を捜し求めたあげく、浅草の松葉町辺に真言宗の寺のあるのを見附けて、ようようそこの庫裏(くり)の一(ひと)と間(ま)を借り受けることになった。」
「賑やかな世間から不意に韜晦して、行動をただいたずらに秘密にして見るだけでも、すでに一種のミステリアスな、ロマンチックな色彩を自分の生活に賦与することが出来ると思った。私は秘密という物の面白さを、子供の時分からしみじみと味わっていた。
かくれんぼ、宝さがし、お茶坊主のような遊戯―(中略)ー
私はもう一度幼年時代の隠れん坊のような気持を経験して見たさに、わざと人の気の附かない下町の曖昧なところに身を隠したのであった。」
 そしてある晩、「私」は三味線掘の古着屋で見つけたあられの小紋を散らした女物の袷(あわせ)をみつけ、それを着てみたくてたまらなくなるところから、「私」が女への変身願望の肉感的な小説のディテイルが、谷崎の耽美的な才筆によって紡ぎ出されてくるのである。ここには「悪の華」のボードレールに見られる現実逃避の詩趣は微塵もなく、あくまで曖昧な闇につつまれた陋巷へと作者の筆はその好奇心に誘われていくのみである。
 さて、私が下町へ住居を遷した昭和50年頃に、この小説にでてくる「三味線掘」はその景色はあらかた失われていたが、まだその一部は残っていた。いまは旧弊な鉄筋の都営住宅と社会教育会館が併設された高層の建物だけが残っているが、その頃は一階にはマートと呼ばれた商店街があり、その暗い電灯の薄暗く天井の低い階には八百屋、魚屋等が軒を並べていたのを覚えている。清洲橋通りに面した一角にはいまはもうないが、台東区教育委員会が立てた立て札に「三味線掘跡」として下記のとおりの案内が記されていた。
「現在の清洲橋通りに面して、小島一丁目の西端に南北に広がっていた。
 寛永七年(一六三○)に鳥越川を掘り広げて造られた、その形状から三味線堀とよばれた。一説に、浅草猿屋町(現在の浅草三丁目あたり)の小島屋という人物が、この土砂で沼・地を埋め立てそれが小島川となったという。
 不忍地から忍川を流れた水が、こお三味線堀を経由して、鳥越川から隅田川へと通じていた。堀には船着場があり、下肥・木材・野菜などを輸送する船が隅田川方面から往来していた。
 なお、天明三年(一七八三)には橋の西側に隣接していた秋田藩・佐竹家の上屋敷に三階建ての高殿が建設された。大田南畝が、これにちなんだ狂歌を残している。

 三階に三味線堀を三下り、二上がり見れどあきたらぬ景

 江戸、明治時代を通して、三味線堀は物質の集積場所として機能していた。
 しかし明治末期から大正時代にかけて、市街地の整備や陸上交通の発達にともない次第に埋め立てられていき、その姿を消し
 たのである。     
         平成十三年三月 台東区教育委員会 」

 なんのことはない。こう記した立て札そのものをいま見ることはできないのだ。谷崎が関東大震災の後、関西に居場所を移したのは、こうした新開地の白々しい土地柄を嫌ったからに違いない。だが東京においても見出すことができる地に足をつけた日常を、吉田健一なる批評家は発見して「東京の昔」という小説を文章に認めている。吉田健一の美意識は英国仕込みのもので、「時間」というエッセイとも批評文とも見分けられない特異な文体にそのエッセンスを堪能することができる。それは「言葉」に全幅の信頼をよせることによって、時間は命をえた水のように、空間を超越して流れるものだからである。谷崎の小説家の本能が関西をもとめて、東京を逃げ出したのは当然のように思われるが、それは空間の移動というより、作家の本源は吉田健一のいう「言葉」というものにあり、谷崎は「吉野葛」等でそれをみごとに証明している。
 なお、泉鏡花が「三味線堀」という小説を書いたらしいが絶版となっており、竹下夢二がこの辺りに惹かれた俳文と絵を残しているのはいかにも夢二らしい。そして、安藤広重の「富嶽百景」に「鳥越の不二」の版画をみて、酔狂にも「鳥越奇譚」なる小説を書いた吾人がいたらしいが、このコロナ禍で捜すあてもない。しかし、鳥越川の川筋は今はどこにも見ることはできないが、隅田川テラスを歩いていくと、朱塗りと金色の擬宝珠の橋があり傍に黒い鉄の水門がある。ここが隅田川へ流れこんだ鳥越川の名残だと知られたことは、嬉しいおどろきを覚えた。歩く民俗学者といわれた宮本常一ではないが、しゃにむに歩いてみなければ下町界隈といえどこうした発見はできなかったろう。



  冨獄百景富獄百景




戯画風「思い出の記」

 先夜寝しなに、ラジオに録音したNHKの「名曲スケッチ」を聞いてみた。二月は私の誕生日の月でした。毎年、この月が近づいてくると私の身体の調子は低下するのです。なぜなのか分りません。三月になって沈丁花が香り、春の陽ざしがさす頃になると不思議と回復に向かうのです。
 ただ24歳のその年だけは例外的に、私はこの月を平常に過すことができました。遠いむかしのことで、いまから思うとそんなことがあったのか、夢でもみていたのではないかと、思われてなりませんが、たしかにあれはその年の二月のことでした。
 私は同じ月に誕生日を迎える女性のために、朝早くから花束と一冊の本をかかえて、小学校の教室に侵入しました。まるで映画のダーティー・ハリー君のように、可愛い子供たちへ自分がいることを黙ってくれるように頼み、教室の一番うしろの小さな椅子に腰掛けさせてもらいました。ぼくがかかえていた花束をみて、女の子の一人が頬笑みかけてくれました。おしゃまそうな顔はこういっているようでした。
「あたしあなたが、これからやりたいことがどんなことだか、わかっているわ。」
 その女の子の気持ちがクラスじゅうに伝わったように、男の子も女の子も、突然の来訪者のぼくを理解してくれたように、好奇な目を輝かせはじめました。
 ぼくは勇気を貰った気分でした。椅子から立ち上がり、クラスの子供たちに言いました。
「いいかい。今日はきみたちの先生のお誕生日なのです。これから、先生が教室に入って教壇のまえに立ったら、ぼくの合図でハッピーバースデーの歌を一斉に唱ってくださいね。」
 このぼくの提案にみんなが賛成してくれました。それはまるで奇蹟のようでした。
それから、ぼくと子供たちは先生が教室に入って来るのを、今かいまかと待っていました。
ぼくはふと教室の壁に「若者たち」の歌詞が大きな字で書かれた紙が貼ってあるのをみつけました。    
 また、ぼくは子供たちにいいました。
「ぼくが先生に贈り物をしたら、ぼくの合図でこの壁に書いてある歌を唱ってくださいね」
 子供たち全員が喜んで笑みをうかべて、また、ぼくの提案にうなずいてくれました。
こうしてぼくの悪戯、思いもよらない奇抜な企みの準備は整ったのです。

 そのうち、廊下にかすかな跫音がして、教室の前の戸が開き、彼女が入ってきました。
背をちじめ子供たちの中にいたぼくを、彼女は目ざとく見つけると、大きな目を見開いて吃驚としてしまいました。
その時、ぼくはタクトを振る指揮者のように、椅子から立ち上がると、「ハイ」と合図したのです。

ハッピーバースデー・トウーユウー、ハッピーバースデー・トウーユウー。

 クラス全員の子供たちの大きな声が教室じゅうに響きわたりました。その子供たちの声に、最初は唖然として驚いた彼女の顔は、こんどは恥ずかしさと笑みが入り交じった顔に変わりました。そして、合唱が終わったときには、とても明るい表情を満面にうかべ、隠しきれない喜びにあふれた顔をみたのです。
 ぼくは花束と本の包みを彼女にわたすため、教壇へと進みました。
「○○さん、お誕生日、おめでとう!」
 とぼくは贈り物を差出しました。ぼくはその時の彼女の顔を覚えていません。なぜなら、そのとき初めて彼女の教室にいる先生としての顔を見て、ぼくは一瞬たじろいだのかもしれません。彼女はぼくの初恋の女性でした。ぼくを苦しめそして喜ばした最愛の女性でした。

 ぼくは子供たちのほうへ向き直ると、また「ハイ」と子供たちに声をかけました。そして、拍子をとって壁に貼ってある「若者たち」の歌を、子供たちと一緒に唱ったのです。

  君の行く道は 果てしなく遠い。
  だのになぜ 歯を食いしばり
  君は行くのかそんなにまでして。

 君のあの人は 今はもういない
 だのになぜ なにを探して
 君は行くのか あてもないのに

 君の行く道は 希望へと続く
 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる 

 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる

 朝一番の小学校の教室での大合唱は、隣りの教室にいた男の先生を驚かせたのは当然でした。
彼女はその三学期を最期に、学校を辞めて俳優への道を歩き始めることが決まっていたのです。その年の誕生日の一日が彼女にぼくの気持ちを伝える最後の機会となったのです。

 それから指では数えきれない多くの歳月が流れ、今年の二月の夜、それは彼女の誕生日の夜でもあったのですが、ラジオから流れた「名曲スケッチ」の最初の曲は、ヘンデルの「ラルゴ」、二曲目は、メンデルスゾーンの「歌の翼に」でした。「ラルゴ」はゆったりとした静かな曲でした。「私のお父さんが好きだった」というこの曲に相応しい一女性の感想が載っていました。例外的な24歳の一年から数年後、ぼくは彼女が舞台に立っている姿をみました。彼女は根っからの俳優だったのでした。「歌の翼に」のって、今も彼女は舞台の上で飛びつづけているのでしょうか。ぼくが贈ったジャンコクトーの「ポトマック」の本を持って。






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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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