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スカイツリー殺人事件ー1-

  朝、目が覚めると、聡一郎はおやと思った。躯中に暖かい潮が流れている。それは春の草原の息吹のように、六十六歳の初老の半身を騒がせた。
 外交官として最期の任地であったモロッコの旧市街。そのあふれかえる雑踏を今朝の夢にみたからであろうか。
 朝日で薔薇色に染まったアシュラケの街をこよなく愛した妻はもうこの世にはいなかった。だが突然に身罷るその日の朝、開けはなった窓から射す豪奢な花の光りを浴びて、睦まじい夫婦の交情は果てもなくつづいていたのだ。凪いだ海の汀に寄せる穏やかな愉楽の波また波。清冽な湖畔の葦の茂みを犯し、全身にひろがる漣(さざなみ)のアダージォ。
 貴金属商の裕福な家庭で育った妻は、家ではなにもすることがなかった。父が使わせた二人の使用人がすべての家事を執り計らったからだ。このうち一人はモロッコ人ではなかった。南部の西サハラから出身の者である。
 妻は籠の中の鸚哥のように止まり木で灼熱のアフリカの太陽が沈むのを待っていればいいのである。彼女が働くのは鸚哥が思い立ったように行う毛繕いほどのことだった。
 聡一郎はすぐに本省に辞表を提出すると、厳重に冷凍保管させた妻の亡骸を成田へ運ばせた。喜寿をこえた妻の実父の、一人娘の聡一郎の妻への変わらぬ愛はその悲しみよりも強かった。葬儀は外務省関係者を中心に、妻篤子の同窓会、実父の力の及ぶ限りの協力のもとに、荘厳に執り行われたのである。
 篤子の実父は単なる商人というだけではなかった。旧満州鉄道会社にいた実父は戦後もその人脈の資に、政界に隠然たる影響力を持っていたのだ。大規模な国家と地方自治体の巨大プロジェクトには、必ず篤子の実父、宮林勝三の名前が影で囁かれた。
 ある春の日の午後、蔵前橋の西詰めの桜が満開の花びらを隅田川の川面に散らしていた。
 一人の中年の紳士が帽子に手を添え、その橋の袂から空へそびえ立つスカイツリーを見上げ佇んでいた。その数歩後に、ソロモン王の印に飾られた赤い帽子を被った背の低い黒人が控えていた。落花の花弁ひとひらがその深紅の帽子に舞い降りてソロモン王の印をわずかに蔽っている。満々と流れる川面から、時折吹く風には花冷えの冷たさがあった。
 墨田側のテラスの石壁に、みごとな江戸の花火大会の錦絵が見られたが、その壁の前から対岸の二人の動静をうかがう、一組の男女がいた。女の豊満な胸に抱きかかえられた黒い縫いぐるみのような猫は、真っ白な女の両の乳房の谷間で大きな欠伸をした。
「この小寒い風にもかかわらず、今日の上野は花見客で大にぎわいだろう・・・」
「・・・・・」
 白人の女は、どうやら男の独り言が解せぬようで、黙ったまま胸の猫にしきりに頬ずりをしならが、二人の前をランニングをして横切る青年の引き締まった臀部を青い目で追っていた。




通貨と世界経済

 日本の経済のことを考えると、暗澹となるなり筆が進まなくなる。
 今日は新聞の一面には、大きく「フクシマ」の放射能汚染の賠償に関する記事を目にした。海に垂れ流した放射能は、他国からの損害賠償になるのは当然のことなのに、目を蔽う惨憺たる被災地のミクロの状況に気をとられているうち、諸外国をふくむマクロの問題が頭から抜けていたような按配である。日本の財政赤字は、いまや世界で群をぬく額となり、

債務っている。GDPで中国に抜かれたなどといっている場合ではないのだ。通貨がなんとか安定しているのも、これまでの日本の経済実績からなのではあろう。
 国内での賠償に数兆円の推計に加え、これから諸外国からの損害賠償の補償をいったい幾ら求められるか分からない。それというのも、この賠償額を決められる裁判が日本ではなく、他国で実施されると予測されるからだ。日本はCES(「原子力損害の補完的補償に関する条約」)に加盟していなかったというのだ。原子力を英語ではREACTERというのだが、動詞はREACT(「反動、反作用、逆襲する」という意味)からも推測される如くこれをコントロールするには、高度は技術力なしでは覚束ないエネルギー源なのである。私は原子力利用に反対するものではない。唯一の被爆国であればこそ、この恐るべき破壊兵器から産み出されたエネルギー源を、日本の叡智をもって逆利用する「使命」があるという思いがある。だがフクシマの惨禍とその後の政府と東電の対応には正直失望させられている。このようなときに、侃々諤々とやっている余裕はない。現場対応もさることながら、日本の大局の方針の誤りはもう許されないのである。フクシマがあっても日本の「戦後」は終わらない。ジャーナリズムはこのときとばかり、新手の文脈を売ろうとし、そして浅はかな自称の思想家や文化人等はそれに乗ずるに違いないが、歴史観というものはそうたやすく運転できる車のごときものではない。たしかに世界は前世紀の70年代から80年代にかけて変わり始めたことは疑いようがない。そして政治と経済の地勢図の変化は明らかでである。
 現今の世界経済ほど読解のむずかしい世界はない。









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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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