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ボクシングという格闘技

 6月19日夜、WBO世界スーパーフライ級王座決定戦で、元世界3階級王者で同級2位の井岡一翔(30)が、同級1位アストン・パリクテ(28)フィリピンに、10回1分46秒TKOで勝利した。ここに井岡は日本初の4階級制覇を達成したのだ。
 この10回戦の試合は実に見応えがあった。特に7回の攻防戦の壮絶に打ち合う互角のシーンはその後の試合の微妙な陰影を見える者には見せていたであろう。残り1分の井岡の戦いに8回以降のすべてをよむことができる。8回は相手の疲労は歴然としてきていた。すでにアストンは井岡を追うことができなくなっていた。そして9回いっそうそれは明瞭となった。大ぶりのアストンのパンチの隙を井岡の的確な上下のパンチが相手のからだの芯を捕らえ、さらにアストンのからだは揺れだしていた。10回にはもうアストンにスピードはなくなっていた。井岡の右ストレートがアストンの顔面を打ち抜いてからの井岡の猛烈なパンチの連打の攻撃は満を持していた井岡の攻めにレフリーの右手が上がったのは早かった。1分46秒、マットに沈まないまでも、レフリーは井岡のテクニカルなパンチの連打に勝利の審判を下したのだ。
 以前にも当ブログで書いたことだが、1対1の勝負ほどその観戦者に明解な結果を見せてくれるものはない。報道によると敗者のアストン・パリクテはレフリーの審判が早いのに不満を漏らしたそうだが、あれ以上の試合の続行は敗者のダメージを増すだけであったろう。観戦の印象では、ゴングが鳴りリングに進むアストンの顔から相手を見下すUglyな笑いが消えたとき、私のこころには井岡勝利の確信が弾けてとんだ。他方、井岡の顔には充溢した緊張の裏に勝利への意欲が漲りつづけていたのだ。目は沈着に相手をみていた。それはやるだけ準備をやり遂げた挑戦者の自信がいぶし銀のごとく勝者の全身を鎧のようにつつみ、また攻撃への雄叫びをたわめてその時を待っていたのだ。元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者で「ノックアウト・ダイナマイト」の異名を持つ内山が、アナウンサーに井岡への注文を問われ、「繊細な攻めを保つこと」とつぶやくのが聞こえた。2016年にジェスレル・コラレスへ再挑戦して判定で負けているからこそ出る内山らしいことばだった。井岡が10回にアストンにノックアウトで勝つとはおおかたの人が予想していなかったことだろう。だがアストンは負け井岡が勝ったのだ。観客の誰の目にもそれは明瞭であった。リーチと身長に優位のアストンのそのパワーは井岡のスマートな技術力に負けたのである。この試合を観て、スポーツについて文芸批評家の小林が書いたこんなことばを思い出していた。「ファンが心の底で、われ知らず求めているものは、人間らしい道義なのではあるまいか。」(「スポーツ」)
 ボクシングも含め格闘技のいい試合をみていると、小林のこの「人間らしい道義」ということばが、はっきりした顔をもって迫ってくるのが確信されるのである。
 海で死んだ元ボクサーがもう一度生れてきたらまたボクサーになりたいと洩らしたそうだ。格闘技のボクシングには尋常な人間には想像できないそうした人間らしい魅力が秘められているのだろう。




人生との決闘

 映画監督の黒沢明には、思わず息をとめ目を奪われる真剣での決闘場面がある。
 ひとつは「七人の侍」に、二つ目は「椿三十郎」の結末にその例を見ることができる。

 山賊たちに村を荒らされた百姓がどうしたらよかろうかと思案する。追い詰められた百姓には村を守るためのこれが決闘の準備といってもよいだろう。思案の末に村の古老に相談すると、厳しい面構えの古老の「侍を雇うべえ」との決断は早かった。幾人かが強そうな侍を捜しに人通りの多い街道にでる。だが怖々と声をかけても、仕官中の侍にはにべなく断られるやらで、百姓と侍という歴然たる身分の違いを思い知らされ途方に暮れる。そこに子供を人質に小屋に立てこもった盗人を、丁髷を落とさせ僧侶になりすませた年期の入った侍がみごとに腹を空かせた盗人を握り飯で釣り斬り殺す。ここにも小さな決闘の場面がある。この老獪な侍の鮮やかな子供を助ける戦い方に目を見張った百姓たちが侍に目星つけることから、この侍の人をみる裁量により7人の侍が次々と揃うのである。その中に一人に見つけられたのが、売られた決闘でみごとに勝利した武芸の達人だ。まず、この侍の決闘の場面にレンズを移してみよう。
 互いに5,6間へだてて竹棒での打ち合い、一見相打ちのようになるが、「真剣ならばお主は死んでいる」と言われた侍は怒り、「では真剣でやろう!」と興奮して聞かない。そこで双方が今度は真剣を抜き合っての勝負となるのだ。激高した侍は上段の構えで、他方はそれを見て、下段からゆっくりと脇構えとって向かい合う。互いにじりじりと間を詰め合う。上段から真っ向に斬り下ろされた刀が脇構えの侍のからだに触れたかの一瞬、脇構えから最短距離でのびた剣先は相手の右頸動脈を斬り、瞬時に左足を退いている。上段からの攻撃を他方は脇構えをとることで、真っ向からの攻撃の間を見切ること得、さらに左足を退くことで自らの体捌きを万全なもにしていたのであった。脇構えは刀の長さを対手から隠すことで、間の取り合いに有利にはたらく。すなわち無駄に相手の刀の勢力圏にからだを置かなくて済み、同時に刀の走法を悟らせないという利点があるのだ。だから二人の間の詰め方、足の動かし方をじっくりと観察してみるがいい。上段から前のめりに動く相手に、脇構えの侍は上体をすこし反らし気味に、軸足は右後ろ足にあるのが分るだろう。すでに勝負は明瞭なのである。真剣での勝負とはかくのごときものであることを、この映画の殺陣師はみごとに知悉している証拠であった。
 二つ目の真剣勝負は、椿三十郎と俳優仲代達矢の演ずるこれも雇われた用心棒との決闘の場面にみられる。今度の二人の間は殆どない。ではどうなったか。三十郎は仲代が右手で柄をとり抜き上げて斬ろうとする瞬間に、相手との間をさらに詰めながら、右手ではなく左手で自分の柄を最短で抜き、立った刃ごと仲代の右からだに体当たりをする。同時に右手を刀の棟(むね)に当てて上から仲代の腹に食い込んだ刀身に圧力をのせ、その勢いのままに腹部を抉るように切上げている。この素早い刀と体捌きに仲代の刀は空を斬るしかないのだ。相手との間を消すことと体と刀の捌きでの勝利であった。宮本武蔵は「五輪書」で構えなどというものはないと言っている。真剣の勝負は以上に述べたように、様々な状況によりいかに臨機応変・有利に敵に対応できるかにあるといえる。これがとりあえずの結論である。命のやり取りとなる真剣勝負には様々要素が入り込むので、一概には言えないのだ。ある流派の名人が無名のヤクザ者に殺られないとも限らないのだ。「賽子一擲偶然を排するに能わず」である。
 この対決場面を見ていた若者侍たちが、「お見事!」という声に、「馬鹿野郎!」と椿三十郎は怒鳴る。殺し合いなどはしないほうがいいにちがいなく、刀は無事に鞘に収まっているのが一番いいからである。
 椿三十郎はこのとき、「あなたは抜き身の刀のように、ギラギラしていますよ」という邸の奥方の叱正を思い出していたのに違いない。
 なお、2014.7のブログ掲載の「剣の法」では、より精密な刀法が記されているので、是非、併読して頂くことをお奨めしたいと思う。
 さて、「人生は戦いである」とあの小林秀雄がどこかでポツリと呟いている。三島は「決闘の思想」とまで揚言した。二十世紀の二つの大戦は理性を無くした人間の無惨なたたかいであった。人間と戦争の関係をフロイトがどう言ったか忘れたが、決闘に賭ける真剣な人間の精神が人生という舞台から消えてしまっていることは、また確かなことであろう。人間とは不思議な動物である。
 最後に、知る人には有名な対談のひとつを一瞥して終わりとしよう。この対談は真剣での交わりを彷彿とさせる。

「歴史について」対談(1972年)
小林 三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか。
小林 いや、それは違うでしょう。
江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林 いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。
江藤 吉田松陰と三島寺由紀夫とは違うじゃありませんか。
小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。
江藤 ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども……。
小林 合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。
江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶちがうと思います。たいした歴史の事件だなどと思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林 いえ。ぜんぜんそうではない。

「歴史について」との題が付けられたこの対談は、この部分以外では話がかみ合っており、極めて味わい深い対談となっているのだが、実に唐突に起こる激しい応酬である。宮崎正弘が後年対談に立ち会った編集者に聞いたところ、紙面上では取り繕われているものの、実際には「怒鳴りあい」であったという 。


(追記)
 三島事件については、吉本隆明の「追悼私記」の「三島由紀夫」(全14頁)が最も読むにあたいするだろう。事件の日から1月13日まで費やし書かれたと思われるが、屈折を重ねて書かれたと覚しい文章は決して読みやすくはない。が吉本の思想の痛点を突いた事件への言説として関心が牽かれるものだ。なぜなら、吉本は三島が殉じた思想の核心に「自意識に牽きづられそれを引き摺った行為の世界、言い換えれば行為と観念の屈折した世界が自己に照らして見えていたからだ。この詳細は秋山駿が「対談・私の文学」での吉本へのインタビュアーに窺えるものである。ここでは「追悼私記」からほんの一部を抜粋して引用しておきたい。
二つの文章にある論理と心理の間に戦後における吉本の思想の暗闘が横たわっている。

「三島の死は文学的な死でも精神病理学的な死でもなく、政治行為的な死だが、その<死>の意味はけっきょく文学的な業績の本格さによってしか、まともには測れないものとなるにちがいない。」
「彼の<死>は重い暗いしこりをわたしの心においていった。わたしの感性にいくらかでも普遍性があるとしたら、たぶんこの重い暗いしこりの感じは、かれが時代と他者においていった遺産である」(45・11・25~46・1・13)




現代居合道試論

 そう遠くもないあるときのこと、日本の武道の紹介番組をテレビで見たことがあった。極真流空手を習い格闘家と知られたニコラス・ペタスが、柔道から合気道、空手、古武道、剣道などの日本の諸武道の稽古場を訪ねて、その武道の技の一端をナビゲイトするものだった。
 そのうち、箱根にある神社で居合を教えられたニコラスの顔に怪訝な表情が浮かんだ。私にはさもありなんと思わずにはいられなかった。真剣での居合稽古は一人の演武者が、仮想の敵に相対して空気を斬る音いがい聞こえるものとてない静寂のうちに行われていたのである。武道には相対する敵の身体が目の前に存在するのが当然とする固定観念が居合を前にして、ニコラスを戸惑わせたのはしごく当然のことであった。これは現代における居合の本質が、遠く奈良朝あるいは平安の初期に芽生え、戦国時代に工夫考案されて、現代に至る日本固有の歴史的・精神的な背景を知らなければ理解しがたいことであったろう。
 (財)全日本剣道連盟が発行の「新版全日本剣道連盟居合」によれば、居合の始祖は奥州出羽の国に生まれた林崎甚助重信であり、その刀法から各流派が分岐して達人たちが生まれた。やがて刀を武器とする専門の武装集団が時代を担う武士の時代は、江戸時代以降に衰退の一途を辿っていくのは、武器としての刀が銃の威力にとって替わられた軍事上の必然の成り行きであった。だが刀工たちによって洗練された文化遺産としての日本刀への崇信は、伝統的・精神的価値として日本人に脈々と伝わり現代に至り文化的な象徴となり、日本刀は「武士の魂」とまで称され武士の道義を顕現するものとなっていた。こうした背景を踏まえた新渡戸稲造は「文化的エートス」として「武士道」なる本を英文をもって世界に表し、さきの戦時期にはアメリカの社会学者・ルース・ヴェネディクト女史が「菊と刀」として、敵国の日本文化の分析の一助としたことは歴史のイロニーという以外ないものであったろう。
 明治維新からの性急な近代化は明治9年に廃刀令が出るに及び、これに反発して同年10月24日こうした政府の開明政策に反対して熊本で蜂起した神風連は、1872年肥後勤王党から保守派・攘夷主義者が分かれて結成された。神慮(「ウケヒ」の語彙の起源は「古事記」である)という神事により決起の神慮を得た太田黒伴雄、加屋霽堅を中心に170余名が熊本鎮台、県令宅、県民会議議長宅などを襲ったのは、まさしく変遷する時代への文化的な反動であったのにちがいない。だが鎮台兵の反撃にあい、太田黒、加屋らは戦死、86名は金峰山頂で自刃し、残りは捕縛されて、翌25日に反乱は鎮撫された。
 昭和43年「文化防衛論」を発表した作家の三島由紀夫は、その最後の著作「豊穣の海」四部作の第二巻「奔馬」で、この神風連の乱を取り上げているのは刀にたいする上記の文脈からでてきたものと思われる。第四巻「天人五衰」を書きあげ、昭和45年11月25日に市ヶ谷の自衛隊中央本部で日本刀(関の孫六)により割腹した三島にとって、日本の文化における日本刀の持つ意味には刮目すべきものがあったに相違ない。本格的に剣道を習い居合まで手をのばし、映画「英霊の声」を自作自演し、江戸末期に書かれた山本常朝の「葉隠」に心酔した三島には、文武両道は当為として必然的な生き方であり、死に方であったと思われる。
さてここで、文武両道について若干の補足をしておきたい。
これほど理解が困難な言葉は、現代ではめずらしいのではないか。たぶん戦前なら、いや明治維新前ならば、幾分なりとも身体に通じるものがあったであろう。
 先日、NHKの「美の壺」で「日本刀」がとりあげられていた。テレビに出て来た刀工自身がこれまでに「いまどき刀なんてどうして作っているの?」と言われたことがあるという述懐を聞いて、成る程と思われた。これほど素朴で本質を突く質問があるとは思われないからだ。刀工が精魂をこめて作っている刀とはそもそもいったい何であるのか。なんの道具であるのか、道具ならその用途がはっきりしているだろう。だが次第に近世の時代を経るにつれその用途は薄れて、明治に廃刀令が出され、戦後には占領軍により没収の対象となってしまった。にもかかわらず、優れた一流の刀は骨董・美術品として文化財なるものとして生き残った。その美事な拵えの故に、また刀そのものが放つ妖しく優美な魅力の故に、一部の刀匠たちが刀を作り続けたが故にである。他方において、それは武道に取り入れられて剣道として勝敗を争う競技となり、さらにその延長に、明治百年を記念する頃と期を一にして、剣道会の組織に真剣を使っての居合道部会が発足して、刀は許可を得て特定の場所での使用が赦されるようになったのである。近代スポーツとしての剣道に飽き足らない者達によって、室町期に出現した居合は、敵を想定した演武という形式をとって現代に甦ったのだ。
 この現代的な意味合いを端的にいうなら、伝統の刀を使い、想定の敵を斬る演武におけるヴァーチャル・リアリティーの追求にあると言えるだろう。そして「文武両道」という言葉は江戸時代以前には武士階級の当然の生活様式で敢えて言挙げする必用もなかったもにちがいないのである。
 この言葉は江戸末期に書かれた「葉隠」などを称揚した戦前の一時期、そして作家の三島由紀夫が市ヶ谷で割腹自殺を遂げる数年前に、「若きサムライのために」(同様に「源泉の感情」にも掲載がある)の対談集において評論家で戯曲作家であった福田恒存との対談などで発しはじめてから広がったように思われる。実際に三島氏は剣道をやり居合も習った文字通りの「文武両道」の作家たらんとした人物であった。そうした氏の一景を石原慎太郎との対談を回顧した一文に窺える。
「居合い抜きの稽古の帰り、対談の席に現われた三島由紀夫氏は、左手に会津藩由来の真剣を持っていた。遅れてきた石原慎太郎氏が『いくらか上達しましたか』とひやかすと刀を袋から出してテーブルを片すみに寄せ、居合いの型を解説入りでやってみせてくれた。真剣が顔の横をかすめるのはいい気持ではないが、私は氏の腕前を信用することにした。真剣だけに、すごい迫力だった。」
 昭和42年の「論争ジャーナル」の行われた三島氏と福田氏との対談のタイトルは「文武両道と死の哲学」なる物々しいものであるが、今、これを読んでこの対話の全文をスッキリと理解できる人はたぶんそれほど多くはないであろう。しかし、この対談は憲法の「縄ぬけ」の話からして、極めて今の時代性にフィットしているから不思議である。その直後に福田氏の方がつぎのように切り出している。
「僕は編集部から、戦後は生の論理ばかり流行して、死の論理がまったく無視されている。そういう傾向について三島さんと対談してくれという事で、それなら話が合うだろうと思って出て来たんです。」
 この「文部両道」という思想は、三島氏の中で煮詰められ、「文」と「武」の二つの対極に明瞭な一線が引かれると同時に、その二つを三島氏が強引に結びつけようとしている志向が色濃くでていることが了解される。この「文」と「武」の背理と合一を理解することは容易ではない。現に埴谷雄高氏は三島氏に頻りに「死ぬ」必用はないことを当時の座談会で説いていたのが印象に残っているのだが、現代では、この二つの領域が共に曖昧模糊となっているのは必然なことであろう。「ことば」に命を賭けることも、「武」が文字通り命がけの行動であること、この両極を三島氏のように同時にみようとする目を持つことは至難の技であることは、三島氏が、福田氏へ暗々裏に力説していることだからである。
 三島自身が作家の武田泰淳との対談「文学は空虚か」(「文芸」昭和45年11月号)で、「文武両道」の不可能性と、日本刀への最終の感慨を吐露している。
 この二年前の昭和43年10月23日、政府は、明治維新以来の100年を記念した「明治100年記念式典」を日本武道館において天皇、皇后の臨席の元に挙行し、賀屋興宣の音頭で万歳三唱をもって終わったが、そうした時代のうねりを機に明治維新以来の100年の近代史と、戦後40年の現代史のいずれを重視すべきかの論争が文学者のあいだで繰り広げられた。こうした歴史感や文明論は、戦中の小林秀雄やいわゆる京都学派の学者等による文芸雑誌「文学界」の座談会「近代の超克」を淵源とし、現今の憲法論議にまでつながる意味深い射程をもって、日本近代の歴史・文化・政治を通底する本質論が穿たれているものと言っても過言ではない。
 そして、奇しくも同年の(財)全日本剣道連盟京都大会において、古流の各流派を糾合しての案を披露し、翌年の44年5月に(財)全日本剣道連盟は現代の居合に7本の技を制定した。これは剣道のスポーツ化が単なる「当てっ子」に終始する弊害から、居合における真剣刀の操法を知り、手の内を習得することを主体に、剣居一体の精神をもって伝統文化の継承を目標としたことは疑いがないだろう。
 歴史家の奈良本辰也は「五輪書」の「五法の構え」について、「構えるのではなく、斬るのだと思え」という武蔵の主旨に添い「剣は敵を斬るための武器」以外のなにものでもないのだと言っている。その剣をもって、現代の居合は現実の敵の不在により、仮想敵を想定しての演武で空気を斬る以外の術はなく、やがてその姿は単なる演舞、即ち、空疎なる演技に退落する陥穽を内包するに至る。そうした内的な必然の鋭意な自省なくしては、現代の居合の浅薄な「道」を説くことは無意味であり、その正鵠を穿つ言葉の発見にいたることは甚だ難しかろうと思われる。
 これと同様な実情が、1980年代の文芸に現れるに及んで、鋭利な批評家でありまた劇作家であった福田恒存は、現代文学への訣別となる批評において、つぎの一文を書き付けたのであった。
 「現代の作家たちが直面しているかのごときディレンマは、遠く半世紀前における近代日本文学の発想に窺いうるものであり、のみならずずっと今日に至るまで近代日本文学の主題として把捉しうるものあるといえよう」
 また新しくは、一昨年に物故した思想の巨人あるいわ剣豪とも崇拝された批評家の「言語にとって美とは何か」なる言語論の概念を援用するならば、そこに「自己表出」はあっても「指示表出」が欠落していることは明らかと言わねばならないだろう。さらに、この批評家と並び評されたもう一人の批評家の言辞に照応させるなら、「他者」がいないということになるのであり、文学であればそこに「詩」はあっても「散文」になっていないという批判が生まれるにちがいないのだ。元来、他者なる「敵」とは剣呑なものである。小説の文体を論じ、勝海舟の思想と行動を瞥見し、「みんな敵がいい」と言い放ったこの批評家が、遂には自裁して果てたのは、健康の故ばかりではなく、その抱懐した思想の運命に殉じたとも見えなくはない。
 他者の不在はあたかも鏡に映った自己に等しく、その像を見る視線はやはり自己の中にあるしかない。宮本武蔵の「五輪書」は、「実の道」において鍛錬した武蔵の経験の収斂した果実であるが故に、そこには現代の居合道が学ぶことの尽きぬものがある。現代の居合に問われている序破急、緩急、呼吸、間とは、「五輪書」で武蔵が説く拍子なるものに呼応し、平仄の合うものではなかろうか。
 「惣而(そうじて)兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする事肝要也」(五輪書・水の巻)。武蔵のいう「実の道」とはこうしたものだが、「刀と身体が融合して、何かまったく新しいひとつの運動が、運動感覚が創りだされなくてはならない」と小林秀雄の「実用主義」を敷衍してのプラグマチズムをここに呼び寄せる論まで現れてくるのは当然の成り行きであろう。
 先夕、フランスのパリ大学へ政府給費留学生として赴き、フランスで三段に昇格し一時帰国した青年の演武を見た。私はそのエレガントとしか形容しようのない技をそこに見てある感慨を覚えたが、いかにもフランス仕込みの日本武道の影をそこに見たような気がしないではなかった。また、その演武にはただ一人の「敵」の気配すらもないとの厳しい指摘もあり、これはまた傾聴にあたいする現代の居合の実態を明示するものとして悟らせられるものがあった。なぜなら、ここにこそ現代の居合の最大の難問(アポリア)があるからである。想像で描かれねばならない「敵」とは、古来からの武術としては通常の意味合いでは矛盾いがいのなにものでもないではなかろうか。これは私も少しばかり体験した中国における現代の太極拳も同様なのことであろうと想像された。
 すこしく脇道の逸れたきらいはなくはないが、現代の日本の武道としての居合道が、気剣体の一致による「美」の完遂にあることは、永遠に曉望しなければならない理想の形姿であることには間違いはなかろう。そして、さらに踏み込んで言えば、現代の居合はもはや普通の意味での武道とは異なる、なにか別のものに変容しているといった方がいいのかも知れないのだ。敵を仮想するしかない武道は限りもない仮構と内面化に晒される宿命を背負うことを余儀なくされるからである。制定居合における一挙手一動への細かい配慮は、逆説としての武道のかたちを維持貫徹するために必要不可欠な掣肘以外のなにものでもないだろう。幾つかの古流がこれを補完するものとして細い命脈を保っているが、不在でしかない敵は、やがては緩慢なる形骸化の宿命は免れないにちがいないのだ。
 18世紀の欧州に生まれたルソーの「自然人」なる思想は、やがて「社会契約論」として結実したが、そうしたルソーの平和へのパトスは、カントによる精密なる論理化により「純粋理性批判」として鍛えられ、「永遠平和」として哲学的な基礎付けを得た一方、19世紀の帝国主義の攻勢、国民国家の成立、列強の植民地争奪戦の高波は、ついに20世紀の二度の大戦となり総力戦の度を拡大した。ここにおいて、「平家物語」さえも生んだ伝統としての「武」の思想は国家に編纂されていったと言っていいだろう。そして、「平和」はかろうじて国際連合なる機関による調整に担保されているのが現下の情勢なのである。
 1896年、フランス人のフェドリック・ピエール・クーベルタン男爵により創設された近代の祭典オリンピックは、「武」のスポーツ化を促し、勝敗よりも「参加」の意義を称揚するものであったが、日本の武道としてこの国際的な競技に選ばれているのは、「柔道」のみであり「剣道」さえ加えられてはいないのは周知のことだろう。ましてや、現代の居合はこの埒外なのは、明々白々の事実である。その「柔道」に目を転じても勝敗にこだわる余り、その競技の拙さは目を背けさせるものに堕落しているではないか。真剣をもって敵に対峙する「型」を現代に伝えようとする現代の居合の意義は那辺に存在するのであるか。これを広く深い視野から塾考しないかぎり、現代の居合は偏狭なるナショナリズムに固まるほかはないのだ。ここにおいて、日本の居合の指導者に課せられた責務は、せめて日本の伝統のなかにこれを正当に位置づけ、以て日本の伝統文化としての居合道を守り抜くことではあるまいか。
 
 最後に「五輪書」とほとんど同時期に「兵法家伝書」を書き、徳川家の指南役であった柳生宗矩のつぎなることばは、現代の居合道の本質に嚮導するものとして揚言しておきたいものなのである。また、この柳生宗矩を教導した沢庵宗彭をも看過すべきではないことは言うまでもない。

 われは人に勝つ道を知らず われに勝つ道を知る

 

(参考:註)
 1.「全日本剣道連盟居合(解説)」(財)全日本剣道連盟
 2.「神風連とその時代」渡辺京二
 3.「国家なる幻影 わが政治への反回想」石原慎太郎
 4.「言語にとって美とは何か」吉本隆明
 5.「作家は行動する」「海舟余波」江藤淳
 6.「文化防衛論」「豊穣の海」四部作「源泉の感情」三島由紀夫
 7.「作家の態度」福田恒存
 8.「私の人生観」小林秀雄
 9.「宮本武蔵 剣と思想」前田英樹
 10.「五輪書入門」奈良本辰也
 11.「兵法家伝書」柳生宗矩
 12.「不動智神妙録」「玲瓏集」「太阿記」沢庵宗彭
 13.「剣と禅」大森曹玄
 14.「剣と禅のこころ」佐江衆一
 15.「剣禅話」山岡鉄舟
 16. 「剣の精神誌」甲野善紀  
 17.「純粋理性批判」「永遠の平和のために」エマニュエル・カント
 18.「社会契約論」ジャン=ジャック・ルソー
 19.「国家神道と日本人」島薗進





現代居合考

 映画「たたら侍」を観た。観客の入りが寂しいのは、この映画が奥出雲という魅力ある土地にロケーションをしながら、映画にそれを生かしきれていないためでもあろうか。出雲、隠岐、石見という日本人の魂の原郷に触れる土地にはその土地固有の霊力があったことであろう。「たたら」という日本刀とは切り離せないことばから、どんな時代劇を見られるかと期待していたが肩すかしをくってしまったようだ。刀の魅力を味あわせてくれる斬新な斬り合シーンには、それなりの優秀な殺陣師が必要となろう。黒澤明監督の時代劇には必ずそうした息をのむ名シーンがあったことを思うと、なんともさびしいかぎりである。
 ところで、日本刀を手に持ちたくて居合をはじめた人間もいるほどに、刀にはふしぎな妖力がある。現代において真剣の刀を使って居合道を嗜んでいる人たちは、この日本刀についてそれなりの感慨をお持ちになるだろう。ハイテク時代における居合の現代的な意味が当然に問われくるはずだからだ。太平な江戸時代になるまでは、日本刀は三島由紀夫が喝破したように人斬り包丁の完璧な武道具であった。現代においてもその道具性は維持されているはずだが、古来より三種の神器であったこの日本刀が、「刀剣女子」と呼ばれる今の若い女性たちのこころを掴んでいるとは、なんとも不思議なことである。もしかしたら、20年も続いた不況から一向に立ち直れたともいえない日本の政治と経済の現状を、一刀両断して欲しいと乙女こころが愁訴しているのかもしれない。
 女性こころにつまらない忖度はやめて、話しを映画へ戻すことにしよう。
 この映画は日本刀の原材料である「たたら」をモチーフに、戦国時代の奥出雲の山村で秘伝の製鉄技術「たたら吹き」を守っている青年が、侍になろうと戦場に出ていくがさんざんな体験をへて、意気消沈のはてに村に帰ってくる。刀に代わって登場した鉄砲の製造にこの「たたら」の製鉄技術に目をつけた商売人が村に入り込んでくる。青年はそうした者たちと戦い、刀を作ることにふたたび向かい合う。「『劇団EXILE』の青柳翔が『渾身 KON-SHIN』の錦織良成監督と再タッグを組んだ本格時代劇」と銘打つほどのものかどうか、観客の感想を読めば明らかであろう。だがさすがに、EXILE だけあって主題歌の歌詞と音楽にいいものがあった。
 「たたら」とは、粘土で築いた炉に砂鉄と木炭を装入し、フイゴで空気を送り込み70時間かけてケラ(鉄)を生産する日本古来の製鉄技術である。先手に朝鮮で開発されたときには日本にこの製鉄の技術はなかったが、女王卑弥呼の時代に巧みな外交戦略を展開してその資源を確保するや、瞬く間に日本はこの製鉄技術を自家薬籠のものとしたのだ。この映画はこの鉄で鉄砲を作る時代へ入りかけた頃の話しである。映画の筋立ては、「たたら」への熱い信仰心が鉄砲を作りよりも刀剣から離れられないことに、職人たちのこころが向かいだすところで終わっている。
 さて、現代の居合においては真剣を使用して演舞を行う。居合が古来の伝統からの武道でありスポーツではないことは確かなのだが、このことの理解が現代では今ひとつ覚束ない。居合は武道であるから「敵」を想定する。厳密にいえば想定され得る「敵」はもやは本来の敵というものではないだろうが、このことは措いておこう。居合の演舞は一応「仮想敵」への対敵行為となっている。想定で描いた敵がいつのまにかその影を薄くしていくのは当然の成り行きである。かくして現代の居合にまつわるこの陥穽が、次第に居合を形骸化させ現代的に馴致させていくことは自然の道理である。以前、このブログで居合の現代における陥穽について、幾度か問題提起を行った。しかし、制度を疑うことよりそれに馴れることの安逸のほうへ人間の精神は流れやすく、この大勢に抗することは難しいものである。私はこれ以上、この問題を詮索することはやめておきたい。ただ戦後の歴史において、明治百年にあたる昭和43年に現代居合の成立をみたことの歴史的な意味を考えるならば、文化における伝統のちからに思いが及ぶのである。アナクロニズムなどという気は毛頭ないが、居合とは「近代の逆説」そのものの武道的な表現であると、かんがえざるえないのではないか。

 先日、あるところで居合の講習をうけた。現代居合の陥りやすい弊害から自由にしてくれたと覚しき講習の一端をここに紹介し、現代居合の一景を記しておこう。疑問を持たない追従が近代日本に惨憺たる結果を招いた歴史をいま一度思い返すべきであろうと思うからである。
 制定居合は全国の剣の流派の使い手が集まり、昭和四十三年の京都大会で披露されたのが始まりである。最初は七本から、その後数度の改訂を経て十本、また二本が追加されて現在の十二本となっている。当日、師範は「歴史をひもとく」ことの重要性を説くや、モデルを当道場から一人を選ばせ、座技の正座の姿勢から講義を始めた。正座は「針の筵に座るがごとし」で座ることに注意を喚起すると、真横から見たその姿勢は仏像の座った姿勢となると言いざま、モデルの真横に床から木刀を立てた。その木刀をみて私は唸った。師範が仏像の姿勢といったその線に日本刀と同じ具合に反った木刀の線は図らずも完全に一致していたからである。私は時折思い出したように座禅をする程度であるが、仏像が日本刀と同じ反りぐあいであるとは考えたことがなかった。つぎに型から技になってはじめて居合となるということばには、対敵動作としての居合の命は、型から技へいかに入るかに懸かっている。その粘度と熟達が居合の奥深い世界へと通じていることを想像させもしてくれたのだ。そして、このことはある意味では型稽古からの自由度を得ることになるとは、なかなか気づくことにはなりがたいものであった。スポーツではない居合の稽古の後に、単純な爽快さではなく清閑な疲労があるとは、対敵動作である居合の本質をよく含意していると思わざるえないものであった。師範は「技が心をつくり、心が技をつくるものではない」とも「魂をみがく」とも言われた。今まで数多くの師範から教えを受けたが、こうしたことばを耳にしたことはなかったのである。道場の床に刀を置いて、そのうえに平気で跨がって講習をする師範がいたかと思うと、刀を跨いだだけで大声で叱責する師範もいた。抜き身の真剣を剣道のあそびこころで、これが青眼の構えだと人の顔に翳す輩もでる始末である。「稽古とは古を学ぶことだ」という師範もいれば、立礼は尻を後ろに突き出せばいいと教える先生もあり、現代における武道としての居合の多様な光景に、ほとほと呆れていた昨今であった。
 稽古をする時間的な余裕はなかったが、12本目の抜き打ちにおいて、敵の真っ向からの一刀を後ろへ退いて見切る体捌きを行い、即座に剣を真上に抜き頭上に振りかぶり、見切った敵へ真っ向から斬り下ろす所作において、敵がそのまま腹を突くか胴を狙う隙をわざわざと与えるものとの指摘は、対敵動作である居合の現代的な陥穽を衝いて正鵠を射た意見のひとつだと、「想定の敵」を念頭におく居合の対敵動作がいかに難しいかを改めて知ることをえたのである。




現代の居合について(試論)

 そう遠くもないあるときのこと、日本の武道の紹介番組をテレビで見たことがあった。極真流空手を習い格闘家と知られたニコラス・ペタスが、柔道から合気道、空手、古武道、剣道などの日本の諸武道の稽古場を訪ねて、その武道の技の一端をナビゲイトするものだった。
 そのうち、箱根にある神社で居合を教えられたニコラスの顔に怪訝な表情が浮かんだ。私にはさもありなんと思わずにはいられなかった。真剣での居合稽古は一人の演武者が、仮想の敵に相対して空気を斬る音いがい聞こえるものとてない静寂のうちに行われていたのである。武道には相対する敵の身体が目の前に存在するのが当然とする固定観念が居合を前にして、ニコラスを戸惑わせたのはしごく当然のことであった。これは現代における居合の本質が、遠く奈良朝あるいは平安の初期に芽生え、戦国時代に工夫考案されて、現代に至る日本固有の歴史的・精神的な背景を知らなければ理解しがたいことであったろう。
 (財)全日本剣道連盟が発行の「新版全日本剣道連盟居合」によれば、居合の始祖は奥州出羽の国に生まれた林崎甚助重信であり、その刀法から各流派が分岐して達人たちが生まれた。やがて刀を武器とする専門の武装集団が時代を担う武士の時代は、江戸時代以降に衰退の一途を辿っていくのは、武器としての刀が銃の威力にとって替わられた軍事上の必然の成り行きであった。だが刀工たちによって洗練された文化遺産としての日本刀への崇信は、伝統的・精神的価値として日本人に脈々と伝わり現代に至り文化的な象徴となり、日本刀は「武士の魂」とまで称され武士の道義を顕現するものとなっていた。こうした背景を踏まえた新渡戸稲造は「文化的エートス」として「武士道」なる本を英文をもって世界に表し、さきの戦時期にはアメリカの社会学者・ルース・ヴェネディクト女史が「菊と刀」として、敵国の日本文化の分析の一助としたことは歴史のイロニーという以外ないものであったろう。
 明治維新からの性急な近代化は明治9年に廃刀令が出るに及び、これに反発して同年10月24日こうした政府の開明政策に反対して熊本で蜂起した神風連は、1872年肥後勤王党から保守派・攘夷主義者が分かれて結成された。神慮(「ウケヒ」の語彙の起源は「古事記」である)という神事により決起の神慮を得た太田黒伴雄、加屋霽堅を中心に170余名が熊本鎮台、県令宅、県民会議議長宅などを襲ったのは、まさしく変遷する時代への文化的な反動であったのにちがいない。だが鎮台兵の反撃にあい、太田黒、加屋らは戦死、86名は金峰山頂で自刃し、残りは捕縛されて、翌25日に反乱は鎮撫された。
 昭和43年「文化防衛論」を発表した作家の三島由紀夫は、その最後の著作「豊穣の海」四部作の第二巻「奔馬」で、この神風連の乱を取り上げているのは刀にたいする上記の文脈からでてきたものと思われる。第四巻「天人五衰」を書きあげ、昭和45年11月25日に市ヶ谷の自衛隊中央本部で日本刀(関の孫六)により割腹した三島にとって、日本の文化における日本刀の持つ意味には刮目すべきものがあったに相違ない。本格的に剣道を習い居合まで手をのばし、映画「英霊の声」を自作自演し、江戸末期に書かれた山本常朝の「葉隠」に心酔した三島には、文武両道は当為として必然的な生き方であり、死に方であったと思われる。
(だが、この三島自身が作家の武田泰淳との対談「文学は空虚か」(「文芸」昭和45年11月号)で、「文武両道」の不可能性と、日本刀への最終の感慨を吐露している)
 同じく昭和43年10月23日、政府は明治維新以来の100年を記念した「明治100年記念式典」を日本武道館において天皇、皇后の臨席の元に挙行し、賀屋興宣の音頭で万歳三唱をもって終わったが、そうした時代のうねりを機に明治維新以来の100年の近代史と、戦後40年の現代史のいずれを重視すべきかの論争が文学者のあいだで繰り広げられた。こうした歴史感や文明論は、戦中の小林秀雄やいわゆる京都学派の学者等による文芸雑誌「文学界」の座談会「近代の超克」を淵源とし、現今の憲法論議にまでつながる意味深い射程をもって、日本近代の歴史・文化・政治を通底する本質論が穿たれているものと言っても過言ではない。
 そして、奇しくも同年の(財)全日本剣道連盟京都大会において、古流の各流派を糾合しての案を披露し、翌年の44年5月に(財)全日本剣道連盟は現代の居合に7本の技を制定した。これは剣道のスポーツ化が単なる「当てっ子」に終始する弊害から、居合における真剣刀の操法を知り、手の内を習得することを主体に、剣居一体の精神をもって伝統文化の継承を目標としたことは疑いがないだろう。
 歴史家の奈良本辰也は「五輪書」の「五法の構え」について、「構えるのではなく、斬るのだと思え」という武蔵の主旨に添い「剣は敵を斬るための武器」以外のなにものでもないのだと言う(上記の三島は武田泰淳との対談の中で、「日本刀は絶対人斬り包丁だと信じている」と述べているが、これは「事件」前夜の氏の異常心理が吐露させた妄想的な至言とも言うべきものだろう)。その剣をもって、現代の居合は現実の敵の不在により、仮想敵を想定しての演武で空気を斬る以外の術はなく、やがてその姿は単なる演舞、即ち、空疎なる演技に退落する陥穽を内包するに至る。そうした内的な必然の鋭意な自省なくしては、現代の居合の浅薄な「道」を説くことは無意味であり、その正鵠を穿つ言葉の発見にいたることは甚だ難しかろうと思われる。
 これと同様な実情が、1980年代の文芸に現れるに及んで、鋭利な批評家でありまた劇作家であった福田恒存は、現代文学への訣別となる批評において、つぎの一文を書き付けたのであった。
 「現代の作家たちが直面しているかのごときディレンマは、遠く半世紀前における近代日本文学の発想に窺いうるものであり、のみならずずっと今日に至るまで近代日本文学の主題として把捉しうるものあるといえよう」
 また新しくは、一昨年に物故した思想の巨人あるいわ剣豪とも崇拝された批評家の「言語にとって美とは何か」なる言語論の概念を援用するならば、そこに「自己表出」はあっても「指示表出」が欠落していることは明らかと言わねばならないだろう。さらに、この批評家と並び評されたもう一人の批評家の言辞に照応させるなら、「他者」がいないということになるのであり、文学であればそこに「詩」はあっても「散文」になっていないという批判が生まれるにちがいないのだ。元来、他者なる「敵」とは剣呑なものである。小説の文体を論じ、勝海舟の思想と行動を瞥見し、「みんな敵がいい」と言い放ったこの批評家が、遂には自裁して果てたのは、健康の故ばかりではなく、その抱懐した思想の運命に殉じたとも見えなくはない。
 他者の不在はあたかも鏡に映った自己に等しく、その像を見る視線はやはり自己の中にあるしかない。宮本武蔵の「五輪書」は、「実の道」において鍛錬した武蔵の経験の収斂した果実であるが故に、そこには現代の居合道が学ぶことの尽きぬものがある。現代の居合に問われている序破急、緩急、呼吸、間とは、「五輪書」で武蔵が説く拍子なるものに呼応し、平仄の合うものではなかろうか。
 「惣而(そうじて)兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする事肝要也」(五輪書・水の巻)。武蔵のいう「実の道」とはこうしたものだが、「刀と身体が融合して、何かまったく新しいひとつの運動が、運動感覚が創りだされなくてはならない」と小林秀雄の「実用主義」を敷衍してのプラグマチズムをここに呼び寄せる論まで現れてくるのは当然の成り行きであろう。
 先夕、東大からフランスのパリ大学へ政府給費留学生として赴き、フランスで三段に昇格し一時帰国した青年の演武を見た。私はそのエレガントとしか形容しようのない技をそこに見てある感心を覚えたが、いかにもフランス仕込みの日本武道の影をそこに見たような気がしないではなかった。また、その演武にはただ一人の「敵」の気配すらもないとの至言ともいえる厳しい指摘もあり、これはまた傾聴にあたいする現代の居合の実態を明示するものとして悟らせられるものがあった。なぜなら、ここにこそ現代の居合の最大の難問(アポリア)があるからである。想像で描かれねばならない「敵」とは、古来からの武術としては通常の意味合いでは矛盾いがいのなにものでもないではなかろうか。これは私も少しばかり体験した中国における現代の太極拳も同様なのことであろうと想像された。
 すこしく脇道の逸れたきらいはなくはないが、現代の日本の武道としての居合道が、気剣体の一致による「美」の完遂にあることは、永遠に曉望しなければならない理想の形姿であることには間違いはなかろう。そして、さらに踏み込んで言えば、現代の居合はもはや普通の意味での武道とは異なる、なにか別のものに変容しているといった方がいいのかも知れないのだ。敵を仮想するしかない武道は限りもない仮構と内面化に晒される宿命を背負うことを余儀なくされるからである。制定居合における一挙手一動への細かい配慮は、逆説としての武道のかたちを維持貫徹するために必要不可欠な掣肘以外のなにものでもないだろう。幾つかの古流がこれを補完するものとして細い命脈を保っているが、不在でしかない敵は、やがては緩慢なる形骸化の宿命は免れないにちがいないのだ。
 18世紀の欧州に生まれたルソーの「自然人」なる思想は、やがて「社会契約論」として結実したが、そうしたルソーの平和へのパトスは、カントによる精密なる論理化により「純粋理性批判」として鍛えられ、「永遠平和」として哲学的な基礎付けを得た一方、19世紀の帝国主義の攻勢、国民国家の成立、列強の植民地争奪戦の高波は、ついに20世紀の二度の大戦となり総力戦の度を拡大した。ここにおいて、「平家物語」さえも生んだ伝統としての「武」の思想は国家に編纂されていったと言っていいだろう。そして、「平和」はかろうじて国際連合なる機関による調整に担保されているのが現下の情勢なのである。
 1896年、フランス人のフェドリック・ピエール・クーベルタン男爵により創設された近代の祭典オリンピックは、「武」のスポーツ化を促し、勝敗よりも「参加」の意義を称揚するものであったが、日本の武道としてこの国際的な競技に選ばれているのは、「柔道」のみであり「剣道」さえ加えられてはいないのは周知のことだろう。ましてや、現代の居合はこの埒外なのは、明々白々の事実である。その「柔道」に目を転じても勝敗にこだわる余り、その競技の拙さは目を背けさせるものに堕落しているではないか。真剣をもって敵に対峙する「型」を現代に伝えようとする現代の居合の意義は那辺に存在するのであるか。これを広く深い視野から塾考しないかぎり、現代の居合は偏狭なるナショナリズムに固まるほかはないのだ。ここにおいて、日本の居合の指導者に課せられた責務は、せめて日本の伝統のなかにこれを正当に位置づけ、以て日本の伝統文化としての居合道を守り抜くことではあるまいか。
 ここにおいて、全剣連が発行した制定12本を解説した教化冊子において、「神座」からの後退があるときは左足、あるときは右足となっていることに注意を喚起しておきたい。作法や礼を大事とする居合におけるこうした混乱は、単なる誤植であるはずはないだろう。「神座」とはもとより「神道」の祭祀から由来するものであろうが、1945年(昭和20年)のGHQによる「神道指令」の「国家神道」の解体においても、宮中祭祀はは政治的配慮をもって残存したはずであり、教化冊子は例え鍵括弧を施したとしても、神道の祭祀を踏まえているはずのものである。こうした混乱は戦後文化においては残念ではあるが不思議なことではない。しかしながら、作法を重視する「居合道」の教化本にはあるまじきことと拝察するところである。
 最後に「五輪書」とほとんど同時期に「兵法家伝書」を書き、徳川家の指南役であった柳生宗矩のつぎなることばは、現代の居合道の本質に嚮導するものとして揚言しておきたいものなのである。また、この柳生宗矩を教導した沢庵宗彭をも看過すべきではないことは言うまでもない。

   われは人に勝つ道を知らず  われに勝つ道を知る 



(参考:註)
 1.「全日本剣道連盟居合(解説)」(財)全日本剣道連盟
 2.「神風連とその時代」渡辺京二
 3.「国家なる幻影 わが政治への反回想」石原慎太郎
 4.「言語にとって美とは何か」吉本隆明
 5.「作家は行動する」「海舟余波」江藤淳
 6.「文化防衛論」「豊穣の海」四部作 「源泉の感情」三島由紀夫
 7.「作家の態度」福田恒存
 8.「私の人生観」小林秀雄
 9.「宮本武蔵 剣と思想」前田英樹
 10.「五輪書入門」奈良本辰也
 11.「兵法家伝書」柳生宗矩
 12.「不動智神妙録」「玲瓏集」「太阿記」沢庵宗彭
 13.「剣と禅」大森曹玄
 14.「剣と禅のこころ」佐江衆一
 15.「剣禅話」山岡鉄舟
 16. 「剣の精神誌」甲野善紀  
 17.「純粋理性批判」「永遠の平和のために」エマニュエル・カント
 18.「社会契約論」ジャン=ジャック・ルソー
 19.「国家神道と日本人」島薗進




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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