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「さらば、神よ」リチャード・ドーキンス

 なぜヒトは神を卒業(Outgrowing God)し、未来を科学とともに歩むべきなのか。思想・科学の分野に股にかけ、生物学者どーキンスがいまだ迷信を欲するすべてのヒトに贈る、脱宗教と科学への信頼の書と本の背表紙に記されている。そうであるかないかの判断は読者の自由な判断にかかっているだろう。

第一部は「さらば、神よ」(Goodbye God)は第六章まである。
 第一章では多くの神を列挙し、二章ではそれらは事実かと、聖書、特に「新約聖書」に書かれていることに疑問を投げかけ、三章では「旧約聖書」から生まれた神話とその道徳を洗い出し、四章では聖書の善良性を疑問に付し、第五章では善良であるためには、どうして神が必要なのかと問い、第六章になると、動物と同様に人間が進化の産物であるというチャールズ・ダーウィンへと幕が開かれている。
 第一部のすべての章を振り返り、著者はこう書いている。
「あなたは第一章のたくさんの神々もほとんど信じていないだろう。第二と三章で聖書やコーランの聖典には、信じるべき理由が示されていないと納得しただろう。第四、五、六章では、私たちが善良であるために宗教が必要であるという考えに決別したのではないか。しかしそれでも、なんらかの大いなる力、世界と宇宙、私たちを含めた生きものをつくった、なんらかの創造的知性を信じることにこだわるかもしれない。私も十五歳ごろまで、そのような信念に固執していた。なぜなら、生きているものの美しさと複雑さに深く感動していたからだ。とくに、生きているものはまるで「設計(デザイン)された」にちがいないように見えることに、感銘を受けていた。私がようやくすべての神々を見限ったのは、進化について学び、なぜ生きものがデザインされたように見えるか、その真の説明を知ったときだ。」
 こうして第二部のチャールズ・ダーウィンの説明対象である生きものと同じくらい、美しい説明という壮大なテーマへの扉が開かれるのだ。
 確かに著者の真の意図はこの壮大なテーマを展開することにあったのだと相応な知的な努力の末に、あなたは納得するだろうか。そのためには、できるなら第二部の「進化とその先」(Evolution and beyond)をお読みいただきたいと思う。そこには一流の英国風のウイットとユーモアにあふれた犀利な文章の波また波を泳ぐことになるだろう。そして、著者の結びのことばに行き着くにちがいない。
「私たちは勇気をもって大人になり、あらゆる神に見切りをつけるべきだと思う。そうは思わないか?」
 
 また参考までに、吉川浩満(文筆家)の的確にして簡潔な書評を、ここに引用させて頂くことに、何卒ご容赦を願いたい。
 現在小生、目の患いもあり、拙い紹介の不十分をすこしでも補いたいためである。伏して感謝を申上げたい。

「原題にある『アウトグローイング』という言葉は、子供が成長して服が着られなくなる様子を指す。知的に成長した人は宗教に飽き足らなくなる、というわけだ。
 だが、そう聞いて、なんだ子供向けの本かとあなどってもならない。哲学者イマヌエル・カントは、啓蒙とは人間が知性の未成年状態を脱すること、つまり自分でものを考えられるようになることだと言った。これは若者に限らず近代人すべての課題ではないだろうか。
 本書は大きく2部に分かれる。前半は神々の物語、なかんずく聖書とキリスト教の教義に関する詳細な解説と批判だ。作り話にすぎない宗教の教義がいかに人びとから自分で確かめ、考える力を奪っているかを熱心に説いている。
 だが、そう聞いて、キリスト教に縁の薄い日本人には関係ないやとあなどってもならない。良質な批判の多くがそうであるように、本書は批判対象であるキリスト教と西洋文化に関する優れた解説となっている。それだけではない。キリスト教徒であろうとなかろうと、われわれが本当に知性の未成年状態から脱することができているかどうかは必ずしも明らかではない。
 震災、原発事故からコロナ禍にいたるまで、はたしてわれわれは成年にふさわしい知性を発揮してきただろうか。相変わらず誤情報や怪情報に踊らされ、世間の空気におびえてはいないだろうか。本書後半で展開される進化生物学に基づいた科学的思考のレッスンは、われわれが知性の未成年状態を卒業する手助けをしてくれるだろう。
 ドーキンスのファンにもアンチにも、子供にも大人にもお薦めしたい科学的思考の教科書である。」






言葉の降る日「死に臨んで彼が考えたこと」

 上記タイトルの論考を2016年に書いた加藤典洋は息子を3年前に亡くしていた。副題は「三年後のソクラテス考」とある。彼とは息子ではない、文字通りソクラテスその人のことだ。だがここには、死んだ息子を「彼」の中に含めても差しつかえがないとの含意が、この論考にある影を落としている。

 イエスキリストと同様に、ソクラテスの死は謎につつまれている。弟子のプラトンは「ソクラテスの弁明」等でその謎に迫ろうとしたが、やはり「謎」は謎のままに残された。磔刑で死んだイエスもソクラテスもその死後、多くの人間に多大な影響を与えた。
 批評家はいつかかならず、自分自身の自画像を書き残して旅立つものなのだろうか。「死に臨んで彼が考えたこと」を書いた3年後に彼はこの世を去った。
 ソクラテスは竹馬の友クリトンが牢屋まで忍んできて、脱獄を勧められるがそれを退け、死刑の裁きどおり毒杯を飲んで死んだ。ソクラテスが敢えて死を選んだ理由を考察した加藤典洋の、そのいちいちの論理をたどることは煩瑣となるだろう。だが論理の歯車を入れ替えてのその精妙な模索をすげなく扱うと、こんどはその模索の味わいを損ねかねない。批評家の文章は彼の思考をどこまで一般読者に届けられるか、その一点に賭けられているから厄介である。どちらかといえば、ここではややざっぱくな案内になっていることを承知おきいただきたいと思う。

 ソクラテスの弁明の第一は、真理とはなんだろう、大切なのはただ生きるのではなくよく生きることだとした。第二に、脱獄は正しくはない。たとえ不正の法であっても反論できないからというものであった。
 批評家の加藤の問いは、プラトンがなぜこの非対称である二つの理由をソクラテスに一体のものとして主張させたのかである。ここで加藤は、プラトンがソクラテスに言わせた面白い言い方に注目する。少し長いがそれを引用しておきたい。
「実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統はよいが、その大きさの故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思うのです。その私とは、あなた方一人ひとりを目ざめさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのをやめない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単に現われないことでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。」(納富信留訳「弁明」一八)

 加藤がいうには、ソクラテスは自分の「アブ」としての正しさは単独には存在しえないが故に、「ノロマな馬」の正しさを呼び込まざるえないのだという。
 このあたりから、加藤がこだわる「私のソクラテス」が顔をだす場面へと移っていく。なぜ一つではなく、二つを論拠として提示したのかというソクラテスの弁明の意図を俎上にあげる。序でに、二つを一体として弁明したことに疑問をもたないソクラテス学者への加藤の揶揄が顔をだす。「論理よりもずっと高次の、どのような『複雑で精妙』な論理のあり方かは、彼らの視界の外にある。それが一番、大事だろうに。」こういう文章のあとに披瀝される加藤が辛抱強く深掘りし練り込んでいく『複雑で精妙』な論理の中に、それは展開される。
 だがここではそのアブと馬のほんの一部だけを記するに留めておきたい。それは加藤が「私のソクラテス」の論理を補強するため、作者のプラトン、ひいては加藤の対抗者である柄谷行人をも射程にいれた、実に複雑で精妙な論理の畦道を歩くことを読者に強いることになる。そうした煩に費やす労力に私が堪えないからだ。

 まず加藤は、「クリトン」の作者プラトンに対して、ソクラテスのだんまり、それはプラトンの言い落としへの批判として、おおよそつぎのように述べている。
 ソクラテスが第二に挙げた、国法には反対できないという論拠により展開されているのは、「つねに力ある、先行する、共同的なもの、公共的なものが、それよりも弱く、後から来る、私的で弱い立場の存在(多くの場合は個人)に対して主張する、いわば上から目線の『正しさ』である。
 第一の論拠と第二の論拠を敢えてまとめていえば、つぎのようになるだろう。「第一では、個人として、自分の良心に照らして、脱獄は不正なのでできない、という理由を提示し、第二では、公民として、自分の属する共同的・公共的な精神に立つと、脱獄は不正なので、すべきではない、といわれたら反論できないと提示した」のだと。そのうえで、正しさの基準を「良心」と呼び、国法の正しさを「正論」といまふうに呼ぶなら、その違いは、内からくる正しさと外からくる正しさの違いであると、この二つの「正しさ」を言い換える(アブの「正しさ」とノロマな馬の「正しさ」)。さらにソクラテスがなぜ一対一の対話だけで、公的な場での自分の「正しさ」を追求しなかったのかでは、後者の場では必ずダイモンが出てきて、やめよという声の制止があったからだとつけ加えている。ダイモンの声は、古い世界、神に属している。一方、公的な正しさは、新しい世界、国(アテナイ)に属している。私(ソクラテス)は神託に見られるような、神に属した、ささえない、一対一で手にされる正しさのほうが、国に属した、集団で手にされる正しさよりも、大切だと思うからだと考える。

 以上が、加藤が対話篇「クリトン」から書き手プラトンへの批判と補足を含んだ、大ざっぱな概要である。
そのうえでなお、加藤は執拗に問うのはまだプラトンへの不満があるからだが、加藤の読者ならばここには加藤のこれまでの個人的な背景が影を落としていることが推察されるかも知れない・・・。

「それならなぜ、第一の『正しさ』だけにしなかったのか。・・・なぜわざわざ信じてもいないかもしれない、第二の『正しさ』を、第一の次ぎに呼び出すのか。
 それには二つ、理由がある。第一の私には、君のいう『良心』というものはない。『良心』は『知ること』の先にくる。私のことを『無知の知』なんていう人がいるが、そうじゃないのだ。私はただ単に『無知』なだけなのさ。私は足場をもたないアブなのだ。『知』のまわりを、それは本当の『知』なのかとうるさく嗅ぎまわし、『正しさ』とされるもののまわりを、それは『ほんとうに正しいのか』とぶんぶんと飛び回る。それが私の『正しさ』だ。私の『正しさ』は、アブの『正しさ』だから、それは単独では存在しないのだ。
そして第二に、私には、国法からの呼びかけが耳をついて離れないからだ。『正しさ』はつねに私には外からやってくる。そしてそれを私は拒むことができない。私にできることは、それに揺り動かされること、そしてそれを、疑うことだけなのだ。
だからね、クリトン、私の『よりよく生きたい』真理への道と、私の国法との約束と、この二つは対立していない。二つは、一対の存在なんだ。
 ここにあるのは『良心』と『国法』というよりは、『アブ』と『大きくて血統はよいが、その大きい故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬』の関係なのだ。君がいうように、この二つの正しさがぶつかるなら、私は、国法にいわなければならない。『私はあなたに反論はできない。適わない。しかし、あなたには従わない。いままで、そうだったように、この不届き(=不正規)な『正しさ』の行使の仕方を続けるだけなのだ、いま私が法に服するのも、ちっぽけなアブの一刺しとしてなのだ』とね。」
 加藤はこうしたやりとりを書いてもらいたかったと、プラトンへ不満を述べるのである。

 私はこの後に続く、「ソクラテスC―柄谷行人『哲学の起源』」にある見解の相違は二人の初期からあり、加藤がまるで「めくばせ」をするかのように出してきているもので、加藤の「内在論」と柄谷の「外部論」ともいえるものだろう。
 ただ、二人を際立たせる相違がどんな形をとるのかだけを、取りだしておきたい。

「・・・しかし、このソクラテスの第一の理由と第二の理由の関係は、柄谷がいうような私人と公人の逆接・背理の一対性の関係というよりは、『アブ』と『立派な馬』の非対称の一対性の関係なのではないだろうか。察するに、ソクラテスの謎の核心をなすのは、柄谷のいう『私人』と『公人』の背理の関係をもってしてもいいつくせない、その先にある、『アブ』と『立派な馬』という、非対称性の関係のダイナミズムなのではあるまいか。」
 
 この後に、古代ギリシャの時代性をソクラテスの特異性の説明とした部分―激動のなか、アテナイでは古い時代の神と新しい時代の神とのせめぎあいーは、加藤の初期の「新旧論」と「敗戦後論」を通底するテーマといっていいだろう。そして、「8 音と声」にみられる柄谷のいう「私性」の底にあるものこそ、ソクラテスの偉大さであり、同時代にありソクラテスだけに聞こえたダイモンの声は、彼がその子どもの「小ささ」を大人になっても失わなかった、「知」を愛し求める原動力になったことを忘れるべきではないとの加藤の指摘は、また、公的なものへの参加を彼に促したものが、祭式に踊り狂う「笛の音」でもあったとの指摘と同時に、加藤のソクラテスの最後の「謎」を明示して余りあるものと思われる。
 「彼は、最後の最後まで、この『自分は知らない』の低さのうちにとどまった。それで、彼の耳には最後まで、ダイモンの声とアテナイの祭の笛の音が、ささえのないまま、彼にとっての謎のように、聞こえ続けていた。」
 ここで、加藤が東北の山形の出身であったことと、私が数年まえに読んだある小説の終章を思いだし、その偶然に自然に頬笑んでしまったことを、記しておこう。

 毒杯を飲んでから、ソクラテスの竹馬の友クリトンとの会話は、つぎの科白で終わる。
「これが、エケクラテーヌ、僕たちの友、僕たちが知る限りでは、同時代の人々の中で、最もすぐれた、しかも最も賢い、最も正しいというべき人のご最期でした。」

 この論考のお陰でおよそ50年ぶりに、ソクラテスの声を自分の身近に聞いたような、感動を覚えたことを最後に記しておきたい。





伊勢物語

 1980年代のことが思いだされる。昭和、平成、令和という年号とともに、この40年で世の中はすっかり変わったが、幾時代を経ても変わらないすがたを残すもの、それを人は古典と呼ぶようである。
 「伊勢物語」を日本の古典を読む会でとりあげたのは、1984年(昭和59年)であった。場所は渋谷の繁華街の一角にあった喫茶店「ルノアール」。如月の22日、ほんの数人が集まった。この会にはその数年前まで続いていた「ポール・ヴァレリー」の研究会の幾人かが参加した。この「ヴァレリー」の研究は毎回開催場所を変えて延べ10回で終わった。途中から都立日比谷高校の校長の参加もあって、差し入れられたワインを飲んで行われたこともある。記憶が定かではないが、この時は“ドカ ダンス デッサン”を読んだのではなかったろうか。
 日本の古典を読む会については、すでに当ブログで以前に紹介したことがあるので詳しいことは省略するが、新潮日本古典集成の主要なものはほとんど読んだように思われる。「竹取物語」を読み、「伊勢物語」へと続いたのではなかったか。
 「伊勢物語」については、「日本の古典が伊勢物語一冊であったら現代の小説家はみな絞れ死ぬであろう」「伊勢物語は突端まで到りついた人間の戯文である。あの物語には人生の危機がどっさりゑがかれてゐる。それがあれほどさりげなく書かれてゐるのがおそろしい。客観といふのでもなくましてや看過されてゐるのではない。たゞ日本の詩文とは、句読も漢字もつかわれないべた一面の仮名文字のなかに何ら別して意識することもなく神に近い一行がはさまれてゐること、古典のいのちはかういふところにはげしく煌めいてゐること、さうして真の詩人だけが秘されたる神の一行を書き得ること、かういふことだけを述べておけばよい。」
 三島の「伊勢物語のこと」(「文芸文化」昭和十七年)の数行を私はたぶん読んではいなかった。だがこんな詩を書いていたのを思いだした。


  伊勢物語に寄す

自負は己のいのちを歌う
ことのできる者のみにある

きみたちの けっしてのぞきえない
孤独を

ダンディスト在原業平
君と君の仮面のあいだに
軋む歌よ

この世の嫌悪に武装された
「伊勢」の美学など
君のふたつの顔のあいだに
洩れる吐息にくらべたら
陽炎にすぎぬ

誰も君の心を みたものはないと
歌う

君のまじかに迫る
ただ一人の友のため
                  
              詩集「海の賦」より






「思考停止」という思考について



  思いだすのも厭だが それは美の末路だった

           アポリネール詩集「アルコール」

1970年の秋、渋谷の道玄坂上にある証券会社でアルバイトをしていた。刻々と入ってくるテロップの情報に、「三島由紀夫」と「自衛隊へ乱入」の文字をみた瞬間、男の死を直感した。蕎麦屋で昼食を済ませて帰宅しぼんやりとテレビのニュースをみていた。
「終わった」という実感がじわじわとやってきた。なにが終わったのか。その年の冬、10ヶ月勤めた銀行を退職した。それから「魂の一年」がはじまり、身を灼く日々を過していた。終わったというのは社会から離脱して生きる生活の終焉ということであった。それは精神生活の終わりではなく、その始まりを社会の片隅での、新たな再開を意思するものであった。最初にかかげたアポリネールの詩は「出さざりし手紙」と題した書簡箋に記された一行であり、その下に「70年11月25日」という日付が記されていた。アポリネールの詩集は1969年発行の堀口大学訳の文庫本であった。ランボーの地獄の業火をこの一冊で鎮火しようとしていたのだろうか。「地帯」という詩の最初の一行は、

  とうとう君はこの古ぼけたこの世界に飽いた

ではじまり、つぎの2行で終わる153行の長編詩であった。

  さようなら さようなら

  太陽 切り離された首よ

 この書簡箋は手紙として書かれていたが、題名どおり送るべき人間などはどこにもいなかった。
 この10月から高層マンションの計画のために取り壊される茅屋を整理中にでてきたノートの中に、偶々、紛れこんでいたものだ。「出さざりし手紙」の書簡箋一冊が出てきたのであった。「ぼくは遂にこんな手紙を書くことにした。」と冒頭にある。1970年の9月から12月に誰でもない自分へと記されたものだ。ここに書かれた切れ切れの断簡はいまは読むに堪えないものだ。だがここには無惨に扼殺された「青春」の残骸、その呻き声が聞こえるだろう。この4ヶ月の間に「男の死」が紛れ込んでいた。
 大学でこの男の講演を聴いた。この間テレビで放送されたものである。遺書が東京オリンピックでマラソンランナーとして走った円谷の遺書に似ているのに一驚した。歿後50年で多くの回顧や関係の書物がでている。男の本は確実に売れ読まれていた。加藤典洋が言及した男の文章、「古今と新古今」などからその幾つかを当ブログで取り上げた。11月21日の新聞で1961年生まれの現代作家の一文を読んだ。61年に生まれ作家となるほどの者が、1970年晩秋の事件に無知であるはずはないだろう。

「空っぽな日本人の心を埋めようとした三島の知的闘争はクーデター未遂と自決で未来に託された。三島のニヒリズムは知性ある者には遺伝したが、今日の日本を覆う対米従属、新自由主義、反知性主義という名の思考停止が三島を二度殺そうとしている」

 奇妙な文章である。ゴロタ石のような言葉がならんでいる。どこに自分の立場があるのだろう。この作家の知性とはどんなものなのであるのか。「遺伝」とはなんという無様な言いようであろう。二度殺そうとしている者達の中にどうやらこの作家は入っていないらしい。これが60歳を越えようとする作家が書くべき文章であろうか。

 「思考停止」という言葉が過去のある日のことを甦らせた。数人で渋谷の繁華街にある喫茶店で日本の古典を読んでいた30代の頃のことであった。そこに一人の男が参加した。その日は新潮日本古典集成の「本居宣長」の一冊を読んでいた。その喫茶店でその男が宣長について洩らした感想が、やはりこの「思考停止」という一言であった。この言葉はその思考のなかみを委曲を尽くして示す義務が免除されているらしい。
 加藤典洋はむかしこの作家の誕生に「幸福な小説家」をみたことがあった。また、底がみえる透明な海の「深さ」という巧妙な比喩を用いてこの新人を肯定的な評価をしたことさえもあった。そして、こう言っていたのだ。
「ぼくはこの小説に心を動かされたというのではないが、これを読んだ後自分が少し自由になるのを感じた」と。
これとはいうまでもなく「優しい左翼のための嬉遊曲」である。





クラノスケ、逃走する!

 今日は朝から家の前で工事が始まった。そこにゴミ収集車が来たのでクラはさあ大変。玄関の網戸ごしに外を覗くのが楽しみなのに、一目散にまず階段の上へ、それから二階の押し入れを自分でこじ開けて隠れたのです。

           IMG0000820年

 この臆病な顔。ふだんは大の字の大股開きで午睡を貪っていたクラがつぶらな目をあけています。

 マミちゃん、これなら面白いでしょう。なにも、オクブカイ ものなんかありません。というより、「おくぶかい」という感想について、こちらが、ほんとうはもっと、考えるべきことなんでしょう。海にみえるのは/あれは浪ばかり・・・と詠った抒情詩人のように、です。

今朝、NHKの「旅ラン」で、東京都あきる野市にある秋川渓谷がでていました。ここは、15歳のときに高校のあるクラブでハイキングに行ったところです。ぼくは一年上の女性に惹かれていました。いまからずっとむかしのことなのに、記憶が鮮明なのは「淡い恋」をしていたからでしょうか。
 「恋」って、なんだか過ぎ去った遠い記憶を呼び起こしてくれる、不思議な力があるようです。
 
 これも「あさイチ」のテレビからですが、セロトニンっていうの知っていますか?
こころを安定させる悩からでる物質なの。これが減少すると不安になるんだって。コロナが長引いてみんな、このセロトニンが減少しているらしいですね。
それで、セロトニン大作戦で、不安を吹き飛ばしてしまいましょう。すると、不安も、イライラも、便秘も解消するんだ。姿勢もよくなり、集中力がでるんだって。長引くコロナの恐さは人の精神状態を、すこしづつ、毀損していくことだ、と誰かがいっていました。


ロシア語で、
   ナビシーチェ、パジャールスタ というのは 「書いてください」という意味なんだ、

 これもテレビの「ロシア語」から知ったこと。英語はもちろん、フランス語、イタリア語、スペイン語、中国語、ドイツ語など、こういう語学は若いときに集中的にやってしまうのが一番いいのにと、悔しがってももう遅いのですね。ぼくはそろそろ、店じまいですから。
最近の日本語には、「魚屋さんてき」だとか、なんでも「てき」を多用していません? 以前はインテリ的だとばかにされたのですが、これって現代的な表現なのかも知れません、ね。
 ところで、日本語って、書きことばはむずかしい。
主語で使われる助詞の代表格「は」と「が」なんてどうでしょう。つぎのはあるウエブから拝借させてもらったものですが、ひょっとしたら、こういう国語文法は、いまではすこし窮屈になっているのかも、

述語の種類で変わる「は」と「が」
1. 鈴木さんはボクサーだ。(述語が名詞)
2. 鈴木さんは強い。(述語が形容詞)
3. 鈴木さんが勝った。(述語が動詞)
 上記の例のうち、助詞が「は」になっているのは1.と2.ですね。1.と2.は述語がそれぞれ「ボクサー」という名詞と「強い」という形容詞になっています。
 一方、助詞が「が」になっているのは3.で、述語は「勝った」という動詞です。
主語以外を排除する「は」と「が」
1. 鈴木さんがボクサーだ。(「は」→「が」)
2. 鈴木さんが強い。(「は」→「が」)
3. 鈴木さんは勝った。(「が」→「は」)
 先ほどの例文の「は」と「が」を入れ替えてみました。今度はどうでしょうか。文章のニュアンスが少し変わった印象を受けませんか?
 基本の文章から「は」と「が」を入れ替えると、主語にくる人物以外を排除する意味合いが含まれるようになります。1.を例に見てみましょう。入れ替える前の文章ではただ単純に鈴木さんがボクサーであることのみを伝えています。その一方で、「は」と「が」を入れ替えた後の文章では、複数の人物が存在するグループの中でボクサーは鈴木さんだけである、ということを伝えています。

 日本語って、とても、「いみぶかい」世界なのですね。でも、意味ってなに? って訊かれたら、さてどうしょうか。「あれは人魚ではないのです・・・・と詩人はいいました。
お休みなさい。





プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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