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冬の日

 中原中也には冬の詩が多い。いまは「冬の長門峡」を読んでみよう。

   長門峡に、水は流れ流れてありにけり。
   寒い寒い日なりき。

   われは料亭にありぬ。
   酒酌みてありぬ。

   われのほか別に、
   客とてもなかりけり。

   水は、恰も魂あるものの如く、
   流れ流れてありにけり。

   やがて蜜柑の如き夕陽。
   欄干にこぼれたり。
    
   あゝ!━そのような時もありき、
   寒い寒い 日なりき。

  ほかに、「寒い夜の自画像」「冬の日の記憶」などがあるが、朗唱してみれば、「長門峡」が秀一であろう。「やがて蜜柑の如き夕陽。欄干にこぼれたり。」の一連は、冬の寒さを一段と鮮やかにしている。中原は二冊の詩集だけを残して逝った。「山羊の歌」「在りし日の歌」だ。詩はかならず中也に口ずさまられてなった。呼気と吸気が歌でもある詩には大事とされたのだ。「長門峡」は「在りし日の歌」でも「永訣の秋」に収められている。
  同じく「永訣の秋」にある「一つのメルヘン」は、此岸から彼岸へと魂のある「水」が、擬音語の「さらさらと」の数度の繰り返しで、よみがえり消えていく。「蝶」はやはり中也の魂なのか、幼くして逝った文也なのであろうか。あるいわ、短い中也の人生そのものなのであろうか。

   秋の夜は、はるか彼方に、
   小石ばかりの河原があって、
   それに陽は、さらさらと、
   さらさらと射してゐるのでありました。

   陽といっても、まるで珪石か何かのやうで、
   非常な個體の粉末のやうで、
   さればこそ、さらさらと
   かすかな音を立ててもゐるのでした

   さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
   淡い、それでゐてくっきりとした
   影を落としてゐるのでした
     
   やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
   今迄流れてもゐなかった川床に、水は
   さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・・



中原中也


(注)このブログは2014年1月に載せられたものだが、関連するものとして、再度、ここに再掲したものです。


竹山道雄と昭和の時代(平川祐弘著)

 目の手術をしてから読書が一苦労となった。それなのになぜ530頁に及ぶ大著を読むに至ったのか、その次第から語らねばならでしょう。
 疎開先の静岡県掛川市で生まれた私は、5歳ほどまでの幼年期をこの地で過ごしました。私を可愛がってくれた祖母がおりまして、この祖母は同じ掛川市の倉見村の庄屋の岡田家から出ていること。またその岡田家の本家からは、二宮尊徳の高弟で大日本報徳社を創立し、日本で最初の信用金庫を設立した岡田良一郎がいました。こうした遠戚関係のことを母がときおり断片的に話してくれたことがあったのですが、むかしはあまり関心が湧きませんでした。92歳の母の没後、祖母がひそかに記したノートが一冊残り私の手元に渡ってきました。そこには祖母の一生が懺悔ふうに書かれていました。母から仄聞したことと祖母のノートから、岡田家への関心が起こり少しの調べものをしに私は生地を訪れたのです。岡田良一郎の子息二人がそれぞれ文部・宮内の大臣をしていたとは聞いていました。しかし、三男が竹山家の養子に入り、子息の竹山道雄氏が映画化もされた「ビルマの竪琴」の著者であることまでは知りませんでした。こんかい竹田道雄氏の伝記を書いた平川祐弘氏は私が若い頃に読んだ「神曲」の翻訳家であったことを、偶然に知り私は不思議な機縁を覚えたのです。かてて加えて、偶々、私は自分の家族を巡る小説(フィクション)を書き、祖母の遠縁である岡田家の一人(一木喜徳郎)にも登場してもらった関係から、この大著への興味をそそられたという訳であります。
 この書物は映画「ビルマの竪琴」の小説の著者であり、1960年代に「危険な思想家」と名指された幾人かの一人でもあった義父の竹山道雄という人の精神活動とその人物像の生涯の全貌を伝えんとして2013年に藤原書店から刊行されたものであります。市川崑監督による映画は1956年と85年に上映され、前作は小学校時代に、校庭で風に翻るスクリーンに死骸の山をみた記憶とミズシマという名前だけはおぼろげに覚えていおりました。85年の映画は約3億円というトップの興業収入をあげ、私はテレビで観たことがありました。なお原作を読んだのはつい最近のことであり、この児童小説の解説者が、批評家の中村光夫氏であったのは、あるところに発表した私の「戦後私論」の序論に、この中村光夫氏の「明治・大正・昭和」からの引用で書き始められていたことで、私の中に不思議なコレスポンデンス(照応関係)が生まれるのを覚えたところでした。
 さて前口上はこのぐらいにして、平川祐弘氏の浩瀚なる「竹山伝」についての案内と感想とを書かねばならない仕儀となりましたが、正直なところ、私は「危険な思想家」と指呼された当の竹山道雄氏の書物をこれまでに一冊も読んだことがありませんでした。平川氏訳のダンテの「神曲」を読んだ私の遠い記憶からすると、このような大部の書物を一気に読ませる流麗なる文章に氏の熱情と雄弁もまた力を貸していることは明瞭でありましょう。フランス、イタリア、ドイツに留学した平川氏の日本語の筆は私の知らない竹山道雄なる人物の教養と魅力を存分に語り、旧制一高の高雅にして広闊なる視野を蔵した和魂洋才の知識と教養は、豊潤で深い味わいを伝えて余りあるものでありました。私の兄がむかし一高の寮歌をよく口ずさんでいたことから、いつしか私もこの寮歌を覚えてしまたことは余談としても、私がこの書から一番に惹かれたのは「竹山道雄著作集」への大いなる関心でありました。特に第一巻は「昭和の精神史」「妄想とその犠牲」「ハイド氏の裁判」が収められ、解説が林健太郎氏であったこと、また著作集以外では、「歴史的意識について」「主役としての近代」への興味を強くいだかせられたのです。そして若干ではありますが、岡田家の人々への記述も散見され、文化人からみた岡田家の人々への印象も点綴されており、なかなか示唆に富むものでありました。とくに「二・二六事件に思う」の最晩年の感想は、現実に生きる一木喜徳郎から触発されたもので、竹山道雄氏の誠が窺われて印象に残ったところでした。
 この大著いがいにも、平川氏は「和魂洋才の系譜」(上下)、「ラフカディオ・ハーン」の翻訳と研究、「アーサー・ウエイリー『源氏物語』の翻訳者」、それに「日本語で生きる幸福」「西洋人の神道観」「日本の正論」と、広範囲の研究と活動をしています。
 まずは、ご高齢の著者のご健康を衷心より願って筆を擱こうと思います。



         DSC05330 (3)



懐かしい友への手紙

拝復 お手紙をいただき、返事をと思いながら、徒に時が過ぎてしまいました。お元気そうなご様子なによりです。お互いに歳を取るばかりですが、この度はコロナウイルスの世界的な感染拡大による緊急事態から、この数ヶ月、日本各地で不自由な生活が強いられ、中には不幸にも命をなくす人まで出ています。戦後に生れて70数年、こんな事態が起きるなど夢にも想像したことはありませんでした。今後の情勢がどうなるか分りませんが、それでもなんとか不運な目に遇わず、このまま無事にいられそうな気がするから不思議です。自分だけは飛んでくる弾には当たらないという思い込み同様、なんの根拠もない、おかしな人間の心理です。
 顧みれば、貴兄と出会ったのも今から40年数年ほどの昔のことになりますでしょうか。趣味が合うことから、話しがはずみ、そのうち酒置歓談、口角泡を飛ばして時のたつのも忘れるまだ熱い季節のことでした。文学や映画や絵画について、自分の思いと相手のそれが見分けがつかない精神の放電による交流現象ほど、よそ目に理解しがたいものはないでしょう。それは奇跡の「同時性」と呼ばれるものでありましょうか。やがてそれが時間から空間にひろがりこの世界へと伝播していく。これほど壮観な事はありません。この時、閃く二個の精神は一体となり、直感は千里の道を疾駆し、言葉は軽快な蹄の跡を追って、岬の突端へと汀を競って泳いでいくのです。その勇壮で華麗な精神と肉体の躍動は、空にうかぶ夏雲のように静止している。滴る爽快な汗のあとに頬を撫でる微笑のそよかぜです。
 渋谷にあったロシア料理屋「サモアール」でボルシチを食して、幾盃も飲んだウオッカに蹌踉と、酔眼朦朧の千鳥足となりながら、メトロのシートに悠然と座って帰宅することができた壮健さを、いまは懐かしく思いだされます。
 貴兄は覚えているだろうか。ルキノ・ビスコンティの映画「地獄に堕ちた勇者ども」を、「夏の嵐」と「若者のすべて」を新宿の映画館でみたこと。「若者」のアラン・ドロンの美しさはたとえようがないものだ。突拍子もない連想だが、ミラノという都会でもがく家族たち、その悲劇的なリアルなドラマに、フランス古典劇のラシーヌ、あの規則正しい美的世界が過ぎってきたのはどういうわけだろう。そして小津安二郎の「晩春」を銀座の「佳作座」でみてから、路地裏の奥にあった「三州屋」で飲んだ酒と肴の美味しかったこと。湯島のバー「琥珀」のカウンターで飲んでいると、さっきまで銀座で話題にした画家の岸田劉生、その息子さんが貴兄の隣りにいた、あの「同時性」の摩訶不思議な偶然の邂逅をなんと呼べばいいのだろうか。
 さて、この巣ごもり生活は一体いつまでつづくのでありましょう。不要と不急の自粛について、「バカの壁」の先生がこんなことを新聞に書いておりました。
「ヒトゲノムの解析でわかったことだが、人とウイルスの関係において、ゲノムの4割がウイルスから来ている。その機能は明瞭ではない。はっきりした機能をもっているのはゲノムの2%にすぎない。ヒトゲノムのほとんどが、不要不急のジャンクDNAである」と。そして、80数歳の養老先生曰く。老いてみてわかったことだが、人生は本来、不要不急ではないのかと」ね。
 さすが基礎医学を学んだ先生です。全共闘の学生さんからこの緊急事態になにをしているのかと、研究室を追い出された先生は、それから考えつづけたということです。なんのために大学はあり、学問とはなんなのかと。
 ところで、戦後の日本国民は一種の「巣ごもり」生活をしてきたのではないか、いやわたし達の世代は、この70数年のあいだ、故知らぬ「自粛」をそれと分らずに、長きにわたってしてきてしまったのではありますまいか。いまでは自分の足で歩くことも覚束ない・・・・。
 だが、こんな不要不急のことを語りはじめれば、この手紙がとほうもなく長くなりそうなので、このへんにして筆を擱くことに致しましょう。
 ともあれ、お身体を大切に、ご健勝を願っております。                 敬具

   巣ごもりや我は五月の空をみん





玉石混交

 本屋で買いもとめた最後の詩集は「めぐりの歌」(1999年)という大判の一冊であった。これは安藤元雄という人の詩集である。ぼくはこの詩人が翻訳した孤高の作家ジュリアン・グラックというフランス人が書いた小説に惹かれていた。というより安藤氏の翻訳の日本語に魅力を感じていたらしいのだ。
 「アルゴールの城にて」や「シルトの岸辺」や「陰鬱な美青年」という小説には、現実と隔絶された人間の「宿命」を精妙な音楽に響かせ、海と森の自然に聳えたつ廃墟に、物語は破局への予感に向かって昂揚していくのである。これを日本語にするには安藤氏の練達にして、瀟洒なフランス語の才能なくしては為しえないものと思われた。
 たとえば、「アルゴールの城にて」の最終の数行はこうである。
「彼は振り向かなかった。彼は遊歩道の真ん中をすばやく駆けだしたが、その足音もあとを追って来た。そして息を切らしながら、彼はいま足音が追い着こうとしているのを感じ、そして逆らう術もなく気が遠くなって行く中で、彼は一振りの短刀の凍ったきらめきが、一握りの雪のように両肩の間を流れるのを感じた。」
 これほどくだけていながら、精妙無比の日本語が、その格調ある薫りを保ったまま、軽快に連綿とつづいていく小説の文章をぼくは他に知らないのである。
 この詩人をお呼びして三日間の現代詩の講座を開催できたことが、いまは、奇跡のように思われてならない。
 むかし新富町の近くにあった旧い会館にお出でいただいたときであった。
「ぼくは銀座では中央通りから東へは来たことがないのです」
 と柔らかな口調で言われても、ぼくには返すことばがなかったのである。
 そしてそっと渡しておいたぼくの詩集の感想を、講座のなかでさぎれなく、低いそれで断固とした厳しい声で口にされたのをぼくは聞いたのだ。
「玉石混交はいけません」
 ああ、なんと破廉恥な詩集をこともあろうに、安藤元雄という類い希な素晴らしい詩人に、ぼくは見せてしまったことだろう。
 玉だけの詩をぼくは書くことができないのだ。そこには石もあることが、ぼくの粗忽な欠点と知りながら、愚かしい若さゆえに、それを避けることが難しいことであった。
 心臓を患っていて、それで奥様がそばに付き添っていたこと、それに一顧もできなかったぼくの無礼を、いまは恥じるいがいないのである。
 真夜中にぼくは最後に買った詩集「めぐりの歌」をそっと開く。

ライラックの花ははや果てたが
イチハツはいまがさかりだ
ふだんは薄暗い窓の下の そこだけが
不意の光を浴びたように見え
よそよりも季節の遅い庭を
それでも確実に何かがめぐっている

            (「庭のしずく」より)

 「百年の帳尻」から「千年の帳尻」まで十三篇の詩には、ふくよかに洗練されたことばの佇まいが見事なすがたをみせて、ぼくの罅だらけのからだとこころにひびいていく。




アルゴール・シルト 美青年




「江藤淳と加藤典洋」ー二人の批評家

 先日、七百頁を越える「江藤淳」の評伝を読んだ。六十六歳で自らを処決した文芸評論家の生い立ちからその一生を、元編集担当者がおよそ7年の歳月をかけ、江藤淳なる人間の文学と人生を最大洩らさず、その秘事まで白日にさらした尋常ならざる本である。巻を措く能わず、夜に日を継いで読んだところだ。読み進むにつれて恰も江藤の霊が憑依したかのごとく、読者を圧倒する熱情の結果は長編の力作評伝としても比類ないものと思われた。
 一文人の偉業を追慕し再度この世に甦らせるに、著者がはらったエネルギーには瞠目すべきものがあるが、なによりも、江藤淳なる人物にそれだけの力量と才覚があったからに相違ない。その出自・家系もさることながら、生前の氏の実績と履歴がそれを要求し、著者はそれに応じての忠実なる伴侶として、これを勤めたその努力には敬意を払わざるえないところだろう。
 これに比べるべきもないが、今年の5月に71歳にて病没した文芸評論家の加藤典洋氏への追悼の一風景が思い返されてならない。それは本人の死生観に拠ってきたるところでもあるのだろうが、あたかも一匹の猫がこの世から姿を消すかのごときありさまには、現今の世相と出版事情とが相俟つものと推察され、なにやら薄ら寒い思いを覚えたのところであった。知見の限りでは、「群像」8月号の高橋源一郎の「論考」及び「すばる」8月号の橋爪大三郎外2名の片々たる追悼を瞥見したのみであった。こちらは東北は山形県人にして遅咲きのデビュー、他方は湘南出の早熟の才の上に、目端のきいた世渡りのグッドスイマーにしてネットワークとバックボーンには些かも支障なしとなれば、かれがの相違はもとより論を待たないことであった。浩瀚なるこの評伝にも触れられていたところであるが、加藤氏は江藤淳を批判することによって文芸評論家として最初の歩みを印したことは確かなことだろう。時代は異なるとはいえ、大岡昇平からの資料のスケットを得て、小林秀雄氏をスプリングボードに批評家として立った江藤淳氏も同様のことは、縷々この評伝に記されているとおりであろう。
 題41章、戦後体制への異議申し立てにおける、「なぜ平野謙批判から始ったか」に次ぎのくだりがある。
「ヒント(最晩年の病人・平野に、江藤氏が死者に鞭打つ仕打ちにでたー引用者注)は加藤典洋の江藤淳論の書『アメリカの影』の中にあるといえる。加藤は(無条件降伏)論争の四年前に出た江藤の英文著作『ある国家の再生―戦後日本小史』に、「日本は無条件降伏した」と明記しているのを隠して、平野を批判した態度を「不明朗」だとした。その部分には、こう書かれている。「1945年8月15日正午ちょうど、天皇はレコードに録音された肉声によってラジオの全国放送網を通じ、日本の連合国に対する無条件降伏を発表した」(加藤訳)。日本では流布しない英文の本とはいえ、確かに不明を恥ずべき江藤の汚点であろう。この江藤の英文によく似た一文が、実は平野の『現代日本文学史』にはある。江藤が平野攻撃のために引用した文の直前である。
「かくて昭和20年8月15日の昼さがり、無条件降伏をつげる天皇の声は、電波にのって全国になりひびいたのである」
 江藤が平野の文章を批判しなければならなかった理由は、引用しなかったこの部分にこそあるだろう。江藤は「光栄ある敵」である平野の名を借りて、自身の文章を断罪したのである。(略)己への断罪の隠蔽をさらなるエネルギーにして、江藤は無条件降伏以後を戦ったのではないだろうか。」
 著者はこうした推測の根拠を解明するため以降の数頁を割いて江藤援護の論陣をはる周到ぶりはみごとという外はない。生前の江藤淳氏の業績を追いかけ、その透徹した洞察と鋭利な分析、ブリリアントな語学力と広い教養、明敏なる文章に時を忘れたむかしが思い出されてならない。「諸君よ」と呼びかけ自ら処決して人生を断ち切った英明なる評論家の胸中を思いその熱い志を、墳墓から今一度この世に甦らせようとの計らいは同慶の念を禁じがたいところである。
 さらに、「『平成』の虚妄を予言し、現代文明を根底から疑った批評家の光と影―。」と帯に記されているこの本が、精密にして戦意に溢れ、酷烈にして秀抜な評伝であることを肯わないわけではない。
 だが、ひっそりとあの世へ旅立った同時代の一人の批評家は、その息子の不慮の死から「彼は人が死ぬとうことがどういうことであるかを教えてくれた」と「人類が永遠に続くのでないとしたら」(2014年)の「あとがき」に記しさえした。なによりも江藤淳が第一回三島由紀夫賞にノミネートした高橋源一郎が先の「論考」で評価したこの書物の「序 モンスターと穴ぼこ」に、加藤がみた福島原発事故からの「無ー責任の世界」の現実と危機は、原子力行政と電力会社の不祥事をみるまででなく、江藤氏が批判した「ごっこの世界」でも「『平成』の虚妄」でもないのである。加藤の遺書ともいえるこの書の先見的な思考に注目し、さきの戦争で犠牲となった内外の死者たちへの追悼に深甚なる思慮をさぐりつづけた批評家を偲ぶとき、この本の端々に濛々と渦巻くある種の尊大なる姿勢に、いささか眉を顰めざるえないことを正直告白せざるえないだろう。
 さて、明日は令和の時代の幕開け、即位礼正殿の儀はすぐ目前となった。


注:2019.10に当ブログに載せたものであるが、加藤典洋の関連で再掲する。



プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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