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クラノスケ、逃走する!

 今日は朝から家の前で工事が始まった。そこにゴミ収集車が来たのでクラはさあ大変。玄関の網戸ごしに外を覗くのが楽しみなのに、一目散にまず階段の上へ、それから二階の押し入れを自分でこじ開けて隠れたのです。

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 この臆病な顔。ふだんは大の字の大股開きで午睡を貪っていたクラがつぶらな目をあけています。

 マミちゃん、これなら面白いでしょう。なにも、オクブカイ ものなんかありません。というより、「おくぶかい」という感想について、
ほんとうは、もっと、考えるべきことなんでしょう・・・・。

今朝、NHKの「旅ラン」で、東京都あきる野市にある秋川渓谷がでていました。ここは、15歳のときにあるクラブでハイキングに行ったところです。ぼくは一年上の女性に惹かれていました。いまからずっとむかしのことなのに、記憶が鮮明なのは「淡い恋」をしていたからでしょうか。
「恋」の気持ちって、なんだか過ぎ去った遠い記憶を呼び起こしてくれる、不思議な力があるようです。
 
これも「あさイチ」のテレビからですが、セロトニンっていうの知っていますか?
こころを安定させる悩からでる物質なの。これが減少すると不安になるんだって。コロナが長引いてみんな、このセロトニンが減少しているらしいですね。
それで、セロトニン大作戦で、不安を吹き飛ばしてしまおう。すると、不安も、イライラも、便秘も解消するんだ。姿勢もよくなり、集中力がでるんだってさ。
 ホームページは、03-3481-0099との案内がありました。

ロシア語で、
   ナビシーチェ、パジャールスタ というのは 「書いてください」という意味なんだって、

これもテレビの「ロシア語」から知ったこと。英語はもちろん、フランス語、イタリア語、スペイン語、中国語、ドイツ語など、こういう語学は若いときに集中的にやってしまうのが一番いいのにと、悔しがってももう遅いのですね。ぼくはそろそろ、店じまいですから。
最近の日本語には、「魚屋さんてき」だとかと、なんでも「てき」を多用していません? 以前はインテリ的だとばかにされたのですが、これって現代的な表現なのかも知れません、ね。
 ところで、日本語って、書きことばはむずかしい。
主語で使われる助詞の代表格「は」と「が」なんてどうでしょう。つぎのはあるウエブから拝借させてもらったものですが、ひょっとしたら、こういう国語文法は、いまではすこし窮屈になっているのかも、

述語の種類で変わる「は」と「が」
1. 鈴木さんはボクサーだ。(述語が名詞)
2. 鈴木さんは強い。(述語が形容詞)
3. 鈴木さんが勝った。(述語が動詞)
 上記の例のうち、助詞が「は」になっているのは1.と2.ですね。1.と2.は述語がそれぞれ「ボクサー」という名詞と「強い」という形容詞になっています。
 一方、助詞が「が」になっているのは3.で、述語は「勝った」という動詞です。
主語以外を排除する「は」と「が」
1. 鈴木さんがボクサーだ。(「は」→「が」)
2. 鈴木さんが強い。(「は」→「が」)
3. 鈴木さんは勝った。(「が」→「は」)
 先ほどの例文の「は」と「が」を入れ替えてみました。今度はどうでしょうか。文章のニュアンスが少し変わった印象を受けませんか?
 基本の文章から「は」と「が」を入れ替えると、主語にくる人物以外を排除する意味合いが含まれるようになります。1.を例に見てみましょう。入れ替える前の文章ではただ単純に鈴木さんがボクサーであることのみを伝えています。その一方で、「は」と「が」を入れ替えた後の文章では、複数の人物が存在するグループの中でボクサーは鈴木さんだけである、ということを伝えています。

 日本語って、とても、「いみぶかい」世界なのですね。でも、意味ってなに? って訊かれたら、さてどうしょうか。
お休みなさい。





「河岸の古本屋」(河盛好蔵)

 いまから20年ほどむかしの話しだ。ある大学に社会人向けの「フランス語」の教室があった。まだいまほど年寄りが多くない頃だ。フランス語の勉強なら、アテネフランセや日仏学院でも勉強はできた。だが程度が高いうえ費用もばかにならなかった。初級レッスンのスピードは速く、ほとんどの者が最初の数ヶ月でふるい落とされるのであった。Tの友人たちもそうして挫折した。大学のほうはそれほど費用もかからず、難しくもなかったんだ。そのせいか、相当に高齢なご婦人も混じっていた。先生の性格にもよるが、へんに真面目で堅物の先生のクラスに、そうした高齢の婦人が一人いた。会ってもみな和気藹々と話しをするのでもなく、挨拶らしい声のやりとりもない寒々しい教室であった。彼女は見るからに老婦人といっていいお年だった。Tは目が合えばその品のいい老婦人への黙礼を欠いたことはない。
 最後の授業が終わった。するとその老婦人が近づいてきた。
「あのー。失礼ですが貰ってほしいご本があるのですが・・・」
 彼女はおずおずとそういって二冊ばかりの本を差し出した。周囲の目もあるので、遠慮しようとしたが、彼女の全身には祈るような熱心なそぶりが窺えたのだ。Tはやむなく彼女からの本を受け取った。一冊は「河岸の古本屋」(河盛好蔵)という昭和47年の初版本であった。読者の手になめされた皮ばりの本は、もうそうとうくたびれてみえた。
「私はもう要りませんから・・・」
と遠慮ぶかげに、含羞をかくし、身体をまげながら、小さな声で囁くようにそう言った。
 長いあいだ、Tはその本が気にはなっていたが、これまで読む機会がなかったのだ。河盛好蔵の本は幾冊か読んでいた。そこにはパリの町の面白いエピソードがたくさんあった。パリのセーヌ河沿いの古本屋はいちどのぞいたことがあったが、Tの読みたいような本はそこにはなかった。その後、老婦人から贈られた本がいままで未読のままだったのに、Tを口惜しいおもいにさせたのだ。時はすでにあまりに遅すぎた。老婦人がその本をくれた理由が想像されたからだ。一読した。そしてはじめてその老婦人がその本を、Tに託した訳が氷解したからである。
「人間風景」と題された冒頭の「人間は一代では終わらない」という一頁半の短いエッセイの一行だけを読んでみよう。
「近頃は私と同じ世代にぞくする友人や知人が櫛の歯がこぼれるようにぽつりぽつりと死んでゆく。」
 Tは誰とも話すこともなく、その教室を出るのがつねであった。生徒どうしが気軽に親しくなるなんて機会が来そうにもなかったからだ。あまりに素っ気ない空気を破りたいと、一度だけTは先生に授業の終了後に、みんなで軽くお茶でも飲みましょうと提案したことがあったのだが。もっと早く、一言か二言でもよかったのだ。あの孤独な老婦人へ、親しい声をかけてやらなかったことを後悔した。婦人のほうでもきっと、そうして欲しかったのにちがいない。あんな授業のどん詰まりにきて、その最後の教室のおわりになって、「どうぞこの本を貰ってください」だなんて、それも遺言状のような本を、とTは悔やまれた。あの老婦人が必死の思いで、Tへみせた最後の姿がよみがえり、自分がその年齢になり、悟らされたのだ。あの老婦人の晩年の一人ぼっちの、不憫な気持ちが、いま自分にもやってきたからである。
 ただ、その本のおくつきに××図書館という印鑑が押されて、それが長い間、その本を手にとることを躊躇らわせていたことが、悔やまれてならなかった。


(注)2016年に掲載されたものだが、ここに再掲しておきたい。




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「薔薇色のゴリラ」塚本邦雄

 晴れた秋の午前、散歩にでた。片目がつぶれかけているので、家から外を歩いてみたくなったのである。失ったものを数えるな、残っているものをいかに使うかを考えよう、というパラ・オリンピックの精神というほどのことでもない。ただ美味しい珈琲を一杯飲みたかった。旧友とさいごに飲んだ大衆酒場のまえを通り、秋の陽だまりを散策したくなった。

「ヒトゲノムの解析でわかったことだが、人とウイルスの関係において、ゲノムの4割がウイルスから来ている。その機能は明瞭ではないが、はっきりした機能をもっているのはゲノムの2%にすぎない。ヒトゲノムのほとんどが、不要不急のジャンクDNAである」

「ヒトゲノムの40%がウイルス出身という話、私も不勉強で詳しく存じあげなかったのですが、興味深いです。
円環の遺伝子を持ち不変の道を選んだウイルスと、螺旋の遺伝子を持ち進化の道を選んだ菌類(我々生物の祖先)は、いわば宿命の敵同士であり、今回のコロナ禍でもそれは改めて浮き彫りとなりましたが、生物史においては良くも悪くも互いに影響を及ぼしあっているのかもしれないですね。」
 東大の医学部の先輩(養老先生)と、居合の稽古に来ていた若い後輩のお話しである。

珈琲の味は変わっていなかった。567禍で客足の少ないためか、中華蕎麦屋の味がすっかり変わってしまい、落胆したことがあったが、これは嬉しいことだった。早速、店の人に声をかけた。
「味が変わってないって」と奥さんが、カウンターの中へ言った。
「そうかい」と亭主の明るい声が聞こえた。

浅草橋の駅下の喫茶店をでて、懐かしい大衆酒場のまえを通った。
彼はガルシア・ロルカの詩が好きだった。
「スペイン語は天使のことばなんだ」と、いつかそういっていた。
一度、駅前の歌声酒場で一緒に飲んだ。その男は「歌う詩人」であった。朗朗と大きな声で楽しかったことだったろう。沖縄の海に家族の手で散骨された。輝かしい肉体はあっけなく消えた。爽快な男の笑いだけが聞こえてくる。

 その前に、まみという若い女性からつぎのような投稿がありました。
「面白いですね!ヒトゲノムがほぼ不要不急というのは興味深いです。つい先日ミスタービーン観ました。」
 たしかに、ヒトゲノムのほとんどが、不要不急というということが、どういうことで、また、どうしてなのか、つっこんで質問してみるべきでしたね。今度、養老先生か、その後輩にたしかめておきます。「ミスタービーン」なんて、まだやっているのか。驚いたなー。ともあれ、それまで、まみちゃん、待っていてください。すみません。

シャンソン歌手、グレコが死んだ。「薔薇色のゴリラ」という名作シャンソン百花譜と銘打たれた塚本邦雄の本を、むかし通ったフランス語教室で、一人の老嬢から貰ったのだが、河盛好蔵の「河岸の古本屋」という革張り装丁の本も戴いたのである。このことは昔のブログに書いたことがあった。さて、「薔薇色のゴリラ」のなかの「戦後五彩」に、ジョルジュ・ブラッサンス論からエディット・ピアフ、イブ・モンタン、レオ・フェレ論のなかにもちろん、ジュリエット・グレコ論がみえる。小さな字でびっしりとなにやら書いてある。「グレコ嫌いが聴いてもこの一曲には脱帽するだろ」という「日曜は嫌ひ」へ捧げた言葉のオマージュはただものではない。「愛し合う子ら」「美しい人生」「美しい星の下に」と、「馨る水銀」と題したグレコ論は贅を尽くした塚本ならではの讃美である。塚本の翻訳がないのが残念だが、歌詞をコピーしておきたい。

Je hais les dimanches
Tous les jours de la semaine
Sont vides et sonnent le creux
Bien pire que la semaine
Y a le dimanche prétentieux
Qui veut paraître rose
Et jouer les généreux
Le dimanche qui s'impose
Comme un jour bienheureux

Je hais les dimanches!
Je hais les dimanches!

週の平日は空っぽで
虚ろな音がする
それよりずっとひどいのは
押し付けがましい日曜日
いかにもバラ色って顔をして
気前の良さを演じてる
至福の日と思われている日曜日

私は日曜日が嫌い!
私は日曜日が嫌い!

Dans la rue y a la foule
Des millions de passants
Cette foule qui coule
D'un air indifférent
Cette foule qui marche
Comme à un enterrement
L'enterrement d'un dimanche
Qui est mort depuis longtemps.

Je hais les dimanches!
Je hais les dimanches!

通りには人の群れ
すごい数の通行人
無関心に
通り過ぎる人の群れ
まるでお葬式に行くように
歩いて行く人の群れ
とっくの昔に死んでしまった
日曜日のお葬式に

私は日曜日が嫌い!
私は日曜日が嫌い!

Tu travailles toute la semaine et le dimanche aussi
C'est peut-être pour ça que je suis de parti pris
Chéri, si simplement tu étais près de moi
Je serais prête à aimer tout ce que je n'aime pas

あなたは平日はもちろん、日曜日も働いている
私の考えが偏っているのも、多分そのせいね
ねえ、もしあなたが私の傍にいてくれさえすれば
嫌いなものだって好きになってあげるわ

Les dimanches de printemps
Tout flanqués de soleil
Qui effacent en brillant
Les soucis de la veille
Dimanche plein de ciel bleu
Et de rires d'enfants
De promenades d'amoureux
Aux timides serments

Et de fleurs aux branches
Et de fleurs aux branches

春の日の日曜日は
すっぽりお日様につつまれて
きらきら光って
昨日の憂いを消してくれる
青空にあふれた日曜日
子供たちの笑いにあふれた日曜日
おずおずと愛を誓う
恋人たちの散策にあふれた日曜日

木々の枝には花があふれる
木々の枝には花があふれる日曜日

Et parmi la cohue
Des gens, qui, sans se presser
Vont à travers les rues
Nous irions nous glisser
Tous deux, main dans la main
Sans chercher à savoir
Ce qu'il y aura demain
N'ayant pour tout espoir

Que d'autres dimanches
Que d'autres dimanches

そして雑踏の中
急ぎもせず
通りを横切る人々
私たち二人も手をつないで
その中に紛れ込んで行けるのに
明日のことなんか
気にもせず
希望と言えば

別の日曜日のことだけ
別の日曜日のことだけ

Et tous les honnêtes gens
Que l'on dit bien pensants
Et ceux qui ne le sont pas
Et qui veulent qu'on le croit
Et qui vont à l'église
Parce que c'est la coutume
Qui changent de chemises
Et mettent un beau costume

そして保守的だと言われている
律儀な人たち
そして本当は違うのに
そう思われたいと望んでいる人たち
習慣だからという理由で
教会に出かける人たち
シャツを着替えて
よそ行きを着込む人たち

Ceux qui dorment vingt heures
Car rien ne les en empêche
Ceux qui se lèvent de bonne heure
Pour aller à la pêche
Ceux pour qui c'est le jour
D'aller au cimetière
Et ceux qui font l'amour
Parce qu'ils n'ont rien à faire

邪魔されることも何もないので
20時間も眠っている人たち
早起きして
釣りに出かける人たち
日曜日はお墓参りに
出かける日と決めている人たち
それに、愛の行為に耽る人たち
他にすることが無いという理由で

Envieraient notre bonheur
Tout comme j'envie le leur
D'avoir des dimanches
De croire aux dimanches
D'aimer les dimanches
Quand je hais les dimanches...

そんな人たちは私たちの幸福を羨(うらや)むかも
ちょうど私が彼らの幸福を羨むように
日曜日があり
日曜日を信じ
日曜日を愛せるなんて羨ましい
だって私は日曜日が嫌いなの…

(ミスター・ビーン訳)



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ナナカマド
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レ・ザンファン テリブル

 子どもの頃の遊びなかまに、ひとりいまでもその顔を思い出すやつがいた。
たしか町の道路沿いの鉄板屋の息子だった。よくその家の裏でベーゴマで遊んだことがあった。
 あれはある晴れた日だった。熱いくらいに焼けた鉄板の上で、ぼくたちは道路を歩いてくる大人たちを、眺めるという遊びをその鉄板屋の息子から教わったのだ。
 まずその息子がやって見せてくれた。やつはときおりその道路を歩いてくる大人をしばらくジィーと目で追って眺めてから、呵々大笑するのであった。なにがそんなに面白くて笑うのか、わからなかった。ぼくたちはやつに訊ねてみた。いいから「ジィーとひとりひとりを眺めてごらんよ、面白いんだ」。やつはそれ以上言わなかった。そして、相変わらずおなじことを繰り替えして、呵々大笑するのであった。ぼくたちもやつのまねをしてみた。幾度かそれを繰り返しているうちに、なんだかそのツボのようなものが呑み込めてきた。
 歩いている大人のひとりひとりが、歩くその姿、顔の表情、両手の振り方、いやいや、大人であると言わぬばかりの様子そのものが、笑えてくるのであった。
 いったいあの笑う遊びはなんだろうと、そのときの光景を思い出しては不思議でならない。やつはどうしてそんな遊びを編み出したのだろうか。ただ笑うためにそうした遊びをこしらえたのか。それとも、どんな大人も生きて動いている姿そのものが、やつには笑うべきものに見えたのだろうか。呵々大笑するたびに、ぼくたちは青空を見たが、その空に小さな一点の毒のツバを吐いていたのかもしれない。あるいは、底のぬけるような青空の果てに、そんな明るくまぶしい笑いのシミを生み出すことで、そこに遊びの世界を創っていたのだろうか。
 ベーゴマをしていると、隅のマンホールのなかから大きなネズミが顔をだすことがあった。ひとりの弓矢の名人の子どもが、でてくるネズミを待ち構え、みごとに射殺したのだ。遊ぶ子どもは残酷である。いや、それは遊びというもののなかに、すでに潜んでいるのかもしれない。
 あるときから、ベーゴマの遊びを学校が禁止した。ぼくたちはやつの家に行かなくなった。それからみんながどうしたか知らない。でもやつから教わった遊びのひとつはいまも忘れないものだ。子どもは笑いを引き出すことにかけてはおかしな能力を持っている。学級の担任の先生が亡くなった。ぼくたちは葬式に行った。そこで一人誰かが笑いだした。それが電波してみんなが笑った。それは厳粛な式典に小さな風穴を開ける行為に等しいものだった。
いや大人の遊び心にもひとりの子どもが棲んでいるのではないか。人間の歴史と文化の本質に遊びをする精神をくみ上げて、「ホモルーデンス」を書いたホイジンガの目には、あの鉄板屋の息子と同質のものがあるにちがいない。あの「中世の秋」の面白さはそこからくるのだろう。
 遊び心のない大人は鬱陶しい。「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリは、いろいろな星に住む大人たちを、王子さまの目からみている。みられている大人はみな淋しい大人たちだ。権威を笠に着ていないといられない偉ぶった大人、酒ばかり飲んでいる大人は、「なぜお酒を飲むの」と王子さまに訊かれて、「お酒を飲むのが恥ずかしいからだ」と答えている。「星の王子さま」 の「わたし」は、大人でありながら、子どもを同居させているサン・テグジュペリにほかならない。
 パリの本屋で買った「LE GRAND CAHIER」(「悪童日記」と日本では翻訳されている)のアゴタ・クリストフの本も、二人の男の子の目をとおして、まさに戦争下に生きる人間模様へフモールの光を当てている。ゲーテは天才とはいつでも子どもに帰ることができる大人であると言ったことがある。カフカは自分を大人の森のなかで道に迷った一人の子どもに擬えている。
 どんなに大人になっても、こころの隅にひとりの子どもも棲んでいない、硬直した大人にはなりたくないものである。がまた、子どもの無法図な恐ろしさをも知っていなければならない。この両方の天秤のうえに、人生というものが乗っているらしい。


(注)2014年11月に掲載したブログであるが、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(屁がならぶ名前だ)の「幻獣辞典」の「鏡の虎」の項目とどこかで一脈通ずる子供の世界だと、ここに再掲する。





竹山道雄と昭和の時代(平川祐弘著)

 目の手術をしてから読書が一苦労となった。それなのになぜ530頁に及ぶ大著を読むに至ったのか、その次第から語らねばならでしょう。
 疎開先の静岡県掛川市で生まれた私は、5歳ほどまでの幼年期をこの地で過ごし、私を可愛がってくれた祖母がおりました。この祖母は同じ掛川市の倉見村の岡田家から出ております。またその岡田家の本家からは、二宮尊徳の高弟で大日本報徳社を創立し、日本で最初の信用金庫を設立した岡田良一郎がいました。こうした遠戚関係のことを母がときおり断片的に話してくれたことがあったのですが、むかしはあまり関心が湧きませんでした。92歳の母の没後、祖母がひそかに記したノートが一冊残り私の手元に渡ってきました。そこには祖母の一生が懺悔ふうに書かれていました。母から仄聞したことと祖母のノートから、岡田家への関心が起こり少しの調べものをしに私は生地を訪れたのです。岡田良一郎の子息二人がそれぞれ文部・宮内の大臣をしていたとは聞いていました。しかし、三男が竹山家の養子に入り、子息の竹山道雄氏が映画化もされた「ビルマの竪琴」の著者であることまでは知りませんでした。こんかい竹田道雄氏の伝記を書いた平川祐弘氏は私が若い頃に読んだ「神曲」の翻訳家であったことを、偶然に知り私は不思議な機縁を覚えたのです。かてて加えて、偶々、私は自分の家族を巡る小説(フィクション)を書き、祖母の遠縁である岡田家の一人(一木喜徳郎)にも登場してもらった関係から、この大著への興味をそそられたという訳であります。
 この書物は映画「ビルマの竪琴」の小説の著者であり、1960年代に「危険な思想家」と名指された幾人かの一人でもあった義父の竹山道雄という人の精神活動とその人物像の生涯の全貌を伝えんとして2013年に藤原書店から刊行されたものであります。市川崑監督による映画は1956年と85年に上映され、前作は小学校時代に、校庭で風に翻るスクリーンに死骸の山をみた記憶とミズシマという名前だけはおぼろげに覚えていおりました。85年の映画は約3億円というトップの興業収入をあげ、私はテレビで観たことがありました。なお原作を読んだのはつい最近のことであり、この児童小説の解説者が、批評家の中村光夫氏であったのは、あるところに発表した私の「戦後私論」の序論に、この中村光夫氏の「明治・大正・昭和」からの引用で書き始められていたことで、私の中に不思議なコレスポンデンス(照応関係)が生まれるのを覚えたところでした。
 さて前口上はこのぐらいにして、平川祐弘氏の浩瀚なる「竹山伝」についての案内と感想とを書かねばならない仕儀となりましたが、正直なところ、私は「危険な思想家」と指呼された当の竹山道雄氏の書物をこれまでに一冊も読んだことがありませんでした。平川氏訳のダンテの「神曲」を読んだ私の遠い記憶からすると、このような大部の書物を一気に読ませる流麗なる文章に氏の熱情と雄弁もまた力を貸していることは明瞭でありましょう。フランス、イタリア、ドイツに留学した平川氏の日本語の筆は私の知らない竹山道雄なる人物の教養と魅力を存分に語り、旧制一高の高雅にして広闊なる視野を蔵した和魂洋才の知識と教養は、豊潤で深い味わいを伝えて余りあるものでありました。私の兄がむかし一高の寮歌をよく口ずさんでいたことから、いつしか私もこの寮歌を覚えてしまたことは余談としても、私がこの書から一番に惹かれたのは「竹山道雄著作集」への大いなる関心でありました。特に第一巻は「昭和の精神史」「妄想とその犠牲」「ハイド氏の裁判」が収められ、解説が林健太郎氏であったこと、また著作集以外では、「歴史的意識について」「主役としての近代」への興味を強くいだかせられたのです。そして若干ではありますが、岡田家の人々への記述も散見され、文化人からみた岡田家の人々への印象も点綴されており、なかなか示唆に富むものでありました。とくに「二・二六事件に思う」の最晩年の感想は、現実に生きる岡田良平から触発されたもので、竹山道雄氏の誠が窺われて印象に残ったところでした。
 この大著いがいにも、平川氏は「和魂洋才の系譜」(上下)、「ラフカディオ・ハーン」の翻訳と研究、「アーサー・ウエイリー『源氏物語』の翻訳者」、それに「日本語で生きる幸福」「西洋人の神道観」「日本の正論」と、広範囲の研究と活動をしています。さらに、2017年10月「戦後の精神史」が刊行され、この中で加藤典洋への言及がありました。
 まずは、ご高齢の著者のご健康を衷心より願って筆を擱こうと思います。


         DSC05330 (3)


(注)本ブログは2020,8,20に書かれたものですが、祖母の事跡等調査の関係から、ここに再掲することにした。






プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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