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二つの映画「サムライ」と「ハンター」

 アランドロンの「サムライ」(LE SAMOURAI)は1967年のジャン=ピエール・メルヴィル監督のフランス映画。まだ学生だった頃で、日比谷までこの映画を観に行ったのを覚えている。映画にはほとんどアランドロンの科白はなく、小雨の篠つく淋しいパリの街角、カナリア一匹の籠が吊された荒涼たる主人公の部屋、トレンチコートに身をつつんだドロンの湾曲気味の足が石畳を踏むコツコツと響く硬い音、青い眼に湛えられた弧愁、身体中に氷のように張り付いた孤独な後ろ姿に、当時の私が魅了されないはずはなかった。映画にでてくる「侍は森のなかの虎のように孤独である」という科白が字幕に流れる。「武士道」にそんな科白があったかどうか疑問だが、勝手に映画に挿入したものかもしれない。ドロンはアルジェリアかどこかで生れている生粋のフランス人ではないと言われているらしい。そういえば、作家のカミユもアフリカの植民地の出身だった。三島はこの映画に惚れ込んでいたのは、たぶん敢えて偽証をしたピアニストの黒人女性へ秘やかに心を動かされた殺し屋が、殺されることを承知で空の拳銃を突きつけ、案の定、張り込んでいた警察官のいっせい射撃で死ぬところだったに相違ない。フランスの象徴主義の詩にいかれていた青年にはそんなことはどうでもいいことで、ボードレールがダンディズムを定義として「人に嫌われようとする貴族的な趣味」ということばに、惹かれるものがあったからだ。ユイスマンの「さかしま」(渋澤龍彦訳)が私の当時の聖典のようなもので、リラダンやマラルメの孤高の生き方に私が憧憬をいだいていたのであった。若き頃のポール・ヴァレリーも「さかしま」にやられたくちで、ユイスマンの紹介で一時役人生活をしたこともある彼は、詩作を放棄して40歳すぎまで約20年間、独りノートに自分の思索を記して過していたのである。ランボーは小林の訳詩集でやられたが、ヴァレリーの「レオナルドダビンチ方法論序説」と「テスト氏」に、地中海的な明晰な思考に魅了され、「デカルトの生活は単純であった」という生活スタイルが、ランボーの破滅型よりいいように思われた。私も退嬰的な生活を繰り返す家庭というものに堪えられず、どことも告げずに実家を飛び出し、田園調布の下宿で独りヴァレリーを模した極限を目ざす精神生活をして過ごそうとしていたのだ。しかし、当然にも長くは続けることはできなかった。マルスの石膏像とインコを二匹を飼うだけの孤独な精神生活の実験はあまりに私の心身を痛めつけてくれたのである・・・・。
 スチーブマクイーンの「ハンター」は1980年のいかにもアメリカらしいアクション映画だ。マクイーンはこの映画の撮影中に癌が見つかって50歳で亡くなっている。映画は実在の賞金稼ぎをモデルにしているので、稼ぎの相手を殺す場面はでてこない。代わりにスタンガンという鉛を詰めた革袋を発射して気絶させる銃器をみることができた。生きたまま捕まえてこそ賞金が貰えるのだ。マクイーンは病気のためか、演技に切れがなかったけれど、同棲中の女性のお腹に子供ができていて、ラマーズ法という新手の出産法があるので協力して欲しいと言われ、それを冷たくあしらう賞金稼ぎだが、この映画で私ははじめてラマーズ法というものを知った。賞金稼ぎの趣味は模型づくりで棚にはたくさんの模型の車が並んでいるのだ。マクイーンは運転にはレーサー級のはずだが、映画では駐車もろくにできず、前後の車にぶつけているシーンから始る映画が笑えてならない。この映画には、同僚だかがマクイーンへ疲れるかと聞く場面が幾つかあって、そのたびに「ああ、疲れるよ」と応えるマクイーンが出てくるのは、癌に罹っていた俳優への気づかいから生れたようだ。凄まじいカーチェイスや格闘はでてくるアクション映画には違いないが、ラシトシーンでは車のなかで産気づいた女に、ラマーズ法の呼吸をまねて励まし、病院に駆け込む直前に出産しまった赤ん坊を不器用に抱き上げるマクイーンのほのぼのとした映画となっているのが味噌だろう。彼の映画で印象に残るのは、「大脱走」のバイクでの逃走シーン。車は欲しくて仕方がなかったものだが、私は手中にすることが遂にできなかった。しかし、バイクは中年すぎまで乗りまわし、仕事にも利用して飛び回っていたことがある。つぎに印象的なのは、「パピオン」というのダスティホフマンと共演する映画だろう。脱出不可能の牢獄のある孤島から、一抹の自由の可能性に賭けて、断崖から海への投身するシーンは、いかにもアンチヒーローの男の生き様が出ていて私を感動させたのだ。あの憂鬱な海に浮ぶ椰子の実の筏は、やむに止まれない人間の希望が託される実に儚い一塊であった。この映画にはマクイーンらしいアクション演技が、疲労感を漂わしならがも随所に活きていたことを、スチーブマクイーンという男優のために言い添えておきたい。






古今亭志ん生

 NHKラジオに月曜アーカイブス「声でつづる昭和人物史」という番組がある。司会はノンフィクション作家の保坂正康。古今亭志ん生の録音を二回このラジオで聞いた。三十一歳で真打ちになって16回も名前を変え、志ん生として売れ出したのが五十七歳。芸は客の顔をみてからの出たとこ勝負だそうで、そのまえに稽古の仕込みがあるという。浅草から上野の佐竹(往時住んでいた場所)まで歩いて片道二時間、往復四時間の稽古ができると語る志ん生の稽古熱心には感心する。貧乏生活の下積みが長かったが、呑む、打つ、買う、の放蕩生活を止めることなく、女房の着物から師匠の羽織まで質屋にいれて、それで寄席から下ろされて納豆売りをしたこともあったらしい。酒に目がなく、天ぷらにお酒をかけ、双葉山と飲み比べもしたとのこと。こうして芸風をつかむまでにそうとうな年季がはいっていたというわけだ。昭和42年に勲四等瑞宝章になったときは、女房が泣いて喜んだそうだ。先祖は江戸のころには徳川の直参のお侍さんだと娘が語っていた。明治23年、東京は神田の生れの江戸っ子。江戸っ子というのはと問われて、志ん生は「痩せ我慢のかたまり」とこたえている。人が入らない熱い朝風呂に、何食わぬ顔でズブッとはいり、なんだこんななまぬるい風呂と平気な顔をしているのが江戸っ子だというのだ。江戸っ子といえば、勝海舟の親父の勝小吉がいた。「夢酔独言」という江戸弁の本を晩年に書いた。「おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ」と冒頭にある。大坂へ放浪の旅にでて、帰りの静岡で崖から転がり落ち、睾丸をしたたかに打つなど破天荒な行動が目立つが、れっきとした旗本。生涯無役の自由人で、江戸の侠客・新門辰五郎もこの小吉を「喧嘩で右に出る者はいない」と評している。剣術の腕は実践の喧嘩で身につけたらしい。鳶が鷹を生んだわけでもないだろうが、勝海舟が福沢諭吉から「痩せ我慢」で批判され、「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず」と応じたのは、バタ臭い知識人への江戸っ子海舟の胸のすく啖呵だ。
 話しが脇に逸れたが、昭和20年5月、55歳の時に志ん生は満州に慰問へ行った。東京は空襲に曝されている最中、こんなときに慰問だなぞと逃げるのかと反対されたそうだ。満州には森繁久弥がNHKのアナウンサーにいた。志ん生はこの人にはなにか形になるものがあると直感したという。74歳での「芸界夜話」の録音を聞くと、「芸はお客に聞かすもの。日常の些細なことに気をつけることが芸を磨く。小話は無駄なことばがあってはいけない」と話している。師匠の「鰍沢」を聞いていると、外に雨が降っていないのにそう感じさせられたと。志ん生は大津絵節が好きだった。それを慶応義塾の塾長の小泉信三氏が聞いて、必ず「今宵うちのひとに・・・」と言うくだりに来ると声を出して泣いたという。参考にユーチュウーブでさがし聞いてみたが、艶のあるいい声だ。大津絵節の詞を最後に掲げておこう。
 志ん生の川柳。借りのある人が湯船の中にいる 焼きたての秋刀魚に客の来るつらさ 丸髷で帰る女房に除夜の鐘
「志ん生には地肌で触れあう魅力があった。お客は志ん生の語りがなくても、座っているだけでいいと。正直に正直に芸一筋の人生を生きた、破格だが志ん生が愛された所以だ」とは保坂氏の感想である。

冬の夜に風が吹く しらせの半鐘がじゃんと鳴りゃ 
これさ女房わらじ出せ
刺しっ子襦袢に 火事頭巾 四十八組追追と お掛り衆の下知を受け
出て行きゃ女房はそのあとで うがい手水になぁ ああ 
うがい手水にその身を清め 今宵うちのひとになあ ああ 
今宵うちのひとに怪我のないように 南無妙法蓮華経なあ ああ 
南無妙法蓮華経 清正公菩薩  ありゃりゃん りょう との掛声で勇みゆく
ほんにお前はままならぬ もしもこの子が男の子なら お前の商売させやせぬぞえ~ 
罪じゃもの





「ラザロ」を探して

 錦糸町から半蔵門線で渋谷へ行った。109の地下街からくじら屋の前の道「ぶんかむら通り」をぬけ、昨年カンヌで脚本賞に輝いたアリーチェ・ロルヴァケル監督の「幸福なラザロ」を観た。
 イタリアの寒村にラザロと呼ばれる一人の青年がいた。人間の悪意というも子供のように疑ることなく従順そのもの青年であった。貧苦の暮らしで食べるものにもことかいている村の小作人たちはこの青年に一顧だにもしていない。あるとき小作人たちのトラブルに巻き込まれ暴力をしたたかにうけて瀕死となり、足を踏み外して崖から転落しても傷ひとつなく生きている不思議な青年であった。この村人たちは小作人制度が廃棄されていることも知らされない領主のいうがままに働かされている。青年はこうした村人の無知につけ込む領主の怠惰なバカ息子の従者となり、いわれるままに働かせられながら消えない微笑のままに、雪の山間部に下着一枚で寒さも知らぬ気に働きつづけている。映画はそのままに終わる。事実そのままであるかのように。
 黙って映画館の暗闇を抜け出した。あのヨハネ黙示録のほんの数節しかないエピソードをしらなければ、この変哲もない映画の意味を知ることもないだろう。映画には聖書を暗示する一点のシーンもなく、これが世界の現実であり、ラザロがイエスに愛されたあのラザロとの暗示はまるでない。ラザロは死なない、だから4日後によみがえることもない。神のいないこの世界にラザロはただ普通に生きている。だが青年の顔が曇ることもない。それならなぜ映画の題名に「幸福な」という形容をラザロにつけたのだろう。かといってこの映画にイロニーの翳が漂うこともない。ニーチェのいう背後世界をきれいにぬぐい去った、永遠に変らない山間の村人の田舎の貧しい生活があるだけだ。むかしからこの世界はこのように、人間の悪意にみち、善意で無垢な青年が一人ぐらいいたのだ。あるいはこの悪意にみちた世界でその汚濁を知らされずに生きていくことがこの世界の現実でありその掟であるかのように。するとこの映画の「幸福」は反転して、そら恐ろしいほどに苛酷な映画であることを知らされる。やわらかい衝撃がやってくる。
 聖書から引き出されるエピソードとしては、あのアブラハムが圧倒的に多いだろう。こうして、幸福なラザロを取り上げるのは興味あることだ。
 昔よんだ「罪と罰」にソーニヤがラスコリーニコフに聖書のラザロの一節を朗読するくだりがあったはずだと、唐突に「罪と罰」の場面がうかびあがる。親切なラズーミンと手を切るように別れ、ネバ川の畔を歩いてきたラスコリーニコフは川向こうにひろがる壮麗な風景を一瞥し、自分の内面に目を落とす。偶然に手に掴んでいた銀貨をみつめ、大きく手を振ってそいつを水中に投げ込んで、くるりの後をむいて歩きだしたときだ。
「この瞬間、彼は、いっさいの人間といっさいのものから、自分の存在を鋏で切りはなしでもしたように感じた。家にもどったのはもう夕刻だった。してみると、六時間も歩きまわっていたことになる。」(「罪と罰」江川卓訳)
 ソーニアの朗読の場面は見つからないので、その後の一情景を写しておこくことにしたい。
「ひんまがった燭台の燃えのこりのろうそくはもうさっきから消えそうになっていて、不思議な因縁でこの貧しい部屋におちあい、永遠の書を読んでいる殺人者と娼婦を、ぼんやりと照らしだしていた。五分ほどすぎた。あるいはもっと経ったか善でもなく悪でもない現実の海辺の景色がひろがっている。音もなく沖にむかって波がいっせいにひいていく光景がみえる。大津波のような大惨事がくるかもしれない、あるいはこないかもしれない。
 「善」について研究しようと、西田幾多郎はこう書き出した。「経験するというのは事実そのままに知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。」(1911年、同年幸徳秋水等12名刑死)



新聞を読んで

 4月18日の朝日新聞に掲載された投稿記事「英国の混乱 失政の帰結」は非常に興味ある論点を明瞭に提示したものであります。この記事は英国のEU離脱の現状を簡単に概括し、分析してくれました。英国の政治が他国と比較して優れたものと思っていたものにはある種の衝撃をもって読まずにはいられません。EU離脱に関わる英国政治の混乱を明解に証明する参考意見がみられないことにもどかしさを感じ、明瞭な解説がされないことに不可解な思いを禁じ得ないでおりました。しかしこの投稿記事はそれらの靄の一端を晴らしてくれると共に、これが日本にも無縁でないという結語には共感をおぼえた次第であります。だがしかし、どうも腑に落ちないのは、現在の国際政治の急速な変化と国際情勢の複雑化に遠因があると思われますが、これはまた世界経済の現状についてもいえることでしょう。地球規模によるある種の限界にぶつかっているのでありましょうが、このあたりのことについては哲学者や文学者等の様々な空想と想像を巡らしていることで満足しなければならないのでしょうか。
 それはともかく、話しを英国のいわゆる「ブレジレット」の問題に戻り、寄稿記事を整理してみることにしましょう。
 まず第一に、現状の起点を英国の過去30年間にわたる英国の民主主義の地殻変動の帰結とみています。1980年以降の英国には三つの大きな変貌があったとの指摘であります。
 その第一が政治のイデオロギー化です。それはサッチャー首相がそれまで主に経済問題として妥協を模索してきた欧州統合を政治問題として再定義し、非民主的な官僚組織が支配するEC(欧州共同体)が、硬直的なソ連と同様な時代に逆行する嫌悪すべき対象と見做したことにあります。このことが党内の親欧州派を一掃し、次第に保守党を欧州懐疑派が支配するイデオロギー政党へと変貌させ、一部の議員を経済的な合理性を無視した原理主義的なEUからの離脱を求めるようにさせたとします。これはとても大胆な見解と思われますがいま少しの説明を要するところでしょうか。
 次ぎにその第二が、新自由主義の浸透による経済格差の拡大と中道政治の空洞化に重要性をみています。サッチャー政権からキャメロン政権まで、新自由主義による経済政策の結果、一部の低所得者層は英国社会での「忘れられた人々」になった。そしてブレア等の労働政党に失望した人々は党内左派に希望を寄せ、ここに英国政治は二極化して中道政治の衰退が進んだとします。ここから、生活の困窮の原因がサッチャー政権の政策やグローバル化ではなく、EUによって引き起こされたと考えるポピュリズムが台頭して不満の矛先がEUへとむかったとします。
 第三の重要な構造変化は、政治エリートに対する国民の信頼の失墜です。03年のイラク戦争と08年の世界金融危機により、国民は政府への信頼を失ったのです。イラクには大量破壊兵器はないことが判明し、金融危機での増税によりこの税金の一部が大規模な金融機関へ流れ、エリートは嘘つきで自己利益しか考えないという失望と怒りが広がったと考える。ロンドンのエリートもEUの官僚も信頼できなくなりました。そうした不満が16年6月23日のEU離脱の是非を問う国民投票での選択へと進ませます。もはやEU残留も離脱協定の意義も、その言葉への信を失い、英国政治の危機がまさにここにあるというのです。
 悲劇的なのは離脱により大きな損害をこうむるのが、それを支持した低所得者層であり、信頼を失ったエリート、再選のみ拘る政治指導者たちは進むべき道を失っています。もはや過去の大英帝国はグローバル化と相互依存が進んだ現代世界に甦ることはないのです。
 そして最後に、筆者は日本を含む議会制民主主義国にとって、英国の姿は無関係な問題ではないと釘をさすことを忘れていないのであります。

 以上に整理したリアルポリティカルな投稿記事から、胸の靄が晴れたようであります。所々にいま少し綿密かつ実証的な検証と理論的な考察が必要と思われますが、いま、必要な情報が俯瞰的に語られていることに、好感をもって読んだところであります。筆者は50歳ほどのまだ若手の国際政治学者のようですが、白井聡の「国体論」が国内の理念型の政治論とするなら、これに並行して、こうした国際政治の具体的な鳥瞰が求められているのでないでしょうか。そして最後にまことに勝手な希望ながら、映画「許されざるもの」により西部劇の終焉を迎えたかのアメリカにまた新たな西部劇さながらのビックなドラマが胎まれているようです。そして一帯一路の遠大な世界政治の野心を隠そうとしない中国の国際戦略についても、19世紀末にフランスの詩人にして哲学者のポールヴァレリーによる「方法的制覇」のごとき一文を期待することの是非について、時代錯誤となるのかどうかは私の知らないところなのであります。不一




映画「ミリオンダラー・ベイビー」

 ボクシングとは猛烈な競技である。人間同志の殴り合いをルール化した見世物と言っていい。ボクサーのサクセス・ストーリーを映画や漫画にしたものは多い。ポール・ニューマン主演の「傷だらけの栄光」からシルベスター・スタローン監督の「ロッキーⅠ、Ⅱ、Ⅲ」や「明日のジョー」まで幾つもあるだろう。「傷だらけの栄光」はアメリカの伝説的なボクサーをモデルにしている。
 先日、偶々クリント・イーストウッド監督・出演の映画「ミリオンダラー・ベイビー」を観た。めずらしい女性ボクサーの映画であった。作家の三島由紀夫がボクシングを習おうとしたことがあった。本人が書いていることだが、一指導者がこう言って忠告してくれたという。「ボクシングは頭をやられるが、あなたはそれを承知なのか」と。作家という職業が頭を使うことだと明言し、忠告までしてくれたことに感動した氏はボクシングを習うことを諦めた。「作家の生命が頭脳である」ことを明確に指摘されることはこれまでなかったと氏は冗談まじりに書いている。異常に明晰ともいえる文学的才能を示した三島らしいがどこか孤独なエピソードである。アメリカの作家のトルーマン・カポーティが三島に会っての感想に「繊細だが傷つきやすい人間だ」と評していた。
 映画「ミリオンダラー・ベイビー」に話しを戻す。この映画は悲惨な結末で終わるが、アカデミー賞の作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞をとり、それ以外に幾つかの賞にノミネートされた。むかし、テレビ番組の「ローハイド」でカーボーイの若者として記憶にあった。「ダーティーハリー」の刑事役で注目されたが、初期の映画でDJ役を演じた「恐怖のメロディー」は、一方的な女性の異常な愛情が、いまでいう「ストーカー」に始まって殺人行為に発展する凄惨なストーリーには身震いを覚えたことがある。恋愛が男女の合意にいたるなら幸福だが、それがいつストーカーという常軌を逸した行動に走らないとも限らない。ストカーという言葉がまだないころだったが、この映画はデスクジョッキーの甘い声に聞き惚れてしまった女性につけ狙われる男の恐怖を描いた恐ろしい映画であった。その後の彼のアメリカ映画界での活躍は素晴らしいものだ。しかしその道のりはそう単純な道ではなかった。カルフォルニア州の知事を1期2年間やったこともあった。この映画にアメリカン・ドリームを託したというイーストウッドにはアメリカの負の側面がよく見えていたようである。こうした目でみるとあの褒貶がある大統領もそれなりの見方ができるのだろう。
 マギーという家族の愛情を受けずに育った女性がボクサーを志願して、イーストウッドがいるボクシングジムで夜遅くまで熱心に練習に励んでいる。ジムのオーナーでもあるイーストウッドが演じるトレイナーと出合う。このトレイナーは選手の負傷を気づかいすぎて、挑戦を好むタイプにはせっかく育てても逃げられてしまうのだが、イエーツ(アイルランドの詩人でノーベル受章者)の本など読むインテリだ。やがて、二人は師弟関係となり勝利を重ねていく。そしてマギーはとうとうイギリスのチャンピョンと対戦するまでに成長するのだ。しかし、対戦相手に背中を見せたマギーの一瞬の隙をついた、ルール違反の強烈なパンチがマギーを転倒させ頸椎損傷の重傷を負い病院へ搬送される。病院で寝たきりになり、床ずれで腐った片足も切断され、失意の日々がつづけるマギーに家族が来るが、マギーの財産目当てであった。サインを拒んだことで家族からも見捨てらるマギーは、絶望から自分で舌を噛み切って自殺しようするが失敗する。「自分は充分に生きた。私のプライドを奪わないでほしい」とマギーはトレイナーに自死への幇助を哀願する。そして、遂に深夜病院へ来たトレイナーは呼吸装置をはずしアドレナリンの注射までしてジムからも姿を消してしまうのだ。
 見どころは女性同志のボクシング・シーンだが、英国のチャンピョンは平気でルール違反を度々犯し、マギーの目から血が吹き出る。止血の上手いトライナーだが血は止まらない打ち合いシーン。死を決意してまでも生きてきたプライドを守ることを願うマギーの生き様、それに手を貸して欲しいと願われて苦悩するトレイナーのラストシーンは秀逸だろう。少々重いシーンがつづくが暗いだけの映画では決してない。平凡な生活に対比されるボクサー人生がある。マギーは後者を選んだのだ。絶望の淵から「生の耀き」がマギーの人生を照らしていることが感得されるからだ。トレイナーがマギーの背中に記した”モ・クシュラ”ということばは、アイルランドのゲール語で「愛する者よ、汝は私の血」という意味であった。ある一時には英国とアイルランドは険悪な関係にあったことを思い出せば、この映画にはその余韻が反映してないこともない。
 個人的な嗜好で言えば「グラン・トリノ」のような妙味のある映画がクリント・イーストウッドの魅力でもあるのだが・・・。
 ちょうど日本では人工透析の中止が問題視されているが、ますます高齢化し寿命が長くなる人間の生命と家族を含む医療現場での葛藤を考えることに、この映画が参考となるか難しいところだが、その一端がここに顔をみせているのかも知れない。




プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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