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小説「羽衣夢譚」

 冬の雨が朝から降っていた。まどろみの中で母の声を聞いた。
「亮ちゃん」
 それははっきりとした母の声であった。雨の音が過去への記憶の糸をたぐりよせ、母を呼んだのであろうか。
 母が亡くなったのは何時のことだろうか、亮二は思いだそうとしたが、はっきりとしなかった。
 朝食の食卓で、妻の文子なら覚えているかもしれないと尋ねてみた。
「いやだ。自分の母親がいつ亡くなったかを覚えていないなんて」
 文子はあきれたように亮二の顔をみつめると、緑色のノートを取り出した。
「平成十七年の三月二十日よ。前年の九月に弥生子姉さんの娘さんが交通事故で亡くなった。そのことはお母さんには内緒にしておいたのだわ」
 母の葬式を執り仕切ったのは兄の良一と姉の夫美子であったせいか、次男の亮二は母の葬儀の事はぼんやりとしか覚えていなかった。だがふと添えた妻の言葉から、亮二は次姉の娘がトラックに轢かれたことを鮮明に思いだした。
 妻と二人で駆けつけた病院の地下に安置されていた姪(名付け親は母であった)の、凍えたような顔が少しの損傷もなく、頭は包帯で巻かれ眠っているかのように目をつぶっていた。その顔は生きている時には見られない荘厳な美しさを湛えて、寒い安置室に佇む亮二夫婦を畏敬させた。
 看護婦になろうと国家試験を目指していた姪が急に車庫に入ろうとしたトラックにバイクごと巻き込まれた。それは彼女が結婚したばかりの幸福のさなかの出来事であった。うりざねの可愛い顔だちながら、伝法な物言いで周囲を笑わせていたおちゃめな娘であった。
 夢に響いた母の声から、ある夕べの記憶へと亮二は誘われた。
子供の頃、日が落ちてあたりが暗くなるまで、寒い戸外で遊んで帰ってきたときのことだ。母は台所で夕餉の仕度をしていた。
「亮ちゃん、この中に両手を入れてごらん」
 台所の流しに置かれたボールの中に、湯気をたてた緑色のお湯がいっぱいに注がれていた。
 ほうれん草を茹でたあと、流しに捨ててしまううすみどり色の熱湯へ亮二は言われるまま、かじかんだ両手をゆっくりと浸した。最初は熱いと感じたお湯だが、だんだんと冷たい両手はちょうどいい湯加減で手になじみ、身体じゅうが温かく包まれてきた。
 官舎の暗い台所の窓の外は真っ暗闇で、白い割ぽ着すがたの母だけがいた。身体じゅうが溶けていく幸福な気分に包まれた子供の頃のひと時を、亮二はいまでも時折思い出すことがあった。
   白粥に 梅ひとつおく 春の朝
 老人ホームの朝の食事を詠んだそれが母の最後の俳句となった。それから祖母が作った皺くちゃの風呂敷へと亮二の思い出はつながった。大事に持っていた日の丸の国旗をまめ絞りに染めてこさえた一枚の風呂敷であった。
 息子の伯父さんの家に帰った祖母は一年も経たずに、自分から食を絶って亡くなったのだ。
 その風呂敷を葬式の日に、亮二は母から見せられた。伯父の庭に植えられた鶏頭の花が、真っ赤に咲いていた夏の暑い日のことだった。
          
 晩年の母は、長姉の家の近くの老人ホームに入って過ごした。母がまだ元気なうちに、兄弟姉妹五人が母が生まれ育った静岡県の掛川市へ、一泊二日の家族旅行をすることになったのだ。子供たちの養育からは多少自由になったとはいえ、こうした旅行で高齢の兄弟姉妹が一堂に会することはめずらしいことであった。
 杖をついた母を二人の姉が抱えて、東京駅から電車に乗り、静岡の掛川の駅頭に一同は降り立った。
 夏の日差しを浴び、タクシー二台に分乗して、祖母のリウ婆さんが眠っていた先祖代々の墓に詣でたのである。四基の古びた墓は一列に西に向かって並び立ち、その方角に掛川城の天守閣が甍を光らせて聳えていた。
 八十二歳の母は強い日差しに、皺だらけの細い手をかざして言った。
「掛川城は立派になったらしいねえー」
「お母さん、天守閣が新しくできたの。連れて行きたいけれどお母さんをおんぶすることなんて、とても無理だわ」
 芙美子姉さんが合唱団で鍛えた声で、いかにも残念そうにそう言って声を張り上げた。
「後でタクシーで通るから、そのときに城内に入れば、それでいいだろう」
隣にいた兄の良一が母を慰めるように言い足した。兄弟の誰も母を背負う体力のある者はいなかった。
「お母さんはきっと天守閣に登りたいのよ」
 と下の弥生子姉さんが母の耳には聞こえぬ小声でそうつぶやいた。
 弟の茂三は墓地の中で幾列にも並ぶ墓石に彫られた名前を目に、あちこちと歩き回っていた。一歳でこの地を離れた末子の茂三には、この場所には何の記憶もなかった。
 亮二と茂三はこの寺の敷地にあった家で生まれ、亮二は五歳まで小高いこの丘の上で育ったのである。
 むかし亮二は妻と二人でこの寺に訪れたことがあり、この墓場の墓石に乗って、和尚さんの奥さんに叱られたエピソードを妻へ話したこともあった。
小山のいただきに夏の日がじりじりと家族みんなの全身を照らし、全員の顔から汗が滴りおちている。
 
 小高いこの山は、むかし、掛川城を攻めようとした徳川家康公が陣地を構え、日光東照宮に似せた三代将軍家光の霊廟が建てられた。その霊廟はその後県の重要文化財となり、明治の初めまでこの小山は女人禁制となっていた。   
 戦時中、この寺の一角に川崎大師から疎開した家族が移り住んだ。その木造家屋は既に影形もなく、雑草が丈高く生い茂りその面影を知るすべはない。ただ家族が住んでいた家の屋上まで枝葉をのばした椎の巨木は、昔と変わらずに黒々とした偉容を空にひろげ、いまも青大将が太い蛇のからだを這わせてでもいそうであった。その大きな樹の陰にあった家の跡地は、草いきれがする鬱蒼とした灌木に覆われている。
 あれはいつのことであったろう。亮二が芭蕉の「幻住庵の記」を読んでいたときのことであった。
   先ず頼む椎の木も有り夏木立
 この最後の一句を読み終わったそのとき、亮二の中に青空を背にしたこの龍白寺の椎の木が、はっきりとした輪郭をもって顕れたのだ。幼年期の幻影のような記憶の突然のよみがえりを、亮二は不思議な体験として忘れることはなかった。
 疎開先であったこの龍白寺で生まれた亮二は五歳まで城下町のお寺の一隅に住み、木立に蔽われた丘の上で育ったのだ。                                   
 夏の青空に丈高く背を伸ばした椎の木、兄や姉が樹の枝に吊したブランコを大きく揺すり、兄と一緒に蝙蝠や蝉を捕って遊んだ幼年期は、亮二に自然と一体になった、平穏で明るい印象を残した場所であった。
 もし死後の魂というものがあるのなら、魂はこの場所へ必ず帰ってくるにちがいないと、亮二は秘かに考えないわけにはいかなかった。妻とわざわざこの龍白寺へ訪れたのは、自分の生誕の地へ案内しておきたいという気持ちの底に、そんな死後の空想が絡んでもいたのであった。故郷といえるほど長く居たわけではないが、東京へ出てくるまでに過ごした幼年時代が亮二には懐かしく思われてならなかった。
 家族の皆は寺の新任の住職に逢い、お茶を啜りながら雑談を交わしていた。座布団の傍らに杖を寝かせ、腰を屈めた母はお茶を飲みながら、
「この静岡のお茶はほんとうに美味しいこと」
 そう言っては、和尚へしきりとなにごとかを話しかけている。
 祖母のリウ婆さんの先祖代々お墓に花と線香を供え、久方ぶりでむかし暮らした場所を訪ねることができた喜びが、母を元気づけその華やいだ声が部屋に響いて、今回の家族旅行を楽しいものにしているようだった。
 新しく築城された掛川城の天守閣はその小山から望めたが、母を連れて歩くにはあまりに遠かった。
 兄の良一が呼んだタクシーが、龍白寺のある坂下から小山へのぼり門前に着いたということで、家族一同が和尚さんとの別れの挨拶を済ませ、二台のタクシーは家族を乗せて、なだらかな山の斜面をおりて行った。
 木立のあいだを透かし、車の中から多くの墓石が林立している光景が亮二の目に飛び込んできた。
「あッ!人魂が飛んでいるぞ。恐い!恐い!」
 兄や姉たちが幼い亮二を怖がらせようとして、囃したてる声に必死になって長い階段を駆け上った記憶が、まるで昨日のように眼前によみがえった。
 そして、祖母のお骨が納めれられていた岡田家の墓が目に入ると、亮二は祖母と自分が写った一枚の写真を思い出すのだった。
 それは暖かい日差しを浴びた椅子に座った祖母の膝に、照れたような顔をした幼い亮二が首を傾けて寄りかかり、円い眼鏡をかけた祖母の顔は穏やかな笑みをうかべて、いかにも戦後の平和のひかりが満ちているような写真であった。
 祖母は明治に生まれ、小さな頃には日清戦争の勝利のお祝いで、提灯を下げ旗を振って街を歩いたことがあるのだと、母から亮二は聞いたことがあった。
 二台のタクシーが掛川の城下町のある場所に来たときだった。兄の良一の一声で旧い大きな建物の前で車は止まった。入り口の両側に石柱の門が立っていた。
「これがお婆ちゃんの親戚の人が建てた、大日本報徳社だ。姉さんは覚えているでしょう?」
「そうね。ここの二階には広い集会室があった。そこに岡田良一朗さんの大きな肖像画があった」
「あの肖像画は明治の画家の黒田清輝が描いたものだ」
 と以前にここを訪ねて知ったかで、タクシーの窓から亮二がそう言った。
 亮二は祖母が亡くなるまで、蒲団の上で記していた「ノート」を母が亡くなると引き継ぐように姉から渡された。祖母によって記されたその「ノート」を、亮二は妻に手伝ってもらいパソコンで起こし直した。そこには祖母の記憶の断片が「ざんげろく」と銘打って記されていたのである。
「私は明治十三年に岡田茂平の長女として生まれました。其の当時は村でも中流の農家の家庭で何不足なく育てられてきました。」
 亮二はその「ノート」から祖母が生まれた岡田家の本家に興味を惹かれ、少しの調べもののため、この大日本報徳社へ一人で訪れたことがあった。
 門の陰になって見えないが、二宮金次郎の銅像が立っていることを、亮二は声にだそうとして言い淀んだ。そこに日本で一番立派な二宮金次郎の銅像があるなどと、声にだすことに何だか照れくささを感じたからである。
 玄関の石の門柱には、右が「道徳門」左が「経済門」と彫られているのが、古びた石の表面に読むことができた。
 報徳社は二宮尊徳の思想を受け継いだ弟子たちによって、明治期に創られ、経済と道徳との調和による相互扶助精神に拠って立つ社会福祉の運動となって全国に広まった。その活動は特に飢饉に苦しむ東北の農村へ、尊徳の思想と共に裾野をひろげたらしい。祖母の本家からでた岡田良一郎は、その尊徳の高弟であった。
 祖母は岡田家の分家に生まれ、嫁いだのもだいぶ遅れていて、夏には倉見川で泳ぐのが好きな、明星派の影響をうけた読書好きな文学少女であった。
 東京へ出て暮らすようになったあるとき、大学生の亮二の部屋に来て、トルストイの「アンナ・カレニーナ」(リウ婆さんはそう発音した)を読みたいので、貸しておくれと言われたのを、亮二は思い出した。八十に近い祖母が大学生の部屋にまでやって来て、そう言ったことに亮二は驚いた。そのときの祖母の顔にはうっすらと紅をさしたような、含羞の表情がうかんでいた。歳をとっても祖母の頭はとてもしっかりとしていた。畳に敷かれたままの蒲団の上で、腰を折り曲げてよく本を読んでいたことを亮二は覚えていた。
 その亮二が面白半分に貸した「親族法」などという法律書まで、祖母は読んだらしく、
「変わった世の中になったもんだねー」
 という祖母の感想に、亮二はびっくりしたことさえあったのだ。
 
 やがてタクシーは掛川城の門前に止まると、家族のみんなは砂利道を進んでお城を仰ぎ見た。
「ほら、お母さん。これが新しくなった掛川城よ」
 芙美子姉さんは天守閣を見上げて母を促した。母は杖を支えに、身体をのけぞらしてお城を見上げた。
「これかいのー。ずんぶんに立派になったものだぇー」
 母は手をかざしてお城の高みへ見上げて、しきりに感心している。その城の近くを川が流れ赤い橋の欄干がみえた。母が生まれた邸はこの川を遡った上流にあったのだ。
 母の話だと、徳川家に仕えていた先祖が将軍徳川慶喜公と江戸を離れ、駿府に下ったときに一緒に従い、今の退職金にあたる俸禄を貰い、それを元手に煙草業を営んだらしかった。それが面白いようにあたって、ずいぶんと豪勢な邸を構えて住んでいた。邸の廻りに細い堀を廻らし、夜は用心に橋を上げなくてはならず、庭には縁側の下まである大きな池に、たくさんの鯉が泳ぎ、グミなどの庭木は季節ごとの花を咲かせていたという。だが明治政府は煙草業の経済的な成果に目をつけると、それをたちまち国有化して、民間から取り上げてしまった。それからは、煙草業は個人経営として成り立たず、とうとう立派な邸は売り払わなければならなくなった。
 祖母の実家の本家からは、大日本報徳社を起こし、また日本初の信用金庫の創立者でもある良一郎、その息子二人は大臣にまでなったというのに、祖母は気難しい夫と母を含む子供三人を連れて、川崎大師へ引っ越しをせざるを得なくなった。
 母は幼年時代の豊かでのんびりとした生活と、それとは一転した倹約生活の厳しく余裕のない、光りと影の表裏の人生を送ってきた。そのせいか、母は優しさと冷淡との両面をもち、それが屈折した表情をみせるのだった。
 東京の官庁で働いていた父の正三は、掛川の家には偶にしか顔を見せず、幼年期の亮二は父をほとんど知らずに育った。そのうち弟の茂三が生まれると、父の愛情はこの末っ子に向かい、母は疎開先というどこか居づらい生活のなかで、五人の子供たちの世話に忙しかったにちがいなかった。
 亮二は自然と祖母の膝に寄り添うような子供として、幼年期を龍白寺のある丘の上で過ごした。明治生まれの祖母の夢見がちでのんびりとした性格と、母から受け継いだ一風変わった性格の、その両面を亮二が合わせもっていたとしても不思議ではない。
 母も祖母からの血筋か、無趣味な夫とは違って、俳句を詠み南画風の墨絵を描く趣味をもっていた。そのせいで、亮二は小さい頃に母から百人一首を暗記させられたこともあったのである。
 母が林芙美子という往時の流行の女性作家のファンであったことから、上の姉の名前に芙美子という名前をつけた。
 兄の名前を良一にしたのも、祖母の本家の岡田良一郎からとってきたのであろうと思われた。
 母は自分の父方の祖先が徳川家に仕えた武士であることに誇りを持ち、自分の母の縁戚からは兄弟で二人の大臣が出ていることで、ようやく自分の豊かな幼児期とそれ以降の下降時代との釣り合いを保ち、なんとか自分の血筋に一縷の望みを託していたらしい。しかし自分の夫が平凡な逓信省の官吏でしかないことに不満を懐いていたが、母の揶揄や皮肉にもかかわらず、夫は無神経なのか無頓着なのか、まったく気にしている様子はなかった。江戸から続く、下町育ちの父の正三にはそんなことはどうでもよかったのにちがいなかった。

 母を乗せた二台の車は、掛川城下を一巡りしてから、掛川市から奥に入った祖母が生まれ育った倉見へとひた走っていた。倉見はむかし掛川では一番広い村であった。この村の庄屋の岡田家から、後に明治維新の地租改正で、政府を批判した自由民権運動の壮士を先頭に、一揆にまで拡大しそうになった紛争を仲裁したのが岡田良一郎であった。
 まだ生まれていなかった亮二は知るはずもないが、倉見は祖母が生まれたところでもあり、戦時中は家族が疎開していたところであった。
 亮二は以前に、祖母が生まれこの倉見というところがどんな場所で、家族が疎開していた村の様子を一目見たいと、妻の文子を連れてこの倉見の旅館へ泊まりに来たことがあった。
 旅館の女将に岡田家の名前を洩らし問わず語りに聞くと、
「岡田さんは昔は偉い人ということは、知っておりますが、今はどうなったかのー・・・・・」と口を濁した。
 タクシーの運転手に同じように聞いてみると、
「岡田良一郎さんを祀った神社がありますから、ちょっとそちらへ行ってみますか。いまはもうだいぶ古びていますがなあー・・・・」
 そう言って、車が止まったところで、亮二と妻が運転手が言った社を見ると、汚れて埃だらけの建物はどうにかやっと立っているというありさまで、亮二は身の置き所を失った。
 今ふたたび家族が乗った車が倉見に入り、亮二が運転手へその神社を訊ねると、そうした事情にはまったく疎い様子で、別の運転手も何の反応も示さない。亮二は車を降りて辺りを歩いて捜してみたが、もうあの社は幻影のように消え失せてどこにも見つけることはできなかった。
 二台の車が畑の中にまっすぐに延びた細道へ入ると、その突き当たりに「倉見館」の玄関が見えた。
 旅館は新装されて、高級な店構えに様代わりしていた。亮二を先頭に家族の全員が玄関に入ると、若い女将さんが顔をだした。
 亮二はその女将さんへ以前にこの旅館に泊まったことを話し、玄関に立って皆で中を眺めさせて貰った。だがむかしの面影はどこにもなく、いかにも現代風な内装に変わって、亮二を幻滅させた。
 あのとき、亮二夫婦は二階の一部屋に泊まった。夕食を部屋で食べながら辺りを眺めると、外はいかにも掛川の奥座敷の風情を漂わせ、田舎というより広い邸の庭という感じで、闇が辺り一面をすっぽりと包み、遠くの田圃から蛙の鳴き声がにぎやかに聞こえてきた。
 亮二はこの蛙の騒がしいほどの鳴き声を、祖母もきっと耳にして育ち成長してきたのにちがいないという、ほのかにこころ温まる安らぎを感じた。近くの倉見川のせせらぎで泳ぎ、年頃になっても嫁がずに、「アンナ・カレニーナ」を読み耽っていた文学少女の祖母がいたことを、そのときたしかに感ずることができたのだ。
 だが改めて家族とともに母を連れ、祖母が育った場所まで来てみれば、そこには祖母がいた記憶を思い起こされるものはなにもなかった。ぷっつりと懐かしい過去は断ち切られ、新品なだけで無惨な残骸が、目のまえに立ちはだかっているだけなのである。
 老いた母はぽかんと口を開けて、辺りを見廻してたが、そのまま肩を落とし、杖で身体を支えてようやくのように立っている。
二人の姉も兄も、来ても甲斐ないところへ来てしまったとでもいう、虚ろで呆けた様子を夏の光りの中に晒していた。
 祖母が育った倉見の村はもうどこにもなく、一時、姉と兄たちが母と共に疎開したという場所がどこにあるのか、母にもまるで検討がつかないのだ。
 兄がこの疎開先で畑の肥だめに落ちたという場所は、この倉見であったらしいのに、その疎開先の家がどの辺にあったか、その記憶は曖昧模糊としていた。亮二はなんとももどかしく、不甲斐ない思いをするばかりであった。
 あの十数年まえに、亮二が「岡田家」の名前を出し、そのときそれでもなんとか反応を示してくれた女将さんは、もうどこにもいなかった。あの朽ち果てた神社へ連れて行ってくれたタクシーの運転手も、もうこの世の人ではないのだろう。
 亮二夫婦が一泊したむかし、翌日の朝食を摂ったあとのことだった。旅館の女将さんがどこからか現れた年寄りの女性グループ数人と共に、亮二夫婦を近くの山へ案内してくれたことを、亮二はふと思い出した。
 道端にコスモスの咲く畑道を歩き、二人は女将さんの後を就いて行った。高い山ではなかったが、細い山道のところどころに地蔵が並び立っていた。女性たちは地蔵の前に来ると、供物をだして拝んでいるのだった。そうした光景が、恰も夢のように亮二によみがえった。
「この村から戦争へ行って帰ってこなかった霊を迎えるために、むかしこの村の小山に、こうして地蔵さんをつくったのんさのー」
 そう説明してくれた女将さんの声までが、亮二の耳の奥から木霊してくる。
 あのとき、亮二は祖母の古里へやって来た甲斐があったと安堵したが、それはどうしてなのだろうか。祖母とその先祖が女将さんを介し、あの山へ亮二を呼んだのかも知れないという想像が亮二に沸き起こったためでもあろうか。
 女将さんが近くの山に行くが、よかったら亮二たちも一緒にと誘われたそのとき、亮二の中に祖母の記した「ノート」に、祖先の岡田良一郎が生前に、倉見村にある「淡山」という山を愛し、号を「淡山」としていたという記述があったことが、頭に浮かんだ。女将さんの誘いに逡巡することもなく、妻と不思議なそのグループに同行をしたのはそんなノートの記述が脳裏に過ったからであった。
 後年、その話を亮二が兄にしたところ、兄はやはり母の弟の伯父さんに誘われて登った俗名「淡山」へ、倉見に疎開していた頃に行ったことがあるという話を亮二は聞いたことがあった。兄の話しではその山の上で、伯父さんは大声で何事かを叫んでいたそうだ。十年前に岡田良一郎の神社だとタクシーの運転手に案内された神社が、「淡山神社」という名前だったことを、亮二はあらためて思い出して不思議な思いに誘われた。
 伯父さんは七つも離れた母の弟であった。プロテスタントの伯父さんは、いつも聖書を小脇に抱えていた。青年時代に内村鑑三にいたく傾倒していた伯父さんは、牧師に成りたかったらしい。それを父をはじめ家族そろって反対されると、ある日家を出たまま行方知れずになった。大学を七年もかかって卒業し、ようやく父のツテで大手の鋼管会社に勤めだしたというのに、突然、辞表を出された会社も驚いたようだ。一番に怒ったのは父の正三だった。それから3年ばかしが経ったある日の夕暮れ、伯父さんは祖母のいる母の家の前に、ぼんやりと立っている姿を、母が偶然に見つけたのだ。
 母の話しでは、そのときの伯父さんは乞食同然の風体だったらしかった。痩せ細ったその顔は、まるでキリストのように苦悩に捩れながら、なんとも言えない威厳と美しさを湛えていたという。母はその変わり者の弟を黙って我が家に受け入れたのだ。
 時あたかも日華事変から本格的に中国との戦争状態になったが、その中国から東アジア全域に戦争が拡大する一方であった。その戦争もだんだんと雲行きがあやしくなりだしたころで、まるで伯父さんが帰ってくるのを待っていたかのように、召集令状が壮年期にさしかかった伯父さんにも届いたのであった。痩せこけた伯父さんが重たい銃を担ぐ姿は誰にも想像することができなかったほどなのに、伯父さんはまるで聖書にあるあの十字架を担ぐイエスのように、その命令を受け入れ従容として朝鮮に渡ったという。
 亮二の父の正三も軍隊に召集された。だが一冊だけ残ったアルバムに写っている正三は白い医者が着る上っ張りで、内地勤務のため日本から外地へ赴くことはなかった。母から聞いた話しでは、軍医の真似事のようなことをしているうちに、戦争は終わってしまったというのだ。さすがの父の正三は、このときばかりは自分の妻の弟の伯父さんへの同情を禁じえなかったらしい。
「あいつは大学へ七年も通い、いい会社へ就職させてやったのに勝手に辞め、こんな時期になって、外地の戦場へ行くなんて、自分から死ににいくようなものじゃないか。ほんとうにあいつはバカな奴だ」
 外でご馳走になりながら、帰宅してまでもまたお酒を飲みだした父は母へそう言った。
 気の強い母はこれには腹を立て、自分の弟がコケにされたと思ったためか、
「外で飲んできて家に帰ってまたお酒を飲むのは止めてください。わたしの弟はあなたから見ればバカにみえるかもしれませんが、小学校と中学校ではずっと級長で通した子だったのです。大学で本ばかり読んだせいで変人になったんです。ナントか鑑三かジンゾウか知りませんが、その人がいけなかったのですよ。酔った勢いでつまらぬことを言わないでください」
 と大声を張り出して涙を拭った。その突然の母の様子に酔いがすっかり醒めた正三はしゅんと黙ってしまった。

 この実子の伯父さんを、幼児のごとくいつまでも溺愛していたのが祖母のリウ婆さんであった。
 敬虔なプロテスタントの伯父さんが、家を出てから何をして暮らしていたのか、祖母や母が訊いても答えはなかった。ただ放浪癖のある伯父さんは、九州の島原半島まで行ったことまでは覚えていたが、海を眺め防波堤で寝ているうち、波にのまれそれからの記憶がまるでなくしてしまったらしい。三年ほどのあいだの記憶のない伯父さんが、以前の記憶を取り戻したのが、やはり島原の海辺であったのは、単なる偶然の一致というものなのか、不思議でならないと、その話しを伝え聞いた兄の良一は幾度も首をひねっていた。その後も伯父さんの聖書を抱えての放浪癖は、アメリカやヨーロッパ等の世界中に及んでいたらしかった。
 亮二と弟の茂三は、小さな頃からこの伯父さんが、分厚い英語の聖書を小脇にかかえ、食事前に何やらムニャムニャと言うのが面白かった。胸の前で手を十字に切る仕草は、まるで忍術使いのようにみえた。伯父さんの名前は「忍」と書いて「しのぶ」と読んだのだが、二人は子供の頃から、この伯父さんをニン伯父さんと呼んでいたのであった。
 母が亡くなってから、このニン伯父さんも、母を追うように鬼籍に入ったが、どうにもこのニン伯父さんの人生行路は、謎につつまれ理解することが難しいところがあった。
そのニン伯父さんが朝鮮から裸同然の姿で内地に帰ってきたのはまるで奇跡としか思われないものだった。

 ニン伯父さんが亡くなった数日後のある夏の日、亮二が自宅の階段を降りた所で、玄関を開け放って夕風に涼んでいると、ニン伯父さんが亮二の傍らに立ち、ニタリと頬笑む顔と姿を見たのだった。青白く細いネオンの管を身体中に光らせて自分を窺うその異様な姿に、亮二は気味悪くなりキッチンにいた妻の文子の名を呼んだ。するとニン伯父さんの姿は消えていた。
 
 タクシーで掛川市に戻ると、家族一同は掛川城を望む大きな料理店の二階で食事をした。座布団を並べ、母を横たえさせ、皆しばしの休息をとった。母の眠り顔が祖母にそっくりに見えたのには、亮二はおどろいた。
 父が他界してから、退職後に父が郊外に建てた家に母はひとりで住んでいた。一時は兄夫婦のところで一緒に暮らしたが、幼少の頃の我が儘いっぱいの性格は、兄の家での共同生活にうまく順応することはなかったようだ。
 それでふたたび父が亡くなった後も、独り長い間暮らしていた家に舞い戻った母はそこで近所の友人たちと、百人一首をとりあったり、南画を教え俳句を詠み、けっこう晩年のひとときを楽しんでいた。そこに突然予告もなく、扉が開いて母の弟のニン伯父さんが訪ねてきた。驚いた母はストーブの上の煮たったヤカンに、服の裾をひっかけてしまった。倒れた母のうえに煮え湯がかかり、大火傷をした母は救急車で入院した。あわやというところで一命は取り留めたが、以来、一人で生活していくことはできなくなった。それ以来、ニン伯父さんは母のまえに姿を現すことはなくなったのだ。そんなことがなくても、母はニン伯父さんが戦争中、母が大事に甕に入れて庭に埋めておいたアルバム数冊と誉伯父さんの遺していった遺品類を、どうしたわけか空襲の火事でその全部を焼いてしまった。そのアルバムにはお婆さんの祖先の面々の写真やらがたくさん残っていたものであったらしいのだ。
 掛川にあった邸の写真はもとより、岡田良一郎とその息子たちも、そして鳥羽伏見の戦いに参じた祖先の写真もあったが、すべては灰燼に帰してしまった。母の嘆きは、子供の頃から周囲を驚嘆させたほど、あらゆる才能を見せながら、二十代の若さで夭折した母の兄の写真もそのアルバムにあったことだ。母の話では、徳川家に勤めた祖先の内には、日本画の芸術院会員から、内務省参事までの錚々たる人達がいたという。失ったアルバムはそれら一人ひとりを指呼することができた貴重な品物であった。それを乞食同然の風袋で家に帰ってきたニン伯父さんのせいで、何もかも失ってしまったというわけである。
 高齢の祖母が、法律書から戦後の変わりようを得心した背景には、母みつの戦後の喪失感と表裏の関係があったのに相違なかった。だが明治生まれの祖母には、夭折した長男以外に惜しまれるものはなにもなかった。祖母の綴った「ノート」には、誉という名前のこの長男がいかに優れていたかが面々と記されていた。このところだけは祖母にしてはめずらしい筆遣いが為されていたため、それだけ印象的な記述になっていたのだと、亮二には思われた。
 誉伯父さんはニン伯父さんとは月とスッポンほどの違いがあるというのが、誇張癖のある母みつの決まり文句であった。ニン伯父さんは大学に七年も通ったが、心臓病だかで死んだ誉伯父さんは、独学であらゆる分野の知識を学んでいたらしいのだ。日本が泥沼の戦争を東アジアではじめたが、その惨めな敗戦を早くから予想してのは誉伯父さんだった。また祖母譲りの文学的な才能を発揮し、全国の詩人たちを糾合する詩誌の主宰者でもあったという。そのうえ泉鏡花の影響の色濃い、浪漫的な文飾でお能の創作もしていたようだった。それは自分の夭折を予感した者にしか書けない霊妙な筋立てであったということだ。

 誉伯父さんはフランス語の独学により、中江兆民が訳したルソーの「社会契約論」を原書で読み、自由民権運動の研究家との交流もあり、そうした縁からフランスのさる人との文通でのやり取りもしていたらしいのだ。
 その人はガブリエル・ロワイヤルというフランスの歴史学者であった。この人はフランスの東アジアでの植民地政策の研究をしていたが、傍ら日本の歴史と文化にひそかな関心を寄せている人でもあったというのが、ニン伯父さんから亮二がわずかながらに得た情報から撚り合わせた物語りでもあったのだ。
 パリ発祥のシテ島に館を持っていたある貴族のサロンで、詩人のイエーツが自身で書いた「鷹の井戸」というお能の創作の話しを聞いたガブリエルは、日本への好奇心も手伝って是非それを読みたいと矢も立ても居られなくなったらしい。早速、その本を手に入れると誉伯父さんは読み始めた。いかに日本文化への好奇心があるとはいえ、日本人でさえ歌舞伎と較べると、それほどに大衆化されていないお能という舞台芸術が理解されるわけではないとニン伯父さんはつけ加えた。
 ガブリエルから、日本にいる兄の誉伯父さんへ分厚い手紙が届けられことは母のおぼろな記憶からであった。誉伯父さんは日本中世の歴史の背景から、日本の伝統芸能一般の概要を説明した後、お能のあらましを述べ、フランス語に訳した「羽衣」の原稿と実際の演舞の写真を添えて、異邦の友人へ送ったということだ。
 このガブリエルの息子は、長じて外交官となった。息子クロードが日本へきたのは、第一次世界大戦が終わり、パリ講話会議後、日本が満州へ進出する頃であった。父の影響から息子クロードも知的好奇心が強かった。外交官であったクロードは日本の対外進出の情勢を探るという外交任務から、時の枢密院議長の一木喜徳朗と一夜懇談の機会を得たらしかった。一木は欧州への留学経験からフランス語が話せたのである。この一木は祖母の本家、岡田良一郎の次男で一木家の養子となった人である。亮二が縁戚の一人から聞いた一木喜德郞の青年時代のエピソードにこんなものがあった。
本の虫干しをしていた時のことであった。一木の友達が一人日なたぼっこをして寝転んでいた一木へ、おまえはやらんのかと訊いたところ、直ちにこんな答えが返ってきたというのだ。
「おれは読んだ本はぜんぶ頭に入っているから、こうやって虫干しをしているのだ」
時あたかも天皇機関説問題で紛糾していたが、美濃部達吉にそれを鼓吹したのは行政法の泰斗となったこの一木喜徳朗であった。後に、二・二六事件が起きると、昭和天皇からの信任の厚かった一木は一時、内務大臣を拝命されたという。
 さて、クロードには故国フランスに十歳になる一人娘がいた。この娘の名前はエミールといった。エミールは幼少からクラシック・バレーを習っており、祖父のガブリエルの感化もあって、日本文化へひそかに興味をもっていたらしいのだ。誉伯父さんが送った「羽衣」の諸資料は、偶然にも祖父のガブリエルから父のクロードを経てその後舞踏家になったエミールの手に渡った。エミールは東洋、特に父が赴いた日本への憧憬を強めていたのである。その後、マルセル・ジュグラスなるまだ若い外交官に是非にと求められて、エミールは結婚したが子供はなかった。エミールは、有名なイサドラ・ダンカンの弟子となり、絵や音楽、舞踏や劇、また、パントマイムまで勉強していた才女であったらしい・・・・。以上がニン伯父さんの話しだから、真実ばかりとは限らないというのが、亮二の判断であった。

「さて、そろそろ出発しますかね」
 という兄の一言で、家族一同は休息をやめて起きあがった。近くの逆井川の川音が聞こえ、そこから吹いてくる涼風が全員の気持を活気づけたようだ。
「どこへ行くんですか」
 母はまだ眠りから覚めていならしく、はっきりとしない声を出してそう言った。
「お母さん、暑いけどこれからお婆さんのお骨が入れられているお墓を見に、袋井へ行き、今日の夜はみんなでホテルに泊まるのよ」
 上の姉はそう言うと、気の強い母はすこし皮肉まじりに、
「はい、はい、老いては子に従えというからね」
 よろよろと母は杖を支えに立ち上がった。小さくなった母の黒いワンピースを着た姿はあたかも羽根をふくらませた雀のようでみえた。
 兄はタクシーを呼んで、皆が料理屋をでると、夏の日差しはまだ弱まることもなく、ジリジリと皆の肌を灼くように照りつけた。
「さあ、さあ、タクシーに乗ってください」
と、兄と姉は皆を急き立て、二人の姉は母を連れて車の中へ姿を消した。その後に、兄と亮二と茂三の三人がもう一台のタクシーへ乗り込んだ。
 車の中は冷房が効いて快適だった。
「お母さん、よく見ておいて下さいな、掛川城はこれで見納めですからね」
「そうね。山之内一豊さんがいたお城だったわね」
 母は祖母に似て普通は忘れてしまう固有名詞をよく記憶していた。やはり頭はしっかりしている血筋だったのである。
 運転手が気転を利かして、車を城がみえる場所へ寄せた。
 天守閣と太鼓櫓、西の方角には二の丸御殿が見えた。
「ああ、この二の丸ではよく遊んだものだ」
 兄が感に堪えぬように嘆息した。
 掛川市は天守閣を中心に城の修理を終えると、城下町の環境保全のために電信柱を埋設する工夫を凝らしたようで、城下は昔の風景を残しているのだった。
 少し走ると、運転手の声がした。
「左手に新しい図書館ができたんですよ」
 亮二はすぐこれに反応を示した。たしかにそう高くはないが、立派な建物の側面が目に入った。
 このとき、亮二の頭を過ぎったのは、大日本報徳社を訪ねた昔、すぐその近くにあった市立の図書館を訪ねたときのことだった。その図書館は殆ど粗末な建物であったが、隅のコーナーにずらりと背表紙を並べた「二宮尊徳全集」を見たのである。亮二は予想もしなかったその光景が忘れられなかった。その尊徳の高弟が祖母の本家筋の祖父、岡田良一郎であったことが、報徳社の二階の大広間に見た肖像画と共に、改めて眼前によみがえる心地がしたからだ。
 兄良一の話しだと北九州にある福沢諭吉記念館に、岡田良一郎からの手紙があるとのことであった。幕末から明治の時代という一国の変革期には、立志伝中の人物が互いに親交を重ねていたという、現在では想像できない熱い時代があったことを、こうした一事から知らされる思いがした。
 東京へ帰った亮二は、掛川市長宛に手紙を書いた。その内容は、市の図書館の建て替えと、二宮尊徳全集の保全を訴えたものであった。やがて、亮二の元に一冊の本と手紙が送られてきた。その市長からの本類はどこかへ散逸してしまったが、亮二の訴えは車の中から見える新築の図書館によって、市長へ届きその功を奏したことが証明されたように思われ、亮二を喜ばせた。
 家族を乗せた二台のタクシーはさほどの時間もかけずに、袋井へ到着した。墓所は小山の前にひろがっていた。まだ墓もない空き地が、直射日光を浴びて乾いた地面を晒している。
 ニン伯父さんが様々な苦労の末に建てた墓石は、黒い御影石で作られて潅木の間にひっそりと立っていた。
「これよ、お母さん」
 芙美子姉さんが母を呼んだ。日傘を弥生子姉さんが持ち、母の頭から夏の容赦ない光りを防いでいた。皆は一様に額の汗を拭きながら、黒光りした墓石をただ茫然というように眺めている。
 その黒い墓石をみながら、母と共に家族のそれぞれがなにを思ったのだろう。こんなにも緑の少ない、ただ広いだけの墓地の片隅に、まるで丸裸にされたように立つ墓石に祖母の骨は入れられてしまったのかという、なにか荒涼とした気持ちだったのにちがいない。
 掛川の龍白寺は鬱蒼とした緑の小山の上にあり、本家の墓と並び立っていたのに、この袋井の墓地は平坦な敷地で、素っ気ないような孤立感が漂っているだけであった。たとえ死者とはいえ、すこしでも見晴らしのいい場所がよいのではないだろうか。ことばには出さないが、それが家族一同のこころに過ぎった感慨であった。
 みなの沈黙へどこからともなく、蝉の啼き声が響きわたっていた。
 そのとき、一匹の揚羽蝶が白い羽根をひろげて、墓石の上をひらひらと舞って、母の目の前で墓石の角にとまった。まるで扇を開いたような大きな蝶であった。
「こんな揚羽蝶は見たことがない!」
 良一は驚いて叫ぶかのような声をだした。むかし昆虫採集に余念のなかった兄がそう言うのだ。たしかに黒い羽根の揚羽蝶なら、いくらでも見ていた亮二と茂三も、その良一の訝しげな声に反応して、白くて大きな揚羽蝶をみつめずにはいられなかった。
 すると更紗のような薄い羽根を透かし、青空を映じた羽根を衣のように翻して、アッというまに蝶は宙空に飛び立ち、大空に吸い込まれるように姿を消した。
 母は手をかざしてその後を目で追った。
「いま来たのはリウ婆さんだわ」
 母はまるでその墓石のうえに、お婆さんを見たかのように、妙なことをひとり呟いた。
 龍白寺からこの袋井の墓所へ、祖母の先祖代々のお骨が移ることについては、それ相応の理由があるに違いなかった。いや岡田家だけではなく、龍白寺の檀家たちはそれぞれが、新しい墓所へ引っ越しを余儀なくされていたのだ。
 母はそうした背景となった理由を知って憤慨していたが、それは既成の決定事項であった。それを漏れ聞いた姉たちは家族一同の意見を集約して、住職に掛け合うようなことをしたが、新任の若い住職は一向に、耳を傾ける気配もなかった。この件では一番苦労したのはニン伯父さんだった。
 高齢の母は遠くから弟であるニン伯父さんに、すべてを託していた。というより祖母の先祖代々の墓所について、その責任者はニン伯父さんしかいなかったのだ。そのニン伯父さんは敬虔なクリスチャンであった関係で、その戸惑いは一様のものではなかったらしい。
 檀家たちの意見もまとまりもないまま、時が過ぎるにつれてそれぞれの家は見切りをつけて、新しい墓所を探すしかなかった。また、天台宗の総本山では、寺の采配は住職任せの態度であり、住職の方針は変わらなかったのだ。ニン伯父さんも龍白寺から出て、お墓の新しい移転先を袋井に決断することになったらしい。
 広い丘陵は夏の日差しに炙られ、陽炎が立っているのか、さして多くない墓石は、潅木のあいだに揺れて漂いだしていた。家族の一人ひとりが、口をきく気力もなく、とだえた風と大地からの熱気に、意識は朦朧として来ていたのであった。
 その白昼夢のような墓所で、亮二は母とは違った思いで、死んだ祖母の姿を見たような気がしたのである。その思いとは、祖母が家族と一緒に官舎住まいをしていたある初夏の庭での記憶が亮二にまざまざと甦ったことにあった。
 母が庭で洗濯物を干していた。その傍らで、腰を曲げた祖母が佇ずみ、紋白蝶が一匹飛んできて、しばらく祖母のまわりでひらひらと舞っていた。やがてその蝶はうつむいていた祖母の背中に羽根を休めるように止まったのだ。祖母が庭を歩いても、初夏の日差しをうけた蝶は、そのまま祖母の背中の上にとまったまま、じっとして動かなかった。そうした亮二の子供の頃の記憶が、いま現実のごとくに亮二の目の前に映っている。
「お婆さん」
 思わず亮二は声にだして、祖母を呼んだ。祖母は亮二のほうへ顔を向けるとにっこりと頬笑んだ。相変わらず母は洗濯物を干すのをやめない。その母の横顔が見え、ほつれた髪がかすかに風に揺れている。
 祖母は庭に背高く生えた枇杷の樹を見上げて言う。
「ほう、こんなによく育ったものだ」
 その枇杷の樹は、祖母が掛川から東京へ引っ越して来たときに、まだ小さかった苗木を持ってきて植えたものだった。その枇杷の下に亮二は中学生の頃に小さな池を作った。その池の水面に赤い金魚がぱくぱくと口を開けて泳いでいた。兄が拾ってきた黒猫が、池の縁でその赤い金魚をじっと目で追っていた。
「クロ! 駄目だぞ! そいつはおまえの餌じゃないぞ」
 亮二がそうした光景を思いだしていたそのときだった。
 みんなが休んでいる木陰の、墓地の細い道のあいだを一匹の黒猫が走り、大きな墓石の陰に消え去った。
 そして、祖母の背中にとまっていた蝶が羽根をひろげて飛び去り、真夏の空のかなたへ吸い込まれたのを見たのである。
「どうしたの?」
 傍らにいた弥生子姉さんが、亮二を訝しげに見やっていた。名前を呼ばれて、亮二は初めて我に返ったかのように、現実に引き戻された。
「兄さんには、クロがみえましたか?」
「ああ、さっき墓石のあいだを走っていった猫だろう。あいつはわたしが拾ってきたクロ、長い尻尾といい、金色の目までもまったくそっくりな奴だったなァー」
 兄は遠くをみるような眼差しで、懐かしそうに言った。
「祖母もいた・・・」
 そう口に出しそうになって、亮二ははじめて自分が見た祖母が、幻想の風景に存在していたものと知って、奇妙な心持ちになったのである。

 家族みんなは陽炎の立つ夏の暑さに、顔をぐったりとさせていた。
「さあ、お母さん、このへんでそろそろ、みんなも帰ることにしましょうかしら」
 芙美子姉さんの一声で、日差しを避けて陰の下に散っていた一同が、母を中心によろよろと集まって動き出した。
 だが亮二は家族の後ろからゆっくりと歩いていた。
 そして、一、二度と祖母をみた墓所のあたりを振り返り、一本の高い樹の上にひろがる中空を見上げた。もしかしたら、もう一度あの白い衣を翻すように、大きな羽根をもった揚羽蝶をみることができ、腰を曲げてゆったりと庭を歩く祖母に逢えるかも知れないと想った。
 
「亮ちゃん、ここで少し休ませておくれ」
 お婆さんは先を行く亮二にこう言って、立ち止まらせた。
「また休むの、もう三度目だよ。お婆ちゃん」
 子供の亮二は不満気に、後ろを振り返ってそう言った。祖母は自分で自分の不甲斐なさを嗤うかのような微笑を、皺くちゃな顔の高く大きな鼻によせて、亮二を仰ぎ見ている。
 瓦礫の石のうえに腰をおろし、杖を立ててその頭に両手を重ねてのせていた。指の長い大きな手だった。骨が浮き出た指も皺がいっぱいだ。祖母はあのとき、どこへ行こうとしていたのだろう。
 官舎を出てから写真屋の角を曲がり、亮二が小学校へ通う道の途上だった。まだ東急目蒲線の駅に至るまえの路上であった。そこをまっすぐに駅を渡り終えると不動前銀座商店街に入るのだ。銀座商店街と言っても、六メートルばかりの幅、道の両側には乾物屋や雑貨屋、果物屋やパン屋などがひしめくように並んだ曲がりくねった道路が二百メートルほどつづき、ちょうどその真ん中辺りに亮二が通った小学校の裏門があった。
 ある日、小学生の亮二が日曜日であるにもかかわらず、この校門をよじ登って越えていく姿があった。カバンを背負って家の玄関を出る亮二に家の誰も気づいた人がいなのも可笑しなことだったが、亮二はその日が学校が休みであることをすっかり忘れていたのである。それは高校の体育のバスケットの授業で、敵のバスケットへボールを投げ入れようとしてクラスの失笑を買ったことにも窺える、どこかニン伯父さんに通じる亮二の特異な性格に相応しいエピソードであったろう。
 その商店街が尽きるところで、かむろ坂という名前の坂道と交叉していたが、さらに道なりに進んでいけば、目黒のお不動さんへ行くことができた。毎月二十八日がお不動さんの縁日であったが、不思議にこの日になると雨が降るのだった。その縁日の通りを亮二と弟の茂三が遊びに行く途上、両足を失くして路上に伏す両眼に白いガラス玉を入れた傷痍軍人を見かけるのだった。兄の亮二も弟の茂三もできるだけ見まいとしながら、怖いもの見たさで彼等から目を背けることが出来なかったのである。バンドネオンから聞こえる物悲しい音曲がそれに拍車をかけてきた。このお不動様の縁日で黄色い羽根のひよこを数匹買ったことがあったが、朝になると目を白く瞑った小さな死骸を見つけて幾度悲しんだことだろう。
 
「お婆ちゃん、どこへ行くのさ?」
 また、杖をついて歩き出した祖母に亮二は訊ねた。
 祖母はなにも言わなかった。その瘤のような背中に、また白い紋白蝶がとまっていた。祖母は黙ってその腰をのばして空を仰いだ。紋白蝶はその空に舞い、高く上がって消えていった。祖母の顔にかかった眼鏡の丸い硝子に青空が映り、青い空には昼の月がぼんやりとうかんでいたのである。

 車の中にいた母も祖母と同じような杖を前に立て、その柄に両手を重ね、頤をもたせながら、
「どこへ行くんですの?」
 と母は芙美子姉さんへ訊ねた。
「簡保の宿へ、これからみんなで行くんですから、お母さん、もうすこし辛抱して下さい。直に着きますからね。着いたらお風呂に入ってからだを休めましょうね」
 母は黙って頷いているようだった。目を閉じてもう半分眠っているのかも知れない。
 宿泊先は焼津港を見渡す高台にあった。夏の海が太陽に燦めき、地平線は遠く霞み、一艘の巨船がゆったりと水平線を移動していた。
 広いガラス窓をのぞいてみると、眼下で波がしらが岩礁に砕け、青い海に白い泡を溢れさせている。
「なかなかの絶景じゃないか。子供に見せてやりたかったな」
 茂三がガラス窓に額を寄せて、いかにも残念だというように言った。
「ほんとうに素敵な眺めね」
 弥生子姉さんが賛同してそう言った。

 部屋の中を、芙美子姉さんの声が、まるで母の声を思わせる湿りけをおびた響をもって聞こえてきた。
「こうやって家族のみなが元気なうちに顔を合わせることなど、これから先ないかも知れなくてよ」
「おふくろが静岡に来るのもこれが最後だと思うな」
 耳が遠くなっている母に、兄の良一の声は聞こえることはない。
 母は座布団を枕に横になって目を閉じている。祖母に似た大きな耳だが、もうほとんど用を為していないのかも知れない。
 祖母のノートによると、母の実父は掛川の邸を手放してから、途端に倹約家になったらしい。それで母の兄の誉伯父さんは、学費を出して貰えずに大学へ行くことができなかったのだ。祖母の「ノート」には、そのことを悔やんだ文章が綿々と綴られていた。
「お兄さんが生きていたら・・・・」
 母も兄の誉伯父さんの夭折がとても口惜しかったのは、祖母と同様だが、兄と妹では自ずと違っていた。
 誉伯父さんには岡田家の血筋が濃くながれていたようだ。詩人でもあった誉伯父さんは独学の勉強家で、独りでいろいろな知識を身につけ、時代をよむ先見性もあり、豊かな感性と明敏な知性の持ち主であったらしい。だがそれらを証明するアルバムと共に戦火に焼かれて消失してしまった。それらは母の誇りと虚栄心を満足させる拠り所であった。母は大層に口惜しかったにちがいなかった。
 また祖母の「ノート」には、誉伯父さんが子供の頃に、物まねをして、近所の人たちを驚かせ喜ばせたエピソードが幾つか記されていた。
それにしてもなぜ祖母のノートが「ざんげろく」と題されているのか、そうした疑問が亮二の胸を横切っていった。祖母は兄の誉伯父さんに何一つしてやれなかった代償に、一人残った弟のニン伯父さんを溺愛し、そのニン伯父さんから祖母はキリスト教徒の懺悔というものについて、学ぶことがあったのだろうかと、亮二はひそかに想像した。

 そのニン伯父さんのせいですべての遺品を失くしたが、その中で唯一残ったものがエミール・ジュグラスの手に落ちた、フランス語に訳された「羽衣」の謡曲本であった。だが、祖母も母もそのようなものがあることさえ知らなかったのである。また知ったとしても何の関心も示すことはなかっただろうと、亮二には思われた。

 朝のホテルの部屋で母は起きがけに夢のなかで誉兄さんに遭ったと、おかしな声でつぶやいた。母の話しでは、それは富士山を仰ぎ見る松林のなかであったそうだ。母は夢をみるとはっきりと覚えていて、それを朝一番に話し出す奇妙な癖があるのだった。
 母の話す夢の中では、誉兄さんはお能の舞台に立ち、しずかな佇まいで仕舞いを舞い終わると、銀白の蝶になって青空へのぼっていったという。
 その母の荒唐無稽な夢の話しを聞きながら、亮二も祖母を夢にみたこと話せずに黙っていた。亮二の夢はあまりに現実的で、母の夢のようなロマネスクなものに欠けていた。
 それは東急目蒲線の不動前駅前のメガネ屋で、亮二が祖母のための新品のメガネを買っているところであった。亮二は祖母になにかの贈物をしたかったのだ。祖母がかけているメガネのツルはあまりに古びて壊れかけていた。祖母が「アンナ・カレリーナ」を読んだその古い眼鏡は、にしめたような黄土色に変色していた。亮二が贈った朱色の新品の眼鏡をかけると、祖母は鏡に自分の顔を映して、ニッコリと満面に笑みを湛えた顔をみせたのだ。
 その笑顔は亮二が幼いときに、祖母の膝に寄りかかっている一枚の写真を連想させた。祖母の座った椅子は午後の太陽に当たり、背後に濃い影を曳いて茫々と背後に広がっているのだった。その影のなかに、杖をつきながら駅のほうへ、腰をまげて歩いていく祖母がみえた。
「お婆さん、どこへ行くの?」
 と訊ねる子供の亮二が、また、そこにもいたのである。

 朝食は部屋の食台をみんなで囲んで摂った。翌日も昨日と同じ真夏の天気になりそうであった。
「今日はみんなで日本平へ行き、そこからロープウエイで、久能山の東照宮へ行く予定です」
 兄の良一がそう言う側から、芙美子姉さんがつけ加えた。
「久能山の東照宮は、徳川家康さまへの参詣のためね、それからお母さんが小学校の遠足に行ったという、三保の松原へ足をのばして、今日中に東京へ帰るのよ」
「そんなにたくさん行って、お母さんは大丈夫なの?」
 弥生子姉さんはなんやら心配そうだ。膠原病という難病を患っている彼女はそのために痩せ細っていた。体力がないのでからだにあまり自信がなかったせいかも知れない。その後数年経って、長女がバイクでトラックと衝突事故で亡くなってしてしまうと、その失意から身体を余計に弱らせた姉は、肺にまで転移した癌の病で長女の後を追うように亡くなった。だからこの家族旅行がほんとうに、家族一同が顔を合わせた最後になってしまったのだった。

さんさんと夏のひかりを浴びた焼津港は、昔の鮪の漁港としてのにぎわいはなかった。あのアメリカの核実験での被爆事故からこの漁港は以前の活気をなくしてしまったようにみえた。あるいはそうした事故の記憶がそのような印象を与えたのかも知れなかった。

 青い駿河湾の海を眺めながら、家族一同は一路車を日本平へ向かって走らせた。
 誉伯父さんと夢で再会した母は、幸福な一晩をぐっすりと眠ったせいもあり元気を取り戻していた。そして誉兄さんがどんなにか秀才であったかを、繰り返して話しだすのだった。厳父から突き放された誉伯父さんは、妹であった母にはやさしい兄であったようだ。その誉兄さんは昼の勤労で疲れて帰宅し、夕食の食卓を前に、そっと箸を卓袱台におくと、胸に手をあててそのまま不帰の人となった。
 母も祖母に似て文学少女の時期があったせいで、話しをするのがとてもうまかった。だが母が話しだすと、誇張や脚色がまじるので、用心が必要なのだ。いつのまにか、事実は母の夢のなかでふくらみ、夢想とけじめがつかなくなることがあるのだ。五人の子供たちはそういう母を知っていた。ともかく、祖母に似てあまり惚けないのを子供たちはよろこんでいたのである。

 母が、六ヶ月も胃癌で入院中の父松三の看病に献身していたことがあった。毎日のように入院中の父の元へ日参し、最後の二ヶ月ほどは病室に簡易ベッドを入れて、母は二十四時間父の面倒を看ていた。逆にこの母を心配した子供たちは、代わり番こに父への介護の手助けをした。
 二度も胃の手術をうけた松三は、最後は胃の全部を取られてしまった。自分の胃は人の二倍も大きいのだと自慢し、そのせいで晩年までよく食べ酒を飲むことができた正三であった。
「おれが酒を飲めなくなったら、もう終わりだな」
 と正三は言って憚らなかった。高血圧やらで多量の薬を飲み、退職後はテレビでの相撲観戦を楽しみながら、現役中と同じように晩酌をつづけていた。
 ある年の正月、亮二が父へ酒をすすめると、父は杯に口にすこし含んだだけで、お猪口いっぱいも飲もうとしなかった。その年の五月に正三は突然に、近くの病院へ入院した。
「親父が入院した。癌でもうだめらしい」
 そう弟の茂三からの電話をうけた亮二は、会社の窓硝子に明るく反射している五月の日光と、窓をとおしてみえた、あまりに明るい青空を忘れることはなかった。
 五人の兄弟姉妹の全員が父の病院へ駆けつけた。
 ベッドの上で胡坐をかいて座りお腹をさすっている正三がいた。まだ医者からの告知をうけていなかった。お腹を手でさすりながら、子供たち全員にみつめられた正三は照れくさそうに微笑して見舞いに来たみんなを見回していたが、もう往時の勢いをそこにみることはなかった。
 夏の終わり頃に一旦回復したようにみえた正三の病状は、そのまま下降線を辿るだけだった。胃を全部切除され、ベッドにチューブだらけの身体を仰向けて、よく晴れた晩夏の空をみつめて、ポロリと言ったことばを亮二は覚えていた。
「ああ、冷えたビールを飲んで、都々逸でも唄いたいよ」
 それは下町育ちの父の遺言のような一言であった。
 次第に正三は口を利かなくなった。もうしゃべる気力も体力もなくしていた。
 入院当初には、抗ガン剤となると伝え聞いたワクチンを弟の茂三がわざわざ貰いに行き、医者に打ってもらったこともあった。そして、一回六時間も八時間もかかる手術を二回もやり、それに堪えた正三のからだは、その後はただ骨と皮だけになってしまった。その年の暮れ、兄の良一と亮二が仮ベッドで見守る夜中、
「からだを起こしてくれ」
 と声を振り絞ってベッドから半身をもたげようとした。
 二人は正三の半身を抱き、ベッドに起こそうとしたが、棒のように硬くなったからだは容易に起こすことはむずかしかった。
 翌日の午前、正三の呼吸は止まった。ベッド上の身体にのしかかり心臓マッサージをしていた医者もしばらくして、ベッドから降りた。
 亮二は帰宅し静養していた母と姉を家から連れてくるために、車を走らせた。病室に母だけを残し、子供たちは廊下に出た。兄の良一がにわかに声を上げた。
 
 日本平は太平洋を見晴らす丘の上にあった。そこから小さなロープウエイが崖下にある久能山東照宮へと繋がっているのである。
 みんなは狭い車から降りて、からだをのばした。夏とはいえ、日陰に入ると、爽やかな風が海から吹いてくた。
「ちょっと、ここでひと休みしましょうか」
 と、芙美子姉さんが言った。正直言ってこれから、ロープウエイに乗って下まで降り、いくら母のご先祖様への礼儀とはいえ、東照宮への参詣は、良一等三人の男達にも大儀であった。ましてからだを病んでいる弥生子姉さんには厳しそうだった。
 こうしたことから、東照宮への参詣を取りやめにすると母へ伝えた。母は未練気もなくこれに同意した。

 あれは父が癌で入院していた頃だった。静岡の浜松にいた祖母の弟にあたる人が亡くなった。母は父の介護中であったが、その葬儀に千葉県から出向いたのだ。介護の疲労の濃い母のために、亮二がつきそうことになった。
 東京駅まえから浜松行きのバスに揺られて、母と二人で浜松に着き、母の伯父さんの家へ行ったときのことだ。亮二はこの人に会ったことがあった。それは龍白寺の檀家であったからにちがいなかった。県の教育委員を務めていた教育者であり、この親戚の多くの人が教職についていた。質素な家の中に入り、一室で会葬者に混じって亮二が手持ちぶたさに一冊の本を取り出し読み始めた。ときおり、その部屋の四方の壁にずっしりと並んだ書籍に目をやると、そこにある書籍は亮二の関心を懐かせる類のものが、あまりに多いことに亮二を驚嘆させたのであった。それはほとんど学者肌の者しか興味を示さない教養書で埋め尽くされていた。
 亮二が驚いたのはそれだけではなかった。本を読み始めた部屋は薄暗いものであったけれど、亮二の背後から明かり灯されたのだった。ふとその明かりに振り返ると、わざわざ電気スタンドを亮二のために用意している年配の婦人と目が合った。
「お暗いでしょうから」
 とその目が亮二に語りかけた。
 そのとき亮二はこうした親切と配慮に、ありがたいと思うだけではなかった。母を介しまた祖母を通じて、自分の中に流れている家族とその縁者の源泉とその血筋が、ここにあったという発見ともいうべき幸福な感情であった。
 家族とは父母兄弟姉妹だけと思われていたものが、その枠の中だけではなく、さらに広く遠い縁がこの世にあるという驚きでもあったのだ。
 死者はその死を通じて、現世の生者とつながっているという、こうした感覚は個体である生の根拠を、深く、遠い先祖へと触手をのばしていくらしかった。そうした認識がリアリティーをもって、亮二をいままで知らない世界へと連れていくように思われた。
 それはちょうど父が明日をも知れぬ病に犯されている最中、母と二人きりのバス旅行の幸福感とも重なり合って、自分の個我が解体され、解放されていくような感覚を亮二にもたらした。
 偶然の逢瀬はただの単なる偶然というものではなく、死は生の単なる終わりというのではなかった。死者は死者として生きている。
 家族の時間はこうした一連の縁の連鎖によって、自分へと流れ、そのなかに自分がいるという感情が亮二の狭い視野と認識へ、新しい領野があることを目覚めさせるものであった。

 家族が東京の五反田に住んでいた頃のことである。官舎の庭の向こうは、氷川神社の参道になり、正月ともなると、その参道が氷川神社へのお参り行く人々の歩く下駄や靴の音で賑わうのだった。
 亮二が小学校のとき、暑い夏が過ぎ秋になると、神社のお祭りがあった。はやくそのお祭りに行きたい亮二は、腹痛を理由に学校を早引きをして、参道にならぶ飴やら金魚すくいの屋台へと、祭り囃子の太鼓や楽の音が響く雑踏へと紛れ込んでいくのだった。焼きイカの小鼻をくすぐる香ばしい匂い、着物姿で化粧をした女の子の白い顔やらの別世界がそこに、普段と違う異世界を出現させるのだった。様々な色合いをしたぼんぼんや風船が空中に彩をなし、紙鉄砲のひとつでも買い、吹き矢のようにそれを飛ばして、屋台から屋台をのぞき歩くことに、亮二は夢中になったことがあった。
 高い階段を上がっていくと、社殿のまえに広場があり、その崖側に木造の舞台が設えてあって、その板の間でお神楽が挙行されていた。その高い舞台の縁に上がって座りこみ、面を被り金糸銀糸の装束を着た者たちによって、おどろおどろしくも演ぜられる舞台ほど、亮二を不思議な力で虜にしたものはなかった。仮面を着けることによって、それはもやはこの世の人間でありながら、この世の者ではなくなっていた。どうしてそんなにお神楽に惹かれていたのか、子供の亮二になぜかとはわからぬながら、その仮面による舞曲の世界に亮二は惹かれずにはおられなかったのである。夜ともなるとお神楽の舞台は、金と銀の装束が電光に反射して、輝かしい舞台空間となるのだった。舞楽の音は遠い夜空から降り注ぎ神々しい響きを齎すものとなった。
 亮二はお祭りでのそのお神楽の舞台を、ときおり思い出しては、あれほどに自分を魅惑したものが、仮面というものにあり、その仮面の魔力が幼いこころを捕らえていたことの不思議さを顧みることがあったのである。
 それで思い出すのは祖母が遺した「ノート」のなかに記された誉伯父さんのことだった。祖母のその「ノート」によれば、誉伯父さんが心臓を患ったのは、子供のころにとても恐い目にあったせいだった。得体の知れない恐ろしいお面を被った者から驚かされた伯父さんが、泣きながら家に走り帰ってきたことがあったというのだ。それ以上の詳しいことは書いてないのでわからない。ともかく、それ以来誉伯父さんの心臓は、二十五歳で胸をおさえて亡くなるまで、子供の頃に出会った恐怖と闘い続けたのにちがいなかった。
 その誉伯父さんが、お能という日本の伝統芸能に出会ったのは、ちょうど二十歳のときだった。
 母のぼんやりした記憶では、「兄さんのお能狂いは、訳のわからないものだった」ようだ。
 そのお能を実際に自分で演じることに興味をもち、ツテを頼ってとうとう伯父さんはある家元に頼みこんで、お能を習いだしたらしい。
「誉の奴がおかしなことをしている」
 と祖父は偉い剣幕で怒って、家のなかで誉伯父さんが、お能の稽古をすることも、その一節を謡うことさえも厳禁したらしかった。だが、父親が禁じれば禁じるほど、伯父さんはそれに反抗して、お能の世界にのめり込んでいった。そのうち、能面を彫ることまでもやりだし、自分が彫った能面を被って、一人鏡の前に座り込んでいたらしい。
 ともかく、誉伯父さんのお能への入れ込みようは、尋常ではなかったと、母はそう言ってことばをのみ込んで涙をうかべた。
 昼は新聞社に勤め、また一方で、詩を書いていた伯父さんの交友範囲はとても広いものだった。二十五歳で夭折した伯父さんが、ガブリエルの孫娘であるエミール・ジュグラスなるパリの舞踏家と親交があったとは思えないが、伯父さんの訳した「羽衣」を読んだエミールは、詩人でもあったイエーツが書いた「鷹の井戸」という日本のお能の影響の色濃い作品にも触発され、天女が羽衣を着て舞いながら、空へ消えていくその、単純で高雅なストーリーに大変に感激したらしいのだった。エミールは奇しくも伯父さんに似て、白血病で自分の余命が幾ばくもないことを知っていた。ガブリエル家は代々、敬虔なカソリックの家柄であった。そして誉伯父さんはニン伯父さんのような信心家にはならなかったけれど、聖書の世界とヨーロッパ文化への深い教養を持っていた。誉伯父さんがどんな詩を書いていたのかも、ニン伯父さんが戦火によって焼失させてしまったせいで、残念ながら知ることはできなかったが・・・・。

 家族一同を乗せた二台のタクシーは、次第に車の左側から目に入る松林沿いに車輪を寄せていった。海はまだ見えなかったが、濃緑色の松林の彼方に、蒼い海と潮騒の響きが感じ取れた。
「お母さん、もうすぐに三保の松原に着きますからね」
 うとうとと寝入る様子でいた母みつは、この芙美子姉さんの声に促されたように、老眼のまなうらを開いた。母の老いたる目に一列に生い茂った松林が迫っていた。すると母の顔から老いの翳が雲が霽れるように消えていき、かわりに子供のような生気が湧き出すかのように思われた。
「見える、見える、三保の松原が見える」
 うつつなのか、まぼろしなのか、母の目にはその姿と風景がたしかに映っているようだった。とっくに失われた遠い過去は、幽明な境を地下水のごとく流れ越して、母の魂に滾りだしているのであろうか。
 車は国道から三保の松原へと左折し、いまようやくその前で車輪をとめた。
 二人の姉に両脇を抱えられ、それが邪魔だとでもいうかのように、母は車を降り立った。
 なだらかに砂浜が登り坂をつくり、大振りの太い松の枝が湾曲しながら、空一面を蔽っている。それは母を呼ぶ自然の手招きのようにみえなくもない。いや、母には、おいでおいでをしている、その松の声が聞こえてさえいたのだろう。
 その声に励まされて、母はまるで泳ぐように、杖をもつ手を空中に振り上げ、砂浜に草履をなげだすように、大樹に茂る松の葉が広がる砂地を上って行くのだった。
 二人の姉の付添がなければ、自分ひとりでもその砂浜ののぼりを駆けあがりかねなかった。そこは母が遙かむかし、小学校の遠足で来たところなのだ。八十年の歳月を超えて、母は童女のように歌いだした。それはむかし覚えた校歌なのであろうか。
「お母さん、その歌は何の歌なの?」
 おどろきあきれた長姉の声はもはや母の耳には届かなかった。あたかも幼い童女のように、母の顔から皺は拭いさられ、朱に染まったようなその顔は喜びにあふれ、その脣から、次から次と歌が流れだすのだった。
 二人の姉はその母の喜びが伝染をしたかのように、母を抱える手をゆるめて、互いに笑い合った。
 浜辺にいる人達は、この母の声に耳を傾け、狂女のように戯れ遊ぶ母に、おどろき訝しんで母と二人の姉を見つめるのである。
 良一等三人の兄弟は、この母の狂態に驚き戸惑い、呆気にとられていた。
 外聞を気にする兄良一にとっては、この光景は見苦しくさえあり、受け入れかねたようだ。これが八十を超えた自分の母であることが信じかねたのである。
 母はやがて小学校唱歌である鉄道唱歌を歌いだした。
「汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり・・・・・・」
 この長い長い歌を母はどうしていままで覚えていたのだろうと、亮二は驚嘆しないではいられなかった。母の唱歌はいつまでもつづいていた。まるで永遠に継がれる女の一生のように・・・・。
 母が行きたがり訪れた赤穂浪士が眠る泉岳寺も、母が家族と共に掛川から引っ越した川崎大師も、そしてここの三保の松原までも、母の歌うこの唱歌にはみな歌い詠みこまれているのであった。これらのすべてが、母が過ごした人生のあるときと繋がっているのだ。母は過去を、そして現在を歌った。母の一生があたかも終わることがないかのように・・・・。
 そうした思いに亮二が浸っているときであった。
 母が歩く松林の中径、揺らめく枝陰のなかに、亮二は一人の男と女の影法師のような人影が動くのを見たのだ。
 その中径は御穂神社へとつづく参道であり、「神の道」とも呼ばれていたところだ。その道を進むと、天女が羽衣をかけた樹齢六百年の老松があるのだった。
 駿河湾から吹き寄せる風が、さわさわと松籟をならし、浜辺に寄せる白波は砂浜に砕け、黒い粒子になった砂はザワザワと鳴りどよめいていた。参道に織り敷いた松林の影は、いよいよ濃く辺りに広がると見る間に、青い駿河の海に燦めいていた夏の陽ざしはいつしか曇り、松林は一帯に闇につつまれていくようではないか。その闇のあちこちに火の粉を散らす篝火が焚かれ、闇そのものがここかしこで燃えているような幻想の風景がひろがった。
 やがて男と女の影法師は、一人は漁夫であり、いま一人は増女の面を被った天女であることが知られた。するとどこからともなく、「ピュー」という空気を引き裂くひしぎの音が聞こえてきた。これこそ能楽の開始の合図であった。二人の後ろ正面には、笛、鼓、大鼓、太鼓の囃子かたが、さらに濃い影となって控え、右かたには地謡数人のすがたが、陰のなかにかすかに沈んで並んでいる。
 笛がなりだし、鼓が打たれると謡いの声がおもむろに聞こえはじめ、ワキの漁夫の前で、シテの憂いをふくんだ増女の面を被った金糸に紅が混じり合った装束に、薄い白妙の衣を肩に纏った者が、ゆっくりと砂の上を、扇子を開いて摺り足で舞いだした。

 ー風早の~。三保の浦囲を漕ぐ船の。浦人さわぐ波路かな~。

ワキの腹からしぼりだす声が、独特な間をおいた節回しで、かすかに低く、聞こえだした。
 繰り返し寄せる波音が、遠く近くに響き、母の歌う唱歌が、その謡いに和するかのように、どこからか亮二の耳に響きはじめた。
「お母さん、あれが天女が衣をかけた松の樹よ」
 と、芙美子姉さんの声が、母の歌う声に合唱して、亮二の耳朶をなぶっていった。
「じゃ、ここで家族そろっての記念の写真を撮ることにしますか」
 兄の良一が皆を太い松の根方に呼び寄せた。
 機械の扱いに馴れた茂三が固定カメラをセットし、一同の被写体に走り寄ると、シャッター音が軽やかに鳴った。
「お母さん、これでいいわよね」
 芙美子姉さんがそう歌うような声で言った。
「ああ、いいわよ。これでいい」
 元気な母の声がこれに和した。 
 亮二はうつつと夢のあわいに佇み、そのどちらに自分がいるのか、あるいは、どちらにもいないともいう、不安をおぼえたが、それは常の不安というわけではなく、むしろ穏やかな安らぎをさえ感じるものだった。

 ーこれは三保の松原に~。白龍と申す漁夫にて候~蔓里の好山に雲忽ちに起り~。一楼の明月に雨始めて晴れり~。げに長閑なるときしもや~。

 後景に控える囃子方の笛と鼓が玄妙な音を奏で、それに大鼓の霊妙な響きが添えられ、漁夫の謡いを妙なる伴奏で陰影のある彩りを加えている。
 そして、ワキの漁夫が語る三保の松原の情景が、いま現にいる場所でありながら、それとは別世界の景色を描き出しているという感覚を、亮二に呼び覚ました。いやむしろ、現に家族がいる場所が夢の中であり、漁夫が謡い語る情景のほうがうつつであるかのような反転した感覚が、亮二を陶然とした異界へ誘うかと思われた。
 それこそ亮二が幼年の頃に、訳も分からないながらお神楽に魅了された、遠い過去に繋がる愉楽の世界でもあったのだ。
「どうしたんだ亮二、からだの調子でもおかしいのか」
 兄の良一が亮二の様子を訝しんで声をかけた。
「いや、なんでもないんだ」
 そう言って、亮二は兄の顔をみた。その兄の顔が大日本報徳社の広間に掲げられていた岡田良一郎の肖像画に似ているように思われてならない。
 母は母でその兄の良一に、誉伯父さんの顔を思い出したように、
「あれよ! 誉兄さんかいの?」
 と、頓狂な声をだして吃驚したような形相を呈した。
 亮二は家族の顔がすべて仮面のように見えた。いや仮面こそ人間の顔ではないかとでもいうように、もはや仮面は仮面ではなかった。それは死顔でありながらも生きた表情を面に湛えて豊かでさえあったのだ。
 不思議にいま仰天した母の顔は、亮二の慕った祖母の顔そっくりに見えるではないか。そして、その祖母の仮面が亮二をニン伯父さんにそっくりだと言うように笑っている。
 いつも脇に聖書やら様々な本を抱えていた、あの変わり者のニン伯父さんがいつの間にか、そこに姿をみせているように思われた。
 亮二は家の階段の下でいつか見たニン伯父さん、青白いネオンを光らせて亮二を見下ろし、ニタリと笑った表情のままにあの異形な姿をしたニン伯父さんを見て、吃驚して後じさった。世事に疎く世間の人から軽んじられていたのに、恬としてそれに気がつくこともない様子で、これはというときには不思議な霊力を発揮する奇妙な人格者であったニン伯父さんを。乞食を見ると給金のあらかたを上げてしまい、父の正三から「バカ野郎だ」と言われていたあのニン伯父さがそこにいた。
 父は一冊の本も読まず、盆暮れの贈り物が部屋いっぱいになるのが嬉しくてならないという俗人であったけれど、五人の子供たちを育てるために、それなりの苦労をして働いてきたのだった。それは大多数の父親たちの生きざまでもあったろう。
「今日もご馳走になってね」
 毎晩のようにへべれけに酔っぱらって、玄関で父が母に言ういつもの科白であった。
「もうお酒臭くてしょうがない」と母がこぼす科白も亮二には聞き飽きるものだった。
 亮二がこの酒好きな父を、不動前駅の前にあった酒屋の店頭でみたことがあった。父はこの酒屋の立ち飲みの一人であった。背後へ振り向いた父の顔が「しまった」という表情をうかべたのを、亮二はみてしまったのだ。
 子供ころの亮二と茂三は、夜遅く帰ってくる父と母の会話を寝床の中でよく耳にした。そして、父が持って帰る葬式饅頭には二人とも眼がなかったものだ。

兄の良一と弟の茂三は、各々に三保の浜辺を歩き、駿河の海が波を打ち寄せる岸辺を歩きはじめていた。
 亮二はその二人を遠目に眺め、三保の海岸が果てようとする遙か遠くの東の空を仰いだ。
 風に吹き払われた夏の青い空に、富士の霊峰が聳えていた。
 むかしこの富士を三人の学友と登ったことがあった。真夏とはいえ、上に行くにしたがい冷気が強い風を伴って肌を刺すような寒さに襲われながら、皆で朝日のご来光をいまかいまかと待ったのである。太陽の光が地平線の彼方を朱に染め、少しずつその全容を見せ始めると、登山者一同の感嘆の声があがった。むかしの人は、朝ごとにこの太陽を拝んで柏手を打ったという。過ぎし日を顧みて、そういう人を亮二は住んでいる下町の路上で見かけたことが、記憶の底に残っていた。多分、妻の文子の父は、そうした日々を生きた人ではなかったかと、亮二は思わずにはいられなかった。文子の父は日本の敗戦後にもソ連での抑留生活を強いられた辛い体験をしてきたのだ。朝、一日が始まり、その一日の命が無事に過ごせることを祈る気持ちが起きたのは自然なことのように、亮二には思われた。

 するとふたたび闇が降りて、辺りが静まりかえった。鼓がうたれ笛の音が聞こえた。地謡がその空洞に声を響かせ、シテの天女が衣を翻して舞いはじめた。
 お能は一節には鎮魂の儀式だとも言われ、また、「羽衣」はハレの結婚式にも舞われる、祝言の演目でもあったのである。

 ー東遊びの数々に~東遊びの数々に~その名も月の宮人は~三互夜中の空にまた~満願真如の影となり~御願国土成就七宝充満の寶降らし~国土にこれを施し給うなる程に~時移って天の羽衣~浦風にたなびきたなびく~三保の松原浮嶋が雲の~愛鷹山や富士の高嶺~かすかになりて天つみそらの~霞にまぎれて~失せにけり~
 
 増女の面のしたにわずかにのぞける頤と首筋は、輝くばかりに白く細く、とても男とは思えず、それも日本の女よりは異国の女人の如くである。白龍の漁夫が、天女が空に舞いつつ消えていくのを陶然として見仰ぐうちに、天女の衣は大きな蝶の羽根に変わり、いつの間にか、夏の真昼の青空を映じて輝くばかりとなり、そのまま天に吸い込まれていくのだった。
 漁夫は童女に似た母の顔となりて、小さな手をかざし空を眺めている。そのすがたは遠足にきた、昔の幼小の母とも想われた。
 いつしか舞曲はやみ、朱に燃えた薪は昼の太陽にまぎれて、家族は思い思いの恰好にて、茫然と佇む母を囲んでいるばかりであった。
 彼方の空に霊峰富士の高嶺は白く照り映え、駿河の海にそのすがたを映じて、海に漂う大きい水母のごとくに見える。
 途絶えていた風が海の方角から吹きはじめたようだ。
 兄と弟が風に吹かれ、白い波を一面に散らした駿河湾の岸辺から戻ってきた。
「どうしたのですか、お母さん、そんな顔で空をみて?」
 母の様子から、心配そうになった芙美子姉さんが訊いた。
「いいえ、すこし目眩がしたぐらい、亡くなった誉兄さんの声も聞こえ、いろいろなものが視えたような気がして・・・・・」
 それ以上は声はかすれ、母は腰を大きな石に降ろし、杖に両手を添えて、なにか憑き物が落ちた様子であった。
「亮二はほんとうに大丈夫なのか」
 兄はまた亮二の様子をみてそう言った。その声が亮二に届いたかどうか、亮二は夢遊病者のように放心した様子だった。
「さすがに、日本の三大風景のひとつだ。実に素晴らしい景色だ!」
 兄はそう喜び叫ぶかのように言いながらも、
「さあ、そろそろ、みんなで帰ることにしますかね。お母さんもやはりすこし疲れたようだし」
 そう言って芙美子姉さんと妹の弥生子に向かって、帰り支度をするよう促した。
「お母さん、鉄道唱歌がすばらしく、よかったわねェー」
芙美子姉さんが、母をねぎらうように、そう言った。
「あんなに長い歌の歌詞を、お母さんはよく覚えていたのね」
 と妹の弥生子がそれに応じた。
 二人の娘に褒められた母は、急に元気づいたように立ち上がった。
 茂三がその母の脇を支えながら、
「海のほうまで、お母さんの声が聞こえたからね」
「そうかい」
 と母はやはり嬉しそうに、皺だらけの満面に笑みをうかべた。

 家族一同が一塊になって、また松林の中をそぞろ歩きだした。よく見ると、行きに歩いてきた浜辺には、そこかしこに屋台が店を並べていた。
 茂三が一団の先頭を歩き、
「この店ですこし休んでいかないかな」
 と、葦簀を張って風除けをしている一軒の店を指さしている。
「氷」と太文字で書いた色鮮やかな旗を掲げた店へ、みんなはぞろぞろと入っていく。簡素な木のテーブルと椅子があった。そのひとつに家族一同が座わり、各自がそれぞれ思い思いの一品を注文した。
 駿河の海は夏の光りを反射させ眩しいほどで、砂浜にはうっすらと陽炎がたち、風が砂を葦簀に吹きよせる音が聞こえている。
 亮二はどこかで、いまと同じ時間を過ごしたような、そんな一日があったような気がした。
 澄ませば耳朶の奥に、羽衣の舞曲がまだ聞こえるようだ。

ー風早の~。三保の浦囲を漕ぐ船の。浦人さわぐ波路かな~。

 一同が再び腰をあげ、はじめに来た砂浜の坂を下りようとしていたときだ。
 亮二はその丘のうえに、こんもりとした茂みの向こう側から、自分を呼ぶような声を聴いたように思った。
 一人そこへ足をむけのぼっていくと、石碑のようなものが見えた。
 近づくと、「羽衣の顕彰碑」と鉄板に大文字が記され、亮二は小文字で書かれたその由来を読んいった。
 それは「エレーヌ・ジュグラス」というフランス人舞踊家を顕彰するために、夫のマルセル氏によって建てられたものとのことで、おおよそつぎのようなことが刻まれていた。
エレーヌ・ジュグラスは、独学で日本の伝統的な能「羽衣」を学び、自分の手作りの装束をまとい、パリのギメ美術館で初公演を果たした。その後、「羽衣」は好評を得てフランス各地で公演されたとの由である。
 彼女は、遠い国、日本の三保の松原という「羽衣」の舞台になった土地を憧憬しながら、日本へ来ることもなく、遂に白血病のため、三十五歳の若さでこの世を去ってしまったのだ。
 彼女の遺志を果たすため、夫のマルセル氏が三保の地を訪れ、この地に「羽衣の碑」を建て、ここにエレーヌの遺髪と爪が埋められたと記されていた。

 車の中で待っていた家族に追いつき、母へこの話しを亮二がはじめると、母の老い疲れた顔にみるみると、生気が甦るようであった。とくに「エレーヌ」というフランス人の女性の名前を、母は幾度も反芻しているようであった。そのうち、からだを弱くしていた兄の誉伯父さんが時々口にしていた名前が、「エレーヌ」という発音であったことを、おぼろ気ながらハッキリと母は思い出したようであった。
「亮ちゃん、若くして亡くなった兄が時折外国の女性から来た手紙をとても大事にしていたことを、いま思いだしたのよ。妹のあたしがそのことに触れようとしても、兄はそれが大切な秘密のように、あたしの口を指でふさぐと、無言の微笑を兄はうかべあたしの顔を、自分がつくったお能の面で蔽い隠し、そのままなにひとつ話してくれようとはしなかった。でも女のあたしには、兄が秘密にしようとすればするほど、その女性が兄には宝物のような人だと思われた・・・・。あんな兄を見たことがなかった・・・・エミール、エミールと兄が寝言を言っているのを、亮ちゃんがいま発音してくれたことから、とつぜんに思い出すことができた・・・・・」
 母は過去からの遠い記憶をひきだすかのように、たどたどしい口ぶりで、ようやくこう語ると、感極まって泣いているようだった。が歳のせいでか、母の目からは一滴の涙も流れることはなかった。
母の兄への思慕は、父への反発や、突然の兄の夭折もてつだって、母自身にも理解できないほどに、大きなものになっていたのにちがいなかった。
 だがと亮二は母の話しを素直に受けとることはできなかった。誉伯父さんが手紙が交友していた相手はガブリエル・マルセルであり、エレーヌ・ジュグラスはマルセルの孫娘である。誉伯父さんはエレーヌの生まれた以前に、二十五歳で夭折してもうこの世の人ではなくなっている。普通に考えても不思議な話しだった。お互いに知りようがない二人、しかも相当な年齢を隔てている男と女が、たとえ手紙といえども知り合う時が隔たっているのではないか・・・・。
 祖母の懺悔ふうの「ノート」には、母が洩らした秘密事に一言半句も触れた部分はなかった。母の話したことがほんとうなら、そのことが亮二には不思議でならなかった。
「アンナ・カレニーナ」を読み、その夭折にあんなに嘆き、後悔を書き綴った祖母が、長男の息子の恋愛感情に無関心でいられたことが納得できなかった。しかし、いや、むしろ一言も書いていなかったそのことこそが、逆に祖母の関心のあり方を示すものではないのかと、亮二にはそんなふうにも想像されたのだ。文学少女であった祖母にとって、詩人でもあった誉伯父さんの恋愛は特別なもので「ノート」なんかに記されてはならないものではなかったのか。
 とにもかくにも、家に帰ったらもう一度あの「ノート」を読み直してやろうと亮二はそう心に刻んだ。

 車の窓から見える夏の空は既に暮れかかっていた。駿河湾はわずかな光りを残して、もうすぐ闇に浸されていくことだろう。最晩年の母の一生のように、そして、亮二を含めた家族一同の一人ひとりの上に、老いの翳が忍び寄ってくることは誰にも避けることはできないのであった。

 家に帰り、亮二は妻の文子とパソコンに打ちこんだ祖母が書いた「ノート」を、再度読み直してみたが、祖母はただ母親として自分の息子にしてやれなかったことを、ただ単純に悔やみ、自分の不甲斐なさを責めているだけであった。
 亮二はこうした詮索が段々と厭になっていく自分を感じはじめた。母の記憶をそのまま受けとっておけばそれでいいのではないか。それはそれで母の過去の兄への思い入れであり、懐古の自然の情愛でもあったろう。
 それ以上でもそれ以下でもない、歳をとった母のそれが真実の感情なのだと。
 死んだ誉伯父さんはエレーヌと魂の交信をしていたのかも知れない。或いは、ニン伯父さんは兄の誉伯父さんの代理の使命を果たしていたのかも知れなかった。生涯結婚もせずに、キリスト教徒として世界中を旅していたニン伯父さんなら、亮二が想像する以上のことをやってのけていたかもしれないではないか。こうした荒唐無稽なくらいの空想が、亮二を喜ばした。いやあのニン伯父さんなら、兄の誉伯父さんの代わりに、エレーヌを援助するためにどんな協力も惜しまなかったにちがいない。母が庭に埋めた先祖たちのアルバムを、わざわざ甕から引き出したニン伯父さんには、それなりの理由があったとしてもおかしくはないだろう。

 亮二はあの三保の松原での一種、不思議な体験を思い出した。あのとき、自分は時空を超越したこの世の中の精神の交流現象を、経験したのではなかったのか。そもそもお能の筋立てそのものが、この世の時間と空間を越えて成立しているではないのか・・・・。
ニン伯父さんが亡くなりその霊が、亮二の傍らに立ち「ニタリ」と笑ったのは亮二の賢しらのこころ、その現代的な狭隘な偏見を、嗤いにきたのではなかったのか・・・・・。

 「羽衣」の謡曲本を書棚から探し出し、ワキの漁夫とシテの天女の二人が、羽衣を国の宝と為して返す気はないと漁夫が言えば、いや、返してほしい、そうしてくれるならば、その羽衣を着て、一曲の舞曲をお見せしましょうと、謡い合う最後のクライマックスに亮二は目をとめてみた。
 簡単に読み飛ばすところに、亮二はこの「羽衣」の鍵になる詞章に出逢って、息を呑むような驚きを覚えた。そして、天上と地上とで互いに隔て合い、相互に応酬し合う場面をこそ、とくと声を出して詠んでみると、そこにこれを書いた作者のモチーフが美しい詞章として結晶していることに、驚嘆さえしたのであった。

 ーいやいや衣を返しなば。舞曲を為さでその儘に。天にやあがり候ふべき。
  と言う漁夫に対し、天女はつぎのごとく謡っているではないか。
 ーいや疑ひは人間にあり。天に偽りなき物を。
   
ここにこそ、「羽衣」の単純無垢にして、天真なころろが脈打っている詞章であった。
 エレーヌが「羽衣」を舞踏家として舞い踊りたいと思ったのも、まさに、このところにあったのにちがいないと、亮二は恥ずかしさに顔を赧らめた。
 
 ここに、この世の「賢しら」を真っ向から否定し、地上に生きる人間の虚偽、欺瞞の業というものがない、天上の美しく穢れのないこころを信じ給えと訴える、天女の不思議な霊力に逆らうことができなくなった漁夫は、遂に、その「羽衣」を返さざるを得なくなる次第を、たった数行の調べに載せて、羽衣を着したままに空に消えていく天女のすがたを謡って終わるのである。実に天女の喜びのままに、舞い流れるような急調子が、つぎの詞章まで一気に続いていくのだ。

 ー浦風にたなびきたなびく。三保の松原浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて天つみそらの。霞にまぎれて。失せにけり~

 これはまさしく、詩人でもあった誉伯父さんと白血病で余命いくばくもない舞踏家のエレーヌが、時間と空間を超えて、交流した成果でなくて、いったい何であろうかと、亮二は思った。
いやそればかりか、母が歌う鉄道唱歌に和するかのように、この世に生きたすべての人間たち、祖母やら夭折した誉伯父さん、そして数奇な人生を生きたニン伯父さん、また老いたる母を連れて三保の松原へ足を運んだ家族一同とその祖先の霊を鎮魂し、また儚い一生を生きるすべての人たちを、そのままに嘉する祝言の謡いでもあったのではなかろうかと、亮二はそのように思われてならなかったのである。

 エレーヌ・ジュグラスのお能「羽衣」への愛と功績を称え、その石碑は天女が羽衣をかけた老松の側にいまも見ることができる。
毎年の十月に、夜の駿河の海を背景に「羽衣」は薪能として挙行され、この顕彰祭が三保の松原で行われているとのことである。

 石碑には、夫のマルセルによって、つぎのように書かれていた。

ー三保の浦、波渡る風語るなり、パリにて羽衣に命捧げしわが妻のこと。風きけば、わが日々の過ぎ去りゆくも心安けしー
                                                                                                                     
          (了)






小説「花のねむり」ー原題「無花果」

 我が輩がこの家に来て三年が経った。この家の主人は椅子の背に凭れ、眩しい冬の陽ざしを浴びている。隅田川の水面をカモメが飛んでいく。高空では鵜と烏が競うかのように羽ばたいている。主人は珍しくパイプを吹かしその景色を眺めていた。
 階下から細君が、洗濯ものを抱えて上がってきた。
「クラノスケはどこへ行ったのでしょう。姿が見えないんです。知りません?」
 主人はなにも答えない。耳が遠くなったせいか、細君の声が聞こえていないのかもしれない。それとも朝一番でみた株価の動向に気を取られているのか、それは我が輩には分らない。
 主人の視界は細君のひろげた洗濯ものでふさがれてしまった。主人は不満気に椅子から立ち上がる。視力を失いかけている片目の瞼の上に、陽光に燦めいた川面から眩しいほどの光が当たっていた。

「今日は何曜日だろう」
「新聞を見ればいいじゃないですか」
「目がわるくてなってから新聞を読むのが億劫になってね」 
「上のほうに大きな字で出ています。土曜日です」
「じゃ明日はもう日曜になるのか。一週間はアッという間に過ぎてしまうのだね」
「一年だって・・・」
 細君は口まで出かかったがそれを呑み込んだ。
「するとクラが来てからもうすぐ三年になるのか」
主人はそう言って、我が輩の姿をさがした。
「そうですよ。クラノスケは三歳になるんです」
細君も主人と同じように辺りを見回した。
 我が輩はこの家の主人と細君から、ときおり姿をくらますことがあった。人からペットとして飼われながらその視界から姿をくらます我が輩たち獣のあり方について、誰も不思議と思ったことがならしい。

「あら、またキッチンの上に乗っているわ。そこはダメだってなんど言ったらわかるのかしら。クラ! 降りなさい」
仕方なく、我が輩は床に飛び降りた。
「まだクラは子供なのだ。探検が大好きな年頃なのさ」
「そうやって甘やかすから、自分の蒲団にオシッコをされるんですよ」
「いやもうしないだろう。クラはもうすぐオスではなくなるんだからね」
「でも分りゃしませんよ。オスの本能はなかなか消えないみたいですからね。この障子紙だってこんなにしてしまったのです」
たしかに張り替えたばかりの床の間の障子紙は我が輩が破ったらしいが、我が輩の頭はじつに簡単にできていた。いま眼に映るものだけがすべてであった。我が輩たちは可愛いけだものにすぎないのだ。

 一昨年の小雪まじりの雨が降る冬の日。車に乗せられダンボールの穴から外を窺っていると、車はまっすぐ西へ進み、墨田川に架かる橋を渡るとまだ古い家並みが残る柳橋の路地へ入った。その家は路地の奥にあった。瓦葺きの旧家の二階屋でその背後に石垣が見えた。そのまた後に無粋な鉄筋の壁が立ちはだかっている。
「あれはもう隅田川の堤防じゃないですか」
 驚いたように運転手がそういう声が聞こえた。
 家は敷地いっぱいに建てられた木造の二階屋である。以前は柳橋の芸子が出入りしていた置屋だったらしい。
 そういえば昔風の面影があった。わずかに並べた石畳の先に玄関がある。重い古風な格子戸を開けると、二畳ほどの広い土間の三和土があり、一枚板の上がり框の正面に古びた襖が並んでいた。旧い家屋特有の臭いが我が輩の鼻に匂った。
左隣は藤川流とかの日本舞踊の五階建てのビルとなっていた。右手は十階ほどのオフィスビルで、この槇野家の木造の建物はその間に挟まれていた。
 まだ生れて二ヶ月しか経っていない我が輩をペットショップから買いこんだのはこの家の主人である。
我が輩はひどく跳ねっ返りの仔猫であったが、主人の腕に抱かれると、我が輩はさっそく主人を見つめた。
「まあ、可愛らしい」
若い女の店員がそういうと、主人は我が輩を強く抱きしめ、ダンボールに入れられこの家に連れて来られたのだ。
 
 その日は主人の母親の命日であり、母親の弟が鬼籍に入ったのが偶然にも同じ日だった。この叔父さんは「変わり者」として槇野家で特別な語り草になっていた。
 いつも聖書を小脇に抱え、考え事をしながらブツブツ独り言をつぶやき、叔父さんは急に笑いだすのだ。大学を七年も通い牧師になりたいと言って家の者を驚かせたらしい。子供の頃、主人は弟と兄弟でこの叔父を忍叔父さんと秘かに呼んでいた。食事前にムニャムニャと何事かを言い、胸で十字を切る仕草が子供には忍者使いのように思われたからだ。この叔父さんの家に夏休みになると主人は弟と泊まりに行き、近くの森でカブトムシなどの昆虫採集をして遊んだ。兄弟姉妹の中でいちばん早くに亡くなった姉から主人が近くの小学校で自転車を習ったのもこの叔父さんの処だった。だが叔父さんはこの家の主人の母親を追うように亡くなった。偶然に二人の命日に家にきた我が輩を、主人が冗談まじりに「オジサン」と呼んだのはどうしたことであろう。細君はこの主人の冗談を一蹴すると、丁度その日が忠臣蔵の浪士討ち入りの日であったことから、それに因んで「内蔵助」という仰々しい名前をつけたのだ。気を紛らわしたいという妙な理由で細君の反対を押し切り、我が輩をペットショップから買いこんだ主人が我が輩を「オジサン」と呼んだのは、我が輩にオジサンを思い出させる兆しでも見たのであろうか。主人が「オジサン」に特別な思い入れがあるらしかったが、嫁にきた細君には主人の縁戚になんの関心もなかった。
 かくいう我が輩は、白地に黒縞の柄模様の、小洒落た毛皮を着たアメリカン・ショートの雄猫である。
 細君が「クラちゃん」と呼ぶのは自分が名づけた「クラノスケ」があまりに長いからだ。

 先日のことであった。夕食中、我が輩は部屋を駆けずり回り、食卓の上に「エイ!」とばかりに跳び乗った。
「あら! 御味御汁の中にクラが足を入れちゃったわ!」
「食卓の上なんかクラノスケには見えないんだから仕方がない」
 鷹揚にこう言ったのは主人の方で、台所へ駆け込み布巾を手に、こぼれた味噌汁を拭いたのは細君である。この細君は働き者で機転がよく利くのである。
「食卓のうえなんかに乗らないように躾てくれないと困ります!」
 普段はおっとりと構えている細君が、珍しく厳しい口調でそう言った。
細君に叱られた我が輩は少々驚いた。大きな目を見開いて細君の顔をみつめた。我が輩を見かねた主人が両手で胸に抱き寄せてくれたが、その居心地の悪さに我が輩はすぐに逃げ出した。

 家に来てから三ヶ月ほどが経つ頃、我が輩にもこの家の事情がわかりだした。
 主人の名前は孝太郎、細君は花という。二人の娘がいたがそれぞれの相性に合った男を見つけるとアッという間に下町の家から飛び立っていった。家にいるのはこの老けこみだした夫婦の二人だけである。近所に息子がいるがあまり顔をみせたことがない。背がひょろりと高く、なにを考えているかわからない茫洋とした雰囲気があった。まだ独り者のこの息子にもメス猫が二匹いる。二匹とも日本産の野良であった。おとなしそうなこの日本の仔猫は小さなからだで、遠慮ぶかげな声で鳴くらしい。この猫たちに我が輩はまだ会ったことがない。二匹とも真っ白い毛なみで、陽が射すと銀色に光り、月夜には雪のような白衣に蔽われるとのことだ。彼女等は既に避妊の手術が済んでいたが、我が輩はまだその任ではないらしい。
主人は十年ほどまえに役所を退職した。ほとんど外に出ないで三階の天窓のある部屋に隠っている。今風にいえばこもりびとというらしいが、この主人はこんな生活を昔からずっとやってきたのだ。頭の真ん中が見事に禿げているが、正月に来た孫がそれを飛行場の滑走路みたいだと囃してから、長い顎髭を生やし始めた。どうやら他人の視線を顔の下へ誘導する魂胆であるらしい。この部屋には隙のないほど書物があったが、この主人がそれらの書物を読んだとはとても思われない。
 
 食べることと寝ることが我が輩の生活といってよかった。まだ仔猫であることから、悪戯がやめられない。
 孝太郎の書斎兼寝室が当初、主人と我が輩が過ごした場所なのである。聞くところによると、この家の主人は当初郊外にいた姉の邸の庭つきの一軒家に独り仮寓していた。そこへ花が同居した。もちろん新妻としてのことだ。毎日の通勤以外の日ともなれば、朝食が終わると主人はテレビを見ることもなく、昼時以外は書斎に入り夕方まで出て来ない。新妻の花が身ごもりお産が近づくと東京の下町の実家ちかくにある産院に入った。それ以降、郊外のその家に花が戻ることはなかった。人家の混んだ都心の下町で生れ育った花は郊外の孝太郎の家で、生れてはじめてお風呂場の壁に大きなナメクジをみた。庭の草原を這う蛇、戸外にある風呂を焚く竈の下に潜む大きな蝦蟇カエルに悲鳴をあげた。秋には木の葉が屋根に落ちる音がさわさわと聞こえる。背後の竹林が風に吹かれてザアーと鳴る音がする。花は都心を離れた郊外で暮らしたことがなかった。都会育ちの花は自然をまるで知らずに育ったのである。
 孝太郎にとっては東京の下町は初めて暮らすところであった。両国から橋ひとつ隅田川を渡れば、往時であれば人気の花街の柳橋は隅田川の河畔にあってそれなりの賑わいがあった。川岸から船を上がれば吉原の遊興の里がひかえ、両国界隈は日本橋と地続きのいわば江戸の庶民生活の中心といえる土地柄である。花が娘のときは綺麗に着飾った藝者に憧れたこともあり、お琴や踊りの手習いをしたこともあったらしい。それが昭和三十年代になると客足が遠のいた。川端の店はどこも相次いで店を畳んでしまったのである。軒を並べた藝者の置屋もなくなり、いまはそうではないが隅田の流れからは鼻をつく異臭が漂っていた。その頃から柳橋は花街の面影をなくしていったのだ。
孝太郎は東京の下町の変貌ぶりをしらなかった。静岡の田舎者からすれば柳橋にはそれでもまだ江戸の残り香がちらほらとうかがえた。それで花の初産に釣られ、下町への好奇心も手伝って柳橋に居ついてしまった。下町育ちの花といえば一年ほど過した郊外の家に戻る気はもうまるでないのであった。
下町に引っ越してからも孝太郎は自分の書斎だけを、三階の物干し場を改造して大工に造作させた。学者でもないのに自分の書斎用の部屋がないと落ち着かない達らしかった。結婚の当初から霞ヶ関の官庁街から帰宅すると、主人が言うところの「自分の仕事」は止むことなく続き、現在まで飽きずにつづいているというわけだ。

 先日、主人のパソコンなるものに触ってみた。我が輩の目は小さな物が動くのによく反応してしまうのだ。度が過ぎるとさすがの主人も我が輩に手をあげた。待っていましたとばかりその手を引っ掻き思い切り噛んでやる。これがまた我が輩には面白くてやめられない。
「おまえは仔猫にしては利口者らしい。そして人間をとてもよく観察しているようだね」
歳をとってきている主人は、目も耳も悪いらしく自分の思うに任せないのが口惜しいのである。細君に話しかけても応答がほとんどない。互いに耳が遠くなって、言葉がすぐに口から出てこないので意思の疎通がうまく行かない。会話が逆しゃくするのを嫌がって、細君は主人との会話を避けているらしい。そのため主人はひとり言のように我が輩に話しかけてくるのだ。我が輩ももちろん主人の言うことが解らない。だが長いこと人間に寄り添って生きてきたけものである。主人の顔つきからその気持ちを察することには長ずるものがあった。というより、我が輩たち猫族には時により古代エジプト人が神にも崇拝した摩訶不思議な霊力が降りてくることがあったのだ。そんな時には、主人のこころの中がまるでガラスの金魚鉢を泳ぐ金魚のようによく見えるのである。それでそっと主人に近寄り、手の甲を舐めてやることにしている。そこに我が輩が犯した悪戯のキズアトが生々しく残っていた。
「クラノスケはどうして人の手足に飛びついて噛むようなことをするのだろうかね」
夫婦は同じ月に生まれていた。息子から二人の誕生日祝いにと贈られたタブレットの端末を覗いている細君へ、主人がひとり言のように尋ねた。細君の花はそれに応じる気配はまるでない。というのはつい先刻、タブレットにかざしていた手を我が輩に齧られそうになり機嫌を損ねていたのである。細君の眼は横目で我が輩を睨んでいる。しかし、海外で暮らしている娘から孫の動画が送られてきたせいか急に機嫌を取り戻した。
「バカンスに家族で日本に来たいと言ってきたのですよ」
 花は孫に会える喜びを抑え難く、隣にいる孝太郎へ珍しくそう答えた。孫のフランソワはもうすぐ四歳になる。我が輩はまだ会ったことはないが、人間の子供が正直なところ好きではない。子供の悪戯は特に我が輩へ思いも寄らない苦痛をもたらすからだ。尻尾を平気で踏みつける。「ニャン!」という叫び声を上げようものなら、子供に対する獣の攻撃と誤解して思わぬお仕置きをされるのだ。それで子供を見ると我等の同輩はすぐに逃げることにしている。子供は我等を追いかけ回して、動き回る長い尻尾を掴みたくて仕方ない悪童まで現れるから油断ができない。孝太郎がひそかに案じているのがまさにそのことであった。
 来日するフランソワがどんな悪戯づきの幼児か想像ができないのだ。夫婦が孫を見たのはまだ生れて間近な頃であった。その後、孫がどのように育っているかは送られてくる動画でしか知らないのである。
細君が眼を細めて眺めていた動画は、フランソワがどんなにやんちゃであるかを想像するに十分なものであった。我が輩はその動画を目ざとく視界に収めた。右のズボンのポケットには大きなライフル銃がはみ出し、お腹に巻き付けた帯には玩具の刀が二本も差し込んであった。それでも満足がいかないらしく、もっと武器をよこせとせがんで泣き喚いている。想像しただけで身震いがした。我が輩が反撃しようものなら、この家の夫婦とその娘の怒りの焔に油を注ぐだけであろう。

 先夜、我が輩が書斎の本を齧ってしまってから孝太郎の我が輩への態度が急変した。数日前には、主人の部屋で愉楽の一夜を過ごし、我が輩と主人との蜜月の日々が再来した喜びに浸ったのも束の間、幸福のひとときは夢のように消えてしまった。主人の枕の傍らに身を横たえ、老いているとはいえまだしんなりと柔らかい主人の指を舌で舐め、思いあまって噛んでしまった夜は戻ってこない。それというのも、ついつい我が輩が失禁して主人の蒲団を汚してしまったからである。
「クラノスケや、まことに残念なことではあるが、もうおまえと一緒に床を共にすることはできなくなった」
 我が輩は主人のその残念そうなつぶやきに、どんなに悲しい思いをしたことだろう。
 我が輩の臭いは主人の部屋に籠ってなかなか消えようとはしなかったからである。
「まあ、なんて厭な臭いなのかしら!」
 我が輩いじょうに鼻の効く細君は、いつもは主人の部屋を覗いたこともなかったのに、その翌日だけはカンが働いたのか、一歩足を部屋へ入れるなり大声を上げてそう叫んだ。そのときの主人のうろたえた顔の表情を、我が輩はいまでも忘れることが出来ない。
部屋の隅に蹲って我が輩は、人間のオスとメスが演ずるすべてを見たような気がした。
「掃除と洗濯はぜんぶあたしがやることになるのです。クラノスケを高いお金で買ってきたのは、あなたのお勝手ですがもうこれ以上の面倒見はゴメンです! あれほど生き物は厭だと言っていたのですからね。気をまぎらす必要があるなんて、意味のわからない理屈で猫なんて部屋に連れ込んだのはあなたなのですから、さいごまで好きなクラノスケの面倒を見てやってください。あたしはやることが山ほどあるんです」
たしかに細君が主人に渡す一ヶ月毎の予定は毎日のように様々な用事で埋められていた。町内会の役員会や行事、お年寄りの体操教室、友達との食事会、お習字の稽古、フォークダンスの練習などが、隙も無く予定表を埋めていた。
 細君は自分が居なくても、主人が昼と夜の食事ができるように準備万端に怠りがなく家を空けるのだ。孝太郎はキッチンから細君の用意してくれた食事を食卓に運べばいいだけだ。
 主人はこの細君の憤懣の長口舌を黙って聞いていた。細君は高血圧の気があった。倒れられるとの心配からか興奮気味の気持ちを宥めるかのように、淡々とした口調で孝太郎はつぎのように言った。

「たしかにクラノスケはペットショップで一目見ても跳ねっ返りの仔猫であった。小さなオリでアイツが一番元気そうだったからね。早くこの金網から外へ出たいと飛び跳ねていたよ。オリから出して抱かしてくれたあいつがおとなしく腕に抱かれている様子はとてもこころが和む気がしたものだ。こいつは一見跳ねっ返りにみえるが、じつはとても寂しがり屋の仔猫にちがいないとね。だんだん大きくなるにつれてぼくやおまえを理解してくれる一人前の立派な猫になるにちがいないのだ。まだいまは人間でいえば、ほんの五、六歳の子供にすぎないので、おまえにはいろいろと面倒だろうが、それまで大目にみてやってくれないかな。ぼくたちの孫のフランソワと同じ年頃なのだからね」
細君は可愛い孫と我が輩を同列に扱った孝太郎の話しぶりに言葉にならない苛立ちを覚えた。それで孝太郎には聞こえないほどの舌打ちをすると、そっぽを向きながらも我が輩をじっと見つめなおしたのである。
そこには母が子をみる優しさと一抹の猜疑心が同居していることを我が輩は一瞥で感じ取った。そして主人の気まぐれの愛情よりも、細君の優しさに惹かれるものを感じたのだ。
 長年、孝太郎は自分中心の生き方で家族のことを顧みようともしない生活をしてきた。それを黙って赦してきたのは細君である。細君の家計の切り盛りには秀でるものがあった。細君は主人が一人部屋で行っている「仕事」と称するものが何であるのか関心も興味もなかった。ただ一度だけ主人が朝から役所にも行かず、蒲団に寝転んだまま開いた本で顔を蔽ってジッとしている様子を目にした細君が、洗濯物を干しに主人の寝ている部屋をいかにも不満気に入りこんで、ずかずかと歩いたことがあった。すると孝太郎の虫のいどころが悪かったのか、「ウルサイゾ!」と大声で一喝されたのだ。細君はこれに黙っているわけにはいかなかった。憤然として、寝ている主人の上に飛びのり、興奮のあまり噎び泣きながら、主人の首を両手で締めつけた。すると孝太郎は抵抗もせずにこう言ったのだ。
「ああ、もっとやってくれ、ぼくはおまえにそうして首を絞められてあの世へ行けるものなら本望なのだからね」
 これで細君は正気に戻った。孝太郎はふと口からでた言葉があまりに気障ったらしいのに呆れたが、そこに細君への本心からの気持が吐露されていることに気づかされた。のしかかる花の身体の重みと首を絞める花の腕の力、そうした直截な愛憎こそ、孝太郎が内心にもとめているものであった。その時、細君の花は、日頃自分が耐えてきたものがなんであるのかをぼんやりと感じたが、孝太郎が捨て鉢で自棄になっている理由がどこからやってきたものか、それを想像することができなかった。こうして偶発的に接近したふたつの肉体はそのまま離ればなれに、異なる圏域を為してひとつの家に同居する暮らしが続いてきたらしいのだ。
 翌朝の新聞に孝太郎の職場で起きた事件が報じられた。それは公金の不正な流用があったとの大きな記事であった。金額は巨額とのことである。だが主人がその事件とどんな関わりがあったかは不明なままであった。全容がまだはっきりとしたわけではない。地検の捜査員が大勢やってきて一時職場は騒然となった。主人はこの事件について一言も触れようとしなかった。帰宅時刻は不定期になり、職場は相当にごたごたした日々が続いたという。細君は役所で主人がしていることにまるで関心をもったことがなかった。役人がどのような仕事をしているか想像しようとしたこともない。主人の孝太郎がどんな気持で役所にも行かずに、部屋の蒲団に横たわり顔を本で蔽って何を思っていたのか、花には想像も及ばないことであった。
 それ以来、細君の孝太郎への態度が変ったらしい。いまでは主人が自身の「仕事」に励む余り、我が輩への食事の世話を忘れるときには、細君は空っぽのお皿にちゃんと餌を補給してくれる気遣いをしてくれるようになった。次第しだいに、我が輩は細君の細やかな愛情に惹かれるものを感じだした。それに細君は時折、我が輩がその膝に足をかけると胸に抱き寄せてくれたのである。
 この時のなんともいえない温かい安心を我が輩が、ひたすら求めだしたのは仔猫であることから無理からぬことではないだろうか。
「おっ、クラノスケ、またそんなことをされてうっとりとご満悦の様子だなあ」
こんな嫌味な主人の声が聞こえたが、我が輩はそれを無視した。事実我が輩は花の胸に抱かれて、小さな鼾をかくほど安らかな眠りを貪ったことはない。花は我が輩の頸下をそっと撫でてくれるのだ。我が輩が前足をまるく曲げて、人間の赤ん坊にそっくりな仕草で、眼をつぶっている姿は、母親の胸で安楽な時を過ごす生まれたての赤子の様子となんの変わりもない。そばに寄ってきた孝太郎が我が輩のうっとりしたその貌をまじまじとのぞきこんでいる。そこには主人の羨望がモヤモヤと燻っているのを、我が輩は半分目を閉じながらも感じないはずはなかったのである。
「おい、クラノスケや。おまえはなんという可愛がられようなのだろうか。それでは動物というより、もう人間の赤ん坊そっくりではないか」
 細君はなにやら不可解な微笑を浮かべて、我が輩を抱くのをやめようとはしない。それでもようやく腕が疲れたとみえ、我が輩は座敷に放り出された。
「おい、こんどはぼくが抱いてやろうかな」
今まで極楽にいたかのような微睡みから覚めやらぬ我が輩は、ヌッと伸ばされてきた主人の腕になんの誘惑も感じなかった。それどころか嫌悪をうかべた両眼を主人へ注いでやったのだ。その思わず見せた冷たい両目が主人に与えた小さな衝撃は、つぎのような主人の嘆きとなって我が輩の耳朶をなぶった。
「クラノスケや、おまえがそんな現金なやつだとは知らなかった。おまえの餌を買いに行き、糞尿の片付けをして、トイレの砂を新しいものに替え、掃除しているのは一体誰だと思うのだね」
 いつもの孝太郎にしては、そのことばにはこれまでにない棘があった。我が輩は仔猫であったがそれなりの誇りはあるのである。そこいらに徘徊するこの町の野良たちとは違うのだ。純然たるアメリカン・ショートという血統書つきなのである。我が輩は主人の足に飛びつきざまズボンに爪を立ててやった。

 空に浮かぶ雲の動きよりも早く、季節の移ろいは足早に過ぎていった。   
 そろそろ暑い夏の日差しがこの街の上に降り注ぐ時節となりはじめていた。隅田川の川面に反射した陽ざしが熱い空気をこの家に運んでくる。そうした折りに、玄関の石の三和土の上で寝そべるのは、なんともいい心地であった。わずかに吹き抜ける涼風がからだを撫でていくその時間こそ、我が輩たちの一日の愉楽であった。三和土はひんやりとして、そこにからだを沈めて舌で丁寧に舐めまわして毛繕いをする。そして時折、網戸越しに路地を行き交う人や自転車を遠目に眺めることはむかしから変わらない我が輩たちの喜びのひとときなのである。その平穏で優雅でさえある時間こそがわれら猫族のなにものにも代え難い生活であった。
 玄関の網戸がなければ外へでてこれまで嗅いだことのない新しい臭いに触れる自由が我が物となるだろう。だがそこには大型の車が遠慮もなく発する騒音により我等の神経を苛む場所でもあった。しかし、路の隅に流れる暗渠から洩れる様々な異臭、隣近所の家の前を飾る鉢植えの植物が咲かせる花々から、この町に立ち上る変ることのない日々の暮らしと香しい自然の息吹を感じることができた。それらが渾然一体となり我が輩たちの精気を甦らせてくれる。すると身内に宿る野生の感覚が呼び起こされて、もっとこの世界の近くへ、もっと広い世界を飛び回りたいという衝動が生れてくるのであった。
そんなことから、現にこの家の玄関から逃げだすことがあった。孝太郎や細君が慌てて我が輩を追いかけて捕まえられるまで、それはほんのわずかの間だが、その短い時間が我が輩には無上の悦びに感じられた。もう誰の家のペットでもない自由をそのほんの一時だけ味わいもした。そうしたいばかりに、孝太郎や花の一瞬の隙を狙うのである。

窓の障子は白々と、夜明けが近づいている。そろそろ細君が目覚める頃であった。
 我が輩は主人の扉の前から、階段を駆け下りた。細君が部屋の襖を開けて朝の支度に出てくるのだ。その隙間をぬって、我が輩が細君の部屋へ飛び込もうとしたが、その隙間を細君は太い脚で塞いでいる。つぎにダンボールで襖の下を蔽い、我が輩に爪をかけられないように防御策を講じてしまった。そのダンボールに我が輩が気を取られている間に、細君は部屋の外への脱出に成功するのだ。この細君がいるかぎり細君の部屋に侵入することはほぼ不可能に近かった。だが一度だけそれに成功したことがある。      
 我が輩の悪戯を甘くみていた頃、部屋じゅうを鼻で嗅いでの探索が終わると、仏壇に我が輩は跳び乗った。その行状に驚いた細君は、突如、なにやら奇声を発して我が輩の首根っこを掴まえた。しかし、俊敏な我が輩の果敢な行動は、すでに凄惨な様相をみせて細君を驚かせた。
「ああ、おまえはなんてことをするのです!」
 細君の悲鳴は近隣に響きわたった。奥の位牌は薙ぎ倒され、線香立ては転がり、燈明台は仏壇から畳の上へ投げ出されていた。この惨状に目を剥いた細君は、その後、我が輩が部屋に入ることを厳禁としたのだ。
 その時の細君の声と形相の凄まじさには我が輩は尻尾を巻いて退散した。
以来、我が輩が細君の部屋に近づくことはなかった。しかし、孝太郎の部屋だけは特別であった。ペットショップからダンボールに入れられ、最初に連れて来られたのが主人の部屋であった。居られたのは月日にしては短いものであったが、主人と過ごした愉しい日々を我が輩は忘れたことはない。あの臭い付けをして思いあまって失禁してから、我が輩が独りで寝るゲージは、細君の部屋のある二階の廊下の奥へ追いやられてしまった。そこに障子が嵌まった出窓があり、幾つかの植木鉢が並んでいた。多少そこだけは広い廊下となっているのを幸い、主人が退職まえから始めた武道の稽古場に利用していたのであった。広いといっても、木刀を振るほどのスペースではない。せいぜい手刀で型稽古のまねをする程度である。細君の話では、以前に一度木刀を使った際、出窓の障子を叩いてしまい、その拍子に植木鉢まで割って近所の顰蹙を買ったことがあった。それから細君の強い叱責から、木刀を家の中でみることはなくなった。
 主人は机からほとんど離れたことはない。書物の虫だと細君の花は主人を見限っている。働き者の細君は主人のしていることになんの関心もなかった。少ない年金の将来を心配しているので、主人にはほんの僅かな小遣いを渡すだけである。細君の花からすれば、孝太郎の生活の中心は「夢」の中にあり、孝太郎は「夢の人」なのである。長い間の本の読み過ぎで片目がつぶれかかっている。孝太郎の机の上にはいまでは、大小とりどりの拡大鏡が並んでいるのだった。
 それなのに退職前から続けている武道を孝太郎は止めようとしなかった。週に一度は元の職場にある道場へ出かけていた。道場では真剣の刀を使っているようだ。目もそうだが歳を重ねるに従い、動作は以前ほどの切れが失われているのにやめようとしない。命を危険にさらす闘争と冒険への潜在的な本能は、人間の生の意識を活性化するのであろうか、我が輩には解らない世界だ。稽古には相応な出費が欠かせないが、孝太郎はいつから始めたのか証券会社とネットでの株の売買を行い、すくない小遣いの穴埋めをするていどの利益は得ているらしいのである。いや孝太郎はそれどころか少ない退職金の半分ほどの損失をしているのに、それを細君には内緒にしているとも思われた。
 午前の九時になると、パソコンを開くのは博打にも等しい株取引のためであった。我が輩はそのパソコンの画面に点滅する光に、本能的に反応しないではいられない。主人の机に跳び乗り、身を乗り出しちょっかいを出す。一度キーボードの上を歩いてしまった。途端に主人の手が我が輩の首根っこを掴まえ、身体は宙に浮かんではげしく床に落下した。
床の間にあるテレビのお天気予報はよくみていたものだ。棒の先につけられた黒い玉が気象予報士の手の先に動くと、テレビの台に乗り、画面を移動するその玉から眼が離れず、ちょいちょいと手が画面の上を追い回すが、これについては、めずらしく孝太郎と花が一緒に声を立てて笑った。我が輩は老夫婦ふたりの淋しい生活に一抹のぬくもりをもたらすことに貢献することができたようだ。

 ある日の午後のこと、自宅の電話が鳴った。
 花が受話器をとり耳にあてると、
「孝太郎さんのお宅でしょうか?」とかぼそい虫が鳴くような女の声がした。
「どちら様でしょうか?」と花は思わず問い返した。
「孝太郎さんは・・・・」女はまたそう言いかけたが、やがて、プツリと電話は切られた。
 花はしばらくその受話器を手にしたまま、遠くへ目を注いでいた。それはボンヤリと空をみているようにも、我が輩にはなんとも奇妙な様子に思われた。その時、孝太郎は近所の医者へ行って留守であった。孝太郎が帰宅したあとも、花が電話の一件を主人へ話すことはなかった。できればないことにして、夫婦の平穏な生活が乱されたくないとの深謀遠慮が花に働いたようだ。なにかあれば主人の生活にそれなりの変化があるにちがいないと花は推理して、電話のことは腹に治めておくことにしたのである。テレビの推理ドラマが好きな花はそれから孝太郎の日常をひそかに観察するようになったが、主人にはこれという変わったところはなかった。しかし、花は孝太郎のまだ若いころに、しばしば深夜にかかってきた電話の一件が遠い記憶の隅から甦るのを覚えた。一時、花はその女の電話の声に悩まされていたが、特別に孝太郎の私生活が乱れることがないと判断されると、それ以上の詮索は打ち切ってしまった。そして歳月とともに花の頭からその奇妙な電話の声は拭い去られていたのであった。

 成長につれ運動量が増えたためか、我が輩の食欲は旺盛になった。ペットの餌代はこの家の家計には負担でない訳はない。その調達は主人の仕事なのである。自転車で我が輩の便をまぶす砂は意外に重たかった。それを三袋も買って前の荷台に乗せたせいで、ハンドルをとられ主人の自転車は車道へ乗りだした。そこに軽自動車が来たがブレーキを止める暇なく孝太郎の自転車をなぎ倒した。孝太郎は横倒しに路上に倒れて右手を骨折した。ギブスがとれても右手はお箸を持つこともできなかった。夏の暑熱のなかを孝太郎は五ヶ月もリハビリに通った。しかし主人が刀を握ることはできそうにはならなかった。だが孝太郎は自宅前の駐車場で、木刀を使って居合の稽古をやめようとはしなったのである。
 家の階段を上がるにも手摺を捕まっていたが、家の中でも杖を手放せなくなった。我が輩は主人が階段を上がると、その脇を駆け上るのは、主人の部屋の扉が開かれ、中へ入れることができるからである。しかしそうした我が輩の敏捷な身体に足を捕られてよろめく主人は、やはり見るに忍びがたいものがあった。我が輩の成長とは逆に、この家の主人の老化は進む一方なのである。扉の前で尻尾を振って待っている我が輩を見ると、すっかり老け込んだ主人も我が輩と暮らした日々が忘れられないらしかった。蒲団にはまだ我が輩の臭いが染みついていた。そこへ跳び乗ると、堪らずに我が輩は主人の目を盗んで失禁をしてしまう。主人の深い溜息が部屋中に響き、その後を細君の憤慨やるかたもないはげしい喚き声がフーガのように続くのであった。
「もう何度、クラノスケを部屋へ入れないと聞いたことかしら!」
 細君の険しい繰言を聞く主人の痛恨が我が輩の胸を痛めた。細君の嘆きにもそれなりのわけがあることを我が輩も認めないわけにはいかなかった。

 数日後のことであった。我が輩が運び籠に入ると突如ジッパーが締められた。そのまま自転車に乗せられ、ペット専門の病院へ連れて行かれた。半日眠らされていたが、ようやく家に帰ることができた。なにをされたのか我が輩は知らない。ただ主人が我が輩を見る目に憐憫の色が浮かんでいるのを我が輩はみた。
「クラノスケや。おまえはなんと憐れな動物になったのだろうか。それをおまえ自身が知ってはいないのだ」
 孝太郎は大層な溜息とともに慨嘆した。そして、餌入れからスプーンに山盛りの餌を器に盛ってくれたが、食欲はなかった。なんだか気だるい。身体の芯から力がぬけたようだった。それから我が輩は太りだし、見るみるうちに大きな身体に成長した。今まで寝ていた座布団では足りず、大きな座布団で寝た。主に細君の座布団を選んだ。そこは主人のよりも不思議に寝心地がいいように思われたからである。
 花の我が輩への接しかたにはこれまでないやさしさとぬくもりを覚えた。細君の胸では、恥ずかしながら鼾をかいて爆睡してしまうのである。薄目をあけると、横で主人が我が輩と細君を見る眸に、やはり嫉妬の靄がかかっている。そして、こんな主人の一言が聞こえた。
「玉なしクラや。もうおまえの猫としての生活にどんな未来があるというのだろう」
 それを聞いた細君は、まるで主人に反論するかのように低い声で応じた。
「オスとかメスとか、男だとか女だとか。これからの世の中にどんな社会的な意味があるというのでしょうか」
 そして細君は我が輩を胸に抱き、頭と頸下をやさしく撫でてくれた。我が輩は細君の腕の中で、グッスリと心地よい獣の眠りに落ちた。その安逸は我が輩にも覚えのない「母」の乳房から乳を飲んだ一時の記憶を甦らせたのかもしれない。
こうして孝太郎夫婦の家に初めて訪れてからの我が輩の生活に、さらに半年という月日が流れ去った。

 我が輩は孝太郎と花の人生の黄昏時に、まるで水嵩が減る川のせせらぎが細くなり涸れていくように、夫婦の間に薄氷がはりだすところ、多少の潤いと少しばかりの刺激、その橋渡しの役となったのかもしれない。

 炎熱の夏がやってきた。連日の猛暑はこの街から人の影をぬぐい去ったようである。
 いよいよフランスから家族が来る日となった。もうすぐ四歳になるというフランソワは初めのうちは物珍しそうにおとなしくしていたが、この家に馴れはじめると、まず我が輩へ多大な興味を示した。そして案の定我が輩の頭へ手を伸ばした。始めが肝心と我が輩はその手に噛みついてやった。突然火がついたように泣き出した。それを見てすぐに細君が我が輩を叱りとばし、続いてフランソワのまだ若い母が憤激してこんなことを言った。
「この家ではどうやら猫への躾けができていないようね」
 これはこの家の主人の孝太郎への鋭い叱責を意味した。フランソワは母親の膝の上から恐ろしそうに我が輩を盗み見ている。主人は痛い処を衝かれたかのように我が輩を睨み、
「クラノスケ、手を噛んではいけないと言ったのにもう忘れたのかな!」
 そう言いながら、我が輩を抱き寄せようとしたが、その主人の手をも我が輩は噛んでしまった。つくづく我が輩が獣であることを、このときほど恥じたことはない。我が輩は実はこの孝太郎のフランスの孫を秘かに好意を抱いていたからである。
 
 狭い家の中はなんとも言い様のない騒がしさで、我が輩は落ち着ける場所を探し、階段を駆け上がり、三階の物干し台に退散することにした。そこからこの街の一帯が見渡すことができた。墨田区の対岸にまで広がったなだらかな川面が夏の強い日光にぼんやりと火照っている。すると偶然にもその無粋な堤防の上でジッと大きな腰をおろして、当家に鋭い視線を注いでいる巨体の黒猫がいるのに気がついた。我が輩は手摺越しに野良の黒猫の動静をジッと窺った。黒は周囲へちらちらと注意深い眼を動かしながら、我が輩の姿を探している様子にみえた。我が輩は野良猫と接した経験がまるでなかった。いかにも歴戦の勇者の風格を漂わせている野良が恐くもあった。だがその野良と鼻をすりあわせてもみたい、複雑な心持に揺れていた。その時、別の野良の雌猫が視界に入ったらしく、太い足で黒猫は駆け去った。その身ごなしにはその巨躯からは想像できない敏捷さをみせた黒は我が輩を驚かせた。ふっと息が抜け、緊張がいっぺんに抜けた。耳を澄ますと階下から、フランソワの泣き声が聞こえた。
数日後、長女の家族の訪問があった。フランソワの喜びはひとしおで、八歳になった従兄弟の姉の身体を抱きしめて離れようとはしない。姉のほうも弟ができた嬉しさからフランソワとすぐに遊に興じた。それに今年中学に入ったばかりの兄が混じり合って、狭い家の中は火事場のような様相を呈した。我が輩は隅でジッとしているか、キッチンへ逃げ床に寝ているふりをしていたが気を抜くことができなかった。
我が輩は柔らかい蒲団の上で居眠りをするか、自分の舌で全身の毛を舐めて毛繕いをする時間がこよない楽しみであった。だがそうした場所も余裕もないありさまにほとほと困った。
 
 フランソワはとても我が輩の悪戯どころの話しではなかった。主人の机にパソコンを見つけると、それでゲームができると思ったのだ。触りたいと泣き喚いたがそれができないと、今度は孝太郎が大事にしていた京都の老舗から孝太郎が買い寄せた扇子を取り出し、力いっぱいにそれを開いた。扇子は二度と使い物にならなくなった。我が輩などの出る幕はなかったのだ。孝太郎の身体によじ登り両足をかけて肩に乗った。孝太郎の静止にもかかわらず、パリで小さなエスカルゴと呼ばれていたフランソワは涎を垂らしながら、つぎにペロペロと孝太郎の腕やら頸を舐めまわした。ために日本の孫から滑走路と呼ばれた禿頭はフランソワが垂らす涎でベトベトの有様となった。それが終わると、今度は肩に両足を乗せた。その強引な肩車から、主人の頭に両腕を回し左右に動き回った。主人の頸のあたりにギクギクと痛みが走った。あまつさえ孝太郎の禿頭を平手で叩いて喜んだ。その狼藉を見かねて、娘とその旦那が叱ると余計にその悪戯に興じる有り様であった。
 やがてフランソワを含め三人の孫たちの遊戯は最高潮に達した。狭い家での三人トリオのかくれんぼ遊びが繰り広げられたからである。フランソワが風呂場の浴槽の蓋の上に乗った途端、たっぷりと水をはった浴槽に落ちた。多量の水を飲み浴槽の中で溺れそうになったのだ。フランスのパパが驚いて息子を逆さにして水を吐かせて、ようやく騒動は収まったかにみえたが、従兄弟同士の狂騒はなおも激しく家中を振動させて止むことがなかった。
 
 子供達の悪戯騒ぎに気を取られている最中のこと。我が輩は玄関の引き戸の隙間から家の外へ飛び出した。幸い主人も花も久しぶりに再会した孫と娘夫婦のもてなしで我が輩の脱走は視野の外であった。
我が輩はすぐにこの街に櫛比する家々の植木鉢の蔭やら駐車場に並んだ車の下をかいくぐった。家と家との隙間を警戒心と好奇心が半々の興奮状態での逃走に成功した。なんと雑多な家々がひしめいている街であったろう。昔は柳河岸と呼ばれたその界隈は新橋と競う花街であったところだ。最初は怖々であったが進むにつれてそわそわとした興奮で我が輩は上の空となった。処狭しに並んだ家と家の間には無数の獣道が縦横に走っている。その迷路のような細道をあちらこちらと侵入して行くにつれ、我が輩の中になんとも愉快で自由な感覚が湧くのを感じた。野良たちが毎日味わっているのがこの暮らしぶりなのであった。そう思うと我が輩はこれまでのペット生活に二度と戻りたくなかった。我が輩の鼻はこれまで接したことのない物の臭いと香りに大いに刺激をうけた。次第に昂揚する酩酊感がこれに随伴した。これこそが野生の世界であるという感覚が我が輩の身体を満たしたのだ。
 我が輩は好ましい臭いに導かれるまま、身体は敏捷に運動を開始した。すると誰ひとり住んでいない空き家の裏から聞いたことのない唸り声に気付いて振り向いた。大きな黒猫が我が輩を睨みつけていた。三階の物干し台から見たことのある野良のボスの黒猫に違いなかった。我が輩の身体は一瞬固まりその場に竦んで動かなくなった。まるでボス猫の視線に射すくめられ鼠のようだ。その黒い巨体が我が輩への距離を縮めて徐々に移動してくるではないか。泥んこのように濁った眼が我が輩の全身を舐めるかのように睨み据えて眼前に構えている。その口が大きく開かれ、赤い舌と鋭い牙のような歯を見せた。なにやら獰猛なる威嚇がのし掛かり圧迫した。敵意と好奇心が混ざり合った一声がその獰悪な赤い口から噴出した。その声が我が輩の心臓を痛撃したのであった。うすい膜が破けこれまで体験したことのない世界が殺到してくるのを感じた。我が輩の中に烈しい恐怖とそれとは真逆の共鳴が湧いてくるようであった。我が輩の中にも、小さな声でそれに応答するものがあった。すると黒猫は素早く距離を縮めてきた。我が輩の鼻に自分の鼻を押しつけ臭いを嗅いだのである。とたんに黒猫の薄汚い顔が我が輩の顔になすりつけられ、同じ動作が尻へまわった。それが猫の世界の挨拶であることを知ったのは、巨体が去った後のことであった。この衝撃的な体験が我が輩にごく自然の行動であると理解するには多くの時間を要した。そこには同じ獣、同じ猫同士のざらざらとした共感があった。それから一時間ほど、町中の家々の軒下や乗り捨てられた自転車の蔭やらをほっつき歩いていた。やがて強い渇きと空腹が襲ってきた。どこを見回しても我が輩に餌をくれる人間、孝太郎や花のような親切な人間はいないのである。そう思えば思うほど、飢渇は強烈に我が輩に襲ってくるような気がした。ある家の床下に鼠らしき影が走るのを見たが、もうそいつを追いかける気力も体力も湧いてくることはなかった。ひんやりとした軒下で、我が輩は身を横たえることがやっとという体たらくのありさま。我が輩にできることは、汚れた身体を舌で舐めることぐらいであった。だが好まざる別の客人がむこうからやってきた。
 犬という動物である。そいつは家の網戸からこれまで幾度か見たことはあった。その存在はいつも我が輩の神経を逆なでにした。なぜだか分らない。彼奴等も同じペット仲間で、我が輩がいたショップでは同じ場所にいた仲間であった。我が輩たちとは異なるスタイルを持って大股でのし歩いていた。その声は蕪雑で荒々しいものがあった。まず我が輩にはこの粗暴さに気が動転した。同じ四つ足動物であったが、我が輩たちのように、この人間世界から一歩退いた距離感を持てないその厚かましさに腹が立った。
その浅ましい一匹の犬ころが、我が輩に気付いたらしかった。最初は「ウウー」と唸り声をあげたかと思うと、「ウウーワン・ワン」と大声で吠え出したのだ。体つきが一様にゴッツいのが彼等の特徴であった。そのデカイ顔を陽気そうにふりまき、そこいらを徘徊することをやめない。ご主人には低姿勢を見せて寄り添い、群れをなして路上を闊歩して、まるでこの世の春を謳歌しているがごときその態度が許しがたいのである。優雅とほど遠いガサツな物腰が嫌悪を催させたのだ。
 其奴が疲れて横たわっている我が輩をその居場所から追い払おうと、大声で吠えだした。仕方なく我が輩も戦闘体勢をとった。腰を屈め爪を剥き出しにして、奴らの鼻づらを引っ掻いてやる我等の猫科の独特なポーズであった。いわゆる猫パンチというやつである。
そうして対峙して暫時の後、どこからか我が輩を呼ぶ懐かしい主人の声が聞こえた。つぎにやさしい細君の声がした。そして我が輩は老夫婦が暮す懐かしい家に帰ることができたのだ。それ以降、不要不急な外出を控えることにしたのは言うまでもなかった。
 
 それから暫くして、夏の終わりを告げる雷雨がやってきた。屋根の震わす雷の轟音が我が輩の全神経をいちどきに戦慄させた。がその後に雨が飛沫をあげて地面に降り注ぐとすぐにやんだ。するとどこからか吹きすぎる涼風が我が輩を喜ばした。同時に近隣の軒下に吊ってある風鈴の鳴る音がしげく聞こえた。
「どこの家の風鈴なのかね」
 と孝太郎がのんびりとした声で花へ尋ねた。
「なんだか裏の角っこの家の風鈴らしいけど、前のマンションの壁にその音が跳ね返ってくるらしいわ」
「フーリンの音か・・・・」と孝太郎が細君のことばに妙な抑揚をつけて繰り返した。と、その顔に遠い昔の一時の思い出がかすめて翳ると、花の横顔へ注ぐ眼差しに不審な影が走るのを、我が輩が見逃すことはなかった。
 その老夫婦の会話は、玄関の三和土に寝そべり、爽やかな夏の風に吹かれていたときの気分を呼び醒ましたが、全身の毛がそばたつような厭な余韻を残した。
 物干し台にある主人が買ってきた竹の風鈴とは比べようがない高貴な音を、それはあたりに降り注いでいた。竹のほうは大地から湧き出し、この世の人間の暮らしに自然に溶けていくやわらかい響きがあった。がそのとき、戸外から聞こえた風鈴にはその涼しげな音のなかに、スーっとこの現世を抜け出し、さらにその高みへと人の心を誘う一筋の渇仰、なにかしら甘味で美しい渇望を忍ばせているようであった。それは我が輩に主人が椅子に寄りかかり、部屋の隅に置かれた機器にへんぺいな黒い円盤を乗せて、うっとりと聞きほれていた主人の様子を思い出させた。布を張った二つの木箱から流れる音響には、主人を恍惚の世界へ誘い眩惑する力があるのであろうか。獸の我が輩には理解できない世界だが、そのとき我が輩がこの家を脱走したときの悲惨でもあった冒険のひととき、我が輩が感じた体験の底に潜んでいた微かな魅惑をすっかりと忘れていたのはどうしたことであろうか。だが孝太郎はその響きから、独り郊外に住んでいた頃、よく耳にした音楽を連想していた。それは突然、バイオリンの弦の高い音を鳴らせて始まった。それは書棚が並んだ納戸から八畳の和室の部屋をぬけ、草が生い茂る庭へと流れていくのだった。そのレコードの音楽を聞きつけ、この母屋から庭へきて顔をだした孝太郎の姉さんが、ハッキリとした大声で発音した。
「メンデルスゾーンのイタリア」であった。この姉さんは音楽が大好きであった。
 その庭の隅には朽ちかけた裏木戸があった。赤茶けた塗料が剥げかかった木戸の外へ出ると、貧相な木造平屋のアパートが一棟、ポツリと建っていたことを、孝太郎は思いだした。
 ある夜、そのアパートで住居人の一人が縊死したことがあった。そこで孝太郎の美しい連想は止まってしまったようである。

 この家にきてから三年と少しばかりの月日が経った。宵闇に小雪が舞う寒い冬の時刻も遅い頃合い、玄関に靴音がしたのをいち早く我が輩は気がついた。二人もじっと耳をこらしている。
 めずらしく近所にいる息子の健太郎がゲージに二匹の猫を連れてやってきたのだ。
「ちょっと猫どうしの顔あわせをさせてみようと思ってね」
 いくら近所にいると思っても、老夫婦にはこの息子のことがいつもこころの片隅にあった。姉たち二人は結婚して子供もいるのに、この息子だけは独身のままの生活をつづけていたようだ。
 三十の年齢も過ぎていたが、いつまでも独り者でいることに、花も孝太郎も気をもんでいた。だが二人はそれを口に出すことをしなかった。どんな意思があるのか朦朧として掴みようがない。大学へ進学をする気もなかったようだ。親しい仲間とバンドを作り数枚のCDをだしたこともあった。むかしのレコードが数箱、部屋の隅に積み上がったダンボールに詰まっていた。バイトを転々として、なにを思い考えているのか皆目見当がつかない。特に、父親の孝太郎には理解できない世界にいる息子を、ただ手を拱いてみているほかはなかった。花の話しだと二匹の猫はつき合っていた女友だちが連れてきたとのことである。がそれ以上の詳しい事情は孝太郎の耳には入ってこない。
 孝太郎と花は久しぶりの息子の顔をみて、自然に顔をほころばせていた。
「もうクラノスケの誕生日は過ぎてしまったけど、今日はクリスマス・イブだからね。これは友だちが作った貰い物のケーキだ」
 我が輩は見慣れない白い箱から漂う匂いをいち早く嗅いだ。息子はそう言いながらゲージの中にいる白い二匹の猫の様子を窺っている。二匹のメスは互いにゲージの中で身体をもつれ合わせて落ち着きがない。我が輩はゲージの中から、ジッと我が輩を見つめる猫二匹の気配にただならぬものを感じた。
 猫は家につくといわれているが、この家は我が輩の棲家なのである。そこへたとえこの家の息子が飼い主だとはいえ、上がり込まれては我が輩の領分は侵害されたも同然である。甚だ我が輩の面目が立たない。全身の毛をそばだて、我が輩は突然現れた猫への威嚇を露わにした。
「クラノスケ、なにをそんなに怒っているのかしら? おまえの姉さん達がお土産をもって来てくれたのですよ」
 細君の花は我が輩の立場をまるで分ろうとはしていない。息子を前に、これまでの我が輩への愛情にみちた温もりをすっかり忘れてしまったようだ。主人の孝太郎はどうだろうか。細君同様に主人もめずらしい息子の来訪に内心の動揺を隠しきれないようで、我が輩の挙動に手をこまねいているばかりである。
 細君の花と孝太郎が同時に口を開いた。
「ともかく家の中へあがったらどうだい」
健太郎はバイト先からの帰り途中であったらしい。どんなバイトをしているのか、身なりは普通のサラリーマンと比較にならない。口のききようも物腰も肉体労働をする者特有のものがあった。花はそれほどでもなかったが、孝太郎は息子の放つ、ある種の放埒ともいえるなり振りから漂う空気に、馴染むことができないようだ。主人は息子が中学へ入り高校へ通い出す頃から、息子と話す機会をほとんど失っていた。どうして進学する意欲が湧かないのであろうか、それが噸と理解できないのであった。たしかに孝太郎とて大学に通い出した頃には荒廃した大学には落ち着く居場所がなかった。失望のあまり正規の授業をサボタージュして、まるで社会に役に立たないどころか、それから背を向けるような本ばかりを読んで息をついでいた時期もあった。その辛い青年期の嵐の季節をのりきり、どうにか辛うじてこの社会に仲間入りをしたといってよかったのだ。
 だがあれから四十年も経ったいま息子が生きるこの時代が息子に何を感じさせているのか、孝太郎は考えることもなかった。息子が何に反発し反抗しているのか、その正体が想像できなかったのだ。
 健太郎は億劫そうに、玄関ちかい居間に身体をいれた。我が輩は主人のこころのなかで、訝しく細い亀裂が走る音を聞いた。
 息子がやおら口を開いた。
「今日は話しておきたいことがあるんだ」
健太郎の声が太く、孝太郎の胸を刺すように響いた。主人の声に似ているがちと違うものがあった。どちらかというと下町育ちの花に似て、祭日となれば大神輿を担いでいなせな男達の群れに紛れ込みそうな風体を伺わせる臭いがその声の荒い響きに隠っているようであった。
「前から考えていたことだけど、おれはこの日本を出て、海外で暮らしていきたいんだ」
細君の花と孝太郎は思わず、顔を見合わせた。
「海外って? いったい何処なのさ・・・」
 花は孝太郎が黙っているので、思わず口に出してはみたが、孝太郎の横顔をちらりと見ないではいられなかった。孝太郎は母親の花のように、子供のときから親子の情において、深い絆を息子の健太郎と持ってきたわけではない。孝太郎もその父との関係が疎遠であったが、それを二代に亘って踏襲してきてしまったらしいのだ。それで息子の方も孝太郎とあまり口をきいたことがない。だが父と子の血の繋がりはあるので、自分の若い頃に照らし息子が何を考えているのかの大方の見当はつけられたが、自分の若い頃と時代がまるで違っていることが不透明な壁となって立ちはだかった。以前から孝太郎は三十を過ぎた息子が、身を固めるわけでもなく近所にいることに漠然とした不安を感じないわけではなかった。かといって息子が遠くへ行ってしまうのも心配の種であった。だがそうしたことを花と話題にしたことがない。腫れ物に触るような按配であった。母親の花は息子の世話を孝太郎の見えないところでしていることは、我が輩も薄々知らないではなかった。母親と息子とは異質な関係が孝太郎の中でわだかまりをつくっている様子がみえた。
「カナダのモントリオールという所におれの友だちがいるんだ。取り敢えずそこへ行って、いろいろとその後のことは考えたいと思ってね」
そう言いながら、まだ世間で本格的に揉まれた経験もない、ましてや日本ではない外国の生活がどんな難しいものかも知らない健太郎を待っている苦労が想像された。荒くれた態度の裏に、隠しようもない若い健太郎がもつ柔な眼差しが我が輩へと注がれていた。
 そのむかし、孝太郎も日本を飛び出し、海外での生活に憧れを懐いていたことがあった。が、それは実現することはなかった。花との結婚がそうした夢を消し去り、その代償のように二人の娘と一人の息子をこの世に贈られたのであった。
「今からだって遅くはないだろう。おまえの人生なんだからおまえの好きにするのが一番だよ。お父さんたちは遠くから見守るしかないのだ・・・・」
 孝太郎はそれだけ言うと後は何も話すことがないかのような素振りであった。
「この猫二匹のことは俺たちが面倒をみることで問題はないだろう・・・」
 そう言った孝太郎は、余計なことを言ったと後悔する気配をみせたが、もう遅いことだった。自分の息子の大事な人生問題に介入することもできず、これといって明確な援助の手を伸ばすこともできない。二匹の猫の世話へ目を逸らしているような後ろめたさを感じてもいたのに相違なかった。
 我が輩は孝太郎の軽薄な妄言を耳にして、腹が煮えくりかえる思いがした。我が輩の口から息子が連れてきた二匹の闖入者への、シューシューという威嚇の声は、ゲージの中でこちらの様子を窺う日本の猫二匹を竦ませているようにみえた。飼い主の手を離れたペットの運命がどんな薄幸な道をたどるか我が輩もしかと知っているわけではないが想像はついた。だがそこには我が輩の将来との関係に影響がでてくる問題が横たわっていた。
 重い口を開くように孝太郎が息子の健太郎の顔を見ずに言った。
「おまえは日本を出たいというけど、そんなに海外へ行きたいのは何故なのかね」
 健太郎は父のその質問になにかうざったさを感じたかのような表情をみせた。それからまるで身もだえをするかのような返答があった。
「どうもうまく言えないけど、なにか息がつまってしょうがないんだ・・・・」
 その一言に孝太郎は胸を衝かれたような気がした。なにか熱いものが身体から湧き上がってくるようだった。 
 めずらしく孝太郎がその一言に食い下がった。
「なにが息苦しいんだろうかね・・・」
孝太郎の老体にも響くこの息子の一言が健太郎の顔をゆがませ、一瞬目の奥からギラリとした光が閃めいた。
「とにかくおれはこの日本を出たいんだ。もうそれは決めたことなんだよ」
我が輩は絞り出すような息子の気持がわかるような気がした。それは獣にある野生の本能と同じものではないだろうか。主人は株取引から入る現在の世界情勢のきわどさがこれからの世界にぼんやりとした不安の影を落とすのを感じていた。日本もその荒波に翻弄されることを案じていたが、世界のどこへ行こうが同じにちがいなかった。地球という天体は汚れ荒廃する一方であるように、孝太郎には思われてならなかった。
 我が輩は細君の花が息子を心配するのと同様に、ペットとしての環境変化が危惧されていたに過ぎなかった。
 花はゲージの中にいる二匹のメス猫を見守り、我が輩の動きに目を転じた。
「クラノスケ、おとなしくするのですよ。これからはこの姉さん二人と仲良くしないと、ほんとうに怒りますからね」
 我が輩は細君に惹かれるものを感じていた。だから花の命令に服さざるを得ないのである。
花は息子からのクリスマスのケーキをテーブルに置いた。孝太郎はその花の挙動に、娘や息子たちの遙かむかしの誕生祝いの日の姿を重ねて見ていた。三人の子供たちのバースデイケーキのローソクに孝太郎が火をともし、家族全員で歌を唄ったむかしの楽しい日々を思い出していた。そして暑い夏の夕暮から開催される隅田川の花火大会が思い起こされた。
 川べりの三階の物干し台から、隅田川の夜空に、次々と開いては消えていく、赤や青や黄色の大輪の花火が腹に響く爆発音で娘たちを怖がらせはしたが、遠いむかしの懐かしい一夜であった。柳橋の川べりぎりぎりにあった槙野家の家は無粋な堤防に視野を遮られはしたが、三階の物干し台に上がれば、そこから隅田川一帯の景色は一望されたのだ。夜の闇にキラキラと光をちらせ川面に屋形船が幾艘も浮んで華やかな彩りを灯していた。
二匹のメス猫はゲージから出ても、健太郎の傍から離れようとしなかった。白い毛並みが部屋の明かりをうけて銀色に光り、我が輩は不思議なものをみるように、その猫二匹から眼を離すことができなかったのである。
 すると我が輩同様に銀色に光った二匹の猫へ主人の目が注がれていることに我が輩は気がついた。不思議なことに、我が輩の瞼に主人のこころが、まるで透明ガラスの窓に映る景色のように見えだしたのである。
 それは我が輩がこの家に連れて来られた小雪まじりの雨の日の情景であった。しかし、主人の記憶はその情景からとんでもない遠い昔のある冬の日の朝へと飛翔していた。
「お父さん、白い雪が降っているよ!」
 蒲団の中にいた孝太郎は娘が言ったことばに一瞬戸惑い、それから完爾とした笑みがこころに満ちてくるのを覚えた。
「白い雪・・・」
 孝太郎は口でその言葉を繰り返しては頬笑むばかりであった。東京では雪がふるのはめずらしい。小さな娘たちがその「白い雪」に興奮している。その娘の直截な感動が蒲団のなかにいる孝太郎につたわってきた。その子供の喜びが孝太郎のこころに温かい陽ざしを投げかけた。
 家族で越後地方まで旅行をして、町内の子供たちとスキーをしたこともあった。二人の娘が寝る蒲団のあいだに寝そべり、雪女の怪談の話しをしてやった夜のこと。孝太郎が吹きすさぶ風の音とともに、戸を叩いて家へ入ってくる雪女の様子を、ヒューヒューという擬音語をまじえ、唇をまるめ喉の奥からの不気味な音をしぼりだして、話し聴かせたことがあった。すると二人の娘は「ヒヤー」という声をたてて、蒲団の中へ頭を隠してもぐり込むのであった。そのうちに静かに寝入った娘ふたりの蒲団の間からそっと孝太郎は身を起こした。
「寝てしまったよ」孝太郎がそういうと、花が「ふふふ」と喉の奥で笑う声が聞こえた。
 ここで孝太郎の家族への記憶はボンヤリと霧のなかを漂いだす、そこへ深夜の電話が鳴るのであった。
 受話器を手に孝太郎の部屋へきた花は、なにも言わずに孝太郎の扉のまえに、それがまるで怪しい訪問者であるかのようにソッと置いていくのだ。
 その電話からいつ終わるともつかない女の長いながい物語がはじまるのである。女は神経を病んでいた。薬のせいか呂律のまわらない口調ではあったが、天から次々と降ってくるといって語りだす言葉は幻想的であった。そして異常なほど明晰であった。誰かに聞いて貰えなければ耐えがたいものが、女の神経を責め苛なんで苦しめている。巫女のように語りつづけるその電話に孝太郎は抗いようもなく魅惑されていた。
 細君の花は、孝太郎に隠して語らない一度きりの奇妙な電話の声と孝太郎の部屋の前にソッと置いて来る夜の電話の声とが、どこかで繋がっているような気がした。だが花はそのことを、孝太郎へ話したことはない。それは草むらにジッと身を潜め赤い舌をだす蛇の姿を想像させた。郊外で暮らした家の庭に見た蛇のように。だがこの東京の下町に住む花はそうした身の毛のよだつ獣を見ることもなく育った。そこには親しい人々の交流が、立ち並ぶ家々のように隙間もなく寄り合っていた。屋根を吹き鳴らす風も胸騒ぎに似た落ち葉のささやきも聞こえてはこない。近所のスーパーではいつも買い物客の賑わいがあり、路地裏ではおかみさん達の弾んだ声が行き交っている。それは花が子供のころから馴染んできた下町の生活というものであった。偶に耳にする家の中から聞こえてくる男と女の罵声でさえ、もつれた夫婦喧嘩のご愛嬌であった。
 孝太郎もその電話の主について、細君である花へ一言の弁明もしなかった。そして花が孝太郎へあらぬ詮議をする素振りを見せることもなかったのだ。
 日頃から、花は孝太郎の「夢の世界」について、なんの関心もなかった。深夜の電話の主も花には無縁な世界に属するものであった。扉のまえに置いてくる無機質な電話機のように。

 冬の一日、孝太郎はその冬の陽ざしを満面に浴びた三階の物干し台の椅子に腰かけていた。まぶしくて目があけていられないほどの陽光の中でぼんやりとうたた寝をしていたようだ。我が輩も空気の爽やかなこの場所を好んでいた。
 一艘の舟が隅田の川面に積荷をのせて、のんびりとしたエンジン音を響かせて遠間へと下っていった。
 夢をみているのだろうか、主人が晴れ上がった空の一角へ顔をのけぞらせた。すでにその片方の視界はもう回復が不可能なほどに損なわれているようだった。
 孝太郎はそこから音楽が幻聴のように降りてくるのを聞いているようだった。その空の一カ所だけが暗く青錆びた洞となっていた。その空のほうから、空っぽで透明なエレベーターが一箱、まるで精霊のようにゆっくりと地下一階のラウンジへと近づいていた。ぼんやりとした灯りがその箱の内部をかすかに照らしている。
 主人は黙ってその精霊のごとき一箱、過ぎ去った過去が夢のようにつまった玉手箱を、魂のぬけた人のように眺めていた。そこにはこの日常の規矩を解体し、この世の靱帯からの解放があった。秘密の悦楽の園が開けていた。その一線を越えた先には、怖ろしい罪の棘と茨の道が続いていた。花の暗い二つの目が孝太郎の背中を這い上った。重い石の塊が頸に巻かれた太い縄のように胸をあっしてきた。
「ここを出よう!」
 突然に、きっぱりとした声が暗い地下の闇を裂くかのように響いた。
 隣りに寄り添っていた女がその声に雷に打たれ、はね返ったようにピクリと身体を動かした。長衣の裾を翻し女は、無言で階段を上がっていく男のあとを追った。
 戸外は濃い夕闇が垂れ込めて、急な坂道が明かりのない街中へと下っていた。その坂道を一組の男と女が逃げるかのように走り降りていた。一刻、憑かれた魔界から遁れるように、早足で遠ざかる二人の姿が、夢魔のように黒い影を曳いて闇路を転がり落ちていった。
 それ以来、深夜の電話がかかってくることはなくなった。

秋風が吹きはじめたある朝のことであった。
 孝太郎はめずらしく早起きをした。散歩用の服装姿がめずらしかった。
「クラノスケ、餌を食べ残したね」
 主人は朝一番に新しい餌と水を入れる容器に手も触れなかった。この数日、我が輩はどうしてか食欲がなかった。食欲以上の何かある強い力に身体中が支配されているようだった。どうにもジッとしていることができかねた。軀の中にスプリングでも生れたように、それが自分勝手に動き出す気分がしてならなかった。
 孝太郎は我が輩をいぶかしげに眺めたが、素早く洗面所で顔を洗うと玄関の引戸を開けて戸外へ姿を消した。内側の網戸も一緒に閉めたが、玄関の鍵はかけていかなかった。細君なら鍵をかけわすれることはなかった。外出するときは必ず鍵をかけるのが細君の習慣であった。孝太郎が家の中にいてもそれは同じだった。
 我が輩が網戸に爪をかけ、重い引戸を引くと意外に軽く扉は動いた。朝の外の景色が目に飛び込んできた。以前にこの家を脱出したことが一瞬あたまに過ぎったような気がした。せまい庭と敷石が目の前にみえた。新鮮な臭いが鼻をついた。からだの内と外とで未知の自然が動き出し、同時に激しい警戒心が我が輩の神経を研ぎ澄ませた。人の足音、自転車の走行音、遠くに疾駆する車の騒音、それらのすべてが全身をそばだてた。だがそれらは我が輩の中に蠢くもの、全身を駆り立てるものには比べようもないものであった。それが我が輩を苛立たせ食欲さえ奪うものだった。我が輩を家の外に駆り立てるものがどこからやってくるのかを我が輩は知らない。玄関の門を出ようとしたそのときであった。
我が輩の全身を蔽う黒い翳が突然にのしかかった。鋭い爪が頸を絞めて鷲づかみに我が輩のからだは宙に浮いた。頸にかかるものへ我が輩の牙が食い込むと同時に、地面に我が輩は落下した。空へ向かってばさばさと大きな羽根が羽ばたいていく音が聞こえた。一目散に我が輩は家の玄関の中へと逃込んだ。
 それからしばらくの後、細君の花が突然に玄関の戸を開けると、慌てて家を飛び出していった。その花の慌てた様子に「何事か」と驚いた近所のご婦人たちが路地裏に集まりだした。みんな花が心配でならないらしいのだ。そのうち、隅田川べりの方角から救急車のサイレンがけたたましく鳴った。スマホを耳にあてた一人の婦人の口から、花の主人が神田川が流れでる隅田川の河口で、鉄柵に身体を乗り出したはずみに道路から転落したとの一報が告げられた。その突然の転落事故に最初に気づいたのは、河口に群れをなすカモメたちであった。ずぶ濡れの男が岸壁に這い上がろうとしていたが、誰一人その男を助けようとする者はなかった。男の素性を誰一人知る者はいなかったからである。花が現場に駆けつけ、漸くその男が花の主人と知られたのは後のことであった。幸い孝太郎は大事には到らず風邪を引き込んだほどで済んだ。花はこの界隈では知らぬ人はいなかったが、家の中で暮しに明け暮れた孝太郎を誰も知る者はいなかった。それでなくても、下町では役人は不人気であった。商売人や職人が多く集まる一帯では、なにをしているのか、その生業の分からない役人は疎んじられていたのは昔からのことであった。おまけに孝太郎は世間知らずであった。この性格の一端はオジサン譲りといってよかった。オジサンが田舎から東京へでてきた頃であった。山手線に初めて乗ったオジサンは、聖書を読み出した。何事にも没入しやすいオジサンは降りることも忘れて、円形の山手線を幾周もしたらしい。下町育ちの花とは正反対に、孝太郎の退職後の生活はまるで隠者に等しい暮らしぶりといえた。

 主人はともかくとして、ちかごろ、我が輩は自分の行動がどうにも訳が解らなくなっていた。
「ほら、クラノスケがおかしな事をしているわ」
 細君の花が主人に囁いた。
「なにをしているのかな」
 と主人が花に問いかけて、ふたりで我が輩に目を注いでいる。
「母親の乳がよく出るように、赤ん坊は本能的にやるんだけど、それに似ているわね」
 三人の子供を母乳で育てた細君が、我が輩が黙々と前足で毛布を揉んでいる動作に吃驚したらしい。細君はひそやかに心を動かされているようであった。そうした二人の会話を、我が輩は耳にしたが、その意味がよく分からなかった。
「クラは母親から乳を飲んだことがあるのだろうか・・・」
 主人が哀れみと不思議な気持を半々に、我が輩の独特な仕草を眺めている。
 やがて、その秘教的な我が輩の動作に哀れを感じた主人が我が輩を抱き寄せようとしたが、その主人の手を我が輩はきつく噛んでしまった。
「おお、痛!」
 大袈裟な主人の声が、我が輩には悦びであった。もっと噛んでやりたかった。
 テーブルに乗り、細君の手帖を囓り、ノートやボールペンに爪をかけて床に落とすことが楽しくてやめられない。階段を駆け上がり、家の中を走り回った。柱という柱に爪をかけて研ぐことに夢中となったが、そのため旧い家の柱はキズだらけになった。とうとう部屋の欄間に飛び乗り、穴だらけにする狼藉におよんだ。
 ここまでくると、孝太郎が黙っていなかった。我が輩の尻尾を掴むと逆さに吊しあげた。
「クラノスケ。これ以上の乱暴をするなら、食事をヌキにしてしまうぞ」
 我が輩が主人のズボンに爪をかけると、痛かったのか主人は手を離し、自由になった我が輩は廊下に飛降りた。
 餌などはどうでもよかった。のどが渇けば水溜まりで水を舐めた。そのほうが旨かった。我が輩の中で何か分からないものが躍動していた。それは制御しようのないものだ。
我が輩は耳を後に寝かせて主人をにらんだ。
 すると主人が奇妙な声でこんなことを言った。
「クラノスケは、おまえは自分のお母さんを知らないのだね」
 その声には半分のふざけた口調、もう半分はこころからの哀憐の情がこもっていた。
 我が輩は顔をそむけそれらを無視してやった。獣に同情なんかいらない。
「おまえは九州の福岡というところで生れたんだ。それから埼玉県のショップに連れて来られた。ネットでみたおまえはとても可愛い仔猫だった。丈夫な鉄のゲージのなかでおまえは盛んに飛び跳ねていた。そんなヘンチクリンな動きをしている仔猫はおまえだけだった。その頃からおまえはペットには相応しからぬ行為に及ぼうとしていたのだ。おまえはどこかエクセントリックな俺のオジサンを思いださせるところがあった」
 我が輩は主人のいうことが分からない。「オジサン」とはいったい誰のことなのだろう。
「クラ、こちらへおいで」
 細君のやさしい声がした。我が輩はいそいそと細君の側にいき、その胸に抱かれた。
「おお、いい子だ、いい子だ」
 細君の胸の中で、我が輩にはもうなんの不満も不安もなかった。玄関から外へ出て遊びたい気持ちなどはふしぎになくなってしまうのである。
 この槇野家では、いつも身体を動かして働いているのは細君の花ひとりであった。炊事、洗濯、お掃除、お買い物、それらのすべてを花ひとりがやっていた。それに町内会の副会長であり、民生委員までしていたのだ。孝太郎といえばほとんどが三階の書斎で過していた。片目が不自由となってからは、本もそう読めないらしく、物干し場の椅子にいることが多くなった。椅子は上野公園で時々開催される全国の陶器市展で買い求めた頑丈な木製の優れものらしかった。座りながら三百六十度に回転した。好天の日には、孝太郎はこの椅子から隅田川の河畔にひろがる風景を眺めて過すのである。春は上野公園の桜、それが散る頃には大学のレガッタが望め、夏には花火大会があった。そのあいだには下谷の朝顔市、浅草寺のほおずき市、年末にはおとり様が三日間、大鳥神社で開催された。祭は下谷から始まって、三社祭、鳥越の大神輿、そして上野寛永寺の除夜の鐘で一年がおわるのである。
 孝太郎は三階の物干し場に、ガジュマルの樹を鉢に植えてから、さまざまな植木を買い求めて並べるようになった。そもそもガジュマルの苗木を孝太郎にくれたのはあのオジサンであった。オジサンは旅行が好きで、旅先から孝太郎へ絵葉書をよく送ってくれたのだ。生涯を独身で通したオジサンは、キリスト教の信仰に帰依していながら、また、マリア様への信仰にも篤いものがあった。孝太郎にはこのオジサンは理解を超えた人であった。ときおり孝太郎は息子の健太郎がこのオジサンの血を受け継いでいるのではと想像することがないではなかった。ガジュマルの苗木は力強い成長を示し、根元ちかくに小さな気根を生やした。それは小さくはあったが、男のあるものを連想させる形をしていた。そこから細い根を土へと垂らし養分をとらんとしているのだった。植物でありながらその生命力は孝太郎を感嘆させるものがあった。
 あるとき、孝太郎は物干し台にきた花にこう言った。
「ほら、なんだかおもしろいものが生えた」
「なんですの・・・」
 近づいてきた花はそれを目にすると、
「まあ」と言っただけで目をそらしてしまった。
 それからオジサンから屋久島の写真葉書が届いた。ガジュマルの大樹が堂々と青い空を背に、風に吹かれ、辺り四方に豊かな気根を垂らしている姿は壮観であった。孝太郎はその亜熱帯地方の樹が、幸福をもたらす樹だと知ると、出来るだけ大事に太陽の陽ざしを浴びさせ、せっせと水やりを欠かしたことはなかった。
 だがある日の朝であった。このガジュマルの気根が無惨に囓られていた。犯人は夜中に出没するネズミに違いなかった。孝太郎が花の反対をおしきり猫を飼おうと言い出したのは、そんなことも手伝っていたのだ。
 孝太郎はそれから俄然、植物の収拾に凝りだしたのであった。
 葉蘭は郊外に住む義父の家の庭から持ってきた。義父が亡くなりしばらくほっておいたその家の庭には、多くの植木があったがそれらはみな新しい家の買い主に譲ってしまった。ただ大きく育った柊の木には孝太郎の思い出があった。子供たちが小さい頃、渋谷の代々木公園で売っていた苗木を義父の庭に植えたものであった。それは大層に大きく育ち東京へ持ってくることができなかった。それで孝太郎はネットで同じ柊の植木を求めた。だがそれは家に届いたときから元気がなく、そのまま枯れてしまった。やはり植物は鉢では育ちようがないのだと知ると、こんどはナナカマドをネットで見つけ、玄関の側の土に植えた。ナナカマドは本来寒冷地の植物であるが、雪よりも白い花を咲かせるといううたい文句に惹かれた。事実、写真にみたその花の白さには、孝太郎をうっとりとさせるほどの魅惑があった。それからローズマリーやら他に数点の植物への傾倒が孝太郎をしばらく夢中にさせた。盆栽をやる趣味はなかったが、それほど手間のかからない植物ならば、孝太郎はネットで買い求めた。細君の花は郊外での一時の経験からも、植物を育てることに関心がないことは、孝太郎は承知していた。花は三階の物干し場に転がっている鉢を邪魔者扱いにするだけではなかった。土や肥料類が家に過分な重量をかけることを心配していた。それで孝太郎が次々と求める品物が届くと嫌な顔をした。猫を飼うことも反対した。がいまでは主人の孝太郎いじょうに、クラノスケを可愛がっているのは花のほうであった。
 事実、飼い猫クラへの愛情はじつに細やかで、孝太郎の比ではなかった。孝太郎がいると遠慮をするようになった花は、主人がいないと膝にのせ胸に抱いて可愛がった。クラノスケもその花の抱擁をいまでは当たり前のように満足げな貌を隠さない。だが孝太郎が近づくとクラノスケは薄目をあけた。
「クラノスケはお母さんの抱っこが大好きなんだ」
 孝太郎がそういうとクラノスケは、花の膝から身を翻して降りた。だがそれだけではなかった。孝太郎が花のいる居間に降りる階段の跫音を聞いただけで、花の膝から素早くクラノスケは降りるような繊細な行動をみせたのであった。
 花によると遠くから孝太郎が家に帰る気配がすると、クラノスケは玄関にでて孝太郎の帰宅を待っているとのことだった。だが孝太郎は花がフォークダンスから帰るときも同じように、花が家に近づく気配にクラノスケは玄関に出て花の帰宅を待っていた。それどころか、クラノスケは大きな声で啼くのであった。
 孝太郎にはその声が猫のそれとはまるで思えなかった。
「マーミイ・マーミイ・・・」
 クラノスケが花を呼ぶ声は、ほとんど人間の子どもと同じであった。
 花が居間で座布団の上に横になると、クラノスケもいそいそと花の身体に身を寄せて、眠る光景がよく見られた。

 夕方、階段の下で孝太郎が武道の稽古疲れもあり、ぼんやりと佇んでいたときである。
ふと気配を感じて見上げると、死んだオジサンが立っていた。
オジサンは全身骨ばかりで、その骨が青白く光っている。まるでネオンサインがオジサンの格好をしているようである。顔は骸骨顔であったが、孝太郎を見下ろして頬笑んでいるかに見えた。
「あッ、オジサン」と声が喉からでかかり、孝太郎が花を呼ぼうとすると、そこにはもうオジサンの姿はなかった。
 オジサンについて、孝太郎は母から色々な話しを聞いていたが、そうしたことの事実の詳細を知りたいと思っているうちに、母を追うようにオジサンはこの世の人ではなくなった。オジサンは槇野家では毀誉褒貶の人で、孝太郎はその真偽をいちど確かめたく思っていた。七年も大学に通って何を勉強していたのか。いつも読んでいた聖書からえた信仰とはどんなものであったのか。日本が戦ったあの戦争の末期に出兵した朝鮮で何をみてどんな体験をしたのか。オジサンが行った旅先での見聞などであった。
 孝太郎の秘かな関心は、生涯独身で文字通り単独者であったオジサンが、世間の目を気にもせず自分独自ともいうべき多彩な人生を生きながら、それ故に幸福なエピキュリアンの様子をしていられた秘密はどこからきていたのかという素朴な疑問であった。孝太郎は戦前からみると落ちぶれた槇野家の中で、唯一自分だけが「変人」と陰口をたたかれたオジサンを理解できる者であると自負していた。オジサンもそれを承知してくれて、どこかで互いに通じ合うものがあったような気がしていた。
 するとどこからともなく笑い声が聞こえた。それはあの世からのオジサンの孝太郎への哄笑であったのかも知れなかったが・・・・。
 孝太郎はなんとなくクラノスケを探した。近頃のクラノスケが自分から離れて、細君の花にしか関心がない素振りが孝太郎は気になった。また花の膝のうえで毛を梳かれて、ウットリとしているのではないか。胸に抱かれて目をつぶっているクラノスケの面貌がうかんだ。クラノスケに餌をあげているのは孝太郎だが、朝と晩の二回の餌の補給をうっかり忘れるとクラはソワソワして落ちつきがなくなるのだ。最近ではあげた一皿の餌をアッというまに平らげてしまう。そのせいかクラノスケの軀つきは一段と大きくなった。いつも長い尾をピンと天井に立てているので、お尻がまる見えであった。普通ならあるオスの印がなにもない。それで肛門だけがばかに目立った。軀が大きくなり、砂を敷いた便器の外にまで糞が散乱した。それを拾い片付けるのは孝太郎の役目なのだ。臭いを厭がる花は糞尿の処理に手を貸すことはない。その毎日の仕事は孝太郎の日課であった。身体が硬くなり節々が痛い孝太郎はその仕事が一苦労であった。まずかがみ込むことがやりづらい。そんな仕事の最中に孝太郎は尿意を催したが、すこし我慢をしているともういけないことになるのであった。
 主人は細君との会話より、猫のクラノスケに話しかけることが多くなった。
「クラノスケ、おまえはいいご身分であるな。たらふく食べるとすぐにそうやって眠っている」
 そういう孝太郎の顔をクラノスケは神妙な顔つきで眺めていた。
 我が輩は動物である。人間の言語を解さない獣である。もし我が輩が人間のように話すことができたらどんなことになるだろうか。
「ご主人さま、我が輩をペットとしてこの家に呼んだのは、あなたではないのですか。それをいまさらぐずぐずいうなんて、恥ずかしくはないのですか。あなたは物知りだ。わたしたちの動物の世界から、ずいぶんと進化した人間がそれなりの義務を果たすのは当然ではありませんか。わたし達動物は無駄なことはしません。単純な生活を心がけています。単純な生活とは、喰い寝る交わるです。我が輩にはこの最後のやつが断たれているようですが、それはわたし達の思いもよらぬことなのです」
 こんなやりとりが、主人の孝太郎とペットの間で交わされていたら、花はどう思うだろうか。
 歳をとるにつれ、花はこうした類いの話しを、たとえそれが冗談にしろ、なぜか冷淡な素振りをみせるようになっていた。
 先日の昼食時の憩いの時だった。
 イチジクを栽培する農家からのテレビ中継があった。
孝太郎がひとり言のように、むかしを振り返り、こんなことを話しだした。
「おれはどうも年齢相応に知るべきことを、あまりに知らなすぎた。あるとき目黒川の畔に住んでいた頃だ。道路にイチジクの形をした小さな袋が落ちていて、おれはそれをめずらしいものと思い手にとった。すると側にいた友達が『それって汚いものだ』と教えてくれた。おれはそいつを即座に捨てたことがある」
 ここまではまだしも好かった。孝太郎はその「知らな過ぎ」を思春期のあることにまで広げて、こんなことを話した。
 テレビでは二人のタレントさんが、アダムとイブはリンゴを食べたことになっているが、あれは実はイチジクなので、それで神様が怒って、イチジクの木には花を咲かせなくしたのだと、「無花果」という漢字の由来を説いていた。
 花はそのテレビのやりとりをのんびりと聞いていた。隣の孝太郎がその手の話しをつづけていたのがいけなかった。
「おれが十四・五歳の頃だった。えらく堪えがたい痒さを感じていたことがあった。それで自然に手がそちらへのびるのを止められなかった。そのうち、からだの中に得もいえない衝撃が走った。これまで体験したことのない眩暈がした・・・」
 そこまできたときであった。細君の花が、突然にこう言ったのであった。
「うるさい!」
 二人のそばに寝ていた我が輩は、その凄まじい声に吃驚して飛びあがった。
 以来、我が輩は舌をちぢめたようにおとなしく過すようになった。
 しかし、我が輩は、花の姿を追うことがやめられなかった。孝太郎とじゃれあっているときでさえ、花がその傍らを通るとそのあとを追いかけた。すると孝太郎が我が輩へ無礼な冗談を飛ばした。
「クラノスケはママが大好きで、ママのお尻ばかり追っている」
 花は老いた孝太郎のこうした軽口を平気で聞き流すことができた。

 ある日の真夜中のことであった。孝太郎は立て続けに厭な夢をみた。それは孝太郎によれば、長い人生の澱の中から出てくるらしかった。心房細動の薬を飲んでいた孝太郎の心臓ははげしく震えだした。手足が痺れそのうち胸が苦しくなった。一階下の部屋に寝入る花を呼ぼうとした。がまるで悪夢に囚われたように、声が口からでてこない。孝太郎はやむなく枕元の目覚まし時計を床に投げた。依然、花が起きてくる様子はなかった。床を拳で叩いてみた。それでも花が気がつく気配はなかった。心臓の脈動は凄まじいまでになった。孝太郎は身近に迫る死を予感した。それは孝太郎がこれまで幾度も予習していた最期の光景といってよかった。

 その異変に花の部屋で寝ていた我が輩が気がつかないはずはなかった。花の部屋の引戸をこじ開け、我が輩は階段を上がった。主人の部屋の扉は開いていた。主人は寝床から半身を起こして前屈みに突っ伏していた。
 思わず我が輩は声をあげた。
「マーミュウー・マーミュウー」
 それは我が輩の知るよしもない母を呼ぶ声であった。だがそんなことはまったく我が輩のあずかり知ることではなかった。
 我が輩の啼き声に、驚いたのは細君の花であった。
 しばらくすると、救急車がやってきた。
「クラノスケ、おまえはあっちへ行っておいで」
 細君の花が興奮して、我が輩に投げつけた一言が我が輩の胸を刺した。
我が輩の居場所はそれからなくなった。

 孝太郎は墨東にある病院に入院した。幸いなことに、カテーテル手術を施したあと、三週間ほどの安静と療養後に、どうにか元気な様子で、柳橋の家に戻って来ることができた。だが、どうしたわけかなんとか見えていた片目は完全に失明し、残りのほうはおぼろにしか見えなくなった。光を失ってからの孝太郎はまた一段と老いを深めた。
「クラノスケは何処にいる」
 ほとんど盲人も同様の主人は、隅田川を望む物干し台の椅子に座って、そう言うのが常の事となった。
 細君の花は相変わらずよく働き始終身体を動かすことをやめなかった。甲斐がいしく孝太郎の世話をすることに怠りはなかった。その分我が輩への思いは薄れたようで、一日二度の食事も事欠く有様となった。
 空腹は我が輩をイライラとさせ、花の手や足に飛びかかって爪を立てた。
「なにをするのです! クラノスケ」
 我が輩は叱られてばかりの飼い猫となった。もう以前のような幸福なひとときは来なかった。花のあの広い胸に抱かれることもなく、柔らかい膝の上で毛をやさしく梳かれることもなくなった。
「クラノスケは何処にいる」
 そうした主人の声は、もう、我が輩には虚しく聞こえるばかしであった。我が輩はしきりと家の外へと眼をさまよわせはじめた。外には何かかがあった。こころをときめかしてくれるなにかが、我が輩を呼んでいるような気がした。
 主人同様に、我が輩も三階の物干し台で過すことが多くなった。孝太郎はぼんやりとけむるような隅田川沿いの風景に顔を向けていた。そこに吹きぬける風と季節の折々に照りつける太陽の光に顔をほころばせていた。主人はまるで植物と変わりがなくなった。自分の部屋の窓を開け放って、CDから流れる音楽に身を任せるだけとなった。一人二人と孝太郎に親しかった者たちはこの世から去っていった。
 我が輩といえば、物干し台から外に徘徊する野良の仲間の姿を見たくて仕方がなかった。奴らの暮しは汚らしいが、あそこにはここにはない自由がありそうだった。そして何を食べているのであろうか。腹がくちくて仕方がない我が輩にはそれが知りたいことであった。そこにはひりつくような冒険がありそうな気がした。だがこの家の中には、昨日とおなじ今日が、今日とおなじ明日があるだけではないだろうか。
 年老いたこの家の孝太郎や花には、それが一番の良い日々なのであろう。
 そのうち、我が輩は堪えがたい眠気に襲われた。
「クラノスケ、おまえはよくそんなに眠れるものだ」
 孝太郎が呆れたようにそう呟くのが聞こえた。
「猫はよく眠る子。だからネコというのよ」
 花は我が輩を微笑ましそうに見つめてそう言った。

 あるとき戸外の工事が始まり、大きな騒音に我が輩は目を覚ました。喉が渇き物干し台の如雨露に首を突っ込んで水を飲んだ。そのとき、我が輩の視界にいつか出会った黒のボス猫の姿がみえた。尻には大きな玉が揺れ動いていた。我が輩は身を起こし、三階の柵をくぐって、堤防の上に降りた。するとそこには黒のほか多くの野良たちが群れをなしていたのだ。戸惑いながらも、我が輩もその群れのなかへ走り込んだ。どの猫も我が輩に目もくれなかった。それが野良猫たちの生き方であった。どいつも自分の分際を弁え余計な計らいをしないのであった。
喰いたいときに餌をあさり、遊びたいときに仲間で遊ぶ。疲れたらたらふく眠り、くちいときは雑草や花までも食べる。互いになんの干渉もしなかった。そこには独り生きるけだものの自由があった。どこから聞いてきたのか、我が輩を「オジサン」と呼ぶ訳知りの奴がいたが、我が輩にはなんのことだが分からなかった。我が輩は主人の孝太郎も可愛がってくれた花も忘れて過した。ふんわりとした膝で毛を梳かれる喜びも得もいえない抱っこもなかったが、野外に眠り飛び回る快活な自由があった。
 あるところで、仲間の独りが車に轢かれて死んでいた。ぺちゃんこになった身体は路上に落ちた鳥の影のようにみえた。すでにカラスが数羽腹を突っつき食べ荒らしていた。だが我が輩たちの中では誰ひとりそいつに関心を持つ奴はいない。みごとなほどの無関心こそ我が輩たちのルールであった。
「死んだらマンホールになるだけのことさ」
 独りがそういうとみんなが笑いだした。
マンホールとは路上にみえる鉄の蓋のことだ。その中を誰独りのぞいてみた奴はいなかった。

 こうして数ヶ月が過ぎた。
 我が輩はあるところでふと二人の姿をみた。みたというよりその臭いでそれと知られた。
動物の記憶は身体に消えない臭いにあった。臭いこそ人間が失った貴重な感覚であった。
 二人とは、槇野家の孝太郎と花であった。二人はよろよろといった風に、路地裏を歩いていた。我が輩はふと人間の世界を思いだした。無駄なことばだらけの世界。善いとか悪いとか、理解できないことばに満ちていた。そいつがどれだけ我が輩の頭を悩ましたことか。
「マーミー」
 我が輩の身体のどこからか、そんな声が身内の谺のように響いた。
自然と我が輩の尾っぽは左右に揺れ動いた。
 我が輩はこの二人の歩き方につられて、細い路地を渉ろうと前へ四つの足を動かした。
そのときだった。自転車がスーっと我が輩の身体のうえを走っていった。そいつは音もなく近づく怖ろしい速さをもった獣のような奴だ。呻いたが声にならなかった。
 チリンチリンと軽快な鈴音を鳴らして、孝太郎の腕を支えて歩く花の脇をそいつは抜けていった。我が輩のいない二人の孤独な暮しぶりが目にみえるようだった。
花が振り向き、一瞬、我が輩をみた。
「あら、クラノスケじゃない」
 花は自分の腕にすがって歩く孝太郎の耳元につぶやいた。
孝太郎が首をねじり、我が輩のほうへ目を動かそうとした。片目だけがぼんやりと辺りの風景をみたように思われた。我が輩の腰を一瞬細い自転車の車輪が春風のように通りすぎていった。
 花が孝太郎の腕を引っ張るように、横たわる我が輩に近づいてきた。逃げようとしたが無駄だった。

 我が輩は再び槇野家の飼い猫となった。腰を小さな箱型の車椅子に乗せられた障害のある猫として、孝太郎と過した一年。それはまた花に抱かれた幸福な一年であった。
 ある春の日の午前、陽は潸々と物干し台を照らしていた。川面は陽光に煌めいていかにものどかな昼下りで、花は町医者に出かけて留守であった。
「さあ、クラノスケ」
 その声の響きで、我が輩は孝太郎が我が輩をどこへ連れていきたいのか動物的なカンで察知した。我が輩はいわば主人の形代のようなものであった。
 孝太郎はふんわりした春物のコートの内に我が輩を抱きかかえ、隅田川のテラスをまるで幽霊が散歩でもするかのように、杖を曳いて歩きだした。
「まだ水は冷たそうだけれど、おまえも直に馴れるさ」
 それが年老いた主人の、どこか若やいだ最後の声であった。
 その孝太郎の目の中に、幻影のような風景が浮んだ。
 それは一年も過していない郊外の新婚の家の中であった。庭から明るい午後の陽ざしが照り、畳の上で寝そべる花の安らぎにみちた姿があった。最初の子供を身ごもった花が膨らんだお腹を上にねむっていた。部屋の外では強い陽ざしが庭の草を緑に染め、真っ赤な鶏頭の花が寂として動かない夏の真昼の光景であった。
             
 水に流されながら主人はうっすらと広がる青い空に顔をのけぞらせていた。波がときおりその顔を濡らしていた。誰か大事な人の名前でも呼んでいるのか、口がパクパクと動いていた。
 水が嫌いな我が輩は前足を必死に動かして、岸壁へと泳ぎだしていた。
「クラノスケ、おまえは生きるんだよ」
 その我が輩のうえに、主人の声が空から降ってきた。そんな気がした。
                                    (了)





小説「夢想神伝鏡乃虎」

      雲南では魚といわず鏡の虎といっている。
    「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス

        
 木村博士はその日の患者の一人の診察を終えた。博士は一日に二人か三人の患者の診察するだけであった。彼ははずし忘れたマスクを机に置き、椅子からたちあがると、窓を透かして遠くの公園の銀杏の樹と空を眺めた。それが彼の仕事を終えた後のいつもの習慣であった。そうした茫然自失の時間が、彼を仕事から解放してくれるのだ。それから天井へ両手を伸ばし、鼻に小さな息を吸い込むと、顎の両骨が鳴るほどの大きな欠伸をする。銀杏の葉は空の一角を金色に染め、晩秋の空に光を放っていた。ふと博士は、このように人間が自然の風景を眺めはじめたのは、いつごろからだろうかという唐突な疑問にとらわれた。古くは歌を詠む万葉の時代、、近くは絵筆でキャンバスにそれを描きだしてからだろうか。思えば人間とはまことに奇妙な生き物である。その精神の中に自分は潜入し、分析し、治療しようとしている。精神科医、それはなんとだいそれた職業であろう。そもそも精神の病気とはなんであろう・・・・。
 博士はふと机上に視線を落とし、患者自身がパソコンで記した「小説(仮想の敵)」と銘打った原稿と一冊の本をそこにみた。患者の書いたものは、患者の内面を知る一資料であった。患者が読んだと覚しき古い本も同類である。表紙には戯曲「カルギュラ」の印字が読めた。
博士は机上に原稿を広げ、しばし黙考していたが、いつしかその原稿の一字また一字と視線がたどりだしていた。
 眉間の皺が博士のこれまでの辛苦を語っているようにみえた。 

           Ψ

「もし」
 水村は驚いて後ろを振り返った。黒服の警官が立っていた。
「居合いですかね」
 低い、静かな口調であった。
「はい。どうも失礼をいたしております。家が狭いもので、この路地で稽古をしています」
 と水村は平身低頭で、目前の自宅を目で示した。
「気をつけてやってください」
 そう言って警官はあっさりと立ち去った。警官によっては、その職業上、武道に理解を示す者がいるのである。たしかに路上の稽古には注意すべきことがあった。背後から自転車で疾走してくる者に、一度ひやりとしたことがある。もちろん摸擬刀ではあるが、殺傷力がないとはいえない。真剣の刀ならば納刀のさいに自分の左指を斬り落とすとも限らない「人斬り包丁」にちがいないからである。水村は一度、頭上への抜刀の際に、親指を切り落とし損ねたことがあった。血が滴り落ちたが、痛くはないのが不思議であった。
 だがある夜の出来事以来、水村はその摸擬刀もやめて木刀での基本稽古に切り替えた。これは主に下半身の強化のためである。
 数日ののち、水村は小雨の降る雨の夜更けに、家のまえで木刀を振り回して風邪をひいた。翌日熱がひいたのを幸いに、その日から夏の休暇をとることにした。
 妻の響子に行き先を告げると、「どうぞいってらして」と笑顔で送り出した。ふらりと外国の海へ大きなダイビングバッグを背負って水村が出掛けることはよくあることで、鳥が飛び立つように夫が家からいなくなることには、もう馴れていたのである。響子は結婚当初から専業主婦で社会に出て働いたことがない。郊外から実家のある東京の浅草近辺の下町に引っ越してくると、水を得た魚のように活きいきとした。下町によくいる世話女房タイプの女で、家事は手際よくこまめによく働くのである。性格も大きく明るかった。このため町のなかでの交際も上手く、評判もなかなかであった。いつも響子のまわりには花が咲いたような明るい雰囲気が漂っていた。子供のないさびしさを顔にうかべたことなど見せたことなどないのである。
 水村は高崎から磯部まで行き、駅前で待っていると、予約しておいた民宿の車が迎えにきた。それから十分ほどのところに富岡という町があった。明治の頃、富岡製糸工場で日本の繊維産業を支えた有名な町である。
「ここはなんにもないところなんですよ」
 と運転をしながら民宿の主人は恐縮そうに言った。バックミラーに主人の顔がみえた。その主人の目が水村の様子を窺う視線を度々感じた。普通の旅館は一人客を敬遠する傾向がある。今度の宿泊は、そういう客でも受け入れるという民宿センターの紹介であった。しかしやはり気にならないはずはなかったのだろう。急遽予約を取り、一人で泊まろうとする水村のほうこそ、済まないような気がしたが、バックミラーの中の目が気になった。どうもそこに見ているものが、水村自身に相違はなかったが、まるでそこに自分でない他人を見ているような視線が水村におぼろげな不安を誘った。いつまでも長引く梅雨のように、猛暑の夏が連日連夜つづく不快のなかでの居合稽古の特訓の合間であった。たぶん「仮想敵」を想定しての強い眼光が水村の目と顔に、通常みられない痕跡を残していたのであろう。稽古の緊張感をほぐして、普段の平常な自分を取り戻しにきたのに、武道の硬い仮面のような表情は膠のように顔に張りついているらしい。稽古つづきで全身の筋肉が硬く張ってもいた。そうでなくても、この息がつまりそうな日常の世界から逃げ出して、気分転換の必要を水村は喉の渇きを癒すように、感じていたのである。どこでもいい、静かなところでのんびりとしたかった。
 車はすこし乱暴な主人の運転で早くも宿に着いた。
 玄関まえにガーディニングのように、草花を飾った石畳が敷かれていた。この辺りではめずらしい風情である。そのまん中に、やや丈高くなにやら装飾がほどこされた石柱が立ち、頂上に水盤のかたちをした石鉢がのっている。そこから夏の陽を浴びてゆったりと緑の蔓草が垂れていた。なかなか洒落た民宿のように思われたが、そこは誰でもが立ち寄れるレストランの玄関口の方であった。
 主人が彼に提供してくれた部屋は、その母屋から長い廊下を歩いたところにある、八畳ほどの部屋である。部屋には粗末な低いテーブルと旧式なポットがあるだけ。主人が車の中で言ったことは謙遜ではなく、事実であったわけだ。人気のない廊下を通り、奥まったその部屋までの案内を終えると、そそくさと主人は立ち去った。殺風景なその部屋をまえに、水村はなんだか座敷牢にでも捨て置かれたような心持ちだ。半分明けられた窓は網戸になっていたが、まだクーラーのスイッチは入っていない。部屋の中はムンムンとした熱気がこもっている。そのうえ、歩くと畳の下の根太がゆるんでいるらしく、雲の上を歩くような按配だ。
 ともかく数日過ごせればそれでよかった。彼はさっそくクーラーのスイッチを入れ、茶を飲むと夏の陽射しがぎらつく戸外へ、帽子をかぶり宿のまわりを散策した。 
 道路を隔てた向かいに大きな池があった。丹生湖という名の人工池とのこと。入口には洒落たログハウスがあり、池のほうを眺めると日傘の下にへら竿に糸を垂れている釣り人が、池に浮かんだ幅広の板の上にちらほらと見えた。
 中学三年の時、水村も一時へら鮒釣りに凝ったことがあった。夢でもへら鮒の釣り糸を池に垂れていたほど狂っていたむかしが思い出された。雉の羽根で浮子を作り、芋をふかし餌を網でこし練った昔のことが脳裏を掠めた。中学三年といえば、高校への受験で追われなければならない時期である。が彼は人から強いられる生活が嫌いな質で、自分がその気にならなければなにもしない自由気ままな性格なのである。だが一旦その気になると猪突猛進するのは猪年の生まれのせいかもしれない。因みに妻の響子は虎年の生まれであった。鷹揚な性格な裏に、どんな爪を隠しているともかぎらない。

 池は満々と水を湛えて、夏の日に静まりかえっていた。これを見て水村は、池に浮かんだ板の上を歩き、池水にうかぶ浮子の様子を見たくて、一人の釣り人の側へ行った。初老の男は口をへの字にして難しい顔つきで浮子をみつめている。その釣り人の顔が、へら鮒の貌に似ていた。人はあるものに過度にこころを寄せると、その当のものに似てくるらしいのである。
 水村がログハウスの中に入ると、おばさんとおじさんが隅の畳部屋でのんびりとおしゃべりをしていた。他に誰もいないのでその話し声がよく耳にはいる。その二人の暇つぶしの話しを聞いていると、どうもヤクザ者の話しをしているらしい。へら鮒に似た恐い顔をした爺さんから離れ、幅広の浮き板を歩きながら、水村が二度ほど池の上で、居合の真似事をしていたのを、二人は窓越しに見ていたのであろう。それで、どこのだれとも知れない余所者が、池の上で行った所作をかた、年寄りの二人はヤクザモノの話題をとりあげていたのであった。その当人がすぐ後ろにいるのにも気づかず、のんびりと話しこんでいる。その無神経さがなんとも怪訝に思われた。
 水村がそのような場所で、稽古のまねごとをしたのは、居合の昇段審査が近づいていたことから、自然に身体が動いてしまったせいであった。居合道連盟が決めた制定九本目の「添え手突き」の動作をしたのを、ログハウスの中から奇異な思いで眺めていた二人は、不審な余所者をどこかのヤクザ者と想像し、そのような会話を交わしていたのにちがいない。この九本目はその技名のとおり、左横を一緒に歩いていた「敵」の怪しい挙動の機先を制し、横に振り向きざま「敵」の肩から腹までを袈裟斬りで抜き打ちし、腰上に引いた剣の峰を左手で添え、「敵」の下腹部を刺殺する居合の技であった。そこには「敵」の先手を封じねばならない素早い動作を必要とした。なにやら空恐ろしく物騒な所作に、殺意がみなぎらないはずはなかった。これを遠くから一瞥した爺さん婆さんが、「ヤクザモノ」と連想したのは当然なことであった。二人の話しの中に出てくる「ヤクザモノ」が水村と想われたが、そこにもう一人の「自分」ならざる「他人」がいるような奇妙に気分に水村は囲繞された。それはもちろん、二人の爺さん婆さんが、そのすぐ傍らにいる水村の存在に無関心に、平気でそんな会話を交わしていることにもあったが、話題にされているというその事が、すでに水村とは別の人格のように思われた。それは自分でありながら、もはや自分ではなかった。鏡を見ながらその鏡の裏側に、もう一人の自分、いや「他人」がいるようにも考えられたのである。
 ハウスの壁には、湖水に浮かべた船からへら鮒を釣り上げている大きな写真が一枚貼ってあった。釣り竿が垂直に高々と立っていた。釣人の顔は笑みをうかべながらもひきしまっている。のっこみの春先の季節か。美しい写真だと水村はしばらくぼんやりと見入っていた。まるで「袈裟斬り」をして「八相の構え」で残心に入ったような真剣味をおびた顔に、かかった魚を魚籠に取り込むばかりの喜悦が満面を朱に染めている。写真には微かにしか見えないが、湖水の中に魚が蠢く白い線が光っているのが見えた。魚は水の中で魚体を烈しく蠢めかして逃げまわり、そのたびに水面が盛り上がり、尾びれで水を巻き上げ、水光りを散乱させている様子がまざまざと目に見えるようである。かなり大型のへら鮒であろう。
       
 車の走る音で水村はふと眼を醒ます。真夜中であった。部屋の窓側の壁一枚を隔てた戸外を細い道路が走っていた。そこを相当なスピードで通る車の音が、部屋を揺すぶるように響くのである。

 暗闇で眠れぬままに眼を開いた。眼交にぼんやりと天井が映っている。その天井へ向け、腰前から祈るように静かに両手で柄を握り、親指で鐔を押して鯉口を切り、夜陰に緩やかに伸びて光った一筋の剣線は、最後の一瞬、鞘から放たれ中空を烈しく一閃した。瞼を横一文字に過ぎった剣尖は、右手首を返して左肩を突くや、即座に頭上に振りかぶられ、真っ向から対手の頭蓋に炸裂する。霧を吹いたかのように、流血が闇を染めた。と見えたのは夢かうつつか。蒲団の上に半身を起こし、半眼で趺坐している自分に水村は漸くに気がついた。
 それは無想神伝の「初発刀」の技だ。鞘離れの一瞬、「敵」のこめかみを斬り、素早く振りかぶって前にいる「敵」を、真っ向から斬り下ろす。隙なく振りかぶり、必殺の一刀で倒さねばならない。その腕の動作、いや、最初に柄へ両手をかけ、鯉口を切ると同時に鞘から刀を抜きはじめ、腰を静かにあげながら、じゅうぶんな鞘引きとともに、刃先に入魂のちからをこめた鞘ばなれで、相手のこめかみに怒濤のごとく斬りつけなければならない。
 だがあるときこと、水村が通う道場の前面いっぱいに貼られている鏡が西日に照らされ、湖面のように光り輝いた。その光りのなかに、彼はたしかに自分の姿をみた。だがその自分と思われる者に、もう一人の他人の姿が二重に映るように思われた。目をこすり凝視していると、やがて一匹の大魚がゆったりと湖面を泳ぎ、水中にその姿を没した。それは幻覚にちがいなかった。その水村の不審な動作を見た道場の先生が、大声で叱責しなければ彼もそこが居合の道場であり稽古の最中であることを忘れたかもしれない。ハッと我にかえった水村は怪訝と軽侮の眼差しで彼をみている先生と弟子達の姿にやっと気がついた。
「オイ! そんなに鏡をみつめてどうしたのだ。おまえはナルチストか。鏡は敵を想定するための道具にすぎない。鏡をみても鏡の中に敵はいないと言っているのが判らないのか!」
 そのことがあってから、水村は正面の鏡を見ないようにした。見ればそこに映る自分の姿に、「敵」を想定しなければならない。「虚」であって「真」ではない。だが現代ではその「虚」に「敵」を想定し、一刀必殺の迫力でその「敵」を斬ることの演舞を試されることで、居合の技の力量が審査されるのである。そこでは一滴の血も流れることはない。当然なことであるがすべては実際に人を斬ったことがない審査員の「目」に、居合いの技の正否がかけられているのである。
 ある者は現代の居合いを「動く座禅」と称している。たしかに水村は先生の稽古中のことばに、禅の公案を聞く思いを度々したことがあった。公案は座禅をする者が師家からいただき、座禅中に捻定し禅定力を高める一手段である。水村は午前に居合の稽古をしたその日の夕方、時折、近くの禅寺に参禅することがあった。
 そうした参禅でのある夕べのことを、天井を仰ぎながら水村はふと座禅の最中にあった一事を思い出した。
「うるさいぞ!」
 本堂の柱の側で端座していたとみえた老師の方角から、そう一喝する大声が発された。座禅が始まりすでに本堂は参禅者の影がみじろぎもせず、三昧の境に入ったように思われた静寂が堂内にみなぎる最中である。
「座禅は首を斬られても微動だにしない気迫をもってやらなければ、ただの死座禅なんじゃよ。おまえさんたちのこころの声がわしの耳に入って煩くて仕方がないわい。座るということを、そう軽々とされては座禅になんの意味もない。空々寂々、山の中の地蔵と変わりはないんじゃ。それを座して禅せざるというのだ。おまえさんがたが座禅をしてどうなる。座禅が座禅するものとなる、そのこころだちを無念無想というのじゃ!」
 これには水村も唖然として、老師の方へ視線を動かした。が老師の姿はたしかに老師がいると思われた処には影も形もみえない。その日彼の耳に聞こえた老師の烈しい声は、自分の座禅に睡魔が襲いにきて彼の耳に囁いた空耳に過ぎないのか。座禅の様々な書物を読みふけり、三昧の不思議な段階がどのような心域へ、座禅者を導いていくか知らぬでもなかった水村に、ある段階がついに訪れたと錯覚させたのも不思議ではなかった。この世界と自分の境界が消失し、ある夢魔の世界が現出したのではないのか。
 水村は座禅が自分をいかなる境域まで連れて行くのかを想いながら山門を出て、門の上にかかった月を眺めた。月は赤い沙を懸けたように中空に浮かんでいる。その月が大きな手で揺さぶられたように上下左右に動くと、彼を嘲り嗤うような不気味な声が幻聴のように襲ってきたのだ。
「斬ろうとするな。刀は自ずから斬れるものなのだ」という居合の先生が口にすることばと、座禅中に聞こえた老師のことばが共鳴して、耳の奥で響いているばかしであった。
 帰宅して遅い晩酌をしながら、家人へというより、独り呟いている水村へ向かって、妻の響子が以前、居合の「仮想敵」について、ごく気軽な感想を述べたことがあった。
「その仮想敵っていうのは、自分ということじゃないのかしら」
 気軽に返した妻のことばにそれほどの意味はない。「敵」はあくまで「自分」とは隔絶した、測り知れない「他者」である。その他者がどれほどの腕をもち、いかなる流派のどのような技に長じているかは「我」を超越した領域にあるはずである。それにどのように対処するか。そこに自分の精神と肉体の鍛錬と修行が賭けられていることは確かである。妻が小刀の一閃で突いたのはそこである。やはり響子は虎の爪を持っていた。以後水村は妻に居合いの話しをすることを避けるようになった。

 その後も居合の稽古の最中、以前と似たような現象を水村は体験した。鏡がまたそれ自身の透明な意志をもつ生き物のように、斬りつけるその位置を動かしたのだ。徐々に鏡を見る者の目には悟られないほどに、鏡に映るこめかみの在りどころを、上に上にと位置をずらしている気配である。かと思うと下に下にと移動する。ために彼の腕は上に上がり、脇が開いた。また、頭が下がり前のめりになる。その度に先生の烈しい注意が飛んでくるのである。以前メニエール症候群で立ちくらみをしたことのある彼は身体の平衡感覚を失ったことがあった。またそんな症状が現れたのか。全身の動きが逆しゃくしてぎこちない。つまるところ、どうにも身体の運用が下手なのである。その日はやればやるほど、身体の動きがバラバラになるので悩ましくて仕方がない。居合いは気・体・剣の一致が大事だと稽古の度に、言われつづけているのに、これでは落第なのだ。
 それにしても、刀の下にからだを入れる振りかぶりができない。手の内が悪いから、スナップがきかず、円を描いて刃筋が真っ直ぐに飛んでいくことがない。柄を握る左手の中指と薬指と小指に力が込められずに、右手で柄をくそ握りしているため、刀を頭上に振り上げた際、水平以下に振りかぶりの刀身が落ちている。刀が空気を切り裂く、ヒューという音などはしないに越したことはないのに、この音に自己満足する手合いは多いのである。これでは人は斬れない。斬られた人が斬られたとも感じない刃筋のうごきが居合いの極意なのだ。ただ叩いているなら刀はなくてもいいのである。
 肩から力が抜けないから余分な動作がでて、流れるような体捌きができない。これでは刃筋が乱れること必定なのであった。こうした日本刀の刀捌きに居合いの本領があり、竹刀剣道と決定的に異なるものだと、水村は教えられてきたのだ。頭で分かっても身体が言うことを効かない。その身体に頭で知ったことを、覚えさせるために稽古というものがある。身体の一番遠いところに、居合いの神様は宿っていると、聴いたことがある。たとえば、左足の踵である。斬りつけは左足の緋鏡が弓矢の糸のように、ピーンと伸びていなければ刀身に威力は出てこない。頭の天頂が天を射す姿勢がとられていなければ、全身の力のバランスは均衡を失っている証拠であり、そもそもそこに腰が入っていないのである。
 先生はほとほと手を余し、居合いの適性がないと弟子たちをまえに、水村に容赦ないことを言う。三段を取ってから漫然と三年の練習をしてきてしまったのだろうか。やればやるほど、角ができて丸い円から三角形のような形になっている。その角を一つ一つ取り除いて、元の円に戻さねばいけないのだ。やれ、鞘放れが悪い、手と足は互い違い、刀の位置はおざなり、振りかぶりではからだの前は隙だらけで、前の敵にどうぞ斬ってくれといわんばかり。血ぶりでは胴はがら空き、ごぼう抜きに脇の締めはないときては、いいところはひとつもないではないか! 
 先生の厳しい叱声が甦り、興奮したからだは布団の上で硬直したまま、あたまは醒めていくばかりである。
 ここの民宿まで、できれば居合い道具一式を持って来ようとしたが、思いとどまった。夜遅く自分の家の外で、模擬刀を帯刀し居合いの稽古をすることがある。東京の町中でたとえ模擬刀といえど、日本刀での練習は、近隣住民の眉をひそめさせ、町内の評判の芳しからぬことは当然、平常な目かれすれば、狂気の沙汰と見えるであろう。それでなくても、毎日のように殺人やら強盗の凶悪犯罪が横行する殺伐たる世の中なのである。抜き身の剣は遠目にも、夜の闇に一閃の燦めきを見せる。まして、狭い路地裏での稽古は、不審者そのもの、いやすでに狂人の仕儀に他ならない。若い頃から好きなように暮らしてきた夫を、独特の包容力で包み込んできた妻も目をそむけ、呆れかえっているが、水村当人はいたって本気であった。
水村が三十年ほど続けてきた海でのスキュバーダイビングをやめ、居合をはじめたのはそれなりのわけがあった。水村が職場に数人の仲間と作ったスキュバーダイビングクラブで海における活動中、一人の若い女性が溺死する事故があった。以来、彼は海に潜ることを自ら禁じた。同時にクラブの解散を全会員の一致で決議したのであった。そのとき水村の横にいた男が目を真っ赤にしていた。この男が女を死なせたのだと水村は直感した。若い女の両親は一人娘の死を悲しんで娘の後を追ったことを、水村は後に知ったが、いかにも後味が悪かった。以来、海を平常心で眺めることができなかった。

ある日の夜のこと。深夜もだいぶ更けた頃であった。路上を歩く人影もまばらで、ほとんどの住民が眠りにつく時刻のことである。割と広い公園が隣町にあった。
 そこへ向かって水村は買ってまだ新しい摸擬刀を提げ、草履を履いて静かに町中の路地を歩いていた。草履がヒタヒタと足裏で跳ねる音がかすかにするばかりだ。
 公園の隅で韓国人らしき男が話し込んでいた。韓国語は日本語に比べ話し方がきつく、まるでケンカでもしているように聞こえなくもない。公園の一角にバットを振れるようにと背の高い囲いをした一角があった。水村は刀を持ってそこへ入った。やおら抜刀して基本稽古と素振りをしばしやったあたりから、夜目にも黒い影がちらちらと辺りに動きはじめる気配を感じたのである。その気配がじわじわと輪を縮めて近づいてくる。その奇妙な気配で迫ってくるものに押され、水村が素早く刀を鞘に納めた。それと同時に、七、八人の黒い制服の警官にどっとまわりを取り囲まれた。自分に向かいその暗闇を這い異様な迫力で、じわじわと距離を縮めてくる黒い影に恐怖と同時に、妖しい魅力をさえ感じる自分を滑稽に感じた。警官のなかには、素俣を持っている者が二人ほどいた。まるで時代劇さながらの捕り物である。件の如く物騒な事件が立て続けに起きる世の中だ。きっと水村が手にした摸擬刀を本物の日本刀と思い、深夜の公園で日本刀を持った不審人物がいるとの、警察への通報が入ったのであろう。これをうけてすわと物々しい警官の出動となったのだ。水村が持っていた刀が摸擬刀であり、ただ居合いの稽古をしていたに過ぎぬことが分かると、警官たちはさっさと引き上げていった。以来、公園での稽古は止めにしたのである。

 だがその時、水村が感じた異常な体験は、以前に海外でスキューバダイビングをしていたときの体験を水村に呼び起こさずにはいなかった。空気ボンベを背負い、三十メートルほどの海の中でバラクータの群れに取り囲まれたことがあった。群れを為して鮫をも襲うバラクータは海の狼と怖れられている。海の中で泳ぐというよりも、鑓の刃先のごとく尖った流線型のその魚は、透明度のある海に差し込む太陽の光を反射し、無数のガラスの破片のように煌めき、すこしづつ群れの輪を縮め不気味な眼を光らせて、水村を凝視した。
 あのときの海での恐怖は、空気を吸える陸上でのそれとはまるで異質な体験であった。水村を取り巻く魚というより、透明な海という無言の世界、三気圧の重力が鋭い流線型の武器をもってじわじわとにじり寄ってくる恐怖に、思わず彼は呑まれ、背筋に電流が走った。海という自然の透明な悪意が、いまにも彼を圧し殺す恐怖に、頭は真っ白、心臓は口から飛び出しそうに警告音を発した。水村は静かに目を閉じた。わずかに中性浮力を保持したままじっと動かず、呼吸の際の泡も目立たぬように息を殺した。早鐘のように鳴っていた心臓だけが彼が生きている証のように。そうした数分の後に目を開いたが、わずかな太陽の光がその時ほどまぶしかったことはない。あの鑓のように彼を取り囲んだバラクータの群れの姿はすでになかった。捕縛を解かれたように、水村はゆっくりと息をしながら浮上した。彼は海の中で血塗れになって海の狼の餌食になるところだったのだ。そのとき彼の命が救われたのは、これまで水村が参禅をして養った調息と調心の経験が多少役に立ったからなのであろうか。いまでは水村には、それは青い海の中での白昼夢のように思われてならない。

 三十年ほどまえ、この町に妻と引っ越してきた往時には、これが東京のまん中にあるのかと思うほどに閑かで落ち着いた町であった。夜の九時ごろを過ぎると、訪れるこの町の静寂、気さくで人情味のある住民、かすかにその残り香があった町筋の江戸情緒も、いまや薄れてその形骸だけが無惨な姿を晒すばかりである。できればたとえ小さくても、下町らしい風情のある家を建てたいと粘った一念がようやく通じ、やっと設計され出来上がった家には、やはり居合いの稽古ができる間取りをとることはできなかった。家の中での稽古では、天井の照明器具を破損し、襖を破き、柱に傷をつけたが、家人はさほどの文句も言わない。もう水村のことでは、家人は諦めているのであろう。妻から疎んぜられているのは、なにも居合いに限ったことではないのである。
 下町の狭い家に住みながら、結婚当初から小さな書斎だけは彼の住処であった。水村はテレビはみてもニュースに映画、それに時代劇しか観ないのである。そのためばかりではないが、妻が話している世間話や俳優やタレントの名前にはまるで疎いのである。疎いというより元より関心がなかった。とんでもない質問をして妻から失笑されることも度々である。下町に暮らしながら、要するに平俗な庶民風な男になれない質なのだ。これに引き替え彼の妻は、代々から下町の土地で育ち、そのままそこで暮らしている。近所の付き合いは広いので、妻と町を歩くとすれ違う男や女が挨拶をする。しかし、水村にはその殆どが知らない人間ばかりである。水村の仕事は役所の事務所で事務を執ることで、朝家をでれば夕方か夜遅くにしか帰宅しない。地域の近隣住民と接触する機会は皆無に近いのである。それに幕末以来、旧江戸の市民は役人に好意を懐く者は少ないのであった。窓口を盥回しにして、どうでもいい面倒な書類を書かせて、自分たちは朝から晩までお茶を飲んでいると思われているらしいのである。というわけで家は寝るに帰る処に過ぎなかった。近隣の住民の名前を妻に聞いても水村は、すぐに忘れてしまうのである。だから同じ町内の人も、彼の妻に挨拶をしても、隣にいる水村にたいしては、まるで余所者でも見るかのように無関心であった。事実、水村は町の人の顔を見ても容易に区別がつきかねた。みな同じように見えてしまうのだ。
 その上、夜に路地裏で太い木刀を振っているので、子供たちは奇態な目で水村をみているらしい。
「このうちにはヤクザがいるから怖いよ」
 そう子供がしゃべって行くのを耳にしたことがある。
 自分がヤクザ扱いされているのを知って厭な思いをした。夏に行った民宿でのことを思い出したからだ。ログハウスの中で彼を種にして「ヤクザ紛い」の話しをしていた老人たちのことである。この世間が彼を見る眼がいかようなものか、それを思うと自分が描く自己の像とこの世間という鏡が映す像との違いの大きさに驚きを感じずにはいなかった。年を経るにしたがいその懸隔は開くばかりである。居合いを始めてからというもの、彼の頭とこころは世間から遠ざかるばかりで、異様な風貌を見せはじめたのである。水村という男から、世間は近づきがたい雰囲気を感じざる得ないのであった。
 彼は自分が夢想する下町を愛していたが、現実の下町の住民になれる質ではなかった。家には風呂があったが、気が向くと彼は近所の風呂屋へ一人足を運んだ。天井の高い風呂から射す明るい空間、その湯船の縁に腰をかけ、ぼんやりとおぼろな瞑想に耽けるのである。
 もう四十年ほどの前、風呂屋へよくかよった昔のことが突如まるでビデオの映像をみるように彼のこころに浮かんだ。それほどの歳月を経たというのに、昔は今のように生々しく水村に甦るのが不思議であった。水村の中では時間は流れずに空の雲のように浮遊しているようなのである。自分の中にはまだ少年のような自分が棲んでいた。過去は過去ではなかった。それは奇妙に生々しく生きている現在でもあったのだ。まるで年を取るということを知らないかのように、水村は過ごしてきたようだった。時間の外側を、まるで胎児のように・・・・。
 水村には母の胎内いた記憶が甦るかのようなことが屡々あったのだ。波のように母の心臓の鼓動が聞こえた。そしてさらに遠い父母未生以前、暗い空とうねり逆巻く深い海、巨大な白い海月が漂うまだ熱いほどの海の水、陸に上がりそこねた鮫の群れ、その怨めしそうに怒りと悲しみを凝固させたようなあの残忍な眼・・・・・。
 彼が海に潜るようになったのは、海を眺めたからであった。ある島で嵐に出合い、堤防に横たわりながら虹のなかに砕ける波の飛沫を浴びて、彼は終日海を眺めて飽きることがなかった。そのうちいつとも知れず彼は海の中を泳いでいた。背中にボンベを背負い、口にレギレーターを噛んで海の中にいた。海に潜ること、それは海の記憶に浸ることに似ていた。彼は海の中では一匹の魚に変身するのだった。陽光に燦めく青、紅、黄の魚群へ、彼もまた身を泳がせる。ことばのない世界、中性浮力の無重力の青の宇宙に彼は自由に身を任せた。海面から散乱する光に、群れ泳ぐ魚が雨のよう降り注いだ。

 水村の住む町は祭りとなると急激に人口が増えた。いまは高齢者ばかりで、小学校は次々に廃校になるほど子供の数は減っているのに、祭りのときだけはちがった。町から出て行った親戚筋が、このときは産卵期の魚のようにどっと実家に戻ってくるのだ。この町へ来ての最初の数年、水村はこの町の祭りを愛し、神輿を担いだこともあった。普段は自分の家の中で帽子や鞄の袋物などを、朝から晩まで休みもなく作り働いて過ごした職人たちが、一年に一度のこの祭礼のときだけは、軒下に提灯をぶるさげ玄関やら障子を開け放って、親戚やら朋輩を集めて酒やら料理を振る舞うのだ。土砂降りの雨もなんのその、神輿の担ぎ手は好き者を含め、関東一円から集まってくるのである。そこには寛いで大らかな幸福な笑いが、この小さな町に活気をもたらして、どの家の窓も開いて老若男女の顔が町の祭りを盛り上げたものだった。だが長引いた不況の頃から様相は変わりはじめた。町内に一軒あった鰻屋が消え、その味に舌鼓をうった寿司屋の寿司の味も変わり、軒を連らねた商店も一軒、また一軒と商売を閉じていった。だが年に一度の祭りは続いていた。だがどうもむかしのように、地面から沸き立つような大らかな祭りの熱気は醒めてしまったようである。気の抜けた風船のように、人々のこころのど真ん中から盛り上がってくるあの祭り独特の力が失われているようである。いやこれはこの町のことだけではない。日本そのものがその中心から実態を失った空虚で奇態なありさまを露呈しはじめたように思われた。いつの頃からか、世の中を流れる潮の目が変わりだしたような気が水村の精神を不安なものにした。
 水村がこの町では依然余所者にすぎなくても、まだ町の祭りへの愛は変わらなかった。神輿が狭い町内の路地裏を練り歩き、むんむんと臭う汗と酒との狂乱の只中で、神輿のてっぺんで金色に耀く鳳凰の尾羽がかすかに鳴る音色、太陽に燦めく鳳凰の凛然たるその威容と荒ぶる人々の熱気。それに神輿の重さに圧せられ滴る汗に濡れれながらも、それを担ぐ人々の晴れ晴れとした爽快なる顔を愛していたのである。いまでは、彼は無惨な現実の深層に、幽かに霞み漂う聖なるものの姿、それこそ金色に耀く神輿の天頂に、森厳として佇む鳳凰に象徴される彼が夢見る気高い幻影を愛していた、と言ったほうがいいのかも知れなかった・・・・。

そうした夏が終わろうとしていたある朝、ニューヨーク、マンハッタン島にそそり立つ二塔のビルが相継いで崩落する事件が衝撃をもって報ぜられた。
 原因はよく晴れた朝の上空を飛行してきた二つの物体、流線型の金属が、互いに鏡に映るかのようにあい似た双子のビルの胴体へ、吸い込まれるように突っ込んだことによった。
 世界貿易センタービルと称されたこのビルにいた者たち、数千人が犠牲者となったこの大惨事は、リアルタイムの映像により全世界の人々を驚嘆させたのである。
仄聞するところ、マンハッタン島の数ある建築の中でもユニークな、この二塔の建築の設計者は広東省雲南出身の中国人であったらしい。少時を経てあたかも自殺でもするかのように、崩落したこの鉄とガラスと石とでできた大建造物が攻撃されたのは、その設計者の意匠に広東省雲南の迷信が込められているからだとの俗説が囁かれた。だが現代の最先端技術のアメリカに起きた惨事に、このような根も葉もない迷信が結びつくとは、いかに不安の世紀とはいえ、なにか得体の知れない異物を嚥下してしまったような、容易に拭い得ない心理的な瘢痕が全世界に残った。
 水村もそうした瘢痕に囚らえられた一人であるといってもいいかもしれない。
 アメリカ大統領は、直ちにこの出来事を自国への宣戦布告として、「ナラズ者国家」と見られる仮想の「敵」への戦闘の開始を宣言した。これをもって第四次世界戦争が始まったという特異な解釈を下したのは、既に物故したフランスのジャン・ボードリアールという特異な思想家であった。この思想家はこの惨事の直後、自国の新聞に、この事件は世界が欲望していたものだという趣旨の小論を寄せた。このため、テロリズムを擁護するイデオロギストだという、激しい非難の矢面に立たされたことを、水村は読んだ本から知らされた。「悪」がこころの闇に広がりだし、それらが地雷のように世界のいたるところで爆発しだしたのだ。
 あの見えない「敵」を相手の、アメリカ大統領宣言の「戦争」の開始以来、世界の「安全」が過剰なくらい厳しくなっていることを、水村はそれ以来身近に感じだした。どこで何が起きても不思議ではない時代が、すぐそこまで来ていることを、彼は敏感に感じはじめたのである。誰もが身をすくめ、息を殺して暮らさなければならない不審の時代になったのだろうか。「自由」は「透明な檻」のなかでの「自由」でしかなくなり、「欲望」でさえもはや宣伝や広告の巧妙なキャッチ・フレーズに差配されている現代という時代を水村はある種呪うような思いで過ごしていた。

 「文武両道」に水村が「理想」を描いたのはそのような時代の空気と世相へのささやかな抵抗であったのかもしれない。だがこの「理想」の実現ほど難しいものはなかった。「文」も「武」も、女と男のように生まれつきその性格と構造が異なるものである。それをその時々の社会的な要請に合わせて、採取した「精神」なるものが「武士道」と呼ばれて、称揚された時代があったのだ。実践を踏まえた「五輪書」は別とし、「葉隠」しかり、「武道初心集」もしかりであった。紛い物の「文」と「武」の合金の摸擬刀と同類である。
そして、ほんものの「文」と「武」は反対側に顔を向けた双面神の仮面のように、背と腹は一体となって息づいていた。ただそれを扱う人間の「心立ち」によって、いかようにもその現れを変幻させるのである。その神妙な機微を、気・剣・体の一致と居合のせかいでは簡単に表するが、「心」の姿が「技」を通じて発現するこの秘めかくれた秘事を知る者だけが、「文武両道」の花を咲かせることができるのだ。この「花」こそ日本刀の魅力に秘められた花に通じ、それはまた日本人の歴史の心底に、月影の淡い光のように映じていたものであった。

 ボードリアールの言う「第四次世界戦争」(氏は(「冷戦時代」を第三次世界戦争と考えていた)が始まった同じ頃合いである。東京新宿歌舞伎町にある、さる居合の道場において、いつも通りの稽古が始まろうとしていた。
 どうしたわけかその日、稽古の定刻時に来ていた者は男三人だけで、まだ先生の姿は見えなかった。仕方なく三人は稽古を始める最初の礼法を終えた。そこに女性二人が遅参したのである。世話人の判断で都合五人が四股の刀からの基本稽古を終えた頃合い、先生からの連絡が世話人臼井の携帯電話に入った。人身事故で電車が少しばかり遅れているから、自主稽古でもやっていなさいとのことである。
 道場は歌舞伎町でも西部新宿線沿いに近い東京都の古い病院を解体したあと地に建てられたビルの一角にあった。線路の反対側の真向かいには、最近建てられた立派な精神病院の白亜のビルが聳え、その硝子の側面に水村たちの道場の入ったビルが映るのを、水村はまるで自分を鏡で見るように眺めていた。それはビルのなかにもう一つのビルがあるかのようみえた。
 水村が利用する稽古場は、手狭な部屋で天井が低いため刀を振り上げるには不便であったが、正面には幅広のよく磨きたてられた鏡が、道場の隅々、素早く動く人間の一瞬の影まで見逃すことのない正確さで、隈無く照らしているのである。
 五人は正面の鏡に向かい、互い違いの千鳥の位置に座を占め、先生の指示通り思い思いの自主稽古を開始した。狭い道場はいつものような静かな気迫に満ちはじめた。
 そのとき後ろの入口から、先生の姿が正面の鏡に映った。はっきりと折り目のある白袴姿で正面に進む先生は、薄暗い道場の床の上を、あたかも一羽の白鳥が氷上を滑るかのような美々しい威厳を放ち、目は深い落ち着きを溜めて輝いていた。さすが全日本居合道大会で連続三回の優勝を制覇した名人の風貌が窺えた。
 世話人の臼井が基本稽古を終え、自主稽古に入っている旨を先生に伝えたが、その間も、先生の床に落ちた目は五人の弟子たちを動きを見過ごしていることはなかった。鏡の中に先生を見た瞬間から弟子たちに、ある緊張が走るのが感じられのは先生の身体から漂う武道の指導者独特の「目」というものであったのかもしれない。さように先生の存在は道場の空気を一変する力があった。どんな動作も先生の目を逃れられなかった。一挙措一動作も先生の厳しい検閲を受けずにはいないのである。黙って先生が側を通っただけで、無言の圧力と諫言が弟子たちの身体を縛るようであった。先生がいないときは自由にできた形が、その目を意識した途端に、急にぎこちなくなるのをどうしようもないのである。先生の目の前では、自由というものはこの世からなくなるのである。従って勝手気儘な「個性」などという現代がこぞって尊ぶ観念は、先生には無用の長物であった。
 先生曰く。稽古のときは多少失敗をしても大きく、かつゆっくりでもいいから、正確にやりなさいと。弟子たちみな一人ひとり、そうしているつもりである。だが先生の言う通りにはいかない。蛇に射すくめられた蛙のように、思うように身体が動かないのである。それを見て堪りかねた先生は、太い声をさらに野太くした声で言う。
「みんなよく見ておきなさい」
 豪快で優美、正確無比の先生の演舞を、皆は正座し目を見据えて見まもる。微動だにしない下半身、柔軟敏捷なる体捌き、正確な刀法と手の内による、乱れることのない剃刀のような刃筋が、「敵」を一閃のうちに斬撃するかのように、刃先にまで魂が宿っているようだ。一滴の血も流れていないが、先生の前後左右に「敵」は完膚なきまでに斬り殺され、成仏しているのが見えるようである。
 その最中、小さな放屁の音が正座している五人の弟子の一人から洩れた。その瞬間、道場の緊張した空気は、嘲弄されたように弛緩した。誰もがその音を耳にしたはずであった。が、誰も聞こえなかったかのように、それを黙殺し端座していた。やがて先生の迫真の演舞は終わった。
 こうした先生の見本を幾度見たか知れない。動く先生の身体の形を目に焼きつけようとする。だがいざ自分がやってみるとそれができないのである。
「やろうとしないのか、やれないのか。言ってやり、これほど見せてやっているのに、同じことができない。これはどうしたことなのか!」
 大きな鏡の前を、先生は行ったり来たりしながら、大いに嘆息する。少しづつ怒りが膨張して声の音量が上がっていく。たまに舌がもつれる。すると先生は、自分で自分のほっぺたを手ではたく。
 馬のように大きな顔である。太い腕に大きな手の平、五本の指は大仏様のように太いのである。袴の下には丸太のような足が五本の指で床を鷲づかみにでもしているようだ。そして時々ではあるが、ややおおきめのげっぷをする。たぶん酒の飲み過ぎなのであろう。
 先生が一生懸命なのに、弟子がそれに充分に応えられない。天才と凡人には千里の径庭があることを、これほどに思い知らされるときはない。
「君たちは、私に何度同じことばを言わせるんだ!」
 先生の声は荒々しく、廊下まで響くらしい。それでカルチャーセンターの事務局より、偶にご注意をうけているらしいのである。
「ああ、神様! 私はどうすればいいのでしょう!」
 とうとう、先生は膝を折り、大きな両手の指を合わせて天を仰ぐ。先生はただの峻厳なだけの堅物ではなかった。どこからともなく飄逸なユーモアが漂い、思わず口から笑いがこぼれるのをどうしようもないときがある。時折、先生の洩らす冗談にはなんとも言えない機知があった。それがどこか鷹揚な笑いを含んだ一流のものなのである。話し方には名人の噺家のような間があり、それはある落語家に似ていると、秘かに水村は気がついていたが口に出せなかった。その既に物故した有名な落語家の間の取り方を先生は秘かに学んでいたのか、自ずからそのような間が生まれたのか分からない。
 先生はいつも口を酸っぱくして、「間」が大事である、「序破急」がなければならない、太刀さばきは一本調子ではなく「強弱」「緩急」が必要だと言い続けているのである。従って「この間抜け!」と罵倒されることがあっても、それは居合いの稽古上のことと甘受しなければならないのである。その上、先生の使う日本語の的確さは、生半可の国語の先生は穴があったら入りたくなるほどのものであった。
 正座し口を堅く結び歯を食いしばっていた世話人の臼井を含め、その日稽古に参加した五人の弟子たちから、思わずに笑いがこぼれずにはいない。
「笑っている場合か、馬鹿ものが! もう審査には幾日しかないのだぞ。段なぞ欲しがるから、こういうことになる。運よく段を取っても、基本ができてない者にその先はないのだ。基本とは気・剣・体の一致だ。いつまでも刀を振り回しているのでは、永遠に居合いの世界は遠いのだよ。すこしは恥ずかしいと思いなさい。高い金を払って毎回、同じことを注意されて直そうとしない。あんたたちのやっていることはだな、そのへんのおっさんを呼んできたってできることなんだよ。どこに段持ちの技があるんだ。どこに四段の手の内が見えるんだ!」
 先生は段々弟子に愛想が尽きかけている。もう多分、一人か二人を除いて弟子と思っていないのかも知れない。
 カルチャーセンターでやれることは限界がある。それにしても、既に先生の教室は、とてもカルチャーの域を超えているのだ。
 定刻の時刻を過ぎていた。熱がこもると時間を忘れてしまう性格があった。
「はい! 今日は終わり」そう言って世話人である臼井の顔をみた。後は世話人による、終わりの刀礼、即ち起立しての神前への礼、そして正座しての先生への礼とお互いの礼、をもってその日の稽古は終了となるのである。

 すでに夜は十時に近い頃合いである。激しい運動の後の喉の渇きを癒すため、新宿歌舞伎町の雑踏を模擬刀を持った数人が歩いていく。ふとしたはずみで先生の躯が、ヤクザまがいの若い衆数人の一人と触れたらしい。顎の張ったいかつい顔をした男が、怒声を上げて先生にすごみかかった。
「どうしたのかね」
 後ろ姿しか見えない先生のやや太めの声が、背中越しに聞こえてきた。だがやや腰を落とし、丸い肩のままの先生のその姿には、なんとも言えない殺気が漲っているような気がした。先生の顔を一瞬見たと覚しき先頭の男の顔が急にひしゃげ、まるで目くらましに遭ったように、今さっきまで怒気に燃え血走っていた目はしおたれて、すでに腰は後ろに退け、先刻、先生に挑みかかった烈火のような勢いは微塵も見られない。そのうち若いヤクザ風の一団の輪は乱れ、雑踏に紛れて蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。

「覚えていろよ、この仇はいずれとらせてもらうぞ!」
 そのひと声がネオンに瞬く繁華街に、あたかも夜の闇をつんざく鴉の声のように響いた。万華鏡をのぞいた一瞬、砕けた鏡の一面に不気味に散る花に似た色紙のように、その声は繁華街の闇に鋭く細く光るネオンのごとく燦めき散ったので、その負け犬の遠吠えにも似た怒声に気を止めたものはいなかった。だが水村の耳の奥にその声は消えずに残ったのである。
 何事もなかったように、先生はすでに前を歩きはじめていた。
 酒場に座ると早速、世話人の臼井がヤクザ者が先生の前で晒した醜態を話題にしはじめたが、先生はそれをすぐに制止した。
「つまらん話しはするな。酒が不味くなるではないか。居合いはああいう者とはなんの関係もない。できるだけ敵との立ち合いは避けることが居合いの本領だ。抜かないで勝つことが一番。勝負は鞘の内にあると、いつも言ってるでしょうよ。居合いとは人に斬られず人を斬らず、己を責めて平らかの道のことなんだよ。君たちの居合いは、ただ斬ろう斬ろうという気持ちが先に立っているからだめなんだ。刀は抜くものじゃないよ。自ずと抜けるものなんだ。日本刀になんのために反りがあるのかね。この反りのとおりに、ただ刀の重みにしたがって振り下ろせばいいことではないか。そのために体をどう使えばいいか。手の内をどうすればいいか。それを考えながら練習しなければ、君たちの先はないのだ。刀を握っている右手などないと思いなさい。左手、左腰、左足をいかに使うかだな。ただの一太刀で敵の戦闘の能力を殺げばいいのだ。先の後、日本国憲法の専守防衛みたいなものだな。はい、終わりだ終わり」
 先生はすこし余計なことを言い過ぎたとでもいうように、バツの悪そうな表情をみせた。
 それから一同生ビールの大ジョッキを上げて乾杯し、乾いた喉に我先にと生ビールを流しこむのである。
 臼井は現在四段で、来年五段の昇段審査を控えている。昇段審査は先生の承諾がなければ受けることはできない。世話人はその道場での先生からの連絡や雑用を一手にやる立場であり、その役目をこなすことで先生の覚えが愛でたければ、昇段審査の許可は得やすくなるのだ。比較的に時間の余裕がなければ世話人はできないが、臼井は親の資産がありそれほど日々の生活に縛られていない身分から適任者といえた。だがさほど生活の苦労をしていないか、その必要がなかったせいか、世話人を買ってでるのはいいが、好き嫌いが激しいところがある。もう十年も突き合いのあった先生は、些か子供じみたところのある、臼井の性格は知り尽くしていた。
 先生は人間観察においても群を抜いていた。命のやりとりを想定した「武」の世界では、油断は禁物であった。自分がつきあう人間が、どんな性格でいかなる信条の持ち主であるかを、その刀捌きや言動から見抜く心眼が自ずから養われる。世話人は道場内の一人一人の情報や噂に耳を傾け、道場の空気と秩序が乱れぬように気を配っていなければならない。その上で公平無私である必要があった。なぜなら世話人の先生への耳打ちひとつで、先生の弟子への見方が差配されることになる可能性は、先生とて人の子である以上、それは捨て得ないからである・・・。
 ある日、水村はカルチャーセンターのあるビルを横目に通りぬけ、新宿歌舞伎町の中程に店開きした一軒のマッサージ屋へ直行した。居合いの稽古に熱中したことにより、痛んで軋む体中の筋肉をほぐし和らげようとしたのである。その店は水村が偶然に見つけ、一度試みに全身を揉んで貰ったことがあったところであった。殆どが韓国人ばかりの若い店員の中に、一人の中国人がいた。その女のように艶めかしい男のマッサージは水村の筋肉をよく解してくれたのである。その日まだ稽古には時間の余裕があったため、水村はその店へ直行して、早速、その男を指名したのである。その店は道端から、店内の奥まで見通せ、そのあたりでは予想外にこぎれいで感じのいい環境であった。しかし、水村がその店へ急いでいるとも知らない臼井が、歌舞伎町の中へと走るよう歩いていく水村の姿を垣間見たらしかった。先生がめずらしく水村の側へきて囁くように言った。
「今日はどこかいい処へ行ったらしいな」
 先生はニタリと嫌味な笑いを顔につくり、水村を一瞥するとぷいというようにそっぽをむいた。白井が先生の演舞の最中に放屁した犯人が水村であると既にご注進していたが、自身が「風俗」好みの臼井が先生へどんなことを囁いたか、それは分かり切っていた。また、この近辺ではそのような忌むべき誤解も仕方がないのかと、一言の弁解もせずに水村はこのような笑止千番な誤解を、軽侮の念をもって黙殺せざるをえなかったのである。

 水村が三段に昇段したときのことであった。臼井の助言で先生へ感謝の寸志を包み、またこれも臼井の采配で、一緒に昇段した他の者二人と共に先生が喜ぶ酒類を贈答したことがある。どうした行き違いか、水村が酒を贈り、他二人が缶ビールの詰め合わせを贈り物とした。
 その数日後のことであった。終わりの礼が済み、皆が道場から退出しようとしているときであった。道場の床で刀の手入れをしていた先生の口から、奇怪なことばがこぼれたのである。
「先日、ある者が私の家に贈答品を送ってよこした。君たち何を贈ってきたと思うかね。酒だ。酒!」
 水村は怪訝な思いで先生のことばを聞いた。刹那に水を浴びせられたような思いで呆然と先生の表情をうかがった。
 その顔と目付きは、とても稽古中の先生のものとは思われぬ不透明な靄のようなものに被われていた。
 季節はまだ夏のことであったから、酒ではなく他二人と同じ缶ビールの詰め合わせにすべきところを、水村だけから違うものを贈られたことが、先生の不興を買ったのであろうか。
 昇段の感謝からの寸志とは別に、なにか先生が喜ぶ贈り物を自宅へ届けることは、以前からの暗黙の慣いらしく世話人臼井は、その慣いを三人へ伝えたのであるなら、何を贈ろうと問題になるはずはないことであった。水村は偶々以前にも贈ったことがある特別高価とはいえないまでも、あまり見かけない珍しい銘柄の酒を二本贈っただけであった。
 それどころか、以前にはお歳暮の酒を先生に贈ったときには、人前を憚るようにして、先生から感謝のことばを戴いたのである。それが今度にかぎり水村だけを、役人に袖の下を贈る不届きな業者同様に扱われ、道場で弟子たちがいるところで、厭みをこめた口調で俎上にあげ、これみよがしの披瀝までされたのである。
 この先生の真意が水村は掴みかね、ふと出口へ運びかけた足を止めた。そのように皆に聞こえごなしに、先生の口からの不興をぶちまけられる結果になるとは、どういう風の吹き回しか、どうにも腑に落ちかねたのであった。臼井の謀りごとであったか、水村の勝手な独断が先生の気を殺いだのであろうか。なにか計り知れない人の心に巣くう悪意の霊が、偶々先生の口から噴きだしたのであろうか。いずれにしても狐につままれたような出来事であった。
 それ以来、水村の先生を見る目には、そうとは意識されない薄い軽侮の膜が、先生への畏怖と敬愛の胸ぐらを、あたかも鏡の銀箔が寸分の隙間もなく表の鏡と背中合わせに貼られるがごとくに、ひろがりはじめていたのである。その水色にかすむ靄は、師弟の関係を微妙に曇らせ、狂わせるものへと徐々に変貌する要因になろうとは、水村当人にも意識したことはなかったといっていい。しかしそれいらい、臼井にたいし水村はその目を避け、正視できないこころのしこりを残し、臼井も臼井でなにがしら水村を疎んじる、白々とした空気が漂いだすのをどうしようもなかったのである。
 このような小事の積み重なりが、次第しだいに円滑な人と人との関係を毀損していくのだが、武道という精錬潔白を旨とし、師弟関係を一義とするせかいに、微妙かつ深刻な蔭を落とすことになろうとは、当人もふくめ誰一人思いまねこうとする者がいないとは、なんという腐りきった「武」のせかいとなりはてたものであろうか。いや、あまりの独断と根拠のない速断は控えねばならない。これがいまの世ではあたりまえのようになりはじめたのだと・・・・。
 そして過去の稽古場での忍辱の一齣一齣が、水村の胸を過ぎっていくのだった。その度に煮え湯を浴びせられたような思いを再び味合うのである。
 ときおり稽古中に家人からの電話が、先生の携帯を鳴らすことがあった。
「いまは稽古中だ。こんなときに電話などかけてくるな!」
 先生は家人を一喝して電話を切った。その顔には苦々しい嫌悪がうかんだ。そんなことが数度にわたっていたのである。
 水村はその電話と先生の態度に不審に思ったが、それほど気にもとめずにいた。だが水村が稽古の欠席を告げるため、先生の携帯の電話に連絡を入れたことがあった。偶然その電話に出たのは、先生の奥さまであった。水村は簡単に用件を告げ、その旨の伝言を先生に頼んだ、ただそれだけの短い電話をしただけなのである。
 それがどうしたことであろうか。つぎの稽古へ出た水村へむかって、先生の怒りが飛んできた。いつのまにか先生は、自分の携帯を奥さまに譲り、そうとは知らず先生の以前の電話番号にかけた携帯に、奥さまがでてしまったのである。水村の手違いとはいえ、そのときの先生の怒りようは一様なものでない、異様に屈折した怒りがみえた。そこにはなにかの秘密を、水村が先生の奥さまにご注進に及ぶがごとき疑惑がこもった、とげとげしい口吻があった。先生の携帯電話がいつの間にか、奥さまの手に渡り、先生の携帯の番号が新しくなっていることは、水村も知らされていたが、旧い番号を消去しておかなかったことは、水村の失態ではあったのである。ただのちょっとした間違えの電話を、先生の奥さまにかけてしまった、ただそれだけのことに、なぜ口汚く罵られねばならないのか、水村は呆気にとられた。また、そのような個人的な感情を弟子に向かって露わにすることはめずらしいことであったのである。
 そのような時期からのことであろうか。世話人臼井の携帯電話に、稽古の時間に遅れるとの先生の伝言が頻繁に入りはじめた。小心の臼井はその電話に出るのが遅いと叱責されてから、稽古の開始時間が迫ると携帯の鳴る音に過敏に神経を集中する姿が、甲斐甲斐しくもあり、その忠犬ぶりを憫笑さえする者もいたのである。そして遂には先生のいない自主稽古となる日が頻繁になりだしたのだった。
 臼井の声に始まって、四股の刀の基本が一本二十本から三十本づつ、弟子たち一人びとりの掛け声で終わると、狭い道場にやけに白けた空気がただよい、気の抜けたような弟子たちの身振り、動作を映す正面の鏡のみがそれらの淋しいにぎわいを冷然と見下ろしているようであった。
「偶には自主稽古もいいものだな」
 張りのないつぶやくような臼井の声も、黙々と帰り支度をしている弟子たちの背中に虚ろに響いた。
 考えてみれば一回数千円の会費を納入しているこの教室は、カルチャーセンターであり、先生個人の道場ではないのであったが、誰もそれを不当に思うものはいないのである。偶にカルチャーセンターとの気軽さから入会する新規の高齢者がいたが、少数精鋭の道場を目指していた先生の指導は、あからさまとは言えないまでも、こうした生徒を容赦なく篩いに落とした。
 先生のいない稽古後の酒は不味く、弟子たちはそれまで見せたことのない顔を曝しだした。話題は最近になって増えてきた女性会員の品評会に及び、聞くに堪えない下卑た冗談が交わされた。が、誰も先生が特別に目をかけている一人の女性の名前だけは、禁句のように発することはなかった。それを言えば、そこに先生の姿が勃然と現れ、根拠もない醜悪な想像が浮かぶことを、誰もが忌避したからである。
 さすがの臼井も話題を変えた。既に生ビールの大を五杯も空けて、もう充分に酔っている臼井にしてはめずらしい機転をきかしたものである。
「どうだ。最近、東条の奴は稽古に来てないが、秋の昇段審査は大丈夫なのかな」
 臼井が東条の昇段を心配していることでないことは、誰もが知っていた。なぜなら、臼井と東条は犬猿の仲で、ろくに口もきいたことがない関係なのである。
「どこかで特別稽古でもしているのとちがいまっか」関西の大学の剣道部にいたこともある森田が口を挟んだ。
「当日、突然現れて合格する手合いもいるからな」臼井が嫌みな笑みを浮かべて言った。
「でも五段の審査ですけ」わざわざ変な物言いをしたのは、三段の吉岡である。
 映画や漫画の影響からか、居合いを習いたいという人間が近頃急に増えだした。全剣連居合道連盟は、こうした動きをみて審査の判断を厳しくしだし、四段もそうだが五段は相当の実力を要請されるようになったのだ。のっぺりとした吉岡の顔には、女のような眼鏡がのっていたが、相当に酔いつぶれて背中が前のめりとなり、傾いだ眼鏡がずり落ちそうである。まだ若いが若年寄りめいた狡猾な手合いの吉岡は、先生の提灯持ちをしているせいでか、先生の受けもよかった。剣捌きも先生の言うことを素直に真似る要領のよさもあるが、「おまえの剣には蠅が留まる」と先生もその手弱女ぶりにあきれていた。
 以前、東条はその稽古熱心で皆の秘かな賞賛を買っていたが、世話人臼井との確執から次第に足が遠ざかるようになっていることは、皆が問わず語りに知っていたことであった。また、勤めている会社の勤務も厳しいらしく、審査が近いといって稽古に来る時間もとれないのだろうと水村は思ったが、それは口には出さずに胸にしまいこんだ。
 このように荒れた酒の席では、居ない者が酒の肴に悪口雑言の限りを尽くされることはよくある光景であった。例え先生がいたときでも、そのようなことは時折みられたことだったからである。
 先生は善人でも悪人でもなかった。その両面を合わせもっていたにすぎない。たぶん人生の表と裏を知り、その辛酸を味わってきたのにちがいない。剣の名人は「人生の達人」でもあったのである。そこに面妖な先生の顔が潜んでいた。剣の極意である「手の内」に熟達するとは、そういうことでもあったのであろうか。
 仮想敵を相手にした居合道の審査がいかなるものかを先生はよく知っていた。
 技の形を見る目が審査の判断を決する。減点法が審査員の判断を左右する力で優勢となるのは自明であった。減点にすべき眼目は予習され訓練されているから、審判の神経は減点の対象へと集中する傾向は必至となる。この結果、昔の禅宗の老師が遺訓として残した「葉を摘み枝を尋ぬる」の風、いわゆる枝葉末節に目が注がれ、技の全体を見る目が衰微するのは自然の流れであった。他方、技を見せる方といえば、いかに自分の技を審査員へアピールするかが重要なポイントとなるのだ。
 測りがたい一個の意志を持つ「他者」、命の遣り取りが賭けられた烈しい殺意がみなぎる剣の一閃はここにはない。無惨に斬られ倒れる「敵」は現存してはいないのである。全体とはその不在の「敵」をも演舞者と共に見ることができる目そのものである。表と裏、生者と死者を同時、同等に見る目、いやこころといったほうがいいのか、そういう「無限」を抱懐する知覚が「武道」の心底に脈々と伝えられてきたはずであった・・・・。
 ここに現代の居合の宿命と陥穽があった。先生はそれを知っている、いや知っていなければならないと水村は思った。人を斬ることを教える者が、敵対する生身の人間との死闘を経験し、その肉体を余儀なく斬り殺したことがないとは、なんという夢想、背理のせかいであろうか。これが現代の「武道」の美しくも無残な姿なのかと。
 こうした愚かといえば愚かな妄念と短慮、独断と盲信が水村の胸中に兆し、ふつふつと育ち蟠りだしたのは、先生への尊服と不審が輻輳しながら根をはりだした時期とちょうど符節を合わしていたのである。
「肩にそんなに力をいれてどうしようというのだ。居合いにポパイのような筋肉などは必要がないと言ったでしょう。居合いは瞬間の芸なのだ。ゆるゆると淀みなく、カミソリでような刃筋をもって、対手の害意を殺げばいいだけのことだ。汗をかく必要なんてないのよ。ひとさし舞い踊っても汗をかかない。日本舞踊の心得と同じだ。ただ強く行き当たるをば下手というのだ。手で斬るな、足で斬れ、足で斬るな、腰で斬れと言うでしょうよ。中国の木鶏のたとえ話などは敢えてしないが、闘おうとするこころなどさらりと捨ててしまいなさい。刀は鞘に収まっているのが一番いい。無事これ名馬だ。これはみんなに言っている。他人事と思っているんじゃないぞ!」
 こう言い置いてから、先生の鋭い眼光は辺りを睥睨した。
 まるで水村のこころのうちを見透かしたかのように、世話人臼井への先生の叱責は、また彼の肺腑を抉るように思われた。顔を真っ赤に充血さした臼井は、蛇に睨まれた蛙のように床にからだを凝固させたまま、子供っぽい顔を苦虫を噛んだようにつぶしている。
 先夜の自主稽古あとの酒宴での会話を、先生は誰からか洩れ伝え聞いたのかも知れない。その日の世話人臼井への風当たりはばかに強いように思われた。提灯もちの吉岡ならあることないことを先生の耳に囁かないとも限らない。
 その水を打ったような道場の静寂を、先生の後背を映じた幅広の鏡面が、嗤いを殺してみつめているような気配を水村は感じた。まるで獣が透明な水面に巨大な眼を開いて、ジッとこちらを見ているような不気味な気配を覚えたのだ。

 九月に近い八月の午前の太陽が、窓から差し込み床を焦がし、その強い日照りが鏡に夏の陽に輝く海のように広がっている。
 ああ海と、水村はこころのうちで叫ぶように独り言ちた。もう七年も海に潜っていなかった。冷たく爽やかに彼を抱擁し、沈黙の別乾坤へと誘い、彼の魂を解放してくれる海。色鮮やかな小魚が、珊瑚の林に群れ綾なし、透明な青の宇宙を遊泳するあのこころ洗われる自由と恍惚の感覚。光り耀く穏やかな生命の楽園は、彼を平和で幸福な瞑想へと誘うのであった。いや、それは夢想であり、なにか恋情にも似た深い無意識に育まれた情熱であったのだ。
 パラオ、インドネシア、タイ、フィリッピン、オーストラリア、スリランカ、紅海、そしてキューバと、彼は日本の沖縄、小笠原から海外の海までのダイビングを三十年にわたって愉しんできた。がある不快なことがあってから、その海から遠ざかっていた。畏怖し愛すべき海という自然の中にも、腐りきった人間関係が入り込むのは避けがたいものなのである。
 あれは真っ暗な夜の海であった。忌むべき男の足が水村の首に絡まり、空気ボンベの鋼鉄が水村の顎を撲った。その不意の攻撃に水村は男の悪意を読み取った。水深は二十メートルを超えていた。秘かに水村は男の背後に回りこんだ。それから、ソッと腕を伸ばして男の背負っている空気ボンベの栓を締めた。
苦しみ悶える男の声が海の中に聞こえた。
やがて男の沈黙は夜の海の沈黙に消えていった。
それは水村の見た白昼夢であった。

 いま居合いの稽古場を照らす鏡から、突然に過去の海の記憶が走馬燈のように甦ったことに不思議な思い捕らわれていた最中、彼の眼前、額に触れるかのように、鋭い剣先が突き出されているのに気づいて、水村はハッと我に返った。
「おい、いまおまえはなにをボーっと考えていたのだ。俺の話を空耳で聞いていたのだな。俺を無視し、シカトしたいならするがいい」
「いや、ちがいます」という水村の咄嗟の弁明の声も耳に届かなかったかのように、先生は水村の眼前に突きつけた刀を鞘に納めると、踵を返し水村に背中をみせて遠ざかった。
「よし稽古をつづける」と大声をあげた先生の視線の中に、水村の存在は完全に消えていた。彼は力なく残りの稽古を呆然と終えると
いつものとおりの御礼のことばを出口で発し稽古場を退出したが、それへの先生の応答は無言であった。
 彼が師とする無想直伝独信流七段の先生曰く。稽古とは古を学ぶことである。学ぶとは真似ることだ。がこれが難物なのである。古とはなにか。現にない過去である。過去を学ぶことを現代では歴史というが、歴史が書物にあるなら簡単だ。しかし先生の言う古は師の口伝によるほかは習うこと、真似ることができない。
 居合いは遡ること四百年前の室町時代、奥州の林崎甚介重信によって工夫完成された剣法である。しかし、現代における居合いの剣法は、五段以上を除き、ほとんどが真剣によらない刃のない合金の模擬刀をもち、鏡に対面し、あるいは鏡なしで「敵」を仮想して行われる以外ないのであった。従って居合いの技が競われるのは、いかにこの存在しない仮想の「敵」に肉薄し得るか、その形がどれほど真実に「敵」を一刀のもとに斬り倒しているかの模擬の演技が判定されるのである。「敵」は想像された虚像でしかないが、その「敵」をいかに実像として的確・有効に斬っているかが審査の基準になるのだ。「文」と同じ虚実皮膜の世界がここにも見られた。「試合」もそのような「形」が審査の判断となるのである。いない「敵」をどれほど実在せしめ、見えない敵をいかに見るかに居合の生命がかかっている。鏡に映る自分を「敵」と仮想しながら、しかも鏡の中に「敵」がいることはない。鏡を見ても鏡を見てはならない。稽古の中で仮想の敵をつくる「目つけ」がよくよく重くみられたのはこのためであった。虚空に「敵」を描く闊達なる想像力が、居合の世界を保証していた。こうした存在と無の二律背反を背負った世界が、現代の居合いの世界なのだ。制定十本目の「四方斬り」の仮想敵は四人である。現実に四人の敵陣へ入り、寸時にその全員に勝利するには、どれほどの剣の技能が要求されることだろう・・・・。

 依然、東条が稽古場に来ることはないままに昇段審査の日がやってきた。当日の審判長は先生であった。会場の隅に、臼井の緊張気味の顔が見えた。そこから数人を隔てた後ろに東条の姿があった。

「やはり来ましたよね」
 メガネの吉岡が、隣にいた森田に囁いた。
「どこかでこの日のために稽古をしてたのとちがうねん」
 森田の関西訛りが聞こえた。
 大学の剣道部にいたことのある森田には、吉岡の臼井寄りの言動はどうでもよいという男らしい恬淡が窺えた。勝負は勝てばいいので、ねちねちした人間関係には関心がないらしい。だから森田の剣捌きには、蠅がとまるような吉岡のそれとは対照的に、斬りつけ、斬り下ろしには爽快な迫力があった。道場の鏡に細い一筋の瑕を残したのも森田だった。
「よく割れなかったものだ」
 先生が感心して、その瑕を指で撫でて言った。
「この鏡を割ったらおまらの一ヶ月分の給料は飛ぶぞ」とはいつもの先生の口癖であった。このとき、水村は夏に数泊した民宿の前に
満々と水を湛えた人工の湖、そこで見た一枚の写真をふと思いだしていた。
そして、池の水の中をのたうつ大きな魚が、水面を光りで燦めかせる光景を夢想した。すると道場の正面に蔽われた鏡が、あたかも水鏡にさえ見えはじめるのであった。
 審査は五本の技を抜いて見せ、六人の審判員がその審査にあたる。五本の内一本は、制定ではない古流の技を入れるのが要件。制限時間は六分以内で完了しなければならないルールである。
 会場はざわめきに満ちているが、そのざわめきの中に審査時独特の緊張が張りつめている。会場の所々で、自分の決めた技を手刀でシミレーションする者、鞘引きの訓練をする者が見え隠れする。座禅を組んで精神統一をはかっている者もいた。
 五本の内、但し四本の指定技は、当日の直前に発表されることになっている。会場に「三」、「四」の二本の座り技と、「六」、「十二」の立ち技二本の指定技の声が響いた。「受け流し」と「柄当て」、それに「諸手突き」と「抜打ち」の四本が指定技となった。場内が一瞬ざわめいたがすぐに鎮まった。五段以上の審査は、摸擬刀ではなく真剣を使わなければならない。めったにあることではないが、抜刀や納刀に失敗し左手、左指を傷つける者がないではない。また安全のため改めて目釘を確かめる必要もあった。斬りつけた途端になかごから刀身が飛び出した事故が最近どこかで起こったからである。
 「始め!」という号令と同時に、胸にゼッケン番号をつけた受験者が、携刀から礼法に入るのである。いや所定の位置に進みでるこのときの姿勢や歩き方から既に審査は始まっているのであった。目は「遠山の目付」というやや薄目にして四方のすべてを視野に治め、歩行はお能の演舞者のように床をするがごとく、足裏はみえてはならない。指定の技いがいの残り一本は、古流のなかから各自が自由に決めることができる。ほとんどが古流の初伝一本目の「初発刀」から始めるものが多い。先生のいうことでは、この技に居合いのすべてのエキスが込められているとのことである。この最初の抜き付けの一刀必殺の鋭さが居合いの生命であり、これを見ただけで居合いの修行の深さを見ることができるというのである。
 さすが五段ともなるとそれほどの甲乙はつけがたいようであるが、そこに審査員の評価が下り、審査員の目が逆に試されるのである。この最初の一刀ではねられた者は、残りの技を見る必要もないとまで言われていた。
 開始線のテープを貼ったところまで携刀姿勢で右脚より進み出た二人は、神座への拝礼を行った。このとき、左手から右手へと刀を移し、右手に下げられた刀身の切先は前下がりに軽く提げて微動だにしてはならないのだ。礼は腰から上半身を、首を曲げずに前に倒し恭しい拝礼をしなくてはならない。この際首を落として後襟をみせる無様なまねをしてはいけないのである。つぎに正座をし袴の裾うしろを右手で左右にしずかに捌く、足に袴がからまぬようにするためである。既に仮想の敵は眼前に見えていなければならない。つぎに左腿の上にある左手の刀の鐔棟側に右手親指をかけ、右膝頭の前方へ右手首と肘の長さの間隔に鍔を、こじりは手前に引き置き、下緒は刀の棟に添ってそろえるのである。
 居合いは礼に始まって礼に終わると言われているので、これらの礼法に一分の疎漏もあっても、昇段は覚束ないのである。
 稽古を充分にやれなかった東条に多少迫力がないようにみえたが、減点の対象になる動作は窺えない。臼井についても少しく固い身体捌きはいつもの癖だが、これといった瑕瑾もみえない。指定三本目の制定の「受け流し」において臼井の技が、斬り下ろしの一瞬頭上で一瞬滞ったようにみえた。が、ここは難しいところであった。この「受け流し」は、敵の真っ向からの切り下ろしを、右手上方に上げた刀の鎬で受け流し、敵の体勢がくずれたところを、左足を退いて瞬時に袈裟で切り下ろす技であった。制定十二本の中でも、足の捌き、腰の入れ方、手の内をすべての技が、この素早い演技力を試される難度の高い技の一本なのである。即ち、真横からの「敵」の攻撃に即応し、踝を立て身体を起こし右肩上方へ抜刀し、斬り下ろしてくる「敵」の刀を頭上の鎬で受け流す、と同時に「敵」に向き直り、襲ってきた「敵」の左肩から袈裟に斬って勝つ技である。この一連の動作が淀みなく流れるように一瞬で終わらねばならないのだ。これが現実の場面で実際に行われ得るかは、甚だ疑問がないわけではないが、「敵」の初太刀をかわし、完膚なきまでに「敵」に勝つことを本願とする居合の極意が、この技に端的に現れていた。

 昭和四十四年に全日本剣道連盟が定めた現在の制定居合いの技は、そのすべてを居合いの古流から作られたものであった。竹刀剣道が次第にスポーツ化し、堕落とみえてきた風潮を刷新すべく、真剣での戦闘の技法を注入するため、全国の様々の居合道の流派の師範の面々が糾合鶴首し、ここに居合道制定の標準の型が決められた。古流は現実の中から生み出された剣法であるが、制定の標準は机上でつくられた「型」であり、それはいわば合金の摸擬刀に似ていた。「型」だけが重視されやがて「敵」を想像でしか想定できない「技」が、中身のない「演技」へと薄まっていくのは自然の流れであろう。摸擬刀で人を殺傷することはできないことはないが、真剣の「人斬り包丁」に比すべきもないのは明らかであった。
 前年の昭和四十三年が明治維新からちょうど百年、戦後二十年目の節目にあたり、この時、日本の安全保障問題を中心に国内では右翼と左翼が思潮的にも鎬を削りあいだした頃で、日本の近代が歴史的なターニングポイントを迎えようとしていた時期に、それは偶然にも符節を合わしていたのであった。
そして、昭和四十五年に上映された映画「人斬り」(五社秀雄監督)ほど、水村が居合へ傾倒してから現代居合への鬱憤を晴らしてくれたものはなかった。中でもその映画に出演した高名なる作家が演じた殺陣はほんの数瞬であったが、現代の居合から失われた日本刀の刀捌きと迫力の本質をみたように思われた。

 臼井の隣のグループにいた東条が、制定七本目の「三方斬り」から残心に入り、納刀の一瞬に刀が閊えたようにみえた。やはり稽古不足の感は拭えない一面が端なくも露呈したのであろうか。審判がこのわずかな納刀の動作をどうみたのか、それは分からないままに二人の審査は終わった。
 だが、その最中のことである。手前のグループで審査を受けていた者のなかに、左手から血を流している者があった。その鮮血は白袴の裾を染めている。それが水村の目に飛び込んだ。だが既に老年ともみえる出場者は、床に散る鮮血にもかかわらず、審査をうけつづけようと必死の形相であった。たぶん痛みも感じない精神状態での演舞をしていたのであろう。だが最前列に並んだ審査員の六人の目に、これが見えないはずはなかった。いや、その背後に控えている審判長の目が、その血染めの袴を見逃すはずはなかったにもかかわらず、なんの反応もそのけぶりさえみせなかったのである。
 負傷者の演舞を止めさせた者は、審査員でも審判長でもなかった。ぴーんと張りつめた会場に、ざわめきの亀裂が走った。やっと事態を知ったかのように審判長が、会場に現れ選手を場外に出させて救急班を呼びよせた。
「審査員はなにを見ているのか!」
「審判長はどうしたんだ!」
 審判を取り仕切る審判長をあからさまに非難する声が、会場の隅から聞こえきた。
 審判長はわが道場の先生である。水村は自分が嬲られたような痛苦と恥辱とに躯を震わせた。
 会場にのっそりと姿をみせた先生は、いつもの先生とはいえ、なにか別の世界から会場に現れたような、武張ったその歩きぶりは、鈍重で緩慢な挙措といい、審判長としてみなの顰蹙を買ってもおかしくはなかった。
 そこに見たのは、隙のない機敏にして繊細でさえあるいつもの道場にいる先生ではなかった。あたかも猿山の醜悪なるボス猿の姿そのものであった。
 そのとき、水村は会場の世話人の臼井と東条、森田と吉岡、そして先生が特別にこまやかに指導していた一人の女性と、その周りにいた数人の女たちの顔を、一人また一人と鷹のように鋭い目を開けて暫し見つめて沈思した。
 この数年水村は週に数回の居合いの稽古に全力を注ぐような生活をしてきた。先生からどんな罵声を浴びようが、それは稽古の上のことであった。一旦剣を手にしたその瞬間から、彼は俗塵のすべてを忘れることができた。畏敬しながらも齟齬の砂を噛まざるえない先生に対する憤懣に、彼は堪え忍ぶことができたのは、諸手に握る日本刀の持つある妙なる魅力にその源泉があった。だがこの醜態は、即ち彼の恥辱のすべてを呼び起こしてあまりあるものであった。同じように彼は町内の祭礼がいかに惰性と俗臭にまみれたものだとしても、神輿の天頂に羽根を広げる金色の鳳凰の凛としたその聖なる姿が存する限り、町の祭礼を愛し続けられたのである。そして、いかに彼を冷遇したとはいえ、剣の修行道を指し示した先生への敬愛の念は消えることはなかったのであった。しかし、この時、彼、水村の胸をうちを炎のように焼き、聖なる一筋の川を汚濁にまみれさせたものたちへの幻滅は大きく、かつ強烈であった。彼は自己と自己を取り巻くこの世界の全的な滅亡を願うほどに、それは彼の心を引き裂き打ち砕いたのである。
「鏖(みなごろし)にしてやるがいい!」
 そういう大音声が、水村の背後から暫しの後に幻聴のように聞こえてきた。それは水村の背後に巨人のように立ちあがり、水村自身をさえ圧するほど、傲然かつ烈しい怒声となり彼の身内を熱流のように駆け抜けたのであった。
 それはこの世界とのすべての関係を縛る靱帯を、重い鉈を振り上げて叩き切ってしまいたいという祈願、解放への意志、町を呑み家を押し流す激流、自爆テロによる人体の炸裂とビルの瓦解、大地が裂け奔騰する熱いマグマのように、哀れな水村を押し流し、叱咤する絶対「他者」の言明として、彼の耳に鳴りどよめてきたのであった。
 それからのある日のこと、歌舞伎町の片隅に中国人が経営する店の奥で、ひとりの風俗嬢が、下腹部を抉られ手足をバラバラに斬り殺される事件が起きた。切り傷から凶器は日本刀であり、刀をそうとうに使い慣れた手練れの者であると推定された。このことから、警察は居合の道場男子全員の指紋をとり、当日深夜の各人のアリバイを問い質した。五段の昇段審査に惜しくも落ちた世話人の白井へ、普段の風俗好みから疑惑の目が向けられた。が白井には完全なアリバイがあった。といっても別の風俗店のご愛顧の女性とその時間帯を過ごしていたとの女性の証言が得られたからである。厳格なる捜査の結果、水村を除く道場の全員がその事件に無関係であることが判明した。
 水村の証言では、当日は自室にこもって居合の稽古中に指導された注意点をパソコンで整理し、それを終えた後に「小説」を書き綴っていたとのことであった。子供のいない水村は、妻と二人暮らしの生活をしていたが、妻は前日の朝から近隣の親しい者数人で、温泉へ出掛けていて留守であった。水村のその深夜の動静に関する情報は、町の余所者のような生活をしていた水村の、近隣住民の誰一人からも出てくるはずはなかったのである。
 その上、道場内での水村に対する評判は、先生を筆頭に芳しからざるものが多分にあった。まず先生からの聞き取りでは、稽古中での鏡を前にした不可解な行動からはじまり、臼井からの情報に基づく風俗店の利用の一件など、他の弟子とは異なる不審な言動が、警察の注目を引き、そこに近隣住民の情報と深夜の公園での捕り物騒ぎが加わった末、水村はほとんど被疑者扱いにされるありさまとなっていた。また、その後の捜査の進展により、無惨に殺害された風俗嬢の中国の女性の名前は周柳美と言ったが、それは偶然にも水村がマッサージ店で指名した中国人、周龍峰の妹であることが判明した。この偶然の事実が、余計に水村の容疑を深めたことは言うまでもなかった。
 そしてこの一件は、道場の師範格の先生の顔を疵つけないわけにはいかなかった。現代の居合が形だけのもので、その真剣に見合う「道義」から遠いものであることがはしなくも露呈されたからである。その事件があってから女性の会員は、その初心者から日を追うごとに道場に姿を現さなくなったのは自然な成り行きであろう。
 だが奇怪なことには、なぜかそのバラバラに惨殺された風俗嬢が、水村にはまるで眼交に見えるように浮かぶのであった。なぜかその実行犯がもう一人の「自分」のようにも思われなくなかったからである。いやそれ以前から、世界と自分とのあいだに境界がなくなり、日々を追うごとに、生きているという実感そのものが失われているような精神状態がつづいていたのであった。他人と話すことばは廃墟の壁石のように崩れ落ち、主語を喪失した述語のみの言語は、他人には容易に理解不能であることが屡々となっていた。そしてその頃から水村は、度々、奇妙な幻覚と幻聴に襲われるようになっていったのだ。道場でも無言でいながら、ひとり鏡を凝視してなにやら口の中でことばをつぶやいている水村は周囲の者さえ怪訝に思った。当然、道場の先生が水村の言動に不審なものを感じないはずはなかった。
 先生の指示から世話人の臼井を介し、水村は妻に伴われて道場の真向かいにあった病院での診察をうけた。その結果、とりあえず一ヶ月の通院診療と専門医によるカウンセリングが行われることに決まった。水村はほぼ週に一回病院への通院を余儀なくされた。ただ特別な先生の寛大な配慮で道場での稽古は許されたのである。なぜなら水村は日本刀を握ったそのときから、どうしたことか余人と変わるところは微塵も見受けられなかったからである。むしろ以前より見違えるほど稽古に集中し、その凛然たる白袴姿にはなにかの光りにさえつつまれているようにも見えた。そして、先生も感心するほどの居合の技の上達ぶりを示した。敵が目前に現実にいるかのように、正対した刃筋は鋭く立ち、居合腰での足捌きは能役者のよう摺り足で舞い、その無駄のない素早い動きは美事であった。二尺三寸五分の刀身は水の中の小魚のように、手の内で自在に閃いたのである。

 警察は水村を容疑者として見逃すわけにはいかなかったが、近隣のクリーニング屋から、事件の深夜水村の部屋が明かるかったとの証言が出た。また、水村の使用したパソコンのファイルの時間記録を信用するなら、同夜水村が自室にいたことは、彼のアリバイの証明に有利に働いた。警察が水村を被疑者として立件に及ぶには、決定的な証拠はどこからも発見できなかったのである。 

 そして、水村が道場の近くの病院へ通い出してから、およそ一ヶ月後の日曜の午後、水村が語った道場に起きた残忍極まりない奇怪な事件は、ただ単に水村の荒唐無稽な妄想とかたずけることは余りに容易であった。しかし、その時道場にいた先生と弟子達数人の姿は、その後、この世から杳として姿を消し、いまだ誰一人その姿を見たものがないという事実をどう説明することができたであろうか。
 偶々、水村が見た「事件」の直後の現場の目撃者となった彼の言うことは、多分に精神に異常をきたした証言であるゆえに、そのままに信用することは憚らねばならぬであろう。だが警察が現場に駆けつけたとき、異様な興奮状態はただごとでなく、口から出る現場の模様は凄惨を極め、事件はまざまざと三人の警官の前に現前したかのごとく、三人の事後の証言は水村が語るとおりの映像として幻視されたことは、否定しえない詳細な記録として残された。

 その日は朝から雪がちらつき、午後には東京ではかつてないほどの猛吹雪になった。電車は至る処で寸断遅延し、水村はやっとの思いで道場に入ったとのことである。
 いつもの通り道場からは、居合い稽古独特の気合いにみちた静寂しか感じることはなかった。だが彼が不審に感じたのは、通常開けっ放しのままの道場の扉が、その日に限って寸分の隙間もなく閉じられていたことであった。そして更衣室は暖房で暖まっていたが、冷たい床で稽古着に着替え、氷りついたような廊下を歩き道場の入口へ近づいても、依然として中からは一声もなく、あの野太く独特に大きい先生の声が洩れてくる気配はなかった。
 水村は狐につままれるようにして、道場の扉を開け放った。すると男の彼でさえ目を背け、直視しえぬほどの凄絶を極めた光景が目に飛び込んできたとのことである。
 それはまことに息をのむ、およそこの世にありうべからざる地獄絵図のありさまであった。割れた窓ガラスから猛然と吹き込んだ雪が、道場の床一面に白い化粧をほどこし、そこに繰り広げられていた情景は、これを目にした人のこころを衝撃のあまり、ずたずたに引き裂くが如く思われる残虐非道なる惨劇であったのである。
 狭い道場は白い雪まじりの血の海と化し、一気に斬り落とされたと覚しいひときわ大きな先生の頭蓋が、胴体から二メートルばかり離れた、ほぼ道場の真ん中に血染めの雪だるまのごとく転がり、まだ刀を握りしめた先生の太い右腕が、真っ赤な血に染まって、世話人臼井の切り離された首の傍らの床に、柄を握ったままの刀ごと突き立っていた。それは戦場に掲げられた敵の戦旗のごとく、天に突き立っている象徴的な物体であった。それから数メートル離れた場所には、横様に倒れた女弟子の、雪に降りかかり可憐に伸びた手の先に、先生の太い足首が転がっていた。それはあたかも女弟子がその足首を握ろうとにじりよろうとしたほど間近にあった。
 残り七人の身体は、ことごとくに鋭利な刃物で滅多やたらに深くえぐられたように斬られ、ある者は横臥し、あるいは両目を開けたまま仰向けに倒れていた。水村の反復強調することから推測すれば、これら十人の遺体はほぼ瞬時に何者か複数の屈強な者たちによって、あっという間もなく襲撃されたのに違いないとのことである。先生とその弟子たちが襲いかかる敵に、いかに烈しく奮戦したかは、その壮絶な先生の最期の姿と周囲の情景からも、駆けつけた警官の三人ともに、どういう不可解な心理の働きによるものか、それが水村が見た幻覚とは露知らずに、同じような妄想の虜となったのであった。 
 その現場の最初の目撃者である水村が、警察による徹底的な取り調べを受け、当日の惨状の目撃と執拗を極めた警察の追求の結果、強度の精神的な外傷を受け、訳の分からぬ支離滅裂なる言辞を、あるときはぶつぶつと呟き、かと思えば脳天から発する奇声で叫ぶ奇態を呈し、司直の指揮により今度ばかりは完全なる精神の異常から、線路向こうの精神病院への入院を強いられる身の上となったのである。
 重要参考人である水村が警察への「証言」として話したつぎのようなことは、警察の調書に記載されていたことであった。しかし、水村の妄言のままにその現場を見たと信じるしかない三人の警官はともかくとして、当地域管轄の警察では狂気に似た言動を繰り返し、気が違ったような男の言うこととして、一顧だにされることはなかった。しかし、先生以下九名ほどの行方不明者の捜索に警察は全力を注がざる得なかった。
 しかしこの「事件」が水村の見た幻覚かどうかはさておき、三人の警官も信じたこの雪の日の「惨殺事件」を解明する手がかりとして、読者諸賢のなんらかの参考に供するため、敢えて記しておくことにしよう。

 正面の鏡は森閑としたまま、凄惨な道場の一部始終を澄んだ湖水の水面のように映じ、秋は疾くも去り、季節は既に冬そのものであった。
 激しい破壊から砕け散った窓からは、一条の白刃のごとき光線が鏡に反射するかと思いきや、そのまま鏡の中に吸い込まれるように消えた。水村がその光線の吸い込まれる辺りを凝視していると、鏡と思った一面のガラスの向こうにほの暗い湖が渺々とひろがり、古代オリエントを思わせる数々の石像が周囲の深い森林に蔽われていた。その頭上に広がった紫紺の空には、鮮やかな極彩色の鳥が飛び交い、その空にうかんだ月は獣の目の形相で、赤い血を滲ませて爛々と光っているのであった。
 その不気味な空を映す湖水の奥深いところに、水村は一筋の白い線が走るのを見た。それは鏡につけられた刀の傷の痕かと見えたがそうではなかった。現にその線と見えたものが蠢くと、一匹の魚がゆっくりとその巨体を浮かびあがらせたからである。
 水村はなぜか「鏡乃虎!」と一声叫ぶと、その場に気を失って倒れた。まさかあのアルゼンチンの盲目の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの奇書に書かれた「幻獣辞典」の獣たちだとは信じ難いことであるが、その鏡の中に閉じ込められた獣たちであった。彼らは鏡の裏側に幽閉され、あたかも夢の中でのように永遠にこちら側の景色を映し、人と寸分違わぬ動作を演じ真似、反復する刑罰をかせられていたのだ。その鏡の中の獣たちが、遂にその異形の姿を現したとは、いったい誰が信じ得ただろうか。だがそのとき水村の口をついて出たことばは、その奇書のとおりであった。

「鏡乃虎! パンドラの箱は開けられたのだ!」

水村は幾度となく、その同じ文句を病院のベッドで繰り返していたらしいが、その意味不明のことばは病院の廊下中に、不気味な血の滴りのごとく染みわたっていった。
 水村の保護観察中の警官の目には、水村は既にこのとき完全な狂人に見えた。その男が語ることばが妄想にすぎなく、水村その人が彼自身が伝える鏡の中の住人の一人としか想像されなかったとのことである。
 だがまだ依然として、水村の耳の奥には、鏡の奥底からの怪しい武具のふれあう響きが、中世の戦闘集団さながらの鬨の声とともに、反響しつづけ止むことはなかったのであった。
 
この奇怪な事件は証言者の水村の閲歴と言動と相俟って、暫くの間マスコミ等のメディアを賑わせていたことは言うまでもなかった。道場は閉鎖され、やがて歌舞伎町にあったカルチャーセンターそのものも、ただ道場の前面に貼られた巨大な鏡だけを残して、当ビル内から姿を消してしまった。
 やがて当該の惨殺事件は不可解な「謎」を残したままに、アメリカによる某国を仮想敵にした「戦争」は、これに参戦した主要国の至る処にテロリズムの拡散を生みだし、宗教を背景にした地域紛争は東アジアにまで猖獗の様相を深めていったのである。

 水村がいた病院は、道場があったビルから線路をひとつ隔てた真向かいにあるため、病棟の広々とした窓からはまざまざとそのビルの全貌が窺えた。
 ある雪の日のことである。水村のいる病室の窓から、異様な格好をした一団が列をなして動くのを水村は見た。それは白い覆面をしたヤクザ風の男たちで、ビルの裏に蔦のように延びた螺旋階段を素早く登っていった。冬の空から霏霏として降る雪がその一団を見えにくくさせていたが、それはたしかに道場のあった七階の扉の中へと消えていったのである。それが水村の見た幻覚であったのかどうか。水村はその白い風景の中を蠢めき、ビルに消えた一隊を、自分の見た夢かのように、一人を除いて誰に語ろうともしなかった。その一人とは妻の響子であった。このときの妻の反応は意外であった。
「あなたが見たというなら、それは本当のことにちがいないわ」
 となんの屈託もない様子で彼女はそう応じたのである。
 それから、子供のいない彼女はほぼ毎日のように、水村の様子をみに病院へかよってきた。その妻の姿には、入院した病気の子供を心配する母親のような暗い憔悴の顔と、放浪をしていた夫の帰還を迎える様にも似た嬉々とした笑顔の、ふたつの顔が交互に窺えるように思われた。
 道場のあったビルの上空は、神輿の鳳凰に似た嘴をもった漆黒の鴉が互いに絡まり合い、飛翔していない日はなかった。その不気味な鴉の激しい鳴き声は水村の耳の奥で、あの雪の日の鏡の中から聞こえた「鬨の声」の、遠い谺のように響きつづけたのである。
 やがて時の経過とともに、虚脱と昂揚の心の波が代わり番こに訪れる日々を暮らす水村のいる病棟の廊下から、なにかの慶事か祭りの日を髣髴とさせる、場違いなほどいきいきと晴れやかな響子夫人の声が聞こえる日が増えてきた。
 そしてその鼻歌まじりの声の合間あいまに、こんどは医師や看護婦・看護士たちと談笑する彼女の、賑やかな下町風の明るい笑い声が、廊下の中程にあるロビーまで流れてくるのであった。静かな病院の中では、その水村の妻のまわりだけが、どこかほのぼのとあたたかく、明るい春の日溜まりのような空気につつまれていたのであった。

                               Ψ

 木村博士が家に帰り、壁の一面に大きな鏡で設えた寝室の中で、「離人症の病理」と題した論文が載ったパソコンの電源を落とし、就寝の時刻が近づいた頃であった。携帯電話の音がけたたましく鳴り響いた。こんな夜おそくの電話はめずらしいことであった。内容は患者の一人が、日本刀で腹を突き絶命したとの知らせであった。 博士は慄える手で皮鞄から、その男の記した原稿のたばを取りだした。暗く絞った照明を明るくして、「小説(仮想の敵)」の二頁目をめくり、題名を恰も初めてのように読んだ。「夢想神伝鏡乃虎」。漢字ばかりが七文字仰々しく並んでいた。その下段に細く拙い字が蚯蚓のようにうねっているのに、博士は改めて気がついたのである。
  ーこれは神より伝聞されたごとき私の夢想を記したもの、事実らしきものはすべて作者の妄想とご了知ください。

 それからしばらくして、博士は患者が忘れていったアルベルト・カミーユの「カリギュラ」という戯曲の最後の場面と科白を思いだし、同時に室内の鏡に映っている自分の顔を一瞥した。自分の像を映した鏡を粉砕したカリギュラは大声で叫んでいた。
 ―おれはまだ生きている!







詩「母」

 つぎに掲げる「母」という詩は一年ほどまえ、あるところへ投稿し受賞した作品である。ここに家を象徴する母とその息子のながくつづいた葛藤の一風景が、詩の形式でイマージュされています。私はこの詩を書くことによって、母と自分との関係を形象化しようとしたらしい。この詩を書きながら最晩年の母との内心の対話を通じて、私の中にあった閊えが氷解した思いがあった。詩は心中から湧き出てどかかへと消えていく魂のすがたであろか。
 末尾に選考者の感想を参考に添付しておきたい。


         母

              時はたそがれ
              母よ 私の乳母車を押せ 
                (三好達治「乳母車」)


病室の母に 新鮮は外気を吸わそうと
車椅子にのせて庭に連れ出し 私は言った
お母さん、あそこにきれいな花が咲いています。

ことばを出すちからもなくした母は
ただじっと口を結んでいるばかり

うしろすがたの肩は痩せほそり
すずやかな母の鬢は まるで皺のよった紙のようだ

わけもなく どこもとも告げず
二十五の私は家を飛び出した
ただテレビをまえの団欒の退嬰と
湿った母の繰り言が厭なばかりに
父とはすでに語ることばもなかった
そのとき 私は両親から巣立ったのだといえば格好はいいが
それは安楽な家とこの退屈な世界へ背をむけただけのこと
 
いや 世間の目を気にしながら暮らす
その生活のみすぼらしさから
私は逃げ出したのにちがいない

心中に燃える かくやくたる孤独が
私をこの世界の果てに追いやり
そこに私の王国を夢想することができただけ

私を駆る反抗の熱をひそかにさまし
仮面紳士さながらの 隠忍の昼と夜とを
ああ それはなんという抽象の逃走であったことだろう

そのとき
母は悶える沈黙のなかからつぶやいた
後ろを向き 車椅子に座ったまま
 あなたは叔父さんにそっくりな人生を生きてしまったよう。

胸のなかで私は秘かに反論していた
いや そうではないのです
叔父さんは周囲の無理解にもかかわらず
信仰に生きられ 私はそうではなかった・・・・・

そして花をみることもない
髪のぬけ落ちた母の頭を私はみた

この小さな頭と骨の浮きでた母の胸は
最後のひと時 この私のことで一杯であったのだ
そして 母のことばはわが子を思う
綿々たる心情にあふれていたのだと

私のこころは慄えていた
どんなに私を不憫に思いながら 母は生きてしまったことだろうかと

棺の中に横たわる母の頭は
小さく 冷たい 石のようであった

私はその頭を撫でさすり
母の顔のまわりを
たくさんの花で囲んでやった

まるで母の顔を花で蔽い隠くして
ただ遠く 遙か彼方へ
  遁げるかのように・・・・


(選考文)
 「母」は、一生を終えようとする母とのことばを超えた対話。それぞれの背後にあった生きざまは、なまなかでは理解しあえません。それがひとにとって最も近い存在だったはずの親子であってさえ。とはいえ、子ども、特におとこにとってにとって母親は、特別な存在であることも事実でしょう。ですが、ひとが生きるということは、きれいごとだけで済むわけがありません。そうして厳しい現実から目を逸らさずに、一篇の詩に仕上げています。(中略)とくに最終連は作者の屈折した思いが籠められていて、母の死という、よくありがちなテーマであるにもかかわらず、この詩を書かざるをえなかったこころのありようが痛切に迫ってきます。現実と夢想のあわいにあって、消えることのない屈託を丁寧に書きこんでいます。

(注記)応募時の原稿をすこし改稿したことを、ここに記しておきます。さすがに選者のH賞の詩人はこの詩の要所を見逃していな いのは、「とくに・・・・」以降の数行で掬いあげた炯眼が証明しています。これによって、作者は詩の冥利を得たと同時に蜘蛛の巣にかかった一匹の蝶さながらに、詩ということばの森に足を採られている情況がうかびあがります。


(注)2017.8.31付けのブログを、ここに再掲します。





小説 「ラプソディ・イン・ブルー」

 昨年の秋、妻に誘われて日本橋のデパートで開催中の生け花の展覧会を見ての帰りのことであった。
そのデパートの近くに、私が最初に配属先になった会社の支店があることをふと思い出し、またその当時よく通ったことのある喫茶店がそのまま残っていたのを幸いと妻と二人で入ってみた。その喫茶店のほとんんど昔と変わらない椅子に、私は妻と向かい合わせに座ると、二階へ上がる正面の階段の壁へ自ずと目が動いていた。とその壁に、昔となんの変わりもないように掛けられたボナールの絵を見たときは、なにか二十五年ほどの時の経過が嘘のように思われ、虚を衝かれるような思いを一瞬味あわされたのである。ちょっという間に街の佇まいが変わっても、一向になれっこになって不思議ともなんとも思わない東京という都会に住んでいると、変わっていないことが反対に奇妙な思いをさせることがあるものだ。私のように激しいビジネス社会の中で生き、日々の競争に明け暮れしてきた人間には、変わらないということはむしろ異常ですらある。この私でさえ随分に昔と変わったと妻に言われても、自分がどう変わったのかわざわざ妻に聞きただすのも面映ゆく、ただ苦笑でその場を紛らわしてしまうばかりである。そのせいか若かった頃のことはできるだけ忘れるようにしている。というよりただ単に慌ただしく生きてきただけなのである。 
 旧友のYとつきあっていたのも、だから三十ぐらいまでだっただろうか。青年時代にある詩人のことを私に教えてくれたのがYであった。二十歳で自分の詩集を暖炉に放り投げ、最後はアフリカで一商人としてのたれ死んだ伝説的な詩人だ。私もご多分にもれず、学生時代の若い頃は文学青年のひとりであった。いまとなっては考えただけで脇の下に脂汗が流れてきそうだ。
 思い返せば当時入学したばかりの大学は、学内が騒然としてとても落ち着いて勉強などできる雰囲気ではなかった。それはアメリカが東南アジアの一角で、泥沼のような戦争をしていたせいかもしれない。一年と経たないうちに、大学校内はバリケードが築かれ授業はストップ。仕方なく大学近辺の喫茶店やら、せいぜい大学の図書館で暇をつぶすしかなかったのだ。法律を勉強して弁護士にでもなろうとしていた私は、いつのまにやら哲学や文学などという観念と妄想の世界へ入り込んでいた。しかし私もYも当時の大学紛争というあの殺伐たる活動には馴染めずに、一歩も二歩も距離をとっていたのは共通していたように思う。二人とも当時活動家と呼ばれる人達の拠り所とする原典というものには、一通りの読書をひそかにしなかったわけではない。しかしそれらの思想や理論は、当時二人が抱えていた一種内的な精神の飢えともいうべきものをとても癒やしてくれはしなかった。その点、Yが教えてくれたその詩人はちがっていた。というよりもいまから思えば、私はその詩人の伝説的な生涯に勝手に熱をあげていただけだったのかも知れないのだが。私はただ大学紛争の活動家たちがその思想と理論の根拠を必要としてしたように、文学などに傾斜していかざる得ない自身の惰弱を切り捨てる口実を、Yが教えてくれたその詩人の無惨に終わったその生涯の軌跡に投射していたに過ぎなかったのだろう。しかしYは所詮私のようにただ世間的な秩序とその権威に弱い俗人ではなかっただけに、その若い人生のとばくちで強く影響を受けざる得なかったその詩人と生半可につきあっていたのではなかったらしい。いや私としては、こんな青臭いやくざな内輪話はこの際どうでもいいのである。私が話したいのは、そのもの哀しいまでに変わらない旧弊な喫茶店で、まったくの偶然にも旧友のYの細君に逢ってしまったことだった。
 むこうはもちろん私のことなど覚えていなかった。私はYの細君と立派に美しく成長した娘さんとをみて、ちょっと挨拶がてらYの近況でも聞いておいても悪くはないと思い立った。Yの聡明そうなその細君の話だと、Yが一通の手紙を細君に残したまま、どこか海外の方で行方知らずになってかれこれ十年が経つという。細君は顔色ひとつ変えず、淡々と要点だけを伝えると、まだ蕾のようだがすでに清艶な美しさを湛えた娘さんと席を立ち、会計の方へ歩きだしていた。そのとき私の中で得体の知れないものが鳴動し、壁が奥の方から剥がれるような思いを味わった。私はすでに外へ出ていた細君を捉まえると、後日連絡したい旨だけをつげ、呆けたような表情で妻のところへ戻っていったのである。
「どうしてらしたの」といかにも子細ありげに尋ねる妻に、私はただ「いいや、なんでもないんだ」と答え、飲み残しのにがい珈琲を干しながら、それ以上の妻の無用な質問を断つかのように先に立ち上がると、その時代遅れの喫茶店をあとにした。

 一週間後私は細君に電話で連絡をとり、もしさしつかえがなければ、Yが残していったというその手紙を読ませてはもらえないかと申し出た。細君は少しばかり考えこんでいた。その沈黙の中から、意を決するかのようにその手紙はあなたに差し上げましょうと言った。
「よろしいのですか? 私はちょいと借りるだけでいいのですが・・・・」と驚いたように私は問い返した。
「いえ、かまいません。もう八方尽くすだけの手は尽くした以上、私どもにはその手紙の差出人には相当なる義務は果たしたと存じております」。
 私は電話の向こうの細君のその残酷なほど怜悧な声に一瞬驚いたが、その細君の断固とした口調の下に重ねられてきた二十五年という時の経過を、その時、つまりYの細君への手紙を読む前の私には想像することができなかったのである。
 数日して細君からその「手紙」とやらが送られてきた。
 私は家族が寝静まってから、封を開きそれを手にした。すでに褪せてはいたが、青い封筒に包まれてその手紙が入っていた。どこか遠い異国からのものらしいが、発信場所はあまりに汚れていて判読は不可能、差出人の名はたしかにYであったが、その字はすでに擦れて半分消えて読めない状態であった。
 つぎのものがそのYの細君への手紙のほぼその全文である(判読不能の箇所が幾つかあった)。ここにその「手紙」を掲載するについては、Yの細君の許諾を得る要はすでになくなっているものと、どうかご了解を願っておきたい。



《窓の外では静かな海が亜熱帯の太陽に灼かれている。だがなんとすべてが黙していることだろう。まるで時間が溶けて流れ、永遠がぼくの目のまえで、このぼくを釘づけにでもしているようだ。
 この太陽の下のとろけた青い海を見ていると、死のうと思ってやってきたこのぼくの意欲はそがれ、ぼくが死ぬことなどまるでなんの意味もないような気さえしてくるのだ。この無疵な自然をまえにして、人間は死ぬことなどできるものだろうか。たとえ死ぬことができたとしても、果たして死んだといえるのだろうか。こんな想念が、ぼくの頭をまるで一羽の鳥が空をゆっくりと弧を描いて飛んでいくように、くっきりと現れては消えていく。この島へ着いて、この窓から海を眺めてもう十日もすごしてしまった。この青い海をみているうち、ぼくは君にいつしか心の中で話しかけている自分に気がついた。共に八年も暮らした君が、いまほど近くに感じられたことはない。これが人の心というものだろう。心いがいに人が人に触れあう場所は、この世の中には存在しなということがやっと身にしみたのだ。それでこの明るい窓辺の机に向かって、果たして君へ届くかどうか覚束ないこんな手紙を書いているぼくを、どうか変な奴と思わないでほしい。どうか黙って君もぼくの心の中で、ぼくと一緒にこの長い手紙を読んでほしいのだ。

 ぼくは君にぼくの犯した過ちを釈明したいとは思わない。それはとても言葉で釈明できるものではない。君のあまりに大きな信頼のまえで、ぼくがどんな裏切り犯したか、それは筆舌につくすことは不可能だ。ただぼくはもう君が生きているこの世に生きていることはできないと思うだけだ。死がその答えだとは思わないが、これ以外にぼくが選べるすべはないのだ。

 あの女とのこともはじめは軽い冗談といってよかった。世間でいうちょっとした浮気だった。それが自分で不思議なほどいつしか泥沼にはまりこんでいた。浮気をする男を演じていた自分が、いつのまにやらどうにも身動きがとれない深みにいたわけだ。男を愛する女の恐ろしく深い能力を知ったとき、すでにぼくはその愛から這い上がることなどできなかった。逃れようと思えば思うほど、その深淵はぼくを掴んで放さなかった。あの女がぼくを魅了したというわけではない。形容しがたいその「愛」がぼくを捕らえたのだ。それはなんと遠いところへ人を連れていくことだろう。
 恐ろしい愛の魅惑は死の魅惑だ。この愛は人間を根こそぎにする。充たされた欲望はさらに大きな穴をほって、より一層大きな欲望を目覚めさせる。短かった逢瀬は少しづつ長引き、一週間に一度の逢い引きが二度になり、ついに数夜の外泊へと発展する。白いシーツに浮かび上がった闇のなかで、「好き」という女の短い発語が熱い吐息に混じりはじめるとき、疲れた身体を奮いおこして、ぼくはそれに答える。「好きだ」と。・・・・。ああ、大都会の夜の底に蠢く二匹のけもの。その安らぎの世界がどれほど深く、ぼくたちの魂を解放させてくれたか、君が知ったら!
善意にあふれ、誰よりもやさしい君は、そのあまりのおぞましさに顔を赤らめ、気絶をさえしかねまい。
 ぼくは君を愛している。君は変わらないぼくの妻だ。だがぼくは、君を愛しているぼくの愛情と、あの女との交情をとても同じ秤にかける気にはなれない。人間の魂の世界は広く、海のように深いのだ。君とぼくとで守ってきたぼくたちの家庭は、この広く深い海のうえにうかぶ一艘の小舟にすぎない。この海、この魂こそ人間が生きている源泉なのだ。君は夜、君が子供たちと寝ている隣の部屋で、ぼくが赤々と燃えるストーブの炎をみつめながら、何を考え何を思っていたか、きっと理解してくれたと信じている。そうだ。女はその海だった。海がぼくを噛んだ。夜の海がぼくの魂を噛んで放さなかった。君との誓いをぼくが忘れたわけではない。ああ、結婚、家庭、愛しい子供たち。人の一生と同じように、永遠のまばたきのまえでは、それは朝の陽炎のようなものなのだ。目覚めたばかりの初々しい魂にこそ、朝露は美しく輝いてくれる。ぼくは疲れていた。ぼくの魂はとうに死んでいた。日毎死につつ、ぼくは君と子供たちのために働いた。夜ごと、君を愛そうと務めてきた。
 ーこれが人生だ。
 とぼくも思わないわけではなかった。しかしそのたびに、瀕死のぼくの魂は反論した。
 ーこれが人生か、と。
 君はきっと言うだろう。好きなことをし、好きなように生きて、それで死ぬなんて! ああ、どうかそんなふうに思わないでほしい。人生を好きなように生きるなんてできるものではない。これがぼくの人生だったのか! と。こんなふうにしか人は生きることができないものなのだ。この人生は恐ろしく不自由なところだ。そしてこの不自由極まりない人生の果てに、人を待っているもののことを思うと、ぼくはぼくの人生という牢獄から、別の新しい世界を求めずにはいられなかった。
 現にある平凡な生活を守ることがどんなに難しい事業であるか、ぼくが考えなかったわけではない。無邪気に寝ている君や子供たちの顔がどれほどぼくを圧倒したか。ぼくの足下で魂の海が鳴りどよめけばどよめくほど、小さな一艘の小舟をどれほど不憫と思えたことか。
 季節の折々、職場と家との往復の道すがら、終始ぼくはぼくの生活をしたいと願ってきた。
幸、不幸は与えられるものだ。結婚や家庭、それに職場や社会といったものについてね。ぼくは確呼としたぼくの人生を果てまで生きたいと思っていた。そしてぼくの人生とは、ぼくが望み、ぼくが時間と格闘した軌跡が、はっきりとした年輪を刻んで形になってくれるものでなければならなかった。
 ある日ふと街角でぼくはぼくの影を見た。いや、影がこのぼくを見たのかもしれぬ。影はぼくだった。ぼくの人生は歩く影にすぎなかった。淋しい笑いがぼくの身体から洩れ、容赦なく新聞紙へあたる風はぼくの空白の心をめくっていった。
 ああ、なんと恐ろしい風だろう。風はぼくの心の片隅を吹きすぎ、ぼくの魂の迷路をまざまざと晒しだしたのだ。得体の知れないものがぼくの魂の深みで鳴動し、ぼくは立っていることもできずに座り込んだ。雨が路上の窪みに溜まっていたのだろう。そこに映っていた青空がぼくの眼に反射し、一瞬眩暈がして、ぼくは空へ落ちたような錯覚を覚えた。磨きぬいた鏡のような青空が、小さな水溜まりに光っていた。ぼくがそのとき見た青空ほど美しい青空があっただろうか。その透明な青い空の反射は、ぼくの全身を貫いて、鋭くぼくの不意を襲ったのだ。影は消え、ぼくは惑乱して解体した。静かな青の光がぼくを充たし、その茫然自失の幸福に酔いながら、魂はふたたびぼくを掴んで浮びあがった。ああ、なんという浄化と覚醒があったことだろう。ぼくはぼくを掴んでたちあがった。これがぼくだと。そのときぼくが味わったあの確呼たる存在への知覚を、いまどうして甦らすことができないのだろう。あの強い感情こそ、人生と生活にはなくてはならないものなのだ。人は自分の人生を影のように送ることはできない。にもかかわらず、なんと多くの人生が影のように通りすぎて消えていくことだろう。
 どうしてぼくはこんなところにいて、こんなものを書いているのだろう。この窓にひろがった静かな青い海をみていると、すべてを容してくれそうな君の瞳を思いだす。ぼくは二度と君に逢うことはないだろう。だがぼくはこんなに自由な気持でいることできるなら、(この後三行判読不能)。
 思えばぼくはこういう自分こそ、この人生で捜し求めきたような気がする。それならば何故ここから生きることができないのかと君は言うだろう。ぼくもそう思う。なぜここから新たに生きなおすことができないのかと。・・・・(この後一行判読不能)。
君が生活というものなら、あの女はぼくにとって夢のようなものだった。見た夢をそれが醒めた後で正確に他人へ伝えることは難しい。だがぼくはこうやって君と共有する最後の時を、その困難と戦うことですごしたいと思うのだ。
 君はとうに知っていたと思うが、あの女に逢ったのはやはり海でのことだ。このぼくの人生は波のように絶えず海から生れ、海のなかへと消えていく。
 人生は海のようなものだ。海にもぐり海をのぞいたことのある人間なら誰でも、陸から見える海の底には、測り知ることができない別のせかいがひろがっていることを知っている。ぼくたちはぼくたちの見た海を海だと思い安心している。だがその海が別のもう一つの海でできていることを考えようともしないのだ。君はぼくを見て安心している。だがぼくは君が想像もつかない別の「生活」をしていることだってあり得るのだ。君から見れば、そんなぼくの生活はきっと「夢」としか名指すことしかできないだろうが。
 実際あの女はそういうぼくの生活に、海の香りを漂わせて現れた。夜の海辺のことだ。海にもぐる仲間と一緒に、ぼくが潮騒が枕もとにまで押しよせてくる、海沿いの宿屋に泊まっていた夜のことだった。真夏のことで暑くはあったが、ぼくたちが横たわる部屋へは、波のひびきとともに、心地よい海からの風が吹き通って、窓辺のカーテンが夜目に白々と翻っていた。仲間は昼の遊びのせいでぐったりと寝入っていた。ぼく一人妙に透きとおった気分で眼を醒ましていた。とその闇のなかを白い蝶が一匹横切った。その蝶に誘われるように、ぼくは一人下駄を履いて外へ出た。月が海のほうから、暗い海沿いのアスファルトをぼんやりと照らしていた。空と海の境も、海と空との境も見分けのつかない闇が茫漠としてひろがり、ただ波が陸を叩く不気味な轟きだけが足下を震わしていた。腹にひびくその単調な波の音はただ寥々として定めなく、視線は茫々とひろがる闇に紛れて海の背さえ覚束ない。ぼくは強い海からの風になぶられ、ぼんやりと月に照らされた舗道を行きつ戻りつしていた。そのうちどこからともなく下駄の音が聞こえ、ふりかえると暗闇に女が立っていた。ぼくはあの女だと咄嗟に思った。女は皓い月のように淋しく微笑むとぼくに寄り添ってきた。きつい海の香りが鼻をつき、ぼくは女と一緒にアスファルトの道を降りて行った。道はますます暗くなり、ぼくたちはたびたび足をとられてよろめいた。夜の底で海が吠え、地が呻いた。ぼくは女の肩を引いた。
「こわい」と風の中に女の声がした。すぐそばに海を見た。暗い底知れない海が、何かを待ち受けるように横たわっていた。砂の上に女が倒れ、胸から乳房が溢れ出た。女はぼくをひきたおすと、強くぼくを噛んだ。ぼくは女の着ているものをむしりとると、その暗い入江に頬をおしあて、強い海の香りに染みたそのからだを抱いて深々と呼吸した。地をはって波の音がその入江に谺し、おぞましくもゆたかな自然、海の全身が、ぼくのなかへと流れこんだ。海へ海へ、ぼくたちはその暗い入江に身をたおし、泡だち溢れる夜の海と一体になった。これがあの女にぼくが出合った夜の海辺のことだ。
 
人はなにか大きなものと出合うために、小さな毎日を生きている。大きなものとは人それぞれが求め、きっといつしか出合うはずの運命というものだ。その運命と呼ばれ得るなにものかによって、はじめてぼくたちの小さな自我は抱きとられ、未知の歴史へ手をひかれて歩きだすものだ。人間の魂とは、その運命という未知の女神を捜し求めてやまない永遠の渇きだ。眼のまえにその女が現れたとき、躊躇なく旅立たねばならない。それは現前であり召命なのだ。でなければぼくたちは永遠の後悔に苛まれるにちがいない。その運命がどんな苛酷な体験で報いようと、ぼくたちの自我が成長する道はそれ以外にないのだから。
 君と子供たちから離れ、ぼくはあの女と生きはじめた。生きるとぼくは言うが、そこには世の生活を満たすものはこれぽっちもありはしなかった。都会の生活はあの女には死ぬほど退屈なものと映ったし、ぼくにも灰汁のなかで浮んでいるも同然と思われた。そこでぼくたちは有金をかきあつめて、二人の耳の奥で鳴りつづけてやまない海へ出た。
 ぼくたちはちょっとした旅行を計画した。ガム、ヤップを経てパラオ諸島、それから台湾からフィリッピン、フィージー、ヘリブデス、ニューカレードニアまでを潜りぬこうというものであった。パラオのあまりに美しい海では、あの女は深く潜りすぎて軽い潜水病に罹り、三週間もぼくたちは小高い丘の上のホテルコンチネンタルで過さねばならなかったし、フィリッピンでは洞窟探検を試みて危なく命を落としかねなかった。フィジーの夜の海では、ライトの先に浮び上がったまるで宝石箱をひっくり返したような世界に、あの女の驚きの声が水の中で聞こえてきた。ヘリブデス、ニューカレドニアの満点の星屑にまみれて、ひときわ大きく瞬く南十字星を眺めるころには、ぼくたちの財布は底をついた。それからあの女の提案で、やっとの思いでオーストラリアのシドニー湾に転がりこんだときには、ぼくたちの身体は栄養失調で無惨なほど痩せ衰えていたのだ。幸いなことに、シドニーにはあの女の知り合いがいて、ぼくたちはその知り合いの屋根裏のような駐車場の三階で漸く暮らすことができた。その知り合いがあの女とどんな関係か、ぼくは知りたいとも思わなかったが、とある夕べ食事に招かれると、ぼくたちは丁重に立ち退きを言い渡された。あの女は侮辱をうけたと言って興奮していたが、ぼくにはその理由などわかろうはずはなかったのだ。
それから一年余り、ぼくは女を残し漁船に乗り込んだ。それはこれからのぼくたちの航海の資金稼ぎとその技術とを習得しようとの算段からのものであった。その間あの女は仕方なしに雑貨店の住み込みで働いていた。ぼくは多少不安を感じたが、女が提案した次ぎの計画のためには、どうこう考える余裕などなかったのだ。がぼくが一年ほどの航海と漁船生活に耐え、やっとの思いで帰ってくると、あの女の姿はなかった。女は最初から働く気などは毛筋ほども持ってはいなかったのだ。ただ飢えで渇き、貪婪なまでのあの女の魂は、律儀な生活など天から受けつけるはずはなかったのだった。店の住み込みを一ヶ月で放り出し、まだ少年のような青二才とあの女は海辺の一艘のヨットの中で暮らしていた。
 海の荒くれ者と一年も一緒にいたぼくは荒みきっていた。カッと頭に血がのぼり、いまでもそのときぼくが犯した行為を、はっきりと思い出すことができない。ただぼくの頭の上で、夥しいほどの鴎が鳴き叫んでいたことだけははっきりと覚えている。あの女が烈しく制止するのも聴かず、ぼくはそのまだ年若い青年へ殴りかかった。あっというまに、青年は船底に倒れ、口から血を出して仰向けに横たわった。ぼくが正気に返ったとき、あの女と海の上にいた。夕暮の波ひとつない静かな海だ。夕陽があの女の頬を染め、真珠のような涙が光っているのをぼくは見た。ああ、幸福とはなんという代償を要求するものだろう。ぼくがそのとき見たあの女の頬にきらめくものほど、ぼくを幸福にしてくれたものは、その後二度となかったのだ。
 ぼくはこの世から二度自分自身を追放した。一度は君と子供たちを捨てたとき、二度目はあの青白い青年を海辺で殺したときだ。もとよりすべてぼくがあの女を愛したからにほかならないが。

 ぼくたちの一艘の舟は、シドニー港を逃げるように、ぼくたちの計画した旅のうえをすべりはじめていた。慌ただしくグレートヴァリアリーフに別れをつげ、ぼくたちはスリランカ、モルジブ、紅海、地中海へと、三十八フィートの小さなヨットで旅をつづけていくことになった。

 恐らく海が何でできているかを海の魚にきいてもわかるまい。人々が孜々としてして営む陸での生活の意味をどうしてぼくに窺い知り得ようか。ぼくとあの女と過した、あの気の遠くなるような広い海から海への生活をいったい何にたとえることができるだろう。自然はぼくたちを呑み込んで瞬きひとつしないくせに、なんという乱打、咆哮、強熱をもて、小さなヨットでのぼくたちを迎えたことだろう。
 あの女は最初の船酔いに耐え抜くと、まるで見違えるばかりに海の苛烈な自然と戦った。海と空の霊気があの女にのりうつったかのように、あの女はヨットの上で嬉々として働いたのだ。
 そしてぼくとあの女は、国から国へ、島から島へと放浪の旅を重ねた。風と光と波が、ぼくたちの生活を彩り、ぼくたちの魂は深々と風を胎み、肉体はマストのようにしなやかになっていった。上陸してぼくたちはいたるところで、人間のさまざまな生活を見た。見ることがぼくたちを喜ばし、ぼくたちの生活と化していった。誰もぼくたち二人を怪しむものはなかったし、苛烈な自然を相手の海の生活や、さまざまに見たり聞いたりする出来事が、過去の悲惨な事件を忘れさせてくれるのだった。もちろん舟の修理や燃料の工面それに食料や最低限の必需品の購入のため、陸に降りて二人して働くことはあったが、それらの苦労は舟が海をすべりだすうちに、いつしか洗い流されてしまうのだった。世界は広く、人間の地上での多様な生活は、夜の無数の星の輝きにも似た畏敬の念をさえ、小さなぼくたちの胸にあふれさせずにおかなかった。戦争と平和。犯罪や病気。見るも無惨な虐殺とそんな町や村にもある団欒の夕べの灯。少年や少女の初々しさ。老人たちの孤独など、ぼくたちが見たものはそのままぼくたちの喜びとなり苦しみとなっていったのだ。
 だがどうだろう。そうやって数年が過ぎるうちに、舟底に水が浸入して溜まってくるように、ぼくたちの二人の生活に、言いようのない倦怠が広がりはじめたのだ。ぼくたちはもう何を見ても何も感ぜず、どんな驚きも歓びも心に湧き立つこともなくなった。ばったりと風がやんだ幾日も凪いだ海のように、ぼくたちの魂は死んだように動かなくなった。二人は空気の淀んだ舟底に横たわったまま、まるで廃人のように、互いに眺めては、舟の操縦さえ忘れてしまう有様だった。潮に流されたままのヨットの甲板は炎熱で焼かれ、飢餓は容赦なくぼくたちを襲った。空腹に噛まれ海に釣糸を垂らしているぼくの背後で、あの女は手にナイフをもったまま、凄まじい形相でぼくを睨み佇んでいる姿ほど、ぼくをぞっとさせたことはない。ああ、人間の魂が無限に焦がれても、人間の心の世界がそれをうけいれることができないとは! 大自然の脅威に戦うことができた人間が、心の中に吹き荒れる嵐に耐えることができないとは! とうとうぼくたちは舟を売り払い、とある病院の門をくぐらねばならなくなった。

 あの女がどんな女であったか、それを知ったのは不思議と思うだろうが、二人が病院で暮らした二ヶ月のあいだだった。
 無限を愛し、永遠を希求し、深淵そのものの魂を持っていたと思った女。始原の官能を生き、海の混沌と空の広大に思うさま身を解き放つことのできた女が、狭い病室から一歩も出ようともしないどころか、病室の窓をのそこうともしないのだ。あの女が医者に要求したものといえば、一冊のノートとインクの出の悪い万年筆、ただそれだけだった。病室の薄暗い隅の小机に向かって、一日中点けっぱなしのスタンドの明かりの下で、あの女が何事かを必死に書きとめようとしたことが、ぼくをいたく驚かせた。隣室からぼくが逢いにいっても、もはや何の反応も示さなかった。食事も受けつけず、日に日に痩せ衰えていくのがわかった。話しかけても答えはなかった。ノートはいつも開かれていたが、病院の壁のように白かった。そのうち寝たきりになって点滴を射たれた。それから三日三晩眠りながら独り譫言(うわごと)のようにしゃべり続けたのは、あの女の幻のような遠い過去のことらしかった。ぼくと共に暮らした昨日までの歳月などあの女の中には、一片だに存在しないかのごとく、ただあの女の中に睡っていたくさぐさの思い出の断片が、脈絡のない手紙か電文のように、白い病室の壁に虚ろに響いた。

 ぼくは初めて死んだ女の顔をまじまじと見た。閉じられた眼の下に大きく隈がうかび、その隈に無数の小皺が波紋のようにひろがっている。唇は夢みるように半ば開き、誰かに話しかけているようだ。鑿で削ったような繊い鼻はまだ海の空気を呼吸しているかのよう。乾いた砂浜のような額には、ほつれた髪が海からの微風をうけてかすかに震えていた。
ぼくはふと窓辺に眼をやった。
 一匹の白い蝶が青空の中へ消えていった。ぼくが見ていた夢の終わりのように。

 窓の下は海が翳りはじめた。さっきまで静かだった青い海は、暗く死相を漂わせ、そのうえを兎がはねるように白い波が騒いでいる。ぼくは君になんといって別れればいいのだろう。・・・・・。(この後ニ行判読不能。わずかに「一九八二年」というこの「手紙」が書かれたとおぼしい年号だけが読みとれた)》



 「手紙」を読み終えその青い封筒をとりあげると、そこから白い砂がサラサラと私の机の上に流れ落ちた。恰もそれが細君とYのあいだ、そしてまた同様にYと私との間に流れ去った時間という残酷な事実を証すかのように。そのとたん、Yの細君の電話での声が私の耳の奥でよみがえった。Yがこの世でほんとうに死んだとすれば、それはあのとき、細君によるこの私への決然たる一言によるものではないかと、しきりにそんなふうに思われてならなかったのである。

                  (未完)

(後記)この作品は1995年(平成7年)に発表された。同年の1月には「阪神淡路大地震」、5月に「地下鉄サリン事件」があった。

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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