FC2ブログ

小説「最後の老人」

 凍りだした田沢湖が日に照り眩しいほどだった。
 切石竜三は妻のヤエと最後に訪れた温泉の途中で、この湖をバスから眺めたことがあった。晩秋の温泉は白一色に蔽われ、積もった雪に足元を気遣いながら、背中におぶった妻へ声をかけた。
「ホレ! 温く白い温泉やで。ここに浸かってな、ゆっくりしーな」
 背中の妻のヤエが、竜三のその声を聞いているのかはあやしかった。肉はそげ落ちて、骨と皮だけになった彼女はもう藁のように軽い。
 案内された部屋に入ると、竜三はすぐ押入から布団を引っ張り出し、ヤエを横たえさせた。白濁した瞳が竜三をぼんやりと見つめている。意識はあるがもう誰だか見分けがつかないのかも知れないと竜三は気がきでならない。布団はひんやりと冷たい。竜三は妻を寝かせると、湯たんぽを借りにフロントへ行った。
「そんなものありませんです」
 若い娘の一言で、竜三ははじき返された。彼の目が憤怒に針のように光った。
「あまりに冷たい布団でなー、病人には温くないじゃけんー」
 太いが低い声を喉の奥でふるわせ、竜三は大きな躯を屈めるようにして、娘のまえに頭を低くして、周囲を見まわした。奥に人の気配がなければ、細い娘の頸に両手をかけてでも、湯たんぽが欲しかった。娘はその竜三の躯から発する、得体の知れない圧力に押されるかのように、
「電気炬燵ならあるかも知れませんで、さがして来ますから・・・」
 そう声にもならない声をつぶやくと、奥へ逃げるように小走りで姿を消した。水っ洟を手の甲で拭った竜三は、奇妙な笑いを浮かべていた。自分が娘に求めたものと、娘が捜しに行ったものとの、その奇妙な違いがなぜか可笑しくてならなかったのだ。
 その頃の竜三は独りではなかった。背に負うヤエがいた。息子にも孫にも会うことができた。だがその時、滑稽な可笑しさとともに、彼は淋しいようなもどかしさに、苛立ち身をふるわせている自分がそこにいることには、さらさら気がついていなかった。

 竜三が六十に近くなった頃、わずかな農地を手放し、県庁のある大きな街にでたが仕事はなかった。灰色のシャッターばかり並んだ暗い商店街のコンクリートの床に段ボールを敷いて身を横たえた。そこで二夜を過ごしたが、三日目に同じような仲間の一人から叩き起こされたのだ。
「おめえどこの誰さ? 木戸銭もなしにいい度胸しとるけんなあ」
 竜三は細い目を開けて、その男の顔を股下からチラリとにらんだ。その竜三の刃物のような目に、男の顔からすうっと表情が消えいった。
 ゆっくりと竜三は何かを拝むように起きあがった。仁王立ちになっている男の股に素早く頭を突っ込み、そのまま力任せに押し倒した。男は不意を突かれ、体を仰け反らして、羽目板のように後ろへ頭から倒れた。石の床にしたたかに頭を打った男は、そのまま起きあがってこない。まだ夜が明けたばかしで、誰もこの光景を見た者はいなかった。竜三は仰向けに転がった男の胴巻きから財布を抜きとり、そっと男の顔を覗き見た。竜三のその熊のような体つきの落ちついて敏捷な動作は、子供の頃から彼がまわりから学び、身につけたものだ。
「チェ! おれを舐めるとどうなるか・・・」
 舌打ちをした竜三は男の後頭部から、床に流れ出しているどす黒い血を一瞥すると、足音もなくそっと現場から姿をくらました。
 竜三はその足ですぐに一番列車に飛び乗り、仕事を求めて東京へ出た。当たり前のように仕事らしいものはなく、公園の隅や川べりの橋の下で、段ボール暮らしをしながら残飯を探してうろつき廻った。
「母ちゃん、いまに田舎さ帰るから、それまで待っていろや」
 竜三は十も離れた妻のヤエを、すがりつくような思いで、一人息子の茂夫婦に託してきた。その頃から、妻ヤエの健康は目に見えて衰弱をはじめていた。そして、竜三がいなくなると、やえは長年の疲れが出てきたのか、床に伏してそのまま起きることもなくなった。
 一人息子の茂は県の専門学校で電気工事の資格をとると、県で二番目に大きい市街に、電気工務店を開いて、同じ専門学校で知り合った女友達と世帯を持ち、四歳の息子が一人いた。竜三にとって目に入れても痛くないほどの孫であった。息子の嫁もよくできた女だったのが幸いに、ヤエを預けるにはさほどの不安はなかった。だがこの不景気がどこまで続くか、ヤエを預けた茂の暮らし向きがどうなるか、心配をすればきりがなかった。
 必死に過ごした数ヶ月が経つと、竜三は田舎で押し倒した男のことを思いださずにはおれなかった。もしかしたら警察が自分を捜し回っていないともかぎらない。息子の茂の家へ警察の手が回っているかも知れないと考えると、段ボールのすきま風に馴れはじめた竜三は急に目を覚ました。敷石に流れたどす黒い液体がしだいに赤みを増して目の奥にひろがっていく。
 歳よりずっと若く見える竜三の躯には、若いときに働いたヤクザの血がいまも脈打って、それがふとした拍子に暴れ回るようだった。そのときが来ると竜三は、なにもこの世にこわいものはなくなった。だが寄る年波には竜三も勝てなかった。もうこの世になんの未練も残っていなかったが、家族への情にだけは弱くなっていく自分を感じた。田舎にいるヤエと息子の茂夫婦の家族だけは、いつも竜三の胸を離れたことはない。この世にもう思い残すことはそれほどなかったが、田舎で暮らしている息子夫婦の家族を思い、妻のヤエの姿を浮かべると、どうしても生きていたい気持が吹き返した。
 一冬が去ると春の日が射しはじめた。湿って汚れた布団を川べりに干した。着ているものも脱いで、破れたズボンひとつになって、アカに汚れたからだを陽に浴びせた。こするとボロボロとアカが面白いほどに剥けておちる。やがて川べりの土に菜の花が黄色と緑の一群を広げるのをみた。その下草にのぞく土の色を眺めながら、おなじようにこの冬を一緒に過ごした村井半三のことを思いださずにはおれなかった。こうした暮らしに馴れていた半三からはずいぶんと親切にされたと、竜三は半三の面影を眩しく輝くような菜の花の群落の下に、思いうかべた。その村井半三はこの冬の寒さのなかで、虫のように息をひきとって死んだのである。
 半三はオシのように口をきかず、片目がつぶれていた。だから竜三は半三がどこからきた、どんな男なのかというこまかなことはまるで知らなかった。だが竜三が自分と同じ境遇にあると分かると、ぶっきらぼうな、よくは分からない訛りことばで、野外での暮らしの方途をそれとなく教えてくれたのである。その親切が竜三のこころに染みた。
 あれはいつだったか、どこからか少年たちが数人現れた。彼らは太陽を背にしてはじめは黒い影でしかなかったが、手に手に棒を持ち、インディアンのような奇声を発して、二人の塒を襲ってきた。
「薄汚い襤褸たちを掃除しよう!」
「臭い人間のクズたち!」
「奴等をここから追い払ってやるぞ!」
 その突然の襲撃に、驚き、おろおろと逃げまわったが、半三の弱った足ではすぐに捉まり、したたかに全身を叩かれ殴られて追い回されてから、村井半三は急に糸が切れたように元気を失った。
 それから竜三をさそって、残飯探しを共にしてくれた半三は段ボールの中に閉じこもったまま、外へ出て来ようとしなくなった。
 いくど竜三が段ボールを押し開け、しきりと声をかけても、半三は躯を棒杭のように固くしたまま、動こうとしなくなったのだ。
「半三、そんなことをしてたら、おまえ死んでしまうぞ」
 竜三の怒鳴る声も、石のように横たわる半三にはなんの効果もなかった。
 そんな数日後、日光が燦々と射す午前、竜三が半三の段ボールを引っぱがしてみると、骨と皮だけになった半三はもう息をしていなかった。湿気に腐った棒きれのように、半三は死んでいたのだ。
 竜三はそこに自分をみた。そのものを言わずに、わずかな襤褸きれを着けて捨てられた小枝のようになった半三を、時の経つのも忘れて眺めていた竜三から、やがて堪えきれないドブ水のような涙があふれだした。そして誰へとも分からず、どこへとも知れない憤怒がそれに紛れ、獣のような嗚咽の声が竜三の口から洩れる声が聞こえた。
「あーおー、あーいー、おーおー」
 その竜三の顔は、水っ洟と目やにと分かち難い両の目から溢れる涙と、真一文字に結ばれた唇から垂れてくる唾液で蔽われ、そこに燦々たる陽光があたって、無慈悲な輝きを誇るかのように、燃え上がるのだった。
 竜三はあたりを窺い、人目がないことをたしかめると、手早く半三のゴミのようなイエを片づけ、半三の死体を草の中へ引っ張り込んだ。それから、その草の茂みの中を引き摺って、穴を掘り棒切れになった半三の死体を土に埋めると、両足膝を使って柔らかい地面を踏み固め、その傍らに菜の花の数本を根ごと運んできて植えた。
 半三に持ち物らしいものは一つもなかった。半三の住んでいた粗末な段ボールのイエの痕、特に半三が横たわっていた場所は小さな黒いシミとなっていたが、やがて太陽はそのシミを乾かせ、夕暮れの風がそこへ吹きすぎると、半三という人間がこの世に生きていたしるしのすべては、塵ひとつ残さずに消えてしまった。
その後、竜三は川から拾ってきた鉄の板棒の先端を硬い石の背にこすって刃のかたちに尖らせ、それを手元から放さなかった。もしまた奴等が来たら、その仲間の誰でもいいから、それで滅多斬りにしてから突き刺し、半三の仇を取ってやろうと堅く心に決めていたのだ。
 半三を埋めた地面に、菜の花の一群が増殖して、やがて土も見えなくなると、竜三はその川べりを引き払った。荷物の底に鉄板を小刀のように川石で研いで柄の部分へ、握り易いように布きれを二重三重に巻いた。すぐに取りだし易いように、柄だけを出してあとは板で挟んで荷物の中に押し隠した。
 半三が居た場所をチラリと目にしてから、川に沿って竜三は上流へ遡り、新しい居住場所を求めて歩きだした。どこへ行っても川べりは無数の蚊や虻に悩まされ、定住者の冷たい目が竜三を追ってこないところはなかった。虫に侵された箇所を汚れた爪で掻いたせいで、化膿して爛れた肌はかさぶただらけになった。きれいなせせらぎを見つけると、そこを冷水で洗って消毒し、太陽にあてて乾かすことを竜三は忘れなかった。
 上流に上り行けば行くほど、人影は少なくなったが、それは逆に、乞食同然の風袋をした者が目立つ危険性もあることを竜三は肝に銘じ、用心深く神経を研ぎ澄ました。彼はできるだけ使われなくなった納屋や壊れかけたお堂に忍び込み、農家の庭先から農作物をくすねるか、人影もない台所へ音もなく風ように侵入して、食べ物を物色してくちた腹を癒した。
 竜三がもっとも恐れたのが、彼の影を見ただけで、鋭く吠えたてる犬たちだった。あるとき、熊のようなからだをした大きな犬に睨まれたことがあった。その黒い犬は喉の奥で獰猛な声を奮わせ、ゆっくりと牙を剥いて、闘牛のように後ろ足で地面を蹴って竜三を睨んだ。咄嗟に荷物の中に彼の手が伸びて鉄板の柄を掴み、竜三が後ろを見せると、獰猛な声をあげて彼の背中へ飛びかかった。そのとき彼は自分があたかも黒犬と同類の獣になったような気がしたことを、悪夢をみるように思いだした。
 竜三は犬の猛々しい目を見つめ返し、ゆっくりと躯を屈め膝をつきながら、自分の躯を地面低くに寝かしていった。犬は竜三の静かな涼しほどの両の瞳に、一瞬怪訝な眼差しを注いだかにみえた。そのかさぶたに赤らみむくんだような男の顔の中に、男の姿が隠れていくような不思議な錯覚から、黒犬はその顔を目がけ、爪をたて牙を剥いて飛びかかった。その一瞬、牙にかかったと思った男の顔は素早く消えた。その途端に、上から強い手に頭部を押され黒犬は地面に抑えこまれた。男の右手が下から犬の顎を持ち上げると、握られた鉄板の柄が強く素早く撫でるように引かれた。鋭利な鉄板は犬の喉の肉を切り裂き、勢い余った犬の全身は背中から地面に叩きつけられた。犬は吠える暇もなく、喉を深く剔られてどす黒い血を吹きだし、そのまま横たわった。
 さわさわと竹藪の葉が風に鳴って、真夏の太陽が大地をジリジリと灼き、音もない静かな午後のことである。
 さすがに竜三も肩で息を切らし、その犬の屍体から大きな肉の塊の一部分だけを手早く切り取り、残りを古井戸へ投げこんで、黒犬の残骸は跡形もなくなった。竜三はそうしながらも、農家の庭先へチラリと視野を放った。家の中にも庭先にも誰もいる気配はなかった。台所から斧を一本手に握りしめ庭へ竜三は出てくると、洗濯物から仕事着用のズボンと上着を小脇にかかえ、雑木林に入り込んで素早く着替え、それまで着ていた衣類を深い穴を掘って埋めた。足跡を消すため小川の中を音もなく大股で歩き、小さな橋の下まで来るとぐったりと横になって竜三は躯を蛇のように丸くして眠りこけた。夢の中に半三を地面に埋めた時の光景が甦えり、驚いて目を覚ますと、橋の上を子供が数人駆けていく声が間遠に耳に響いていた。その声は竜三に息子を思いださせた。
「おお茂かいな、ヤエの面倒を見てくれろよ、頼むでなあ・・・」
 夢見心地で竜三はつぶやくと、腹が音をたてて鳴る空腹に襲われ、下腹部に痛みが走った。両足の汚れを小川の茂みの葉で拭ながら、
「もうちと辛抱せい・・・」
 と腹を押さえて、子供にでも言うように自分に言い聞かせ、せせらぎで洗った両足を緑の茂みに投げ出し、横になるとこんどは大の字になってそのまま深い眠りに落ちた。
 竜三は自分の躯が衰えていくことを知らないではなかった。このままでは野犬に喰い殺されるか、少年達の暴行に逃げ切れずに半三のようになるだけのように思われた。早く田舎へ帰って生きているうちにヤエの顔を見たかった。
 ヤエはまだ生きていてくれるだか・・・。ヤエがいたからこそ自分は六十の歳まで生きながらえることができた気がした。そして茂もヤエの細やかな愛に育まれて普通に育つことができたのだ。ヤエがいなければ、茂にやさしい心持ちの嫁が来るはずはなかった。身体が動くうちは働いて、すこしの金でも稼ぎ、その金で近所の男たちと酒場で酒を呑んでいたかった。働いて金を稼ぎたい。その一心で矢も立てもいられず、後ろ髪を引かれる思いでヤエを預けて、東京へ出てきても仕事はなかった。そしていまでは野犬同然の姿になってしまった。いや野犬の肉に食らいつく、野犬以下の獣になり果ててしまったのだ。
 家族がいるあの田舎の街で、あの一日中陽も射さない通りで、自分の前に仁王立ちになった男を突き転ばしていなければ、そして警察に追われるような羽目になっていなければ、一刻も早く田舎へ帰って和やかな家族の中で、穏やかに老いていくことができたはずなのである。 
 竜三はヤエをおぶった晩秋の温泉の白い風景を思いだした。凍えた湖の陽の光に輝いた湖を眼交(まなかい)に見た。痩せ衰えたヤエを抱いて朝まで寝た温泉の窓に、幾本も凍りついた氷柱がみえた。そして、最後にヤエの顔を眺めて二人で食べた白い飯粒が幻のようにうかんできた。
 竜三のなかからことばが堪えきれずにあふれ出した。
「お母あ! わしはおまえの元に帰るぞ! たとえどんな咎めがあろうと、わしはおまえと茂がいるところで死にていだよ・・・」
 竜三はヤエをおんぶした、その遙かむかしに、自分が母親をおんぶしたことを、ぼんやりとかすかに思いだしていることには気づきもせずに、ヤエの藁のように軽いからだを思いうかべた。彼の口元をついて出た最初のことばには、もうずっとむかしに死んだ自分の母親の、老い衰えたおぼろなその面影も重なっていたのだが、それらの二つの記憶はごったになり、ただ一つの言葉にしかならなかったのである。
 夏の黄昏の陽がゆっくりと落ちていった。辺り野面一帯に闇が降り、夏の虫が騒がしいほどに啼いていた。
 そのとき、竜三の眼には見えず、耳に聞こえない遠いの野原の一角に、数人の警官と村の若い者をまじえた村落の者等十数人の、険しい表情を固めた一隊が、赤い幡を立てた村の賑やかな祠の前に集まっていることなど、竜三は知るよしもなかった。
 だが、もしその一団が竜三の目前に現れたその時、半三を虫のように殺した少年達を思いうかべ、野原を流れる川面に落ちた月光を背に、黒い影の一塊と映じた一群の背後にまわりこんで、彼奴等を端から追いかけまわしてやる。そして散り散りになった奴等達を、竜三を襲った大きな熊に似た黒犬と同様に、彼に残った最後の力を奮い起こして、一人また一人と死闘をつづけること以外、竜三がやれることはもうなにもなかった。



(注)2020年4月、岐阜県下で橋の下で暮していた老人が、若者と少年らにより、襲撃殺害された事件があった。本小説はそれ以前に起きた少年たちによるホームレスへの殺害事件に触発されて書かれたものであるが、ここに再掲した。
 



短篇小説「夜の動物園」

 夜もだいぶ更けた頃でした。
「動物園へ行ってみない?」
 恵美はぼくにこう言いました。
「もう真夜中なんだぜ」
「だから行きたくなったのよ」
 目がキラキラ光っていました。それはこの天王寺の町にかがやくネオンのせいではありません。昼間はごちゃごちゃしていた町だったのに、いまは灯りが消えたようにひっそりとしていたからです。
 恵美とういう子は、ぼくが沖縄の海で知り合った可愛い女の子でした。とても面白い子なのにそんなことを言い出すなんて、ぼくは呆れてしまいました。
「夜の動物園なんて、なにもいないぜ。それに鍵がかかって動物はみなおねんねの時間じゃないのかな」
「あなたってほんとうに何も知らない人ね。泥棒が入らないところなんだから鍵なんてかかっていないことよ。動物達の夜の世界がどれだけ面白いか、あなたに見せてあげたいものだわ」
 口をとがらした恵美の顔が、しゃべるごとに百面相のように変わりました。
 実は、夜の海に潜ってみないこと、と恵美がいいだしぼくが大反対したことがありました。ぼくは明るい海が好きでした。太陽の光りをうけて青くキラキラと輝く海こそぼくが愛する海でした。夜の海は真っ暗闇の世界です。そんな怖ろしい海に誰が入ってみたいと思うでしょう。でもちがいました。魚たちは透明な毛布をかけて眠っていました。蛸もウツボもフグも亀もひっくり返って居眠りをしていました。それはビックリ仰天の世界でした。ぼくはテレビの魚くんではありませんが、目をまん丸くして笑ってしまいました。
 動物園は天王寺公園にあります。下町のど真ん中なのです。昼は労務者風の人たちがたくさんいて、売り子の姿も見かけないのに、立食いの寿司屋があり道路には牛乳瓶がおきっぱなし、それでも串カツ、100円の土手焼きを食べたらとても美味しいものでした。
 それなら恵美のいう動物園もきっとなにか面白いにちがいないとぼくは誘惑に負けてしまったのでした。
 案の定、鍵のない動物園で、柵を乗り越えることもなく中へ、僕たちは入ったのです。
恵美は先に立ってスタスタと歩き出しました。ぼくはその恵美のあとを怖々とついていきました。なんだって夜の動物園です。遠くで象が寝返りをしたり、猿の親分が尻をボリボリと掻く音が聞こえてきます。シマウマの島模様は、ときどき白と黒が入れ変わるようにできていることがわかりました。キリンは長い首を木の枝に巻き付けて眠っているのには驚きました。スカンクのおならは夜は匂わないことも初めて知りました。臭い休みの時間だそうです。そのすぐそばで狸と狐が抱き合っているのには目が点になりました。獰猛なライオンと虎の檻にも鍵がかかってはいなかったのにまた吃驚です。夜の動物園には鍵というものが存在しない。平和そのものでした。ぼくは恵美からそんな世界があり得ることを知らされたのです。
「昼と夜がどんなにちがうかわかったかしら」
 恵美は満足そうな顔を、お月様に向かって頬笑ませていました。がそのお月様もその夜は十五夜なのに、ぼんやりとした霞をかけて居眠りをしているようでした。
「ねえ、いいこと、世界がいままでと違ってみえること、それが大事なことじゃないかしら。それさえ忘れなければ世界は変えることができるということなのよ」
 ぼくは恵美を見直しました。ただ可愛いと思っていた女の子が、まるで革命家のように見えたからです。その声に夜の海の中から聞こえた恵美の笑い声を思いだしました。
 ぼくはそれから、恵美と一緒に昼の動物園でカミツキガメに飼育員がエサをやっているのを幼稚園の子どもたちの後で見ていました。
 子どもたちはワイワイとはしゃいでいました。
「カメは静かなところが好きなのだ。こんなにうるさいとカメだってノイローゼになるんだ」
 飼育員さんは一人ぶつぶつ、そんな不平を鳴らしていました。
「動物だって、昼になるといろいろあるんだね」
 ぼくは恵美にそういいました。
                      (了)




(添え書き)本短篇は一女性から仄聞した話しを素に即日で書き上げたものです。私は大坂の天王寺へ行ったことがありません。機会があったらこの夜の動物園に、足を運んでみたいものです。貴重な材料に感謝します。




リンゴの皮をむく

 
一日一個 リンゴの皮をむく

そうした日々がつづいている

リンゴの皮をむく ゆっくりと ゆっくりと

つらいときは 手をつかえ

リンゴの皮をむけば

白い果肉が顔をだすだろう

ひとくち ひとくち

そいつをほおばる 噛む 味わう

ひとくち ひとくち

いちにち いちにち
  
リンゴの赤い皮をむく

そうした日々がつづくかぎり

リンゴの赤い皮をむく






小説「羽衣夢譚」

 冬の雨が朝から降っていた。まどろみの中で母の声を聞いた。
「亮ちゃん」
 それははっきりとした母の声であった。雨の音が過去への記憶の糸をたぐりよせ、母を呼んだのであろうか。
 母が亡くなったのは何時のことだろうか、亮二は思いだそうとしたが、はっきりとしなかった。
 朝食の食卓で、妻の文子なら覚えているかもしれないと尋ねてみた。
「いやだ。自分の母親がいつ亡くなったかを覚えていないなんて」
 文子はあきれたように亮二の顔をみつめると、緑色のノートを取り出した。
「平成十七年の三月二十日よ。前年の九月に弥生子姉さんの娘さんが交通事故で亡くなった。そのことはお母さんには内緒にしておいたのだわ」
 母の葬式を執り仕切ったのは兄の良一と姉の夫美子であったせいか、次男の亮二は母の葬儀の事はぼんやりとしか覚えていなかった。だがふと添えた妻の言葉から、亮二は次姉の娘がトラックに轢かれたことを鮮明に思いだした。
 妻と二人で駆けつけた病院の地下に安置されていた姪(名付け親は母であった)の、凍えたような顔が少しの損傷もなく、頭は包帯で巻かれ眠っているかのように目をつぶっていた。その顔は生きている時には見られない荘厳な美しさを湛えて、寒い安置室に佇む亮二夫婦を畏敬させた。
 看護婦になろうと国家試験を目指していた姪が急に車庫に入ろうとしたトラックにバイクごと巻き込まれた。それは彼女が結婚したばかりの幸福のさなかの出来事であった。うりざねの可愛い顔だちながら、伝法な物言いで周囲を笑わせていたおちゃめな娘であった。
 夢に響いた母の声から、ある夕べの記憶へと亮二は誘われた。
子供の頃、日が落ちてあたりが暗くなるまで、寒い戸外で遊んで帰ってきたときのことだ。母は台所で夕餉の仕度をしていた。
「亮ちゃん、この中に両手を入れてごらん」
 台所の流しに置かれたボールの中に、湯気をたてた緑色のお湯がいっぱいに注がれていた。
 ほうれん草を茹でたあと、流しに捨ててしまううすみどり色の熱湯へ亮二は言われるまま、かじかんだ両手をゆっくりと浸した。最初は熱いと感じたお湯だが、だんだんと冷たい両手はちょうどいい湯加減で手になじみ、身体じゅうが温かく包まれてきた。
 官舎の暗い台所の窓の外は真っ暗闇で、白い割ぽ着すがたの母だけがいた。身体じゅうが溶けていく幸福な気分に包まれた子供の頃のひと時を、亮二はいまでも時折思い出すことがあった。
   白粥に 梅ひとつおく 春の朝
 老人ホームの朝の食事を詠んだそれが母の最後の俳句となった。それから祖母が作った皺くちゃの風呂敷へと亮二の思い出はつながった。大事に持っていた日の丸の国旗をまめ絞りに染めてこさえた一枚の風呂敷であった。
 息子の伯父さんの家に帰った祖母は一年も経たずに、自分から食を絶って亡くなったのだ。
 その風呂敷を葬式の日に、亮二は母から見せられた。伯父の庭に植えられた鶏頭の花が、真っ赤に咲いていた夏の暑い日のことだった。
          
 晩年の母は、長姉の家の近くの老人ホームに入って過ごした。母がまだ元気なうちに、兄弟姉妹五人が母が生まれ育った静岡県の掛川市へ、一泊二日の家族旅行をすることになったのだ。子供たちの養育からは多少自由になったとはいえ、こうした旅行で高齢の兄弟姉妹が一堂に会することはめずらしいことであった。
 杖をついた母を二人の姉が抱えて、東京駅から電車に乗り、静岡の掛川の駅頭に一同は降り立った。
 夏の日差しを浴び、タクシー二台に分乗して、祖母のリウ婆さんが眠っていた先祖代々の墓に詣でたのである。四基の古びた墓は一列に西に向かって並び立ち、その方角に掛川城の天守閣が甍を光らせて聳えていた。
 八十二歳の母は強い日差しに、皺だらけの細い手をかざして言った。
「掛川城は立派になったらしいねえー」
「お母さん、天守閣が新しくできたの。連れて行きたいけれどお母さんをおんぶすることなんて、とても無理だわ」
 芙美子姉さんが合唱団で鍛えた声で、いかにも残念そうにそう言って声を張り上げた。
「後でタクシーで通るから、そのときに城内に入れば、それでいいだろう」
隣にいた兄の良一が母を慰めるように言い足した。兄弟の誰も母を背負う体力のある者はいなかった。
「お母さんはきっと天守閣に登りたいのよ」
 と下の弥生子姉さんが母の耳には聞こえぬ小声でそうつぶやいた。
 弟の茂三は墓地の中で幾列にも並ぶ墓石に彫られた名前を目に、あちこちと歩き回っていた。一歳でこの地を離れた末子の茂三には、この場所には何の記憶もなかった。
 亮二と茂三はこの寺の敷地にあった家で生まれ、亮二は五歳まで小高いこの丘の上で育ったのである。
 むかし亮二は妻と二人でこの寺に訪れたことがあり、この墓場の墓石に乗って、和尚さんの奥さんに叱られたエピソードを妻へ話したこともあった。
小山のいただきに夏の日がじりじりと家族みんなの全身を照らし、全員の顔から汗が滴りおちている。
 
 小高いこの山は、むかし、掛川城を攻めようとした徳川家康公が陣地を構え、日光東照宮に似せた三代将軍家光の霊廟が建てられた。その霊廟はその後県の重要文化財となり、明治の初めまでこの小山は女人禁制となっていた。   
 戦時中、この寺の一角に川崎大師から疎開した家族が移り住んだ。その木造家屋は既に影形もなく、雑草が丈高く生い茂りその面影を知るすべはない。ただ家族が住んでいた家の屋上まで枝葉をのばした椎の巨木は、昔と変わらずに黒々とした偉容を空にひろげ、いまも青大将が太い蛇のからだを這わせてでもいそうであった。その大きな樹の陰にあった家の跡地は、草いきれがする鬱蒼とした灌木に覆われている。
 あれはいつのことであったろう。亮二が芭蕉の「幻住庵の記」を読んでいたときのことであった。
   先ず頼む椎の木も有り夏木立
 この最後の一句を読み終わったそのとき、亮二の中に青空を背にしたこの龍白寺の椎の木が、はっきりとした輪郭をもって顕れたのだ。幼年期の幻影のような記憶の突然のよみがえりを、亮二は不思議な体験として忘れることはなかった。
 疎開先であったこの龍白寺で生まれた亮二は五歳まで城下町のお寺の一隅に住み、木立に蔽われた丘の上で育ったのだ。                                   
 夏の青空に丈高く背を伸ばした椎の木、兄や姉が樹の枝に吊したブランコを大きく揺すり、兄と一緒に蝙蝠や蝉を捕って遊んだ幼年期は、亮二に自然と一体になった、平穏で明るい印象を残した場所であった。
 もし死後の魂というものがあるのなら、魂はこの場所へ必ず帰ってくるにちがいないと、亮二は秘かに考えないわけにはいかなかった。妻とわざわざこの龍白寺へ訪れたのは、自分の生誕の地へ案内しておきたいという気持ちの底に、そんな死後の空想が絡んでもいたのであった。故郷といえるほど長く居たわけではないが、東京へ出てくるまでに過ごした幼年時代が亮二には懐かしく思われてならなかった。
 家族の皆は寺の新任の住職に逢い、お茶を啜りながら雑談を交わしていた。座布団の傍らに杖を寝かせ、腰を屈めた母はお茶を飲みながら、
「この静岡のお茶はほんとうに美味しいこと」
 そう言っては、和尚へしきりとなにごとかを話しかけている。
 祖母のリウ婆さんの先祖代々お墓に花と線香を供え、久方ぶりでむかし暮らした場所を訪ねることができた喜びが、母を元気づけその華やいだ声が部屋に響いて、今回の家族旅行を楽しいものにしているようだった。
 新しく築城された掛川城の天守閣はその小山から望めたが、母を連れて歩くにはあまりに遠かった。
 兄の良一が呼んだタクシーが、龍白寺のある坂下から小山へのぼり門前に着いたということで、家族一同が和尚さんとの別れの挨拶を済ませ、二台のタクシーは家族を乗せて、なだらかな山の斜面をおりて行った。
 木立のあいだを透かし、車の中から多くの墓石が林立している光景が亮二の目に飛び込んできた。
「あッ!人魂が飛んでいるぞ。恐い!恐い!」
 兄や姉たちが幼い亮二を怖がらせようとして、囃したてる声に必死になって長い階段を駆け上った記憶が、まるで昨日のように眼前によみがえった。
 そして、祖母のお骨が納めれられていた岡田家の墓が目に入ると、亮二は祖母と自分が写った一枚の写真を思い出すのだった。
 それは暖かい日差しを浴びた椅子に座った祖母の膝に、照れたような顔をした幼い亮二が首を傾けて寄りかかり、円い眼鏡をかけた祖母の顔は穏やかな笑みをうかべて、いかにも戦後の平和のひかりが満ちているような写真であった。
 祖母は明治に生まれ、小さな頃には日清戦争の勝利のお祝いで、提灯を下げ旗を振って街を歩いたことがあるのだと、母から亮二は聞いたことがあった。
 二台のタクシーが掛川の城下町のある場所に来たときだった。兄の良一の一声で旧い大きな建物の前で車は止まった。入り口の両側に石柱の門が立っていた。
「これがお婆ちゃんの親戚の人が建てた、大日本報徳社だ。姉さんは覚えているでしょう?」
「そうね。ここの二階には広い集会室があった。そこに岡田良一朗さんの大きな肖像画があった」
「あの肖像画は明治の画家の黒田清輝が描いたものだ」
 と以前にここを訪ねて知ったかで、タクシーの窓から亮二がそう言った。
 亮二は祖母が亡くなるまで、蒲団の上で記していた「ノート」を母が亡くなると引き継ぐように姉から渡された。祖母によって記されたその「ノート」を、亮二は妻に手伝ってもらいパソコンで起こし直した。そこには祖母の記憶の断片が「ざんげろく」と銘打って記されていたのである。
「私は明治十三年に岡田茂平の長女として生まれました。其の当時は村でも中流の農家の家庭で何不足なく育てられてきました。」
 亮二はその「ノート」から祖母が生まれた岡田家の本家に興味を惹かれ、少しの調べもののため、この大日本報徳社へ一人で訪れたことがあった。
 門の陰になって見えないが、二宮金次郎の銅像が立っていることを、亮二は声にだそうとして言い淀んだ。そこに日本で一番立派な二宮金次郎の銅像があるなどと、声にだすことに何だか照れくささを感じたからである。
 玄関の石の門柱には、右が「道徳門」左が「経済門」と彫られているのが、古びた石の表面に読むことができた。
 報徳社は二宮尊徳の思想を受け継いだ弟子たちによって、明治期に創られ、経済と道徳との調和による相互扶助精神に拠って立つ社会福祉の運動となって全国に広まった。その活動は特に飢饉に苦しむ東北の農村へ、尊徳の思想と共に裾野をひろげたらしい。祖母の本家からでた岡田良一郎は、その尊徳の高弟であった。
 祖母は岡田家の分家に生まれ、嫁いだのもだいぶ遅れていて、夏には倉見川で泳ぐのが好きな、明星派の影響をうけた読書好きな文学少女であった。
 東京へ出て暮らすようになったあるとき、大学生の亮二の部屋に来て、トルストイの「アンナ・カレニーナ」(リウ婆さんはそう発音した)を読みたいので、貸しておくれと言われたのを、亮二は思い出した。八十に近い祖母が大学生の部屋にまでやって来て、そう言ったことに亮二は驚いた。そのときの祖母の顔にはうっすらと紅をさしたような、含羞の表情がうかんでいた。歳をとっても祖母の頭はとてもしっかりとしていた。畳に敷かれたままの蒲団の上で、腰を折り曲げてよく本を読んでいたことを亮二は覚えていた。
 その亮二が面白半分に貸した「親族法」などという法律書まで、祖母は読んだらしく、
「変わった世の中になったもんだねー」
 という祖母の感想に、亮二はびっくりしたことさえあったのだ。
 
 やがてタクシーは掛川城の門前に止まると、家族のみんなは砂利道を進んでお城を仰ぎ見た。
「ほら、お母さん。これが新しくなった掛川城よ」
 芙美子姉さんは天守閣を見上げて母を促した。母は杖を支えに、身体をのけぞらしてお城を見上げた。
「これかいのー。ずんぶんに立派になったものだぇー」
 母は手をかざしてお城の高みへ見上げて、しきりに感心している。その城の近くを川が流れ赤い橋の欄干がみえた。母が生まれた邸はこの川を遡った上流にあったのだ。
 母の話だと、徳川家に仕えていた先祖が将軍徳川慶喜公と江戸を離れ、駿府に下ったときに一緒に従い、今の退職金にあたる俸禄を貰い、それを元手に煙草業を営んだらしかった。それが面白いようにあたって、ずいぶんと豪勢な邸を構えて住んでいた。邸の廻りに細い堀を廻らし、夜は用心に橋を上げなくてはならず、庭には縁側の下まである大きな池に、たくさんの鯉が泳ぎ、グミなどの庭木は季節ごとの花を咲かせていたという。だが明治政府は煙草業の経済的な成果に目をつけると、それをたちまち国有化して、民間から取り上げてしまった。それからは、煙草業は個人経営として成り立たず、とうとう立派な邸は売り払わなければならなくなった。
 祖母の実家の本家からは、大日本報徳社を起こし、また日本初の信用金庫の創立者でもある良一郎、その息子二人は大臣にまでなったというのに、祖母は気難しい夫と母を含む子供三人を連れて、川崎大師へ引っ越しをせざるを得なくなった。
 母は幼年時代の豊かでのんびりとした生活と、それとは一転した倹約生活の厳しく余裕のない、光りと影の表裏の人生を送ってきた。そのせいか、母は優しさと冷淡との両面をもち、それが屈折した表情をみせるのだった。
 東京の官庁で働いていた父の正三は、掛川の家には偶にしか顔を見せず、幼年期の亮二は父をほとんど知らずに育った。そのうち弟の茂三が生まれると、父の愛情はこの末っ子に向かい、母は疎開先というどこか居づらい生活のなかで、五人の子供たちの世話に忙しかったにちがいなかった。
 亮二は自然と祖母の膝に寄り添うような子供として、幼年期を龍白寺のある丘の上で過ごした。明治生まれの祖母の夢見がちでのんびりとした性格と、母から受け継いだ一風変わった性格の、その両面を亮二が合わせもっていたとしても不思議ではない。
 母も祖母からの血筋か、無趣味な夫とは違って、俳句を詠み南画風の墨絵を描く趣味をもっていた。そのせいで、亮二は小さい頃に母から百人一首を暗記させられたこともあったのである。
 母が林芙美子という往時の流行の女性作家のファンであったことから、上の姉の名前に芙美子という名前をつけた。
 兄の名前を良一にしたのも、祖母の本家の岡田良一郎からとってきたのであろうと思われた。
 母は自分の父方の祖先が徳川家に仕えた武士であることに誇りを持ち、自分の母の縁戚からは兄弟で二人の大臣が出ていることで、ようやく自分の豊かな幼児期とそれ以降の下降時代との釣り合いを保ち、なんとか自分の血筋に一縷の望みを託していたらしい。しかし自分の夫が平凡な逓信省の官吏でしかないことに不満を懐いていたが、母の揶揄や皮肉にもかかわらず、夫は無神経なのか無頓着なのか、まったく気にしている様子はなかった。江戸から続く、下町育ちの父の正三にはそんなことはどうでもよかったのにちがいなかった。

 母を乗せた二台の車は、掛川城下を一巡りしてから、掛川市から奥に入った祖母が生まれ育った倉見へとひた走っていた。倉見はむかし掛川では一番広い村であった。この村の庄屋の岡田家から、後に明治維新の地租改正で、政府を批判した自由民権運動の壮士を先頭に、一揆にまで拡大しそうになった紛争を仲裁したのが岡田良一郎であった。
 まだ生まれていなかった亮二は知るはずもないが、倉見は祖母が生まれたところでもあり、戦時中は家族が疎開していたところであった。
 亮二は以前に、祖母が生まれこの倉見というところがどんな場所で、家族が疎開していた村の様子を一目見たいと、妻の文子を連れてこの倉見の旅館へ泊まりに来たことがあった。
 旅館の女将に岡田家の名前を洩らし問わず語りに聞くと、
「岡田さんは昔は偉い人ということは、知っておりますが、今はどうなったかのー・・・・・」と口を濁した。
 タクシーの運転手に同じように聞いてみると、
「岡田良一郎さんを祀った神社がありますから、ちょっとそちらへ行ってみますか。いまはもうだいぶ古びていますがなあー・・・・」
 そう言って、車が止まったところで、亮二と妻が運転手が言った社を見ると、汚れて埃だらけの建物はどうにかやっと立っているというありさまで、亮二は身の置き所を失った。
 今ふたたび家族が乗った車が倉見に入り、亮二が運転手へその神社を訊ねると、そうした事情にはまったく疎い様子で、別の運転手も何の反応も示さない。亮二は車を降りて辺りを歩いて捜してみたが、もうあの社は幻影のように消え失せてどこにも見つけることはできなかった。
 二台の車が畑の中にまっすぐに延びた細道へ入ると、その突き当たりに「倉見館」の玄関が見えた。
 旅館は新装されて、高級な店構えに様代わりしていた。亮二を先頭に家族の全員が玄関に入ると、若い女将さんが顔をだした。
 亮二はその女将さんへ以前にこの旅館に泊まったことを話し、玄関に立って皆で中を眺めさせて貰った。だがむかしの面影はどこにもなく、いかにも現代風な内装に変わって、亮二を幻滅させた。
 あのとき、亮二夫婦は二階の一部屋に泊まった。夕食を部屋で食べながら辺りを眺めると、外はいかにも掛川の奥座敷の風情を漂わせ、田舎というより広い邸の庭という感じで、闇が辺り一面をすっぽりと包み、遠くの田圃から蛙の鳴き声がにぎやかに聞こえてきた。
 亮二はこの蛙の騒がしいほどの鳴き声を、祖母もきっと耳にして育ち成長してきたのにちがいないという、ほのかにこころ温まる安らぎを感じた。近くの倉見川のせせらぎで泳ぎ、年頃になっても嫁がずに、「アンナ・カレニーナ」を読み耽っていた文学少女の祖母がいたことを、そのときたしかに感ずることができたのだ。
 だが改めて家族とともに母を連れ、祖母が育った場所まで来てみれば、そこには祖母がいた記憶を思い起こされるものはなにもなかった。ぷっつりと懐かしい過去は断ち切られ、新品なだけで無惨な残骸が、目のまえに立ちはだかっているだけなのである。
 老いた母はぽかんと口を開けて、辺りを見廻してたが、そのまま肩を落とし、杖で身体を支えてようやくのように立っている。
二人の姉も兄も、来ても甲斐ないところへ来てしまったとでもいう、虚ろで呆けた様子を夏の光りの中に晒していた。
 祖母が育った倉見の村はもうどこにもなく、一時、姉と兄たちが母と共に疎開したという場所がどこにあるのか、母にもまるで検討がつかないのだ。
 兄がこの疎開先で畑の肥だめに落ちたという場所は、この倉見であったらしいのに、その疎開先の家がどの辺にあったか、その記憶は曖昧模糊としていた。亮二はなんとももどかしく、不甲斐ない思いをするばかりであった。
 あの十数年まえに、亮二が「岡田家」の名前を出し、そのときそれでもなんとか反応を示してくれた女将さんは、もうどこにもいなかった。あの朽ち果てた神社へ連れて行ってくれたタクシーの運転手も、もうこの世の人ではないのだろう。
 亮二夫婦が一泊したむかし、翌日の朝食を摂ったあとのことだった。旅館の女将さんがどこからか現れた年寄りの女性グループ数人と共に、亮二夫婦を近くの山へ案内してくれたことを、亮二はふと思い出した。
 道端にコスモスの咲く畑道を歩き、二人は女将さんの後を就いて行った。高い山ではなかったが、細い山道のところどころに地蔵が並び立っていた。女性たちは地蔵の前に来ると、供物をだして拝んでいるのだった。そうした光景が、恰も夢のように亮二によみがえった。
「この村から戦争へ行って帰ってこなかった霊を迎えるために、むかしこの村の小山に、こうして地蔵さんをつくったのんさのー」
 そう説明してくれた女将さんの声までが、亮二の耳の奥から木霊してくる。
 あのとき、亮二は祖母の古里へやって来た甲斐があったと安堵したが、それはどうしてなのだろうか。祖母とその先祖が女将さんを介し、あの山へ亮二を呼んだのかも知れないという想像が亮二に沸き起こったためでもあろうか。
 女将さんが近くの山に行くが、よかったら亮二たちも一緒にと誘われたそのとき、亮二の中に祖母の記した「ノート」に、祖先の岡田良一郎が生前に、倉見村にある「淡山」という山を愛し、号を「淡山」としていたという記述があったことが、頭に浮かんだ。女将さんの誘いに逡巡することもなく、妻と不思議なそのグループに同行をしたのはそんなノートの記述が脳裏に過ったからであった。
 後年、その話を亮二が兄にしたところ、兄はやはり母の弟の伯父さんに誘われて登った俗名「淡山」へ、倉見に疎開していた頃に行ったことがあるという話を亮二は聞いたことがあった。兄の話しではその山の上で、伯父さんは大声で何事かを叫んでいたそうだ。十年前に岡田良一郎の神社だとタクシーの運転手に案内された神社が、「淡山神社」という名前だったことを、亮二はあらためて思い出して不思議な思いに誘われた。
 伯父さんは七つも離れた母の弟であった。プロテスタントの伯父さんは、いつも聖書を小脇に抱えていた。青年時代に内村鑑三にいたく傾倒していた伯父さんは、牧師に成りたかったらしい。それを父をはじめ家族そろって反対されると、ある日家を出たまま行方知れずになった。大学を七年もかかって卒業し、ようやく父のツテで大手の鋼管会社に勤めだしたというのに、突然、辞表を出された会社も驚いたようだ。一番に怒ったのは父の正三だった。それから3年ばかしが経ったある日の夕暮れ、伯父さんは祖母のいる母の家の前に、ぼんやりと立っている姿を、母が偶然に見つけたのだ。
 母の話しでは、そのときの伯父さんは乞食同然の風体だったらしかった。痩せ細ったその顔は、まるでキリストのように苦悩に捩れながら、なんとも言えない威厳と美しさを湛えていたという。母はその変わり者の弟を黙って我が家に受け入れたのだ。
 時あたかも日華事変から本格的に中国との戦争状態になったが、その中国から東アジア全域に戦争が拡大する一方であった。その戦争もだんだんと雲行きがあやしくなりだしたころで、まるで伯父さんが帰ってくるのを待っていたかのように、召集令状が壮年期にさしかかった伯父さんにも届いたのであった。痩せこけた伯父さんが重たい銃を担ぐ姿は誰にも想像することができなかったほどなのに、伯父さんはまるで聖書にあるあの十字架を担ぐイエスのように、その命令を受け入れ従容として朝鮮に渡ったという。
 亮二の父の正三も軍隊に召集された。だが一冊だけ残ったアルバムに写っている正三は白い医者が着る上っ張りで、内地勤務のため日本から外地へ赴くことはなかった。母から聞いた話しでは、軍医の真似事のようなことをしているうちに、戦争は終わってしまったというのだ。さすがの父の正三は、このときばかりは自分の妻の弟の伯父さんへの同情を禁じえなかったらしい。
「あいつは大学へ七年も通い、いい会社へ就職させてやったのに勝手に辞め、こんな時期になって、外地の戦場へ行くなんて、自分から死ににいくようなものじゃないか。ほんとうにあいつはバカな奴だ」
 外でご馳走になりながら、帰宅してまでもまたお酒を飲みだした父は母へそう言った。
 気の強い母はこれには腹を立て、自分の弟がコケにされたと思ったためか、
「外で飲んできて家に帰ってまたお酒を飲むのは止めてください。わたしの弟はあなたから見ればバカにみえるかもしれませんが、小学校と中学校ではずっと級長で通した子だったのです。大学で本ばかり読んだせいで変人になったんです。ナントか鑑三かジンゾウか知りませんが、その人がいけなかったのですよ。酔った勢いでつまらぬことを言わないでください」
 と大声を張り出して涙を拭った。その突然の母の様子に酔いがすっかり醒めた正三はしゅんと黙ってしまった。

 この実子の伯父さんを、幼児のごとくいつまでも溺愛していたのが祖母のリウ婆さんであった。
 敬虔なプロテスタントの伯父さんが、家を出てから何をして暮らしていたのか、祖母や母が訊いても答えはなかった。ただ放浪癖のある伯父さんは、九州の島原半島まで行ったことまでは覚えていたが、海を眺め防波堤で寝ているうち、波にのまれそれからの記憶がまるでなくしてしまったらしい。三年ほどのあいだの記憶のない伯父さんが、以前の記憶を取り戻したのが、やはり島原の海辺であったのは、単なる偶然の一致というものなのか、不思議でならないと、その話しを伝え聞いた兄の良一は幾度も首をひねっていた。その後も伯父さんの聖書を抱えての放浪癖は、アメリカやヨーロッパ等の世界中に及んでいたらしかった。
 亮二と弟の茂三は、小さな頃からこの伯父さんが、分厚い英語の聖書を小脇にかかえ、食事前に何やらムニャムニャと言うのが面白かった。胸の前で手を十字に切る仕草は、まるで忍術使いのようにみえた。伯父さんの名前は「忍」と書いて「しのぶ」と読んだのだが、二人は子供の頃から、この伯父さんをニン伯父さんと呼んでいたのであった。
 母が亡くなってから、このニン伯父さんも、母を追うように鬼籍に入ったが、どうにもこのニン伯父さんの人生行路は、謎につつまれ理解することが難しいところがあった。
そのニン伯父さんが朝鮮から裸同然の姿で内地に帰ってきたのはまるで奇跡としか思われないものだった。

 ニン伯父さんが亡くなった数日後のある夏の日、亮二が自宅の階段を降りた所で、玄関を開け放って夕風に涼んでいると、ニン伯父さんが亮二の傍らに立ち、ニタリと頬笑む顔と姿を見たのだった。青白く細いネオンの管を身体中に光らせて自分を窺うその異様な姿に、亮二は気味悪くなりキッチンにいた妻の文子の名を呼んだ。するとニン伯父さんの姿は消えていた。
 
 タクシーで掛川市に戻ると、家族一同は掛川城を望む大きな料理店の二階で食事をした。座布団を並べ、母を横たえさせ、皆しばしの休息をとった。母の眠り顔が祖母にそっくりに見えたのには、亮二はおどろいた。
 父が他界してから、退職後に父が郊外に建てた家に母はひとりで住んでいた。一時は兄夫婦のところで一緒に暮らしたが、幼少の頃の我が儘いっぱいの性格は、兄の家での共同生活にうまく順応することはなかったようだ。
 それでふたたび父が亡くなった後も、独り長い間暮らしていた家に舞い戻った母はそこで近所の友人たちと、百人一首をとりあったり、南画を教え俳句を詠み、けっこう晩年のひとときを楽しんでいた。そこに突然予告もなく、扉が開いて母の弟のニン伯父さんが訪ねてきた。驚いた母はストーブの上の煮たったヤカンに、服の裾をひっかけてしまった。倒れた母のうえに煮え湯がかかり、大火傷をした母は救急車で入院した。あわやというところで一命は取り留めたが、以来、一人で生活していくことはできなくなった。それ以来、ニン伯父さんは母のまえに姿を現すことはなくなったのだ。そんなことがなくても、母はニン伯父さんが戦争中、母が大事に甕に入れて庭に埋めておいたアルバム数冊と誉伯父さんの遺していった遺品類を、どうしたわけか空襲の火事でその全部を焼いてしまった。そのアルバムにはお婆さんの祖先の面々の写真やらがたくさん残っていたものであったらしいのだ。
 掛川にあった邸の写真はもとより、岡田良一郎とその息子たちも、そして鳥羽伏見の戦いに参じた祖先の写真もあったが、すべては灰燼に帰してしまった。母の嘆きは、子供の頃から周囲を驚嘆させたほど、あらゆる才能を見せながら、二十代の若さで夭折した母の兄の写真もそのアルバムにあったことだ。母の話では、徳川家に勤めた祖先の内には、日本画の芸術院会員から、内務省参事までの錚々たる人達がいたという。失ったアルバムはそれら一人ひとりを指呼することができた貴重な品物であった。それを乞食同然の風袋で家に帰ってきたニン伯父さんのせいで、何もかも失ってしまったというわけである。
 高齢の祖母が、法律書から戦後の変わりようを得心した背景には、母みつの戦後の喪失感と表裏の関係があったのに相違なかった。だが明治生まれの祖母には、夭折した長男以外に惜しまれるものはなにもなかった。祖母の綴った「ノート」には、誉という名前のこの長男がいかに優れていたかが面々と記されていた。このところだけは祖母にしてはめずらしい筆遣いが為されていたため、それだけ印象的な記述になっていたのだと、亮二には思われた。
 誉伯父さんはニン伯父さんとは月とスッポンほどの違いがあるというのが、誇張癖のある母みつの決まり文句であった。ニン伯父さんは大学に七年も通ったが、心臓病だかで死んだ誉伯父さんは、独学であらゆる分野の知識を学んでいたらしいのだ。日本が泥沼の戦争を東アジアではじめたが、その惨めな敗戦を早くから予想してのは誉伯父さんだった。また祖母譲りの文学的な才能を発揮し、全国の詩人たちを糾合する詩誌の主宰者でもあったという。そのうえ泉鏡花の影響の色濃い、浪漫的な文飾でお能の創作もしていたようだった。それは自分の夭折を予感した者にしか書けない霊妙な筋立てであったということだ。

 誉伯父さんはフランス語の独学により、中江兆民が訳したルソーの「社会契約論」を原書で読み、自由民権運動の研究家との交流もあり、そうした縁からフランスのさる人との文通でのやり取りもしていたらしいのだ。
 その人はガブリエル・ロワイヤルというフランスの歴史学者であった。この人はフランスの東アジアでの植民地政策の研究をしていたが、傍ら日本の歴史と文化にひそかな関心を寄せている人でもあったというのが、ニン伯父さんから亮二がわずかながらに得た情報から撚り合わせた物語りでもあったのだ。
 パリ発祥のシテ島に館を持っていたある貴族のサロンで、詩人のイエーツが自身で書いた「鷹の井戸」というお能の創作の話しを聞いたガブリエルは、日本への好奇心も手伝って是非それを読みたいと矢も立ても居られなくなったらしい。早速、その本を手に入れると誉伯父さんは読み始めた。いかに日本文化への好奇心があるとはいえ、日本人でさえ歌舞伎と較べると、それほどに大衆化されていないお能という舞台芸術が理解されるわけではないとニン伯父さんはつけ加えた。
 ガブリエルから、日本にいる兄の誉伯父さんへ分厚い手紙が届けられことは母のおぼろな記憶からであった。誉伯父さんは日本中世の歴史の背景から、日本の伝統芸能一般の概要を説明した後、お能のあらましを述べ、フランス語に訳した「羽衣」の原稿と実際の演舞の写真を添えて、異邦の友人へ送ったということだ。
 このガブリエルの息子は、長じて外交官となった。息子クロードが日本へきたのは、第一次世界大戦が終わり、パリ講話会議後、日本が満州へ進出する頃であった。父の影響から息子クロードも知的好奇心が強かった。外交官であったクロードは日本の対外進出の情勢を探るという外交任務から、時の枢密院議長の一木喜徳朗と一夜懇談の機会を得たらしかった。一木は欧州への留学経験からフランス語が話せたのである。この一木は祖母の本家、岡田良一郎の次男で一木家の養子となった人である。亮二が縁戚の一人から聞いた一木喜德郞の青年時代のエピソードにこんなものがあった。
本の虫干しをしていた時のことであった。一木の友達が一人日なたぼっこをして寝転んでいた一木へ、おまえはやらんのかと訊いたところ、直ちにこんな答えが返ってきたというのだ。
「おれは読んだ本はぜんぶ頭に入っているから、こうやって虫干しをしているのだ」
時あたかも天皇機関説問題で紛糾していたが、美濃部達吉にそれを鼓吹したのは行政法の泰斗となったこの一木喜徳朗であった。後に、二・二六事件が起きると、昭和天皇からの信任の厚かった一木は一時、内務大臣を拝命されたという。
 さて、クロードには故国フランスに十歳になる一人娘がいた。この娘の名前はエミールといった。エミールは幼少からクラシック・バレーを習っており、祖父のガブリエルの感化もあって、日本文化へひそかに興味をもっていたらしいのだ。誉伯父さんが送った「羽衣」の諸資料は、偶然にも祖父のガブリエルから父のクロードを経てその後舞踏家になったエミールの手に渡った。エミールは東洋、特に父が赴いた日本への憧憬を強めていたのである。その後、マルセル・ジュグラスなるまだ若い外交官に是非にと求められて、エミールは結婚したが子供はなかった。エミールは、有名なイサドラ・ダンカンの弟子となり、絵や音楽、舞踏や劇、また、パントマイムまで勉強していた才女であったらしい・・・・。以上がニン伯父さんの話しだから、真実ばかりとは限らないというのが、亮二の判断であった。

「さて、そろそろ出発しますかね」
 という兄の一言で、家族一同は休息をやめて起きあがった。近くの逆井川の川音が聞こえ、そこから吹いてくる涼風が全員の気持を活気づけたようだ。
「どこへ行くんですか」
 母はまだ眠りから覚めていならしく、はっきりとしない声を出してそう言った。
「お母さん、暑いけどこれからお婆さんのお骨が入れられているお墓を見に、袋井へ行き、今日の夜はみんなでホテルに泊まるのよ」
 上の姉はそう言うと、気の強い母はすこし皮肉まじりに、
「はい、はい、老いては子に従えというからね」
 よろよろと母は杖を支えに立ち上がった。小さくなった母の黒いワンピースを着た姿はあたかも羽根をふくらませた雀のようでみえた。
 兄はタクシーを呼んで、皆が料理屋をでると、夏の日差しはまだ弱まることもなく、ジリジリと皆の肌を灼くように照りつけた。
「さあ、さあ、タクシーに乗ってください」
と、兄と姉は皆を急き立て、二人の姉は母を連れて車の中へ姿を消した。その後に、兄と亮二と茂三の三人がもう一台のタクシーへ乗り込んだ。
 車の中は冷房が効いて快適だった。
「お母さん、よく見ておいて下さいな、掛川城はこれで見納めですからね」
「そうね。山之内一豊さんがいたお城だったわね」
 母は祖母に似て普通は忘れてしまう固有名詞をよく記憶していた。やはり頭はしっかりしている血筋だったのである。
 運転手が気転を利かして、車を城がみえる場所へ寄せた。
 天守閣と太鼓櫓、西の方角には二の丸御殿が見えた。
「ああ、この二の丸ではよく遊んだものだ」
 兄が感に堪えぬように嘆息した。
 掛川市は天守閣を中心に城の修理を終えると、城下町の環境保全のために電信柱を埋設する工夫を凝らしたようで、城下は昔の風景を残しているのだった。
 少し走ると、運転手の声がした。
「左手に新しい図書館ができたんですよ」
 亮二はすぐこれに反応を示した。たしかにそう高くはないが、立派な建物の側面が目に入った。
 このとき、亮二の頭を過ぎったのは、大日本報徳社を訪ねた昔、すぐその近くにあった市立の図書館を訪ねたときのことだった。その図書館は殆ど粗末な建物であったが、隅のコーナーにずらりと背表紙を並べた「二宮尊徳全集」を見たのである。亮二は予想もしなかったその光景が忘れられなかった。その尊徳の高弟が祖母の本家筋の祖父、岡田良一郎であったことが、報徳社の二階の大広間に見た肖像画と共に、改めて眼前によみがえる心地がしたからだ。
 兄良一の話しだと北九州にある福沢諭吉記念館に、岡田良一郎からの手紙があるとのことであった。幕末から明治の時代という一国の変革期には、立志伝中の人物が互いに親交を重ねていたという、現在では想像できない熱い時代があったことを、こうした一事から知らされる思いがした。
 東京へ帰った亮二は、掛川市長宛に手紙を書いた。その内容は、市の図書館の建て替えと、二宮尊徳全集の保全を訴えたものであった。やがて、亮二の元に一冊の本と手紙が送られてきた。その市長からの本類はどこかへ散逸してしまったが、亮二の訴えは車の中から見える新築の図書館によって、市長へ届きその功を奏したことが証明されたように思われ、亮二を喜ばせた。
 家族を乗せた二台のタクシーはさほどの時間もかけずに、袋井へ到着した。墓所は小山の前にひろがっていた。まだ墓もない空き地が、直射日光を浴びて乾いた地面を晒している。
 ニン伯父さんが様々な苦労の末に建てた墓石は、黒い御影石で作られて潅木の間にひっそりと立っていた。
「これよ、お母さん」
 芙美子姉さんが母を呼んだ。日傘を弥生子姉さんが持ち、母の頭から夏の容赦ない光りを防いでいた。皆は一様に額の汗を拭きながら、黒光りした墓石をただ茫然というように眺めている。
 その黒い墓石をみながら、母と共に家族のそれぞれがなにを思ったのだろう。こんなにも緑の少ない、ただ広いだけの墓地の片隅に、まるで丸裸にされたように立つ墓石に祖母の骨は入れられてしまったのかという、なにか荒涼とした気持ちだったのにちがいない。
 掛川の龍白寺は鬱蒼とした緑の小山の上にあり、本家の墓と並び立っていたのに、この袋井の墓地は平坦な敷地で、素っ気ないような孤立感が漂っているだけであった。たとえ死者とはいえ、すこしでも見晴らしのいい場所がよいのではないだろうか。ことばには出さないが、それが家族一同のこころに過ぎった感慨であった。
 みなの沈黙へどこからともなく、蝉の啼き声が響きわたっていた。
 そのとき、一匹の揚羽蝶が白い羽根をひろげて、墓石の上をひらひらと舞って、母の目の前で墓石の角にとまった。まるで扇を開いたような大きな蝶であった。
「こんな揚羽蝶は見たことがない!」
 良一は驚いて叫ぶかのような声をだした。むかし昆虫採集に余念のなかった兄がそう言うのだ。たしかに黒い羽根の揚羽蝶なら、いくらでも見ていた亮二と茂三も、その良一の訝しげな声に反応して、白くて大きな揚羽蝶をみつめずにはいられなかった。
 すると更紗のような薄い羽根を透かし、青空を映じた羽根を衣のように翻して、アッというまに蝶は宙空に飛び立ち、大空に吸い込まれるように姿を消した。
 母は手をかざしてその後を目で追った。
「いま来たのはリウ婆さんだわ」
 母はまるでその墓石のうえに、お婆さんを見たかのように、妙なことをひとり呟いた。
 龍白寺からこの袋井の墓所へ、祖母の先祖代々のお骨が移ることについては、それ相応の理由があるに違いなかった。いや岡田家だけではなく、龍白寺の檀家たちはそれぞれが、新しい墓所へ引っ越しを余儀なくされていたのだ。
 母はそうした背景となった理由を知って憤慨していたが、それは既成の決定事項であった。それを漏れ聞いた姉たちは家族一同の意見を集約して、住職に掛け合うようなことをしたが、新任の若い住職は一向に、耳を傾ける気配もなかった。この件では一番苦労したのはニン伯父さんだった。
 高齢の母は遠くから弟であるニン伯父さんに、すべてを託していた。というより祖母の先祖代々の墓所について、その責任者はニン伯父さんしかいなかったのだ。そのニン伯父さんは敬虔なクリスチャンであった関係で、その戸惑いは一様のものではなかったらしい。
 檀家たちの意見もまとまりもないまま、時が過ぎるにつれてそれぞれの家は見切りをつけて、新しい墓所を探すしかなかった。また、天台宗の総本山では、寺の采配は住職任せの態度であり、住職の方針は変わらなかったのだ。ニン伯父さんも龍白寺から出て、お墓の新しい移転先を袋井に決断することになったらしい。
 広い丘陵は夏の日差しに炙られ、陽炎が立っているのか、さして多くない墓石は、潅木のあいだに揺れて漂いだしていた。家族の一人ひとりが、口をきく気力もなく、とだえた風と大地からの熱気に、意識は朦朧として来ていたのであった。
 その白昼夢のような墓所で、亮二は母とは違った思いで、死んだ祖母の姿を見たような気がしたのである。その思いとは、祖母が家族と一緒に官舎住まいをしていたある初夏の庭での記憶が亮二にまざまざと甦ったことにあった。
 母が庭で洗濯物を干していた。その傍らで、腰を曲げた祖母が佇ずみ、紋白蝶が一匹飛んできて、しばらく祖母のまわりでひらひらと舞っていた。やがてその蝶はうつむいていた祖母の背中に羽根を休めるように止まったのだ。祖母が庭を歩いても、初夏の日差しをうけた蝶は、そのまま祖母の背中の上にとまったまま、じっとして動かなかった。そうした亮二の子供の頃の記憶が、いま現実のごとくに亮二の目の前に映っている。
「お婆さん」
 思わず亮二は声にだして、祖母を呼んだ。祖母は亮二のほうへ顔を向けるとにっこりと頬笑んだ。相変わらず母は洗濯物を干すのをやめない。その母の横顔が見え、ほつれた髪がかすかに風に揺れている。
 祖母は庭に背高く生えた枇杷の樹を見上げて言う。
「ほう、こんなによく育ったものだ」
 その枇杷の樹は、祖母が掛川から東京へ引っ越して来たときに、まだ小さかった苗木を持ってきて植えたものだった。その枇杷の下に亮二は中学生の頃に小さな池を作った。その池の水面に赤い金魚がぱくぱくと口を開けて泳いでいた。兄が拾ってきた黒猫が、池の縁でその赤い金魚をじっと目で追っていた。
「クロ! 駄目だぞ! そいつはおまえの餌じゃないぞ」
 亮二がそうした光景を思いだしていたそのときだった。
 みんなが休んでいる木陰の、墓地の細い道のあいだを一匹の黒猫が走り、大きな墓石の陰に消え去った。
 そして、祖母の背中にとまっていた蝶が羽根をひろげて飛び去り、真夏の空のかなたへ吸い込まれたのを見たのである。
「どうしたの?」
 傍らにいた弥生子姉さんが、亮二を訝しげに見やっていた。名前を呼ばれて、亮二は初めて我に返ったかのように、現実に引き戻された。
「兄さんには、クロがみえましたか?」
「ああ、さっき墓石のあいだを走っていった猫だろう。あいつはわたしが拾ってきたクロ、長い尻尾といい、金色の目までもまったくそっくりな奴だったなァー」
 兄は遠くをみるような眼差しで、懐かしそうに言った。
「祖母もいた・・・」
 そう口に出しそうになって、亮二ははじめて自分が見た祖母が、幻想の風景に存在していたものと知って、奇妙な心持ちになったのである。

 家族みんなは陽炎の立つ夏の暑さに、顔をぐったりとさせていた。
「さあ、お母さん、このへんでそろそろ、みんなも帰ることにしましょうかしら」
 芙美子姉さんの一声で、日差しを避けて陰の下に散っていた一同が、母を中心によろよろと集まって動き出した。
 だが亮二は家族の後ろからゆっくりと歩いていた。
 そして、一、二度と祖母をみた墓所のあたりを振り返り、一本の高い樹の上にひろがる中空を見上げた。もしかしたら、もう一度あの白い衣を翻すように、大きな羽根をもった揚羽蝶をみることができ、腰を曲げてゆったりと庭を歩く祖母に逢えるかも知れないと想った。
 
「亮ちゃん、ここで少し休ませておくれ」
 お婆さんは先を行く亮二にこう言って、立ち止まらせた。
「また休むの、もう三度目だよ。お婆ちゃん」
 子供の亮二は不満気に、後ろを振り返ってそう言った。祖母は自分で自分の不甲斐なさを嗤うかのような微笑を、皺くちゃな顔の高く大きな鼻によせて、亮二を仰ぎ見ている。
 瓦礫の石のうえに腰をおろし、杖を立ててその頭に両手を重ねてのせていた。指の長い大きな手だった。骨が浮き出た指も皺がいっぱいだ。祖母はあのとき、どこへ行こうとしていたのだろう。
 官舎を出てから写真屋の角を曲がり、亮二が小学校へ通う道の途上だった。まだ東急目蒲線の駅に至るまえの路上であった。そこをまっすぐに駅を渡り終えると不動前銀座商店街に入るのだ。銀座商店街と言っても、六メートルばかりの幅、道の両側には乾物屋や雑貨屋、果物屋やパン屋などがひしめくように並んだ曲がりくねった道路が二百メートルほどつづき、ちょうどその真ん中辺りに亮二が通った小学校の裏門があった。
 ある日、小学生の亮二が日曜日であるにもかかわらず、この校門をよじ登って越えていく姿があった。カバンを背負って家の玄関を出る亮二に家の誰も気づいた人がいなのも可笑しなことだったが、亮二はその日が学校が休みであることをすっかり忘れていたのである。それは高校の体育のバスケットの授業で、敵のバスケットへボールを投げ入れようとしてクラスの失笑を買ったことにも窺える、どこかニン伯父さんに通じる亮二の特異な性格に相応しいエピソードであったろう。
 その商店街が尽きるところで、かむろ坂という名前の坂道と交叉していたが、さらに道なりに進んでいけば、目黒のお不動さんへ行くことができた。毎月二十八日がお不動さんの縁日であったが、不思議にこの日になると雨が降るのだった。その縁日の通りを亮二と弟の茂三が遊びに行く途上、両足を失くして路上に伏す両眼に白いガラス玉を入れた傷痍軍人を見かけるのだった。兄の亮二も弟の茂三もできるだけ見まいとしながら、怖いもの見たさで彼等から目を背けることが出来なかったのである。バンドネオンから聞こえる物悲しい音曲がそれに拍車をかけてきた。このお不動様の縁日で黄色い羽根のひよこを数匹買ったことがあったが、朝になると目を白く瞑った小さな死骸を見つけて幾度悲しんだことだろう。
 
「お婆ちゃん、どこへ行くのさ?」
 また、杖をついて歩き出した祖母に亮二は訊ねた。
 祖母はなにも言わなかった。その瘤のような背中に、また白い紋白蝶がとまっていた。祖母は黙ってその腰をのばして空を仰いだ。紋白蝶はその空に舞い、高く上がって消えていった。祖母の顔にかかった眼鏡の丸い硝子に青空が映り、青い空には昼の月がぼんやりとうかんでいたのである。

 車の中にいた母も祖母と同じような杖を前に立て、その柄に両手を重ね、頤をもたせながら、
「どこへ行くんですの?」
 と母は芙美子姉さんへ訊ねた。
「簡保の宿へ、これからみんなで行くんですから、お母さん、もうすこし辛抱して下さい。直に着きますからね。着いたらお風呂に入ってからだを休めましょうね」
 母は黙って頷いているようだった。目を閉じてもう半分眠っているのかも知れない。
 宿泊先は焼津港を見渡す高台にあった。夏の海が太陽に燦めき、地平線は遠く霞み、一艘の巨船がゆったりと水平線を移動していた。
 広いガラス窓をのぞいてみると、眼下で波がしらが岩礁に砕け、青い海に白い泡を溢れさせている。
「なかなかの絶景じゃないか。子供に見せてやりたかったな」
 茂三がガラス窓に額を寄せて、いかにも残念だというように言った。
「ほんとうに素敵な眺めね」
 弥生子姉さんが賛同してそう言った。

 部屋の中を、芙美子姉さんの声が、まるで母の声を思わせる湿りけをおびた響をもって聞こえてきた。
「こうやって家族のみなが元気なうちに顔を合わせることなど、これから先ないかも知れなくてよ」
「おふくろが静岡に来るのもこれが最後だと思うな」
 耳が遠くなっている母に、兄の良一の声は聞こえることはない。
 母は座布団を枕に横になって目を閉じている。祖母に似た大きな耳だが、もうほとんど用を為していないのかも知れない。
 祖母のノートによると、母の実父は掛川の邸を手放してから、途端に倹約家になったらしい。それで母の兄の誉伯父さんは、学費を出して貰えずに大学へ行くことができなかったのだ。祖母の「ノート」には、そのことを悔やんだ文章が綿々と綴られていた。
「お兄さんが生きていたら・・・・」
 母も兄の誉伯父さんの夭折がとても口惜しかったのは、祖母と同様だが、兄と妹では自ずと違っていた。
 誉伯父さんには岡田家の血筋が濃くながれていたようだ。詩人でもあった誉伯父さんは独学の勉強家で、独りでいろいろな知識を身につけ、時代をよむ先見性もあり、豊かな感性と明敏な知性の持ち主であったらしい。だがそれらを証明するアルバムと共に戦火に焼かれて消失してしまった。それらは母の誇りと虚栄心を満足させる拠り所であった。母は大層に口惜しかったにちがいなかった。
 また祖母の「ノート」には、誉伯父さんが子供の頃に、物まねをして、近所の人たちを驚かせ喜ばせたエピソードが幾つか記されていた。
それにしてもなぜ祖母のノートが「ざんげろく」と題されているのか、そうした疑問が亮二の胸を横切っていった。祖母は兄の誉伯父さんに何一つしてやれなかった代償に、一人残った弟のニン伯父さんを溺愛し、そのニン伯父さんから祖母はキリスト教徒の懺悔というものについて、学ぶことがあったのだろうかと、亮二はひそかに想像した。

 そのニン伯父さんのせいですべての遺品を失くしたが、その中で唯一残ったものがエミール・ジュグラスの手に落ちた、フランス語に訳された「羽衣」の謡曲本であった。だが、祖母も母もそのようなものがあることさえ知らなかったのである。また知ったとしても何の関心も示すことはなかっただろうと、亮二には思われた。

 朝のホテルの部屋で母は起きがけに夢のなかで誉兄さんに遭ったと、おかしな声でつぶやいた。母の話しでは、それは富士山を仰ぎ見る松林のなかであったそうだ。母は夢をみるとはっきりと覚えていて、それを朝一番に話し出す奇妙な癖があるのだった。
 母の話す夢の中では、誉兄さんはお能の舞台に立ち、しずかな佇まいで仕舞いを舞い終わると、銀白の蝶になって青空へのぼっていったという。
 その母の荒唐無稽な夢の話しを聞きながら、亮二も祖母を夢にみたこと話せずに黙っていた。亮二の夢はあまりに現実的で、母の夢のようなロマネスクなものに欠けていた。
 それは東急目蒲線の不動前駅前のメガネ屋で、亮二が祖母のための新品のメガネを買っているところであった。亮二は祖母になにかの贈物をしたかったのだ。祖母がかけているメガネのツルはあまりに古びて壊れかけていた。祖母が「アンナ・カレリーナ」を読んだその古い眼鏡は、にしめたような黄土色に変色していた。亮二が贈った朱色の新品の眼鏡をかけると、祖母は鏡に自分の顔を映して、ニッコリと満面に笑みを湛えた顔をみせたのだ。
 その笑顔は亮二が幼いときに、祖母の膝に寄りかかっている一枚の写真を連想させた。祖母の座った椅子は午後の太陽に当たり、背後に濃い影を曳いて茫々と背後に広がっているのだった。その影のなかに、杖をつきながら駅のほうへ、腰をまげて歩いていく祖母がみえた。
「お婆さん、どこへ行くの?」
 と訊ねる子供の亮二が、また、そこにもいたのである。

 朝食は部屋の食台をみんなで囲んで摂った。翌日も昨日と同じ真夏の天気になりそうであった。
「今日はみんなで日本平へ行き、そこからロープウエイで、久能山の東照宮へ行く予定です」
 兄の良一がそう言う側から、芙美子姉さんがつけ加えた。
「久能山の東照宮は、徳川家康さまへの参詣のためね、それからお母さんが小学校の遠足に行ったという、三保の松原へ足をのばして、今日中に東京へ帰るのよ」
「そんなにたくさん行って、お母さんは大丈夫なの?」
 弥生子姉さんはなんやら心配そうだ。膠原病という難病を患っている彼女はそのために痩せ細っていた。体力がないのでからだにあまり自信がなかったせいかも知れない。その後数年経って、長女がバイクでトラックと衝突事故で亡くなってしてしまうと、その失意から身体を余計に弱らせた姉は、肺にまで転移した癌の病で長女の後を追うように亡くなった。だからこの家族旅行がほんとうに、家族一同が顔を合わせた最後になってしまったのだった。

さんさんと夏のひかりを浴びた焼津港は、昔の鮪の漁港としてのにぎわいはなかった。あのアメリカの核実験での被爆事故からこの漁港は以前の活気をなくしてしまったようにみえた。あるいはそうした事故の記憶がそのような印象を与えたのかも知れなかった。

 青い駿河湾の海を眺めながら、家族一同は一路車を日本平へ向かって走らせた。
 誉伯父さんと夢で再会した母は、幸福な一晩をぐっすりと眠ったせいもあり元気を取り戻していた。そして誉兄さんがどんなにか秀才であったかを、繰り返して話しだすのだった。厳父から突き放された誉伯父さんは、妹であった母にはやさしい兄であったようだ。その誉兄さんは昼の勤労で疲れて帰宅し、夕食の食卓を前に、そっと箸を卓袱台におくと、胸に手をあててそのまま不帰の人となった。
 母も祖母に似て文学少女の時期があったせいで、話しをするのがとてもうまかった。だが母が話しだすと、誇張や脚色がまじるので、用心が必要なのだ。いつのまにか、事実は母の夢のなかでふくらみ、夢想とけじめがつかなくなることがあるのだ。五人の子供たちはそういう母を知っていた。ともかく、祖母に似てあまり惚けないのを子供たちはよろこんでいたのである。

 母が、六ヶ月も胃癌で入院中の父松三の看病に献身していたことがあった。毎日のように入院中の父の元へ日参し、最後の二ヶ月ほどは病室に簡易ベッドを入れて、母は二十四時間父の面倒を看ていた。逆にこの母を心配した子供たちは、代わり番こに父への介護の手助けをした。
 二度も胃の手術をうけた松三は、最後は胃の全部を取られてしまった。自分の胃は人の二倍も大きいのだと自慢し、そのせいで晩年までよく食べ酒を飲むことができた正三であった。
「おれが酒を飲めなくなったら、もう終わりだな」
 と正三は言って憚らなかった。高血圧やらで多量の薬を飲み、退職後はテレビでの相撲観戦を楽しみながら、現役中と同じように晩酌をつづけていた。
 ある年の正月、亮二が父へ酒をすすめると、父は杯に口にすこし含んだだけで、お猪口いっぱいも飲もうとしなかった。その年の五月に正三は突然に、近くの病院へ入院した。
「親父が入院した。癌でもうだめらしい」
 そう弟の茂三からの電話をうけた亮二は、会社の窓硝子に明るく反射している五月の日光と、窓をとおしてみえた、あまりに明るい青空を忘れることはなかった。
 五人の兄弟姉妹の全員が父の病院へ駆けつけた。
 ベッドの上で胡坐をかいて座りお腹をさすっている正三がいた。まだ医者からの告知をうけていなかった。お腹を手でさすりながら、子供たち全員にみつめられた正三は照れくさそうに微笑して見舞いに来たみんなを見回していたが、もう往時の勢いをそこにみることはなかった。
 夏の終わり頃に一旦回復したようにみえた正三の病状は、そのまま下降線を辿るだけだった。胃を全部切除され、ベッドにチューブだらけの身体を仰向けて、よく晴れた晩夏の空をみつめて、ポロリと言ったことばを亮二は覚えていた。
「ああ、冷えたビールを飲んで、都々逸でも唄いたいよ」
 それは下町育ちの父の遺言のような一言であった。
 次第に正三は口を利かなくなった。もうしゃべる気力も体力もなくしていた。
 入院当初には、抗ガン剤となると伝え聞いたワクチンを弟の茂三がわざわざ貰いに行き、医者に打ってもらったこともあった。そして、一回六時間も八時間もかかる手術を二回もやり、それに堪えた正三のからだは、その後はただ骨と皮だけになってしまった。その年の暮れ、兄の良一と亮二が仮ベッドで見守る夜中、
「からだを起こしてくれ」
 と声を振り絞ってベッドから半身をもたげようとした。
 二人は正三の半身を抱き、ベッドに起こそうとしたが、棒のように硬くなったからだは容易に起こすことはむずかしかった。
 翌日の午前、正三の呼吸は止まった。ベッド上の身体にのしかかり心臓マッサージをしていた医者もしばらくして、ベッドから降りた。
 亮二は帰宅し静養していた母と姉を家から連れてくるために、車を走らせた。病室に母だけを残し、子供たちは廊下に出た。兄の良一がにわかに声を上げた。
 
 日本平は太平洋を見晴らす丘の上にあった。そこから小さなロープウエイが崖下にある久能山東照宮へと繋がっているのである。
 みんなは狭い車から降りて、からだをのばした。夏とはいえ、日陰に入ると、爽やかな風が海から吹いてくた。
「ちょっと、ここでひと休みしましょうか」
 と、芙美子姉さんが言った。正直言ってこれから、ロープウエイに乗って下まで降り、いくら母のご先祖様への礼儀とはいえ、東照宮への参詣は、良一等三人の男達にも大儀であった。ましてからだを病んでいる弥生子姉さんには厳しそうだった。
 こうしたことから、東照宮への参詣を取りやめにすると母へ伝えた。母は未練気もなくこれに同意した。

 あれは父が癌で入院していた頃だった。静岡の浜松にいた祖母の弟にあたる人が亡くなった。母は父の介護中であったが、その葬儀に千葉県から出向いたのだ。介護の疲労の濃い母のために、亮二がつきそうことになった。
 東京駅まえから浜松行きのバスに揺られて、母と二人で浜松に着き、母の伯父さんの家へ行ったときのことだ。亮二はこの人に会ったことがあった。それは龍白寺の檀家であったからにちがいなかった。県の教育委員を務めていた教育者であり、この親戚の多くの人が教職についていた。質素な家の中に入り、一室で会葬者に混じって亮二が手持ちぶたさに一冊の本を取り出し読み始めた。ときおり、その部屋の四方の壁にずっしりと並んだ書籍に目をやると、そこにある書籍は亮二の関心を懐かせる類のものが、あまりに多いことに亮二を驚嘆させたのであった。それはほとんど学者肌の者しか興味を示さない教養書で埋め尽くされていた。
 亮二が驚いたのはそれだけではなかった。本を読み始めた部屋は薄暗いものであったけれど、亮二の背後から明かり灯されたのだった。ふとその明かりに振り返ると、わざわざ電気スタンドを亮二のために用意している年配の婦人と目が合った。
「お暗いでしょうから」
 とその目が亮二に語りかけた。
 そのとき亮二はこうした親切と配慮に、ありがたいと思うだけではなかった。母を介しまた祖母を通じて、自分の中に流れている家族とその縁者の源泉とその血筋が、ここにあったという発見ともいうべき幸福な感情であった。
 家族とは父母兄弟姉妹だけと思われていたものが、その枠の中だけではなく、さらに広く遠い縁がこの世にあるという驚きでもあったのだ。
 死者はその死を通じて、現世の生者とつながっているという、こうした感覚は個体である生の根拠を、深く、遠い先祖へと触手をのばしていくらしかった。そうした認識がリアリティーをもって、亮二をいままで知らない世界へと連れていくように思われた。
 それはちょうど父が明日をも知れぬ病に犯されている最中、母と二人きりのバス旅行の幸福感とも重なり合って、自分の個我が解体され、解放されていくような感覚を亮二にもたらした。
 偶然の逢瀬はただの単なる偶然というものではなく、死は生の単なる終わりというのではなかった。死者は死者として生きている。
 家族の時間はこうした一連の縁の連鎖によって、自分へと流れ、そのなかに自分がいるという感情が亮二の狭い視野と認識へ、新しい領野があることを目覚めさせるものであった。

 家族が東京の五反田に住んでいた頃のことである。官舎の庭の向こうは、氷川神社の参道になり、正月ともなると、その参道が氷川神社へのお参り行く人々の歩く下駄や靴の音で賑わうのだった。
 亮二が小学校のとき、暑い夏が過ぎ秋になると、神社のお祭りがあった。はやくそのお祭りに行きたい亮二は、腹痛を理由に学校を早引きをして、参道にならぶ飴やら金魚すくいの屋台へと、祭り囃子の太鼓や楽の音が響く雑踏へと紛れ込んでいくのだった。焼きイカの小鼻をくすぐる香ばしい匂い、着物姿で化粧をした女の子の白い顔やらの別世界がそこに、普段と違う異世界を出現させるのだった。様々な色合いをしたぼんぼんや風船が空中に彩をなし、紙鉄砲のひとつでも買い、吹き矢のようにそれを飛ばして、屋台から屋台をのぞき歩くことに、亮二は夢中になったことがあった。
 高い階段を上がっていくと、社殿のまえに広場があり、その崖側に木造の舞台が設えてあって、その板の間でお神楽が挙行されていた。その高い舞台の縁に上がって座りこみ、面を被り金糸銀糸の装束を着た者たちによって、おどろおどろしくも演ぜられる舞台ほど、亮二を不思議な力で虜にしたものはなかった。仮面を着けることによって、それはもやはこの世の人間でありながら、この世の者ではなくなっていた。どうしてそんなにお神楽に惹かれていたのか、子供の亮二になぜかとはわからぬながら、その仮面による舞曲の世界に亮二は惹かれずにはおられなかったのである。夜ともなるとお神楽の舞台は、金と銀の装束が電光に反射して、輝かしい舞台空間となるのだった。舞楽の音は遠い夜空から降り注ぎ神々しい響きを齎すものとなった。
 亮二はお祭りでのそのお神楽の舞台を、ときおり思い出しては、あれほどに自分を魅惑したものが、仮面というものにあり、その仮面の魔力が幼いこころを捕らえていたことの不思議さを顧みることがあったのである。
 それで思い出すのは祖母が遺した「ノート」のなかに記された誉伯父さんのことだった。祖母のその「ノート」によれば、誉伯父さんが心臓を患ったのは、子供のころにとても恐い目にあったせいだった。得体の知れない恐ろしいお面を被った者から驚かされた伯父さんが、泣きながら家に走り帰ってきたことがあったというのだ。それ以上の詳しいことは書いてないのでわからない。ともかく、それ以来誉伯父さんの心臓は、二十五歳で胸をおさえて亡くなるまで、子供の頃に出会った恐怖と闘い続けたのにちがいなかった。
 その誉伯父さんが、お能という日本の伝統芸能に出会ったのは、ちょうど二十歳のときだった。
 母のぼんやりした記憶では、「兄さんのお能狂いは、訳のわからないものだった」ようだ。
 そのお能を実際に自分で演じることに興味をもち、ツテを頼ってとうとう伯父さんはある家元に頼みこんで、お能を習いだしたらしい。
「誉の奴がおかしなことをしている」
 と祖父は偉い剣幕で怒って、家のなかで誉伯父さんが、お能の稽古をすることも、その一節を謡うことさえも厳禁したらしかった。だが、父親が禁じれば禁じるほど、伯父さんはそれに反抗して、お能の世界にのめり込んでいった。そのうち、能面を彫ることまでもやりだし、自分が彫った能面を被って、一人鏡の前に座り込んでいたらしい。
 ともかく、誉伯父さんのお能への入れ込みようは、尋常ではなかったと、母はそう言ってことばをのみ込んで涙をうかべた。
 昼は新聞社に勤め、また一方で、詩を書いていた伯父さんの交友範囲はとても広いものだった。二十五歳で夭折した伯父さんが、ガブリエルの孫娘であるエミール・ジュグラスなるパリの舞踏家と親交があったとは思えないが、伯父さんの訳した「羽衣」を読んだエミールは、詩人でもあったイエーツが書いた「鷹の井戸」という日本のお能の影響の色濃い作品にも触発され、天女が羽衣を着て舞いながら、空へ消えていくその、単純で高雅なストーリーに大変に感激したらしいのだった。エミールは奇しくも伯父さんに似て、白血病で自分の余命が幾ばくもないことを知っていた。ガブリエル家は代々、敬虔なカソリックの家柄であった。そして誉伯父さんはニン伯父さんのような信心家にはならなかったけれど、聖書の世界とヨーロッパ文化への深い教養を持っていた。誉伯父さんがどんな詩を書いていたのかも、ニン伯父さんが戦火によって焼失させてしまったせいで、残念ながら知ることはできなかったが・・・・。

 家族一同を乗せた二台のタクシーは、次第に車の左側から目に入る松林沿いに車輪を寄せていった。海はまだ見えなかったが、濃緑色の松林の彼方に、蒼い海と潮騒の響きが感じ取れた。
「お母さん、もうすぐに三保の松原に着きますからね」
 うとうとと寝入る様子でいた母みつは、この芙美子姉さんの声に促されたように、老眼のまなうらを開いた。母の老いたる目に一列に生い茂った松林が迫っていた。すると母の顔から老いの翳が雲が霽れるように消えていき、かわりに子供のような生気が湧き出すかのように思われた。
「見える、見える、三保の松原が見える」
 うつつなのか、まぼろしなのか、母の目にはその姿と風景がたしかに映っているようだった。とっくに失われた遠い過去は、幽明な境を地下水のごとく流れ越して、母の魂に滾りだしているのであろうか。
 車は国道から三保の松原へと左折し、いまようやくその前で車輪をとめた。
 二人の姉に両脇を抱えられ、それが邪魔だとでもいうかのように、母は車を降り立った。
 なだらかに砂浜が登り坂をつくり、大振りの太い松の枝が湾曲しながら、空一面を蔽っている。それは母を呼ぶ自然の手招きのようにみえなくもない。いや、母には、おいでおいでをしている、その松の声が聞こえてさえいたのだろう。
 その声に励まされて、母はまるで泳ぐように、杖をもつ手を空中に振り上げ、砂浜に草履をなげだすように、大樹に茂る松の葉が広がる砂地を上って行くのだった。
 二人の姉の付添がなければ、自分ひとりでもその砂浜ののぼりを駆けあがりかねなかった。そこは母が遙かむかし、小学校の遠足で来たところなのだ。八十年の歳月を超えて、母は童女のように歌いだした。それはむかし覚えた校歌なのであろうか。
「お母さん、その歌は何の歌なの?」
 おどろきあきれた長姉の声はもはや母の耳には届かなかった。あたかも幼い童女のように、母の顔から皺は拭いさられ、朱に染まったようなその顔は喜びにあふれ、その脣から、次から次と歌が流れだすのだった。
 二人の姉はその母の喜びが伝染をしたかのように、母を抱える手をゆるめて、互いに笑い合った。
 浜辺にいる人達は、この母の声に耳を傾け、狂女のように戯れ遊ぶ母に、おどろき訝しんで母と二人の姉を見つめるのである。
 良一等三人の兄弟は、この母の狂態に驚き戸惑い、呆気にとられていた。
 外聞を気にする兄良一にとっては、この光景は見苦しくさえあり、受け入れかねたようだ。これが八十を超えた自分の母であることが信じかねたのである。
 母はやがて小学校唱歌である鉄道唱歌を歌いだした。
「汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり・・・・・・」
 この長い長い歌を母はどうしていままで覚えていたのだろうと、亮二は驚嘆しないではいられなかった。母の唱歌はいつまでもつづいていた。まるで永遠に継がれる女の一生のように・・・・。
 母が行きたがり訪れた赤穂浪士が眠る泉岳寺も、母が家族と共に掛川から引っ越した川崎大師も、そしてここの三保の松原までも、母の歌うこの唱歌にはみな歌い詠みこまれているのであった。これらのすべてが、母が過ごした人生のあるときと繋がっているのだ。母は過去を、そして現在を歌った。母の一生があたかも終わることがないかのように・・・・。
 そうした思いに亮二が浸っているときであった。
 母が歩く松林の中径、揺らめく枝陰のなかに、亮二は一人の男と女の影法師のような人影が動くのを見たのだ。
 その中径は御穂神社へとつづく参道であり、「神の道」とも呼ばれていたところだ。その道を進むと、天女が羽衣をかけた樹齢六百年の老松があるのだった。
 駿河湾から吹き寄せる風が、さわさわと松籟をならし、浜辺に寄せる白波は砂浜に砕け、黒い粒子になった砂はザワザワと鳴りどよめいていた。参道に織り敷いた松林の影は、いよいよ濃く辺りに広がると見る間に、青い駿河の海に燦めいていた夏の陽ざしはいつしか曇り、松林は一帯に闇につつまれていくようではないか。その闇のあちこちに火の粉を散らす篝火が焚かれ、闇そのものがここかしこで燃えているような幻想の風景がひろがった。
 やがて男と女の影法師は、一人は漁夫であり、いま一人は増女の面を被った天女であることが知られた。するとどこからともなく、「ピュー」という空気を引き裂くひしぎの音が聞こえてきた。これこそ能楽の開始の合図であった。二人の後ろ正面には、笛、鼓、大鼓、太鼓の囃子かたが、さらに濃い影となって控え、右かたには地謡数人のすがたが、陰のなかにかすかに沈んで並んでいる。
 笛がなりだし、鼓が打たれると謡いの声がおもむろに聞こえはじめ、ワキの漁夫の前で、シテの憂いをふくんだ増女の面を被った金糸に紅が混じり合った装束に、薄い白妙の衣を肩に纏った者が、ゆっくりと砂の上を、扇子を開いて摺り足で舞いだした。

 ー風早の~。三保の浦囲を漕ぐ船の。浦人さわぐ波路かな~。

ワキの腹からしぼりだす声が、独特な間をおいた節回しで、かすかに低く、聞こえだした。
 繰り返し寄せる波音が、遠く近くに響き、母の歌う唱歌が、その謡いに和するかのように、どこからか亮二の耳に響きはじめた。
「お母さん、あれが天女が衣をかけた松の樹よ」
 と、芙美子姉さんの声が、母の歌う声に合唱して、亮二の耳朶をなぶっていった。
「じゃ、ここで家族そろっての記念の写真を撮ることにしますか」
 兄の良一が皆を太い松の根方に呼び寄せた。
 機械の扱いに馴れた茂三が固定カメラをセットし、一同の被写体に走り寄ると、シャッター音が軽やかに鳴った。
「お母さん、これでいいわよね」
 芙美子姉さんがそう歌うような声で言った。
「ああ、いいわよ。これでいい」
 元気な母の声がこれに和した。 
 亮二はうつつと夢のあわいに佇み、そのどちらに自分がいるのか、あるいは、どちらにもいないともいう、不安をおぼえたが、それは常の不安というわけではなく、むしろ穏やかな安らぎをさえ感じるものだった。

 ーこれは三保の松原に~。白龍と申す漁夫にて候~蔓里の好山に雲忽ちに起り~。一楼の明月に雨始めて晴れり~。げに長閑なるときしもや~。

 後景に控える囃子方の笛と鼓が玄妙な音を奏で、それに大鼓の霊妙な響きが添えられ、漁夫の謡いを妙なる伴奏で陰影のある彩りを加えている。
 そして、ワキの漁夫が語る三保の松原の情景が、いま現にいる場所でありながら、それとは別世界の景色を描き出しているという感覚を、亮二に呼び覚ました。いやむしろ、現に家族がいる場所が夢の中であり、漁夫が謡い語る情景のほうがうつつであるかのような反転した感覚が、亮二を陶然とした異界へ誘うかと思われた。
 それこそ亮二が幼年の頃に、訳も分からないながらお神楽に魅了された、遠い過去に繋がる愉楽の世界でもあったのだ。
「どうしたんだ亮二、からだの調子でもおかしいのか」
 兄の良一が亮二の様子を訝しんで声をかけた。
「いや、なんでもないんだ」
 そう言って、亮二は兄の顔をみた。その兄の顔が大日本報徳社の広間に掲げられていた岡田良一郎の肖像画に似ているように思われてならない。
 母は母でその兄の良一に、誉伯父さんの顔を思い出したように、
「あれよ! 誉兄さんかいの?」
 と、頓狂な声をだして吃驚したような形相を呈した。
 亮二は家族の顔がすべて仮面のように見えた。いや仮面こそ人間の顔ではないかとでもいうように、もはや仮面は仮面ではなかった。それは死顔でありながらも生きた表情を面に湛えて豊かでさえあったのだ。
 不思議にいま仰天した母の顔は、亮二の慕った祖母の顔そっくりに見えるではないか。そして、その祖母の仮面が亮二をニン伯父さんにそっくりだと言うように笑っている。
 いつも脇に聖書やら様々な本を抱えていた、あの変わり者のニン伯父さんがいつの間にか、そこに姿をみせているように思われた。
 亮二は家の階段の下でいつか見たニン伯父さん、青白いネオンを光らせて亮二を見下ろし、ニタリと笑った表情のままにあの異形な姿をしたニン伯父さんを見て、吃驚して後じさった。世事に疎く世間の人から軽んじられていたのに、恬としてそれに気がつくこともない様子で、これはというときには不思議な霊力を発揮する奇妙な人格者であったニン伯父さんを。乞食を見ると給金のあらかたを上げてしまい、父の正三から「バカ野郎だ」と言われていたあのニン伯父さがそこにいた。
 父は一冊の本も読まず、盆暮れの贈り物が部屋いっぱいになるのが嬉しくてならないという俗人であったけれど、五人の子供たちを育てるために、それなりの苦労をして働いてきたのだった。それは大多数の父親たちの生きざまでもあったろう。
「今日もご馳走になってね」
 毎晩のようにへべれけに酔っぱらって、玄関で父が母に言ういつもの科白であった。
「もうお酒臭くてしょうがない」と母がこぼす科白も亮二には聞き飽きるものだった。
 亮二がこの酒好きな父を、不動前駅の前にあった酒屋の店頭でみたことがあった。父はこの酒屋の立ち飲みの一人であった。背後へ振り向いた父の顔が「しまった」という表情をうかべたのを、亮二はみてしまったのだ。
 子供ころの亮二と茂三は、夜遅く帰ってくる父と母の会話を寝床の中でよく耳にした。そして、父が持って帰る葬式饅頭には二人とも眼がなかったものだ。

兄の良一と弟の茂三は、各々に三保の浜辺を歩き、駿河の海が波を打ち寄せる岸辺を歩きはじめていた。
 亮二はその二人を遠目に眺め、三保の海岸が果てようとする遙か遠くの東の空を仰いだ。
 風に吹き払われた夏の青い空に、富士の霊峰が聳えていた。
 むかしこの富士を三人の学友と登ったことがあった。真夏とはいえ、上に行くにしたがい冷気が強い風を伴って肌を刺すような寒さに襲われながら、皆で朝日のご来光をいまかいまかと待ったのである。太陽の光が地平線の彼方を朱に染め、少しずつその全容を見せ始めると、登山者一同の感嘆の声があがった。むかしの人は、朝ごとにこの太陽を拝んで柏手を打ったという。過ぎし日を顧みて、そういう人を亮二は住んでいる下町の路上で見かけたことが、記憶の底に残っていた。多分、妻の文子の父は、そうした日々を生きた人ではなかったかと、亮二は思わずにはいられなかった。文子の父は日本の敗戦後にもソ連での抑留生活を強いられた辛い体験をしてきたのだ。朝、一日が始まり、その一日の命が無事に過ごせることを祈る気持ちが起きたのは自然なことのように、亮二には思われた。

 するとふたたび闇が降りて、辺りが静まりかえった。鼓がうたれ笛の音が聞こえた。地謡がその空洞に声を響かせ、シテの天女が衣を翻して舞いはじめた。
 お能は一節には鎮魂の儀式だとも言われ、また、「羽衣」はハレの結婚式にも舞われる、祝言の演目でもあったのである。

 ー東遊びの数々に~東遊びの数々に~その名も月の宮人は~三互夜中の空にまた~満願真如の影となり~御願国土成就七宝充満の寶降らし~国土にこれを施し給うなる程に~時移って天の羽衣~浦風にたなびきたなびく~三保の松原浮嶋が雲の~愛鷹山や富士の高嶺~かすかになりて天つみそらの~霞にまぎれて~失せにけり~
 
 増女の面のしたにわずかにのぞける頤と首筋は、輝くばかりに白く細く、とても男とは思えず、それも日本の女よりは異国の女人の如くである。白龍の漁夫が、天女が空に舞いつつ消えていくのを陶然として見仰ぐうちに、天女の衣は大きな蝶の羽根に変わり、いつの間にか、夏の真昼の青空を映じて輝くばかりとなり、そのまま天に吸い込まれていくのだった。
 漁夫は童女に似た母の顔となりて、小さな手をかざし空を眺めている。そのすがたは遠足にきた、昔の幼小の母とも想われた。
 いつしか舞曲はやみ、朱に燃えた薪は昼の太陽にまぎれて、家族は思い思いの恰好にて、茫然と佇む母を囲んでいるばかりであった。
 彼方の空に霊峰富士の高嶺は白く照り映え、駿河の海にそのすがたを映じて、海に漂う大きい水母のごとくに見える。
 途絶えていた風が海の方角から吹きはじめたようだ。
 兄と弟が風に吹かれ、白い波を一面に散らした駿河湾の岸辺から戻ってきた。
「どうしたのですか、お母さん、そんな顔で空をみて?」
 母の様子から、心配そうになった芙美子姉さんが訊いた。
「いいえ、すこし目眩がしたぐらい、亡くなった誉兄さんの声も聞こえ、いろいろなものが視えたような気がして・・・・・」
 それ以上は声はかすれ、母は腰を大きな石に降ろし、杖に両手を添えて、なにか憑き物が落ちた様子であった。
「亮二はほんとうに大丈夫なのか」
 兄はまた亮二の様子をみてそう言った。その声が亮二に届いたかどうか、亮二は夢遊病者のように放心した様子だった。
「さすがに、日本の三大風景のひとつだ。実に素晴らしい景色だ!」
 兄はそう喜び叫ぶかのように言いながらも、
「さあ、そろそろ、みんなで帰ることにしますかね。お母さんもやはりすこし疲れたようだし」
 そう言って芙美子姉さんと妹の弥生子に向かって、帰り支度をするよう促した。
「お母さん、鉄道唱歌がすばらしく、よかったわねェー」
芙美子姉さんが、母をねぎらうように、そう言った。
「あんなに長い歌の歌詞を、お母さんはよく覚えていたのね」
 と妹の弥生子がそれに応じた。
 二人の娘に褒められた母は、急に元気づいたように立ち上がった。
 茂三がその母の脇を支えながら、
「海のほうまで、お母さんの声が聞こえたからね」
「そうかい」
 と母はやはり嬉しそうに、皺だらけの満面に笑みをうかべた。

 家族一同が一塊になって、また松林の中をそぞろ歩きだした。よく見ると、行きに歩いてきた浜辺には、そこかしこに屋台が店を並べていた。
 茂三が一団の先頭を歩き、
「この店ですこし休んでいかないかな」
 と、葦簀を張って風除けをしている一軒の店を指さしている。
「氷」と太文字で書いた色鮮やかな旗を掲げた店へ、みんなはぞろぞろと入っていく。簡素な木のテーブルと椅子があった。そのひとつに家族一同が座わり、各自がそれぞれ思い思いの一品を注文した。
 駿河の海は夏の光りを反射させ眩しいほどで、砂浜にはうっすらと陽炎がたち、風が砂を葦簀に吹きよせる音が聞こえている。
 亮二はどこかで、いまと同じ時間を過ごしたような、そんな一日があったような気がした。
 澄ませば耳朶の奥に、羽衣の舞曲がまだ聞こえるようだ。

ー風早の~。三保の浦囲を漕ぐ船の。浦人さわぐ波路かな~。

 一同が再び腰をあげ、はじめに来た砂浜の坂を下りようとしていたときだ。
 亮二はその丘のうえに、こんもりとした茂みの向こう側から、自分を呼ぶような声を聴いたように思った。
 一人そこへ足をむけのぼっていくと、石碑のようなものが見えた。
 近づくと、「羽衣の顕彰碑」と鉄板に大文字が記され、亮二は小文字で書かれたその由来を読んいった。
 それは「エレーヌ・ジュグラス」というフランス人舞踊家を顕彰するために、夫のマルセル氏によって建てられたものとのことで、おおよそつぎのようなことが刻まれていた。
エレーヌ・ジュグラスは、独学で日本の伝統的な能「羽衣」を学び、自分の手作りの装束をまとい、パリのギメ美術館で初公演を果たした。その後、「羽衣」は好評を得てフランス各地で公演されたとの由である。
 彼女は、遠い国、日本の三保の松原という「羽衣」の舞台になった土地を憧憬しながら、日本へ来ることもなく、遂に白血病のため、三十五歳の若さでこの世を去ってしまったのだ。
 彼女の遺志を果たすため、夫のマルセル氏が三保の地を訪れ、この地に「羽衣の碑」を建て、ここにエレーヌの遺髪と爪が埋められたと記されていた。

 車の中で待っていた家族に追いつき、母へこの話しを亮二がはじめると、母の老い疲れた顔にみるみると、生気が甦るようであった。とくに「エレーヌ」というフランス人の女性の名前を、母は幾度も反芻しているようであった。そのうち、からだを弱くしていた兄の誉伯父さんが時々口にしていた名前が、「エレーヌ」という発音であったことを、おぼろ気ながらハッキリと母は思い出したようであった。
「亮ちゃん、若くして亡くなった兄が時折外国の女性から来た手紙をとても大事にしていたことを、いま思いだしたのよ。妹のあたしがそのことに触れようとしても、兄はそれが大切な秘密のように、あたしの口を指でふさぐと、無言の微笑を兄はうかべあたしの顔を、自分がつくったお能の面で蔽い隠し、そのままなにひとつ話してくれようとはしなかった。でも女のあたしには、兄が秘密にしようとすればするほど、その女性が兄には宝物のような人だと思われた・・・・。あんな兄を見たことがなかった・・・・エミール、エミールと兄が寝言を言っているのを、亮ちゃんがいま発音してくれたことから、とつぜんに思い出すことができた・・・・・」
 母は過去からの遠い記憶をひきだすかのように、たどたどしい口ぶりで、ようやくこう語ると、感極まって泣いているようだった。が歳のせいでか、母の目からは一滴の涙も流れることはなかった。
母の兄への思慕は、父への反発や、突然の兄の夭折もてつだって、母自身にも理解できないほどに、大きなものになっていたのにちがいなかった。
 だがと亮二は母の話しを素直に受けとることはできなかった。誉伯父さんが手紙が交友していた相手はガブリエル・マルセルであり、エレーヌ・ジュグラスはマルセルの孫娘である。誉伯父さんはエレーヌの生まれた以前に、二十五歳で夭折してもうこの世の人ではなくなっている。普通に考えても不思議な話しだった。お互いに知りようがない二人、しかも相当な年齢を隔てている男と女が、たとえ手紙といえども知り合う時が隔たっているのではないか・・・・。
 祖母の懺悔ふうの「ノート」には、母が洩らした秘密事に一言半句も触れた部分はなかった。母の話したことがほんとうなら、そのことが亮二には不思議でならなかった。
「アンナ・カレニーナ」を読み、その夭折にあんなに嘆き、後悔を書き綴った祖母が、長男の息子の恋愛感情に無関心でいられたことが納得できなかった。しかし、いや、むしろ一言も書いていなかったそのことこそが、逆に祖母の関心のあり方を示すものではないのかと、亮二にはそんなふうにも想像されたのだ。文学少女であった祖母にとって、詩人でもあった誉伯父さんの恋愛は特別なもので「ノート」なんかに記されてはならないものではなかったのか。
 とにもかくにも、家に帰ったらもう一度あの「ノート」を読み直してやろうと亮二はそう心に刻んだ。

 車の窓から見える夏の空は既に暮れかかっていた。駿河湾はわずかな光りを残して、もうすぐ闇に浸されていくことだろう。最晩年の母の一生のように、そして、亮二を含めた家族一同の一人ひとりの上に、老いの翳が忍び寄ってくることは誰にも避けることはできないのであった。

 家に帰り、亮二は妻の文子とパソコンに打ちこんだ祖母が書いた「ノート」を、再度読み直してみたが、祖母はただ母親として自分の息子にしてやれなかったことを、ただ単純に悔やみ、自分の不甲斐なさを責めているだけであった。
 亮二はこうした詮索が段々と厭になっていく自分を感じはじめた。母の記憶をそのまま受けとっておけばそれでいいのではないか。それはそれで母の過去の兄への思い入れであり、懐古の自然の情愛でもあったろう。
 それ以上でもそれ以下でもない、歳をとった母のそれが真実の感情なのだと。
 死んだ誉伯父さんはエレーヌと魂の交信をしていたのかも知れない。或いは、ニン伯父さんは兄の誉伯父さんの代理の使命を果たしていたのかも知れなかった。生涯結婚もせずに、キリスト教徒として世界中を旅していたニン伯父さんなら、亮二が想像する以上のことをやってのけていたかもしれないではないか。こうした荒唐無稽なくらいの空想が、亮二を喜ばした。いやあのニン伯父さんなら、兄の誉伯父さんの代わりに、エレーヌを援助するためにどんな協力も惜しまなかったにちがいない。母が庭に埋めた先祖たちのアルバムを、わざわざ甕から引き出したニン伯父さんには、それなりの理由があったとしてもおかしくはないだろう。

 亮二はあの三保の松原での一種、不思議な体験を思い出した。あのとき、自分は時空を超越したこの世の中の精神の交流現象を、経験したのではなかったのか。そもそもお能の筋立てそのものが、この世の時間と空間を越えて成立しているではないのか・・・・。
ニン伯父さんが亡くなりその霊が、亮二の傍らに立ち「ニタリ」と笑ったのは亮二の賢しらのこころ、その現代的な狭隘な偏見を、嗤いにきたのではなかったのか・・・・・。

 「羽衣」の謡曲本を書棚から探し出し、ワキの漁夫とシテの天女の二人が、羽衣を国の宝と為して返す気はないと漁夫が言えば、いや、返してほしい、そうしてくれるならば、その羽衣を着て、一曲の舞曲をお見せしましょうと、謡い合う最後のクライマックスに亮二は目をとめてみた。
 簡単に読み飛ばすところに、亮二はこの「羽衣」の鍵になる詞章に出逢って、息を呑むような驚きを覚えた。そして、天上と地上とで互いに隔て合い、相互に応酬し合う場面をこそ、とくと声を出して詠んでみると、そこにこれを書いた作者のモチーフが美しい詞章として結晶していることに、驚嘆さえしたのであった。

 ーいやいや衣を返しなば。舞曲を為さでその儘に。天にやあがり候ふべき。
  と言う漁夫に対し、天女はつぎのごとく謡っているではないか。
 ーいや疑ひは人間にあり。天に偽りなき物を。
   
ここにこそ、「羽衣」の単純無垢にして、天真なころろが脈打っている詞章であった。
 エレーヌが「羽衣」を舞踏家として舞い踊りたいと思ったのも、まさに、このところにあったのにちがいないと、亮二は恥ずかしさに顔を赧らめた。
 
 ここに、この世の「賢しら」を真っ向から否定し、地上に生きる人間の虚偽、欺瞞の業というものがない、天上の美しく穢れのないこころを信じ給えと訴える、天女の不思議な霊力に逆らうことができなくなった漁夫は、遂に、その「羽衣」を返さざるを得なくなる次第を、たった数行の調べに載せて、羽衣を着したままに空に消えていく天女のすがたを謡って終わるのである。実に天女の喜びのままに、舞い流れるような急調子が、つぎの詞章まで一気に続いていくのだ。

 ー浦風にたなびきたなびく。三保の松原浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて天つみそらの。霞にまぎれて。失せにけり~

 これはまさしく、詩人でもあった誉伯父さんと白血病で余命いくばくもない舞踏家のエレーヌが、時間と空間を超えて、交流した成果でなくて、いったい何であろうかと、亮二は思った。
いやそればかりか、母が歌う鉄道唱歌に和するかのように、この世に生きたすべての人間たち、祖母やら夭折した誉伯父さん、そして数奇な人生を生きたニン伯父さん、また老いたる母を連れて三保の松原へ足を運んだ家族一同とその祖先の霊を鎮魂し、また儚い一生を生きるすべての人たちを、そのままに嘉する祝言の謡いでもあったのではなかろうかと、亮二はそのように思われてならなかったのである。

 エレーヌ・ジュグラスのお能「羽衣」への愛と功績を称え、その石碑は天女が羽衣をかけた老松の側にいまも見ることができる。
毎年の十月に、夜の駿河の海を背景に「羽衣」は薪能として挙行され、この顕彰祭が三保の松原で行われているとのことである。

 石碑には、夫のマルセルによって、つぎのように書かれていた。

ー三保の浦、波渡る風語るなり、パリにて羽衣に命捧げしわが妻のこと。風きけば、わが日々の過ぎ去りゆくも心安けしー
                                                                                                                     
          (了)






小説「花のねむり」

 我が輩がこの家に来て三年が経った。この家の主人は椅子の背に凭れ、眩しい冬の陽ざしを浴びている。隅田川の水面をカモメが飛んでいく。高空では鵜と烏が競うかのように羽ばたいている。主人は珍しくパイプを吹かしその景色を眺めていた。
 階下から細君が、洗濯ものを抱えて上がってきた。
「クラノスケはどこへ行ったのでしょう。姿が見えないんです。知りません?」
 主人はなにも答えない。耳が遠くなったせいか、細君の声が聞こえていないのかもしれない。それとも朝一番でみた株価の動向に気を取られているのか、それは我が輩には分らない。
 主人の視界は細君のひろげた洗濯ものでふさがれてしまった。主人は不満気に椅子から立ち上がる。視力を失いかけている片目の瞼の上に、陽光に燦めいた川面から眩しいほどの光が当たっていた。

「今日は何曜日だろう」
「新聞を見ればいいじゃないですか」
「目がわるくてなってから新聞を読むのが億劫になってね」 
「上のほうに大きな字で出ています。土曜日です」
「じゃ明日はもう日曜になるのか。一週間はアッという間に過ぎてしまうのだね」
「一年だって・・・」
 細君は口まで出かかったがそれを呑み込んだ。
「するとクラが来てからもうすぐ三年になるのか」
主人はそう言って、我が輩の姿をさがした。
「そうですよ。クラノスケは三歳になるんです」
細君も主人と同じように辺りを見回した。
 我が輩はこの家の主人と細君から、ときおり姿をくらますことがあった。人からペットとして飼われながらその視界から姿をくらます我が輩たち獣のあり方について、誰も不思議と思ったことがならしい。

「あら、またキッチンの上に乗っているわ。そこはダメだってなんど言ったらわかるのかしら。クラ! 降りなさい」
仕方なく、我が輩は床に飛び降りた。
「まだクラは子供なのだ。探検が大好きな年頃なのさ」
「そうやって甘やかすから、自分の蒲団にオシッコをされるんですよ」
「いやもうしないだろう。クラはもうすぐオスではなくなるんだからね」
「でも分りゃしませんよ。オスの本能はなかなか消えないみたいですからね。この障子紙だってこんなにしてしまったのです」
たしかに張り替えたばかりの床の間の障子紙は我が輩が破ったらしいが、我が輩の頭はじつに簡単にできていた。いま眼に映るものだけがすべてであった。我が輩たちは可愛いけだものにすぎないのだ。

 一昨年の小雪まじりの雨が降る冬の日。車に乗せられダンボールの穴から外を窺っていると、車はまっすぐ西へ進み、墨田川に架かる橋を渡るとまだ古い家並みが残る柳橋の路地へ入った。その家は路地の奥にあった。瓦葺きの旧家の二階屋でその背後に石垣が見えた。そのまた後に無粋な鉄筋の壁が立ちはだかっている。
「あれはもう隅田川の堤防じゃないですか」
 驚いたように運転手がそういう声が聞こえた。
 家は敷地いっぱいに建てられた木造の二階屋である。以前は柳橋の芸子が出入りしていた置屋だったらしい。
 そういえば昔風の面影があった。わずかに並べた石畳の先に玄関がある。重い古風な格子戸を開けると、二畳ほどの広い土間の三和土があり、一枚板の上がり框の正面に古びた襖が並んでいた。旧い家屋特有の臭いが我が輩の鼻に匂った。
左隣は藤川流とかの日本舞踊の五階建てのビルとなっていた。右手は十階ほどのオフィスビルで、この槇野家の木造の建物はその間に挟まれていた。
 まだ生れて二ヶ月しか経っていない我が輩をペットショップから買いこんだのはこの家の主人である。
我が輩はひどく跳ねっ返りの仔猫であったが、主人の腕に抱かれると、我が輩はさっそく主人を見つめた。
「まあ、可愛らしい」
若い女の店員がそういうと、主人は我が輩を強く抱きしめ、ダンボールに入れられこの家に連れて来られたのだ。
 
 その日は主人の母親の命日であり、母親の弟が鬼籍に入ったのが偶然にも同じ日だった。この叔父さんは「変わり者」として槇野家で特別な語り草になっていた。
 いつも聖書を小脇に抱え、考え事をしながらブツブツ独り言をつぶやき、叔父さんは急に笑いだすのだ。大学を七年も通い牧師になりたいと言って家の者を驚かせたらしい。子供の頃、主人は弟と兄弟でこの叔父を忍叔父さんと秘かに呼んでいた。食事前にムニャムニャと何事かを言い、胸で十字を切る仕草が子供には忍者使いのように思われたからだ。この叔父さんの家に夏休みになると主人は弟と泊まりに行き、近くの森でカブトムシなどの昆虫採集をして遊んだ。兄弟姉妹の中でいちばん早くに亡くなった姉から主人が近くの小学校で自転車を習ったのもこの叔父さんの処だった。だが叔父さんはこの家の主人の母親を追うように亡くなった。偶然に二人の命日に家にきた我が輩を、主人が冗談まじりに「オジサン」と呼んだのはどうしたことであろう。細君はこの主人の冗談を一蹴すると、丁度その日が忠臣蔵の浪士討ち入りの日であったことから、それに因んで「内蔵助」という仰々しい名前をつけたのだ。気を紛らわしたいという妙な理由で細君の反対を押し切り、我が輩をペットショップから買いこんだ主人が我が輩を「オジサン」と呼んだのは、我が輩にオジサンを思い出させる兆しでも見たのであろうか。主人が「オジサン」に特別な思い入れがあるらしかったが、嫁にきた細君には主人の縁戚になんの関心もなかった。
 かくいう我が輩は、白地に黒縞の柄模様の、小洒落た毛皮を着たアメリカン・ショートの雄猫である。
 細君が「クラちゃん」と呼ぶのは自分が名づけた「クラノスケ」があまりに長いからだ。

 先日のことであった。夕食中、我が輩は部屋を駆けずり回り、食卓の上に「エイ!」とばかりに跳び乗った。
「あら! 御味御汁の中にクラが足を入れちゃったわ!」
「食卓の上なんかクラノスケには見えないんだから仕方がない」
 鷹揚にこう言ったのは主人の方で、台所へ駆け込み布巾を手に、こぼれた味噌汁を拭いたのは細君である。この細君は働き者で機転がよく利くのである。
「食卓のうえなんかに乗らないように躾てくれないと困ります!」
 普段はおっとりと構えている細君が、珍しく厳しい口調でそう言った。
細君に叱られた我が輩は少々驚いた。大きな目を見開いて細君の顔をみつめた。我が輩を見かねた主人が両手で胸に抱き寄せてくれたが、その居心地の悪さに我が輩はすぐに逃げ出した。

 家に来てから三ヶ月ほどが経つ頃、我が輩にもこの家の事情がわかりだした。
 主人の名前は孝太郎、細君は花という。二人の娘がいたがそれぞれの相性に合った男を見つけるとアッという間に下町の家から飛び立っていった。家にいるのはこの老けこみだした夫婦の二人だけである。近所に息子がいるがあまり顔をみせたことがない。背がひょろりと高く、なにを考えているかわからない茫洋とした雰囲気があった。まだ独り者のこの息子にもメス猫が二匹いる。二匹とも日本産の野良であった。おとなしそうなこの日本の仔猫は小さなからだで、遠慮ぶかげな声で鳴くらしい。この猫たちに我が輩はまだ会ったことがない。二匹とも真っ白い毛なみで、陽が射すと銀色に光り、月夜には雪のような白衣に蔽われるとのことだ。彼女等は既に避妊の手術が済んでいたが、我が輩はまだその任ではないらしい。
主人は十年ほどまえに役所を退職した。ほとんど外に出ないで三階の天窓のある部屋に隠っている。今風にいえばこもりびとというらしいが、この主人はこんな生活を昔からずっとやってきたのだ。頭の真ん中が見事に禿げているが、正月に来た孫がそれを飛行場の滑走路みたいだと囃してから、長い顎髭を生やし始めた。どうやら他人の視線を顔の下へ誘導する魂胆であるらしい。この部屋には隙のないほど書物があったが、この主人がそれらの書物を読んだとはとても思われない。
 
 食べることと寝ることが我が輩の生活といってよかった。まだ仔猫であることから、悪戯がやめられない。
 孝太郎の書斎兼寝室が当初、主人と我が輩が過ごした場所なのである。聞くところによると、この家の主人は当初郊外にいた姉の邸の庭つきの一軒家に独り仮寓していた。そこへ花が同居した。もちろん新妻としてのことだ。毎日の通勤以外の日ともなれば、朝食が終わると主人はテレビを見ることもなく、昼時以外は書斎に入り夕方まで出て来ない。新妻の花が身ごもりお産が近づくと東京の下町の実家ちかくにある産院に入った。それ以降、郊外のその家に花が戻ることはなかった。人家の混んだ都心の下町で生れ育った花は郊外の孝太郎の家で、生れてはじめてお風呂場の壁に大きなナメクジをみた。庭の草原を這う蛇、戸外にある風呂を焚く竈の下に潜む大きな蝦蟇カエルに悲鳴をあげた。秋には木の葉が屋根に落ちる音がさわさわと聞こえる。背後の竹林が風に吹かれてザアーと鳴る音がする。花は都心を離れた郊外で暮らしたことがなかった。都会育ちの花は自然をまるで知らずに育ったのである。
 孝太郎にとっては東京の下町は初めて暮らすところであった。両国から橋ひとつ隅田川を渡れば、往時であれば人気の花街の柳橋は隅田川の河畔にあってそれなりの賑わいがあった。川岸から船を上がれば吉原の遊興の里がひかえ、両国界隈は日本橋と地続きのいわば江戸の庶民生活の中心といえる土地柄である。花が娘のときは綺麗に着飾った藝者に憧れたこともあり、お琴や踊りの手習いをしたこともあったらしい。それが昭和三十年代になると客足が遠のいた。川端の店はどこも相次いで店を畳んでしまったのである。軒を並べた藝者の置屋もなくなり、いまはそうではないが隅田の流れからは鼻をつく異臭が漂っていた。その頃から柳橋は花街の面影をなくしていったのだ。
孝太郎は東京の下町の変貌ぶりをしらなかった。静岡の田舎者からすれば柳橋にはそれでもまだ江戸の残り香がちらほらとうかがえた。それで花の初産に釣られ、下町への好奇心も手伝って柳橋に居ついてしまった。下町育ちの花といえば一年ほど過した郊外の家に戻る気はもうまるでないのであった。
下町に引っ越してからも孝太郎は自分の書斎だけを、三階の物干し場を改造して大工に造作させた。学者でもないのに自分の書斎用の部屋がないと落ち着かない達らしかった。結婚の当初から霞ヶ関の官庁街から帰宅すると、主人が言うところの「自分の仕事」は止むことなく続き、現在まで飽きずにつづいているというわけだ。

 先日、主人のパソコンなるものに触ってみた。我が輩の目は小さな物が動くのによく反応してしまうのだ。度が過ぎるとさすがの主人も我が輩に手をあげた。待っていましたとばかりその手を引っ掻き思い切り噛んでやる。これがまた我が輩には面白くてやめられない。
「おまえは仔猫にしては利口者らしい。そして人間をとてもよく観察しているようだね」
歳をとってきている主人は、目も耳も悪いらしく自分の思うに任せないのが口惜しいのである。細君に話しかけても応答がほとんどない。互いに耳が遠くなって、言葉がすぐに口から出てこないので意思の疎通がうまく行かない。会話が逆しゃくするのを嫌がって、細君は主人との会話を避けているらしい。そのため主人はひとり言のように我が輩に話しかけてくるのだ。我が輩ももちろん主人の言うことが解らない。だが長いこと人間に寄り添って生きてきたけものである。主人の顔つきからその気持ちを察することには長ずるものがあった。というより、我が輩たち猫族には時により古代エジプト人が神にも崇拝した摩訶不思議な霊力が降りてくることがあったのだ。そんな時には、主人のこころの中がまるでガラスの金魚鉢を泳ぐ金魚のようによく見えるのである。それでそっと主人に近寄り、手の甲を舐めてやることにしている。そこに我が輩が犯した悪戯のキズアトが生々しく残っていた。
「クラノスケはどうして人の手足に飛びついて噛むようなことをするのだろうかね」
夫婦は同じ月に生まれていた。息子から二人の誕生日祝いにと贈られたタブレットの端末を覗いている細君へ、主人がひとり言のように尋ねた。細君の花はそれに応じる気配はまるでない。というのはつい先刻、タブレットにかざしていた手を我が輩に齧られそうになり機嫌を損ねていたのである。細君の眼は横目で我が輩を睨んでいる。しかし、海外で暮らしている娘から孫の動画が送られてきたせいか急に機嫌を取り戻した。
「バカンスに家族で日本に来たいと言ってきたのですよ」
 花は孫に会える喜びを抑え難く、隣にいる孝太郎へ珍しくそう答えた。孫のフランソワはもうすぐ四歳になる。我が輩はまだ会ったことはないが、人間の子供が正直なところ好きではない。子供の悪戯は特に我が輩へ思いも寄らない苦痛をもたらすからだ。尻尾を平気で踏みつける。「ニャン!」という叫び声を上げようものなら、子供に対する獣の攻撃と誤解して思わぬお仕置きをされるのだ。それで子供を見ると我等の同輩はすぐに逃げることにしている。子供は我等を追いかけ回して、動き回る長い尻尾を掴みたくて仕方ない悪童まで現れるから油断ができない。孝太郎がひそかに案じているのがまさにそのことであった。
 来日するフランソワがどんな悪戯づきの幼児か想像ができないのだ。夫婦が孫を見たのはまだ生れて間近な頃であった。その後、孫がどのように育っているかは送られてくる動画でしか知らないのである。
細君が眼を細めて眺めていた動画は、フランソワがどんなにやんちゃであるかを想像するに十分なものであった。我が輩はその動画を目ざとく視界に収めた。右のズボンのポケットには大きなライフル銃がはみ出し、お腹に巻き付けた帯には玩具の刀が二本も差し込んであった。それでも満足がいかないらしく、もっと武器をよこせとせがんで泣き喚いている。想像しただけで身震いがした。我が輩が反撃しようものなら、この家の夫婦とその娘の怒りの焔に油を注ぐだけであろう。

 先夜、我が輩が書斎の本を齧ってしまってから孝太郎の我が輩への態度が急変した。数日前には、主人の部屋で愉楽の一夜を過ごし、我が輩と主人との蜜月の日々が再来した喜びに浸ったのも束の間、幸福のひとときは夢のように消えてしまった。主人の枕の傍らに身を横たえ、老いているとはいえまだしんなりと柔らかい主人の指を舌で舐め、思いあまって噛んでしまった夜は戻ってこない。それというのも、ついつい我が輩が失禁して主人の蒲団を汚してしまったからである。
「クラノスケや、まことに残念なことではあるが、もうおまえと一緒に床を共にすることはできなくなった」
 我が輩は主人のその残念そうなつぶやきに、どんなに悲しい思いをしたことだろう。
 我が輩の臭いは主人の部屋に籠ってなかなか消えようとはしなかったからである。
「まあ、なんて厭な臭いなのかしら!」
 我が輩いじょうに鼻の効く細君は、いつもは主人の部屋を覗いたこともなかったのに、その翌日だけはカンが働いたのか、一歩足を部屋へ入れるなり大声を上げてそう叫んだ。そのときの主人のうろたえた顔の表情を、我が輩はいまでも忘れることが出来ない。
部屋の隅に蹲って我が輩は、人間のオスとメスが演ずるすべてを見たような気がした。
「掃除と洗濯はぜんぶあたしがやることになるのです。クラノスケを高いお金で買ってきたのは、あなたのお勝手ですがもうこれ以上の面倒見はゴメンです! あれほど生き物は厭だと言っていたのですからね。気をまぎらす必要があるなんて、意味のわからない理屈で猫なんて部屋に連れ込んだのはあなたなのですから、さいごまで好きなクラノスケの面倒を見てやってください。あたしはやることが山ほどあるんです」
たしかに細君が主人に渡す一ヶ月毎の予定は毎日のように様々な用事で埋められていた。町内会の役員会や行事、お年寄りの体操教室、友達との食事会、お習字の稽古、フォークダンスの練習などが、隙も無く予定表を埋めていた。
 細君は自分が居なくても、主人が昼と夜の食事ができるように準備万端に怠りがなく家を空けるのだ。孝太郎はキッチンから細君の用意してくれた食事を食卓に運べばいいだけだ。
 主人はこの細君の憤懣の長口舌を黙って聞いていた。細君は高血圧の気があった。倒れられるとの心配からか興奮気味の気持ちを宥めるかのように、淡々とした口調で孝太郎はつぎのように言った。

「たしかにクラノスケはペットショップで一目見ても跳ねっ返りの仔猫であった。小さなオリでアイツが一番元気そうだったからね。早くこの金網から外へ出たいと飛び跳ねていたよ。オリから出して抱かしてくれたあいつがおとなしく腕に抱かれている様子はとてもこころが和む気がしたものだ。こいつは一見跳ねっ返りにみえるが、じつはとても寂しがり屋の仔猫にちがいないとね。だんだん大きくなるにつれてぼくやおまえを理解してくれる一人前の立派な猫になるにちがいないのだ。まだいまは人間でいえば、ほんの五、六歳の子供にすぎないので、おまえにはいろいろと面倒だろうが、それまで大目にみてやってくれないかな。ぼくたちの孫のフランソワと同じ年頃なのだからね」
細君は可愛い孫と我が輩を同列に扱った孝太郎の話しぶりに言葉にならない苛立ちを覚えた。それで孝太郎には聞こえないほどの舌打ちをすると、そっぽを向きながらも我が輩をじっと見つめなおしたのである。
そこには母が子をみる優しさと一抹の猜疑心が同居していることを我が輩は一瞥で感じ取った。そして主人の気まぐれの愛情よりも、細君の優しさに惹かれるものを感じたのだ。
 長年、孝太郎は自分中心の生き方で家族のことを顧みようともしない生活をしてきた。それを黙って赦してきたのは細君である。細君の家計の切り盛りには秀でるものがあった。細君は主人が一人部屋で行っている「仕事」と称するものが何であるのか関心も興味もなかった。ただ一度だけ主人が朝から役所にも行かず、蒲団に寝転んだまま開いた本で顔を蔽ってジッとしている様子を目にした細君が、洗濯物を干しに主人の寝ている部屋をいかにも不満気に入りこんで、ずかずかと歩いたことがあった。すると孝太郎の虫のいどころが悪かったのか、「ウルサイゾ!」と大声で一喝されたのだ。細君はこれに黙っているわけにはいかなかった。憤然として、寝ている主人の上に飛びのり、興奮のあまり噎び泣きながら、主人の首を両手で締めつけた。すると孝太郎は抵抗もせずにこう言ったのだ。
「ああ、もっとやってくれ、ぼくはおまえにそうして首を絞められてあの世へ行けるものなら本望なのだからね」
 これで細君は正気に戻った。孝太郎はふと口からでた言葉があまりに気障ったらしいのに呆れたが、そこに細君への本心からの気持が吐露されていることに気づかされた。のしかかる花の身体の重みと首を絞める花の腕の力、そうした直截な愛憎こそ、孝太郎が内心にもとめているものであった。その時、細君の花は、日頃自分が耐えてきたものがなんであるのかをぼんやりと感じたが、孝太郎が捨て鉢で自棄になっている理由がどこからやってきたものか、それを想像することができなかった。こうして偶発的に接近したふたつの肉体はそのまま離ればなれに、異なる圏域を為してひとつの家に同居する暮らしが続いてきたらしいのだ。
 翌朝の新聞に孝太郎の職場で起きた事件が報じられた。それは公金の不正な流用があったとの大きな記事であった。金額は巨額とのことである。だが主人がその事件とどんな関わりがあったかは不明なままであった。全容がまだはっきりとしたわけではない。地検の捜査員が大勢やってきて一時職場は騒然となった。主人はこの事件について一言も触れようとしなかった。帰宅時刻は不定期になり、職場は相当にごたごたした日々が続いたという。細君は役所で主人がしていることにまるで関心をもったことがなかった。役人がどのような仕事をしているか想像しようとしたこともない。主人の孝太郎がどんな気持で役所にも行かずに、部屋の蒲団に横たわり顔を本で蔽って何を思っていたのか、花には想像も及ばないことであった。
 それ以来、細君の孝太郎への態度が変ったらしい。いまでは主人が自身の「仕事」に励む余り、我が輩への食事の世話を忘れるときには、細君は空っぽのお皿にちゃんと餌を補給してくれる気遣いをしてくれるようになった。次第しだいに、我が輩は細君の細やかな愛情に惹かれるものを感じだした。それに細君は時折、我が輩がその膝に足をかけると胸に抱き寄せてくれたのである。
 この時のなんともいえない温かい安心を我が輩が、ひたすら求めだしたのは仔猫であることから無理からぬことではないだろうか。
「おっ、クラノスケ、またそんなことをされてうっとりとご満悦の様子だなあ」
こんな嫌味な主人の声が聞こえたが、我が輩はそれを無視した。事実我が輩は花の胸に抱かれて、小さな鼾をかくほど安らかな眠りを貪ったことはない。花は我が輩の頸下をそっと撫でてくれるのだ。我が輩が前足をまるく曲げて、人間の赤ん坊にそっくりな仕草で、眼をつぶっている姿は、母親の胸で安楽な時を過ごす生まれたての赤子の様子となんの変わりもない。そばに寄ってきた孝太郎が我が輩のうっとりしたその貌をまじまじとのぞきこんでいる。そこには主人の羨望がモヤモヤと燻っているのを、我が輩は半分目を閉じながらも感じないはずはなかったのである。
「おい、クラノスケや。おまえはなんという可愛がられようなのだろうか。それでは動物というより、もう人間の赤ん坊そっくりではないか」
 細君はなにやら不可解な微笑を浮かべて、我が輩を抱くのをやめようとはしない。それでもようやく腕が疲れたとみえ、我が輩は座敷に放り出された。
「おい、こんどはぼくが抱いてやろうかな」
今まで極楽にいたかのような微睡みから覚めやらぬ我が輩は、ヌッと伸ばされてきた主人の腕になんの誘惑も感じなかった。それどころか嫌悪をうかべた両眼を主人へ注いでやったのだ。その思わず見せた冷たい両目が主人に与えた小さな衝撃は、つぎのような主人の嘆きとなって我が輩の耳朶をなぶった。
「クラノスケや、おまえがそんな現金なやつだとは知らなかった。おまえの餌を買いに行き、糞尿の片付けをして、トイレの砂を新しいものに替え、掃除しているのは一体誰だと思うのだね」
 いつもの孝太郎にしては、そのことばにはこれまでにない棘があった。我が輩は仔猫であったがそれなりの誇りはあるのである。そこいらに徘徊するこの町の野良たちとは違うのだ。純然たるアメリカン・ショートという血統書つきなのである。我が輩は主人の足に飛びつきざまズボンに爪を立ててやった。

 空に浮かぶ雲の動きよりも早く、季節の移ろいは足早に過ぎていった。   
 そろそろ暑い夏の日差しがこの街の上に降り注ぐ時節となりはじめていた。隅田川の川面に反射した陽ざしが熱い空気をこの家に運んでくる。そうした折りに、玄関の石の三和土の上で寝そべるのは、なんともいい心地であった。わずかに吹き抜ける涼風がからだを撫でていくその時間こそ、我が輩たちの一日の愉楽であった。三和土はひんやりとして、そこにからだを沈めて舌で丁寧に舐めまわして毛繕いをする。そして時折、網戸越しに路地を行き交う人や自転車を遠目に眺めることはむかしから変わらない我が輩たちの喜びのひとときなのである。その平穏で優雅でさえある時間こそがわれら猫族のなにものにも代え難い生活であった。
 玄関の網戸がなければ外へでてこれまで嗅いだことのない新しい臭いに触れる自由が我が物となるだろう。だがそこには大型の車が遠慮もなく発する騒音により我等の神経を苛む場所でもあった。しかし、路の隅に流れる暗渠から洩れる様々な異臭、隣近所の家の前を飾る鉢植えの植物が咲かせる花々から、この町に立ち上る変ることのない日々の暮らしと香しい自然の息吹を感じることができた。それらが渾然一体となり我が輩たちの精気を甦らせてくれる。すると身内に宿る野生の感覚が呼び起こされて、もっとこの世界の近くへ、もっと広い世界を飛び回りたいという衝動が生れてくるのであった。
そんなことから、現にこの家の玄関から逃げだすことがあった。孝太郎や細君が慌てて我が輩を追いかけて捕まえられるまで、それはほんのわずかの間だが、その短い時間が我が輩には無上の悦びに感じられた。もう誰の家のペットでもない自由をそのほんの一時だけ味わいもした。そうしたいばかりに、孝太郎や花の一瞬の隙を狙うのである。

窓の障子は白々と、夜明けが近づいている。そろそろ細君が目覚める頃であった。
 我が輩は主人の扉の前から、階段を駆け下りた。細君が部屋の襖を開けて朝の支度に出てくるのだ。その隙間をぬって、我が輩が細君の部屋へ飛び込もうとしたが、その隙間を細君は太い脚で塞いでいる。つぎにダンボールで襖の下を蔽い、我が輩に爪をかけられないように防御策を講じてしまった。そのダンボールに我が輩が気を取られている間に、細君は部屋の外への脱出に成功するのだ。この細君がいるかぎり細君の部屋に侵入することはほぼ不可能に近かった。だが一度だけそれに成功したことがある。      
 我が輩の悪戯を甘くみていた頃、部屋じゅうを鼻で嗅いでの探索が終わると、仏壇に我が輩は跳び乗った。その行状に驚いた細君は、突如、なにやら奇声を発して我が輩の首根っこを掴まえた。しかし、俊敏な我が輩の果敢な行動は、すでに凄惨な様相をみせて細君を驚かせた。
「ああ、おまえはなんてことをするのです!」
 細君の悲鳴は近隣に響きわたった。奥の位牌は薙ぎ倒され、線香立ては転がり、燈明台は仏壇から畳の上へ投げ出されていた。この惨状に目を剥いた細君は、その後、我が輩が部屋に入ることを厳禁としたのだ。
 その時の細君の声と形相の凄まじさには我が輩は尻尾を巻いて退散した。
以来、我が輩が細君の部屋に近づくことはなかった。しかし、孝太郎の部屋だけは特別であった。ペットショップからダンボールに入れられ、最初に連れて来られたのが主人の部屋であった。居られたのは月日にしては短いものであったが、主人と過ごした愉しい日々を我が輩は忘れたことはない。あの臭い付けをして思いあまって失禁してから、我が輩が独りで寝るゲージは、細君の部屋のある二階の廊下の奥へ追いやられてしまった。そこに障子が嵌まった出窓があり、幾つかの植木鉢が並んでいた。多少そこだけは広い廊下となっているのを幸い、主人が退職まえから始めた武道の稽古場に利用していたのであった。広いといっても、木刀を振るほどのスペースではない。せいぜい手刀で型稽古のまねをする程度である。細君の話では、以前に一度木刀を使った際、出窓の障子を叩いてしまい、その拍子に植木鉢まで割って近所の顰蹙を買ったことがあった。それから細君の強い叱責から、木刀を家の中でみることはなくなった。
 主人は机からほとんど離れたことはない。書物の虫だと細君の花は主人を見限っている。働き者の細君は主人のしていることになんの関心もなかった。少ない年金の将来を心配しているので、主人にはほんの僅かな小遣いを渡すだけである。細君の花からすれば、孝太郎の生活の中心は「夢」の中にあり、孝太郎は「夢の人」なのである。長い間の本の読み過ぎで片目がつぶれかかっている。孝太郎の机の上にはいまでは、大小とりどりの拡大鏡が並んでいるのだった。
 それなのに退職前から続けている武道を孝太郎は止めようとしなかった。週に一度は元の職場にある道場へ出かけていた。道場では真剣の刀を使っているようだ。目もそうだが歳を重ねるに従い、動作は以前ほどの切れが失われているのにやめようとしない。命を危険にさらす闘争と冒険への潜在的な本能は、人間の生の意識を活性化するのであろうか、我が輩には解らない世界だ。稽古には相応な出費が欠かせないが、孝太郎はいつから始めたのか証券会社とネットでの株の売買を行い、すくない小遣いの穴埋めをするていどの利益は得ているらしいのである。いや孝太郎はそれどころか少ない退職金の半分ほどの損失をしているのに、それを細君には内緒にしているとも思われた。
 午前の九時になると、パソコンを開くのは博打にも等しい株取引のためであった。我が輩はそのパソコンの画面に点滅する光に、本能的に反応しないではいられない。主人の机に跳び乗り、身を乗り出しちょっかいを出す。一度キーボードの上を歩いてしまった。途端に主人の手が我が輩の首根っこを掴まえ、身体は宙に浮かんではげしく床に落下した。
床の間にあるテレビのお天気予報はよくみていたものだ。棒の先につけられた黒い玉が気象予報士の手の先に動くと、テレビの台に乗り、画面を移動するその玉から眼が離れず、ちょいちょいと手が画面の上を追い回すが、これについては、めずらしく孝太郎と花が一緒に声を立てて笑った。我が輩は老夫婦ふたりの淋しい生活に一抹のぬくもりをもたらすことに貢献することができたようだ。

 ある日の午後のこと、自宅の電話が鳴った。
 花が受話器をとり耳にあてると、
「孝太郎さんのお宅でしょうか?」とかぼそい虫が鳴くような女の声がした。
「どちら様でしょうか?」と花は思わず問い返した。
「孝太郎さんは・・・・」女はまたそう言いかけたが、やがて、プツリと電話は切られた。
 花はしばらくその受話器を手にしたまま、遠くへ目を注いでいた。それはボンヤリと空をみているようにも、我が輩にはなんとも奇妙な様子に思われた。その時、孝太郎は近所の医者へ行って留守であった。孝太郎が帰宅したあとも、花が電話の一件を主人へ話すことはなかった。できればないことにして、夫婦の平穏な生活が乱されたくないとの深謀遠慮が花に働いたようだ。なにかあれば主人の生活にそれなりの変化があるにちがいないと花は推理して、電話のことは腹に治めておくことにしたのである。テレビの推理ドラマが好きな花はそれから孝太郎の日常をひそかに観察するようになったが、主人にはこれという変わったところはなかった。しかし、花は孝太郎のまだ若いころに、しばしば深夜にかかってきた電話の一件が遠い記憶の隅から甦るのを覚えた。一時、花はその女の電話の声に悩まされていたが、特別に孝太郎の私生活が乱れることがないと判断されると、それ以上の詮索は打ち切ってしまった。そして歳月とともに花の頭からその奇妙な電話の声は拭い去られていたのであった。

 成長につれ運動量が増えたためか、我が輩の食欲は旺盛になった。ペットの餌代はこの家の家計には負担でない訳はない。その調達は主人の仕事なのである。自転車で我が輩の便をまぶす砂は意外に重たかった。それを三袋も買って前の荷台に乗せたせいで、ハンドルをとられ主人の自転車は車道へ乗りだした。そこに軽自動車が来たがブレーキを止める暇なく孝太郎の自転車をなぎ倒した。孝太郎は横倒しに路上に倒れて右手を骨折した。ギブスがとれても右手はお箸を持つこともできなかった。夏の暑熱のなかを孝太郎は五ヶ月もリハビリに通った。しかし主人が刀を握ることはできそうにはならなかった。だが孝太郎は自宅前の駐車場で、木刀を使って居合の稽古をやめようとはしなったのである。
 家の階段を上がるにも手摺を捕まっていたが、家の中でも杖を手放せなくなった。我が輩は主人が階段を上がると、その脇を駆け上るのは、主人の部屋の扉が開かれ、中へ入れることができるからである。しかしそうした我が輩の敏捷な身体に足を捕られてよろめく主人は、やはり見るに忍びがたいものがあった。我が輩の成長とは逆に、この家の主人の老化は進む一方なのである。扉の前で尻尾を振って待っている我が輩を見ると、すっかり老け込んだ主人も我が輩と暮らした日々が忘れられないらしかった。蒲団にはまだ我が輩の臭いが染みついていた。そこへ跳び乗ると、堪らずに我が輩は主人の目を盗んで失禁をしてしまう。主人の深い溜息が部屋中に響き、その後を細君の憤慨やるかたもないはげしい喚き声がフーガのように続くのであった。
「もう何度、クラノスケを部屋へ入れないと聞いたことかしら!」
 細君の険しい繰言を聞く主人の痛恨が我が輩の胸を痛めた。細君の嘆きにもそれなりのわけがあることを我が輩も認めないわけにはいかなかった。

 数日後のことであった。我が輩が運び籠に入ると突如ジッパーが締められた。そのまま自転車に乗せられ、ペット専門の病院へ連れて行かれた。半日眠らされていたが、ようやく家に帰ることができた。なにをされたのか我が輩は知らない。ただ主人が我が輩を見る目に憐憫の色が浮かんでいるのを我が輩はみた。
「クラノスケや。おまえはなんと憐れな動物になったのだろうか。それをおまえ自身が知ってはいないのだ」
 孝太郎は大層な溜息とともに慨嘆した。そして、餌入れからスプーンに山盛りの餌を器に盛ってくれたが、食欲はなかった。なんだか気だるい。身体の芯から力がぬけたようだった。それから我が輩は太りだし、見るみるうちに大きな身体に成長した。今まで寝ていた座布団では足りず、大きな座布団で寝た。主に細君の座布団を選んだ。そこは主人のよりも不思議に寝心地がいいように思われたからである。
 花の我が輩への接しかたにはこれまでないやさしさとぬくもりを覚えた。細君の胸では、恥ずかしながら鼾をかいて爆睡してしまうのである。薄目をあけると、横で主人が我が輩と細君を見る眸に、やはり嫉妬の靄がかかっている。そして、こんな主人の一言が聞こえた。
「玉なしクラや。もうおまえの猫としての生活にどんな未来があるというのだろう」
 それを聞いた細君は、まるで主人に反論するかのように低い声で応じた。
「オスとかメスとか、男だとか女だとか。これからの世の中にどんな社会的な意味があるというのでしょうか」
 そして細君は我が輩を胸に抱き、頭と頸下をやさしく撫でてくれた。我が輩は細君の腕の中で、グッスリと心地よい獣の眠りに落ちた。その安逸は我が輩にも覚えのない「母」の乳房から乳を飲んだ一時の記憶を甦らせたのかもしれない。
こうして孝太郎夫婦の家に初めて訪れてからの我が輩の生活に、さらに半年という月日が流れ去った。

 我が輩は孝太郎と花の人生の黄昏時に、まるで水嵩が減る川のせせらぎが細くなり涸れていくように、夫婦の間に薄氷がはりだすところ、多少の潤いと少しばかりの刺激、その橋渡しの役となったのかもしれない。

 炎熱の夏がやってきた。連日の猛暑はこの街から人の影をぬぐい去ったようである。
 いよいよフランスから家族が来る日となった。もうすぐ四歳になるというフランソワは初めのうちは物珍しそうにおとなしくしていたが、この家に馴れはじめると、まず我が輩へ多大な興味を示した。そして案の定我が輩の頭へ手を伸ばした。始めが肝心と我が輩はその手に噛みついてやった。突然火がついたように泣き出した。それを見てすぐに細君が我が輩を叱りとばし、続いてフランソワのまだ若い母が憤激してこんなことを言った。
「この家ではどうやら猫への躾けができていないようね」
 これはこの家の主人の孝太郎への鋭い叱責を意味した。フランソワは母親の膝の上から恐ろしそうに我が輩を盗み見ている。主人は痛い処を衝かれたかのように我が輩を睨み、
「クラノスケ、手を噛んではいけないと言ったのにもう忘れたのかな!」
 そう言いながら、我が輩を抱き寄せようとしたが、その主人の手をも我が輩は噛んでしまった。つくづく我が輩が獣であることを、このときほど恥じたことはない。我が輩は実はこの孝太郎のフランスの孫を秘かに好意を抱いていたからである。
 
 狭い家の中はなんとも言い様のない騒がしさで、我が輩は落ち着ける場所を探し、階段を駆け上がり、三階の物干し台に退散することにした。そこからこの街の一帯が見渡すことができた。墨田区の対岸にまで広がったなだらかな川面が夏の強い日光にぼんやりと火照っている。すると偶然にもその無粋な堤防の上でジッと大きな腰をおろして、当家に鋭い視線を注いでいる巨体の黒猫がいるのに気がついた。我が輩は手摺越しに野良の黒猫の動静をジッと窺った。黒は周囲へちらちらと注意深い眼を動かしながら、我が輩の姿を探している様子にみえた。我が輩は野良猫と接した経験がまるでなかった。いかにも歴戦の勇者の風格を漂わせている野良が恐くもあった。だがその野良と鼻をすりあわせてもみたい、複雑な心持に揺れていた。その時、別の野良の雌猫が視界に入ったらしく、太い足で黒猫は駆け去った。その身ごなしにはその巨躯からは想像できない敏捷さをみせた黒は我が輩を驚かせた。ふっと息が抜け、緊張がいっぺんに抜けた。耳を澄ますと階下から、フランソワの泣き声が聞こえた。
数日後、長女の家族の訪問があった。フランソワの喜びはひとしおで、八歳になった従兄弟の姉の身体を抱きしめて離れようとはしない。姉のほうも弟ができた嬉しさからフランソワとすぐに遊に興じた。それに今年中学に入ったばかりの兄が混じり合って、狭い家の中は火事場のような様相を呈した。我が輩は隅でジッとしているか、キッチンへ逃げ床に寝ているふりをしていたが気を抜くことができなかった。
我が輩は柔らかい蒲団の上で居眠りをするか、自分の舌で全身の毛を舐めて毛繕いをする時間がこよない楽しみであった。だがそうした場所も余裕もないありさまにほとほと困った。
 
 フランソワはとても我が輩の悪戯どころの話しではなかった。主人の机にパソコンを見つけると、それでゲームができると思ったのだ。触りたいと泣き喚いたがそれができないと、今度は孝太郎が大事にしていた京都の老舗から孝太郎が買い寄せた扇子を取り出し、力いっぱいにそれを開いた。扇子は二度と使い物にならなくなった。我が輩などの出る幕はなかったのだ。孝太郎の身体によじ登り両足をかけて肩に乗った。孝太郎の静止にもかかわらず、パリで小さなエスカルゴと呼ばれていたフランソワは涎を垂らしながら、つぎにペロペロと孝太郎の腕やら頸を舐めまわした。ために日本の孫から滑走路と呼ばれた禿頭はフランソワが垂らす涎でベトベトの有様となった。それが終わると、今度は肩に両足を乗せた。その強引な肩車から、主人の頭に両腕を回し左右に動き回った。主人の頸のあたりにギクギクと痛みが走った。あまつさえ孝太郎の禿頭を平手で叩いて喜んだ。その狼藉を見かねて、娘とその旦那が叱ると余計にその悪戯に興じる有り様であった。
 やがてフランソワを含め三人の孫たちの遊戯は最高潮に達した。狭い家での三人トリオのかくれんぼ遊びが繰り広げられたからである。フランソワが風呂場の浴槽の蓋の上に乗った途端、たっぷりと水をはった浴槽に落ちた。多量の水を飲み浴槽の中で溺れそうになったのだ。フランスのパパが驚いて息子を逆さにして水を吐かせて、ようやく騒動は収まったかにみえたが、従兄弟同士の狂騒はなおも激しく家中を振動させて止むことがなかった。
 
 子供達の悪戯騒ぎに気を取られている最中のこと。我が輩は玄関の引き戸の隙間から家の外へ飛び出した。幸い主人も花も久しぶりに再会した孫と娘夫婦のもてなしで我が輩の脱走は視野の外であった。
我が輩はすぐにこの街に櫛比する家々の植木鉢の蔭やら駐車場に並んだ車の下をかいくぐった。家と家との隙間を警戒心と好奇心が半々の興奮状態での逃走に成功した。なんと雑多な家々がひしめいている街であったろう。昔は柳河岸と呼ばれたその界隈は新橋と競う花街であったところだ。最初は怖々であったが進むにつれてそわそわとした興奮で我が輩は上の空となった。処狭しに並んだ家と家の間には無数の獣道が縦横に走っている。その迷路のような細道をあちらこちらと侵入して行くにつれ、我が輩の中になんとも愉快で自由な感覚が湧くのを感じた。野良たちが毎日味わっているのがこの暮らしぶりなのであった。そう思うと我が輩はこれまでのペット生活に二度と戻りたくなかった。我が輩の鼻はこれまで接したことのない物の臭いと香りに大いに刺激をうけた。次第に昂揚する酩酊感がこれに随伴した。これこそが野生の世界であるという感覚が我が輩の身体を満たしたのだ。
 我が輩は好ましい臭いに導かれるまま、身体は敏捷に運動を開始した。すると誰ひとり住んでいない空き家の裏から聞いたことのない唸り声に気付いて振り向いた。大きな黒猫が我が輩を睨みつけていた。三階の物干し台から見たことのある野良のボスの黒猫に違いなかった。我が輩の身体は一瞬固まりその場に竦んで動かなくなった。まるでボス猫の視線に射すくめられ鼠のようだ。その黒い巨体が我が輩への距離を縮めて徐々に移動してくるではないか。泥んこのように濁った眼が我が輩の全身を舐めるかのように睨み据えて眼前に構えている。その口が大きく開かれ、赤い舌と鋭い牙のような歯を見せた。なにやら獰猛なる威嚇がのし掛かり圧迫した。敵意と好奇心が混ざり合った一声がその獰悪な赤い口から噴出した。その声が我が輩の心臓を痛撃したのであった。うすい膜が破けこれまで体験したことのない世界が殺到してくるのを感じた。我が輩の中に烈しい恐怖とそれとは真逆の共鳴が湧いてくるようであった。我が輩の中にも、小さな声でそれに応答するものがあった。すると黒猫は素早く距離を縮めてきた。我が輩の鼻に自分の鼻を押しつけ臭いを嗅いだのである。とたんに黒猫の薄汚い顔が我が輩の顔になすりつけられ、同じ動作が尻へまわった。それが猫の世界の挨拶であることを知ったのは、巨体が去った後のことであった。この衝撃的な体験が我が輩にごく自然の行動であると理解するには多くの時間を要した。そこには同じ獣、同じ猫同士のざらざらとした共感があった。それから一時間ほど、町中の家々の軒下や乗り捨てられた自転車の蔭やらをほっつき歩いていた。やがて強い渇きと空腹が襲ってきた。どこを見回しても我が輩に餌をくれる人間、孝太郎や花のような親切な人間はいないのである。そう思えば思うほど、飢渇は強烈に我が輩に襲ってくるような気がした。ある家の床下に鼠らしき影が走るのを見たが、もうそいつを追いかける気力も体力も湧いてくることはなかった。ひんやりとした軒下で、我が輩は身を横たえることがやっとという体たらくのありさま。我が輩にできることは、汚れた身体を舌で舐めることぐらいであった。だが好まざる別の客人がむこうからやってきた。
 犬という動物である。そいつは家の網戸からこれまで幾度か見たことはあった。その存在はいつも我が輩の神経を逆なでにした。なぜだか分らない。彼奴等も同じペット仲間で、我が輩がいたショップでは同じ場所にいた仲間であった。我が輩たちとは異なるスタイルを持って大股でのし歩いていた。その声は蕪雑で荒々しいものがあった。まず我が輩にはこの粗暴さに気が動転した。同じ四つ足動物であったが、我が輩たちのように、この人間世界から一歩退いた距離感を持てないその厚かましさに腹が立った。
その浅ましい一匹の犬ころが、我が輩に気付いたらしかった。最初は「ウウー」と唸り声をあげたかと思うと、「ウウーワン・ワン」と大声で吠え出したのだ。体つきが一様にゴッツいのが彼等の特徴であった。そのデカイ顔を陽気そうにふりまき、そこいらを徘徊することをやめない。ご主人には低姿勢を見せて寄り添い、群れをなして路上を闊歩して、まるでこの世の春を謳歌しているがごときその態度が許しがたいのである。優雅とほど遠いガサツな物腰が嫌悪を催させたのだ。
 其奴が疲れて横たわっている我が輩をその居場所から追い払おうと、大声で吠えだした。仕方なく我が輩も戦闘体勢をとった。腰を屈め爪を剥き出しにして、奴らの鼻づらを引っ掻いてやる我等の猫科の独特なポーズであった。いわゆる猫パンチというやつである。
そうして対峙して暫時の後、どこからか我が輩を呼ぶ懐かしい主人の声が聞こえた。つぎにやさしい細君の声がした。そして我が輩は老夫婦が暮す懐かしい家に帰ることができたのだ。それ以降、不要不急な外出を控えることにしたのは言うまでもなかった。
 
 それから暫くして、夏の終わりを告げる雷雨がやってきた。屋根の震わす雷の轟音が我が輩の全神経をいちどきに戦慄させた。がその後に雨が飛沫をあげて地面に降り注ぐとすぐにやんだ。するとどこからか吹きすぎる涼風が我が輩を喜ばした。同時に近隣の軒下に吊ってある風鈴の鳴る音がしげく聞こえた。
「どこの家の風鈴なのかね」
 と孝太郎がのんびりとした声で花へ尋ねた。
「なんだか裏の角っこの家の風鈴らしいけど、前のマンションの壁にその音が跳ね返ってくるらしいわ」
「フーリンの音か・・・・」と孝太郎が細君のことばに妙な抑揚をつけて繰り返した。と、その顔に遠い昔の一時の思い出がかすめて翳ると、花の横顔へ注ぐ眼差しに不審な影が走るのを、我が輩が見逃すことはなかった。
 その老夫婦の会話は、玄関の三和土に寝そべり、爽やかな夏の風に吹かれていたときの気分を呼び醒ましたが、全身の毛がそばたつような厭な余韻を残した。
 物干し台にある主人が買ってきた竹の風鈴とは比べようがない高貴な音を、それはあたりに降り注いでいた。竹のほうは大地から湧き出し、この世の人間の暮らしに自然に溶けていくやわらかい響きがあった。がそのとき、戸外から聞こえた風鈴にはその涼しげな音のなかに、スーっとこの現世を抜け出し、さらにその高みへと人の心を誘う一筋の渇仰、なにかしら甘味で美しい渇望を忍ばせているようであった。それは我が輩に主人が椅子に寄りかかり、部屋の隅に置かれた機器にへんぺいな黒い円盤を乗せて、うっとりと聞きほれていた主人の様子を思い出させた。布を張った二つの木箱から流れる音響には、主人を恍惚の世界へ誘い眩惑する力があるのであろうか。獸の我が輩には理解できない世界だが、そのとき我が輩がこの家を脱走したときの悲惨でもあった冒険のひととき、我が輩が感じた体験の底に潜んでいた微かな魅惑をすっかりと忘れていたのはどうしたことであろうか。だが孝太郎はその響きから、独り郊外に住んでいた頃、よく耳にした音楽を連想していた。それは突然、バイオリンの弦の高い音を鳴らせて始まった。それは書棚が並んだ納戸から八畳の和室の部屋をぬけ、草が生い茂る庭へと流れていくのだった。そのレコードの音楽を聞きつけ、この母屋から庭へきて顔をだした孝太郎の姉さんが、ハッキリとした大声で発音した。
「メンデルスゾーンのイタリア」であった。この姉さんは音楽が大好きであった。
 その庭の隅には朽ちかけた裏木戸があった。赤茶けた塗料が剥げかかった木戸の外へ出ると、貧相な木造平屋のアパートが一棟、ポツリと建っていたことを、孝太郎は思いだした。
 ある夜、そのアパートで住居人の一人が縊死したことがあった。そこで孝太郎の美しい連想は止まってしまったようである。

 この家にきてから三年と少しばかりの月日が経った。宵闇に小雪が舞う寒い冬の時刻も遅い頃合い、玄関に靴音がしたのをいち早く我が輩は気がついた。二人もじっと耳をこらしている。
 めずらしく近所にいる息子の健太郎がゲージに二匹の猫を連れてやってきたのだ。
「ちょっと猫どうしの顔あわせをさせてみようと思ってね」
 いくら近所にいると思っても、老夫婦にはこの息子のことがいつもこころの片隅にあった。姉たち二人は結婚して子供もいるのに、この息子だけは独身のままの生活をつづけていたようだ。
 三十の年齢も過ぎていたが、いつまでも独り者でいることに、花も孝太郎も気をもんでいた。だが二人はそれを口に出すことをしなかった。どんな意思があるのか朦朧として掴みようがない。大学へ進学をする気もなかったようだ。親しい仲間とバンドを作り数枚のCDをだしたこともあった。むかしのレコードが数箱、部屋の隅に積み上がったダンボールに詰まっていた。バイトを転々として、なにを思い考えているのか皆目見当がつかない。特に、父親の孝太郎には理解できない世界にいる息子を、ただ手を拱いてみているほかはなかった。花の話しだと二匹の猫はつき合っていた女友だちが連れてきたとのことである。がそれ以上の詳しい事情は孝太郎の耳には入ってこない。
 孝太郎と花は久しぶりの息子の顔をみて、自然に顔をほころばせていた。
「もうクラノスケの誕生日は過ぎてしまったけど、今日はクリスマス・イブだからね。これは友だちが作った貰い物のケーキだ」
 我が輩は見慣れない白い箱から漂う匂いをいち早く嗅いだ。息子はそう言いながらゲージの中にいる白い二匹の猫の様子を窺っている。二匹のメスは互いにゲージの中で身体をもつれ合わせて落ち着きがない。我が輩はゲージの中から、ジッと我が輩を見つめる猫二匹の気配にただならぬものを感じた。
 猫は家につくといわれているが、この家は我が輩の棲家なのである。そこへたとえこの家の息子が飼い主だとはいえ、上がり込まれては我が輩の領分は侵害されたも同然である。甚だ我が輩の面目が立たない。全身の毛をそばだて、我が輩は突然現れた猫への威嚇を露わにした。
「クラノスケ、なにをそんなに怒っているのかしら? おまえの姉さん達がお土産をもって来てくれたのですよ」
 細君の花は我が輩の立場をまるで分ろうとはしていない。息子を前に、これまでの我が輩への愛情にみちた温もりをすっかり忘れてしまったようだ。主人の孝太郎はどうだろうか。細君同様に主人もめずらしい息子の来訪に内心の動揺を隠しきれないようで、我が輩の挙動に手をこまねいているばかりである。
 細君の花と孝太郎が同時に口を開いた。
「ともかく家の中へあがったらどうだい」
健太郎はバイト先からの帰り途中であったらしい。どんなバイトをしているのか、身なりは普通のサラリーマンと比較にならない。口のききようも物腰も肉体労働をする者特有のものがあった。花はそれほどでもなかったが、孝太郎は息子の放つ、ある種の放埒ともいえるなり振りから漂う空気に、馴染むことができないようだ。主人は息子が中学へ入り高校へ通い出す頃から、息子と話す機会をほとんど失っていた。どうして進学する意欲が湧かないのであろうか、それが噸と理解できないのであった。たしかに孝太郎とて大学に通い出した頃には荒廃した大学には落ち着く居場所がなかった。失望のあまり正規の授業をサボタージュして、まるで社会に役に立たないどころか、それから背を向けるような本ばかりを読んで息をついでいた時期もあった。その辛い青年期の嵐の季節をのりきり、どうにか辛うじてこの社会に仲間入りをしたといってよかったのだ。
 だがあれから四十年も経ったいま息子が生きるこの時代が息子に何を感じさせているのか、孝太郎は考えることもなかった。息子が何に反発し反抗しているのか、その正体が想像できなかったのだ。
 健太郎は億劫そうに、玄関ちかい居間に身体をいれた。我が輩は主人のこころのなかで、訝しく細い亀裂が走る音を聞いた。
 息子がやおら口を開いた。
「今日は話しておきたいことがあるんだ」
健太郎の声が太く、孝太郎の胸を刺すように響いた。主人の声に似ているがちと違うものがあった。どちらかというと下町育ちの花に似て、祭日となれば大神輿を担いでいなせな男達の群れに紛れ込みそうな風体を伺わせる臭いがその声の荒い響きに隠っているようであった。
「前から考えていたことだけど、おれはこの日本を出て、海外で暮らしていきたいんだ」
細君の花と孝太郎は思わず、顔を見合わせた。
「海外って? いったい何処なのさ・・・」
 花は孝太郎が黙っているので、思わず口に出してはみたが、孝太郎の横顔をちらりと見ないではいられなかった。孝太郎は母親の花のように、子供のときから親子の情において、深い絆を息子の健太郎と持ってきたわけではない。孝太郎もその父との関係が疎遠であったが、それを二代に亘って踏襲してきてしまったらしいのだ。それで息子の方も孝太郎とあまり口をきいたことがない。だが父と子の血の繋がりはあるので、自分の若い頃に照らし息子が何を考えているのかの大方の見当はつけられたが、自分の若い頃と時代がまるで違っていることが不透明な壁となって立ちはだかった。以前から孝太郎は三十を過ぎた息子が、身を固めるわけでもなく近所にいることに漠然とした不安を感じないわけではなかった。かといって息子が遠くへ行ってしまうのも心配の種であった。だがそうしたことを花と話題にしたことがない。腫れ物に触るような按配であった。母親の花は息子の世話を孝太郎の見えないところでしていることは、我が輩も薄々知らないではなかった。母親と息子とは異質な関係が孝太郎の中でわだかまりをつくっている様子がみえた。
「カナダのモントリオールという所におれの友だちがいるんだ。取り敢えずそこへ行って、いろいろとその後のことは考えたいと思ってね」
そう言いながら、まだ世間で本格的に揉まれた経験もない、ましてや日本ではない外国の生活がどんな難しいものかも知らない健太郎を待っている苦労が想像された。荒くれた態度の裏に、隠しようもない若い健太郎がもつ柔な眼差しが我が輩へと注がれていた。
 そのむかし、孝太郎も日本を飛び出し、海外での生活に憧れを懐いていたことがあった。が、それは実現することはなかった。花との結婚がそうした夢を消し去り、その代償のように二人の娘と一人の息子をこの世に贈られたのであった。
「今からだって遅くはないだろう。おまえの人生なんだからおまえの好きにするのが一番だよ。お父さんたちは遠くから見守るしかないのだ・・・・」
 孝太郎はそれだけ言うと後は何も話すことがないかのような素振りであった。
「この猫二匹のことは俺たちが面倒をみることで問題はないだろう・・・」
 そう言った孝太郎は、余計なことを言ったと後悔する気配をみせたが、もう遅いことだった。自分の息子の大事な人生問題に介入することもできず、これといって明確な援助の手を伸ばすこともできない。二匹の猫の世話へ目を逸らしているような後ろめたさを感じてもいたのに相違なかった。
 我が輩は孝太郎の軽薄な妄言を耳にして、腹が煮えくりかえる思いがした。我が輩の口から息子が連れてきた二匹の闖入者への、シューシューという威嚇の声は、ゲージの中でこちらの様子を窺う日本の猫二匹を竦ませているようにみえた。飼い主の手を離れたペットの運命がどんな薄幸な道をたどるか我が輩もしかと知っているわけではないが想像はついた。だがそこには我が輩の将来との関係に影響がでてくる問題が横たわっていた。
 重い口を開くように孝太郎が息子の健太郎の顔を見ずに言った。
「おまえは日本を出たいというけど、そんなに海外へ行きたいのは何故なのかね」
 健太郎は父のその質問になにかうざったさを感じたかのような表情をみせた。それからまるで身もだえをするかのような返答があった。
「どうもうまく言えないけど、なにか息がつまってしょうがないんだ・・・・」
 その一言に孝太郎は胸を衝かれたような気がした。なにか熱いものが身体から湧き上がってくるようだった。 
 めずらしく孝太郎がその一言に食い下がった。
「なにが息苦しいんだろうかね・・・」
孝太郎の老体にも響くこの息子の一言が健太郎の顔をゆがませ、一瞬目の奥からギラリとした光が閃めいた。
「とにかくおれはこの日本を出たいんだ。もうそれは決めたことなんだよ」
我が輩は絞り出すような息子の気持がわかるような気がした。それは獣にある野生の本能と同じものではないだろうか。主人は株取引から入る現在の世界情勢のきわどさがこれからの世界にぼんやりとした不安の影を落とすのを感じていた。日本もその荒波に翻弄されることを案じていたが、世界のどこへ行こうが同じにちがいなかった。地球という天体は汚れ荒廃する一方であるように、孝太郎には思われてならなかった。
 我が輩は細君の花が息子を心配するのと同様に、ペットとしての環境変化が危惧されていたに過ぎなかった。
 花はゲージの中にいる二匹のメス猫を見守り、我が輩の動きに目を転じた。
「クラノスケ、おとなしくするのですよ。これからはこの姉さん二人と仲良くしないと、ほんとうに怒りますからね」
 我が輩は細君に惹かれるものを感じていた。だから花の命令に服さざるを得ないのである。
花は息子からのクリスマスのケーキをテーブルに置いた。孝太郎はその花の挙動に、娘や息子たちの遙かむかしの誕生祝いの日の姿を重ねて見ていた。三人の子供たちのバースデイケーキのローソクに孝太郎が火をともし、家族全員で歌を唄ったむかしの楽しい日々を思い出していた。そして暑い夏の夕暮から開催される隅田川の花火大会が思い起こされた。
 川べりの三階の物干し台から、隅田川の夜空に、次々と開いては消えていく、赤や青や黄色の大輪の花火が腹に響く爆発音で娘たちを怖がらせはしたが、遠いむかしの懐かしい一夜であった。柳橋の川べりぎりぎりにあった槙野家の家は無粋な堤防に視野を遮られはしたが、三階の物干し台に上がれば、そこから隅田川一帯の景色は一望されたのだ。夜の闇にキラキラと光をちらせ川面に屋形船が幾艘も浮んで華やかな彩りを灯していた。
二匹のメス猫はゲージから出ても、健太郎の傍から離れようとしなかった。白い毛並みが部屋の明かりをうけて銀色に光り、我が輩は不思議なものをみるように、その猫二匹から眼を離すことができなかったのである。
 すると我が輩同様に銀色に光った二匹の猫へ主人の目が注がれていることに我が輩は気がついた。不思議なことに、我が輩の瞼に主人のこころが、まるで透明ガラスの窓に映る景色のように見えだしたのである。
 それは我が輩がこの家に連れて来られた小雪まじりの雨の日の情景であった。しかし、主人の記憶はその情景からとんでもない遠い昔のある冬の日の朝へと飛翔していた。
「お父さん、白い雪が降っているよ!」
 蒲団の中にいた孝太郎は娘が言ったことばに一瞬戸惑い、それから完爾とした笑みがこころに満ちてくるのを覚えた。
「白い雪・・・」
 孝太郎は口でその言葉を繰り返しては頬笑むばかりであった。東京では雪がふるのはめずらしい。小さな娘たちがその「白い雪」に興奮している。その娘の直截な感動が蒲団のなかにいる孝太郎につたわってきた。その子供の喜びが孝太郎のこころに温かい陽ざしを投げかけた。
 家族で越後地方まで旅行をして、町内の子供たちとスキーをしたこともあった。二人の娘が寝る蒲団のあいだに寝そべり、雪女の怪談の話しをしてやった夜のこと。孝太郎が吹きすさぶ風の音とともに、戸を叩いて家へ入ってくる雪女の様子を、ヒューヒューという擬音語をまじえ、唇をまるめ喉の奥からの不気味な音をしぼりだして、話し聴かせたことがあった。すると二人の娘は「ヒヤー」という声をたてて、蒲団の中へ頭を隠してもぐり込むのであった。そのうちに静かに寝入った娘ふたりの蒲団の間からそっと孝太郎は身を起こした。
「寝てしまったよ」孝太郎がそういうと、花が「ふふふ」と喉の奥で笑う声が聞こえた。
 ここで孝太郎の家族への記憶はボンヤリと霧のなかを漂いだす、そこへ深夜の電話が鳴るのであった。
 受話器を手に孝太郎の部屋へきた花は、なにも言わずに孝太郎の扉のまえに、それがまるで怪しい訪問者であるかのようにソッと置いていくのだ。
 その電話からいつ終わるともつかない女の長いながい物語がはじまるのである。女は神経を病んでいた。薬のせいか呂律のまわらない口調ではあったが、天から次々と降ってくるといって語りだす言葉は幻想的であった。そして異常なほど明晰であった。誰かに聞いて貰えなければ耐えがたいものが、女の神経を責め苛なんで苦しめている。巫女のように語りつづけるその電話に孝太郎は抗いようもなく魅惑されていた。
 細君の花は、孝太郎に隠して語らない一度きりの奇妙な電話の声と孝太郎の部屋の前にソッと置いて来る夜の電話の声とが、どこかで繋がっているような気がした。だが花はそのことを、孝太郎へ話したことはない。それは草むらにジッと身を潜め赤い舌をだす蛇の姿を想像させた。郊外で暮らした家の庭に見た蛇のように。だがこの東京の下町に住む花はそうした身の毛のよだつ獣を見ることもなく育った。そこには親しい人々の交流が、立ち並ぶ家々のように隙間もなく寄り合っていた。屋根を吹き鳴らす風も胸騒ぎに似た落ち葉のささやきも聞こえてはこない。近所のスーパーではいつも買い物客の賑わいがあり、路地裏ではおかみさん達の弾んだ声が行き交っている。それは花が子供のころから馴染んできた下町の生活というものであった。偶に耳にする家の中から聞こえてくる男と女の罵声でさえ、もつれた夫婦喧嘩のご愛嬌であった。
 孝太郎もその電話の主について、細君である花へ一言の弁明もしなかった。そして花が孝太郎へあらぬ詮議をする素振りを見せることもなかったのだ。
 日頃から、花は孝太郎の「夢の世界」について、なんの関心もなかった。深夜の電話の主も花には無縁な世界に属するものであった。扉のまえに置いてくる無機質な電話機のように。

 冬の一日、孝太郎はその冬の陽ざしを満面に浴びた三階の物干し台の椅子に腰かけていた。まぶしくて目があけていられないほどの陽光の中でぼんやりとうたた寝をしていたようだ。我が輩も空気の爽やかなこの場所を好んでいた。
 一艘の舟が隅田の川面に積荷をのせて、のんびりとしたエンジン音を響かせて遠間へと下っていった。
 夢をみているのだろうか、主人が晴れ上がった空の一角へ顔をのけぞらせた。すでにその片方の視界はもう回復が不可能なほどに損なわれているようだった。
 孝太郎はそこから音楽が幻聴のように降りてくるのを聞いているようだった。その空の一カ所だけが暗く青錆びた洞となっていた。その空のほうから、空っぽで透明なエレベーターが一箱、まるで精霊のようにゆっくりと地下一階のラウンジへと近づいていた。ぼんやりとした灯りがその箱の内部をかすかに照らしている。
 主人は黙ってその精霊のごとき一箱、過ぎ去った過去が夢のようにつまった玉手箱を、魂のぬけた人のように眺めていた。そこにはこの日常の規矩を解体し、この世の靱帯からの解放があった。秘密の悦楽の園が開けていた。その一線を越えた先には、怖ろしい罪の棘と茨の道が続いていた。花の暗い二つの目が孝太郎の背中を這い上った。重い石の塊が頸に巻かれた太い縄のように胸をあっしてきた。
「ここを出よう!」
 突然に、きっぱりとした声が暗い地下の闇を裂くかのように響いた。
 隣りに寄り添っていた女がその声に雷に打たれ、はね返ったようにピクリと身体を動かした。長衣の裾を翻し女は、無言で階段を上がっていく男のあとを追った。
 戸外は濃い夕闇が垂れ込めて、急な坂道が明かりのない街中へと下っていた。その坂道を一組の男と女が逃げるかのように走り降りていた。一刻、憑かれた魔界から遁れるように、早足で遠ざかる二人の姿が、夢魔のように黒い影を曳いて闇路を転がり落ちていった。
 それ以来、深夜の電話がかかってくることはなくなった。

秋風が吹きはじめたある朝のことであった。
 孝太郎はめずらしく早起きをした。散歩用の服装姿がめずらしかった。
「クラノスケ、餌を食べ残したね」
 主人は朝一番に新しい餌と水を入れる容器に手も触れなかった。この数日、我が輩はどうしてか食欲がなかった。食欲以上の何かある強い力に身体中が支配されているようだった。どうにもジッとしていることができかねた。軀の中にスプリングでも生れたように、それが自分勝手に動き出す気分がしてならなかった。
 孝太郎は我が輩をいぶかしげに眺めたが、素早く洗面所で顔を洗うと玄関の引戸を開けて戸外へ姿を消した。内側の網戸も一緒に閉めたが、玄関の鍵はかけていかなかった。細君なら鍵をかけわすれることはなかった。外出するときは必ず鍵をかけるのが細君の習慣であった。孝太郎が家の中にいてもそれは同じだった。
 我が輩が網戸に爪をかけ、重い引戸を引くと意外に軽く扉は動いた。朝の外の景色が目に飛び込んできた。以前にこの家を脱出したことが一瞬あたまに過ぎったような気がした。せまい庭と敷石が目の前にみえた。新鮮な臭いが鼻をついた。からだの内と外とで未知の自然が動き出し、同時に激しい警戒心が我が輩の神経を研ぎ澄ませた。人の足音、自転車の走行音、遠くに疾駆する車の騒音、それらのすべてが全身をそばだてた。だがそれらは我が輩の中に蠢くもの、全身を駆り立てるものには比べようもないものであった。それが我が輩を苛立たせ食欲さえ奪うものだった。我が輩を家の外に駆り立てるものがどこからやってくるのかを我が輩は知らない。玄関の門を出ようとしたそのときであった。
我が輩の全身を蔽う黒い翳が突然にのしかかった。鋭い爪が頸を絞めて鷲づかみに我が輩のからだは宙に浮いた。頸にかかるものへ我が輩の牙が食い込むと同時に、地面に我が輩は落下した。空へ向かってばさばさと大きな羽根が羽ばたいていく音が聞こえた。一目散に我が輩は家の玄関の中へと逃込んだ。
 それからしばらくの後、細君の花が突然に玄関の戸を開けると、慌てて家を飛び出していった。その花の慌てた様子に「何事か」と驚いた近所のご婦人たちが路地裏に集まりだした。みんな花が心配でならないらしいのだ。そのうち、隅田川べりの方角から救急車のサイレンがけたたましく鳴った。スマホを耳にあてた一人の婦人の口から、花の主人が神田川が流れでる隅田川の河口で、鉄柵に身体を乗り出したはずみに道路から転落したとの一報が告げられた。その突然の転落事故に最初に気づいたのは、河口に群れをなすカモメたちであった。ずぶ濡れの男が岸壁に這い上がろうとしていたが、誰一人その男を助けようとする者はなかった。男の素性を誰一人知る者はいなかったからである。花が現場に駆けつけ、漸くその男が花の主人と知られたのは後のことであった。幸い孝太郎は大事には到らず風邪を引き込んだほどで済んだ。花はこの界隈では知らぬ人はいなかったが、家の中で暮しに明け暮れた孝太郎を誰も知る者はいなかった。それでなくても、下町では役人は不人気であった。商売人や職人が多く集まる一帯では、なにをしているのか、その生業の分からない役人は疎んじられていたのは昔からのことであった。おまけに孝太郎は世間知らずであった。この性格の一端はオジサン譲りといってよかった。オジサンが田舎から東京へでてきた頃であった。山手線に初めて乗ったオジサンは、聖書を読み出した。何事にも没入しやすいオジサンは降りることも忘れて、円形の山手線を幾周もしたらしい。下町育ちの花とは正反対に、孝太郎の退職後の生活はまるで隠者に等しい暮らしぶりといえた。

 主人はともかくとして、ちかごろ、我が輩は自分の行動がどうにも訳が解らなくなっていた。
「ほら、クラノスケがおかしな事をしているわ」
 細君の花が主人に囁いた。
「なにをしているのかな」
 と主人が花に問いかけて、ふたりで我が輩に目を注いでいる。
「母親の乳がよく出るように、赤ん坊は本能的にやるんだけど、それに似ているわね」
 三人の子供を母乳で育てた細君が、我が輩が黙々と前足で毛布を揉んでいる動作に吃驚したらしい。細君はひそやかに心を動かされているようであった。そうした二人の会話を、我が輩は耳にしたが、その意味がよく分からなかった。
「クラは母親から乳を飲んだことがあるのだろうか・・・」
 主人が哀れみと不思議な気持を半々に、我が輩の独特な仕草を眺めている。
 やがて、その秘教的な我が輩の動作に哀れを感じた主人が我が輩を抱き寄せようとしたが、その主人の手を我が輩はきつく噛んでしまった。
「おお、痛!」
 大袈裟な主人の声が、我が輩には悦びであった。もっと噛んでやりたかった。
 テーブルに乗り、細君の手帖を囓り、ノートやボールペンに爪をかけて床に落とすことが楽しくてやめられない。階段を駆け上がり、家の中を走り回った。柱という柱に爪をかけて研ぐことに夢中となったが、そのため旧い家の柱はキズだらけになった。とうとう部屋の欄間に飛び乗り、穴だらけにする狼藉におよんだ。
 ここまでくると、孝太郎が黙っていなかった。我が輩の尻尾を掴むと逆さに吊しあげた。
「クラノスケ。これ以上の乱暴をするなら、食事をヌキにしてしまうぞ」
 我が輩が主人のズボンに爪をかけると、痛かったのか主人は手を離し、自由になった我が輩は廊下に飛降りた。
 餌などはどうでもよかった。のどが渇けば水溜まりで水を舐めた。そのほうが旨かった。我が輩の中で何か分からないものが躍動していた。それは制御しようのないものだ。
我が輩は耳を後に寝かせて主人をにらんだ。
 すると主人が奇妙な声でこんなことを言った。
「クラノスケは、おまえは自分のお母さんを知らないのだね」
 その声には半分のふざけた口調、もう半分はこころからの哀憐の情がこもっていた。
 我が輩は顔をそむけそれらを無視してやった。獣に同情なんかいらない。
「おまえは九州の福岡というところで生れたんだ。それから埼玉県のショップに連れて来られた。ネットでみたおまえはとても可愛い仔猫だった。丈夫な鉄のゲージのなかでおまえは盛んに飛び跳ねていた。そんなヘンチクリンな動きをしている仔猫はおまえだけだった。その頃からおまえはペットには相応しからぬ行為に及ぼうとしていたのだ。おまえはどこかエクセントリックな俺のオジサンを思いださせるところがあった」
 我が輩は主人のいうことが分からない。「オジサン」とはいったい誰のことなのだろう。
「クラ、こちらへおいで」
 細君のやさしい声がした。我が輩はいそいそと細君の側にいき、その胸に抱かれた。
「おお、いい子だ、いい子だ」
 細君の胸の中で、我が輩にはもうなんの不満も不安もなかった。玄関から外へ出て遊びたい気持ちなどはふしぎになくなってしまうのである。
 この槇野家では、いつも身体を動かして働いているのは細君の花ひとりであった。炊事、洗濯、お掃除、お買い物、それらのすべてを花ひとりがやっていた。それに町内会の副会長であり、民生委員までしていたのだ。孝太郎といえばほとんどが三階の書斎で過していた。片目が不自由となってからは、本もそう読めないらしく、物干し場の椅子にいることが多くなった。椅子は上野公園で時々開催される全国の陶器市展で買い求めた頑丈な木製の優れものらしかった。座りながら三百六十度に回転した。好天の日には、孝太郎はこの椅子から隅田川の河畔にひろがる風景を眺めて過すのである。春は上野公園の桜、それが散る頃には大学のレガッタが望め、夏には花火大会があった。そのあいだには下谷の朝顔市、浅草寺のほおずき市、年末にはおとり様が三日間、大鳥神社で開催された。祭は下谷から始まって、三社祭、鳥越の大神輿、そして上野寛永寺の除夜の鐘で一年がおわるのである。
 孝太郎は三階の物干し場に、ガジュマルの樹を鉢に植えてから、さまざまな植木を買い求めて並べるようになった。そもそもガジュマルの苗木を孝太郎にくれたのはあのオジサンであった。オジサンは旅行が好きで、旅先から孝太郎へ絵葉書をよく送ってくれたのだ。生涯を独身で通したオジサンは、キリスト教の信仰に帰依していながら、また、マリア様への信仰にも篤いものがあった。孝太郎にはこのオジサンは理解を超えた人であった。ときおり孝太郎は息子の健太郎がこのオジサンの血を受け継いでいるのではと想像することがないではなかった。ガジュマルの苗木は力強い成長を示し、根元ちかくに小さな気根を生やした。それは小さくはあったが、男のあるものを連想させる形をしていた。そこから細い根を土へと垂らし養分をとらんとしているのだった。植物でありながらその生命力は孝太郎を感嘆させるものがあった。
 あるとき、孝太郎は物干し台にきた花にこう言った。
「ほら、なんだかおもしろいものが生えた」
「なんですの・・・」
 近づいてきた花はそれを目にすると、
「まあ」と言っただけで目をそらしてしまった。
 それからオジサンから屋久島の写真葉書が届いた。ガジュマルの大樹が堂々と青い空を背に、風に吹かれ、辺り四方に豊かな気根を垂らしている姿は壮観であった。孝太郎はその亜熱帯地方の樹が、幸福をもたらす樹だと知ると、出来るだけ大事に太陽の陽ざしを浴びさせ、せっせと水やりを欠かしたことはなかった。
 だがある日の朝であった。このガジュマルの気根が無惨に囓られていた。犯人は夜中に出没するネズミに違いなかった。孝太郎が花の反対をおしきり猫を飼おうと言い出したのは、そんなことも手伝っていたのだ。
 孝太郎はそれから俄然、植物の収拾に凝りだしたのであった。
 葉蘭は郊外に住む義父の家の庭から持ってきた。義父が亡くなりしばらくほっておいたその家の庭には、多くの植木があったがそれらはみな新しい家の買い主に譲ってしまった。ただ大きく育った柊の木には孝太郎の思い出があった。子供たちが小さい頃、渋谷の代々木公園で売っていた苗木を義父の庭に植えたものであった。それは大層に大きく育ち東京へ持ってくることができなかった。それで孝太郎はネットで同じ柊の植木を求めた。だがそれは家に届いたときから元気がなく、そのまま枯れてしまった。やはり植物は鉢では育ちようがないのだと知ると、こんどはナナカマドをネットで見つけ、玄関の側の土に植えた。ナナカマドは本来寒冷地の植物であるが、雪よりも白い花を咲かせるといううたい文句に惹かれた。事実、写真にみたその花の白さには、孝太郎をうっとりとさせるほどの魅惑があった。それからローズマリーやら他に数点の植物への傾倒が孝太郎をしばらく夢中にさせた。盆栽をやる趣味はなかったが、それほど手間のかからない植物ならば、孝太郎はネットで買い求めた。細君の花は郊外での一時の経験からも、植物を育てることに関心がないことは、孝太郎は承知していた。花は三階の物干し場に転がっている鉢を邪魔者扱いにするだけではなかった。土や肥料類が家に過分な重量をかけることを心配していた。それで孝太郎が次々と求める品物が届くと嫌な顔をした。猫を飼うことも反対した。がいまでは主人の孝太郎いじょうに、クラノスケを可愛がっているのは花のほうであった。
 事実、飼い猫クラへの愛情はじつに細やかで、孝太郎の比ではなかった。孝太郎がいると遠慮をするようになった花は、主人がいないと膝にのせ胸に抱いて可愛がった。クラノスケもその花の抱擁をいまでは当たり前のように満足げな貌を隠さない。だが孝太郎が近づくとクラノスケは薄目をあけた。
「クラノスケはお母さんの抱っこが大好きなんだ」
 孝太郎がそういうとクラノスケは、花の膝から身を翻して降りた。だがそれだけではなかった。孝太郎が花のいる居間に降りる階段の跫音を聞いただけで、花の膝から素早くクラノスケは降りるような繊細な行動をみせたのであった。
 花によると遠くから孝太郎が家に帰る気配がすると、クラノスケは玄関にでて孝太郎の帰宅を待っているとのことだった。だが孝太郎は花がフォークダンスから帰るときも同じように、花が家に近づく気配にクラノスケは玄関に出て花の帰宅を待っていた。それどころか、クラノスケは大きな声で啼くのであった。
 孝太郎にはその声が猫のそれとはまるで思えなかった。
「マーミイ・マーミイ・・・」
 クラノスケが花を呼ぶ声は、ほとんど人間の子どもと同じであった。
 花が居間で座布団の上に横になると、クラノスケもいそいそと花の身体に身を寄せて、眠る光景がよく見られた。

 夕方、階段の下で孝太郎が武道の稽古疲れもあり、ぼんやりと佇んでいたときである。
ふと気配を感じて見上げると、死んだオジサンが立っていた。
オジサンは全身骨ばかりで、その骨が青白く光っている。まるでネオンサインがオジサンの格好をしているようである。顔は骸骨顔であったが、孝太郎を見下ろして頬笑んでいるかに見えた。
「あッ、オジサン」と声が喉からでかかり、孝太郎が花を呼ぼうとすると、そこにはもうオジサンの姿はなかった。
 オジサンについて、孝太郎は母から色々な話しを聞いていたが、そうしたことの事実の詳細を知りたいと思っているうちに、母を追うようにオジサンはこの世の人ではなくなった。オジサンは槇野家では毀誉褒貶の人で、孝太郎はその真偽をいちど確かめたく思っていた。七年も大学に通って何を勉強していたのか。いつも読んでいた聖書からえた信仰とはどんなものであったのか。日本が戦ったあの戦争の末期に出兵した朝鮮で何をみてどんな体験をしたのか。オジサンが行った旅先での見聞などであった。
 孝太郎の秘かな関心は、生涯独身で文字通り単独者であったオジサンが、世間の目を気にもせず自分独自ともいうべき多彩な人生を生きながら、それ故に幸福なエピキュリアンの様子をしていられた秘密はどこからきていたのかという素朴な疑問であった。孝太郎は戦前からみると落ちぶれた槇野家の中で、唯一自分だけが「変人」と陰口をたたかれたオジサンを理解できる者であると自負していた。オジサンもそれを承知してくれて、どこかで互いに通じ合うものがあったような気がしていた。
 するとどこからともなく笑い声が聞こえた。それはあの世からのオジサンの孝太郎への哄笑であったのかも知れなかったが・・・・。
 孝太郎はなんとなくクラノスケを探した。近頃のクラノスケが自分から離れて、細君の花にしか関心がない素振りが孝太郎は気になった。また花の膝のうえで毛を梳かれて、ウットリとしているのではないか。胸に抱かれて目をつぶっているクラノスケの面貌がうかんだ。クラノスケに餌をあげているのは孝太郎だが、朝と晩の二回の餌の補給をうっかり忘れるとクラはソワソワして落ちつきがなくなるのだ。最近ではあげた一皿の餌をアッというまに平らげてしまう。そのせいかクラノスケの軀つきは一段と大きくなった。いつも長い尾をピンと天井に立てているので、お尻がまる見えであった。普通ならあるオスの印がなにもない。それで肛門だけがばかに目立った。軀が大きくなり、砂を敷いた便器の外にまで糞が散乱した。それを拾い片付けるのは孝太郎の役目なのだ。臭いを厭がる花は糞尿の処理に手を貸すことはない。その毎日の仕事は孝太郎の日課であった。身体が硬くなり節々が痛い孝太郎はその仕事が一苦労であった。まずかがみ込むことがやりづらい。そんな仕事の最中に孝太郎は尿意を催したが、すこし我慢をしているともういけないことになるのであった。
 主人は細君との会話より、猫のクラノスケに話しかけることが多くなった。
「クラノスケ、おまえはいいご身分であるな。たらふく食べるとすぐにそうやって眠っている」
 そういう孝太郎の顔をクラノスケは神妙な顔つきで眺めていた。
 我が輩は動物である。人間の言語を解さない獣である。もし我が輩が人間のように話すことができたらどんなことになるだろうか。
「ご主人さま、我が輩をペットとしてこの家に呼んだのは、あなたではないのですか。それをいまさらぐずぐずいうなんて、恥ずかしくはないのですか。あなたは物知りだ。わたしたちの動物の世界から、ずいぶんと進化した人間がそれなりの義務を果たすのは当然ではありませんか。わたし達動物は無駄なことはしません。単純な生活を心がけています。単純な生活とは、喰い寝る交わるです。我が輩にはこの最後のやつが断たれているようですが、それはわたし達の思いもよらぬことなのです」
 こんなやりとりが、主人の孝太郎とペットの間で交わされていたら、花はどう思うだろうか。
 歳をとるにつれ、花はこうした類いの話しを、たとえそれが冗談にしろ、なぜか冷淡な素振りをみせるようになっていた。
 先日の昼食時の憩いの時だった。
 イチジクを栽培する農家からのテレビ中継があった。
孝太郎がひとり言のように、むかしを振り返り、こんなことを話しだした。
「おれはどうも年齢相応に知るべきことを、あまりに知らなすぎた。あるとき目黒川の畔に住んでいた頃だ。道路にイチジクの形をした小さな袋が落ちていて、おれはそれをめずらしいものと思い手にとった。すると側にいた友達が『それって汚いものだ』と教えてくれた。おれはそいつを即座に捨てたことがある」
 ここまではまだしも好かった。孝太郎はその「知らな過ぎ」を思春期のあることにまで広げて、こんなことを話した。
 テレビでは二人のタレントさんが、アダムとイブはリンゴを食べたことになっているが、あれは実はイチジクなので、それで神様が怒って、イチジクの木には花を咲かせなくしたのだと、「無花果」という漢字の由来を説いていた。
 花はそのテレビのやりとりをのんびりと聞いていた。隣の孝太郎がその手の話しをつづけていたのがいけなかった。
「おれが十四・五歳の頃だった。えらく堪えがたい痒さを感じていたことがあった。それで自然に手がそちらへのびるのを止められなかった。そのうち、からだの中に得もいえない衝撃が走った。これまで体験したことのない眩暈がした・・・」
 そこまできたときであった。細君の花が、突然にこう言ったのであった。
「うるさい!」
 二人のそばに寝ていた我が輩は、その凄まじい声に吃驚して飛びあがった。
 以来、我が輩は舌をちぢめたようにおとなしく過すようになった。
 しかし、我が輩は、花の姿を追うことがやめられなかった。孝太郎とじゃれあっているときでさえ、花がその傍らを通るとそのあとを追いかけた。すると孝太郎が我が輩へ無礼な冗談を飛ばした。
「クラノスケはママが大好きで、ママのお尻ばかり追っている」
 花は老いた孝太郎のこうした軽口を平気で聞き流すことができた。

 ある日の真夜中のことであった。孝太郎は立て続けに厭な夢をみた。それは孝太郎によれば、長い人生の澱の中から出てくるらしかった。心房細動の薬を飲んでいた孝太郎の心臓ははげしく震えだした。手足が痺れそのうち胸が苦しくなった。一階下の部屋に寝入る花を呼ぼうとした。がまるで悪夢に囚われたように、声が口からでてこない。孝太郎はやむなく枕元の目覚まし時計を床に投げた。依然、花が起きてくる様子はなかった。床を拳で叩いてみた。それでも花が気がつく気配はなかった。心臓の脈動は凄まじいまでになった。孝太郎は身近に迫る死を予感した。それは孝太郎がこれまで幾度も予習していた最期の光景といってよかった。

 その異変に花の部屋で寝ていた我が輩が気がつかないはずはなかった。花の部屋の引戸をこじ開け、我が輩は階段を上がった。主人の部屋の扉は開いていた。主人は寝床から半身を起こして前屈みに突っ伏していた。
 思わず我が輩は声をあげた。
「マーミュウー・マーミュウー」
 それは我が輩の知るよしもない母を呼ぶ声であった。だがそんなことはまったく我が輩のあずかり知ることではなかった。
 我が輩の啼き声に、驚いたのは細君の花であった。
 しばらくすると、救急車がやってきた。
「クラノスケ、おまえはあっちへ行っておいで」
 細君の花が興奮して、我が輩に投げつけた一言が我が輩の胸を刺した。
我が輩の居場所はそれからなくなった。

 孝太郎は墨東にある病院に入院した。幸いなことに、カテーテル手術を施したあと、三週間ほどの安静と療養後に、どうにか元気な様子で、柳橋の家に戻って来ることができた。だが、どうしたわけかなんとか見えていた片目は完全に失明し、残りのほうはおぼろにしか見えなくなった。光を失ってからの孝太郎はまた一段と老いを深めた。
「クラノスケは何処にいる」
 ほとんど盲人も同様の主人は、隅田川を望む物干し台の椅子に座って、そう言うのが常の事となった。
 細君の花は相変わらずよく働き始終身体を動かすことをやめなかった。甲斐がいしく孝太郎の世話をすることに怠りはなかった。その分我が輩への思いは薄れたようで、一日二度の食事も事欠く有様となった。
 空腹は我が輩をイライラとさせ、花の手や足に飛びかかって爪を立てた。
「なにをするのです! クラノスケ」
 我が輩は叱られてばかりの飼い猫となった。もう以前のような幸福なひとときは来なかった。花のあの広い胸に抱かれることもなく、柔らかい膝の上で毛をやさしく梳かれることもなくなった。
「クラノスケは何処にいる」
 そうした主人の声は、もう、我が輩には虚しく聞こえるばかしであった。我が輩はしきりと家の外へと眼をさまよわせはじめた。外には何かかがあった。こころをときめかしてくれるなにかが、我が輩を呼んでいるような気がした。
 主人同様に、我が輩も三階の物干し台で過すことが多くなった。孝太郎はぼんやりとけむるような隅田川沿いの風景に顔を向けていた。そこに吹きぬける風と季節の折々に照りつける太陽の光に顔をほころばせていた。主人はまるで植物と変わりがなくなった。自分の部屋の窓を開け放って、CDから流れる音楽に身を任せるだけとなった。一人二人と孝太郎に親しかった者たちはこの世から去っていった。
 我が輩といえば、物干し台から外に徘徊する野良の仲間の姿を見たくて仕方がなかった。奴らの暮しは汚らしいが、あそこにはここにはない自由がありそうだった。そして何を食べているのであろうか。腹がくちくて仕方がない我が輩にはそれが知りたいことであった。そこにはひりつくような冒険がありそうな気がした。だがこの家の中には、昨日とおなじ今日が、今日とおなじ明日があるだけではないだろうか。
 年老いたこの家の孝太郎や花には、それが一番の良い日々なのであろう。
 そのうち、我が輩は堪えがたい眠気に襲われた。
「クラノスケ、おまえはよくそんなに眠れるものだ」
 孝太郎が呆れたようにそう呟くのが聞こえた。
「猫はよく眠る子。だからネコというのよ」
 花は我が輩を微笑ましそうに見つめてそう言った。

 あるとき戸外の工事が始まり、大きな騒音に我が輩は目を覚ました。喉が渇き物干し台の如雨露に首を突っ込んで水を飲んだ。そのとき、我が輩の視界にいつか出会った黒のボス猫の姿がみえた。尻には大きな玉が揺れ動いていた。我が輩は身を起こし、三階の柵をくぐって、堤防の上に降りた。するとそこには黒のほか多くの野良たちが群れをなしていたのだ。戸惑いながらも、我が輩もその群れのなかへ走り込んだ。どの猫も我が輩に目もくれなかった。それが野良猫たちの生き方であった。どいつも自分の分際を弁え余計な計らいをしないのであった。
喰いたいときに餌をあさり、遊びたいときに仲間で遊ぶ。疲れたらたらふく眠り、くちいときは雑草や花までも食べる。互いになんの干渉もしなかった。そこには独り生きるけだものの自由があった。どこから聞いてきたのか、我が輩を「オジサン」と呼ぶ訳知りの奴がいたが、我が輩にはなんのことだが分からなかった。我が輩は主人の孝太郎も可愛がってくれた花も忘れて過した。ふんわりとした膝で毛を梳かれる喜びも得もいえない抱っこもなかったが、野外に眠り飛び回る快活な自由があった。
 あるところで、仲間の独りが車に轢かれて死んでいた。ぺちゃんこになった身体は路上に落ちた鳥の影のようにみえた。すでにカラスが数羽腹を突っつき食べ荒らしていた。だが我が輩たちの中では誰ひとりそいつに関心を持つ奴はいない。みごとなほどの無関心こそ我が輩たちのルールであった。
「死んだらマンホールになるだけのことさ」
 独りがそういうとみんなが笑いだした。
マンホールとは路上にみえる鉄の蓋のことだ。その中を誰独りのぞいてみた奴はいなかった。

 こうして数ヶ月が過ぎた。
 我が輩はあるところでふと二人の姿をみた。みたというよりその臭いでそれと知られた。
動物の記憶は身体に消えない臭いにあった。臭いこそ人間が失った貴重な感覚であった。
 二人とは、槇野家の孝太郎と花であった。二人はよろよろといった風に、路地裏を歩いていた。我が輩はふと人間の世界を思いだした。無駄なことばだらけの世界。善いとか悪いとか、理解できないことばに満ちていた。そいつがどれだけ我が輩の頭を悩ましたことか。
「マーミー」
 我が輩の身体のどこからか、そんな声が身内の谺のように響いた。
自然と我が輩の尾っぽは左右に揺れ動いた。
 我が輩はこの二人の歩き方につられて、細い路地を渉ろうと前へ四つの足を動かした。
そのときだった。自転車がスーっと我が輩の身体のうえを走っていった。そいつは音もなく近づく怖ろしい速さをもった獣のような奴だ。呻いたが声にならなかった。
 チリンチリンと軽快な鈴音を鳴らして、孝太郎の腕を支えて歩く花の脇をそいつは抜けていった。我が輩のいない二人の孤独な暮しぶりが目にみえるようだった。
花が振り向き、一瞬、我が輩をみた。
「あら、クラノスケじゃない」
 花は自分の腕にすがって歩く孝太郎の耳元につぶやいた。
孝太郎が首をねじり、我が輩のほうへ目を動かそうとした。片目だけがぼんやりと辺りの風景をみたように思われた。我が輩の腰を一瞬細い自転車の車輪が春風のように通りすぎていった。
 花が孝太郎の腕を引っ張るように、横たわる我が輩に近づいてきた。逃げようとしたが無駄だった。

 我が輩は再び槇野家の飼い猫となった。腰を小さな箱型の車椅子に乗せられた障害のある猫として、孝太郎と過した一年。それはまた花に抱かれた幸福な一年であった。
 ある春の日の午前、陽は潸々と物干し台を照らしていた。川面は陽光に煌めいていかにものどかな昼下りで、花は町医者に出かけて留守であった。
「さあ、クラノスケ」
 その声の響きで、我が輩は孝太郎が我が輩をどこへ連れていきたいのか動物的なカンで察知した。我が輩はいわば主人の形代のようなものであった。
 孝太郎はふんわりした春物のコートの内に我が輩を抱きかかえ、隅田川のテラスをまるで幽霊が散歩でもするかのように、杖を曳いて歩きだした。
「まだ水は冷たそうだけれど、おまえも直に馴れるさ」
 それが年老いた主人の、どこか若やいだ最後の声であった。
 その孝太郎の目の中に、幻影のような風景が浮んだ。
 それは一年も過していない郊外の新婚の家の中であった。庭から明るい午後の陽ざしが照り、畳の上で寝そべる花の安らぎにみちた姿があった。最初の子供を身ごもった花が膨らんだお腹を上にねむっていた。部屋の外では強い陽ざしが庭の草を緑に染め、真っ赤な鶏頭の花が寂として動かない夏の真昼の光景であった。
             
 水に流されながら主人はうっすらと広がる青い空に顔をのけぞらせていた。波がときおりその顔を濡らしていた。誰か大事な人の名前でも呼んでいるのか、口がパクパクと動いていた。
 水が嫌いな我が輩は前足を必死に動かして、岸壁へと泳ぎだしていた。
「クラノスケ、おまえは生きるんだよ」
 その我が輩のうえに、主人の声が空から降ってきた。そんな気がした。
                                    (了)





プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード