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アルベルト・カミーユの墓

 フランスのプロバンスにルールマランという質素な町がある。アルベルト・カミーユの墓はその町を好んだカミユが妻と一時を暮した処であったろう。妻のフランシーヌの墓地は花に飾られていたが、隣りのカミユの墓は草木が茂るにまかせた荒れ地にも等しかった。それがカミユの意図したことなのか定かではないが、カミユの文学に少しでも親炙した者には、ごく自然に受け入れられる光景であったのだ。私がパリからプロバンスへ旅をしてカミユの墓地を訪れたのは2016年の春であった。
 カミユには「太陽の讃歌」と「反抗の論理」というタイトルの「手帖」2冊が1962年と65年に刊行されているが、その後1992年に、カミユの手帖全文(1935年から1959年)が一冊としてまとめられ1992年に発刊された。9個のノートからなり年譜を含め662頁の大著である。第5のノートには、このコロナ禍の現代人に広く読まれた作品「ペスト」への幾つかと「ルールマラン」の町への記述があるので参考のため、引用をしておこう。

 「ペスト」。これまでの生涯において、これほど大きな挫折感を味わったことは一度もなかった。最後まで行き着けるかどうかさえ分らない。しかし、ときどきは・・・・。

 なにかも吹っ飛ばしてしまうこと。反抗を風刺文書のような形で表現すること。革命も、決して人を殺さない人びとも、反抗の布教も槍玉にあげる。ただの一つも譲歩しないこと。

 新しい古典主義という観点に立てば、『ペスト』は集団的情熱に形を与える最初の試みとなるはずである。
 
 『ペスト』のために。デフォーによる『ロビンソン』第三巻の序文を参照すること。生にたいする重要な考察とロビンソン・クルーソーの驚くべき冒険。「ある種の囚われの状態を別の種類のそれによって表現することは、現実に存在する何かを存在しない何かによて表現するのと、同じくらい理に適ったことである。もし私が一人の男の私的な物語を描くという普通の方法を採用していたら、私が述べることはすべてあなたがたにいかなる気晴らしを与えることもなかったろう。」

 「ペスト」は風刺的小説(パンフレット)だ。

 どのようにして砂漠で死ぬことを学んだらよいのだろう!

 ルールマラン。幾歳月ののちに訪れたその最初の晩。リュぺロンの山上にかかる一番星。広大な沈黙。糸杉。そしてその糸杉のてっぺんはぼくの疲労の底でふるえている。荘重で峻厳な土地だーその驚くべき美しさにもかかわらず。

 「手帖」のほんの数片から、カミユの内面をのぞきみることができる。「どのように砂漠で死ぬことを学んだらよいのだろう!」とはカミユの心底をつねに湧き出てやまなかった声である。ここにでてくる糸杉は、ゴッホの遺作に現われる糸杉を連想させるものだ。
 この度、短篇集「追放と王国」から「不貞」を読んだ。「不貞」というタイトルは意味深長なものがある。因みに、この短篇集は妻のフランシーヌに捧げられているが、妻とは窺いしれない葛藤があったらしい。1960年一月二日カミユは、汽車でパリに戻るフランシーヌと子どもたちをアヴィニオンの駅まで送り、翌日、ミッシェル・ガリマールの家族とともに車でパリに向かう。四日、ヴィルヴァン近くで事故死。享年47歳、44歳で最年少のノーベル文学賞からたった3年しか生きていなかった。遺骸はルールマランに埋葬された。この地に家を購入したのは、ノーベル賞の翌年であった。ちなみに、アヴィニオンは私が愉しい時を過した町の一つであった。

 さて、上記の「手帖」から、たったニ行ほどの文章を、ここに引いておこう。

 なぜぼくは芸術家であって哲学者ではないのか。それはぼくが言葉でものを考え、観念からではないからである。(カミユはサルトルの「嘔吐」の書評で「小説は舞台に移し変えられた哲学以外のなにものでもない」と述べている。)

 ところで、カミユには裏と表の顔があった。平凡な生活者への憧憬と芸術家たらんとする情熱との表裏の顔である。おそらくルールマランの町は、妻のフランシーヌと過したほんの数年の記憶がある場所であったろう。すべてを忘却して家族と暮したほんのわずかな時が流れた小さくて静かな町である。カミユが3年もかけて書いた小説を、たった5行でそれも引用を間違えての批評に、苦い思いを噛みしめた一文もこの手帖のなかに見える。

 短篇集「追放と王国」の冒頭の小説「不貞」は、夫の貧しい商売に連れ添ってきた細君が馴れない土地で、眠れない夜に1人宿屋を抜け出し、「リュぺロンの山上にかかる一番星。広大な沈黙」にも似た夜空を仰ぎ見て畏怖に似た感情に動顛した細君が、宿屋へ急いで戻ったところ、商売の苦労に疲れ果てた夫からその様子を不信がられ、「いったいおまえどうしたんだね」と問われ、「何でもないのよ、あなた、何でもないの」と答える細君のことばで終わる、荒涼として痛切な短篇である。だが、カミユの小説にときおり顕われる「沈黙の宇宙」との一体感、それはまた人生の吐息にも似たこの瞬間はいったいなんであろのだろう。
 私は人間がこの不条理な世界の果てに、カミユの散文のなかに現われる星の燦めき、詩的ななにものかであるように想われてならないのだ。
「手帖」のなかから、「詩」に関するカミユの素っ気ない言及を引きだしておくことにする。

 私の≪神に対抗する創造≫のために、芸術は、たとえそれがなにを目的にしていようと、常に神への罪深い挑戦であるといったのは、あるカトリックの批評家だ。(中略)ペギーもまたその一人だ。≪神の不在から光りを引き出す詩さえある。それはいかなる恩寵もあてにはしないし、詩それ自体以外の、なにものをも頼りにしていない。詩とは、大地によって報われる、空間の間隙を埋める人間の努力だ。≫
 護教論的文学と、神と競り合う文学のあいだに中間はない。

 この文言のまえにある。写真への苛烈な文句とともに、カミユの「不条理」がいかに峻厳な芸術の鏡であったかの参考になるだろう。

 この世界を映すということは、多分、それを変容させることより、より確実に世界を裏切ることだ。もっとも見事な写真とは、すでに一つの裏切りである。

 風、この世界には数少ない清潔なものの一つ。

 墓地からルールマランの町への帰途、私は明るいオレンジ色の実をいっぱいつけたミモザの樹を目にして、ホッとしたことを思いだす。




ミモザ2 ルールマランの村 ルールマラン







戯画風「思い出の記」

 先夜寝しなに、ラジオに録音したNHKの「名曲スケッチ」を聞いてみた。二月は私の誕生日の月でした。毎年、この月が近づいてくると私の身体の調子は低下するのです。なぜなのか分りません。三月になって沈丁花が香り、春の陽ざしがさす頃になると不思議と回復に向かうのです。
 ただ24歳のその年だけは例外的に、私はこの月を平常に過すことができました。遠いむかしのことで、いまから思うとそんなことがあったのか、夢でもみていたのではないかと、思われてなりませんが、たしかにあれはその年の二月のことでした。
 私は同じ月に誕生日を迎える女性のために、朝早くから花束と一冊の本をかかえて、小学校の教室に侵入しました。まるで映画のダーティー・ハリー君のように、可愛い子供たちへ自分がいることを黙ってくれるように頼み、教室の一番うしろの小さな椅子に腰掛けさせてもらいました。ぼくがかかえていた花束をみて、女の子の一人が頬笑みかけてくれました。おしゃまそうな顔はこういっているようでした。
「あたしあなたが、これからやりたいことがどんなことだか、わかっているわ。」
 その女の子の気持ちがクラスじゅうに伝わったように、男の子も女の子も、突然の来訪者のぼくを理解してくれたように、好奇な目を輝かせはじめました。
 ぼくは勇気を貰った気分でした。椅子から立ち上がり、クラスの子供たちに言いました。
「いいかい。今日はきみたちの先生のお誕生日なのです。これから、先生が教室に入って教壇のまえに立ったら、ぼくの合図でハッピーバースデーの歌を一斉に唱ってくださいね。」
 このぼくの提案にみんなが賛成してくれました。それはまるで奇蹟のようでした。
それから、ぼくと子供たちは先生が教室に入って来るのを、今かいまかと待っていました。
ぼくはふと教室の壁に「若者たち」の歌詞が大きな字で書かれた紙が貼ってあるのをみつけました。    
 また、ぼくは子供たちにいいました。
「ぼくが先生に贈り物をしたら、ぼくの合図でこの壁に書いてある歌を唱ってくださいね」
 子供たち全員が喜んで笑みをうかべて、また、ぼくの提案にうなずいてくれました。
こうしてぼくの悪戯、思いもよらない奇抜な企みの準備は整ったのです。

 そのうち、廊下にかすかな跫音がして、教室の前の戸が開き、彼女が入ってきました。
背をちじめ子供たちの中にいたぼくを、彼女は目ざとく見つけると、大きな目を見開いて吃驚としてしまいました。
その時、ぼくはタクトを振る指揮者のように、椅子から立ち上がると、「ハイ」と合図したのです。

ハッピーバースデー・トウーユウー、ハッピーバースデー・トウーユウー。

 クラス全員の子供たちの大きな声が教室じゅうに響きわたりました。その子供たちの声に、最初は唖然として驚いた彼女の顔は、こんどは恥ずかしさと笑みが入り交じった顔に変わりました。そして、合唱が終わったときには、とても明るい表情を満面にうかべ、隠しきれない喜びにあふれた顔をみたのです。
 ぼくは花束と本の包みを彼女にわたすため、教壇へと進みました。
「○○さん、お誕生日、おめでとう!」
 とぼくは贈り物を差出しました。ぼくはその時の彼女の顔を覚えていません。なぜなら、そのとき初めて彼女の教室にいる先生としての顔を見て、ぼくは一瞬たじろいだのかもしれません。彼女はぼくの初恋の女性でした。ぼくを苦しめそして喜ばした最愛の女性でした。

 ぼくは子供たちのほうへ向き直ると、また「ハイ」と子供たちに声をかけました。そして、拍子をとって壁に貼ってある「若者たち」の歌を、子供たちと一緒に唱ったのです。

  君の行く道は 果てしなく遠い。
  だのになぜ 歯を食いしばり
  君は行くのかそんなにまでして。

 君のあの人は 今はもういない
 だのになぜ なにを探して
 君は行くのか あてもないのに

 君の行く道は 希望へと続く
 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる 

 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる

 朝一番の小学校の教室での大合唱は、隣りの教室にいた男の先生を驚かせたのは当然でした。
彼女はその三学期を最期に、学校を辞めて俳優への道を歩き始めることが決まっていたのです。その年の誕生日の一日が彼女にぼくの気持ちを伝える最後の機会となったのです。

 それから指では数えきれない多くの歳月が流れ、今年の二月の夜、それは彼女の誕生日の夜でもあったのですが、ラジオから流れた「名曲スケッチ」の最初の曲は、ヘンデルの「ラルゴ」、二曲目は、メンデルスゾーンの「歌の翼に」でした。「ラルゴ」はゆったりとした静かな曲でした。「私のお父さんが好きだった」というこの曲に相応しい一女性の感想が載っていました。例外的な24歳の一年から数年後、ぼくは彼女が舞台に立っている姿をみました。彼女は根っからの俳優だったのでした。「歌の翼に」のって、今も彼女は舞台の上で飛びつづけているのでしょうか。ぼくが贈ったジャンコクトーの「ポトマック」の本を持って。






これは「戦争」ではないのか

 国際法等の定義からすれば正確ではないかも知れません。「災害」というべきなのでしょうが、すでに一年が経とうするコロナ禍について、これを「災害」としていつまでも右往左往をしているのはどんなものでありましょうか。
 そんな疑問がふとうかびました。一過性の災難を越えていまや世界的な惨禍を呈しはじめているこの現象(歌舞伎町の飲食店の若者は「病気」というよりこの「現象」という表現を使っていましたが)から、現在のグローバル・パンディミックは今や世界に蔓延しているある種の「戦争」と表しても過言ではないのではありますまいか。少なくとも国民の心理的レベルにおいてはそれに近い様相があると思われてなりません。
 そこでこうした状況下の個人レベルの幾つかの事象を記しておくことにしましょう。
 私の記憶が確かならば、ラジオで英語のニュースキャスターが音程をすこし上げて「グローバルパンデミック」と発音したのを耳にしたのは、昨年2020年3月中旬でありました。偶々、初期の食道癌の除去手術のため某病院に入院して治療が終わり、ベッドに横たわり小型ラジオを聞いていたときでした。その発音がラジオから流れてきた瞬間、「これはやばい!」と思いました。私はすぐにナースコールで看護婦さんを呼び、手術後の食事も終え問題はないので明日に退院をしたい旨を告げたのです。看護婦さんは既に病院内での感染防止から情報を聞いていたらしく、手術の担当医師に相談したいと機敏に個室病棟を出て行き、そのとき廊下に開け放たれていた扉を隙間なく締めていく動作から、やはりそうかと院内の状況を知りました。暫時の後、先生の許可が下りたと聞き、家内に電話で明日に病院を出ると伝えました。私自身のコロナへの恐怖はたいしてなかったのですが、私個人というより感染を拡大させる当事者になることが厭でした。翌日午前に電話では来たくないと言っていた家内が病院一階のエレベーター前にいたのに驚き、すぐに二階の退院手続きの窓口に移動し、手続きの進行が遅いのに苛立ったのは院内でのコロナウイールスの飛散は想像にあまりあったからでした。玄関から逃げるようにタクシーに乗り込み、つぎに通院していた某病院の眼科の予約を取り消し、薬だけを近くの薬屋で受けとれるとなるまで、私は安堵することができませんでした。数日後、脱出した病院から感染者数名発生とのニュースが流れましたが、逃れられたのは動物的な本能からの直感的想像力と行動だったと思い知ったのです。
 それから今に続く巣ごもり生活が始まりました。徐々に溜まるストレスは些細なことで対人関係を悪化させ、自動車の無謀運転はすぐに気づかされました。家庭内暴力と自殺者の増加は早速ニュースに流れ、不要不急な外出の制限という自粛生活は、早速、文学において「アンソーシャル・デスタンンス」なる題名の小説が書かれたたことは既に紹介させてもらったところです。しかし、文学は三島氏が言ったとおりその本質において反社会的な要因を内包するもので、これは社会的な自由の発現として健全な証拠なのでした。むしろ抑圧され内攻したSNS上での誹謗中傷やいじめ、嫌がらせの類いこそ不健康な社会的な兆候と見るべきでありましょう。
 株式市場では「巣ごもり銘柄」と呼称された株価が急上昇し、瞬く間に、マスクは改良され「アベノマスク」が嘲笑されたのはそう時を経てはおりません。市民が利用していた公共施設が使えなくなり、人が集まるイベントの中止が相継ぎ、季節は春から夏へと移っていたのです。
 そして秋を過ぎた新年の冬になり、自粛による巣ごもり生活はすでに一年に迎えておりますが、依然として感染拡大の傾向に歯止めがかかる兆候をみることできておりません。ワクチンの開発と使用が最も素早い効果となるのでしょうが、日本国内のワクチン開発はどうなっているのか、その詳細な情報もありません。1980年代の情報化への突入の頃に日本独自のコンピューターの研究・開発が陰湿な手段で阻止されたことは、優秀な宇宙研究者から仄聞したことがありますが、同じようなことがもしやこのワクチン開発にもあるのではないかとの疑心暗鬼に捕らわれるところです。
 気晴らしに近所のお風呂屋さんへ行きました。番台のお婆さんは常連客には声をだして挨拶をしますが、時偶現われる気まぐれの客には沈黙をしているようで、あまり気持ちのいいものではありません。それでも久しぶりに見る大きな富士山のペンキ絵に感動したのには、不思議な思いがしました。
 ところで、これも仄聞した話しですが、町の中華蕎麦屋へ行き、カウンターに座ったところ「黙食」というカードを見たそうです。飲食での会話が感染の場となることから、こうした造語が生まれるのだと感心したそうです。ところが、入口に数人の客が来ますと、カウンターから出てきた店員さんが、そばに来て大声を出されたことには吃驚したそうです。これで「黙食」は台無しとなり、それどころか、店員さんの口から飛散した唾入りの中華蕎麦を食べたような按配だとの滑稽な感想を聞きました。
 また、これは戦後の教育行政とも関連する事柄かもしれませんが、学校の体育館が感染を恐れて開放されていないそうであります。市民の肉体と精神の健康のための有効利用が、逆に制限されているのは、利用者の側からの学校側への感染の危険性が配慮されたからでしょうが、利用者側からすればいまや若い生徒の多数を擁する学校側からの感染の心配があるとのことでした。利用が許可されていたときには、利用者は施設の徹底的な消毒を課されこの励行に努めた結果、感染の拡大の事実はなかったとお聞きしました。市民の精神的なストレス等は日に日に増大し、自殺等数値は上昇の兆候が予測されている現在、こうした公共施設の利用という行政の硬直的、画一的な閉鎖措置には弾力的な運用が図られねばなりません。
 店に来る客、そして公共施設を利用する市民にだけ感染者をみようとする、一方的な固定観念は早期に払拭しなければならないでしょう。見えない細菌という「敵」への対処に混乱があってはならないのです。
 コロナ禍は今後、個人を越えて社会と国家へとその構造的な問題を露呈させていくことでありましょう。個人の自由が無制限に抑圧されることには慎重さが必要ですが、できるならこの災害を奇貨として世界全体がより良い方向へ向かい地球規模の諸問題に対する前進が期待されているのではないでしょうか。
     
    コロナ下や いのちのあかり 桜草





肉体の学校(1) ―呼吸を学ぶー

 表題のようなエンタメ小説が三島の文学にあります。小気味よい成功作でフランスでも映画化されたもので、仏題:L' école de la chair。仏語のchairには肌色という形容詞もありこれがいかにもフランスのエレガンスを思わせますが、日本語の肉体という言葉には少なからず生々しいニュアンスがつきまとうので、ここでは身体(からだ)と表現したほうがよいでしょう。今回は文学の話しではありません。あとで述べますが、三木成夫という学者が「ヒトのからだー生物史的考察」(うぶすな書院)という題名の本を書いています。
 ところで、座禅に「数息感」という呼吸法があり、調身、調息、調心のリズムをつくるための方法で、主に調心のためのものです。
先日のことでした。座禅を始めてしばらく経った頃。水の中で溺れるように、呼吸することがしばらく困難となりました。そんなことがこれまでの座禅になかったわけではありませんが、そのときは、不思議と思われてしばしの反省のあとで、私は空気に溺れたのだという奇妙な想念に遊ぶのを止めることができませんでした。それは座禅によって人間のからだが、動物からより植物にちかい存在へと生の様態を近づけたことから、三木氏のいう生命記憶のかなたから呼吸器に顕われた一時的な症状のように思われてならなかったのであります。
 先述した三木成夫という発生形態学者の著書によりますと、海から発生した生物が陸にあがるときに呼吸することを覚えたのですが、大変に長い年月をかけ非常な努力をしたそうであります。この先生は人間の胎児が母胎に宿り、羊水の海に十月十日ほど漂った過程を観察して「胎児の世界」(中公新書)という本を著わしました。そのけっか、「個体発生は系統発生を繰り返す」という法則を実地に観察・発見するにいたったのです。簡単に言いますと、母体に宿ったまだ小指の先にも満たない赤ん坊が十月十日の間に、形をかえ姿をつくりその相貌を変えていく成長の過程のいちいちが、生命が誕生し形態を進化させていくその節々の姿に、相似していることを観察して証明したといえばいいのでしょうか。
 すなわち30億年(三木)まえに地球に生命が誕生して以来、生物の分化の歴史において動物と植物という二つの生命の形態が生まれ、その身体の成立ちを比較して、そこに共通する相違と類似との根本があることを示しておられました。ここから人間の身体の器官を動物的なものと植物的なものとに分けることができると考え、人間は互いに性格が異なる二種の生物が“共生”しているものだという結論をだしたのです。そしてこれらの二つの器官群を個別に観察し、最後に発生学と解剖・生理学において両者を調査したところ、その代表が“心臓”と“脳”であるという関係にたどりついた。この“心臓”と“脳”という代表関係を今一度、西洋と東洋との歴史的な考察に戻り振り返って見ようとしたのです。こうやって三木氏は「ヒトのからだ」の生物史的な考察を進めていくのですが、その詳細は三木氏の平明な文章をたどるにまさるものはないでしょう。この本は有名な江戸時代の俳人宝井其角の句で締めくくられています。
 しかし、そういう文学的なことは、現在の日本文学の現状の一端をおぼろげに知る者にはどうでもいいことです。それよりも科学の世界に興味を牽かれるのは、コロナワクチンの研究と開発に遅れをとっている日本が、科学界で世界16位であることもさることながら、ワクチン開発に従事する職員が非正規社員でしかないという事実に、まず驚愕をさせられます。たまたま、私は去年、「ゲノム編集の衝撃」という本を読み、文字通り衝撃を受けました。この本にはこんなことが書かれていたのです。

「(ゲノム編集は)さらに遺伝子治療への応用にも期待が大きく、16年頃からは米国と中国を中心に、ゲノム編集で遺伝子を書き換えた免疫細胞を体内に戻してがんを治療する臨床研究などが始まっている。基礎研究から医療応用に至るまで短期間で爆発的に広まったクリスパー・キャス9は、今後も生命科学研究を支える技術として、発展を続ける。・・・・これはコロナの研究にも応用され、少量の検体から数十分でウイルス検出することが可能となる。・・・・クリスパー・キャス9の技術は、世界的に広がった新型コロナウイルス感染症に対しても活用が期待されている。例えば、より効率的な検査の実現である。・・・・ガイド役の配列であるクリスパーを新型コロナウイルスの遺伝情報であるRNAの特定の領域をターゲットとするよう組み換え、新型コロナの検査に応用することが検討されている。クリスパー実用化に向け開発が進む。現在広く使用されるPCR検査は、判定までに数時間程度かかるという課題があり、クリスパー・キャス9の技術を応用することで大幅な時間短縮が期待される。
 また、治療薬の開発にも応用が期待される。ウイルスなどの病原体に感染すると、免疫細胞の「B細胞」から抗体が産生される。クリスパー・キャス9で新型コロナウイルスの抗体を作るよう改変したB細胞を投与することで、患者は抗体を獲得することができる。
 新型コロナの感染拡大が始まって約半年だが、クリスパー・キャス9はすでにさまざまな活用法が検討されており、生命科学領域の研究手法として欠かせないものになりつつある(日刊工業新聞2020年10月8日)
 新型コロナウイルスのワクチンを開発中の米製薬大手ファイザーと独ビオンテック(BioNTech)は9日、治験の予備解析の結果、開発中のワクチンが90%以上の人の感染を防ぐことができることが分かったと発表した。ファイザーとビオンテックは、「科学と人類にとって素晴らしい日になった」と説明した。このワクチンはこれまでに6カ国4万3500人を対象に臨床試験が行われてきたが、安全上の懸念は出ていなかった。両社は今月末にも、このワクチンの認可取得に向け、規制当局の緊急審査に申請する計画だという。」
 その後の日本を取り巻く現状を述べる気力は、いったいどこからでてくるというのでしょう。
其角の句「蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな」は、三木氏がその卓越した著書の最終においた、その意味合いを無効にするどころか、いまや、日本は哀れなカマキリになれるかどうかも、怪しいものなのです。



IMG00109人のカラダ




花の宴

 部屋の片付けをしていると、思いがけないものが出てくる。
「花おりおり」となかなかに流麗な筆づかいで題名が綴られ、鮮やかなカラーの花の写真のしたに、12行と12字からなる文章が認めてられている小さな切り抜きがたくさん見つかった。
 これが35年まえ、2005年の新聞の一角を飾っていたことがあったのだ。それを切り抜いて集めていたことをすっかり忘れていたとはなんということであろうか。
 たとえば、ヤマブキとあり、「時代と共に花への想いも変わる。ヤマブキは恋の花だった。『万葉集』にはいとしい人の面影に重ね、庭に植える歌も。首都東京は、この花と縁が深い。武将太田道灌はにわかに雨に蓑を農家に請い、娘がさしだした八重の花の意味がわからず、恥じて学問に目ざめ、大成、江戸城の前身を築いた。」とある。
 文は、湯浅浩史。写真は、矢野勇。

 かつて太田道灌の銅像は都庁が有楽町にあったころには、第一庁舎の正面右側に立っていた。都庁の新宿移転にともない、いまは国際フェオーラムのガラス棟にあるらしいが、それを知る者は少ない。
 
 太田道灌は室町時代の武将で江戸の土地を切りひらいた。銅像の制作は開都五百年記念として1956年に、多くの銅像を手がけた写実派の彫刻家朝倉文夫氏である。上野の西鄕隆盛の像と比べるのも一興だろうが、太田道灌も見限られたものである。
 「花おりおり」は今では本になっているが、新聞の切り抜きがあればじゅうぶんであろう。一枚一枚の写真を見て文を読めばまた過ぎし昔を思いだすこともあろう。

 さて、話しはは平安時代に飛ぶ。紫式部が書いた源氏物語に「花の宴」という章があった。54帖の物語りのなかでは、この「花の宴」は源氏の君の放恣なふるまいが目立つところで、何処かフランスのボードレールの詩、たとえば、「路上で会った女に」を連想させないではおかない性的放縦がみられる。といっても源氏の君のほうは幾つかの優雅な歌で宴の場面を艶やかな風情で織り上げている。下はボードレールの詩の数行。
                                                                                 稲光り・・・・・それから夜。その眼差が忽然と                                                    
俺を蘇らせたまま、須臾の間に消え去つた美を。                                                  来世出なければ もう二度とお前に遭へないのだろうか。                                                             
「悪の華」鈴木信太郎譯
                                                                                  こちらは禁中をさまよい、あちらはパリの街中をさまよう遊蕩児である。源氏のほうには八つの歌が散らばり、それぞれが艶めいた風情をかもして優雅である。

  大方に花の姿を見ましかば
      露も心の置かれましやは

  深き夜の哀れを知るも入る月の
      おぼろげならぬ契とぞおもふ

  うき身世にやがて消えなば尋ねても
      草の原をば問はじとやおもふ

  心いる方ならませば弓張りの
      つきなき空に迷はましやは

 事実、源氏の朗読に耳を傾け、「花の宴」にはいると、ふと空が開けて春風に吹かれる心地がするから妙である。そう思いながら、たまたま、三島氏の「古典文学読本」を読みだしていると、氏は源氏の中でこの「花の宴」と「胡蝶」のふたつに独特な視線を放っているのであった。

「人があまり喜ばず、又、敬重もしない二つの巻、『花の宴』と『胡蝶』が、私の心にうかんだ。二十歳の源氏の社交生活の絶頂『花の宴』と三十六歳のこの世の栄華の絶頂の好き心を描いた「胡蝶」とである。この二つの巻には、深い苦悩も悲痛な心情もないけれども、あくまで表面的な、浮薄でさえあるこの二つの物語りは、十六年を隔てて相映じて、源氏の生涯におけるもっとも悩みのない快楽をそれぞれ語っている。源氏物語に於て、おそらく有名な「もののあはれ」の片鱗もない快楽が、花やかに、さかりの花のようにしんしんとして咲き誇っているのはこの二つの巻である。」

 この文章は「日本文学小史」の最終章となった「源氏物語」からの引用であるが、昭和45年6月で未完となった評論作品である。私は当時この一文を読んでいたはずだがまったく忘れていた。





プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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