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テレビ寸感

 「梶井基次郎の『愛撫』」(19.7.10)を掲載した8日後に、京都アニメーション放火事件が発生しました。事件の詳細を記せば、京都アニメーションの第1スタジオに男が侵入して、ガソリンを撒いて放火した。これにより、京都アニメーションの関係者に多数の死傷者が発生。7月27日21時時点で死者は35人に上り、警察庁によれば「放火事件としては平成期以降最多の死者数となった、ということであります。

  ブログは末尾で以下のように記しました。加藤典洋の著書「9条入門」から、日本の「窮状」の予感まで書きこんだのも私なりの憂慮からでたものであります。

「現在の日本に目を転じてみよう。相継ぐ災害に見舞われ、巷に氾濫する犯罪の連鎖は正常な感覚を喪失した痺れた指のように、この現代の不吉な兆候を示すものでないことを祈りたい。少なくとも、文学だけは「透明な感性の祝祭」であって欲しいものだ。加藤典洋は遺書のような「9条入門」を残してあの世へ旅立った。この含蓄に富んだ一書から日本の「窮状」を予感し、その隘路を抜け出る示唆を得ることはできないものだろうか。梶井基次郎の「愛撫」から、とんだところへ筆が走ってしまったが、人間にある動物的な直感力は猫の耳のように、遠方からの音に敏感に反応しているのではないか。」

 高齢ドライバーの車にぶつけられ骨折した右手の指は、リハビリにもかかわらず、依然として繊細にモノの感覚を伝達してくれる指の神経を痺れさせ、お箸の上げ下ろし、歯ブラシの正常な使用をさせてくれません。そうした苦境で見たからかもしれませんが、
2019年7月20日の「Eテレ」は、作家の辺見庸が、2016年7月に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」から想を得た「月」という作品について語る番組でありました。ノンフィクションでもなく、小説でもないが、あの事件の契機がなければ書けなかったと作家は述懐しています。目も見えず言葉も発せず動けない人物が登場して、たどたどしいが執拗に、「在る」とはどういうことか問うのです。ここには人間の上にたって規制をかけてくる社会とは、そもそも何かというラディカルな難問の提起が為されています。正直なところ、重たく暗く、指の痺れがこころまでひろがってきそうな番組でありました。しかしこの問いには、加藤の「9條入門」の冒頭の文章と響き合う、敢えて自分の身を逆転しながらの急進的な問いかけがあります。

「・・・憲法9條というのは、必ずしも戦後の日本になかったとしてもよかったのではないだろうか、と思うようになりました。というか、一度はそう考えてみる必要があったのだ、と考えるようになったのです」
 さらに加藤は続けます。「だから憲法9條はいらない、というのではありません。憲法9條に負けたままでは、とても憲法9條を生きるということはでないはずだな、と思ったのです。憲法9條に負けたまま、というのは、ただ憲法9条を有り難がっているだけでは、という意味です。」(P8,9)
 こうした身をねじらせての思考は辺見庸のEテレの姿勢と共通したものがあります。京都アニメーション放火事件はまだ容疑者の青葉真司の動機がいまひとつはっきりとしていない現段階では、なんとも言えません。がどことなく、「相模原障害者施設殺傷事件」と同じ土壌から出てきた事件であるかのように感じられますが、考えすぎかも知れません。
 今回の参議院選挙の結果、れいわ新選組から立候補2名の身障者が当選したことは、あの事件と必ずしも関係がないとは思われませんがいかがでしょうか。

 そして、私の3・11の災難から1ヶ月後、今度は東京・池袋で87歳の男が運転する乗用車が歩行者をはね、31歳の母親と3歳の娘さんを失った夫の口惜しそうな顔をみたのでした。

 ところで最後に、地方の友人が書いた短篇小説「交差点」の感想を、私の手の痺れを忘れて書いておきましょう。
この小説は高齢者が2名登場します。一人は88歳の高齢のタクシー運転手、もう一人はこの運転手の車に衝突される、やはり退職後の高齢者です。作者は確かな筆致でこの二人の人生の断面を並行して描いています。どこにもありそうな高齢な男二人の家族と夫婦の一齣です。その平凡な日常は多少の波風はありますが、まるで小津安次郎監督の映画のように、穏やかに、淡々として流れていきます。日本の最大多数の現代生活の風景といってよいでしょう。異常なものはなにひとつありません。夢のような日常と言ってもいいのです。この二人の人生が交わる場所が事故現場の「交差点」というわけです。交通事故は悲惨ですが、それを小さく暗示するのが最後にくる一行だけとなっています。お見事というしかありません。





講談「清水次郎長伝」広澤虎三

 春の旅~花はたちばな駿河路ゆけば~富士の山霞~風はそよ風茶の香匂う~唄が聞こえる茶摘み唄~赤い襷に姉さん被り~娘皆衆の艶姿~富士と並んでその名も高い~ 清水次郎長街道一よ~命ひとつを長脇差しに~下げて一筋仁義に生きる~噂に残る伊達男。
安政二年の四月の半ば・・・・と、みょうちきりんの天気のせいで、鼻風邪ひいて講談師広澤虎三「清水次郎長伝」を、耳にイアーフォン差し込んで、聞いていました雨の夏。雨は降るふる連日連夜、出てはくれないお天道さま、広澤虎三の声なめらかに、三味線まじりのかけ声粋に、男意気地の次郎長は、清水湊の任侠はだし、駿河の国の親分さん、わたしゃ生れは掛川の、小高い丘の龍華院、疎開育ちで五歳まで、暮らしていました宿場町~
 てなわけで、いぜんに記したブログの一節を、再掲したくなりました。ついでに、麻田哲也の「次郎長放浪記」という本へ手をかけて驚かされた。バカは死ななきゃ~治らない、というのが嘘なんかじゃないということが・・・・。

 <以前に、「浅草博徒一代」という文庫を読み、大変に面白かった。
 「清水次郎長」が岩波新書で出ると知ると、数日を経ず私は大きな本屋へその本を求めて行った。店員は在庫を確かめ、あることはあるはずだがと嫌な予感を残してレジの方へ行って、捜してくれたがなかなか見つからない。そのうち、平積みになった本の底から、やっと見つけ出した。私はホッとしたが、見つからないはずである。たった一冊しか入荷してなかったのだ。そうだろう。講壇が流行していた時代は遙か昔のことであった。
 ややお堅い文章と思いながらも、読み出したらこれが名文に近いものだと気がついた。荷風ではないが、思想なら誰にもあるものだが、文章はそう簡単にはないものなのだ。巻を置いて能わずに、2日ほどで読んでしまった。幕末の動乱の正史しか知らない人間には、この時代の裏社会で活躍していた博徒たちが、時代の動乱期にいかなる活動と試練、そして混乱をしていたかという、闇の歴史(「裨史」とされる)はほとんど知らされていないのだ。あまり売れそうもない題材ででは、大家を目指す時代小説家は、それでなくても資料の乏しい、この物騒な世界を触れたがらないのも無理もない。
 ひとむかし、東映の任侠映画が流行った時代があった。その当時はなんの興味も惹かれなかったが、後年、ビデオ屋で借りだし見だしたら、それにはなんとも言えない魅力があった。「緋牡丹博徒」だとかそんな映画だが、それがなんで面白いのかは、一度、一ヶ月ほど病院生活をして、昼の「水戸黄門」のテレビドラマにはまったことがあったが、不可解としかいいようがないのである。
 ともかく、清水次郎長は一代の侠客の親分だ。大政、小政、森の石松、などのコワイ徒輩を配下に引き連れ、闇のネットワークを津々浦々に張り巡らし、自分の縄張りを荒らす奴等は、いかなる手段を使っても追い出しにかかる。その出入りの凄惨なこと、例えば、次郎長の仇敵の黒駒勝蔵との血で血を洗う戦闘の粗筋を、この本でその一端を知らされるだけでおおよその検討はつく。こうしたアウトローたちが、あの幕末維新の政争に巻き込まれ、攘夷だ開国だと旗識の鮮明を強いられ、とんでもない運命に翻弄されるすがたには、いつの世にも歴史というものの何とも言いようのない悲喜劇をみることができる。
 本書は天田愚庵の「東海遊侠伝」(明治17年)なる次郎長一代記を下敷きにしているが、この伝記はまた中国の司馬遷の「史記」の「遊侠列伝」を拠り所にしているとのことだ。
 ここに司馬遷が遊侠の寄せた思いを、その「史記」の文章にあたってみよう。
 「今、遊侠は其の行ない正義に軌せずと雖も、然れども其の言は必ず信あり、其の行ないは必ず果し、已に諾すれば 必ず誠あり、其の躯を愛しまず、土の厄困に赴き、既に已に存亡死生し、而も其の能を矜らず、其の徳を伐るを羞ず。蓋し亦た多とするに足る者あり」
この本の著者、高橋敏氏は、この引用文のあと、こんな風に続けている。
ー悪びれることなく武力で決着をつけて殺人、掠奪と悪事を繰り返す遊侠の徒は正義の道から外れているが、こと言動の信義においては他の追随を許さない。ひとたびこれだと決断、信奉した人物に対しては言いだしたことは死守し、やくそくしたことは命を惜しまずやり遂げ、危急存亡と聞けば駆けつけ命を投げ出し献身する。それでいて実力を鼻にかけたり恩義を売りこんだりすることは恥として一切ない。ー
 ところで、この天田愚庵とは、いったい何者であったのだろうか。
 この本によれば、戊辰戦争のただなかで行方不明となった父母と妹を探し求め放浪の旅の果てに出家して禅僧になり、歌人として著名であったが、剣禅一如の人、山岡鉄舟(海舟、泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれた一人)と邂逅、明治十一年、人探しの裏情報に詳しいネットワークをもつ博徒の大親分清水次郎長を紹介され、その居候となり、見込まれて養子にまでなった奇矯の人とのことである。
 ここで登場する山岡鉄舟であるが、幕末から明治にかけて活躍し、後に明治天皇に見込まれた傑物であり、この人が単身駿河に乗り込み、陣を張っていた西郷隆盛に会うという勇猛果敢な快挙がなければ、勝海舟と西郷との江戸城の無血開城に至る談判は成り立ちようがなかったのである。そして、清水次郎長がこの山岡鉄舟に惚れ込み、博徒の大親分としての協力がなければ、鉄舟一人で官軍の中へ単身乗り込むことも、また不可能であったことが知られるのだ。
 いつぞや、家人と訪れた白隠老師がいた三島市の龍沢寺に、遙々と江戸から参禅した山岡鉄舟は、今では谷中の全生庵に眠っている。私が以前から参禅していた台東区松が谷の禅寺の老師は、この龍沢寺の老師さまになって、作務でお茶摘みをしにお顔を拝顔したところであった。
 駿府の裏事情に詳しい次郎長と鉄舟との篤い信義が、どのように生まれたかは、この本をどうか読まれんことを。まことに、歴史の裏面というものには、ことほど左様に人の逸興を誘う面白いものがあるものである。>
 
 ご参考までに追記しておくと、ウイッキーによれば、「寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代の大道芸のひとつである辻講釈(つじこうしゃく)に求めることができるらしい。太平記などの軍記物を調子を付けて語ったのが始め。明治時代以降、講釈は講談と呼ばれるようになった。そして、江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎えた。明治末期には立川文庫など講談の内容を記載した「講談本」が人気を呼んだ(その出版社の中に講談社がある)。また、新聞や雑誌に講談が連載されるようにもなったが、明治末に浪花節、昭和に入っての漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰微した。第二次大戦後はGHQにより、仇討ちや忠孝ものが上演を禁止され、その後テレビの普及によりやはり衰退した」

 だが、現代に講談なんかと高をくくってはいけない。この長い任侠の界隈をCDで聞いているうち、なんとも身の毛のよだつ人間の凄まじい息遣いをのぞいてゾッとしてしまったからだ。これに比べたら現代の文学がとても甘チョロいものに思われてならなくなった。だまし討ちで死んだ森の石松の登場によってその凄まじさは真に迫ってくるのだ。生死を賭けて肉薄してくる講談の語りが、義理と人情に隈取られた凄惨の裏社会から少しずつあぶり出されてくるこの世間が、どれほど骨抜きですれっからしの薄情に成り下がったかを悟らせてくれるからだ。嘘だと思うなら、この虎三の三味線まじりの語りをじっと聞いてみるがいい。次郎長、大政、小政等のこの集団が、伊達で長脇差しを持っていたわけでないことが、腹に沁みてくるはず。とても居合だなんかと真剣を握って空を斬っている現代の滑稽な迂闊さに身がつまされてならなくなるからである。



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ボルダリング式人生処世法

  なぜ人は自分が関心を懐いた事柄・知識を他人へ知らせたいという欲求に捉えられるのだろう。学問(科学、哲学)、いわゆる芸術全般は、この欲求から発している。
 右目は徐々に視力を失い、右手はお箸も握れなくなった。だが読書や花や風景や絵画を見ることを止められない。かつて、海に魅惑されているうちに、ダイビングをおぼえて内外の海へ潜りはじめていた。高い山脈を縦走して下山するやいなや、亜熱帯のミクロネシア諸島へ飛行機で飛び、コカの葉を噛んで真っ赤な口をあけゼロ戦闘機、赤錆びた戦車が朽ち捨てられたパラオ諸島やペリリュー島の青く透きとおった深い海へ潜っていたこともあった。家の中での本から本への渉猟は速度は落ちたとはいえ以前と変らないけれど、昔も今も変らないこの人生にはもううんざりするね。人生そのものもっとひろくいえば生物の進化そのものが波線をえがいて少しでも高い処へ手を伸ばしより高い地平を眺められたらどんなにいいだろうか。
 先夜、むかし徹夜で読んだ「風と共に去りぬ」の4時間の映画を録画したはずがわずか18分で、どこやら風とともに飛んでいってしまったのには呆れてしまった。南北戦争のアメリカこそアメリカらしく、明日は明日の風が吹くと跳ね返りのお姉さんはスカーレット、インディアンと幌馬車と騎兵隊が広野をかけずりまわり、二丁拳銃の早回しに酒場のカウンターをウィスキーグラスがすべり、早撃ち同士の銃口が火を吹いていた。フロンティアを求めての砂埃のまう西部劇の本場こそアメリカはアメリカらしい国であった。バートランカスターやジョンウエンが決闘も辞さず悪者は悪者らしく戦い死んでいった。トランプにはジョーカーもあったけれどハートはちゃんと揃っていたのだ。それなのにいまやアメリカはイーストウッドの映画「許されざるもの」の様相となったようだ。一枚のハートもない保安官は酒場のまえになぶり殺した黒人をさらし者にして平気の平太。逆説は好きではないがいまの保安官は立派に西部劇時代さながらの度胸と腕力のある人物としてこのゴミだらけの退屈な世界を適度に面白がらせてくれている。いまや世界中に西部劇映画さながらの舞台が生れ手に汗を握るシーンでハートをドキドキハラハラさせてくれているといってもいい。まことに人生花嫁御寮テンポ正しく握手をしましょう。みなさん今夜は春の宵なまあったかい風がふくと詩人じゃなくとも歌いたくなる。
 さてボルダリング式読書の一冊に涙なしには読めないと帯に記した小冊子をみた。暇にあまして一読すれば会津の明治人芝五郎の艱難忍苦のその半生にムダなニュースを詰め込んだ空虚なあたまとこころの底に熱き泪もながれてきましょう。明治33年義和団の乱を実地にみた芝五郎はさきの大戦ののっけからその敗北を断言した。この人の遺言から少々古くはあるがつぎの二つだけをここに引き写しておくとしようか。
 中国は決して鉄砲で片付くような国ではないこと。中国とは友人となるとも決して敵にまわしてはならないこと。下手をすると「魯迅」を書いた竹内好の予言を思い出すからだ。
 そして最後にたった数行でその著者と作品を紹介するにはあまりに失礼であることをお断りしておかねばならない故人がいる。
そのむかし、私はこの人の作品論や「作家の態度」を含む数冊の本を読み、また翻訳を通して相応なる敬意を払わざるえないことを痛感してきたが、それを語るべき相手が皆無であることに淋しい思いを味わってきた。今回あらためて読んだ福田恆存の「ロレンス『アポカリプス論』覚書き」は聖書一冊から西欧の根底への透徹した洞察が窺われて見事としかいいようがない。いつの日かといっても残りすくないのであるが、この人の書物へ正対してみたいとだけ述べて筆をおきたい。



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名曲アルバム 

 年をとるにつれ、視力の衰えに逆らうことが難しくなる。耳は遠くなり幸いなことに老妻の繰言は間遠になっていく。いままで見えた美人の顔から線がきえデッサンが翳のごとくなるのだ。生きる歓びがローソクの明かりに忍び寄るあやしい闇にとけていくのである。
 眠りにはいるとき昼に録音した名曲スケッチの二曲を聞く。だがこの春から毎日から一日に減ってしまったのはどうしたことだろう。老いての夢は荒涼として悲惨である。いずれ夢を録画して見ることが可能となるだろうがそれを見たいとは思わない。音楽の愉しみについて語るなら、NHKの「名曲アルバム」はテレビ番組の至宝といって過言ではない。名曲とともに流れる映像の美しいこと、外国の都市や公園の佇まい、若い男女の愛の交歓、静かに流れる川や海辺の波の永遠に変らない調べ、青い大空を飛ぶ鳥たちの飛翔、人間はなんと美しいものを作るのだろうとロシアの革命家は慨嘆した。およそ5分の至福のときがなんと幸福をもたらしてくれることか。バッハ、モールアルト、ショパン、ハイドン、ヘンデル、シューベルト、ドビッシー、パガニーニ、ロッシーニ、シューマン、メンデルスゾーン、リスト、シュトラウス、スメタナ、ブルックナー、ヴェルディ、チャイコフスキー、ドボリザーク、ビバルディ、べートーベン、ブラームス、サティー、フォーレ、マーラー、ピアソラ、シベリウス、グリーク、プッチーニ、ムソルグスキー、ヒンデミット、ベルク、ラミレス、フェリックス・ルナ、マヌエルポンセ、レスピーギ、そして、敦盛、五平太ばやし、カナリア、花、刈干し切り歌の日本の歌、etc もう数えたらきりもないほどである。
 滝廉太郎作曲、武島羽衣作詞の「花」を何度繰り返し聞いたことだろうか。これは隅田川を歌った曲だ。美しい花の映像がよかった。福岡県の民謡「五平太ばやし」を聞くと、その威勢のよい太鼓のリズムに元気が湧いた。作詞は火野葦平。中国に出兵していた火野に芥川賞を持っていったのは小林秀雄であった。火野は「えらい奴がきおる」とつぶやいたらしいが、小林はこの火野について一言半句も記していない。戦後数年に自殺したこの作家を誰も論じることもなく、評伝らしきものもない。宮崎県民謡「刈干し切り歌」もよいものであった。
「わが友よ。君があれほど好きなハイドン、その名は調和の聖堂にかくも輝かしい光輝を投げているあの類いまれな人物、彼はいまもなお生きている」
 スタンダールは「ハイドンについての手紙」の冒頭に書いている。若きむかしに愛したスタンダールを私は忘れていたわけではないが、それを知らずとも私はハイドンがなぜか好きであった。
 落ち着きのあるハイドン、静かなるハイドン、あたたかいハイドン、そうだそれらすべてはスタンダールが示した一語「調和」にあったのだ。「調和」こそはもっとも美しく、この世に平和をもたらす。
 ニーチェが一時陶酔したワーグナーとその後決別したニーチェの哲学と音楽について、若いカミユは「音楽に関する試論」で分析にこれ勤めているところだ(「直感」所収)。だが「『芸術』は『理性』に耐えられないという結語をえるために、ショーペンハウアーの音楽とニーチェの哲学を詳細に論じているその論理の階梯をたどる煩瑣には、これを避けているにしくはないように思われる。
 さて、ある深夜、ショパンの「ノクターン」を聞いて私はゾッとした。パリの墓場で眠っているショパンよ、あなたの墓石は美しかった、これでもかと供えられた花束はみなどれも素晴らしいものであった。だがあの深夜に聞いた「ノクターン」だけはどうか墓石の中に隠しておいてくれ給え。二度を私に聞かせないでほしいのだ。音楽は私には平安とこの上ない幸福の慰藉なのであるから。
 



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天然の観察

 ある朝、クラノスケが新聞の上に乗ってきた。猫が新聞を読むわけではない。それまで石油ストーブの上にいたのに、主人がひろげていた新聞の上にのったりと移動してきたのだ。この動作を二度繰り返した。主人は新聞をひろげて考えごとをしていたのだ。クラノスケはそれを邪魔するように、その新聞の上にドタリと腰を下ろした。自分が蔑ろにされていることが面白くないらしい。朝は一晩ねて食事をしたあと、クラノスケは悪戯をしたいのである。それなのに主人がテーブルに新聞をひろげたまま、ボッとしているのが物足りないのにちがいなかった。こんどは主人の目がクラノスケを注視した。不満気な表情をしたクラノスケは、耳を盛んに動かしている。キッチンにいる細君の様子を窺ってもいるのだ。外からの入る物音にも気になるので、目と耳を四方八方に配っているのであろう。動物にはどうやら外界だけがあって自分というものはないらしい。だがほんとうにそうだろうか。ときどき外界へ反応して声をだしているのはもちろん声であってことばではないらしい。ならば「ことば」とはなんだろう。動物の「声」はたしかに人間の「ことば」とは異質なものだ。だが動物の「声」が「ことば」のように思われることがあるのもたしかだろう。安眠しているクラノスケを起こすと、「ブッ!」という不満な声を発することがあるのだ。
 さて、主人がひろげていた新聞には、関心をひく記事が幾つかあった。このうち二つが見開きの新聞に並んでいた書評であった。まず「銭湯図鑑」(塩谷歩波著)。主人はときどき隣町の銭湯に行くので、なんだろうと思ったのだ。著者は建築関係の人だが銭湯で働いたこともあったらしい。そこから「銭湯図鑑」という本を書いたのだ。主人は銭湯に建築的な興味をもったことはない。ただあのほのぼのとした空間に真裸でいることが好みだったのは中学生のころからであった。家に帰ると母親が主人の長湯に呆れたように「あなたはお風呂屋さんでなにをしているの?」と尋ねられたことがあった。浴槽の縁に腰かけて、午後の陽ざしに明るく照らされている高い天井をボッと眺めているだけであった。ときどき、男がふたり仲良くしているのに出合うことも、中学生にはその二人がどんな関係にあるかもわからずに、ただなんとなく面白いことであった。広い浴室から着替えの部屋へ出ると、三橋美智也の歌が聞こえた。「松風さわぐ丘のうえ・・・・」なにかそんな曲だった。主人はあの歌と声がいまでも好きなのである。つぎに主人の目にとまったのは「天然知能」(郡司 ペギオ 幸夫著)というこれまた本の書評だ。だがもう内容は覚えていない。つぎに紙面をめくると、アジアの人類の古代史について書かれた本の書評にまた関心がいった。なんだかこの三つの記事がどこかでつながるような気がしたが、それいじょうにはわからない。主人は自分の本にのせた美術論にむずかしいことを書いたのだが、もっと簡単なことなのにと、それを自分にひきつけて書き直そうと思っていたのであった。
 クラノスケはさっきまで、主人の机の上にいた。ぷいと退屈してどこかへ遊びに行ってしまったらしい。それは主人の母親が家にかかってきた友人の電話へ愚痴を言い、それを友人が主人へ面白おかしく再演してくれたことが思い出された。
「あのこはどこへ行ってしまったのでしょう。ぷいと出ていってしまいましたが、あなた知りませんか?」
 まったく動物は「自己本位」だと主人は苦々しく思い、もう自分の部屋なんか入れてやらないと、またいつもの残念を繰り返した。




プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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