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数学は最善世界の夢を見るか?

 梅雨の雲が霽れて、うっすらと東の空が明るくなった。だがどうしてか、私のこころは晴れてくれない。これから、近所の社交ダンス教室へ行かねばならないのだ。スロー・スロー・クイック・クイック、スロー・スロー・クイック・クイック。
 「ね!簡単でしょう」とご婦人の指導員は頬笑んで言うのだが。私はひそかに溜息をする。「そう!ほんとに簡単なことだ」と、ご婦人指導員に賛成する。だがこれは私の社交的な笑顔である。ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」。あの華麗な舞踏会のシーンなどを思い浮かるべきではない。貴族のあの豪奢な室内。美青年のアラン・ドロンと美貌のクラウディア・カルディナーレ。あの若く、美しい二人の姿は、なんと素敵なことだろう!この日本では、あのような貴族のパーティーあるわけではないし、依然、明治の鹿鳴館に見られた西洋の模倣が、庶民レベルで大衆化し、いまや、高齢者の老化予防の健康法にすぎないのだから・・・。 
「糞!」(ああ、なんてお下品な嘆息か!)「さっき私の足を踏んだヤツは、ダンス用の硬い靴なんかを履いて、いかにも嬉しそうに踊っていたが、ここは初心者向けの社交ダンス教室なのだ! そもそもあの黒いイタチ野郎が、ダンスなんてする柄かね・・・shit!」
 日頃、居合だとか合気道とか、武道に明け暮れして、少々、殺伐な気分に陥っていたのが柔らかいご婦人の手をタッチしているうちに、どことなくほんわかと柔和な気分になってくるから不思議である。それだけでも得難い体験ではないだろうか。私は10回のレッスンを全部参加する悲壮な覚悟をしているが、多分、終わった瞬間にすべて(ブルースもマンボもワルツも)を忘れているにちがいない・・・。
 実は、その夕暮れに私が洩らした溜息は、別のものが絡んでいたのだ。
「数学は最善世界の夢を見るか?」(イーヴァル・エクランド)をやっと読み終ったところだった。その文章はあたかもモーツアルトの音楽のように、滑らかに調子がよい。その流れるがごとく平易な文章に比べ、その内容といえば、ヨーロッパのギリシャ以来の学問(哲学、数学、天文学、生物学、物理学、経済学、政治学等)の泰斗がつぎからつぎと、綺羅星のごとく現れては消え、最終章の現代科学の成果とその限界までとどまることを知らない。著者は外交官の父と哲学者の母とを持ち、パリ高等師範学校を卒業しパリ第9大学を中心に数学の教授を務めと、肩書きを並べだせばキリもないので省略する。
 翻訳者の南條郁子さんが「あとがき」で述べている「本書の今日的な意味」を紹介してみよう。
「本書はたとえば『最善世界』というテーマを経糸に、数学、物理学、哲学、生物学、経済学といったさまざまな分野の話題を一冊の本に織り上げた科学史的な読み物として、時流とは無関係に楽しむこともできる」
 私にはとても楽しむなんていう資格がないのは、社交ダンスのあのイタチ紳士を眺める目と同類というほかないのである。最後まで読むだけでも、呼吸は乱れ幾度水を飲んでしまったことだろう。海中でのダイビングでは、シュノケールから空気ボンベに繋いだレギレーターへ呼吸経路を変え、数メートルを潜りだすと鼓膜は敏感に水圧を受けて痛みだす。それで耳抜きを行うわけだが、ビギナーはここで最初の試練をうける。だが幾度もこれを経験しているうちに、唾を一度飲み込むだけで自然に耳抜きができるようになるものだ。同じように章立てを幾つか越えるうちに、私も著者の思考の運動に馴れだしたようだ。そして一気に本書を読み終えた後に、私は科学的な思考がいかなる広闊な視野をこの人生に提供してくれるかを喜び、驚嘆したことだけはたしかであった。だが私が二十代で本書を読む機会が仮にあったとしたならば、いまとはまったく別の人生の軌跡を歩んでいただろうなどと想像すべきではないのだ。それは「クレオパトラの鼻」について記したパスカルとなんら変わらないことなのだから。
 本書の最終章の「個人的な結論」から、その冒頭の数行を引用しておこうか。
「これまで本書で語ってきたのは失敗の物語ではない。それどころかこれはとてつもない予想外の成功の記録である。ガリレオが土星の輪や月の山や海を見つけるのに使った素朴な望遠鏡と、地球から数千マイル離れた宇宙を巡航し、何十億光年も離れた銀河の画像を送ってくるハッブル望遠鏡との間は、わずか四百年しか隔たっていない。現代の物理学者はもはや塔にのぼって石を落としたりはしない。そのかわり、直径が数マイルもある円形加速器の中で素粒子を衝突させる。ガリレオが初めて唱えた落体の法則も、今では時空のもっと深い性質を包み込んだアインシュタインの一般相対性理論から導かれるちっぽけな結論にしか見えない。」
 本書の原題は「LE MEILLEUR DES MONDES POSSIBLES」であるところを、日本語版のような題名をつけた仰々しさに疑問を覚えないではないが、本書の全章を読めば、おそらく、腑に落ちることだろうと思われる。また、著者が紹介するイタロ・カルヴェイーノ「なぜ古典を読むのか」(須賀敦子訳)で賛嘆されるガリレオに関する十数頁は、どこか著者自身の文章を髣髴とさせると言っておきたいものがある。
  なお、ガリレオがピサの大聖堂の大燭台が揺れるのを見て、振り子の原理からアリストテレス以来の科学的な革命をしたという6月22日は、丁度私が本書を読み出し日であり、偶然に、私はその頁をめくっていたのである。著者がダランベール賞を受けた「偶然とは何か」を、いつの日にかまた読む機会があることを願って筆を擱こうと思う。


数学は最善世界の夢を見るか



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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