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日曜の朝、風呂屋へ行く

 日曜の早朝から、お湯に入れるお風呂屋のチラシをみた。自転車でもさほど遠くではない。
合気道と居合道の稽古がつづいて、身体の節々が軋むように、悲鳴をあげている。竜八は早速、実に久方ぶりに、風呂屋へ行くことにしたのだ。地図で場所をたしかめ、チラシ一枚握り、「神田川」の歌の文句ではないが、風呂屋の石鹸カタカタ鳴らし、広告にでた風呂屋の玄関にはもう長蛇の列をさえ想像して、自転車を走らせたという按配だ。
 名前は「燕湯」といかにも、すいすいと空をきって飛ぶ、闊達な小鳥の名前。それでなくても、中国とのすっきりしない、あたふたと自信も落ち着きもない政府要人の態度を見せられ、しょぼしょぼとした両目で不安そうにあたりを見まわし、ヤニでもくっついていそうな貧相な顔をしたカン・カン総理の、なにやらはっきりとしないボソボソした声の国連演説を聞かされて、しんきくせいのなんのってもない。日曜の朝から、ムシャムシャした気分だったんだっていうんだ。
 秋空を見上げながら、朝風呂に浸かりにいくなんて、こりゃいい気分転換になるにちがいないだろうと、竜八は秋晴れのいい気持になって、自転車を走らせて風呂屋へ向かった。
 だが、風呂屋の戸を開けたら、二つの浴槽に客が二人、洗い場には数人の老人じみた男ばかりが、しけた顔をして、まるで刑務所の風呂場にでも来てしまったようなありさまだ。
 ひとり自転車ですっとんできた、自分がアホのように思われたという。
 見上げれば、一応、たっぱの高い天井を仰ぐ心地がして、むかし懐かしい風情もしないこともない。浴槽の壁に富士山の秀麗なペンキ絵なんぞが描いてあった。せっかく来たんだ、ゆっくり、のんびり、日曜の朝風呂を楽しもうと、そんな気分に竜八はなっていたんだ。
 普段からカラスの行水なんて、細君から笑われているので、この日はたっぷりと石鹸をからだにぬりたくり、足の裏から頭のてっぺんまで、洗いに洗ったらしい。洗いすぎて股なんか痛いくらいだ。いつもは二分のところを、およそ一時間たっぷりと時間をかけたせいである。
 そこへ、後からきた男が隣にすわった。見ると背中から腰のあたりまで、立派な刺青が見える。これもまた懐かしい昭和の貌であった。大きな蛙に抜き身の剣を持った武者が大見得を切っている絵柄らしい。どこぞかで見た歌舞伎の舞台を思いだした。その歌舞伎の噺を思いだそうとしている最中である。
 刺青の男は、遠慮なくお湯をじゃぶじゃぶと使い放題、そのうちに四方八方へとお湯を散らすので、竜八の顔にまではじきとんだ。
「ちょいと、お湯が威勢よくとんでくるねー」と、笑顔をつくって、歌舞伎の口上でで男へ一声。
 男はちょいと竜八をみるっていと、ごめんなさいと言うでもなく、口のなかでカンカン総理よろしく、モガモガと口を動かしたが、なにを言っているのか定かではない。
 せっかく気分転換にきた朝風呂である。竜八は粛々として事を荒立てない平和外交に終始しようとした。そのうち、シャワーを頭じゅうにかけ流して、男は髪を洗いだしたのだ。竜八はやっとのことで、少ない髪の毛を梳かして、整えたばかしであった。そこへ男のはねとばした石鹸のまじったお湯がつぎつぎとかかるではないか。
 ねめつけてはみたが、男は石油でも掘り当てたのか、弱腰に終始していたこちらには目もくれようとしないらしい。まるでおまえなんか眼中にないとの高姿勢であった。
 竜八は立ち上がりざま、男の座っている丸椅子を、足先で蹴飛ばした。達磨落としのように、男の尻が落ちると同時に、男は尻餅をついて後ろへ転がった。
 さすがの男も突然のこの奇襲攻撃には吃驚仰天。起きあがって竜八の襟、なんて言ったって真っ裸だから当然に襟なんていうものはないので、竜八がわざと伸ばした腕くびをぎゅっとつかんだ。男に腕をつかませたままの男の腕を、竜八はからだを退いて下に落とした。竜八の腕を握っていた男のからだが前のめりにくずれたところを、男の左側面に右脚を入れ、自分の身体を転換し、合気道の入り身の動作で、男の左横に肩を重ねると、そのまま数歩を前進した。浴槽まで男を連れてきたところで、右腰を入れて男の体を前に押しあげた。
 ちょうどいい具合に、男のからだは浴槽の中へざんぶりこと、背中から墜落したようだ。
 男はあまりの早技に、自分がいつの間に、また、浴槽に浸かっているのかわからないらしい。
 かくのごとくに、外交は相手の様子を見て、機をみて敏に動かなくてはならないのである。
 竜八は、平気でからだを拭き終わり、洗い場を粛々と歩いて、着物をつけ、茫然とこの一場を眺めていた番台のご婦人に、
「ありがとう。いいお湯だったよ」
 と、粛々として、風呂屋を後にしたということだ。
 戸外に出ると、燕ではなかったが、秋空にトンボが一匹、スイっと飛んでいくのが見えたらしい。



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masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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