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ショパン生誕200年

 今年は、フレデリック・ショパンの生誕200年だそうである。
 ショパンというと思いだすのは、パリのペール・ラシューズの墓地で、偶然、目にしたショパンの華麗な墓石である。それはいかにも、ピアノの詩人に相応しく、あまたの花に飾られた純白の大きな館のようであった。それに引き比べ、私がそのとき、誰一人見かけない夕暮れの墓地を歩きまわり、木々の蔭にようやく見つけた画家ドガの墓は、一目を忍ぶような小ぶりな墓であった。花のパリへ行きながら、お墓参りをしているのは相当奇矯な趣味人と思われても仕方がないであろう。こうした変人がやりそうな癖を「探墓癖」というらしいが、荷風散人がいかにも好みそうな趣味で、私はそれを荷風から受け継いだのであるが、私が誕生した場所は静岡のお寺の境内で、その寺には徳川家光の霊廟もあり、墓場はいわば幼少の頃からの遊び場であったのだ。
 それはさておき、数年前、パリにいる娘が紹介してくれ宿泊先が、蝋人形館があるパッサージュの突き当たりの「ショパン」というホテルだった。この蝋人形館で、私はマリリン・モンローの微笑に酔い、ロンパリの目つきをした哲学者のサルトルの肩に腕をまわし、ブリジット・バルドーのお尻を撫で撫でして、ご満悦であったのだ。
 私はモーツアルトやベートーベンほどに、ショパンの音楽を聞いていない。いかにもサロン風のこしゃくな曲が私の多感な肌に合わなかったのか、繊細で技巧的で曲想が若かった私の心臓を掠めてはくれなかったのか、しかとはわからない。音楽評論家の吉田秀和氏は「私の好きな曲」という本の中で、「ショパンは精神の問題を避けて、芸術を作りすぎた」と、なんだか不得要領な感想を述べている。
 だが先日の夜、ある若い作家がテレビで紹介していた「バラード4番」は、かの詩人のボードレールが嫌ったあの男装のジョルジュ・サンドと共に暮らした家で作られた名曲に思われのだ。その作家に言わせると、芸術はある「気がかり」から、偉大な作品が生まれるということだ。とくにショパンのように、病弱な神経の持ち主には、そういう傾向があるらしいという想像はつく。「気がかり」は人間のある気分の一様相で、誰しもこの人生で経験することであり、あの「存在と時間」の哲学者も刮目している精神の一要素であり、その弟子のボルノーも「気分の本質」で一著を表す体のもので、その下には海のごとくに深甚な無意識(文節化以前)の芸術の宝庫が眠っていたということなのだろう。
 すこし脇道に逸れるが、乏しい財布から一枚のレコードを買っていた学生の頃、それを駅に立ち小脇に持っていた私へ、「ワー、いい趣味がありますね」と言った男は、30数年ぶりに、めずらしく出席したクラス会に来てはおらなかったのだ。彼は某有名な洋酒会社へ就職したが、同じ会社の宣伝部に高校時代の友人がにいたこともあり、一二度、会社へ訪ねたことがあったが、社員が廊下を小走りに働いている様子に、好景気の会社で働く苦労を想像して、私は嘆息したものだ。クラス会の面々も還暦を過ぎ、昔の青年を思いだすよすがもなく、つるつるに禿げるか、バーコード印の髪をわずかに留める熟年紳士たちで、顔も名前もおぼろに思いだすのが精一杯のていたらく。仄聞するところ、ホームで声をかけたその男は六十歳近くに末期癌で定年前に会社を退職し、昨年だかに亡くなったとの由であった。実直で真率なその好男子は、私の期待も虚しく逢えることはなかったのだ。
 さて、ポーランド出身のショパンの話しであった。私が持っていたのは、ルービンシュタインのスケルツォの1番から4番とバラードの1番から4番のレコードであった。だがほぼ40年ぶりに聞いたショパンのレコードは私を動顛させたのである。ピアニストのルービンシュタインもポーランド人であり、ピアノの詩人と言われたショパンも同じ熱き祖国ポーランドの血が流れていたのだ。スケルツォ1番の出だしの不協和音にまず驚いた。つぎに、バラード1番の物憂い出だしにもこころを打たれた。レコード針がひきだす音は格別なものがあるのだろうか。デジタルな信号音に馴れた耳に、アナログの紡ぎだす音は、自然である私の肉体に眠る無意識を呼び覚まさましてくれたのかもしれない。それとも、祖国ポーランドの血がこの二人を結びつけたためでもあろうか。ゲーテは「あるジャンルの最高の作品は、そのジャンルの枠をのりこえてしまう」といったそうだが、ルービンシュタインのショパンにはそれがあった。私は過ぎ去った40年の時をふりかえった。音楽は気まぐれな私を夢みさせ、ときには邪魔にも思われたが、それは私の人生の背後に帆走する小流れのように、現れてはまた消え、消えたと思いきやまた現前したようである。
 80年代にはなぜかグスタフ・マーラーが一時ブームとなり、私はそれ以前からマーラーは全曲を、ラジオから収録し、都響の上杉指揮の演奏会に上野へ出かけたが、その頃より耳鳴りがはじまり、いまもって治癒していないのは、もしかしたらマーラーのせいなのかもしれないのだ。そういえば、中島梓の「コミニケーション不完全症候群」は、その当時から兆候を示しはじめた病識なきある種の精神の病症を、少女マンガや少年犯罪にメスを入れて、分析、論評したものであった。この一書はオームを予言するものだと、当時、一部の論者に絶賛されたそうだが、残念ながら、作者は近年他界してしまった。1985年の「プラザ合意」以降、為替制度の自由化の波は、円高の基調を呼び寄せ、日本経済は空前の景気の泡に乗り、また溺れて漂流しているうちに、マネーゲームに惨敗して10年、いや、20年、30年が経過したのであった。この間、冷戦が終わり、世界的な政治・経済・文化の臨界点のひとつを、このときに越えたのかもしれないのだが、それを一部の識者は「ポスト・モダン」と称していたのだろうか。39歳で歿したショパンは、いまよりもずっと生きやすい時代を、生きたピアノの詩人であったのだろうか。いやいや、詩人に生きやすい時代などはないのかも知れないのだが・・・・。
 今時、21世紀も20年を経て、世界の様相は一変し、東アジアでは硝煙の臭いが漂いだしてきたが、私は分厚い「聖書」をすこしづつ読むことで、憂さを散じようと思案しているところなのだ。
 果たして、私の耳鳴りはいつ止むのだろうか。あるいは、世界中の「気がかり」が嵐となり、山も海も森もフォルテッシモの洪水に、耳鳴りなど聞いている長閑な時などはないのかも知れない。


 

プロフィール

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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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