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「火宅の人」西行

 本居宣長は国学の入門書とでもいうべき「うひ山ぶみ」で、こんなことをいっています。
「・・・すべて人は、かならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはかなはぬわざ也。歌をよまでは、古の世のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし、万葉の歌の中にても、やすらかに長高く、のびらかなるすがたを、ならひてよむべし」
 現代人にはこの擬古文で書かれた文章はちょっととっつきづらいものですが、生涯の大作「古事記伝」を執筆した安堵感の中で、国学を志す者へ道しるべを示した書であります。宣長は自分でも歌を書いていますが、やはり有名なのがつぎの辞世の句でしょう。
 敷島の 大和魂を人問わば 朝日に匂う山桜花

いかにも国学者らしい歌で、素っ気ない味が味噌ですが、現代でも春になれば桜の花に浮かれる日本人の魂の根幹を衝いています。思想は大衆の無意識に根を張ることが理想という考え方からすれば、宣長の学問は後世の日本人の心を動かしたといえるのか。あるいわ、学問が大衆の無意識を吸収していたということなのであろうか。女子サッカーの「撫子ジャパン」こそ、「大和魂」の顕彰というわけで国民栄誉賞を与えられたわけではないだろう。 辞世の句ということなら、一等人気があるのは、西行法師のつぎの句になるらしい。

願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

 まだ若い頃に、歌や俳句を詠んでいた母が亡くなったのも、三月だったのを思いだします。ついでに、1970年の晩秋に自決した三島由紀夫が詠んだのがつぎの一首。

益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へし 今日の初霜

 いまから25年ほどまえ、西行の「山家集」(新潮古典集成)を仲間と読んでいた頃に、つぎのような一文をある新聞に掲載したことがあった。西行の歌は、古今和歌集に数多く採用されている。

               ∽  ∽  ∽   

 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、その貫徹するものは一なり

 有名は芭蕉の「笈の小文」の一節である。まことに平安末期の歌人西行ほど、伝説と物語に織りこまれ、慕われた歌人もめずらしい。
 「西行物語」をはじめ、「とわずがたり」「源平盛衰記」「発心集」「古今著門集」「選集妙」「謡曲江口」「雨月物語」など、西行には後生が書きとめ、讃えずにはおられない魅力があったからであろう。

惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは 身を捨ててこそ身をも助けめ

 鳥羽院の下北面の武士、俗名佐藤義清が出家したのは、保延六年(1140)十月十五日、二十三歳の時であった。
「重代の勇士たるを以て法皇に仕う・・・。俗時より心を仏道に入れ、家富み年若く、心愁ひなけれども遂に以て遁世す。人、之を賛美するなり」と、保元の乱の戦いに敗れ三十七歳の生涯を閉じた藤原頼長は、その日記に西行の印象を記している。

世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ

 こう詠んだ西行の出家の因などを詮索してもはじまらぬが、人々はよほど気になったらしく、失恋や近親者の死などとの説がまことしやかに流布された。西行にしてみれば、世を背かざる得なかった自分の心という自然の奇怪な力に、抗しかねたにすぎなかったろう。

浮かれいずる心は身にもかなはぬば いかなりとてもいかにかはせむ

ここをまたわが住み憂くて浮かれなば 松はひとりにならむとすらむ 

 孤独な草庵の生活でさえ、「浮かれいずる心」というしかない西行の狂躁を飼い馴らす手立てはなかった。歌は、雲や風のようにそういう西行の心を過ぎる、その静止と流動の一瞬の形姿という以外のなにものでもないのである。

あわれあわれこの世はよしや さもあらばあれ来ぬ世もかくや苦しかるべき
 
 恋の歌として詠まれたこの悲歌に、捨てて捨て得ぬほどの西行の生への思慕と恋情が溢れている。「西行物語」では、出家の決意を固め帰宅した西行が、縁に出迎えた四歳の娘を蹴おとしたと伝えている。西行の歌から察すれば、こういう逆説的暴挙を鎌倉時代の物語の作者らが、西行出家の一場面として思い描いたとしても不思議はない。

  ーとても、地獄は一定すみかぞかし。

 親鸞の「歎異抄」の一節は、「火宅の人」西行の想像を少しも奇異に感じさせるものではないからである。中世人よりもむしろ古代人に近く、「生得の歌人」西行の肉体をささえた真率なその歌は、西行の肉体とともに速やかに滅び去った。

年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山

 「命なりけり」のこの一句に、末法乱世の歴史の一転換期を生き抜いた西行の全人生が、夕陽のように照り映えている。
 現代にはもはや中世にみられた出家遁世は存在しない。一個の生を社会の外へ賭け、月や花を友とし、念仏を唱えながら朽ち果て往生を遂げる果敢な人生の意義を、誰も信じていないからである。現代にあるのは惨めな蒸発にすぎない。そして我々はまた中世の人々のように、姿を消した人間の行状と無常を思い、同じ発心を顧みる熱い心を持っていないのだ。

ー現代人には、鎌倉時代のなま女房ほどにも、無常といふことがわかってゐない。常なるものを見失ったからである。(「無常といふ事」小林秀雄)
 


     西行2


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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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