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「婉という女」補遺

 以前のブログで、高澤 秀次の論文「吉本隆明と文学者の『原発責任』」のインデックスのみを載せたが、いかにも紹介不足の感を拭えないと思い、以下のとおりさらに、高澤と槌田の理解の詳細を補筆しておきたい。 

 槌田敦という人物は、日本を代表する資源物理学者で、1957年に都立大の物理化学を修めたのちは、東大から理研へというふうに研究生活をするかたわら、いくつもの先駆的な著作を世に問うた。『石油と原子力に未来はあるか』『エネルギー 未来への透視図』『石油文明の次は何か』等である。
 上記の3冊は一言でいえば、次のことを明示した。
(1)石油文明とは、石油で熱して水で冷やす文明である。
(2)地球は、石油文明が放出する物エントロピーを熱エントロピーに変える機構をもっていない。
(3)原子力技術は当初からの試行錯誤のうえ、これらの技術限界を無視して原子力発電に向かった。
(4)太陽光は無公害エネルギーではなく、地上最大のエントロピー汚染の発生源である。
(5)太陽エネルギーを活用しても水を活用できなければ、地球の文明的循環は確立しない。
 まことに明快な見解だ。『資源物理学入門』は、これらの見解をもっと説得力のある手順で解説した、かなりハイパーな科学技術論的な一冊だった。これまた30年前の著書であるが、当時すでにしてちょっとした名著だなとぼくは感じていた。ところどころにぶっちぎりの論法が入ってはいるものの、いまでももっと読まれるべき本だろう。反原発派が太陽エネルギー主義に向かっている今日、とくに(4)や(5)の見方をよくよく賞味するといい。

 槌田の資源物理学の考え方の基本は、われわれは「生きている系」と「そうでない系」の両方を見なければならないのだが、その違いを知るにはエネルギーの動向や消費だけにとらわれないで、エントロピーの捨て方を勘定に入れなければならないということにある。
 地球はこの勘定がうまく組み立てられた系である。45億年の歴史をもつ地球には、マントル対流、プレート活動、地震、火山爆発、潮流移動、気候変動、異常気象、暴風雨、そして光合成を筆頭とする多様な生物たちの新陳代謝の活動といった、実にさまざまな活動がある。これらはすべてエントロピーの発生源であるが、それでも地球は全体としてのエントロピーを定常的に保ち続けてきた。これは地球がエントロピーを捨てる機構を自動的にもてたからである。
 地球には重力がある。地球の物体が重力に逆らって宇宙空間に飛び出すことはめったにおこらない。地球は物エントロピーを捨てることはできないのだ。一方、光は重力の影響を受けないから地球はこれを利用して熱エントロピーを捨てることができる。この、重力による物エントロピーと光による熱エントロピーの収支バランスが、地球をなんとか維持してきたのだった。
 生物は「生きている系」である。「生きている系」には代謝と廃棄と摂取がおこっている。これらは大量のエントロピーを生じさせる。しかしシュレディンガーが推理したように、この3つの活動には「負のエントロピーを食べる」という性能、すなわちエントロピーを排泄する能力があった。生物は基本的には水と光合成を活用して、物エントロピーを熱エントロピーに変える能力をもったのだ。
 これに対して文明は、エントロピーを物体やエネルギーに付着させて捨てるというしくみで地球を覆っていた。文明は「生きている系」に対する「そうでない系」をつくりあげたのだ。そのため大量の資源を消費することになった。もしもエントロピーだけを捨てることが可能なら、資源などというものはいっさい不要なのである。言い換えれば、余分のエントロピーだけをうまく捨てられるなら、その系(システム)はいつだって元どおりになれるのだ。
 しかし、文明はそうはいかない系をつくってしまった。そのうえで人間という「生きている系」を「そうでない系」のルールに押し込めてきた。

 そもそも技術とは何かというと、本来は自然に消費されるべきものをあえて別の道筋に流して消費するようにすることをいう。これが技術というものの宿命的な本質である。したがって、技術は資源としてのエネルギーを、なんらかのしくみによってエントロピーとして流せなければならない。
 ところが文明はそれができにくい方に技術を発展させてきた。たとえば町中が冷房装置をつければ、町中はますます熱くなる。冷房は屋内の熱エントロピーを屋外に捨てる技術行為だが、その行為は熱エントロピーを増加させるわけなので、しだいに熱エントロピーを屋外に捨てにくくなり、そのための技術開発をせざるをえなくなっていく。
 これはエントロピー・モノレンマだ。ジレンマはあちら立てればこちらが立たずということだが、文明がもつエントロピーは自分の処理だけでモノレンマに陥ってしまう。それが石炭文明から石油文明へ、石油文明から原子力文明に向かうにつれ、にっちもさっちもいかなくなった。
 これは「どのエネルギーを選択すればいいか」という問題なのではない。たとえ太陽光エネルギーを選んでも、エントロピー・モノレンマはおこる。唯一考えるべきなのは、「水」をどのようにエントロピーの吸収に使うのかということである。われわれはあらためて、水の気化熱、水の比熱、水の溶解力に注目を向けなければならないだろう。槌田は、そう展望してみせた。すばらしい30年前の展望だった。水こそ、文明が事故に対して対処する「母なるもの」なのである。



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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