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女優 森光子

 いつだったか、新宿の林芙美子記念館へ三人の子供を連れて、家族で行ったことがある。九十二歳で亡くなった母が若い頃、この林芙美子のファンで「放浪記」を愛読し、一番最初に生まれた長女に「芙美子」という名前をつけていたことでもこのことは分かった。そんな母(名前は光子)の奨めもあって中井駅からこの林芙美子が自ら設計した住居に訪れたのだ。
 私も林芙美子原作の小説の映画「浮雲」を家族が実家に行った正月に、一人家に残ってテレビで見たことがあった。私は深く感動して憚りもなく涙が流れるにまかせた。この映画には戦後の荒廃を生きる男と女の悲しいほどの生業(ないわい)が、高峰秀子と森雅之という二人の名優の演技によって、成瀬巳喜男監督の秀作映画となっているのは見事という他はない。私は私の第三詩集「カモメ」のあとがきに、小説「浮雲」から戦後の日本を生きることがどんなことなのかを諭されたことを記した。生涯詩を書き続けた林芙美子は一人の詩人であるが故に、小説の王道へ推参が可能であったのだとおもわれる。
 「詩では十行で書き尽くせる情熱を、湯をさますようにして五十枚にも百枚にも伸ばして書く小説の苦痛」を、克服して「浮雲」のような端倪すべからざる本格的な小説を書き果せた林芙美子は、「創作ノート」につぎのように書いている。

ー小説は工夫や技術ではありません。その作家の思想なのです。人間を見る眼の旅愁を持つか持たぬかの道です。

 この林芙美子の自伝小説の「放浪記」を、劇作家の菊田一夫が脚本を書き舞台芸術に仕上げ、その主演にたった三分の森光子の舞台をみた菊田が抜擢した女優が、当時三十一歳の森光子であった。森光光子は大正九年に生まれた。これは私の養父が生まれた年でもあり、やはり養父も二歳で父と死に別れていた。同じように森光子も十三歳で両親に死別し、偶々、嵐寛寿郎と従兄弟の縁から、女優の道を歩みだしたという。だが鳴かず飛ばずの十八年、そのあいだに詠んだ川柳がおもしろい。

ーあいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ

 だが菊田一夫の直観は的を射ていた。舞台で見ているだけで涙がでると観客に言わしめた彼女の魅力は、ただ者ではなかった。戦争への慰問旅行で、直立したまま彼女の歌を聴く兵士たちの姿を、彼女はこころの眼でしっかと見ていたことは、つぎのようなことばに窺えるものである。

ーすごくつらいことが日本にはありました。でもそれを経験してくださいとはいいません。ただそれが癒されるような国であれば、嬉しいと思います。

 この婉曲的なことばづかいのうちに、彼女の感受性と全方位的な配慮と気遣いとが看取されることに、私はいたく感嘆したのである。
 逆境に耐え、工夫と努力と執念のすえに、女優森光子は二0一0年、齢八十九歳で「放浪記」の二千回の上演記録を果たしたのである。
 ロッキード事件後の田中角栄へのインタビューは、田中角栄をして感涙させたらしい。その彼女の真摯な姿勢になんの邪念も感じるものがなかったことに、一国の元最高権力者もこころを動かされたのにちがいない。

ー役者はさびしくないとやっていられない。幸せいっぱいじゃやれないの・・・。

 「放浪記」はその後十七回を更新されたが、「あきらめない」「あきない」心情で舞台に命を賭け、その稀有な光りを発して全力で駆け抜けた女優森光子は、今年十一月十日、九十二歳で眠るがごとくこの世に別れを告げたのだ。
 私の養父も今年六月七日、やはり九十二歳で他界した。六十六歳で亡くなった養母は、若い頃は森光子に似ているとよく言われたらしい。この夫婦の働き者であったことを、むかしを知る隣人から私は教えられたが、それは家人の一日の過ごし方からも推測できるものだった。両親の背中を見ながら育った故であろう。
 女優森光子とはなんであったのか。それは「放浪記」を書いた林芙美子が最後まで、詩を書き続けたこと、小説家の中に詩人という小さな巨人を蔵していたに暗示されている。
 すぐそばにいるだけで幸せになれる、そうした人間が少なくなりつつある昨今、女優森光子の逝去はまた一人の小さな巨人、偉大なる女優であった一人の庶民の星の輝きが夜空から消えたことを意味しているのだ。これはひょっとしたら、この国のなにかの予兆なのかもしれない・・・・。




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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