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「敗者」の精神

 1975年の春、現在のホー・チン・ミン市(旧サイゴン)が陥落し、15年に亘るヴェトナム戦争がアメリカの敗戦で終わった。天皇、皇后の両陛下が戦後、初めて公式にアメリカへ訪問した。11月下旬には、旧国鉄のスト権ストライキが決行。個人的な事だが、この11月に結婚して、旅行に北海道にいた私たちはカラの車両に乗る体験をしたので、この国鉄ストはよく覚えているのだ。以来、大がかりのストライキはこれが最後となった。60年の後半から始まり、70年代まで続いた世界的な変革の波はどうやらこの年あたりまでで終焉を迎えたように思えてならない。
 そして20年後の1995年は興味深い年であった。この年の冬に阪神淡路大震災があり、春にはオーム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。ちょうど戦後50年の節目であった。
 こうした年に満を持していたように、加藤典洋の「敗戦後論」が雑誌「群像」の一月号に掲載され、それを一読してある衝撃をうけたのだ。この本は「敗者」である日本人がその負荷を抱えながら、いかに自立していくべきか、その方向の模索を開始した加藤の記念的な一書であった。
 ごく最近に物故した博覧強記の特異な文化人類学者、山口昌男の浩瀚な「〚敗者〛の精神史」は、100人を超える人々の事績を扱い、その中には、NHKの大河ドラマのヒロイン八重の兄の山本覚馬やら、新島襄等が登場するのだ。同志社の設立に協力した中には、渋沢栄一や大隈重信までいたのは初めて知った。この本は明治維新の敗者が中心だが、その射程は太平洋戦争の敗者にまで延びていく視座があると思われるのだ。私はこの分厚い本をめくっていてその「結び」の一文にふと目を止めた。
 ここでその本からの長い引用を許されたい。
「本書で説いて来たのは、日本の近代の公的な世界の建設のかたわらに、公的世界のヒエラルヒーを避けて、自発的な繋がりで、別の日本、もう一つの日本、見えない日本をつくりあげて来た人がいたということである。その人たちは公的な日本の側からは見えない人たちであったために勲功の対象になることはほとんどなかった。書かれたものも散発的で、よほどの積み重ね作業を行わないと全体の眺望を得られない人々の繋がりである。しかし、一度、眺望あるいはその手がかりが得られれば、二十一世紀に日本が生き残るためには見習わなければならないのは、これら『敗者の視点』で日本近代を見つめて生きた人々であることが明らかになる。」
 加藤典洋の「敗戦後論」は、山口氏の文章とほぼ同時期に書かれている。この偶然はまた時代からの必然の要請なのであろう。
 そしてこれもまた、同時代に連作された小説を集めた一冊の本の紹介をしたいのだ。
 それは東北の一地方で自費出版された洒落た装丁の単行本である。この小説集に通奏低音のように鳴っているものこそ、山口昌男氏の結語に響きあうものが無尽蔵にあると思われるのだ。
 この本の題名にもなった「夢のあとで」の短編は、その文章の巧みは言いようもなく、まるで音楽の調べに耳を傾けるかのような雅趣があるのだが、収録された16編の小説はどれも詩趣に富み、また、物語の結構も一流のものと言ってよいだろう。そのうちの幾つかの短編群には、まさに山口氏の「敗者の視点」からの小説の結晶ともいうべきものが見られるのである。
 「あとがき」で著者はこう記している。
「たったこれだけのものなのか、と寂しい気もしたが、一、二年に一度、間歇的に仕事の暇を盗んで書くしかないことを考えれば、よく続けたものだという思いもある。」
 著者は、人々がまだ寝入っている時刻に起き、働かなければならない自営業の傍らに書いた作品を自費で出版したものなのであったのだ。
 そして、昨年に500枚の未発表の長編小説「風の吹き去るもみ殻」という題名の原稿を読む機会があったが、この人も東北の生まれなのであった。戊辰戦争で敗者の末裔となるこの二人に、山口氏の「敗者」の精神をみることは容易なことだろうが、「3.11」の原発事故による影響はさらにこの21世紀に見えない翳を投げかけているようだ。
 今度ばかりは、勝者も敗者もない日本の生き残りが問われるエートスの試練のときが来ているように思われてならないのである。



 田辺本

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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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