FC2ブログ

スキューバダイビング

 スキューバダイビングの魅力は、地上での肺呼吸をしながら海中遊泳ができることだ。ひところでは、ダイビングスポットの海へ行くと、色とりどりのウエットスーツを着たダイバーがわんさといたが、最近はそれほどでもなくなった。海に潜ると聞いただけで、のっけから恐れをなして身をひく人もいるくらいだ。こういう人は洗面器に顔をつけることだって嫌なのだろう。水に本能的な恐怖心があるのだ。なんにしろ、海に誕生した生物が4億年前に、この地上の陸地に上がる苦労は大変なものだったと想像される。鮫などは一度は陸に上がったが、うまくいかずに、やむなく海へ戻ったと言われている。そういえば、鮫の面構えにはそんな古代の怨恨がうかがえないこともないのだ。魚の顔はみな表情というものがない。笑っている魚にお目にかかった人がいたら逢いたいほどだ。人間の「サカナ君」は笑顔たっぷりだが、ゴリラと人間の違いはなにかと言ったら、ゴリラは笑わないことぐらいだという。それほどゴリラは人間に近いらしい。この人間の祖先がこの地球に出現したのが400万年前だった。肺呼吸を覚える進化の過程は、発生解剖学者の三木成夫の「胎児の世界」(中公新書)を読んでいただきたい。女性が妊娠してから、胎児が成長し出産する十月十日に見られる胎児の容貌の変化の過程に、系統発生の進化の全過程が現れることを、三木先生は実証的に証明したのだ。私が愕関節症の治療を受けた東大の西原克成先生は「顔の科学」の著者だが、この三木先生の門下生であった。
 私が海に潜る人間を見たのはジャック・イブ・クストーとルイ・マルの共同監督の映画「沈黙の世界」で、小学校の先生に連れていかれたからだ。ルイ・マル監督はヌーベル・バーグの旗手であった。この監督の映画「死刑台のエレベーター」のジャンヌ・モーローには妖艶で凄みのある美しさがあった。それはともかく、この「沈黙の世界」に出た機材が、アクア・ラングという商品で、1947年に日本に輸入されたのだ。1950年代に日本でもそれが使われだして、スキューバダイビングが波及しだした。 
 この道具の使用方法を習ったのは二十代の前半で、返還直後の沖縄での10日間ほどの潜水体験が、その後、30年近いダイビングの幕開けとなった。当時は今のダイビングコンピューターはなかったので、潜水病から身を守るには、アメリカ海軍が開発したダイブテーブルで、潜水時間と深度をチェックして血液中に吸収された窒素量を知ることが必要であった。安全潜水には、最大でも深度27、8メートル以上は潜ってはならず、一本のタンクにある空気の容量は180気圧であるとすると、40分から50分ぐらいの時間しか、海の中での遊泳はできずに、海面に上がるには、だいたい70気圧ほどの残圧が求められたのであった。沖縄ではレギからの空気がしぶくなりはじめてから、ようやく浮上を開始する呑気な潜水をしていた。それから数年後、いまはもう見かけないが現地人の赤褌と巨大な石貨で知られたヤップ島を経て、ミクロネシア連邦のパラオへ日本人30名ほどが行き、まだ日本語が出来る現地人から歓迎された。このとき、潜った最大深度は57メートルという無謀なもので、日本のダイビングのパイオニアであり陸軍中野学校を終戦で中退した先生がいなければ、どうなっていたかわからなかった。スキューバダイビングは安全に配慮し、最低限のルールを順守しているぶんには、宇宙遊泳気分でいられるが、海という自然の恐ろしさは事故の一歩手前の体験した者でなければ、なかなかわからないものなのである。
 ある朝、新聞の片隅に小さな写真で一人の女性が載っていた。彼女とは何回か団体旅行で一緒になっていたが、フィリピンの洞窟で潜水中に事故に遭ったらしかった。死体の発見が遅れて、一か月後かに見つけられたときには、全身は小さな蟹の餌食になって、見る影もなかったとのことだ。かく言う私も数度危うい体験をしたことがある。
 まだ雪が残っていた3月の熱海の沖で、小雨の中を甥っ子と潜ったのだが、透明度はひどいものでその上、水中温度が低かったせいで、少し潜ってから海面に出た。だが、一緒に来た仲間の船の姿がまるでない。どうやら、潜っている最中に潮に流されていたらしい。仲間はその日のひどい海況から、すぐに船に上がったらしかった。潮に流された私たちを、船はもちろん探していたにちがいなかった。しかし、沖に浮かんだ二人の目には、ただ波また波のほか、ぼんやり曇った空しか見えない。
「船がいない!」と甥っ子は叫んだが、「大丈夫だから」と言ったものの、幾ら経っても船の姿がない。ややあって船が見えたと思ったが、その船は私たちを見過ごすように、港へ帰ってしまったのだ。
「ああ!帰ってしまった!」という絶望的な声が甥っ子の口から漏れると、パニックに陥ったようだった。
私も疲れていたが、必死になって甥っ子を落ち着かせようとした。幸運にもその時の私の体調はよく、BCは新品のアメリカ製のジャケットで、性能は抜群に良かったのだ。甥っ子は静かになったが、私は死を覚悟した。私だけなら相当な時間を広い海での漂流に堪えられるだろうが、甥っ子は無理だろう。私ひとりだけが生き残るわけにはいかない。そんな思いが私の胸に通り過ぎた。波は荒くなるばかりで、たぶん二人を探しているだろう船を見つけることができない。そのとき、波の間から、チラリと白い船体が視野に見えた。船のほうも私たちを見つけたらしく、こちらに近づいてきた。ああ、助かったと、私は思った。甥っ子は船をみると、船から降りている梯子へとりつき、早々のていで甲板へ登っていったのだ。
 これは自分のささやかな事故の一例に過ぎない。
 ドラフトダイビングは潮の流れを利用して、ドライブ気分で海を流れていい気分になるが、雨が降れば海の視界は濁り、浮かび上がってくるダイバーの気泡は船からの見えずらくなるので、浮かびあがったところに必ずしも船がいるとは限らなくなる。今では、パラオではダイブフロートの所持が義務づけらているようだが、それも高い波があれば見えずらくなるのは当然だろう。
 20年ほども昔のバリ島は、クタはともかく美しい棚田の広がる農村ではのんびりした情趣があったが、その後のバリ島ブームでたくさんの日本人が押し掛け、バリはすっかりむかしのものではなくなった。それでも過去に潜ったことがあるバリ島でのダイビング事故は他人事ではなかった。現地からの報道によれば、7人中、高齢の女性の死亡とインストラクターの女性一人が行方不明とのことである。
 山も同様だろうが、海という自然は恐ろしい。今では、テレビで海の中を眺める程度となった。




プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード