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香水

 香水には意識下に沈んでいる無意識の記憶を呼び覚ます始原の力が秘められているらしい。元来、こちらの臭覚がにぶいせいもあり、香水のようなものに関心を懐いたことがなかったのだが、娘がフランスに住みだしてから、誕生祝いの贈り物にしばしば香水をプレゼントされる。カルビン・クレインだとか、最近では、中性用のジョルジュ・サンドだとかである。社交界で初めてズボンを穿いた女性のジョルジュ・サンドをあの詩人のボードレールは忌み嫌った。さて、香水などあまり使う機会もないので、そのままで古びてしまうことが多いが、使い方も弁えていないので、過剰に服装へ撒布して、家人の顰蹙をかう仕儀となるのが落ちだ。また、香りによっては碌なことを言われかねない。女性は一般に臭覚が鋭いのか、香りには敏感な達なようだ。ちょっとした香りにすぐに反応をみせる。その感覚は異常なほどといっていいだろう。「ダーウィンが来た」というテレビの動物番組を面白くみているが、野生動物は自分のテリトリーに匂いづけをしている。オスとメスも匂いにより発情期を互いに知らせるらしい。敵に襲われる危険を素早く察知するのも、風に運ばれてくる匂いからだ。

 一時、京都へよく旅行をしていたことがあった。大覚寺では写経をした帰りに、割合に大ぶりな香炉を土産に買ったついでに、お香も買った。さっそく部屋で焚いてみたが、日本のお香はさほどの香りはしない。それに較べると、印度や中国のものは独特な強い香りを発する。香道というものが日本に昔からあり、古典文学のなかにしばしば出てくることがある。
 58歳だったかで亡くなった作家の開高健が、本のなかで香水のいちばんのエキスになる物質が人間のウンコちゃんだと、彼一流の蘊蓄を傾けていたが真偽はたしかめようがない。二度目のフランス旅行で、バスから降りた日本のご婦人がワッと押し寄せたところは、香水を製造しているショップであった。パリのあるホテルに泊まったときのことだった。さて寝ようとしてベッドに入ったとたん、むんむんと匂う香水で驚いたことがあった。時々、テレビになぜか出てくる小体なホテルなのだが、もう二度と泊まりたいとは思わない。ところで、女性が香水に寄せるおもいには、多分に異性を意識している由縁があるにちがいないが、化粧と同様にすでに本能と化している案配だ。
 デパートの一階にある女性化粧品売り場を通り過ぎると、なんともよい香りに包まれことがある。鼻はいいほうではないにもかかわらず、気分の変化を味わうのが心地よい。私はどちらかというと相当に気分屋なので、なんとなくひきよせられてしまう。まだ二十歳にもならない若僧の頃、学生野球の帰りの繁華街で、皆でどっとキャバレーになだれ込んだことがあった。もちろんキャバレーの初体験であった。脂粉むんむんの女性が隣に座ると、私の全身は早速に濃厚で艶やかな香水の霧に包みこまれた。その途端に脳髄は痺れ、陶然とした心持ちに私のからだは宙をさまよう気がしたものだ。ところで飲み代の支払いは誰がしたのかさっぱりわからない。みんな誰かがしたのだろうと思っているが、そんな大金を持っている仲間がいるとは思われない。集団でのただ飲みであったのだろうか。
 遙かにむかし、俳優のアラン・ドロンの映画にちなんだ「サムライ」という男性用の香水があったらしい。あの映画の西洋風の武士道とダンディズムは、アラン・ドロンにはピッタリのはまり役であった。一発の弾丸も装填されていない銃口を、ピアノを弾く美しい黒人へ向けたその瞬間、ドロンが演じる殺し屋は張り込んでいた警察の銃弾に撃ち抜かれる。そうして殺されることを自ら計算しての孤独な男の愛と死は、「殉教の美学」の大意識家であった三島由紀夫をいたく喜ばせたようだ。あの映画は私もしばらく痺れて、私が皮の薄い手袋をはめる仕草をみた友人が「まるで殺し屋ですな」と、揶揄されたことがある。
 先夜、「ビック ガン」というアラン・ドロンの映画をみたが、この映画のはじめに流れる「ORNELLA VANONI」というイタリア歌手の「APPUNTAMENTO」(逢いびき)という曲は大変に感心した。「イタリアの小さな村」という毎週のBSにこの曲が使われているらしい。さっそくに録画予約を入れしまった。こころを癒やしてくれそうなものには、どうしてこうも貪欲になる自分にも呆れてしまうが、世界中が反対方向へとすべりだそうとしているからだろうか。
 「暗殺者」という映画にも、インターネットからスキニングをして大金を稼いでいる凄腕の女性が、ジャスミンの匂いのする香水の愛好者で、この女性を狙うアントニオ・バンデラスの演ずる暗殺者が、この香りを嗅ぎ分けてメキシコの人混みの市場を追尾する場面は、バンデラスの好演もあって見事な迫力と優雅な香りを放っていたものだ。フランス人はチーズの香りがするらしく、ナポレオンは寝室にやってきたジョゼフィーヌへ「世はもう存分に満足をしているぞ」と、寝室から追い払ったらしい。
 明日から家人とパリに住む娘のアパルトマンを訪問することになった。上の娘の8歳の孫が、ようやく従兄弟ができたと喜んだそうだ。行きの飛行機の中で読む小説はすでに用意ができている。
 「香水―ある殺人者の物語」(パトリック・ジュースキント著)というのである。グラスの「ブリキの太鼓」に次いで、多くの読者を得た小説らしい。生まれたときから香りのしない男が、天才的な香水の調剤師としてフランス革命時代に、その調合のため、25人の女性の肉をはぎ取り、頭髪だけを奪って、いまだこの世に存在しない香水を作りだし、自分を絞首台に運ぶ群衆へふりかけるだけで、群衆は一篇に悩殺されてしまうという物語である。そして最後の逆転劇が待っている。ユイスマンの「さかしま」の反時代性を現代に移せば、こうした物語になるだろうと推察されるものだ。ここには、近代文明の精華であるパリという大都会が放つ悪臭へのイロニックな揶揄と嘲笑が含まれているのは、あのボードレールの「悪の華」の痛烈な批判精神がまだフランスに生きている証拠なのであろう。



香水  香水「ジョルジュ・サンド」 香水  パトリック・ジュスキント著(池内紀譯)



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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