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杉本秀太郎

 はるか昔、「洛中生息」(杉本秀太郎)の文庫本を持って、京都の洛中をうろついていたことがあった。数ある図子の小道をぬけ、一条戻り橋まで足をはこんだのも、この本に心牽かれた故であった。この著者の本を私は次々と渉猟していたことがあった。伊東静雄も荷風断腸も太田垣連月も、徒然草や平家物語も、みんなもとめて読んでいった。やがて、著者の名を印した「文粋」の五巻本が世に出たが、この人の本はそれぞれ単行本で味読するほうを私は好んだいた。
 5月28日の朝刊に、この人の訃報が載った。享年八十四歳。
ボードレールの「悪の華」を翻訳が掲載された文芸雑誌を書棚のなかに探し当てたので、その中の一篇の詩「バルコン」をここに載せることを赦されたい。
 
 バルコン

尽きぬ思い出の母胎、恋しい恋しいひと、
君こそわたしの快楽のすべて、君こそわたしの思慕のすべて。
思い出してくれますね、愛撫にひたりきった
快い炉辺、魅惑の夕暮れを、
尽きぬ思い出の母胎、恋しい恋しいひと。

炉の火あかあかと照り映える、夕べのこと、
また薔薇色に靄立ちこめた、バルコンの夕べのこと、
乳房のうましさ、心任せのうれしさ、
消すよしもない思いをふたりして、くり返し語りあった
炉の火あかあかと照り映える、夕べのこと。

暑い夕暮れ、傾く日の、まあ美しいこと。
お空の、まあ深いこと。心は強くはずんで、
募る思いに身をひた寄せて、美しいひと、
あなたの血の香りを吸う心地して、
暑い夕暮れ、傾く日の、まあ美しいこと。

ふけゆく夜は蔵壁のように厚さを増して、
そしてぬばたまのやみにさぐるあなたのひとみ、
そしてむさぼり飲むあなたの息。蜜なるかな、毒なるかな。
そしてあなたの足指は眠っていた、わたしのてのひらに包まれて。
ふけゆく夜は蔵壁のように厚さを増して。

わたしは知っている、ひとときの至福をよみがえらすすべ、
そしておひざのあいだにひそむ、わたしの過去を生き返らす。
なじんだ躰、やさしい心をよそにしては、
心とろかす婀娜な風情を、どこに求め得るでしょう。
わたしは知っている、ひとときの至福をよみがえらせるすべ。

あの誓い、あの香り、きりのないあのくちづけは、
人の手の錘鉛もとどかぬ深みから、よみがえってくれる日があるのでしょうか、
深い海の底で身を洗っては若返り、
太陽が朝空にのぼってくるように、
――― あの誓い、あの香り、きりのないあのくちづけ。


 これこそ、あの瀟洒な「太田垣連月」単行本を世にだした著者による「悪の華」の原詩を日本語にしたものだ。嫋々として流麗な訳文であるとおもうが、はたして諸兄はいかなる感想を持たれるのであろうか。これについては、「西洋のあかり」(1980年)の「ボードレールを日本語で読む」あるいわまた、「文粋3」の「ボードレールの邦訳」を参考にしていただきたいが、文芸雑誌のあとがきから邦訳の経緯を追記することにしたい。
 ボードレールの詩集を芝居の台本として読むという着想は、「『読者に』の位置ー見世物小屋の前口上」(一九七三年、雑誌「ユリイカ」五月臨時増刊号)に端を発し、映画「天井桟敷の人々」の1840年の時代の空気は、1821年生まれのボードレールが放蕩息子として呼吸していたものとみた訳者が、「悪の華」の序詩「読者に」を掛小屋の呼び込みを引き受けた道化役者の台詞として読むことが十分に成り立つと判断したことによっている。なお別に「ボードレールは本来が劇詩人である・・・『悪の華』はボードレールが一人ですべての俳優を演じている匿名の劇である」という詩人の一友人の評語を傾聴に値するとした事にある。さらに、もう一つ加えるなら、ゲーテの「ファウスト」第一部の「序」(森鴎外訳では「劇場にての前戯」とある)を、ボードレールはネルバルの仏訳で読んでいたにちがいないという推量が加わり、ここに杉本氏の新訳に色が添えられたとの由である。
 末尾になるが、洛中散策の途次、偶然に表札をみかけ、不躾にも突然に訪問して「洛中生息」の文庫本に氏のサインをいただいた非礼を詫び、またその際、門前から丁寧にお見送りいただいた奥様にお礼を申し上げて、哀悼のことばとしたい。合掌



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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