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昭和史

 平成元年に発刊された「昭和史―その遺産と負債」に、江藤淳が巻頭文を寄せている。時代の節々に聞く流行歌に着目して歴史の流れを鳥瞰した小文だが、なかなか味わいに富んでいる。実のところ、この小文に私が惹かれたのは、1995年にある同人誌に発表した「歌」という短編に、夜、老後の母を思って屈託し、家から抜け出した主人公が酒場の女将さんへ「流行歌がないね」とくだを巻く一シーンを綴った記憶にあった。カズオイシグロ氏は先夜テレビで、小説をなぜ書き、また読まれるかという問いを冒頭に発し、事実だけでは充溢できない人間の感情は、かすかな記憶をたぐりよせ、その真情をくみ上げ普遍化する小説の手法が優れているからだと述べていた。氏のデビュー作「日の名残り」の老執事の感慨が、次第に胸に沁みて読後に湧き上がる感動を禁じ得なかったのは、人生の普遍的な琴線に触れるものがあったからに違いない。ならば直に感情に訴える歌は小説以上のものだろう。心に沁みる歌ほど人間的なものはない。ところで、これは余談だが「日の名残」あの執事が邸で開かれる秘密の会議が、第一次大戦の敗戦国ドイツへの賠償問題に関わる非常に政治的なものであったことに注目した読者はどれだけいただろう。
 さて、流行歌とは不思議なもので、庶民の心情に触れる歌詞と歌のリズムが、各層の庶民のこころに無意識に沈殿して、ふと口ずさまれるところに誕生するようだ。この歴史書の「はじめに」で、江藤氏が平成元年にこの小文を書いた機微には、鋭敏な直感があったに相違ない。個人的な私の記憶の限りでも、平成25年の今日まで私たちは流行歌らしい歌と詩を失ったままなのであるのは、いったい何故なのであろうか。象徴的なことに、昭和の歌姫と言われたあの美空ひばりが亡くなったのは、元号が平成に変わった六月であった。ちなみに彼女が最後に歌っていたのが「川の流れのように」である。彼女が託した歌の流れの命脈はここに尽きたのであろうか。だとすればその背景には何が考えられるのであろう。
 江藤氏は「リンゴの唄」に、「昭和日本の最後の愛国歌」をみて、最終をつぎのように記している。
「爾来四十四年のあいだ、占領を経てパックス・ルッソ・アメリカーナの戦後秩序の拘束のなかに生存しつづけて来た日本の国民は、その節目々々にさまざまな歌にその心を託して来た。そしてそのパックス・ルッソ・アメリカーナの戦後秩序の内部崩壊が進行し、日本が米国に替わって世界最大の債権国になった四年後に、遂に昭和が平成と改元された今日、巷には流行している歌は只の一つも存在しない。
 平成という時代は、歌の無い時代としてはじまったということを、私はここに後世史家のために書き留めて置きたいと思う。昭和元年四月十七日」

 この時、美空ひばりはまだこの世にあったのだ。私事を言えば、二月の大喪の儀にも深甚なる感慨があったのは確かだが、ひばりの死はそれ以上の空洞を私の胸に空けたことを告白しなければならない。そして、私が「歌」を書いた1995年は戦後50年の節目であり、阪神淡路大震災についでオーム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、「敗戦後論」(加藤典洋)が発表された年でもあった。個人的なことだが、それに符節して、私の「戦後私論―谷崎潤一郎を巡って」の端緒が書かれたことが思い出されてくる。
  最近に谷崎潤一郎全集が再発行されることなったが、ああやはりそうなのであろうと、すこしも不思議な気がしなかった。文学はそれじたいの、強い生命の営みで流れていくもので、政治や経済とは無縁の世界を持っているからだろう。文学で一山あててやろうというような徒輩とは元来無縁なものなのであろうが、それもまた文学の一面であることは否定しえない事実である。




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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