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雑誌「月映(つくはえ)」

 東京駅ステイションの北口にギャラリーがある。これまで何回かこの展覧会場に足を運んだが、天上が高く、剥き出しの赤レンガの壁といい、なんともいえないよい趣きがある。今回は、大正時代の始めに創刊された雑誌「月映(つくはえ)」の恩地孝四朗、藤森静雄、田中恭吉という三人の木版画の作品を見た。
 この雑誌「月映」は、日本近代詩の父と言われた荻原朔太郎が、最初の詩集「月に吠える」に装丁と挿絵を依頼した美術家たちによる同人雑誌である。詩人の萩原朔太郎に近づいたとき、15歳の若い感性はそのことばに十二分に浸透をうけ、官能はいびつにまでも蹂躙されたらしい。例えば私がいまだ記憶にある詩にこんなものがあった。

    天上縊死

遠夜に光る松の葉に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白き、
天上の松に首をかけ。
天上の松を戀ふるより、
祈れるさまに吊されぬ。

 この詩の左の頁に、田中恭吉の挿絵「冬の夕」が掲載されている。

     DCIM0388 (2)

 今回、詩集「月に吠える」の愛蔵版とともに、「月映」のカタログも購入した。

DCIM0387 (2) DCIM0389.jpg

 詩集「月に吠える」の愛蔵版には、田中恭吉の遺作十一種と一等多くの挿画が入っている。朔太郎は「思ふに恭吉氏の芸術は『傷める生命(いのち)』そのもののやるせない絶叫であった」(「故田中恭吉氏の芸術に就いて」)という一文をその中にみることができる。これはそのまま、朔太郎自身の詩に通じるものと言ってもいいだろう。

館内に入るとすぐに目にした作品の数行があった。

         暴風

 くずれよ/くずれよ/夢の残骸よ/消えよ/くずれよ

 朔太郎はニーチェに倣い、芸術は遺恨と復讐から生まれるとしていたが、この呪詛ともいうべき「暴風」の言葉はどこからきたのであろうか。明治維新から50年を閲し、日清、日露の戦争をなんとか乗り切ってきたこのとき、近代日本の夢は既に残骸としか感じられない若者たちが現れたのだ。この同人誌の諸作品に萩原朔太郎は強く牽引された詩集「月に吠える」は、大正6年に発刊された。大逆事件、日比谷公会堂焼き討ち事件で国民の不満は高まり、治安は強化された。「萩原朔太郎」の著者・磯田光一は、詩集「氷島」に「漂泊」の基調を読みながら、朔太郎はつかのまの安息を求めたが、そのデスペレートの心情が癒やされたわけではなく、昭和8年、評論家の小林秀雄の「故郷喪失者の文学」は書かれざるを得なくなり、時代のほうは別のかたちでの”日本”を夢みはじめた、という一文でこの評論は未完のまま終わっている。磯田の言ったその”夢”がいかなる無惨な結果になったかは誰もが知っているとおりだろう。
 戦後70年の現代では芸術とは名ばかりのもので、己のいのちを賭するほどの熱情はすでにどこにも見ることはできない。ただ深刻なものがいいというのでは勿論ない。芸術家は自分の生まれた時代を選ぶことができない。しかしである。明治の北村透谷のいう「人生に相渉る」類いの真率な心を現代人は失い、時代の荒みはいまや至る所で腐臭を放っていることは明らかなことであろう。



プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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