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「文武両道」ということ

 これほど理解が困難な言葉は、現代ではめずらしいのではないか。たぶん戦前なら、いや明治維新前ならば、幾分なりとも身体に通じるものがあったであろう思われるのだが・・・・。
 先日、NHKの「美の壺」で「日本刀」がとりあげられていた。テレビに出て来た刀工自身がこれまでに「いまどき刀なんてどうして作っているの?」と言われたことがあるという述懐を聞いて、成る程と思われた。これほど素朴で本質を突く質問があるとは思われないからだ。刀工が精魂をこめて作っている刀とはそもそもいったい何であるのか。なんの道具であるのか、道具ならその用途がはっきりしている。出刃包丁なら料理で使われるだろう。しかし、封建時代の武士が腰に差していた刀は、戦国時代では明確な用途があった。だが次第に近世の時代を経るにつれその用途は薄れて、明治に廃刀令が出され、戦後には占領軍により没収の対象となってしまった。にもかかわらず、優れた一流の刀は骨董・美術品として文化財なるものとして生き残った。その美事な拵えの故に、また刀そのものが放つ妖しく優美な魅力の故に、一部の刀匠たちが刀を作り続けたが故にである。他方において、それは武道に取り入れられて剣道として勝敗を争う競技となり、さらにその延長に、明治百年を記念する頃と期を一にして、剣道会の組織に真剣を使っての居合道部会が発足して、刀は許可を得て特定の場所での使用が赦されるようになったのである。近代スポーツとしての剣道に飽き足らない者達によって、室町期に出現した居合は、敵を想定した演武という形式をとって現代に甦ったのだ。
 この現代的な意味合いを端的にいうなら、伝統の刀を使い、想定の敵を斬る演武におけるヴァーチャル・リアリティーの追求にあると言えるだろう。そして「文武両道」という言葉は江戸時代以前には武士階級の当然の生活様式で敢えて言挙げする必用もなかったもにちがいないのである。
 江戸時代に「世の中に蚊ほどうるさきものはなし,ブンブ,ブンブ(文武,文武)と夜も眠れず」という川柳があるが、1780年代に松平定信が老中として行った寛政の改革の精神教育に息をつまらせた民衆が、前代の田沼意次時代を懐かしがって詠んだものに過ぎない。むしろこの言葉は江戸末期に書かれた「葉隠」などを称揚した戦前の一時期、そして作家の三島由紀夫が市ヶ谷で割腹自殺を遂げる数年前に、「若きサムライのために」(同様に「源泉の感情」にも掲載がある)の対談集において評論家で戯曲作家であった福田恒存との対談などで発しはじめてから広がったように思われる。実際に三島氏は剣道をやり居合も習った文字通りの「文武両道」の作家たらんとした人物であった。三島氏が単なる作家だけに終わっていたならば、これほどにその死後までもその反響を残すことはなかったであろうと思われる。そうした氏の一景を石原慎太郎との対談を回顧した一文から見てみよう。
「居合い抜きの稽古の帰り、対談の席に現われた三島由紀夫氏は、左手に会津藩由来の真剣を持っていた。遅れてきた石原慎太郎氏が『いくらか上達しましたか』とひやかすと刀を袋から出してテーブルを片すみに寄せ、居合いの型を解説入りでやってみせてくれた。真剣が顔の横をかすめるのはいい気持ではないが、私は氏の腕前を信用することにした。真剣だけに、すごい迫力だった。」
 昭和42年の「論争ジャーナル」の行われた三島氏と福田氏との対談のタイトルは「文武両道と死の哲学」なる物々しいものであるが、今、これを読んでこの対話の全文をスッキリと理解できる人はたぶんそれほど多くはないであろう。しかし、この対談は憲法の「縄ぬけ」の話からして、極めて今の時代性にフィットしているから不思議である。その直後に福田氏の方がつぎのように切り出している。
「僕は編集部から、戦後は生の論理ばかり流行して、死の論理がまったく無視されている。そういう傾向について三島さんと対談してくれという事で、それなら話が合うだろうと思って出て来たんです。」
 三島氏からこの対談は「日ソ対談」みたいなものだという冗談が冒頭にでてくるが、途中で「日中対談」になってきたみたいだとの冗談が入ってくるのは当時の国際政治が二人の対談者の意識に的確に反映しているからだろう。
 それはさておき、本題に戻るとこの「文部両道」という思想は、三島氏の中で煮詰められ、「文」と「武」の二つの対極に明瞭な一線が引かれると同時に、その二つを三島氏が強引に結びつけようとしている志向が色濃くでていることが了解される。この「文」と「武」の背理と合一を理解することは容易ではない。現に埴谷雄高氏は三島氏に頻りに「死ぬ」必用はないことを当時の座談会で説いていたのが印象に残っているのだが、現代では、この二つの領域が共に曖昧模糊となっているのは必然なことであろう。「ことば」に命を賭けることも、「武」が文字通り命がけの行動であること、この両極を三島氏のように同時にみようとする目を持つことは至難の技であることは、三島氏が、福田氏へ暗々裏に力説していることだからである。それは三島氏自身がその最期に近づくにつれ、その不可能性を意識の前景に見ざるを得なかったことだと想われてならないからである。





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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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