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「ドルジェル伯の舞踏会」レイモン・ラディゲ

 凡そ四十年前、二十歳で夭折した青年が書いた「最も淫らな最も貞潔な恋愛小説」 レイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」(堀口大学譯)を読んだ。そして後年になってもその衝撃的な体験が忘れられなかった。いずれは再読してみようと思いながら、何年が経ったことだろう。だが今回においてもその読後感に変わりはなかった。もとよりこの人生に人間心理の機微を覗いてそれを精緻に解析しようなどとは、普通人はよっぽどのことがないかぎりやらないものだろう。文学から人生を帰納しようとする傾向が強い若者でないかぎりそれは必用ないからである。

「あの小説の終わりに近づく数節に流血の惨事を見ない読者を僕は信用しない」と三島特異の作品論「ドルジェル伯の舞踏会」(昭和23年5月)において、読者を選別しているのはいかにも若年の三島らしいものだ。しかしながら人間の心理を一行また一行とたどることができる一般読者なら、あの最後の数節の果てにドルジェル伯爵が夫人に向けて発した科白。
「ーさあ マーオ 眠りなさい! 僕がそれを望む」
 この瞬間に身の毛のよだつ思いをしない読者が果たしていないものであろうか。だが誰もそれがどこから来るものであるかを三島のごとく思案しようとしないものだ。人間の心理がラディゲのペンの先から、手術台の上に鮮血のごとくに流れだす。三島のように「幾度読んだかわからない」ほどの関心が湧くかどうかは別だが、誰もがレイモン・ラディゲがはめていた「天の手袋」を見たはずもないにちがいない。まして三島がサーカスの軽業師さながらに、手術台の上に取り上げた反時代的なアポリアである「倫理」などはさらにだにのことであろう。
「僕の時代が全くもたぬものを、僕一人が乗り超えねばならぬ」とは、なんというイロニーだろう! 傑出した批評家でもあった三島が、その5年後に書いた小説「ラディゲの死」(1953年)はまさしくその延長にあった。その最後に三島はコクトーの「阿片」からのっぴきならない一行を引きだしている。
「一番賢明なのは、事情がそれに価する時にだけ狂人になることだ」と。

 堀口大学譯の 「ドルジェル伯の舞踏会」に若くして三島は魅了された。作者ラディゲその人にだ。遺族の了解を得て編集された「三島由紀夫のフランス文学講座」(鹿島茂)一冊ほど詳らかにその事情を明かしてくれる書物はないだろう。

「ランボーは天才であった。それはよろしい。が ラディゲの天才はそれと同じ意味ではなかった。ラディゲは逆説的な天才だった。つまり「平凡」の天才、散文の天才、小説の天才(!)だった。」(昭和28年「ラディゲに就いて」より)
 こうしたラディゲ熱はその10年後の「一冊の本」の末尾ではつぎのようになるが、その本質は変わらない。
「私はラディゲの作品そのものと呪縛からのがれたのちも、ついに、ラディゲが目ざしていた人間と生の極北への嗜好からは、のがれることができなかったのである」(昭和38年)

これには三島自身の青春と「戦後」への総決算としての小説「鏡子の家」(昭和34年刊行)が批評家の不評に晒されたことと、決して無縁なこととではないだろう。
「鏡子の家」で描かれる時代は、昭和29年から昭和31年までの2年間である。この時期は昭和28年の朝鮮戦争の休戦で朝鮮特需が終り不景気に陥った時期であり、再び景気が好転して高度経済成長の一歩を踏み出した時期にあたる。
 三島は「小説の人物の背後に経済が動いている」とし、以下のように時代背景を語っている。
「つまり経済学的ロマネスクをとらえようという野心があった。54年は朝鮮戦争の特需がとまり不況のドン底だった年だ。将来の見通しは暗く当時の青年は未来に希望をもたなかった。ところが恐れられた不況は少しずつうわむきになって好転し、そして財閥は不況をテコにして、不況によって独占資本を復活していく。ニューヨークは1956年に史上空前の繁栄をする。一方、青年たちはそうした景気立ち直りの方向とは何の関係もなしにますますみじめになっていく。経済が不況から立ち上ると同時に人間がボツラクするというアイロニーを使うために、この時期を選んだのだ。」
  三島由紀夫「“現代にとりくむ”/野心作『鏡子の家』三島氏に聞く」より

 「三島は昭和35年頃から大長編を書きはじめなければならないと考え、19世紀以来の西欧の長編小説とは違う「全く別の存在理由のある大長編」、「世界解釈の小説」を目指して、「豊饒の海」を昭和40年6月から書き始めた」という。
 昭和41年には 林房雄と対談「日本人論」。昭和43年には 中村光夫と対談「人間と文学」を行っている。この中村光夫との対談で三島は「論理も体系もない芸術の宿命や限界に、大きな哲学の論理構造を持つ大乗仏教の唯識の思想のような「人間を一歩一歩狂気に引きずりこむような、そういう哲学体系」を小説の中に反映させた長編を書き出したと述べ、第二巻の連載中には、汎神論のような宗教の世界像のようなものを、「文学であれができたらなあ」という願望を示しながら以下のように語っている。」

「そういう世界包括的なものを文学で完全に図式化されちゃったら、だれも動かせないでしょう。日本だったら「源氏」がある意味でそうかもしれないし、宗教ではありませんけれども馬琴が一生懸命考えたことはそういうことじゃないか。仁義礼智忠信孝悌、ああいうものをもってきて、人間世界を完全にそういうふうに分類して、長い小説を書いて、そうして人間世界を全部解釈し尽くして死のうと思ったんでしょう。」 三島由紀夫「対談・人間と文学」より

  さて最後に、本題に戻って ジャン・コクトーが書いた序文から、無粋な引用をしておきたい。
 彼の最後の言葉はこうだった。
 十二月九日、彼が僕にいった「ねえ、恐ろしいことになっちゃったんだ。三日のうちに僕は神の兵隊に銃殺されるんだ」これを聞くと僕は涙で呼吸がつまりそうになってきた。僕はそれとは反対の情報を発明していって聞かせた。すると彼は言葉を続けていうのだ。「君のその情報は僕ほど正確じゃないんだ。もう命令は出てしまったんだ。僕はその命令を聞いたんだ」
 そのあとで、彼はまたこういった。「色が行ったり来たりしている、その色の中に隠れている人たちがある」
 僕は、その人たちを追い出してやろうかと尋ねた。すると彼が答えていった。「君にはその人たちを追い出せないんだ。なぜって、君にはその色が見えないんだもの」
 ついで、彼は無意識状態に陥ちた。
彼は口を動かしたり、僕らの名を呼んだり、驚いたような表情でその視線を自分の母や父や、手の上に置いたりした。
レイモン・ラディゲはこれから始まる。

 彼は三冊の著書を残した。未発表詩が一冊 「肉体の悪魔」(Le diable au corps )
これは彼の未来に対する約束の傑作、それからその約束を実行した「ドルジェル伯の舞踏会」(Le baldu Comte d’Orgel)。

この傑作の最初の一行はこう始まっている。
「ドルジェル伯爵夫人のそれのような心の動きは、はたして、時代おくれだろうか?」
そして、あの悲劇の絶巓においてヒロインへ投げかける伯爵の最後の一句は、譯者により異なっている。
 堀口大学の他に、生嶋遼一、江口清の譯も参照してみよう。
「さあ、眠りなさい! いいかい」(生嶋譯)
「さあ、マオー 眠りなさい。眠るんだよ」(江口譯)

 この三人の翻訳の日本語を比べてみると、やはり堀口大学譯におけるマーオが世俗の断崖へ追い詰められての劇的な姿を、一番みごとに彫琢していることでは、一頭地を抜きんでているだろう。「僕」という伯爵の主体がここで、ヒロインであるマーオのまえに厳然として現れねばならない。悲劇は観客のために最大限の効果を発揮しなくてはならないからだ。




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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