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「風の吹き去るもみがら」工藤嘉晴著

 昨年秋、一冊の長編小説が自費出版された。作者は縁故の知人であった。
私は熟読して充分に書評を書くに値する小説だと思ったが、なかなか書上げることができない。この小説にあるものは青年期に私を捕らえた実存的な書物に刻印されている単独者の姿であった。この小説の底に沈んでいる影にもその悲痛と滑稽とをみることができる。あの60年代に青年期を過ごしたいくぶんでも精神的な者なら誰でも、こころの片隅に小さいが潔癖な固い塊を抱えて人生の大半を過ごしてきたにちがい。反抗心と隣り合わせの宗教心とでもいった微妙に内的なあるものだ。
 そこでここに、少しでも巷間の読者諸賢にこの小説に親しんでいただくために、著者の旧知の友人が認めた感想に勝るものはないと判断した結果、とりあえずその友人の了解の元に、当ブログにその一文を掲載することにしたい。

「作品を拝読しました。旧稿がいま手元にないのでいちいち参照できませんが、新しく生命を吹き込まれたような感じがします。ちなみに旧稿に対する私の感想をパソコンで読み返してみましたが、全体的にはほぼ同じです。ただストーリー展開は覚えていても、全く新しい作品を読むときのような新鮮さがありました。何度でも再読に耐えうる作品だということです。旧稿段階で未定稿だという条件で勝手ながら二、三人の人に回してその感想をもらったのですが、作品の力は認めながらも、難点として前半の部分の文章が雑だということ、精神的にも未熟な肉体労働者だった主人公の若末が、後半の獄中生活であれだけ高度な精神生活を獲得したという設定に無理があるのでは、という二点でした。今回、その批判も頭におきながら新作を読み進めたのですが、批判に対する見事な回答を与えたような出来栄えになっていると思います。まず出だしから文章がいい。若末という鬱屈した青年の内面に乗り移ったような粗々しい息づかいが、スピード感のある文体で感じられるのですが、それでいて緻密でスキのない客観描写で読むものを安定感のある高速鉄道にのった感覚にさせる。
 細部が生き生きとつぶだっている。若末の帰省や逃亡中の描写など私は特に好きなのですが、貴兄の文章力に圧倒された感じがしました。
 次に逮捕から死刑執行にいたるまでの展開。これが一番むずかしく、しかも貴兄がどうしても書きたかったことではないかと思いますが、旧作の難点を見事に克服していると思います。技術的に言えば、高度な形而上学的な問題をこのシチュエーションでどう表現するかということですが、貴兄のとった方法は精神的に未熟だった若末でも十分肉薄可能で、しかも思惟のための思惟でなく切実な問題に絞ったこと、長山や牧師といったある意味で精神性を持った人物をたくみに配したこと、それらの人物との会話により対位法的に筋を展開させたこと(そういえば若末はバッハが好きでしたね)、それでいてあくまで生身である若末の身辺の細部から目を離さなかったことではないかと思います。若末の知力、理解力には限界もあり、作者は周到にそのことを念頭におきながら、会話は決定的な一致も決裂もなく、常に先延ばしで終わるのですが、それが自然であり、単独者としての若末の立ち位置を浮き彫りにしていく。独房生活での長山や若末の必死の読書や内省、それと時間の経過を考えれば、円満な知性に達しなくとも精神的ドラマは演じることができる。精神の奥底深く一つの孔を穿つことはできる。私はそう感じました。
 作品は重層的であり、また万華鏡的であり人により様々な角度から読み取りが可能だと思います。登場人物はほとんどが東北人またはそれと関係ある人ですね。私は何となくそこにマツロワヌ人の沈んだ怨念や反抗的気分みたいなものを感じます。貴兄も自分の毒念をそっと忍び込ませておいたのではないか。
 「ヨブ記」のヨブの反逆に飽き足らないものを若末に感じさせ、長山に三島の自決の時期について「お坊ちゃんのやるこっちゃ、都合がテメエの方にあったんだろうサ」と毒づかせたりする。それから対話のなかで一番面白いのは聖書の<カイサルのものはカイサルに>の解釈についての議論で、スケールは違うけど「カラマーゾフの兄弟」に出てくる大審問官的な役割をこの小説の中で果たしている気がしました。
 それと時代は高度成長期ということで、現代というよりすでに回顧的な時代になる訳ですが、今の視点から見てもなお興味をそそられます。我々世代の根はそこにある訳だけど、貴兄がメールで書いてよこしたように今の若い人にどう読まれるか楽しみなところがある。きっと若い人にとって状況はもっと苦しいものだと思いますが。
 高層ビルが立ち並び、新幹線と高速道が張り巡らされ、アスファルトで舗装されつくされた国土で、自分を土に帰るすべを失った「もみがら」のように感じる若い人も多いかも知れない。アスファルトをめくればついそこに今まであった石や岩や土が顔を出すのをまだ我々なら知っているが、彼らにはその記憶すらない。清潔で無機質でグローバルな世界が息苦しく広がっているだけだ。ネット空間にさ迷い出た大勢の若末が「風に吹き去られて」悪意を増殖させているのかも知れない・・・
 作者の意図を離れて勝手に想像は膨らむわけだけど、近頃の沖縄県知事の言動を見ていますと「マツロワヌ」人々のやむにやまれぬ反抗がついに現れたような気がします。
 幕末明治以来、日本の国土として舗装しつくしたと思っていた地面からひび割れが大きく現れだした。連想が飛躍し過ぎましたでしょうか。
 最後に、結尾の章は長い夢で飾りますが、ここは評価がわかれるような気がします。私は主人公に残された最後の救済として幼児期の記憶、カーニバル的な夢をもってくるのは心憎くも妥当な采配だと思いますが、違和感を覚える人もいるかもしれない。
私の不満としては夢の書き方にもっと良い手がなかったのか、という事ですが、自分に任せられても思いつかない。生々しくリアルな夢もあり、リアルなものが荒唐無稽に関係づけられるものもある。昔観たイタリアの監督フェリーニの映画でそんな感じのがあった気がしますが。リアルでいて妙な浮遊感が漂うような。これは難しい要求でしょうかね。映像表現と言葉の違いかもしれません。ただ最後の言葉、「アア、コノママ夢ノナカニイサセテクレ」はバッチリ決まって心に響きました。これは映像では表現できません。
 以上、勝手な感想を記しましたが、久々にずっしりと読み応えのある小説だと思いました。」



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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