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写真の解放

 ポリネシアにヤップという小さな島がある。いまはどうか知りませんが、島人は赤い布を腰に巻いて暮らしていました。男たちの歯が赤らんでいるのは、コカの葉を咬んでいたからです。コカを咬むとお酒を飲んだように酩酊するのです。裸どうぜんで大きなお腹をした島人を写真に撮ろうとする旅行客が、写真機をむけると太い棍棒で頭を叩かれるという話しでした。あるとき、コカの葉を咬んでいい気分になった旅行客が、島人を写真に撮ろうとしましたが、やはり頭を叩かれてしまいました。それ以来、誰も赤いふんどし姿の男たちや、大きな乳房を隠すこともない可愛い娘さん達をみても、誰も写真機を向けなくなったそうです。
 写真はオリジナルから無数の複製を創り出す文明の利器です。しかし、昔から変わらない風習で生活をしている現地人からすれば、写真機は自分たちの魂を抜き去る不埒な道具と見られたのでありましょう。このヤップという島には石貨という巨大な石のお金が、そこここに見られました。東京の日比谷公園にそれと同じものを幾つか見ることができます。島人はこの石の貨幣を仲介にしてぶつぶつ交換をして暮らしていたのです。こうした島に文明が浸透してくるにつれ、島民は流通貨幣での取引を行い、写真機をみても特別な反応をしなくなることでしょう。技術の発展とその普及は人間生活のあり方を変えることは現代では当たり前のことです。
 携帯電話の普及につれて、それに写真機能が加わり、いまや他人に写真を撮ってもらうのではなく、自分で自分を撮る自撮りがよく見られるようになりました。ここに写真家自身がこの自撮りを写真活動の一貫に組み込む試みが見られます。シャッターチャンスを被写体である人物に一時的に委ねてしまうのです。すると写真家から解放された写真機は被写体自身の采配となり、一瞬のシャッターチャンスの移行が生れます。自撮り写真はその一瞬の権限の移行に生れるものです。ただ自分で自分を好きなように写真に撮ることとは違う空間と時間が、ここに誕生するのです。後者の自撮りは写真家という他人が存在しなくなったというだけで、自分という疑似的な他人に替わっただけです。ここはすこし難しい議論になりそうですが、その方法でいくら自由奔放な自分を撮したところで、他人という存在が全く消えてしまったのですから、独楽のように自動回転している空間と時間には、もはや緊張した意味というものが生れようもありません。写真の本質は他人(写真家)の眼差しという存在ぬきにはその意味の有り様が異なってしまうという対他関係の中にあるからです。
 そうでなければ、写真機は犯罪事実の有無にかかわらず、路上や町中に据えられた自動防犯カメラと同じものになってしまうでしょう。現代がいくら不審の時代になったからといっても、それでは芸術家も芸術そのものもこの世から、追放を余儀なくされる世界を想定しなくてはなりません。人間の本質は意識にあるので、IT工学が幾ら進化しようとも、ロボットが人間の道具であることに変わりはないのです。
 写真の自撮りから話しがそれてしまったようですが、ここにそうして撮られた写真の数枚を見ることができます。何かとは定かには言えませんが、ここにその何かから解放されたのような人の姿や顔が、爽やかな空間を浮遊している映像が映っています。あたかも地上にいながら重力から解放された人間の軽やかな姿を垣間見るかのように・・・・。ただ重力のことで申し上げておきたいのは、米国映画「 ゼロ・グラビティ」主演のサンドラ・ブロックが、映画の最後に放つ一言が、このSF映画から人間を救い出していることです。宇宙空間での無重力に翻弄されて、さんざん手ひどい体験をした宇宙飛行士であるサンドラ・ブロックは、地上に帰ってきてこんな捨て科白を吐いています。「宇宙なんて糞くらえだわ!」
 私も海にボンベを背負って地上の数十倍の気圧の中で、中性浮力を保ち宇宙遊泳ににたダイビングから陸上に上がったときに、同じような気持ちを持ったことがあったからです。余談になりますが、人間は一気圧で生きてきた快い長い経験を忘れるべきではないのです。



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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