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 狭い螺旋の階段をあがると扉がある。重い扉をひいてなかへ入った。むかしのままだった。
「おひとりですか?」
 カウンターのむこうから主人の声がした。
「こちらのほうへ」
 低いが容赦のない声である。他に客はいなかった。窓際にテーブルと椅子がきれいにならんでいた。
 店の主人のいうがままに奥のカウンターの椅子にすわった。主人がメニューと水をカウンターにおいた。
「マンデリン」
キリマンジャロでもモカでもよかった。音楽が室内を静かにみたしている。ポケットからオランダのスウィングというシガーをとりだした。映画にはまだ間があった。雨はやむだろうか。
「マッチあります?」
「そこに」
主人はカウンターのすみをみた。椅子から立ちあがるとマッチといっしょに灰皿をもってきた。ちいさな灰皿のぶあつい硝子がつめたい光沢をはなっている。
シガーの匂いが煙とともに鼻にただよった。珈琲の味はなかなかいい。音楽がここちよく耳にひびく。のびのびと落ちついてきた。
「旦那は音楽が好きなんですか?」
 主人の無愛想な声はもうどうでもよかった。せっかくのいい気分をこわすことはない。こころよい会話があればそれでいいのだ。
「音楽? 好きというわけではないんです。ただ静かなものがいいので」
 やはり愛想のないへんじだ。たしかに水のように静かな音が流れている。主人のことばにうそはない。ただ呵責なく正直なだけだ。
 扉がひらいておとこがひとり入ってきた。そのまま窓際のテーブルへすすんだ。
「おひとりですか?」カウンターから主人が言った。
「ええ?」おとこは目をそとへむけたまま立っていた。
「カウンターのほうへ」
 ここにくるひとり客はみんなカウンターがご指定なのだ。おとこは憮然とした。
「ひとが来るのを待っているんです。それをここからみていたいんですが・・・・。だめなんですか? だめなら出ていきます。どちらにします!」
 切り口上のどこにもことばをはさむ余地はなかった。
「・・・・・」
 背後で扉がしまるはげしい音がした。主人の屈託が聞こえるようだった。
 いぜん音楽だけは鳴りやまない。マッチをすりシガーをふかした。天井、床、柱、カウンターのすべてが暗褐色のきれいに磨かれた木材で内装され、漆喰の壁にはめこまれたステンド硝子が、室内に夕陽のようなちいさな光のアクセントを奏でている。この店にはじめて来たのはあれはいつのことだったのか。むかしのようにもついこのあいだのようにも思われる。
 幅ひろの硝子のむこうに細い樹がいっぽんのびていた。
「あの樹のなまえはなんというのです?」
 室内のこわばった気分をまぎらわせてやりたかった。
「ハナミズキです。街路樹にはよくあるやつですよ。葉がもうすぐ黄色くなるはずなんですが」
 そこで主人はくちをつぐんだ。今年の気候はたしかに不順だった。いやなにからなにまで・・・・。
 そういえばむかしカウンターにみかけた老齢の婦人は主人の細君だろうか。尋ねてみる気にはならない。静かな音楽を好んだのは細君だったのかもしれない。主人の屈託にも理由があるのだ。だれがそんなことを知るだろうか。
むかしここで会って話をしたおとこはもうこの世にいない。ここでチーズケーキを食べたおんなはいまどうしているだろう。
 暗い水音がふと聞こえ、曇り日の川面に花のような微笑がうかぶと、波紋のように消えていった。
「この店ができてもう何年になります?」
「十三年ですよ。このあたりもずいぶん変わってしまった」
「もっと静かだった」
「ええ。ほんとうに。・・・けたたましい時代ですからね!」
 低い容赦のない主人の声がひびいた。窓からみえるハナミズキが風にゆれている。



 (この短文は一詩人の突然の死を追悼して、平成十年十月に書かれたものです)


プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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