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「仮想通貨革命」野口悠紀夫

 野口悠紀夫の「仮想通貨革命」を読んだ。野口氏は「はじめに」でハンナ・アレントの「革命について」から二つの政治的意味を引き出している。第一が人間の力では押しとどめることが不可能なこと、第二が循環する周期運動であること。この二つが政治思想家のハンナ・アレントが「革命」から取りだした二つの側面である。
 「仮想通貨革命」においてもこの二つの側面を見て、氏は「はじめに」で書いている。「仮想通貨のことを知ったとき、私は『東方三博士の来訪』を思い浮かべた」と。その意味は「仮想通貨がベッツレヘムへもたらしたIT革命による三つの贈り物であるように思われるからだ」として、第一はPCであり、第二はインターネットであるが、これに送金という経済活動の従来からの形態が新しい通貨によって変革される可能性を思い描くのである。
 コンピューター技術の進歩からもたらされた仮想通貨のすぐれた特性は、「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則による反論が、ハイエクの「貨幣の非国有化」で正しく指摘されたように、グレシャムの法則が成立するのは、悪貨と良貨の交換比率が法律によって固定されている場合だけである。金の裏付けや中央銀行の管理がないことから、仮想通貨は信用性がなく通貨ではないから、いつかは破綻するとの非難に対しては、金の裏付けや中央銀行の管理は通貨の必要条件ではないとして、中世イタリアの両替商で始まった預金通貨はこのとき既に金貨ではなくなっていたことを指摘して、モノから情報に進化しており、17世紀までは中央銀行のない通貨体制が続いていたと、ハンナ・アレントのいう第二の革命性である「循環する周期運動」を仮想通貨にみている。なぜなら、もともとIT革命自体が回帰的な性格を強く持っており、それは産業革命以前の世界、つまり小規模な独立自営業者の経済への回帰を促す要因をもっていた。即ち、インターネットにより通信コストが激減し、集中から分散型の分権経済の構築を可能ならしめたのだと。
 だが通貨革命の影響はそれだけではない。その中核にあるブロックチェーン技術は経済取引に拡張が可能であり、金融資産の取引がいまはない分散市場に移行することで新資産が作り出されて所有権の概念が変わる。仮想通貨(ビットコイン)は世界を変えるはじまりにすぎないというのである。
 野口氏はNHKの「欲望の経済史」という番組に毎回登場していた。そこで話されたことだが、60年代に野口氏が大蔵省へ入ったときの総理大臣は田中角栄であったそうだ。角栄さんは入省の新規職員20名を一室に集めて訓示したらしい。その時に角さんが開口一番に言ったことは、「君たちの上司にバカがいて、君たちの提言を聞かないときは俺のところに来てくれ」という新規職員を驚かすものであったという。さらに若き野口氏を驚嘆させたのは、一列に並んだ進入職員の名前をその顔をみて、一人ひとり呼んだというエピソードであった。野口氏が「パソコンの整理術」という本を書いていることからも、IT技術に早くから精通していたことは言うまでもないだろう。このITとAIの技術が世界を変えないわけがないのである。私がパソコンがスーパーコンピューターに変わったことの画期的な意義を教えられたのは、早くからAIに関心を懐いて幾冊かの著書をだしていた西垣通氏であり、氏の書いた「パソコンの思想」という本であった。また、横道に逸れたついでに、ごく最近上野の都立美術館でみたブリューゲル展は、野口氏が「循環する周期運動」で回帰するという17世紀の画家であったが、その絵画世界が私を魅したのは、楽園のように美しい風景画であったことだ。しかし、このへんで本題へ戻ろう。
 以上が本書のかいつまんだ要約であるが、「はじめに」と第5章の「通貨革命は社会をどう変えるか」だけでも、あたまの隅に入れて置いても損はないだろう。
 かつて、ある一流の証券マンがこの著者を役人あがりの学者にすぎないと喝破したが、優秀な学者にある想像力をバカにしてはいけないのだ。井戸の中の蛙にはどうしても見えないのが、井戸の外に広がる大海の存在であることもまた確かなことだからである。



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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