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回想「1984年」

 ジョージ・オーエルの著作「1984」は、全体主義を批判して1948年に書かれたデストピア小説ですが、この題名はこれが書かれた48年をただ逆転しただけであった。これ以外には「ヨーロッパ最後の人間」(The Last Man in Europe)という題名が用意されていた。最年少でノーベル文学賞を受賞したアルジェリア生まれのアルベール・カミユは、1960年に自動車事故で亡くなった。当時自殺説も囁かれたが、鞄から発見された膨大な原稿は、「最初の人間」という小説の草稿でした。カミユがオーエルの「1984」を意識していたかどうかは不明ですが、「ペスト」を書き反ナチ抵抗運動に挺身したカミユがオーエルの文学に熱い視線を注いでいたとしても不思議ではないでしょう。
 最近、書棚を整理しておりましたら、「詩都」という旧い同人誌がでてきました。これは新宿の高層ビルで働く役人たちの同人誌でした。1984年の「詩都」第10号には、作家となった童門冬二氏の寄稿がありました。思わず目次を眺めますと、私の本「花の賦」の表紙絵を描いた人がエッセイ風の評論を載せ、詩一篇と「ヴァレリー断片」というエッセイとも批評ともつかない私の作品を見ることになりました。後者は詩ではないのですが、詩のジャンルに入れられています。くだんの人が書いていた評論は、「“生活が消えた”時代のレプリカント幻想」という題名で、ポール・ニザンの「アデン・アラビヤ」のプロローグを配し、わりに長い文章となっています。最終行だけをここに取りだしておきましょう。
「とまれ、私達はこれから、ユートピアと悪夢が、私達の精神によってくるりと入れ変わってしまうような、空恐ろしい時代を生きていくのである。」
 これはオーエルの「1984」を意識した時代状況を反映したのでしょうが、氏は別号で18世紀イギリスの画家・ヨハン・ハインリヒ・フュースリーの「夢魔」なる作品に描かれた女性の描写に、リアルな肉体が消失していることに、鋭敏な反応を示しています。作家のカミユがアフリカのフランス植民地の出身であることから、ヨーロッパ、特に宗主国のフランスに対しある距離感を払拭することができず、このことからかアルジェリアの独立問題に沈黙していた時期がありました。「私は正義を愛する。だが私の母親のためなら命を惜しまない」というカミユのことばには、硬直化していく思想への懐疑が窺えるでしょう。「異邦人」の主人公・ムルソーの投影を感じられるかもしれません。サルトルとの有名な論争「革命か反抗か」で、サルトルに押され気味になる実情はカミユの「反抗」の思想の核心にある「中庸」から必然的にでてくるもので、エッセイ「夏」「結婚」「裏と表」には、アルジェリアの土地への愛着が反映されています。カミユの遺稿「最初の人間」にはヨーロッパ的な文明を批判的にみる目が感じられます。浩瀚な「カミユの手帖(全)」の読みかけをついつい読み出してしまいましたが、このカミユに先行して20世紀ヨーロッパの精神の危機をその全精神で感得していた詩人にして哲学者のポール・ヴァレリーは、あらゆる事象の知性による組織化によりこれに抗いました。デカルトの男性的な精神を賞賛しながらも、頭脳の鍛錬以上のものを哲学に認めようとしませんでした。「私は考える、故に私はない」という言葉には非デカルト的な思考がうかがえます。氏が若い時代に書いた「テスト氏」は、精密なる知的な精神が一人の人物の形姿として顕現する様を描いてみせました。詩は知性の祝祭ともいうべきものとしてのみ存在を認められ、偶然の傑作にはなんの意味も認めないばかりか、「文学」への不信はその極限においては、精神になるか人間になるか、そのどちらかを選ばねばならなという極面まで、その対話を導いているのです(「ユーパリノス」)。もとより氏にとっての近代とは、相反し相矛盾する諸傾向、諸思考の共存する時代でありました。ボードレールの評価はこうした観点からなされているので、時には詩はその「罪」を露呈するもので、ボードレールの詩の核心にあるこうした傾向に重要性を見いだしていますが、サルトルは逆にこの点を批判しています。長編詩「若きパルク」も、友人のアンドレ・ジイドの強い薦めなくしては世にでることはなかったでありましょう(「ロンドン橋」)。「テスト氏」には、陸沈の生活こそが理想であり、世間にその精神を晒すことへの嫌悪が瞥見されます。ヴァレリーの壮年期の20年の沈黙はここに原因しますが、「カイエ」にはこの期間の彼の思索をみることができるでしょう。氏がマラルメの弟子のように振る舞ったのは、マラルメへの敬愛からでありました。私がマラルメの詩を知ったのは、ユイスマンスがデカダンスの聖典のような「さかしま」でその詩の断片を紹介していたからです。モーローやルドンの絵画は「さかしま」にはうってつけの絵画でありました。「いずこへなりとこの世界の外へ」というボードレールの散文詩を知ったのもこの象徴派の宝典と讃えられた、主人公のデ・ゼッサント生き方は、私の唯美的趣味にひとときの隠遁と慰安を与えてくれたものでした。こうした事情から精神病理学への私の関心は、哲学と相まってハイデッガーの影響下に「現象学的人間学」等への接近となり、自己への関心と無縁ではなかったのです。ビンスワンガーやフッサールの著作に早くから興味を寄せた理由もここにありました。こうした回想には無意識の改竄が含まれると共に、ほとんど意図的な錯視の潜入もみられます。しばしそれを「反回想」と銘打つ所以もそこにあるので、アンドレー・マルローが自身の自伝に「反回想録」と銘打ったのは行動家の自意識からでしょう。
 さて、この1984年の「詩都」第10号には、「ヴァレリー断片」とともに、1990年に出版した詩集「海の賦」の巻頭に載せた「讃歌」という詩がみえますので、ついでにこの海という自然への愛憎半ばした、たわいのない一篇を掲載することをご寛恕ください。

     ぼくは 諦めた
     海への旅も
     青空も

     あるものか
     心酔わす 一滴の酒
     ミューズの神の翔たく
     詩と音楽に優るものが

     竜骨よ
     砕け散ろ

     びっこをひいて
     よろめき歩く このぼくに
     定められたる道を行く

     ぼくは「時間」を掠めとる
     それらを結び 花輪にし
     ぼくの「永遠」を飾るため




プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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