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小説 「ラプソディ・イン・ブルー」

 昨年の秋、妻に誘われて日本橋のデパートで開催中の生け花の展覧会を見ての帰りのことであった。
そのデパートの近くに、私が最初に配属先になった会社の支店があることをふと思い出し、またその当時よく通ったことのある喫茶店がそのまま残っていたのを幸いと妻と二人で入ってみた。その喫茶店のほとんんど昔と変わらない椅子に、私は妻と向かい合わせに座ると、二階へ上がる正面の階段の壁へ自ずと目が動いていた。とその壁に、昔となんの変わりもないように掛けられたボナールの絵を見たときは、なにか二十五年ほどの時の経過が嘘のように思われ、虚を衝かれるような思いを一瞬味あわされたのである。ちょっという間に街の佇まいが変わっても、一向になれっこになって不思議ともなんとも思わない東京という都会に住んでいると、変わっていないことが反対に奇妙な思いをさせることがあるものだ。私のように激しいビジネス社会の中で生き、日々の競争に明け暮れしてきた人間には、変わらないということはむしろ異常ですらある。この私でさえ随分に昔と変わったと妻に言われても、自分がどう変わったのかわざわざ妻に聞きただすのも面映ゆく、ただ苦笑でその場を紛らわしてしまうばかりである。そのせいか若かった頃のことはできるだけ忘れるようにしている。というよりただ単に慌ただしく生きてきただけなのである。 
 旧友のYとつきあっていたのも、だから三十ぐらいまでだっただろうか。青年時代にある詩人のことを私に教えてくれたのがYであった。二十歳で自分の詩集を暖炉に放り投げ、最後はアフリカで一商人としてのたれ死んだ伝説的な詩人だ。私もご多分にもれず、学生時代の若い頃は文学青年のひとりであった。いまとなっては考えただけで脇の下に脂汗が流れてきそうだ。
 思い返せば当時入学したばかりの大学は、学内が騒然としてとても落ち着いて勉強などできる雰囲気ではなかった。それはアメリカが東南アジアの一角で、泥沼のような戦争をしていたせいかもしれない。一年と経たないうちに、大学校内はバリケードが築かれ授業はストップ。仕方なく大学近辺の喫茶店やら、せいぜい大学の図書館で暇をつぶすしかなかったのだ。法律を勉強して弁護士にでもなろうとしていた私は、いつのまにやら哲学や文学などという観念と妄想の世界へ入り込んでいた。しかし私もYも当時の大学紛争というあの殺伐たる活動には馴染めずに、一歩も二歩も距離をとっていたのは共通していたように思う。二人とも当時活動家と呼ばれる人達の拠り所とする原典というものには、一通りの読書をひそかにしなかったわけではない。しかしそれらの思想や理論は、当時二人が抱えていた一種内的な精神の飢えともいうべきものをとても癒やしてくれはしなかった。その点、Yが教えてくれたその詩人はちがっていた。というよりもいまから思えば、私はその詩人の伝説的な生涯に勝手に熱をあげていただけだったのかも知れないのだが。私はただ大学紛争の活動家たちがその思想と理論の根拠を必要としてしたように、文学などに傾斜していかざる得ない自身の惰弱を切り捨てる口実を、Yが教えてくれたその詩人の無惨に終わったその生涯の軌跡に投射していたに過ぎなかったのだろう。しかしYは所詮私のようにただ世間的な秩序とその権威に弱い俗人ではなかっただけに、その若い人生のとばくちで強く影響を受けざる得なかったその詩人と生半可につきあっていたのではなかったらしい。いや私としては、こんな青臭いやくざな内輪話はこの際どうでもいいのである。私が話したいのは、そのもの哀しいまでに変わらない旧弊な喫茶店で、まったくの偶然にも旧友のYの細君に逢ってしまったことだった。
 むこうはもちろん私のことなど覚えていなかった。私はYの細君と立派に美しく成長した娘さんとをみて、ちょっと挨拶がてらYの近況でも聞いておいても悪くはないと思い立った。Yの聡明そうなその細君の話だと、Yが一通の手紙を細君に残したまま、どこか海外の方で行方知らずになってかれこれ十年が経つという。細君は顔色ひとつ変えず、淡々と要点だけを伝えると、まだ蕾のようだがすでに清艶な美しさを湛えた娘さんと席を立ち、会計の方へ歩きだしていた。そのとき私の中で得体の知れないものが鳴動し、壁が奥の方から剥がれるような思いを味わった。私はすでに外へ出ていた細君を捉まえると、後日連絡したい旨だけをつげ、呆けたような表情で妻のところへ戻っていったのである。
「どうしてらしたの」といかにも子細ありげに尋ねる妻に、私はただ「いいや、なんでもないんだ」と答え、飲み残しのにがい珈琲を干しながら、それ以上の妻の無用な質問を断つかのように先に立ち上がると、その時代遅れの喫茶店をあとにした。

 一週間後私は細君に電話で連絡をとり、もしさしつかえがなければ、Yが残していったというその手紙を読ませてはもらえないかと申し出た。細君は少しばかり考えこんでいた。その沈黙の中から、意を決するかのようにその手紙はあなたに差し上げましょうと言った。
「よろしいのですか? 私はちょいと借りるだけでいいのですが・・・・」と驚いたように私は問い返した。
「いえ、かまいません。もう八方尽くすだけの手は尽くした以上、私どもにはその手紙の差出人には相当なる義務は果たしたと存じております」。
 私は電話の向こうの細君のその残酷なほど怜悧な声に一瞬驚いたが、その細君の断固とした口調の下に重ねられてきた二十五年という時の経過を、その時、つまりYの細君への手紙を読む前の私には想像することができなかったのである。
 数日して細君からその「手紙」とやらが送られてきた。
 私は家族が寝静まってから、封を開きそれを手にした。すでに褪せてはいたが、青い封筒に包まれてその手紙が入っていた。どこか遠い異国からのものらしいが、発信場所はあまりに汚れていて判読は不可能、差出人の名はたしかにYであったが、その字はすでに擦れて半分消えて読めない状態であった。
 つぎのものがそのYの細君への手紙のほぼその全文である(判読不能の箇所が幾つかあった)。ここにその「手紙」を掲載するについては、Yの細君の許諾を得る要はすでになくなっているものと、どうかご了解を願っておきたい。



《窓の外では静かな海が亜熱帯の太陽に灼かれている。だがなんとすべてが黙していることだろう。まるで時間が溶けて流れ、永遠がぼくの目のまえで、このぼくを釘づけにでもしているようだ。
 この太陽の下のとろけた青い海を見ていると、死のうと思ってやってきたこのぼくの意欲はそがれ、ぼくが死ぬことなどまるでなんの意味もないような気さえしてくるのだ。この無疵な自然をまえにして、人間は死ぬことなどできるものだろうか。たとえ死ぬことができたとしても、果たして死んだといえるのだろうか。こんな想念が、ぼくの頭をまるで一羽の鳥が空をゆっくりと弧を描いて飛んでいくように、くっきりと現れては消えていく。この島へ着いて、この窓から海を眺めてもう十日もすごしてしまった。この青い海をみているうち、ぼくは君にいつしか心の中で話しかけている自分に気がついた。共に八年も暮らした君が、いまほど近くに感じられたことはない。これが人の心というものだろう。心いがいに人が人に触れあう場所は、この世の中には存在しなということがやっと身にしみたのだ。それでこの明るい窓辺の机に向かって、果たして君へ届くかどうか覚束ないこんな手紙を書いているぼくを、どうか変な奴と思わないでほしい。どうか黙って君もぼくの心の中で、ぼくと一緒にこの長い手紙を読んでほしいのだ。

 ぼくは君にぼくの犯した過ちを釈明したいとは思わない。それはとても言葉で釈明できるものではない。君のあまりに大きな信頼のまえで、ぼくがどんな裏切り犯したか、それは筆舌につくすことは不可能だ。ただぼくはもう君が生きているこの世に生きていることはできないと思うだけだ。死がその答えだとは思わないが、これ以外にぼくが選べるすべはないのだ。

 あの女とのこともはじめは軽い冗談といってよかった。世間でいうちょっとした浮気だった。それが自分で不思議なほどいつしか泥沼にはまりこんでいた。浮気をする男を演じていた自分が、いつのまにやらどうにも身動きがとれない深みにいたわけだ。男を愛する女の恐ろしく深い能力を知ったとき、すでにぼくはその愛から這い上がることなどできなかった。逃れようと思えば思うほど、その深淵はぼくを掴んで放さなかった。あの女がぼくを魅了したというわけではない。形容しがたいその「愛」がぼくを捕らえたのだ。それはなんと遠いところへ人を連れていくことだろう。
 恐ろしい愛の魅惑は死の魅惑だ。この愛は人間を根こそぎにする。充たされた欲望はさらに大きな穴をほって、より一層大きな欲望を目覚めさせる。短かった逢瀬は少しづつ長引き、一週間に一度の逢い引きが二度になり、ついに数夜の外泊へと発展する。白いシーツに浮かび上がった闇のなかで、「好き」という女の短い発語が熱い吐息に混じりはじめるとき、疲れた身体を奮いおこして、ぼくはそれに答える。「好きだ」と。・・・・。ああ、大都会の夜の底に蠢く二匹のけもの。その安らぎの世界がどれほど深く、ぼくたちの魂を解放させてくれたか、君が知ったら!
善意にあふれ、誰よりもやさしい君は、そのあまりのおぞましさに顔を赤らめ、気絶をさえしかねまい。
 ぼくは君を愛している。君は変わらないぼくの妻だ。だがぼくは、君を愛しているぼくの愛情と、あの女との交情をとても同じ秤にかける気にはなれない。人間の魂の世界は広く、海のように深いのだ。君とぼくとで守ってきたぼくたちの家庭は、この広く深い海のうえにうかぶ一艘の小舟にすぎない。この海、この魂こそ人間が生きている源泉なのだ。君は夜、君が子供たちと寝ている隣の部屋で、ぼくが赤々と燃えるストーブの炎をみつめながら、何を考え何を思っていたか、きっと理解してくれたと信じている。そうだ。女はその海だった。海がぼくを噛んだ。夜の海がぼくの魂を噛んで放さなかった。君との誓いをぼくが忘れたわけではない。ああ、結婚、家庭、愛しい子供たち。人の一生と同じように、永遠のまばたきのまえでは、それは朝の陽炎のようなものなのだ。目覚めたばかりの初々しい魂にこそ、朝露は美しく輝いてくれる。ぼくは疲れていた。ぼくの魂はとうに死んでいた。日毎死につつ、ぼくは君と子供たちのために働いた。夜ごと、君を愛そうと務めてきた。
 ーこれが人生だ。
 とぼくも思わないわけではなかった。しかしそのたびに、瀕死のぼくの魂は反論した。
 ーこれが人生か、と。
 君はきっと言うだろう。好きなことをし、好きなように生きて、それで死ぬなんて! ああ、どうかそんなふうに思わないでほしい。人生を好きなように生きるなんてできるものではない。これがぼくの人生だったのか! と。こんなふうにしか人は生きることができないものなのだ。この人生は恐ろしく不自由なところだ。そしてこの不自由極まりない人生の果てに、人を待っているもののことを思うと、ぼくはぼくの人生という牢獄から、別の新しい世界を求めずにはいられなかった。
 現にある平凡な生活を守ることがどんなに難しい事業であるか、ぼくが考えなかったわけではない。無邪気に寝ている君や子供たちの顔がどれほどぼくを圧倒したか。ぼくの足下で魂の海が鳴りどよめけばどよめくほど、小さな一艘の小舟をどれほど不憫と思えたことか。
 季節の折々、職場と家との往復の道すがら、終始ぼくはぼくの生活をしたいと願ってきた。
幸、不幸は与えられるものだ。結婚や家庭、それに職場や社会といったものについてね。ぼくは確呼としたぼくの人生を果てまで生きたいと思っていた。そしてぼくの人生とは、ぼくが望み、ぼくが時間と格闘した軌跡が、はっきりとした年輪を刻んで形になってくれるものでなければならなかった。
 ある日ふと街角でぼくはぼくの影を見た。いや、影がこのぼくを見たのかもしれぬ。影はぼくだった。ぼくの人生は歩く影にすぎなかった。淋しい笑いがぼくの身体から洩れ、容赦なく新聞紙へあたる風はぼくの空白の心をめくっていった。
 ああ、なんと恐ろしい風だろう。風はぼくの心の片隅を吹きすぎ、ぼくの魂の迷路をまざまざと晒しだしたのだ。得体の知れないものがぼくの魂の深みで鳴動し、ぼくは立っていることもできずに座り込んだ。雨が路上の窪みに溜まっていたのだろう。そこに映っていた青空がぼくの眼に反射し、一瞬眩暈がして、ぼくは空へ落ちたような錯覚を覚えた。磨きぬいた鏡のような青空が、小さな水溜まりに光っていた。ぼくがそのとき見た青空ほど美しい青空があっただろうか。その透明な青い空の反射は、ぼくの全身を貫いて、鋭くぼくの不意を襲ったのだ。影は消え、ぼくは惑乱して解体した。静かな青の光がぼくを充たし、その茫然自失の幸福に酔いながら、魂はふたたびぼくを掴んで浮びあがった。ああ、なんという浄化と覚醒があったことだろう。ぼくはぼくを掴んでたちあがった。これがぼくだと。そのときぼくが味わったあの確呼たる存在への知覚を、いまどうして甦らすことができないのだろう。あの強い感情こそ、人生と生活にはなくてはならないものなのだ。人は自分の人生を影のように送ることはできない。にもかかわらず、なんと多くの人生が影のように通りすぎて消えていくことだろう。
 どうしてぼくはこんなところにいて、こんなものを書いているのだろう。この窓にひろがった静かな青い海をみていると、すべてを容してくれそうな君の瞳を思いだす。ぼくは二度と君に逢うことはないだろう。だがぼくはこんなに自由な気持でいることできるなら、(この後三行判読不能)。
 思えばぼくはこういう自分こそ、この人生で捜し求めきたような気がする。それならば何故ここから生きることができないのかと君は言うだろう。ぼくもそう思う。なぜここから新たに生きなおすことができないのかと。・・・・(この後一行判読不能)。
君が生活というものなら、あの女はぼくにとって夢のようなものだった。見た夢をそれが醒めた後で正確に他人へ伝えることは難しい。だがぼくはこうやって君と共有する最後の時を、その困難と戦うことですごしたいと思うのだ。
 君はとうに知っていたと思うが、あの女に逢ったのはやはり海でのことだ。このぼくの人生は波のように絶えず海から生れ、海のなかへと消えていく。
 人生は海のようなものだ。海にもぐり海をのぞいたことのある人間なら誰でも、陸から見える海の底には、測り知ることができない別のせかいがひろがっていることを知っている。ぼくたちはぼくたちの見た海を海だと思い安心している。だがその海が別のもう一つの海でできていることを考えようともしないのだ。君はぼくを見て安心している。だがぼくは君が想像もつかない別の「生活」をしていることだってあり得るのだ。君から見れば、そんなぼくの生活はきっと「夢」としか名指すことしかできないだろうが。
 実際あの女はそういうぼくの生活に、海の香りを漂わせて現れた。夜の海辺のことだ。海にもぐる仲間と一緒に、ぼくが潮騒が枕もとにまで押しよせてくる、海沿いの宿屋に泊まっていた夜のことだった。真夏のことで暑くはあったが、ぼくたちが横たわる部屋へは、波のひびきとともに、心地よい海からの風が吹き通って、窓辺のカーテンが夜目に白々と翻っていた。仲間は昼の遊びのせいでぐったりと寝入っていた。ぼく一人妙に透きとおった気分で眼を醒ましていた。とその闇のなかを白い蝶が一匹横切った。その蝶に誘われるように、ぼくは一人下駄を履いて外へ出た。月が海のほうから、暗い海沿いのアスファルトをぼんやりと照らしていた。空と海の境も、海と空との境も見分けのつかない闇が茫漠としてひろがり、ただ波が陸を叩く不気味な轟きだけが足下を震わしていた。腹にひびくその単調な波の音はただ寥々として定めなく、視線は茫々とひろがる闇に紛れて海の背さえ覚束ない。ぼくは強い海からの風になぶられ、ぼんやりと月に照らされた舗道を行きつ戻りつしていた。そのうちどこからともなく下駄の音が聞こえ、ふりかえると暗闇に女が立っていた。ぼくはあの女だと咄嗟に思った。女は皓い月のように淋しく微笑むとぼくに寄り添ってきた。きつい海の香りが鼻をつき、ぼくは女と一緒にアスファルトの道を降りて行った。道はますます暗くなり、ぼくたちはたびたび足をとられてよろめいた。夜の底で海が吠え、地が呻いた。ぼくは女の肩を引いた。
「こわい」と風の中に女の声がした。すぐそばに海を見た。暗い底知れない海が、何かを待ち受けるように横たわっていた。砂の上に女が倒れ、胸から乳房が溢れ出た。女はぼくをひきたおすと、強くぼくを噛んだ。ぼくは女の着ているものをむしりとると、その暗い入江に頬をおしあて、強い海の香りに染みたそのからだを抱いて深々と呼吸した。地をはって波の音がその入江に谺し、おぞましくもゆたかな自然、海の全身が、ぼくのなかへと流れこんだ。海へ海へ、ぼくたちはその暗い入江に身をたおし、泡だち溢れる夜の海と一体になった。これがあの女にぼくが出合った夜の海辺のことだ。
 
人はなにか大きなものと出合うために、小さな毎日を生きている。大きなものとは人それぞれが求め、きっといつしか出合うはずの運命というものだ。その運命と呼ばれ得るなにものかによって、はじめてぼくたちの小さな自我は抱きとられ、未知の歴史へ手をひかれて歩きだすものだ。人間の魂とは、その運命という未知の女神を捜し求めてやまない永遠の渇きだ。眼のまえにその女が現れたとき、躊躇なく旅立たねばならない。それは現前であり召命なのだ。でなければぼくたちは永遠の後悔に苛まれるにちがいない。その運命がどんな苛酷な体験で報いようと、ぼくたちの自我が成長する道はそれ以外にないのだから。
 君と子供たちから離れ、ぼくはあの女と生きはじめた。生きるとぼくは言うが、そこには世の生活を満たすものはこれぽっちもありはしなかった。都会の生活はあの女には死ぬほど退屈なものと映ったし、ぼくにも灰汁のなかで浮んでいるも同然と思われた。そこでぼくたちは有金をかきあつめて、二人の耳の奥で鳴りつづけてやまない海へ出た。
 ぼくたちはちょっとした旅行を計画した。ガム、ヤップを経てパラオ諸島、それから台湾からフィリッピン、フィージー、ヘリブデス、ニューカレードニアまでを潜りぬこうというものであった。パラオのあまりに美しい海では、あの女は深く潜りすぎて軽い潜水病に罹り、三週間もぼくたちは小高い丘の上のホテルコンチネンタルで過さねばならなかったし、フィリッピンでは洞窟探検を試みて危なく命を落としかねなかった。フィジーの夜の海では、ライトの先に浮び上がったまるで宝石箱をひっくり返したような世界に、あの女の驚きの声が水の中で聞こえてきた。ヘリブデス、ニューカレドニアの満点の星屑にまみれて、ひときわ大きく瞬く南十字星を眺めるころには、ぼくたちの財布は底をついた。それからあの女の提案で、やっとの思いでオーストラリアのシドニー湾に転がりこんだときには、ぼくたちの身体は栄養失調で無惨なほど痩せ衰えていたのだ。幸いなことに、シドニーにはあの女の知り合いがいて、ぼくたちはその知り合いの屋根裏のような駐車場の三階で漸く暮らすことができた。その知り合いがあの女とどんな関係か、ぼくは知りたいとも思わなかったが、とある夕べ食事に招かれると、ぼくたちは丁重に立ち退きを言い渡された。あの女は侮辱をうけたと言って興奮していたが、ぼくにはその理由などわかろうはずはなかったのだ。
それから一年余り、ぼくは女を残し漁船に乗り込んだ。それはこれからのぼくたちの航海の資金稼ぎとその技術とを習得しようとの算段からのものであった。その間あの女は仕方なしに雑貨店の住み込みで働いていた。ぼくは多少不安を感じたが、女が提案した次ぎの計画のためには、どうこう考える余裕などなかったのだ。がぼくが一年ほどの航海と漁船生活に耐え、やっとの思いで帰ってくると、あの女の姿はなかった。女は最初から働く気などは毛筋ほども持ってはいなかったのだ。ただ飢えで渇き、貪婪なまでのあの女の魂は、律儀な生活など天から受けつけるはずはなかったのだった。店の住み込みを一ヶ月で放り出し、まだ少年のような青二才とあの女は海辺の一艘のヨットの中で暮らしていた。
 海の荒くれ者と一年も一緒にいたぼくは荒みきっていた。カッと頭に血がのぼり、いまでもそのときぼくが犯した行為を、はっきりと思い出すことができない。ただぼくの頭の上で、夥しいほどの鴎が鳴き叫んでいたことだけははっきりと覚えている。あの女が烈しく制止するのも聴かず、ぼくはそのまだ年若い青年へ殴りかかった。あっというまに、青年は船底に倒れ、口から血を出して仰向けに横たわった。ぼくが正気に返ったとき、あの女と海の上にいた。夕暮の波ひとつない静かな海だ。夕陽があの女の頬を染め、真珠のような涙が光っているのをぼくは見た。ああ、幸福とはなんという代償を要求するものだろう。ぼくがそのとき見たあの女の頬にきらめくものほど、ぼくを幸福にしてくれたものは、その後二度となかったのだ。
 ぼくはこの世から二度自分自身を追放した。一度は君と子供たちを捨てたとき、二度目はあの青白い青年を海辺で殺したときだ。もとよりすべてぼくがあの女を愛したからにほかならないが。

 ぼくたちの一艘の舟は、シドニー港を逃げるように、ぼくたちの計画した旅のうえをすべりはじめていた。慌ただしくグレートヴァリアリーフに別れをつげ、ぼくたちはスリランカ、モルジブ、紅海、地中海へと、三十八フィートの小さなヨットで旅をつづけていくことになった。

 恐らく海が何でできているかを海の魚にきいてもわかるまい。人々が孜々としてして営む陸での生活の意味をどうしてぼくに窺い知り得ようか。ぼくとあの女と過した、あの気の遠くなるような広い海から海への生活をいったい何にたとえることができるだろう。自然はぼくたちを呑み込んで瞬きひとつしないくせに、なんという乱打、咆哮、強熱をもて、小さなヨットでのぼくたちを迎えたことだろう。
 あの女は最初の船酔いに耐え抜くと、まるで見違えるばかりに海の苛烈な自然と戦った。海と空の霊気があの女にのりうつったかのように、あの女はヨットの上で嬉々として働いたのだ。
 そしてぼくとあの女は、国から国へ、島から島へと放浪の旅を重ねた。風と光と波が、ぼくたちの生活を彩り、ぼくたちの魂は深々と風を胎み、肉体はマストのようにしなやかになっていった。上陸してぼくたちはいたるところで、人間のさまざまな生活を見た。見ることがぼくたちを喜ばし、ぼくたちの生活と化していった。誰もぼくたち二人を怪しむものはなかったし、苛烈な自然を相手の海の生活や、さまざまに見たり聞いたりする出来事が、過去の悲惨な事件を忘れさせてくれるのだった。もちろん舟の修理や燃料の工面それに食料や最低限の必需品の購入のため、陸に降りて二人して働くことはあったが、それらの苦労は舟が海をすべりだすうちに、いつしか洗い流されてしまうのだった。世界は広く、人間の地上での多様な生活は、夜の無数の星の輝きにも似た畏敬の念をさえ、小さなぼくたちの胸にあふれさせずにおかなかった。戦争と平和。犯罪や病気。見るも無惨な虐殺とそんな町や村にもある団欒の夕べの灯。少年や少女の初々しさ。老人たちの孤独など、ぼくたちが見たものはそのままぼくたちの喜びとなり苦しみとなっていったのだ。
 だがどうだろう。そうやって数年が過ぎるうちに、舟底に水が浸入して溜まってくるように、ぼくたちの二人の生活に、言いようのない倦怠が広がりはじめたのだ。ぼくたちはもう何を見ても何も感ぜず、どんな驚きも歓びも心に湧き立つこともなくなった。ばったりと風がやんだ幾日も凪いだ海のように、ぼくたちの魂は死んだように動かなくなった。二人は空気の淀んだ舟底に横たわったまま、まるで廃人のように、互いに眺めては、舟の操縦さえ忘れてしまう有様だった。潮に流されたままのヨットの甲板は炎熱で焼かれ、飢餓は容赦なくぼくたちを襲った。空腹に噛まれ海に釣糸を垂らしているぼくの背後で、あの女は手にナイフをもったまま、凄まじい形相でぼくを睨み佇んでいる姿ほど、ぼくをぞっとさせたことはない。ああ、人間の魂が無限に焦がれても、人間の心の世界がそれをうけいれることができないとは! 大自然の脅威に戦うことができた人間が、心の中に吹き荒れる嵐に耐えることができないとは! とうとうぼくたちは舟を売り払い、とある病院の門をくぐらねばならなくなった。

 あの女がどんな女であったか、それを知ったのは不思議と思うだろうが、二人が病院で暮らした二ヶ月のあいだだった。
 無限を愛し、永遠を希求し、深淵そのものの魂を持っていたと思った女。始原の官能を生き、海の混沌と空の広大に思うさま身を解き放つことのできた女が、狭い病室から一歩も出ようともしないどころか、病室の窓をのそこうともしないのだ。あの女が医者に要求したものといえば、一冊のノートとインクの出の悪い万年筆、ただそれだけだった。病室の薄暗い隅の小机に向かって、一日中点けっぱなしのスタンドの明かりの下で、あの女が何事かを必死に書きとめようとしたことが、ぼくをいたく驚かせた。隣室からぼくが逢いにいっても、もはや何の反応も示さなかった。食事も受けつけず、日に日に痩せ衰えていくのがわかった。話しかけても答えはなかった。ノートはいつも開かれていたが、病院の壁のように白かった。そのうち寝たきりになって点滴を射たれた。それから三日三晩眠りながら独り譫言(うわごと)のようにしゃべり続けたのは、あの女の幻のような遠い過去のことらしかった。ぼくと共に暮らした昨日までの歳月などあの女の中には、一片だに存在しないかのごとく、ただあの女の中に睡っていたくさぐさの思い出の断片が、脈絡のない手紙か電文のように、白い病室の壁に虚ろに響いた。

 ぼくは初めて死んだ女の顔をまじまじと見た。閉じられた眼の下に大きく隈がうかび、その隈に無数の小皺が波紋のようにひろがっている。唇は夢みるように半ば開き、誰かに話しかけているようだ。鑿で削ったような繊い鼻はまだ海の空気を呼吸しているかのよう。乾いた砂浜のような額には、ほつれた髪が海からの微風をうけてかすかに震えていた。
ぼくはふと窓辺に眼をやった。
 一匹の白い蝶が青空の中へ消えていった。ぼくが見ていた夢の終わりのように。

 窓の下は海が翳りはじめた。さっきまで静かだった青い海は、暗く死相を漂わせ、そのうえを兎がはねるように白い波が騒いでいる。ぼくは君になんといって別れればいいのだろう。・・・・・。(この後ニ行判読不能。わずかに「一九八二年」というこの「手紙」が書かれたとおぼしい年号だけが読みとれた)》



 「手紙」を読み終えその青い封筒をとりあげると、そこから白い砂がサラサラと私の机の上に流れ落ちた。恰もそれが細君とYのあいだ、そしてまた同様にYと私との間に流れ去った時間という残酷な事実を証すかのように。そのとたん、Yの細君の電話での声が私の耳の奥でよみがえった。Yがこの世でほんとうに死んだとすれば、それはあのとき、細君によるこの私への決然たる一言によるものではないかと、しきりにそんなふうに思われてならなかったのである。

                  (未完)

(後記)この作品は1995年(平成7年)に発表された。同年の1月には「阪神淡路大地震」、5月に「地下鉄サリン事件」があった。

プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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