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斎藤茂吉

 酒飲めば去る日近づくうつし世で出会ひし人の貌思ひ出づ

 たまたま、新聞で詠んだ短歌欄にこんな句が目にとまった。

 寒空にふと散歩にでてみた。そして、隣町の三筋町に斎藤茂吉の歌碑があるのを思い出した。この町の風呂屋へときおり足を運んでいたのだ。茂吉は明治29年頃にこの町の親戚の家で学生時代までを過していた。この頃のことを長崎で思い出した一首が歌碑にみることができる。

浅草の三筋町なるおもひでもうたかたの如や過ぎゆく光の如や

 「デバガメ」の趣味はないので、森鴎外の筆誅をうける心配はないが、誰でも疑問と思われる、和歌が短歌と呼ばれだした経緯について、その参考に若干の抜き書きをしておくことにした。文献は「岩波現代短歌辞典」(1999年)である。

「明治33年9月発行の『明星』6号では、目次からそれまでの和歌が消え、短歌となった。和歌革新運動の進行が、和歌から短歌への用語の移動を促したことが分る」(三枝昂之)とある。また、この辞典には中野重治の「斉藤茂吉ノート」(1942年)から、つぎのような引用が行われていたので、そちらも載せておいた。

「〈日露戦争は、左千夫にとって単純・透明であった〉といい、それにくらべて茂吉の戦争吟に〈感動と観照とのいくぶん不透明な混合が見られるとすれば、それは、このようにして歌口を開かれた国民のうちに、独自的な茂吉がその一人としてあったこと、事変の近代戦・総力戦としての時間・空間的テンポが茂吉をも追い越したことを示すものであろう〉」(桶谷秀昭)
 
 戦争は平時より格段に技術を進展させる。目覚ましく「言語空間」が変換されるだろう。小説家もこの時代の変転に言葉での想像力により飛翔していかねばならない。今回の芥川賞「ニムロッド」はそういう絶望的な希望を、これまでの小説技法を駆使して書こうとした近未来の作品だ。現代からテーマを吸引する七人張りの合力を発揮しての作品は読み応えがあった。だが、最前線の文学にあるものが空無の涙でしかないのなら、セリーヌの「夜の果ての旅」にある暗い情念がどれだけ深い人間性を湛えていたかを懐かしく思い出してしまうところだ。形容詞に形容詞を重ねて、非現実の領域に形而上の夢を織り上げようとした「アルゴールの城にて」(ジュリアン・グラック:安藤元雄訳)を読んだ。プロバンスのアビニオンにある世界最古のゴシック建築が頭を過ぎった。前世紀のこの反時代的な文学作品と日本の先端的な「ニムロッド」とどこが違うのであろうか。文学観、道具立ては問題外である。
 選評に話しをうつせば、「間もなく終焉を迎える人類文明への哀歌を雑談風の軽妙な語り口で歌ってみせている」この作品に魅力を感じたという島田雅彦氏の表現に注目すべきだろう。「間もなく終焉を迎える人類文明」などと、それこそ軽妙に口にする選者がまさに注目に値するからである。いったい作家という人はどの口から、こうしたことばを発するのであろう。これに比すれば選評されている小説のほうにこそ、今後、真実な試練がやってくるであろう。さらに重いレベルで、遭遇せざるを得ない運命が待っているはずだ。もし、この作家が大成する資質をもっているなら、それを避けることはできないだろう。映画「Uボーと」ではないが、海の重量に耐えるギリギリの深度まで船体を潜航させることができるかどうか、その才能が賭けられているのだが、さて、どうなるのであろうか。

 本題へ戻ることにしようか。桶谷秀昭という人には、若い頃にある茶店で会ったことがあった。ただ黙って私は座っていた。吉本隆明とこの批評家との二人の講演を聞いた帰途のことである。講演の題目は「北村透谷」であった。そして、ジュリアン・グラックの訳者:安藤元雄氏は、三人の詩人たちのセミナーの講師のお一人として、八丁堀にあった職場に3日間きてもらったことがあった。心臓を病んで奥さんがついての講義だった。静かな厳粛な詩人であった。最後に私が購入した詩集は、この安藤元雄氏の「めぐりの歌」(1999)であった。
 
 行きつ戻りつするような、中野の「ノート」にある熱い人間味ある文章が、つぎのような引用へと私を誘い出した。

「茂吉のなかにはわかりにくいものがあるということを私はごてごてと書いてきたが、それは茂吉の特徴がそこにあるということではなく、彼の特徴をいうとすれば、むしろそれはわかりやすさにあるといえるのである。茂吉の特徴は、そのわかりやすさ、その明瞭、それによる力強さにあるといわねばならぬ。」                                                   そこでいまは茂吉の「赤光」から三首をのせておこう。

けだものは食もの恋ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは 
啼くこゑは悲しけれども夕鳥は木に眠るなりわれは寝なくに 
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる

 中野重治の文章はねちねちとして読みづらい。むかし「甲乙丙丁」を途中で投げ出したことがあった。茂吉といえば留学時代に、ミュンヘンでヒットラーの反乱を見て読んだ歌がある。事件の前後にそれぞれ二首づつ詠んでいる。

    (前)
一隊は H a k e n k r e u z の赤旗を立てつついきぬこの川上に
行進の歌ごゑきこゆ H i t l e r の演説すでに果てたるころか

    (後)
をりをりに群衆のこゑか遠ひびき戒厳令の街はくらしも
おもおもとさ霧こめたる街にして遠くきこゆる鬨のもろごゑ

 ヒットラーはこの反乱で拘留され、「わが闘争」を書いた。これを原書で読んでいた男が大学のクラスにいた。教室でアコーディオンを弾いてくれこともあった。卒業後、とあるキャバレーで偶然再会した演奏者の一人がこの男であった。遅く入学した彼には妻子いたはずだ。司法試験の勉強もしていたと聞いたこともあるが、さてどうなったのであろう。人間の脳はたぶんすべてを記憶していると推察される。ただ思い出さないだけではないだろうか。アルゼンチンの作家のボルヘスに「記憶の人フネス」という短篇があった。人の世は懐かしい思い出にみちている。
 
 以前、妻と温泉へ行く途中、最上川を眺め茂吉の家を訪ねたことがあった。錦秋の山肌が美しかった。

のど赤き玄鳥 ふたつ屋梁にゐて足乳根の母はしにたまふなり
   
 茂吉はやはりこの歌がいい。

 斎藤茂吉の次男に作家になった北杜夫がいた。この作家の「どくとるマンボウ」シリーズに、私は大いに笑い転げた学生時代が忘れられなかった。




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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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