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「9條入門」加藤典洋著

 1995年に文芸雑誌に発表された「敗戦後論」以来、文芸評論家の加藤典洋の著書に深い関心を寄せてきました。この「9條入門」は事実上著者の最後の本となりました。上梓されてから3ヶ月後に氏は71歳で病に倒れ不帰の人となったのです。加藤の遺書ともなった「9條入門」に立ち入ることで、その要点のあらましを紹介してみましょう。
 まず現憲法の条文を掲げてみます。

第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 加藤のこの本は、第一部が出生の秘密(敗戦から憲法制定まで)、第二部が「平和国家と冷戦のはじまり(9條・天皇・日米安保)と、大きくふたつで構成されています。全部で6章となりますが、第二部の5と6章に加藤の国連寄りの考えに難点を見ていた者には、ここで国連憲章52条とダレスの関わり合いを知り、さらに天皇の独自外交の推測の提示により、氏の国連寄りの姿勢に補強が為されていることに気づくことでしょう。この具体策は加藤の「戦後入門」(2015年)の第5部「ではどうすればよいか」ー私の9條強化案を参照して下さい。
 冒頭に「はじめにー憲法9条に負けるな」があります。「敗戦後論」(1950)にも「はじめにひとつのお話をしておきたい」としてエピソードの紹介がありました。加藤という文芸評論家は比喩の名手でありますが、本の「はじめに」のところで、読者のためになかなか含蓄に富んだ一文を挿入する人でもあります。ここで立ち止まってこれを紹介しますと、つぎのようなことが書いてあります。
「・・・私は、この間、この本を用意するためにいろんな文献を読んでいるうちに、憲法9条というのは、必ずしも戦後の日本になかったとしてもよかったのではないだろうか、と思うようになりました。というか、一度はそう考えてみる必要があったのだ、と考えるようになったのです。」
 平和についての考え方は、本来下から生れてくるはずのもので、「平和条項」などに吸い上げられ、鋳型にはめられてはひ弱なものになると加藤は思ったのです。
「だから憲法9條はいらない、というのではありません。憲法9條に負けたままでは、とても憲法9条を生きるということはできないはずだな、と思ったのです。憲法9条に負けたままというのは、ただ憲法9条を有り難がっているだけでは、という意味です。」
 加藤のこの本では、この「はじめに」で噛み砕いて言われたことは大事な意味をもってきます。それは読みすすむにつれ何度もでてきますが、「特別な平和条項」と「ただの平和条項」として説かれ、家でいうなら前者は二階、後者は一階に相当するものとかんがえられるのです。こうした考え方はこの憲法が押しつけられたものか、そうではないものかという二つの憲法観の違いにまで現れきます。
 この本は、学者や思想家の考え方を多く引照しながら、例えば、マッカーサーやダレス、アメリカ大統領そして日本の天皇や政治家が登場して、「憲法9条」を廻る関わり合いを紹介します。そうした人物の活躍が綱を編むかのうにして形づくられた憲法の語り口は、あたかも一篇の物語であるかのように読むことができます。本の帯に9条の物語ということばがありますが、まさにそうした読み物として書かれているのです。
 この第一部で加藤はこう言っています。
「私のこの本での考察は、この問題(「押しつけ」の主体とはなんだったのか)についてはの新しい研究成果に立っています。近年明らかになったように、憲法改正の第一歩は、最初からはっきりとした計画のもとではじまったわけではなかった。背後にあったさまざまな力のせめぎあいの結果、進行していったのだという点が、非常に重要だと考えているからです。たしかに「押しつけ」はあった。しかしそれは、1946年2月の段階での、GHQ草案の日本政府による受け入れに関していえることで、しかもその主体はマッカーサーでもアメリカでも連合国でもなく、この三者の力と意図がせめぎあう場のアマルガム(結合体)だったとぃうのが、私の考えです。」
 この加藤の考え、「古典的な改憲論、護憲論の理解では、すでに70年以上を生きた現在の憲法9條が帯びる多層的な意味は、もはやとらえられなくなっている」という現状認識ですが、この書物の根底にあるリアルな前提として大変重要なところです。アメリカの「無条件降伏」政策を「アメリカの陰謀」とした江藤淳の主張を退け、「占領管理権限」をめぐってのいくつかの思惑がからまった連合国間、またGHQとアメリカ、連合国とのあいだの権限の「せめぎあい」であったという分析に引き継がれます。この本の特徴はこうした「背後のせめぎあい」を非常に真摯に把握しようとしている努力にあるのです。「日本占領」の主導権争いについてもそれは発揮されていますが、マッカーサーという人物の個性への注目も、このせめぎあいの大きな要因のひとつであることを加藤は見逃していません。特にマッカーサーのアメリカ大統領への野望はこの憲法の成立ちに大きな影を落としているからです。
 つぎに加藤が注目するのが、マッカーサーと天皇とのよく知られた会談(1945年9月27日)へ至る経緯とその内容です。これはマッカーサーの日本の占領政策と天皇の戦争責任の免除に関連します。結論から先にいうと、第9條は第1条とセットになっていること。即ち、天皇から政治権力を奪い(1条)、軍事力も放棄する(9条)という憲法改正案の浮上でした。
 当初のマッカーサーとGHQの主要な任務は日本の占領政策の遂行で、最重要の課題が天皇の免罪の実現でした。憲法改正は日本に任せるはずだったのです。だが1946年1月に実現した極東諮問委員会(これは米ソ間の妥協の産物、かつ改正ではGHQより優位な権限を持つ)が2月末に発足する事態の進行が、GHQの頭ごしにマッカーサーの「独立王国」が憲法改正へと急速に舵をとって走り出す契機となったとみます。この経緯と結果については本文をお読み戴くことを期待してここで縷々述べることを省きますが、文芸評論家の加藤の面目が光るのはこの部分にあるのです。簡単に述べますと、「マッカーサー回想録」神話の読解を含む憲法9条の性格規定で、ここで三つのことの解明されるのです。一つは天皇とマッカーサーの二人の会見時にあったとされる天皇の「戦争全責任発言」の真偽に関わること、二つ目が9条が「ただの9條」か「特別な9条」(世界に冠たる9条)かという改憲派と護憲派とを別つ事項、三つ目が現憲法が「押しつけられた」のかそうでないのかという、出生の秘密が解かれていくのです。加藤は探偵小説さながらの手つきでこの「秘密」に肉薄しています。
 第二部は「戦争放棄から平和国家へ」となります。ここでの要点は「憲法第1条の天皇制の民主化によって生じた『空白』が、戦争放棄の『道義』性によって埋められる」ことでした。ここでの加藤の認識はこういう形をとります。「なぜ憲法9条が日米安保条約への言及なしでも完結し、不足を感じさせない話法のうちに語られるようになるのか」と。戦後憲法に「革命説」をとった宮沢俊義をはじめ、美濃部達吉、横田喜三郎、江藤淳、南原繁、吉田茂、丸山真男等を登場させ興味ある場面が展開されますが、文芸評論家としての加藤は日本の錚々たる人物へ容赦ない筆捌きで、これらの人物の非と賞賛を惜しみません。そしてマッカーサーとダレスの角逐から朝鮮戦争の勃発、中国という共産主義国の台頭、軍拡競争等を背景に、もともと国連の集団安保体制を前提にした「9条」は、国連憲章に通暁したダレスの巧妙な論理に屈します。そこに天皇による「外交」という驚くべき「事実」が重なり、「ニヒリズムと表裏一体の平和主義」となるというのが加藤が身体の不調と戦いながら記した「9條入門」の物語でした。しかし、加藤が発した問い「昭和天皇の心中の苦悩に焦点をあてた本は、これまで一冊も書かれていないのではないでしょうか」というつぶやきを含む「天皇と9条」の部分には、著者の心理のゆらぎが入り込んでいるように見えてなりません。
 著者は実に多くの文献を渉猟し、調べあげ、微に入り細を穿つ類いの研究と努力の跡が見られます。「ひとまずのあとがき」を読めば「つぎの本」を書く予定があったことが知られますが、大変に口惜しいことに、病変がその可能性を奪ってしまいました。この「つぎの本」が「もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために」(2017年8月)を踏まえたものであることは、たぶん空想ではありますまい。この「9條入門」はリベラリストたらんとした加藤の最後の著書となりました。
 さきの本「尊皇攘夷思想のために」に、氏はつぎのニ行を書きつけていることは注目にあたいします。疲弊するばかりの日本の思潮にある危険を承知で幕末の精神的な血潮を注ぎこみたいというプランがあったのです。
「八月の空のした、二人の天皇の声が重なりながら降ってくる。」(「八月の二人の天皇」)
「善悪の基準とは何か。明治150年を前に私はひそかにそう考えている。」(「明治150年と『教育勅語』」)
 いまはただ、加藤がみた未来の展望に何を描こうとしたのかを夢想しながら、氏のご冥福をお祈りするばかりです。



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プロフィール

masuryuu

Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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