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料理から小説へ

 辰巳芳子という相当な年齢の料理研究家が、料理というものが人間の生活の中心になる大事なものだと教えてくれた。食べるものを作る料理は、人間の「命を守る」ための大切な仕事なのだ。毎日の食事に、スーパーへ行き、外食産業を利用すれば、時間をかけずに、その時その時に好きなものを食べることができる。しかし、料理というものは、食材をみつくろい、それを煮たり焼いたり蒸したりして、火をとおして加工を加え、調味料を入れて味加減をし、それを相応な器に盛って、テーブルにならべるにいたる、朝、昼、晩の食事の準備作業を台所でする営みをいうのである。これを疎漏にしていると、必ず、身体に変化が起きるものだと、辰巳先生は言うのである。当たり前のことをはっきりと言われて、目から鱗が落ちるからふしぎである。
 小説などというものは、別に読まなくても、命に別状はない。平たく言えば、暇つぶしの楽しみに過ぎないものであろうし、ときには、平凡な日常を冒険と恋愛と暴力とセックスと温故知新の想像世界へと、活性化してくれることがあるかも知れない。しかし、夏目漱石の「三四郎」の冒頭の数行に描かれた、明治の頃の列車内での些末な日常の「現実」を髣髴と浮かび表す「文学」を創造する日本語の命は守らなければ、その類の創造精神は死ぬのである。
 漱石は英国へ留学して、英国文学の勉強をして神経衰弱になって漸く日本へ帰ってきた人だ。お札の出ている写真は四十五歳の立派な顔だ。明治政府からの国費の留学生だから責任も感じたろうが、英国の文学を下宿にこもって渉猟し、「文学とはなにか」と考えねばならなかったのだ。「F+f」は漱石が文学を数式に抽象化させてみたが、未完になった「文学論」は、40歳から50歳の約10年間に書いた作品の大部の全集に載って残っている。漱石の翻訳を英語で読んだアップダイクというアメリカの小説家が、どうして漱石の小説が面白いのかさっぱりわからなかったというエピソードを、最近に読んだ「日本語が亡びるとき」(水村早苗)で知った。最初に断っておきたいが、水村さんは「日本語」で「小説」を書く作家である。子供のころからアメリカで育ったらしいが、お父さんの蔵書を読んで大きくなった女性らしい。だから全身英語のアメリカでの生活があり、お父さんの本は旧い日本語で書かれた「小説」類で、人生の半ばから日本で過ごすようになった著者の経歴が、この本の背景にあることを知っておいたほうがいいだろう。そういう背景がないと、こうした本を書く動機は、日本語にすこし外国語の毛が生えたぐらいの日本人の作家には生まれるはずはないからである。いわば半人半獣身の頭から出てきた問題意識が、かくまでに「日本語」への、広闊にして透徹した視野を導いたことを指摘したいだけである。
 いくらアメリカの国力が相対的に低下したとはいえ、英語がいまや、インターネットと相俟って「普遍語」となりつつあるときに、島国の地政学上の幸運に助けられてきた「日本語」は危うい運命にある。いや日本語だけではない。フランス人でさえいまや英語で論文を書かねばならなくなっているのだ。まして「日本語での文学」の命は、「叡智を求める人」には死にゆくすがたを正視する精神の証でしかないと著書の最後のことばである。
 この一書は愛しいほどの「憂国」の精神から発し、優れた「憂国語」の歴史を解明してその特質を取りだし、これからの世界での命運を透視した稀有のものであろう。読後、日本の国語政策の変遷や国語教育の実態を知り、ふたたび、「三四郎」の一節がよみがえってくるだろう。「三四郎」は漱石が書いた一青年のビルディングロマンだが、この一節を引用したこの著書の読後感は、いまの日本の社会の「現実」を映じるがごとく、後々まで後をひいて重くのしかかる。

『「然し是からは日本も段々と発展するでせう」と弁護した。
 すると、かの男は、すましたもので、
 「亡びるね」と云った。』   夏目漱石「三四郎」より


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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