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「文武両道」の変容

 相手の額に向かって手刀を振り下ろした。それを受けた相手の手刀が、まるで石を叩いたように硬く私の手刀を跳ね返す。そうかと思えば、ひょいと私の片手を取って自分の胸部に当て、腰を落として体重を乗せてくる。捩られた腕に拷問にかけられたような苦痛が走る。前や後へ戸板のように倒される場合もあれば、体を捌かれて背後に廻られ、頸襟を下へ押さえ込まれた反動で、上体を起こしたとたんに、ぐいと胸に頸を引きつけられ身体が崩れたところを、こちらの頸へ手形を作った上腕が切り下ろされて、背中から後ろへと倒される。それだけでは、まだ終わらない。こんどは、片腕を背中に逆手に取られたまま、相手の両腕で固められ、体重を乗せられると関節を極められて動くことができなくなるのだ。居合は10年ほどやったが、相手は仮想敵でしかないので、気剣体の一致を旨に、いかに刃筋を逸らさずに、仮想敵の然るべき部位を正確に斬るかを、体捌きと手の内の妙諦に心がけて稽古の修行を励んでいればよかったのだ。だがこの現実に相手のいる合気道は、取りと受けを交互に交代しながら、互いに修練を重ねるだけで、ここには審判員の判定する勝敗はないのである。

 蓋し兵法者は、勝負を争わず、強弱に拘らず、一歩を出でず、一歩を退かず、敵、我を見ず、我、敵を見ず。天地未分、陰陽不倒の処に徹して、直ちに功を得べし。(澤庵禅師「太阿記」)

 これは「私の身体は頭がいい」の武道論を書いた内田樹の文庫本からの孫引きであるが、彼はフランス思想、特にあの独特の思想と文体を持つレヴィナスの研究家でもある。私はレヴィナスの研究から内田樹なる人物を知り、その後、多くの彼の著作を渉猟するようになった。武道をやる人は、身体の運用が課題となり、つぎに相手になる他者という存在と自分との関係に思考が及んでいかざる得ない。私の場合は、居合の「仮想敵」という存在想定が見えない壁となって日夜苛むことが度々あり、それは今も私の稽古の課題というより、現代居合のひとつのアポリア(難問)との認識を忘れることができないのである。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「幻獣辞典」から題を借りた私の小説「鏡の虎」の主人公はそのために、遂に、狂気の世界の入り口に佇むことになるのだし、青春小説の「白雲流浪」の主人公は、道場主から人生を導く示唆を得て、大きな「夢」へ向かって飛び立つ姿勢を入魂されることになるのであった。
 「精神と肉体、残余は死に他ならない」と、若き日に記した断章は、カフカの日記を模したものであったが、その一行はそれなりに私の人生の指標となって、私を縛り励ましてくれたのである。

 「武の原理は危険ですから、そのために死ぬこともあるかもしれない。文はそのために死ぬことはないかも知れないが、この両方の全然違う原理のものを、両方の目でいつも見ていなければならない」(「文武両道と死の哲学」三島由紀夫「源泉の感情」所収)

 この福田恒存との対談は昭和42年に行われたものである。三島氏が45年11月この「武」の原理によって自己の生命を代償にバルコニーで訴えた演説内容は、この対談でほぼその全容を窺うことができるが、さすが法律を専攻した氏が「憲法改正」を法律論として厳密に考え抜いているのには、改めて一驚した次第である。それはさておき、あれから40数年を経て、世界の冷戦の二極構造は終わったが、その後の世界構造は宗教と民族より派生した紛争とテロリズム、また、中国と北朝鮮とロシアを含む東アジア情勢の変化により、「武」の原理は隠微で新たな装いをもって日本外交に浮上し、安全保障に関わるところの日本国憲法が、その存在意義を問われる事態はより一層深まった感がある。だがここでは憲法論議は控えさしていただくとして、現在における「文武両道」への思考の趨勢を一瞥しておきたいのだ。
 内田樹における「武」の思考は、合気道から教唆された共同と共生の思想へと傾斜を示し、デカルトの「方法序説」の名句を借りてつぎのような表現へこれを変容させている。

Je pense, donc Ça se  pense.  (我思うゆえに「思う」あり)

 剣には剣固有の動線があり、人間は賢しらをもってそれを妨げてはならない。自分を主体として、剣や杖を対照的に操作しようとしてはならない。なぜなら、武の世界は「主体と他者」というスキームを採ってはならない領域だと、このレヴィナス研究家は言うのである。彼の「文武両道」は既述の三島の思想ほどラディカルな二元論を採らず、「武」に「敵」を想定しようとしないのだ。それとは逆に、可能な限り「敵」を作らないことが「武」の原理であり、むしろ、共和し同化することが特徴なのは、彼が30数年錬磨した合気道からその武道精神を吸収しているからであろう。著者自身が言うように「私家版ー日本文化論」とでもいうような「日本辺境論」は、彼の武道的思考がまさにレヴィ・ストロースが「野生の思考」に書いた「ブリコロール」(フランス語で「日曜大工」を意味する)bricoleur、即ち、辺境人があり合わせのもので、生き延びる知恵を意味することを言挙げしているのである。これは彼の「昭和のエトス」の第2章「国を憂うということ」にさらに、具体的に踏み込んで明確に表明されていることでもあるのだ。
 そしてまた、内田の考え方は彼同様に1948年生まれの戦後世代の文藝評論家・加藤典洋が、1995年に「敗戦後論」を発表し、その数年後に浩瀚な「戦後的思考」に記した「戦後を戦後以後、考える」内容をまとめた単行本「さよなら、ゴジラたち」(副題ー戦後から遠く離れて)に共振し、通底していくものなのである。
 かくして「文武両道」の姿勢は戦後60数年を経て、それは恰も芸能人が芸の理想とする身体操作、即ち、肩から腹、そして、腰へと移動し、理想的にはマリオネットのように、力点が頭上に置かれることが最高の理想となってくるのであるが、「文」と「武」を截然と区別し、「生」の論理と「死」の論理の双方を同等にみつめる視線の強度は、果たして、福田氏と三島氏との対談が行われた往時と比較して、どのように変遷しているのか、そして、その思想的な変容は如何なる現状認識と理念に基づいて行われたものであるのかは、また、別途に考察すべき問題であることは言うまでもないことであろう。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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