映画「桜田門外の変」と歴史小説
安政の大獄で大権をふるった大老井伊直弼の首が、霏々と舞う雪の中に転がったのは、万延元年、旧暦3月3日であった。映画「桜田門外の変」は事変の決行者18人の浪士の事前行動に継ぐ襲撃の乱闘場面からはじまる。終幕は、無血開城の江戸城桜田門に入る西郷隆盛の馬上の呟き、「あれから8年、あっという間であった」という述懐に終わる、真面目で地味な映画である。普通はこの逆をやって観客を楽しませる。こうした方が観客にカタルシスを与えること必定だからだ。
映画は事件決行者のその後の逃走経路を、あたかも吉村昭の歴史小説の如く、淡々とした事実を述べて辿ることに終始する。それは18人の浪士が襲撃に際し定めた規約の文言のように、簡潔で要を得た映像の叙事詩のごとき結構を呈する。
1.武鑑ヲ携へ、諸家ノ道具鑑定ノ体ヲ為スベシ。
2.四、五人宛組合、互ニ応援スベシ。
3.初メニ先供ニ討掛リ、駕籠脇ノ狼狽スル機ヲ見テ元悪(伊井大老)ヲ討取ルベシ。
4.元悪ハ十分討留タリトモ、必ズ首級ヲ揚グベシ。
5.負傷スル者ハ自殺、又ハ閣老ニ至テ自訴ス。其余ハ皆京ニ微行スベシ。
伊井大老襲撃は、節句の日にもかかわらず、予期しない降雪にめぐまれ、首尾良く成功を果たす。ただ映画では描けない細部を小説は逃さない。計画通りに事が運ぶことはなかなかないからだ。ドストエフスキーの「罪と罰」の長編小説も、事件後の話しであり、老婆殺人にはやはり想定外の事態が起きるのだ。
話しを元に戻すと、襲撃の刻限が近づくにつれ、浪士たちの緊張は極度となった。このため些末なことではあるが、敵味方を判別するための白鉢巻きを忘れさせ、合図の言葉「正」と「堂」を発することもなく、剣術で重要な間合も忘れ、浪士たちが上下に刀をふるうだけで、揉み合っている者もいる混乱の情景を、さすが小説は冷静に見逃さずに書き記す。これが斬り合いの現実の場面に凄絶な迫力を添えることを、小説家は本能的に知っているからである。
ただ映画のほうは、映画でなければ見られない一対一の決闘場面を見せてくれた。逃走中の水戸藩の中心人物と幕府からの追討命令を受けている藩の剣客との決闘場面である。互いに草履を穿き捨て、足袋一枚で地面を踏みしめ、剣客は八相の構え、浪士は正眼の構えで対峙する。一足一刀の間合いからジリジリと睨み合い、剣客の一刀が振り下ろされる。その一瞬、わずかに左に体を捌きながら、後の線を取って相打ちを覚悟で、素早く相手の刀を表鎬で受け流しふうに押さえ込み、そのまま左胸に飛び込み、刀の峰に左手を当てて、敵の頸動脈を薙ぎ払う刀捌きは、居合の技に似て絶妙な斬り合いであった。真剣での勝負の迫力を演じ見せてくれたこの殺陣は圧巻というほかはない。地味とも言える時代劇映画に、一点の興趣を光らせて見事なものであった。
同じ著者が書いた「天狗党の乱」も、水戸の浪士多数が最後には、大阪にいた徳川慶喜への期待もむなしく、斬り合いで殺害されるか、自刃して果てる。「彰義隊の乱」も同様でこの作者は必敗の運命に賭ける抵抗勢力がお好みのようだ。この映画のシーンでめずらしいのは、逃げおおせずに切腹しようと腹に小刀を突きさしたところで、「お武家さん、こんなところでやらんといて下さい!」と商人に見咎められ、腹に小刀を突き刺したまま、切腹の場所を捜す場面があったが、こうした悲喜劇の裡にも商人が台頭し、武士が権威を失墜させていた末期の時代の趨勢が映しだされていたように思う。
18人の浪士に薩摩の浪士が一人いたのは、伊井大老暗殺の謀議は、水戸浪士と薩摩藩との密約の上で計画されたものだったからであった。薩摩藩数千の挙兵はなく、水戸浪士は裏切られることになる。薩摩の藩主が変わって、密約は反古同然となっていたためだ。それにしても、徳川の御三家であった水戸藩が幕末になぜこれほど愚直なまでに過激になったのだろうか。水戸斉昭の人格だけに帰し得ない、水戸藩独自の藩風を考えないわけにはいかないのだ。
それで思いだすたのだが、数年前、妻と水戸の天狗党が挙兵した筑波山へ登った帰り、水戸の町を散策したことがあった。空気がちがうと感じたのは私の錯覚であろうか。散策の途次、「御製碑」に昭和天皇が昭和二十一年に水戸で詠んだ歌をみた。
たのもしく よはあけそめぬ水戸の町 うつつのおとも たかくきこえて
徳川御三家でありながら、尊皇に強く傾いた水戸への昭和天皇の思いがこめられていることを、ふと感じさせる歌である。水戸の二代藩主水戸光圀の「大日本史」などを思いうかべ、明治維新に貢献した水戸藩の苦渋を天皇は思ったのかも知れないのである。
妻と温泉に行ってみた「袋田の滝」の一景が映画の一場面に出てきたのもよかった。そして、私が時折参禅する寺にある梅田雲浜の墓が、映画に出てきたときはやはりという気がしたものだ。四十を過ぎながら、安政の大獄で二番目に捕縛され、牢屋に病没した尊皇攘夷の志士であった。最後にその辞世句を載せておく。
君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり
映画は事件決行者のその後の逃走経路を、あたかも吉村昭の歴史小説の如く、淡々とした事実を述べて辿ることに終始する。それは18人の浪士が襲撃に際し定めた規約の文言のように、簡潔で要を得た映像の叙事詩のごとき結構を呈する。
1.武鑑ヲ携へ、諸家ノ道具鑑定ノ体ヲ為スベシ。
2.四、五人宛組合、互ニ応援スベシ。
3.初メニ先供ニ討掛リ、駕籠脇ノ狼狽スル機ヲ見テ元悪(伊井大老)ヲ討取ルベシ。
4.元悪ハ十分討留タリトモ、必ズ首級ヲ揚グベシ。
5.負傷スル者ハ自殺、又ハ閣老ニ至テ自訴ス。其余ハ皆京ニ微行スベシ。
伊井大老襲撃は、節句の日にもかかわらず、予期しない降雪にめぐまれ、首尾良く成功を果たす。ただ映画では描けない細部を小説は逃さない。計画通りに事が運ぶことはなかなかないからだ。ドストエフスキーの「罪と罰」の長編小説も、事件後の話しであり、老婆殺人にはやはり想定外の事態が起きるのだ。
話しを元に戻すと、襲撃の刻限が近づくにつれ、浪士たちの緊張は極度となった。このため些末なことではあるが、敵味方を判別するための白鉢巻きを忘れさせ、合図の言葉「正」と「堂」を発することもなく、剣術で重要な間合も忘れ、浪士たちが上下に刀をふるうだけで、揉み合っている者もいる混乱の情景を、さすが小説は冷静に見逃さずに書き記す。これが斬り合いの現実の場面に凄絶な迫力を添えることを、小説家は本能的に知っているからである。
ただ映画のほうは、映画でなければ見られない一対一の決闘場面を見せてくれた。逃走中の水戸藩の中心人物と幕府からの追討命令を受けている藩の剣客との決闘場面である。互いに草履を穿き捨て、足袋一枚で地面を踏みしめ、剣客は八相の構え、浪士は正眼の構えで対峙する。一足一刀の間合いからジリジリと睨み合い、剣客の一刀が振り下ろされる。その一瞬、わずかに左に体を捌きながら、後の線を取って相打ちを覚悟で、素早く相手の刀を表鎬で受け流しふうに押さえ込み、そのまま左胸に飛び込み、刀の峰に左手を当てて、敵の頸動脈を薙ぎ払う刀捌きは、居合の技に似て絶妙な斬り合いであった。真剣での勝負の迫力を演じ見せてくれたこの殺陣は圧巻というほかはない。地味とも言える時代劇映画に、一点の興趣を光らせて見事なものであった。
同じ著者が書いた「天狗党の乱」も、水戸の浪士多数が最後には、大阪にいた徳川慶喜への期待もむなしく、斬り合いで殺害されるか、自刃して果てる。「彰義隊の乱」も同様でこの作者は必敗の運命に賭ける抵抗勢力がお好みのようだ。この映画のシーンでめずらしいのは、逃げおおせずに切腹しようと腹に小刀を突きさしたところで、「お武家さん、こんなところでやらんといて下さい!」と商人に見咎められ、腹に小刀を突き刺したまま、切腹の場所を捜す場面があったが、こうした悲喜劇の裡にも商人が台頭し、武士が権威を失墜させていた末期の時代の趨勢が映しだされていたように思う。
18人の浪士に薩摩の浪士が一人いたのは、伊井大老暗殺の謀議は、水戸浪士と薩摩藩との密約の上で計画されたものだったからであった。薩摩藩数千の挙兵はなく、水戸浪士は裏切られることになる。薩摩の藩主が変わって、密約は反古同然となっていたためだ。それにしても、徳川の御三家であった水戸藩が幕末になぜこれほど愚直なまでに過激になったのだろうか。水戸斉昭の人格だけに帰し得ない、水戸藩独自の藩風を考えないわけにはいかないのだ。
それで思いだすたのだが、数年前、妻と水戸の天狗党が挙兵した筑波山へ登った帰り、水戸の町を散策したことがあった。空気がちがうと感じたのは私の錯覚であろうか。散策の途次、「御製碑」に昭和天皇が昭和二十一年に水戸で詠んだ歌をみた。
たのもしく よはあけそめぬ水戸の町 うつつのおとも たかくきこえて
徳川御三家でありながら、尊皇に強く傾いた水戸への昭和天皇の思いがこめられていることを、ふと感じさせる歌である。水戸の二代藩主水戸光圀の「大日本史」などを思いうかべ、明治維新に貢献した水戸藩の苦渋を天皇は思ったのかも知れないのである。
妻と温泉に行ってみた「袋田の滝」の一景が映画の一場面に出てきたのもよかった。そして、私が時折参禅する寺にある梅田雲浜の墓が、映画に出てきたときはやはりという気がしたものだ。四十を過ぎながら、安政の大獄で二番目に捕縛され、牢屋に病没した尊皇攘夷の志士であった。最後にその辞世句を載せておく。
君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり
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