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僕って誰?

 「ガハッハ!」の演出家 和田勉が亡くなった。(また死者の話しで恐縮です)私は映画の監督志望でしたが、テレビの脚本を書いていた私の父の友人の話しでは、映画は不況で監督でも食べていけないひどい状況のようでした。それでは、NHKでおもろい番組を作っている和田勉のような演出家になろうと、NHKの入社試験を受けたのです。自分より優秀にみえた同期の者が第一次でみな落ちたのに、私はすんなりと受かりました。それで、もうあの屈辱的な会社訪問などはやらずに済むと、ヘーゲルの「精神現象学」に挑んでいたのです。第二次の面接がありました。三人の受験者が椅子に並ばされ、右が東大、左が教育大(いまの筑波大)でした。前に控えた面接官の質問は忘れましたが、右に座った男の返答はまるで週刊誌程度のひどいもので、私は呆気にとられてしまいました。でも面接はそんな程度でいいのです。相手は人間を見ているわけですからね。つぎにアナウンスの能力を試されました。暗い部屋に椅子と机があり、前の硝子張りの上段に、アナウンスの試験官が三人ほどいた。そのうちの一人はテレビでよくみる顔でした。スポットライトに照らされ、机の上の二十項目ほどのリストから、自由に選んで3分間話す試験でした。緊張の中でどれほど的確に話しをまとめ、それをいかように舌を動かして話すかを試されたのです。ナント、私が選んでしまったのは、ドストエフスキーの「罪と罰」でした。あの小説を3分間で話さなければならないのだ。ストーリーは単純なものです。大学生の老婆殺しである。だが、あの小説から受けた私の衝撃を、深い思想のこめられたその読後感を、どうして3分間で話すことなどできただろう。私は主人公の大学生の話しからはじめました。ラスコリーニコフ。私の想いは膨れあがり、もう、なにを言いたいのか、収集がつきません。私にラスコリーニコフが乗り移ったように、譫言を言っているうちに、3分はアッという間に過ぎてしまったのでした。いつも言いたいことがたくさんあるのですが、それを厳選し、明解にまとめることができない。アイデアは雲霞のごとく蝟集するのに、それをひとつに集約することが下手なのですね。いや、ヘーゲルの「精神現象学」で、私の頭はあのイマヌエル・カントが一時罹ったという脳症状態だったのかも知れません。最終選考には勿論受かるはずはありませんでした。私は週刊誌もマンガも読まず、マージャン屋に入ったこともない大学生でした。学園紛争でキャンパスは右も左も真っ暗闇、いや、アジ演説のスピーカーで授業中の先生の声が聞こえないので、私は手を上げ、先生に敢然と言いました。これからあのスピーカーの音量をどうにかしてもらうので、そのあいだ授業を休止してもらいたい。私は椅子から立ち上がり、同調者が数人後ろからついてきたようでしたが、スピーカーを握っている活動家に向かって、昂然と言い放ちました。
「上で授業をやっているが、教師の声が聞こえない。音量を下げてほしい」と。
 活動家はキョトンとして、私の勢いに圧倒されたようで、口をとがらせながら、仕方なさそうにボリュームを下げました。そして私は元の教室に戻ったのです。しかし、また、スピーカーの音で授業を受ける雰囲気ではありません。以後、私はほとんど授業を受けず、図書館の奥深くでの、読書三昧の生活をしているうちに、三年間が過ぎてしまいました。
 卒業式も活動家が壇上を乗っ取り、ふかく失望した私は卒業証書をもらうのも忘れ、社会へ出たのでした。そして、数十年を経て、仏語のレッスンに社会人のための授業を受けに、むかしの大学へ行きました。キャンパスは閑散として静かで、あの汚いトイレも綺麗になりました。しかし、あの躍動感があふれる、学生の熱気はどこへ行ったのか。あの開放的で、明るく多種多様なダイナミズムはもうどこにもありませんでした。私の目に壁に架かった、大学当局の白々しい注意書きが映りました。そこにはこう書いてありました。
 「大学は学問の場です。静粛に願います」。私は笑ってしまいました。なんでこのような当然のことを、学生にわざわざ注意しなければならないのか。遙か昔のあの騒然たるキャンパス、いかつい顔をして青臭い議論に唾を飛び交わしていた大学が、逆に懐かしくなるほどでした。
 私はいつのまにか、この世の中に背中をむけて、斜に構えて生きていく人間になっていたようです。勿論、心中の思いを隠すべく三揃えの背広にきちんと身に鎧い、礼節と最低限の社交をして過ごしました。しかし、その背中に、こんな文句が彫られていることは、誰も気づかなかったのではないでしょうか。
 「僕って誰?」。


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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