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巴里漫遊記

 セーヌでは犬のウンコも美しい
 これが初めて巴里へ行ったときに、生前の母へ送った葉書に書いた川柳の一句であった。いかに私の頭が熱くなっていたかの見本であろう。飛行機が深夜につき、それから単独メトロに乗ったが、車中の巴里ッ子の顔つきには、驚きそして感心してしまったのだ。それは、手前一個の人生は手前が勝手に生きているという面がまえであった。やはり、市民が血を流して立ち上がり、自分たちの共和国を作った国、人権宣言を憲法に盛り込んだ国は、ちがうのだと得心した。キンキラの大きな重いバックを背負い、深夜のメトロを出ると、私の後を追って、人相の悪いホームレスがついてくるには少し慌ててしまったが、暗い路地裏で抱き合っている男女を横目に、やっと自分は巴里に来たのだと感じた。気味の悪いホームレスに、私は肩を怒らせながら、一泊目のホテルをようやく探し当て、シャワーを浴びると、やっと安堵した。その時、戸外を走る車の音がいかにも石の杜の街に来たという実感を与えてくれた。
 ところが、翌日からが大変だったのだ。二日目のホテルはどこか、カルチェル・ラタン辺りにあるだろうとの甘い期待は、サッカーのワールド・カップが開催されているとは知らない私を、慌てさせたのだ。どこのホテルの満員であった。私は朝から昼まで、泊まれる宿探しに、重い荷物を背負って、歩きまわった。あまりに疲れ、レストランに入って、そこの主人にチップをはずみ、どこか泊まれるところを教えてくれと頼んだが、どうも返ってきた英語がよく分からない。私は丘を降り、道を横切っていると、黒いメガネをかけたいかにも男娼といったスカートにハイヒールの「女」に、声をかけられた。大声で、「ノン!」と突っぱね、しばらく行くと、犬を連れた老女に会った。これは幸いと、眼下に見えた丸いドームの屋根の建物を指さし、今度はフランス語であの建物はどこかと尋ねたのだ。すると、その老貴婦人は、「バルド・グラース!」と、いかにも品格のあるフランス語で答えてくれたのである。そのときの、「R」の発音のいかにも、これがフランス語だという音声が、私の耳にまるで音楽のように響いたのであった。その時だった。私はようやくに、いま、自分ががフランスにいるという、夢のような幸福の実感が油然と起こったのである。あれはなんという不思議な言語体験であったのだろうか。異国の他民族者を安心させる国語という言葉が持つ不思議な力としか言いようのないものだ。昔、谷崎潤一郎原作の映画「細雪」を観ていて、その美しい日本語の抑揚と音声を聴いているうちに、私の目から涙が流れ出したことがあったが、これも同じような言語体験であったと思う。ともあれ、ロワイヤル大通りの一角に、ビジネス・ホテルを見つけると私は飛び込んだ。すると、きつい目をした女主人が私が内ポケットから出そうとした財布を、手をのばしてひっつかみ中身を点検すると、OKということになりはしたが、その荒らっぽい手口に唖然としてしまった。ともあれ、私はそのホテルの四階の一室に泊まれることができたのだ。
  翌日は朝早くから、地図を片手に巴里の私の漫遊が始まったのである。朝市で買ったリンゴを囓りながら、ムフタール街から、サン・ジェルマン・デ・プレ、モンマルトル、モンパルナス、ドラクロアのミュゼ、モンパルナスの墓地には、モーパッサンとボードレール、サルトルとボボアールの墓に詣で、ノートルダム、ポン・ヌフの橋を渡って、シテ島とサン・ルイ島ではローザン館、セント・シャペルのステンドグラス、クリュニー美術館、ルーブル、リュクサンブール庭園、オルセー、植物園、、モンマルトル墓地ではドガ、ショパンの墓に詣で、横断歩道で車にぶつかったがどうということもないので、驚いて出てきた運転手の電話番号だけは控え、そのまままた立ち上がって巴里中を歩きつづけてた。そんなわけで、ホテルに帰るとあまりの疲労でそのままベッドに倒れて眠りつづけ、深夜に目が覚めると、成田で買ったブランディーを飲みながら、パイプを吹かして夢のような酩酊と思索に耽っていたものだった。最後の日に、ホテルから見えた夕暮れの巴里が、なんとも美しかったのを、いまでも思いだす。
 それから私は、リヨン駅から、イタリア行きの夜行列車に乗り込んだのだ。ローマとフィレンツエとヴェネチアを目指して・・・。




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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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