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母に捧げるバラード

 「あの子はどこへ行ってしまったのかしら。プィ!と家をでたまま、まだ帰らないのよ。あなたどこへ行ったのか知らないかしら?」
 昔からの友人が、私の家に電話をかけくると、その電話での母のこの古い繰り言を、再現してくれることがよくあった。するともう再び還ることもない昔のことが甦り、いわく言い難い思いが胸にあふれるのだった。声色まじりの、電話での母の声を再演する、巧みなその友人の演技を、私は黙って聞いていた。すると私の青年時代の風景が私の眼のまえに現れるのである。二十歳を過ぎた頃の私は、そろそろ自分の家というものに、なにかウンザリした気分を懐いていたらしい。そこへ母の溜息まじりの、グチっぽい繰り言を聞かされるのは、厭で堪らなかったのにちがいない。そんなわけで、突然に何処へ行くとも言わず、家を飛び出すことが、たしかにあったような気がする。母には済まない心配をかけたが、どうにもならないことで煩悶していた青春時代のことであった。
 いつぞかの夏のことであった。八重洲にある大きな本屋の中二階のカフェで、あまりの暑さから、宇治金時のかき氷を注文して食べていたときだ。硝子のカップに盛り上がるように乗ったかき氷の山をくずさないように、中のあずきをとりだす。これが、かき氷を食べる醍醐味と言ったら人は笑うかもしれない。スプーンをそっと、ひと匙ひと匙、氷りの山に差しこんで、冷たく解けた氷水と氷の山の中に隠れたあずきとを、口にはこんでいた。すると突然にある情景が、そのかき氷の山から浮かびあがってきて、私を驚かした。
 それは子供の頃、風呂屋から出て、その風呂屋の前にあった「オリンピック」とかいう名前のレストランで、かき氷を食べた、夏の夕べの一情景なのである。テーブルの上の、一杯のかき氷の姿が、はっきりと眼交に映った。私の隣に母や姉、父や弟がその時いたのかどうか、それは夢のようにさだかではない。だが私が連れて行かれたのが、主に女風呂の方であったことからすると、母がその場にいたことだけはたしかなようであった。突如、湧然とわき上がった昔の思い出に、私は不思議な幸福につつまれて、宇治金時のかき氷を食べたのである。
 甘いものが好きだったせいで、母に連れられて、虫歯治療に東五反田の関東逓信病院へ、幾度か通ったことがある。途中に今は皇后になられた美智子様の家があり、母はその前をわざわざ通り病院へ行くのであったが、歯科医によって口の中へ音をたてた器械をつっこまれるときほど、嫌なことはないので、私はたぶん母を困らせたにちがいない。だが帰りに駅前の白木屋のデパートで、母が買ってくれる本が欲しさに病院へ通ったのである。「巌窟王」や「鉄仮面」はそうして読んだ本にちがいなく、そうした本たちは、西五反田の家とともに、みんなどこかへ行ってしまった。だが昔の思い出だけは残っているのだ。祖母が静岡県の掛川から持ってきた庭の枇杷の樹が、いまは大樹となって同じ場所にあるように。
 そして、あれは冬の夕暮れだった。暗くなるまで外で遊んで帰ってくると寒さで手がかじかんでいた。台所で夕餉の仕度をしていた母は、ほうれん草を茹でていて、その茹で終わったうっすらと緑色に染まったお湯を、ボールにたっぷりと満たすと、
「ここに手を入れてごらん」と母は言った。
 私は湯気のたてたボールの中へ、両手をそっと入れた。最初は熱くても、そのうち寒さにかじかんでいた両手が、なんともいえない温かさにつつまれていく。やがて冷え切った私のからだじゅうに、母の注いでくれたお湯のぬくもりが伝わってくるのだ。そんな大昔の子供時代の記憶が、私の心に浮かぶ母についての、幸福な思い出となっていまも生きている。
 老いた母を連れて、家族全員で三保の松原を訪れたことがある。砂浜をのぼりながら、母は両脇を姉二人に支えられながら、しきりに歌を歌うことをやめなかった。ご先祖が徳川家に仕えていた御殿医だったと話してくれたことがあったが、その徳川家が慶喜公で終焉を迎えると、先祖はその慶喜公と共に静岡の駿府へ下ったのである。そして煙草業を営んだ家は大層大儲けをして、掛川に周囲をお堀端で囲まれた邸を建てて、そこで育った母は遠足にこの三保の松原へ来たことがあったらしく、母は長い長い鉄道唱歌を全部そのときも覚えていたのである。


         波白き三保の松原

         母うたう声安らかに

         麗しき天女舞い降る

         鉄道唱歌 真砂と尽きず

         閑かなる松の林に

         誰に聞かせん

         風さそう駿河の浜辺



 私はこの拙い詩に、半年以上も看病に勤めた母の連れあいの父の名を、ひそかに詠いこんでいたが、老いたる母はそれに気がつくことはなかったのは、若い頃は宮中の歌会始めに必ず投稿していた母を思えば淋しいことであった。そして、いま姉のひとりが難病のために痩せ細り、声もでない苦しみの中にいることを、あの世にいる母が知ることはないのは、天寿をまっとうした母には幸いであった。ある日、妻との諍いがあった。妻が走り書きをしたメモをみた。私は自分の部屋に入り、最後の行為に及ぼうとしていたことがあった。だが私の身体は金縛りにあったように動かなかった。そのとき私の身体を羽交い締めにしていたのは母であった。後日に気がついたことなのだが、ちょうどその日が母の命日であった。そして、その偶然の一致が、私を驚愕させたのである。
 




      
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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