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滝桜

トリミングー滝桜

 バスから見える遠くの連山に、白い雲が二層に重なって浮かんでいた。
「あら、あの寒気団だわ。」
 年増の顔の浅黒いバスガイドが、大きい口を動かして、遠い空を指さした。その濁声にいかにもにくさげな口調がこもっている。ガイドは現地の天気が心配でならないらしい。その飾りっ気のない図太い話しぶりが、旅行客の笑いを誘った。
 久保は窓側の妻が、ガイドが指さす方に顔を向けると、その横顔をみつめた。今年で会社を定年退職をする夫に、枝垂れ桜で有名な、福島県三春までのバスツアーに誘った妻の気持が、なんとなく思いやられたからである。
 バスのガイドの話しでは、田村郡三春町の昨日の天気は、強い寒風に雨と霰、それに雷までのおまけがつく、酷い天気だったようであった。せっかく咲きだした枝垂れ桜があたかも踊り獅子のように、雨に濡れ強風に煽られるようすを、ガイドは眼前に見えるかのように面白げに語るのである。昨日の観光ツアー客が見舞われた不運が、いかに大変だったか、それを同情をまじえながらも可笑しく話すガイドの話しっぷりに、ツアー客の顔から思わずに笑みこぼれた。
 樹齢一千百年の桜の巨木は、おそらくこの春の凄まじい嵐にさぞ驚いたにちがいない。それで髪を振り乱して咆吼したのだ。
 そうした異常気象をもたらした元凶が、ガイドが指さした遠方の山々に棚引く、うっすらとした横雲、天女の衣のようなヴェールを曳いた、先刻目にした寒気団の雲であった。
 しかし今日は多少の風はあったが、青い空に白い雲が走っているまずまずの天気で安心してよかった。が昨日の寒風で桜の咲きぐあいの心配がみなの胸を去らない。
 妻の陽子は疲労気味の久保に、栄養ドリンクを飲ませてみたが、久保は一口飲むともうそれ以上飲もうとしなかった。
 久保は去年一年ほど、体調の不良をつらく感じたことはなかった。それは加齢のうえ定年まで後二年しか残りのない久保に、最後のチャンスだという、上司の意向を入れ、異動した職場が意外に忙しいうえ、複雑な人間関係に余計な気づかいをしたせいかもしれない。それに、残りの二年を隅田川をこえた墨東界隈を、最後の職場にするのも、自分らしい身の退きかたと思えなくもなかった。
 後一年の辛抱だという気持と、どこか遠くへ行ってほんのすこしでものんびりとした時間がほしいという気持とが、代わる代わり彼のこころに浮かぶ度に、積もり積もった会社での三十余年の歳月、その時の長さと重さがじわりと身にのしかかるような気がした。

 一昨日まで、謡曲の発表会のために、年度始めの多忙な仕事から帰宅すると、すこしの時間をみつけての稽古をしたにもかかわらず、不器用な久保には容易に覚えられない仕舞いの練習をしていたせいでもあった。その疲れが久保のからだの調子をくずし、両手に握ったステッキに顎をのせて座っているが、眠気が波状的に久保を襲いにきた。
「今日のことは前からの予定なのに、あまり無理をするからだわ。」
 と、そう妻にたしなめられた。それはもっともなことだが、謡曲の師匠のこれを最後の発表会に欠席するわけにはいかなかった。ましてわざわざ謡曲の他に、仕舞いもやる仕儀となれば、あまり恥ずかしい姿を師匠の手前みせるわけにはいかないと、寸暇を惜しんでの稽古をしたのである。
それにしても、なんとか謡曲の発表会は済んだが、最後に皆で謡った祝言も誰もが寂しさを隠しきれずに、なんとも哀れな幕切れであった。
 ー時雨をいそぐ紅葉狩。時雨をいそぐ紅葉狩。
 この出だしの詠唱が、一人足早に駅へ急ぐ師匠の最後ともなろう後ろ姿と重なり、やはり久保に一抹の寂しさを残した。

 三春ゆきのバスはすこしぱらつく小雨がやみ、白い雲を浮かせた空の下を順調に走りつづけていた。
「ほら見てごらんください。この両側の山々のみどり、水につかる畑、黄色い連翹、ほらいま右手の山肌に白い花をつけた辛夷、それにそのしたの土に点々と咲く水仙を。このバスはいま三春へとひた走っておりますが、窓外の景色に写るこのやさしさを、どうかみてあげてください。」
 都会に住み、通勤の明け暮れに毎日を過ごしてきた久保の胸に、ガイドのことばの、ひとことひとことがしみいるようで、久保は思わず身を乗り出した。
バスには久保のような夫婦づれもいたが、友人同士、それにひとりきりの客も交じり、年齢は五、六十代で、女性が多かった。そうした一団が、樹齢千百年の桜の花を咲かせた巨木を見ようと集まったのである。
 そうした一団を見るにつけ、久保はふと先達て妻とともに受けた人間ドッグの待合室の光景を思い出した。幸い久保夫妻には別段これといった異常はなかった。ただ妻のコレステロールと久保の脂肪過多を注意されたぐらいである。ランチのあと二人は東京湾を望む公園を散歩した。
 春の日が燦々と公園を照らし、じっとしていると熱いほどの陽気である。
 久保は妻がまだ乗ったことがないというモノレールの駅が近間にあることを思い出し、この機会にと妻を誘った。浅草近辺に住む久保夫妻にはそれが帰るに便利だった。普段から健康診断が嫌いな妻は、疲れたようで無言で久保に従った。消化器系の診断は特に妻には苦痛なのである。 
 人間ドックで、妻は血管にコレステロールが多いことから、早速に医者に薬を処方してもらうように注意されたのが、ふだん医者嫌いで病院へ行かない妻には、多少ショックになったようである。折角に浅草まで隅田川を遊覧船でのぼり、仲見世を歩いても、妻はどことなく元気がない。ふつうならどこか浅草の老舗に寄り夕食でもとって、歩きながら家に帰ってくるところだが、めずらしく妻のほうからタクシーで帰りましょうと言った。
 家に着き三和土をあがって部屋に入ったかと思うと、
「あたしが寝こんで、よいよいになったら、よろしくお願いします。」
 軽い妻の口調にいつもはない重みがあった。それが寸鉄のように久保の胸を射した。そういうことがあることは久保に想像できないことではない。いつそれが現実となり、久保の身辺を襲ってこないともかぎらない。そうつめよる妻の顔には、つよい視線を夫の顔へ注ぎ、瞳を見開く形相にはただならぬ気配があった。

 近年、会社が行う集団旅行はむかしほどの活気はなくなっている。それで観光客相手のバスガイドを見かけることも、久保にも久しくなかった。ガイドはゆったりとした間をとり、このところかのところで窓外の風景を、張りのある声とユーモアを交えた語り口で案内した。それはまさしく長年磨き抜いてきた玄人の芸であった。一人参加の女性客がガイドの話しに身をよじて笑っている。久保夫妻もそのガイドの話しには、笑うよりも感銘して聞き惚れるほどであった。
 日本諸国噺のひとつを語りながら、外を走る風景のあちこちを紹介し、またその地方出身の政治家の訛りの口調を真似る芸当には、涙がでるほどの笑いがバスの旅行客の胸を満たした。テレビドラマの「おしん」の悲しい一節、祖母が娘を諭すシーンの物真似では、胸が締めつけられながらも笑い、笑いながらも涙が頬を伝うのを止めることができない。
 そこには、人と自然を一体に包む大きく温かなやさしさが溢れていた。苦しみながら生きている人間、そしてこの厳しさを深める世の中での人間への信頼と愛情とが、ガイドの語りの底に滾々と流れ、それが普段の緊張をほどき、和気に包むのである。
 休憩所で時々バスは止まった。トイレに行く者、ただバスからでて戸外の空気にあたる者が、バスから降りていく。
 妻はバスから降りたが、久保は座席のシートにもたれて、ステッキに片足をのせ、目をつぶった。

 突然、一ヶ月ほど前に亡くなった、臨終まじかの母の顔が目交いに浮かんだ。享年九十二歳であった。幸い五人の兄妹は一人も欠けることもなく、その母の末期を看取った。葬式の会場の隅に、大きめだが粗末な色紙が置かれ、その真ん中に母の俳句が書かれている。

  白粥に 梅ひとつおく 春の朝

 多分それが母が生前に作った最後の一句に違いなかった。色紙はただそれだけで、まわりに白々とした余白がひろがり、まるで母の俳句のような淋しい風情である。
 幸い母は姉の嫁ぎ先の親戚筋が設立した瀟洒なケアハウスに入居することが叶った。そこは姉の家からも近いため、毎日のように母に会い、また身のまわりの世話を姉にみてもらうことができたのだ。
 久保は母の句の脇に、黒のマジックペンの下手な字で、一句を脇に付けた。棺は母の好きな花に埋められ、母と久保の句が並んだ色紙もそこに納められた。母が好きで持っていた一冊の歌集とともに、たくさんの花が母の顔のまわりをつつんだ。
 額を撫でると、ひとまわり縮んだ母の頭は、石のようにひんやりと固く、久保の手に異物のように触れた。
 母はケアハウスの仲間と百人一首の歌留多取りや、歌を唄って数年をそこで過ごした。
 子供ころの歌を母はよく覚えていた。加齢も幼年期に覚えた歌の記憶だけは残してくれたらしい。この福祉園で親しくなった男の老人仲間が、園を代表して母が書いた「私の忘れられない思い出」と題した一文を朗読して弔辞を述べた。入れ歯ががくがくするようで、はじめは心配していた弔問客は、そのしっかりとこころのこもった朗読と弔辞には感銘したようだ。
 母は朗読されたこの一文に、「最後に私の好きな歌を唄います。」と断り、「大陸の花嫁」の一節を引いていた。
夕べに遠く この葉散る
並木の道をホロホロと
馬のいななきこだまして
はるか、かなたに消えてゆく

 そして、久保が生まれ幼年期を過ごし、徳川家光公の霊廟がある静岡県掛川市の龍華院に触れている。ねずみ山と呼ばれた小山にあるこの寺は、むかしは女人禁制であった。この寺へいつか久保がわざわざ妻を連れて、訪れた一昔がふと思い出されたとき、妻の陽子がバスに戻ってきた。
「外は冷え込んでいるけど、雨は大丈夫みたい。」
 と彼女は戸外の新鮮な空気を吸った元気でそういった。
「それはよかった。」
 久保は妻のいない一時、自分の胸を過ぎったものをさらりと忘れたかのように、そう応えた。

 ガイドのマイクの声のうちに、どこかで聞いた温泉の名前が聞こえた。久保はおやと聞き耳をたてた。
「ほら、あの平家の落人が住んでいたという湯西川温泉のことよ。」
 妻が久保へ囁いた。ああ、あそこかと、久保は懐かしく思い出した。その温泉も妻に一年ほどまえに連れていかれたところだ。
 夕食時になると、川の両岸に張られゆさゆさと揺れる「かづら橋」を渡って、客達は古い木造りの家へ向かう。案外と広い畳の部屋には、いくつもの囲炉裏が切ってある。奥のほうが段々と高くなり、そこに畳一枚ほどの舞台のようなものが設えてあった。客のみんながそろうと、十二単をきた旅館の女将がしずしずと現れた。さほど明るくはないところへ、平安朝時代の長い黒髪を結った女将が座り、源氏との戦に敗れ、追っ手からやっとの思いで、川づたいに山へと逃げ隠れたところがこの湯西川で、幸い温泉があることから、平家の落人はここに住み暮らしたゆかりを、また囲炉裏で竹棒に射され、肉が巻かれた料理について縷々と語り終える。囲炉裏の火は燃え、竹棒の肉も丁度食べごろで、酒はまるで平安のむかしの酒を飲んでいる気分になるのである。
 ガイドがまねたのが、この温泉の夕食時に女将が十二単を着て、延々と話した語りであった。ガイドの声につれ、そのときの情景が髣髴と甦ってくるようである。たぶんガイドもこの温泉での一夕を何度となく経験していたのに相違ない。だが単に模倣に終わらないガイドの独自な芸がそこにあった。
 偶々、妻に誘われ訪れた温泉の一情景が、偶然にそれを語ったガイドによって甦る。なんと奇妙でおもしろい人生であることか、久保は不思議な思いに駆られた。あの温泉にしろ、この三春へのバスツアーにしろ、妻の陽子に連れられて、久保はどこかこの世ならぬところへ誘われているような気がした。それがどこであろうと、一緒についていくほかはないが、妻が冗談めかして言ったように、久保ひとりが妻に先立たれて残るかもしれないのだ。
 久保の姪のようにまだ若く、結婚してしばらくも経たないうちに、突然交通事故で、あの世に旅立つものもいる。久保も六十ほどまで生きてきた。やっと子供の養育から手がはなれ、夫婦で温泉へ行ったり、老木に咲く花をバスに揺られて見に行くことができる余裕のようなものが生まれた。これが人生というものかというおぼろな諦観が去来することもあれば、いやこんなはずではないという漠たる違和感が、焦燥と失望の波頭で久保を弄んだ。

 長生きをした母に比べ、久保の父は案外と短命のほうであった。
「親父は今日入院した。癌なんだ。」
 五月の晴れた日、弟からの電話が職場にあった。
 久保はそのとき、職場の窓からみえる青い空が、非情なまでに青い壁のようにみえた。
「俺は酒が飲めなくなったら、もうだめだな。」
 と、酒好きの久保の父はそんな冗談を時々言って笑っていた。
 久保が小さな子供を連れて、実家を訪問したことがある。
 テレビを見ながら、父の前のお猪口の酒は、なかなか減るようすがない。酒を注ごうとすると、
「もういいんだ。」と久保の父は、お猪口に手をつけなかった。
 その年の五月、父は実家の近くの病院へ入った。医者は父へ癌であるとの告知をしていなかった。いつもと変わらぬ温顔をうかべ、父はベッドに座り、手で腹のあたりをさすっている。そのまわりで、久保の家族は顔だけの笑いをつくり、父をねぎらい眺めていたが、まともに父の顔をみられるものはいるはずはなかった。
 それからすぐ父は、胃の手術をうけた。お腹を開けて診て医者は病状が相当に進行していることを知った。それからまだ有効性の乏しい薬を点滴で投与するしかない。久保の母は、毎日病院の簡易ベッドに寝泊まりして、父の側を離れようとしなかった。
 病院のカーテンごしに、猛々しいほど青い夏の空がみえた。
「都々逸でも唄って、冷えたビールでも飲みたいよ。」
 父はそう言った。夏が過ぎやっと小康を得たようにみえた久保の父は、秋頃に二度目の手術を施された。
 胃は全部切り取られ、食道と腸が直接につながれた。
 その年も暮れようとしている真夜中、久保は兄とともに病室に泊まりこんだ。
「もうだめだろう。」小水の瓶をみると兄はそうつぶやいた。
 真夜中だった。父の小声に久保がベッドに近づくと、仰向けになっていた父がかすれた声を出した。兄は簡易ベッドに臥したままだった。
 久保の耳に、半身を起こしてくれと訴える父の声が聞こえた。手を背中に入れ、抱き起こそうとしたが、すでに全身が硬直している父を起こすことは難しかった。
 当直の看護婦が病室に入ってきた。彼女もその夜が父の限界であることを承知しているようで、無言で首を横に振った。
「もういいんだよ。」
 久保はそう父へ告げた。父の目が一瞬久保の顔を凝視した。その目には最後のあがきを示す、つよい眼光が暗く光っていた。が、そのまま父はベッドに沈んだ。言いようのない激しい苦しみから、半身だけでも楽になろうとしたのであろうか。それともまだ健康であったころの夢でもみて、ベッドに起きあがろうとしたのか。
 およそ八ヶ月、久保の父はくるしみながら病魔とたたかった。せめてすこしでも胃があるうちに、下町育ちの父の「遺言」のような、ビールを口に含ませてやればよかったと、久保は後悔した。
 急いで家へ車を走らせた。車のブレーキ音で、母と下の姉が玄関へ飛び出し、無言で車に乗った。母と姉が病室へ駆け込んだとき、心臓の動きを示すモニターの線は、低い山を描きながら次第に横に流れた。
 十二月二十九日午前、父の心臓は停止した。享年七十一歳。冬の薄青い空から、病室に陽があたっていた。
 母だけを病室に残し、しばらくの間兄妹は病室を出た。
突然、兄が子供のように廊下で泣きだしたが、久保には一滴の涙もうかばない。
「もういいんだよ。」
 久保はそのときの父の鋭いような暗い眼窩が、自分を差し貫きみつめたような気がした。久保の父への一言は、母への看護の気遣いからであり、父の病魔の苦しみからの解放を願った感情からでたものであった。だがそのとき、久保の心中に湧き起こったものは、悲しみではなかった。それはなにものかへの瞋恚のようなもの、理不尽やおぞましさを鎖のように引き摺り、その果てに死に至るこの人生というものに抗う熱いかたまりであった。父への最後の一言は、当時まだ若い久保にあった情熱、その石榴のような果実の裂け目から、放たれ洩れ落ちたものであった。それが「父を殺した」という忌まわしい意識として久保の中に残り、なかなか消えようとしなかったのだ。
 父が死の床になるベッドでくるしみ喘ぐあの深夜、無言で病室に入ってきた当直の看護婦に、久保は一人の女の顔を重ねみた。暗い闇の中に白い花のようにからだを開き、悦楽に悶え狂う女を妄想せずにはいられなかったのだ。ベッドに死んだように裸体を曝しながらも、艶めかしく久保をみつめる女のあの至福に満ちた両の目。
「もうこれで終わりだ。」
 久保は駅まで女を送りながら、これが女と関係する最後だという久保の決意が、街路の薄闇にうかんだその女の目に一瞬の反応を映じた。断ち切れぬ未練と愛執が女の顔を歪めるとみえた。が、女は決然と久保に背中をみせたまま、駅の階段を足早にのぼっていった。
 ある時、その女が久保の顔を真顔でみつめて言ったことがある。
「家へ電話一本かければ済むことよ。」
 それには久保は驚きもしたが、女がそうしたければ敢えてそれを止めさせようする気は起きなかった。そうなれば、そこから出来する家庭の修羅場は避けがたかったが、女からの家への電話はついぞなかった。もしかして勝ち気で深謀遠慮の一面を持った妻の陽子が、その一事を久保に胸中深く隠していないともかぎらない・・・・。
 久保をふりかえりもせず、深夜の階段を駆けあがる女にも、苦渋にみちた決意があったのにちがいなかった。女は忍従しそして遂にその愛の靱帯を断ち切った。それは燃え落ちるいのちが、夜の底で最後にみせるあのおぞましさにみちた、父の暗い目のひかりを久保に思い起こさせた。

 母の葬儀に継ぐように、事故で亡くなった久保の姪の一周忌が行われた。看護士をしていた姪は、瓜実顔の明るく可愛いい口から、伝法な物言いで気恥ずかしくなる類の冗談を面白半分に話しては親しい者を笑わせるおちゃめな一面があった。その姪の明るく頬笑んだ写真の前で、最初は長姉が「アベマリア」を歌い、そのうち故人の夫であった新潟の佐渡の家と、こちらの家同士のカラオケ大会の様相を呈し、酒で赤らんだ顔もまじり、マイクは幾つもの手を行ったり来たりした。最後は看護婦学校の同期の女性たちの静かで美しい合唱でお開きとなった。
 納骨の墓地にも、満開の桜木が晴天の陽射しをうけていた。

 いつの間にか、家の中は妻の陽子と二人だけの淋しい生活となっていた。久保はペットでも飼う話しを陽子にしたことがある。
「生きものは死ぬからいや。」が妻の口癖であった。
 だが、次女が一年ほどフランスへ行っての留守のあいだ、娘の代わりに一匹のセキセイインコの面倒を見つづけたのは妻であった。
「ドッコイショ」
 そのうち、このインコが鳥籠の前で、妻が言うことばをいつしか覚えてマネをした。餌や水をとりかえ籠を掃除するさい、思わず妻が出す声が、これであった。娘が教えた「ボンジュール」にはなんの反応もしないのに、妙なことばを覚えたものだと、久保は笑った。
「ドッコイショ」
 餌がなくなると、ぴーこという名前のこのインコは、あまり明瞭ではないが、たしかにこのように鳴いたのだ。

 華やかで美しい枝垂れ桜の花をみたい。久保はそんな思いで集まったバスの乗客を見回した。以前なら久保が妻の提案に素直に従っていたとは思われない。ましてからだのだるさが、心身の負担となっている。自宅のベッドに横たわっているほうが楽であった。そんな心身の不調のせいか、今年は妻の誕生日に贈るはずの花束も忘れる始末だった。だが妻の陽子は久保の誕生日、久保の部屋の座卓の上に、花瓶に生けた薔薇の花束を黙って飾ってくれていた。
 久保が重いからだをステッキで支え、妻の誘いに従ったのは、妻の陽子への負い目と感謝からであった。が、なによりもバスの一団と同じ年齢にある者が懐く、枝垂れ桜の巨木を見たいという憧憬が、久保のこころにも萌したからであった。

バスのガイドはマイクを握り、依然立ったまま乗客へのサービスに余念がない。久保はそのプロ意識に敬服した。
「お母さん、この漬け物美味しいわね。」
 ガイドの嫁がそういったらしい。
「ああそうかい。あなたも自分で漬けてみることね。」
 と嫌味を承知で淡々とガイドはそれに応じ、
「嫁になんか負けていられるかいな。」
 と姑であるガイドはそこで啖呵を切った。
 その絶妙なタイミングと声の調子に、どっとみんなが笑い興じた。
特に一人でツアーに参加した女性客数人が、一緒に笑っているのを見ると、久保は嬉しくなった。こうした女性客は一生独身で通してきた者か、それとも夫に先立たれた者なのだろうと久保は想像した。
「あたしだってお母さんなんかに、負けませんからね。」
 と、嫁も負けじと憎まれ口を叩いたそうだ。そんなガイドが語る私生活にも、姑と嫁の確執をこえた人間的な感情につながれているようであった。

 やがて、バスは田村郡三春町に到着した。狭い駐車場にひしめく大きなバスの車体をぬうように、「滝桜」と名を知られた桜の巨木へいたる、だらだらとした小高い坂を、いっせいに歩いてのぼっていく群衆。天気は青い空がみえるまずまずの日和であった。
 開かれた丘の中腹に両手を広げたように、老木は千百年の歳月に耐えて、まるで老木そのものが翁のような微笑を湛え、艶なる風情をして立っていた。そのまわりに蝟集する人、人、人。
 今年の異常気象でまだ花は三分咲きていどで、満開にはほど遠いすがたである。それでもその巨木は老若男女の目を吸いつける大らかな威容をみせていた。
 太い根を四方に張りめぐらせ、老いているとはいえその巨木にはまだ生き生きとした豊艶が幹にこもっているようだ。そこから四方八方の空へ枝をのばし、花を咲かせようとしている。ガイドがバスの中で、最初に言った自然のやさしさが、その豊かな香気が大地から大きくからだをひろげ、それが一本の巨大な枝垂れ桜となり、千百年の歳月に耐えたそのいのちの明かりを、その自然の美々しい勇姿を、人々にみせている。
「おお!・・・」
「うむ!・・・」
溜息のような感嘆が、まわりを埋める人の輪から湧き、老木は満足そうに地に根を、あたり一面の空に腕を手をのばしてひろがっていくようである。
 妻に誘われ久保は老木の樹幹をさすり、枝垂れ桜の一枝に咲く花びらに触れてみる。それは流れ落ちる巨きな滝の流に、手の指を浸したようなものにすぎない。久保が生きた六十年ほどの人生は、この老木が過ごした自然の歳月に比べれば、なにほどのことがあろうか。
 がっしりとはしているが、よくみれば点々と虫に食われ腐りはじめている巨木のまわりを歩き、妻は巨木の全貌を見晴らす高台に久保を誘った。そこからは老木の桜と丘の全景が望めるのである。
 数年まえこの老木は降り積もる雪の重みで、上層の太い幹を失ったそうだ。抉られたその右肩の裂け目に、穴が空いたように虚空が亀裂を晒し、全体の風姿を損ねて痛々しくもみえるが、その残欠を補い支えるように、二股に分岐した幹から、すでに新しい立派な枝がのびている。
 久保はその高台から、その風景をみつめる隣の妻の横顔をみた。その瞳は桜の老木を見るよりも、どこか遠い久保の想像もつかない、遙か西の彼方へ、虚ろな視線を放っているようである。
 雲の移動につれ桜の巨木に暗い影が落ちたとおもうと、今度はまた、春の太陽は燦々と久保夫妻の佇む高台を照らし、大らかな明るい陽の中に光り耀くような桜の巨体を泛びあがらせた。





                                   
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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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