想いのまま・・・
一歳の女の子は逢うたびに変わっていく。自然に湧く微笑になんともいえない愛嬌をみる。抱いている腕をほどくその身のこなし方は、コアラの動作に似ている。また、草原を全身で這うようなその身ごなしは、身体運用に興味のある武道家をも驚嘆させるものがある。こうして柔軟な身体操作こそ武道家は理想とすべきなのだろう。
この兄がもうすぐ5歳になるのであるが、このあいだ、面白いやりとりがあったらしい。
上の兄が、この1歳の妹へ、
ーバカ!
と暴言を吐いて叱ったらしいのだ。女の子はすぐ言い返したという。
ーバカない!!
なんということばづかいであろう。「バカない!」とは「あたしはバカではない」という意味を、「てにおは」を吹っ飛ばして、ダイレクトに表現したのだ。この日本語の切れ味のよさには、いや、はや、脱帽してしまうのだ。
ああ、なんという成長ぶりだろう! 女の抵抗と反撃は、もう1歳からはじまっているのだ。フランス映画「男と女」の音楽は誰でも覚えているだろうが、この映画のクライマックスでの女のふるまいを覚えている男たちは、たぶん少ないにちがいない。
ーPourquoi?
男の口からこの印象的な一語が、私が鮮明に記憶した仏語のひとつだった。これまで幾度、こころのなかで、つぶやいたことばだろうか!Pourquoi? オィディプス王も解けない、それは永遠の「謎」なのだ。
外国語は英語、独逸語、仏語という順に習ってきた。あっ!中国語もほんのすこしやったが、全部といっていいほど忘れた。後は旅行用語として、伊太利也語、西班牙語など。ほとんど半端の断片の羅列だ。日本語だっておぼろである。この日本語の生成発展ぶりは、カメレオンなみなのだから仕方がない。このパソコンの入力に頼っているうちに誰かのあたまのように、文字が、固有名詞から、アラレもなく禿げていくのである。自分で笑えるほどに、忘れた漢字の一字を思いださない。恥ずかしいから具体的には言わないことにしたい。
でも勇気をだして、言ってしまおう。
そうだったのだ。あの「窓」という漢字が、ナント書けなかったことがあるのだ。「ム」からしたのほうが、こころなしか、おぼろなのであった。思いだしときは、ほんとうに心の窓が開いたような、そんな気がした。
だが、漢字ほど面白いものはない。谷崎潤一郎という作家は、「麒麟」の二字から小説を作ってしまったという逸話がある。私もまねて「花」という題名だけから、ちいさな短篇を書いたことがあった。百人一首からそのひとつを思いだした。場所は地図をみた。茨城県の筑波山へは行ったこともなかったので、ちょっと調べ物をした。筑波山は歌の道では由緒あるところらしい。
古事記の中で、あの「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が
新治筑波を過ぎて幾代か寝つる
と歌うとそばに寝ていた老人がこうこれに答えた。
日日並べて夜には九夜日には十日
高橋睦郎の「百人一句」に、これが最初の対話の詩、すなわち連歌であって、連歌を「筑波の道」というようになったとある。となると、男と女のお話を書かねばならないことになり、そのとき、私のあたまにつぎの和歌が閃いた。
ほととぎす 我とはなしに 卯の花の うき世の中に 鳴きわたるらん
そして豆腐のおからを別名「卯の花」ということから、子供のころの思い出がうかんで、そこから自然発生的に「花」という短篇ができたのだ。ただ私の記憶では、残念にも若死にをした友人との最後の別れの場面がそこに投影していたのであった。偶然にも、筑波山の麓に「桜川」という名前の川が流れており、私はその友人とお能の「桜川」をみたことがあったらしいのだ。こうなると、虚実皮膜のさかいは入り交じって、なにが「事実」だか「虚構」だか、書いている自分が判然としなくなっていた。ことばの力の不思議さには、おどろくべきものがあるらしい。事実、私のこの小説を読んで、私が見たこともない、筑波山へ夫婦で登ったという人がいたのだ。
話しがさらに流れてしまうが、むかし、私の詩を論じてくれた故人となった先輩が、私の詩を読んでいるとまるで「百人一首」を思い浮かべると、とんでもないことを洩らしたことがあった。私は密かに驚いた。というのは、子供の頃に、その意味も知らないうちから、母に「百人一首」を覚えさせられ、歌留多取りをよくやったからである。「むすめふさほせ」の七首は、下の句が一枚しかないからと、母はそれを覚えるよう奨めてくれもした。
あるとき、思いを寄せた人との別れに、こんな百人一首の歌を詠んで、ひそかに忍んだつらい経験もした。
筑波嶺のみねより落つるみなの川こひぞつもりて淵となりぬる
「百人一首」(安藤次男著)によれば、「みなの川」は、常陸国(茨城県)筑波山に発する細流で、末は桜川にそそぎ霞ヶ浦に入る、と語釈に記している。そしてつぎのように書き及んである。
「みなの川とこひ(恋)とをつなぐ糸筋は、双峰を具した筑波山の形状から及んでいる、と見ておく。また、この歌は、タ行とマ行ナ行との音の交配が、たくみな強弱効果を生んでいて、それにも歌垣山の形状はひびいている、と。
娘が中学校かで色紙に墨書して家に持って帰った歌をみて、また、私はびっくりしてしまった。色紙に書かれていた歌が、まさに、この陽成院の一首であったからだ。
話しが川のように流れすぎてしまったので、さいごに始めに戻すことにしよう。
一歳の妹を叱った今年五歳になる兄の名前の字面は、陽生というのである。話しはますます、混混沌沌としてくる。たぶん、「混沌」の語源をたどれば、それは「一」に帰すと、中国人なら言うかもしれない。
「百人一句」の本から、忘れていた私の駄句がでてきた。
隅田川 六十年の むだあるき
この兄がもうすぐ5歳になるのであるが、このあいだ、面白いやりとりがあったらしい。
上の兄が、この1歳の妹へ、
ーバカ!
と暴言を吐いて叱ったらしいのだ。女の子はすぐ言い返したという。
ーバカない!!
なんということばづかいであろう。「バカない!」とは「あたしはバカではない」という意味を、「てにおは」を吹っ飛ばして、ダイレクトに表現したのだ。この日本語の切れ味のよさには、いや、はや、脱帽してしまうのだ。
ああ、なんという成長ぶりだろう! 女の抵抗と反撃は、もう1歳からはじまっているのだ。フランス映画「男と女」の音楽は誰でも覚えているだろうが、この映画のクライマックスでの女のふるまいを覚えている男たちは、たぶん少ないにちがいない。
ーPourquoi?
男の口からこの印象的な一語が、私が鮮明に記憶した仏語のひとつだった。これまで幾度、こころのなかで、つぶやいたことばだろうか!Pourquoi? オィディプス王も解けない、それは永遠の「謎」なのだ。
外国語は英語、独逸語、仏語という順に習ってきた。あっ!中国語もほんのすこしやったが、全部といっていいほど忘れた。後は旅行用語として、伊太利也語、西班牙語など。ほとんど半端の断片の羅列だ。日本語だっておぼろである。この日本語の生成発展ぶりは、カメレオンなみなのだから仕方がない。このパソコンの入力に頼っているうちに誰かのあたまのように、文字が、固有名詞から、アラレもなく禿げていくのである。自分で笑えるほどに、忘れた漢字の一字を思いださない。恥ずかしいから具体的には言わないことにしたい。
でも勇気をだして、言ってしまおう。
そうだったのだ。あの「窓」という漢字が、ナント書けなかったことがあるのだ。「ム」からしたのほうが、こころなしか、おぼろなのであった。思いだしときは、ほんとうに心の窓が開いたような、そんな気がした。
だが、漢字ほど面白いものはない。谷崎潤一郎という作家は、「麒麟」の二字から小説を作ってしまったという逸話がある。私もまねて「花」という題名だけから、ちいさな短篇を書いたことがあった。百人一首からそのひとつを思いだした。場所は地図をみた。茨城県の筑波山へは行ったこともなかったので、ちょっと調べ物をした。筑波山は歌の道では由緒あるところらしい。
古事記の中で、あの「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が
新治筑波を過ぎて幾代か寝つる
と歌うとそばに寝ていた老人がこうこれに答えた。
日日並べて夜には九夜日には十日
高橋睦郎の「百人一句」に、これが最初の対話の詩、すなわち連歌であって、連歌を「筑波の道」というようになったとある。となると、男と女のお話を書かねばならないことになり、そのとき、私のあたまにつぎの和歌が閃いた。
ほととぎす 我とはなしに 卯の花の うき世の中に 鳴きわたるらん
そして豆腐のおからを別名「卯の花」ということから、子供のころの思い出がうかんで、そこから自然発生的に「花」という短篇ができたのだ。ただ私の記憶では、残念にも若死にをした友人との最後の別れの場面がそこに投影していたのであった。偶然にも、筑波山の麓に「桜川」という名前の川が流れており、私はその友人とお能の「桜川」をみたことがあったらしいのだ。こうなると、虚実皮膜のさかいは入り交じって、なにが「事実」だか「虚構」だか、書いている自分が判然としなくなっていた。ことばの力の不思議さには、おどろくべきものがあるらしい。事実、私のこの小説を読んで、私が見たこともない、筑波山へ夫婦で登ったという人がいたのだ。
話しがさらに流れてしまうが、むかし、私の詩を論じてくれた故人となった先輩が、私の詩を読んでいるとまるで「百人一首」を思い浮かべると、とんでもないことを洩らしたことがあった。私は密かに驚いた。というのは、子供の頃に、その意味も知らないうちから、母に「百人一首」を覚えさせられ、歌留多取りをよくやったからである。「むすめふさほせ」の七首は、下の句が一枚しかないからと、母はそれを覚えるよう奨めてくれもした。
あるとき、思いを寄せた人との別れに、こんな百人一首の歌を詠んで、ひそかに忍んだつらい経験もした。
筑波嶺のみねより落つるみなの川こひぞつもりて淵となりぬる
「百人一首」(安藤次男著)によれば、「みなの川」は、常陸国(茨城県)筑波山に発する細流で、末は桜川にそそぎ霞ヶ浦に入る、と語釈に記している。そしてつぎのように書き及んである。
「みなの川とこひ(恋)とをつなぐ糸筋は、双峰を具した筑波山の形状から及んでいる、と見ておく。また、この歌は、タ行とマ行ナ行との音の交配が、たくみな強弱効果を生んでいて、それにも歌垣山の形状はひびいている、と。
娘が中学校かで色紙に墨書して家に持って帰った歌をみて、また、私はびっくりしてしまった。色紙に書かれていた歌が、まさに、この陽成院の一首であったからだ。
話しが川のように流れすぎてしまったので、さいごに始めに戻すことにしよう。
一歳の妹を叱った今年五歳になる兄の名前の字面は、陽生というのである。話しはますます、混混沌沌としてくる。たぶん、「混沌」の語源をたどれば、それは「一」に帰すと、中国人なら言うかもしれない。
「百人一句」の本から、忘れていた私の駄句がでてきた。
隅田川 六十年の むだあるき
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