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「風狂の先達」西垣脩文集

 奈良の桜井駅から談山神社へ行くタクシーに乗った。
    咲くまでは草と呼ばれし野花かな
 運転手が披露してくれた一句を手に、私は増賀(そうが)上人がおられた多武峯(とうのみね)の神社へ参詣した。あれはいまから三十年まえのことだ。本堂のなかの公開品を拝見していると、増賀上人の像が目の前に現れたのには仰天した。たまさかの奇縁としかいいようがない。私はその頃どうした因縁でか、詩人たちのサロンへ出入りするようになっていたが、そこには有名、無名の詩人たちから、大臣級の政治家、色事師カサノバの翻訳家、直木賞の小説家等の、匆々たる顔ぶれがそれなりの雅なる風貌をみせて集うことがあった。また、詩誌「青衣」同人の一編一編の作品に感想を述べあう例会では、日曜の午後早くから始まって夕食をご馳走になり、玄関を辞するときはすでに真っ暗な時刻となっているのだった。場所は京王沿線の駅からの邸宅において、一年に幾度かの合評会であったが、奥さんとお嫁さんの料理はまた格別なもので、主人がケーブからだしてくれためずらしいアルマニアックやら高級なワインが並ぶと、もうそれだけで文藝の別乾坤に游ぶこころもちがしたものであった。その由緒ある詩誌に私の拙い詩らしきものも掲載して戴いていたとは、いま思えば洵に慚愧のいたりであった。
 さて、このサロンの主人といえば、蒲原有明賞を受賞した飄々とした大手の楽器会社の元社長さんと、もう一人の二人であったが、後者の御仁は既に故人との由で、残念ながら生前に拝顔することはなかったのだが、その面影を慕う者たちより、いくたびもその名を口の端にのせられ、またあの詩人の伊東静雄から直接の薫陶をうけた学生時代を過ごしたと聞く故人の、その遺された詩集「一角獣」を紐解くうちに、私はいたく感心してしまい、その上にその詩人のご子息の娘さんから、「風狂の先達」を含めた三冊の著作を恵贈されたのであった(昭和六十四年一月七日との記載がある)。
 私はこの著書より平安時代の増賀上人なる人物を知るを得たのである。これもまた奇縁としかいいようがないのだ。
 筆者は森鴎外の「寒山拾得」なる小説から語りはじめ、斎藤茂吉の感想「当時の文壇では、此の小説に言及した文章が皆無と謂って好かった」を手際よく拾いあげて、つぎのように言及する。「私はここに、われわれの近世と近代との間にある思想地盤の断層のふかさを感じとるのである。近世にあれほど自明であった無常観や出世間思想が、近代の論理と倫理に蔽われて急速に没しつつあるという事実は、注目に値する。現代のわれわれにとって了解しがたいものは、必ずしも欧米文化を支える西洋伝来の思想感情の底流の実体ばかりではないのではないか。かって祖先の生活を支配していた思想感情の底流もまた、日々にわれわれ自身から遠ざかりつつあるのではないか。そんな危惧も私には感じられるのである」。こうした鋭い指摘のうえに、筆者は「風狂」という言葉が、「近代的な自意識の衝迫からする反逆とは、元来根を異にする」として確然とした相違を説き、「千聖不知、埋没自己」という東洋思想の含意あってのことと、やんわりと読者へ喚起させるのだ。これは「風狂」なる思想を裏から支える思想精神に肉薄する最初の批評の合図なのである。
 この書物によれば、増賀上人は西行の「選集抄」、鴨長明の「発心集」、兼好の「徒然草」に現れ、国文学教授であられた著者の綿密なる考証を基にして、犀利にして自由闊達なる見識によって対象を穿つ古武士のごとき風格、更には悠揚迫らざる柔軟な思考の冴えには、瞠目すべきものがあると言わざるえなく、「それまでその神秘と奇矯さが強調されて、おそらく時人の理解を超えたままで取り扱われていたかに思われる」一聖人を、現代に甦らせたその功績は端倪すべからざるものと思われてならない。
「それが鎌倉時代になると、思想の成熟に伴って卒然として理解され、見逃しがたい先人として大きく浮かびあがったようである」として、「中世の三大文人が筆をそろえて増賀上人の高風を慕ったことになるわけであって、これは注目すべきことと思う」と高らかに断言をしているその論文の載った本を私は畏敬の念をもって読んだのである。
 著者はこの三人が精神継承のために傾倒したものとして、「名利」に心奪われることを否定しようとしたことをあげ、特に「徒然草」から長い引用を行っていることを印象ふかく記憶している。このことは、兼好の「徒然草」を「老仏を本として無常を観じ、名聞を離れ、専ら無為を楽しまん事を勧め、傍、節序の風景を翫び、物の情を知らしむるもの」として最初の兼好の評価者である寿命院立安を挙げ、さらに「日本国の人の止観のみちをしりよきやうにこの草子にかけると見るべし」とその趣向に着目した加藤盤斎に根拠を求めているのは、いかにも綿密な考証に基づく篤実なる学者魂のしからしめるところだと敬服すると共に、続けて「事実、兼好も天台の流れを汲み、増賀上人と同じく摩訶止観を行じた人であった」との念押しも忘れない周到さであるのだ。
 そして、幾つかの興趣ある聖人の「風狂」の精神から発した面白い逸話を紹介しながら、簡にして要を得たこの稀有なる論文の凝縮度を、私の拙劣なる文章で毀損してはいけないので、この「風狂の先達」の著者によって呼称された増賀上人、八十七歳の往生の際に遺した辞世の和歌を、この貴重な書物から孫引きし、併せて著者の最終行の文章を引用させてもらい、この浅学非才の拙文を終わらせていただこうと思う。
 詮方もないのだが、もし、かのときにこの著書の温顔に接しその謦咳に接し得たなら、その後の私の人生は変わっていたことだけはたしかだろうと思われてならない。

 みづはさすやそぢあまりの老いの波くらげの骨にあふぞうれしき

 「増賀上人の生涯は奇語奇行に満ちた外見にもかかわらず、決して隠遁者のように遊閑洒脱なものではなかった。しかも、畏怖された厳格さに拘われず、何かのどかな人間的気息をそよがせている。端倪すべからざる精神と云おうか。『風狂』の人生に処しての自由精神とは、本来こういうものであったかと思い、敢えて仮にその『先達』と称した」(昭和30年)


           風狂の先達 西垣脩散文集第1巻 


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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