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去年の雪、いま何処・・・

 夢をみた。天井の明かり取りが白んでいる。雀がチュ、チュっと鳴いている。時計をみたら、ちょうど四時であった。夢に出て来た人は、童門冬二氏である。歩きながら、氏はよく語った。能弁というのか、よく通る声で蕩々と話す。けっして人を飽きさせない。ひとしきり話し終えると、雑踏の中へ氏は消えていった。私はそこで目が覚めたのだ。
 私が30歳ぐらいのときだった。氏が政策室長をしている局長室へ、ある用件で会いに行ったことがある。事前に氏へ電話でアポをとり、急いで駆けつけた。メガネをした痩身の秘書が入り口で私を止めた。この人が後の副知事になった青山氏であった。直接、電話でアポを取っていることを告げ、づんづんと私は中へ入った。局長は気楽な風に、来客用のソファにいたので、来意を告げると、「ああ・・・」とすぐに反応した。要旨を記した紙を氏に見せると、「むずかしいことをやるのだね」と微苦笑をうかべた。が、その顔は穏やかに笑っている。だが眼光は炯々としてするどい。
「ぼくは出られないよ。まあ、がんばってやってくれ」とかで、私は忙しい氏の数分を強引に割かせてもらい、用件は足りたのである。私はその頃、知らない人でも電話一本で逢う約束をすることがよくあった。その後、童門氏は50歳を機に職を辞し、作家としての第二の人生を歩きだした。一、二年後、私は阿佐ヶ谷辺の夜の会合で、氏にまたお目にかかった。そのとき、「女たちの新選組」とかいう新刊小説を戴いた。刀の話しで隣の友人が、氏に異をとなえる口吻で話しだすと、かるくいなすようにして、それを塩に氏は席を立たれた。氏が去った後に、これで一杯やってくれと、数万ほどの入った封筒を置いていったらしい。それから数年して、「上杉鷹山」で氏は確乎たる地歩をきづき、つぎつぎとヒットを飛ばす流行作家となり、本屋の一角に専用のコーナーができた。私は図書館で、氏の芥川候補作となった小説「暗い河は手を叩く」を読んだ。このとき、大学の先輩で同じ局にいたこれも芥川候補になったT氏に人を介して逢ったこともある。この人は社交ダンスのコンクールで銀賞を獲得し、テニスも上手でスイスイと軽快に歩く姿がさすがと驚嘆した。三島由紀夫氏にその才能を買われていたT氏の芥川候補作「光芒」も読んだ。この二人を比べれば、才能という点ではT氏が光っていた。T氏は壇一雄氏に引き回された吉祥寺の街の酒場へ、私を連れて梯子をした。三島氏の「天人五衰」の原稿を持っているとも聞いた。人生は才能だけではどうにもならないものがあると、この二人を思いうかべると溜息がでた。
 私が局長時代の童門氏に会った用向きは、ある懇談会を企画しその内容を氏に報告に行ったためだ。当時は、まだ文部省の芸術推奨作家であった黒井千次を囲み、上野の東京文化会館で「組織の中の人間」をテーマにして懇談会を開き、私が司会をすることになっていた。その後、黒井氏はいつの間にか、芥川賞の選考委員の一人になったが、懇談会では隣の黒井氏を司会者である私が批判めいた言辞を弄したらしかった。その会に出席した中央公論の新人賞に次点で泣いたK氏から、驚きあきられたとだいぶ時を経て言われたことを思い出す。
 30代になったばかりの私は、海にダイビングするクラブの創設に参画し、傍ら、ヴァレリー研究会を主宰し、肉体と精神に自ら恃むところがあった。冒険精神にあふれていたのである。その後、ヴァレリー研究会は「日本古典を読む会」に転進し、渋谷の広い喫茶店でずいぶんと多くの日本の古典を読破した。そのあと、若者で賑わう洒落た酒場に繰り出したのは言うまでもない。そして、私の30代はあっという間に過ぎ去ったのだ。
 夏の太陽は若い私の肌を灼き、海という自然の美しさに魅惑され、日本の古典文学は畏敬の念を私の読書体験にもたらした。
 あれから茫々20余年が過ぎた。その頃の仲間はといえば、等し並みにみな年老いてしまった。
 ああ!去年の雪や、今いずこにあり・・・・。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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