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根岸の「鍵屋」と葉巻

 根岸の路地裏に、「鍵屋」という居酒屋があった。
 今自分はとうてい、店を畳んで影も形もないと思いながら訪ねてみた。だが、なんとしたことか、路地裏の奥に、軒を並べたしもた屋にまぎれて、かすかに行燈の灯りがみえたのだ。ほっとして私の胸にも灯りがともるようであった。この古びた居酒屋には、むかし、永井龍男、久保田万太郎等の俳句をよくした文人等が、集ったところなのだ。
 先日は、観世流の謡いを見学しにバイクで訪ねた町でもあり、その折り、吉本隆明が一時居を構えたのがここ根岸であったことを思いだした。明治の幸田露伴も住んでいた。小説家になろうと露伴を訪ねた正岡子規は、明治28年に転居してきて、ここに庵をむすんだ。大正時代を思わせるポスターがかかり、おやじ風の客人が多い。みな地元の馴染みの人達にちがいない。これが落ち着いた町というものにちがいない。
 この根岸には菩提寺があるため、墓参りの際にはときおり顔をだしたのがこの「鍵屋」である。だが帰りに食事に寄った中華料理の「鶯泉楼」は、いつのまにか店を閉じていて、私をがっかりとさせた。ここで63歳で病没した母の法事を幾度かしたことがあったのだ。信心の篤い母であった。危篤と聞いて私は職場からバイクで駆けつけた。まだ息があり、私の顔をみると孫の名を呼んだ。明るい顔だった。霊安室の死顔の美しいのに、私はびっくりした。信仰とはこういうものであったのかと、私は考えさせられたものだ。
 引き戸が開いて若い女の子を連れた中年の男が入ってきた。隣のカウンターに座った。興味ぶかげに店を見まわしていた女の子が、
「こういう店っていつまで残るのかしら」と小声で男に囁いた。
 先刻、熱燗をつけ奴豆腐をだしてくれた背の高い老人をみた。頚にいなせに手ぬぐいを巻いているが、頭はすっかりと禿げている。熱燗は昔風のやつで、徳利も一合はたっぷりと入っている。こういう銘酒の居酒屋が消えていくのは、いかに時代というものがあろうと、淋しいものである。
 私は少しばかり酒を嗜むが大酒は飲めない。若いとき、大酒飲みの友人の馴染みの店で飲んで真冬にひどい目にあってから、酒の適量を自然と知るようになった。歳をとるとはそういうものなのだ。人とのつき合い方も段々と知るようになる。友遠方より来る、また楽しからず也。中国人の叡智には味わいがある。
 学生時代からの友人の第二の職場が浅草界隈にあり、また、ときおり参禅する寺への途次に、変わったある店を発見した。飲み屋ではない。店で葉巻を売って、そこで葉巻を燻らせて珈琲などを飲ませるところである。
 どうも気分が重いときには、高価ではあるがキューバ産の葉巻を吹かして、カウンター越しに道路を隔てた公園の木立の緑の葉が風に吹かれ、昼の太陽から夕暮れの落日に黄昏れていく、その美しい変化の妙を愉しんでいると、気怠るい憂さがどこかへ行ってくれることがある。
 黙ってカウンターにいる常連さんの話しに耳を傾けるのもいい。BMW系の外車で乗りつけて来ている3~40歳代の男(マスターの話では群馬から車で来る客もいるらしい)は、元レイサーの卵だったらしい。13インチのアップルのパソコンで世界中の友人とつながり、隣のスツールにいたいまさっき知り合いになったという感じの女の子とセレブなお話しをしている。そうした話しを聞いていると、鬱陶しい日本のチャチな政争やメディア雀たちの原発議論も忘れ、爽快な気分になるのである。東はマカオ、香港、プーケットから、西はモロッコ、ノールウエイへと体験の話題はひろがり、ふとバブル時代の残光を浴びたような気になるのだ。一本2~3000円の葉巻を吸い、世界の往時の自動車レーサーの度はずれた饗宴に耳傾けていると、そのうちラ・フィエットの車の鍵を借りた若い男と女が、かわいい車体とともにどこかに消えていった。
 残った元レイサー氏によると、外車は日本車に比べ、椅子に比較にならないほどの資本をかけているとのこと。それも当然に、椅子に座る伝統文化からのことらしい。車の構造も日本車とは異なり、運転席は左側にして右側走行のため、国際免許を取った日本人は、右折するには注意が必要とのことだ。錯覚で反対車線に入り込み、正面衝突なんてことがあるらしい。いまの日本ではレースからスポンサーが撤退し、年に数本しかないが、代わりに中国人が進出している等々。
 私はキューバにダイビングに行き、ハバナの葉巻工場で買った「モンテクリスト」の葉巻を、海辺に伸びた木の桟橋をとことこと歩き、その突端にある小体なバーのカウンターで吸った体験の一片を披露した。蒼い透明な海は金色に輝き、寝椅子に横たわった往年の老人たちはじっと海を眺めているばかりだ。男が女に語らい、その手から葉巻の煙りが空に消えていく・・・。
 元レイサーの卵氏は、カリブの海には行ったことはあるがダイビングができないので、シュノーケルでカリブの海のなかを見たと言う。その素直な応答に、私は若いレイサー氏に好感を懐いた。口髭と長い髪の毛のこのまだ若い男は、車で日本と世界を走り回っていて、13インチのアップルで車関係の雑誌に原稿を書いて、栄光の時代の一瞬を思いだしているのに違いないのだ。
 音もなく空色の可愛い外車が戻ってきた。すばらしい走行感覚を味わったらしい。喜びにあふれた若者たちの顔をみるのも、最近はめずらしいことなので、私も嬉しくなってくる。こうした若者がいるかぎり、心配は要らないのだ。老いたる国際政治学者がなんの具体的提案もなく、日本には「構想力」がないと愚痴っている風景ほどいやなものはない。また、理論ずくめの構想力がその裏に、日々の生活に苦しんでいる底辺の大衆への一片の想像力もなければ、誰がその理論に共鳴して、そのために働いてくれることがあるだろうか。
 車から戻ってきた女の子が、キューバに住んでいたノーベル賞作家について、こんなことを言った。
「ヘミングウエイなんて、実は女々しい男だったのよね」
 私はボーイッシュな髪型のその女の子をみた。そして、キューバの丘に住んでいたヘミングウエイの白い邸宅と、あるドイツ人女性のことを思いだしていたのだ。
 あのヒットラー総統の麾下、「オリンピア」という映画を撮り、若い時は舞踏家であったが、晩年はカリブの海に潜り水中写真を撮っていた、あのレニ・リーフェンシュタールである。彼女は戦後、ナチズムに協力した罪を問われて迫害された。だがめげずに、70歳代でダイビングの免許をとり、カリブの海に潜り、美しい写真を撮り続けたのだ。
 日本の女性サッカーがワールドカップで優勝した。苦労して掴んだ勝利の栄光は素晴らしいものだった。ひさしぶりに、私も喜びの涙を流させてもらった。あきらめないこと、最後まで、あきらめないこと。
 私は彼女たちの栄光を讃えながら、いくどもつぶやいていた。



    
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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