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キューバ・カリブ海潜水紀行

キューバ海2 キューバ女
キューバ海中1 クイーン・フィシュ  クイーン・フィシュ kyabare-1.jpg  女性ダンサー



 ある夏のこと、ついに私はキューバに行き、カリブ海に潜ることが叶った。それは明るい夢をみているような体験で、海の中でたゆたゆっているだけで、至福の時間と空間を浮遊しているようであった。明澄、静穏なこの南の海は、まさしくあのレニ・リーフェンシュタールの写真集の題名「珊瑚の庭」であり、「水中の驚異」と呼ぶべきほかはない。そこで、亜熱帯の魚たちは種として争うこともなく、互いに群棲しながら、美しい孤体を閃かせて、遠来の旅人を喜ばせてくれたのである。彼女等の沈黙の饗宴、色彩の乱舞に魅惑され、私は帰ることも忘れた浦島太郎のあの竜宮城にいるようであった。ここでは、時間は永遠とつらなり、太陽は海に溶けるのである・・・・。
 カリブは、海の真珠とよばれるキューバ本島のほか、1600余の島と岩礁をだいて広がる常夏の海である。私たち一行(十六名)は、ロスアンジェルスを経由し、メキシコシティまで飛び、一泊後、メヒカーナ航空で一旦キューバのハバナに入ったのである。
 そこから国営のクパーナ航空に乗り換え、フベントゥー島(現在は「青年の島」と呼ばれている)へわたった。この小さな飛行機の、冷房もろくに効かないボロサ加減は、痛快でさえあった。この島は、むかし海賊が出入りしていたとかで、スチーブンソンが「宝島」を書いた背景になったところ、キューバ本島(日本本島の半分の面積、人口は1100万人)に次ぐ大きさである。私たちダイバーはこの島のヘロナのホテル「コロニー」を根城に、カリブの海に潜ろうというもくろみなのである。
 ホテル「コロニー」は、リゾートホテルとはおよそ縁遠いものであったが、ホテルの前に広がる明るい海と空。沖合まで遠くのびた、細く長い木の桟橋。風に吹かれてゆれる椰子の樹と白いプールといった、絵はがきそこのけの景観は、旅行者の気分をくつろがせ、質素で清潔なホテルは、雑然と気のぬけたような喧噪と憂鬱でさえあるトウキョーの騒擾とを逃れ、はるばるとやって来るには十分な値打ちがあったのである。私たちは、三日間、一日三本、最高深度四十七メートル、水温二十九度の、透明で静かな海の、青い楽園を十二分に満悦することができたのである。
 キューバは大航海時代のさきがけ、コロンブスにより「これまで人目に映った最も美しい土地」と讃えられた島であるが、この地の魅力が、アフリカのビートと西欧の弦楽器のメロディーの絶妙な混血であるラテン音楽にあるのを、忘れるわけにはいかない。このキューバ音楽の多彩な深さは、すでに、「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」の映画で日本にも紹介されているが、「ソン」や「ボレロ」や「ダンソン」等の音楽、中でも腰と尻とをエロチックに揺さぶる「サルサ」などの踊りに尽きるのである。
 ところでレニ・リーフェンシュタールが、ダイバーのライセンスを七十二歳という高齢で取得し潜った海が、カリブ海であり、晩年に暮らしたのが、キューバであった。レニといえば、ヘミングウエイの「アフリカの森の緑」の読書体験から、スーダンに分け入り、いままさに滅び行く原地人の姿態を写し、その美しさをもって世界を驚嘆させた写真集「ヌバ」(正確には「THE LAST OF NUBA」)で、日本にも知られた写真家である。また、若い頃にはノイエ・タンツの舞踏家として、神の写し絵とまで称賛されたが、ベルリン・オリンピックを撮った映画「オリンピア」、その後ヒットラー総統の麾下、ナチスの宣伝映画「意思の勝利」の監督をした廉で、戦後、四年間の投獄生活を余儀なくされたという、波乱に充ちた生涯を送った女性として、知る人ぞ知る人物である。
 さて私事になるが、私の趣味のうち、現在まで継続しているのが、海へ潜るダイビングである。二十三、四の時に習い覚え、竹芝桟橋から本土返還直後の沖縄へ、二日かけて船で行き、灼けつく太陽の下、沖縄の海を潜って以来からのつきあいである。すっかりご無沙汰ぎみだが、一昔のこと、Tダイビングクラブの創立に参画したこともあった。残念ながら、同クラブはその後、ある理由をもって解散のやむなきに至った。その頃、偶々、ダイビングを教えた男から、キューバで潜る計画を聞き、早速同行させてもらうことにしたのである。カリブ海とキューバの音楽は、不況下で青色吐息の日本から離れられる、好機でもあったのだ。それでなくとも、面白からぬ世の中であるうえ、所詮、苦楽のめぐりままならぬ、ハカナイ人生である。「苦」と「楽」は、吐く息と吸う息も同様、ふたつともたのしまざるはないのである。現にアメリカの裏庭で、小国のキューバ人はながいあいだ、圧倒的に強い隣国からの経済封鎖に抵抗しながらも、天真爛漫なほど明るく陽気な生活を楽しんでさえいるのだ。(この一端を知りたい人は、「ビバ!ビバ!キューバ」という映画を、是非ご覧いただきたい。)
 ログブックなるものを記録せず、海に写真機を持ち込んだことがない私は、三日間、どこのポイントで、いかなる名前の魚たちを見たのか、つまびらかに語ることができない。また語ったところで、一般読者の関心外であろう。島の周辺には、五十余のダイビング・ポイントがあるとかだが、カリブの海の魅力は、魚の種類が多彩なこと、ソフト・コーラル(柔らかな珊瑚)が至るところに繁茂し、まさに海底のお花畑、珊瑚の庭としか言いようがないことである。ともかく、明るく静かな素晴らしい海であった。それでも一日風があり、海がうねり船酔いもしたが、海に潜ってしまえば、もうそこには楽園があった。幾種類の魚の群れが彩なして交錯する光景に、私の目は恍惚に酔い陶然として溜息がでそうであった。沈船にクイーン・フィッシュが数匹群れをなし、目の前を悠然と泳いでいく様は、まさに海の女王然とした威厳と風格があり、遠くからの訪問者を喜ばせてくれたのである。ガイドのダイバー達は、なかなかの好男子もいて、ジャック・マイヨールをモデルにした映画「グラン・ブルー」に近しい一流のダイバーが、現地のツアーガイドになってくれたのは、偶然とはいえ名誉あることであった。キューバ人ではめずらしく彼は英語を話し、思慮深い笑顔が印象的でさえある。そして最終日の夕べ、ホテルの食堂にキューバ音楽の演奏者たちが来て、手を取って踊りを教え、歌を唄って楽しませてくれたのは、やはりキューバ人ならではの、陽気で幸福な一夜となった。
 一日、ダイビングから帰ると、私はひとりホテルの前から海へのびた、細くつづく木の桟橋を突端まで歩いた。その桟橋の上に寝転んで皆と一夜満天の星屑を眺めていた。その時、流れ星が幾筋か天の川の畔を蛍火のようにすいと流れていくのを目にした。それは測り知れぬ宇宙の彼方に生じる、涼やかで遠い音楽のように消えていった。
そしていまし、桟橋の果てには茫々と広がる海は、金箔の光りを湛え、燦爛たる光りの海と化して、幽冥を境にする水平線に溶け入ろうとしている最中であった。どこまでも透明な青い空はすでに黄昏て、まるで黄金色の刷毛をひいたかのようである。突端には広い露台があり、そこに茅葺きという感じの粗末はバーが一軒開いていた。その粗末な店の前には卓と椅子が無造作にならび、数人の客が海を眺めている。傍らでは、葉巻を手にした男が女に静かに語りかけ、南国の夕陽の空と金色の海を背に、そこは陸から海へ通じる愉楽のテラスなのであった。
 私はビールとハバナ・スペシャルなるカクテルを飲みながら、輝かしい光りの中、海と空が交合するのをみたのである。遠く目を放てば、浅瀬に漁する男の姿が大気の光りにふるえ、その黒い影から長い腕が彼方に向かって差し出された。一瞬、そこに、時は停止して、あたかも永遠を指さし招くかのように・・・・。

 それから私たちは、キューバの首都ハバナへ移り、市内観光で二日を過ごしたのだ。スペイン・コロニアル風のホテル「セビージャ」は旧市街(世界遺産指定)の中心にあり、最上階にあるバーから眺めた朝焼けのハバナの街は、代赭色をした石造りの落ち着いた町並みで、往時の閑静で雅な面影を残し、浮沈のはげしい世界経済から孤立させられた国民の生活が、いかなる佇まいを見せるかを教え諭されるような気がしたものだ。だが、フィデル・カストロ後の、この国のゆくすえは楽観できるものではないことは、この国に押し寄せるドルの荒波を考えれば想像の外はないのである。
 一日、車を借り切って葉巻工場を見学し、サンフランシスコ・デ・パウラの丘に、作家ヘミングウエイの旧居を訪れたが、この家で書かれ残された作品に較べれば、作家の家などは、小綺麗な廃墟としか見えないとは哀しいものである。ともあれ、夜も更けて、ハバナの豪華絢爛たる超一流のキャバレー「トロピカーナ」へ赴いたのは幸いであった。そこは涼しい夜風が吹きわたる戸外の劇場で、眠たげな子供までが混じりあい、ビールやラム酒を片手に、観客席はすでに熱気に湧いているのだ。底抜けに明るいラテンのリズムにのり、大きな舞台いっぱい、男と女の煌びやかで見応えのある踊りと歌が繰り広げられるのである。そこで私は、華麗な衣装で身を飾り、肌も露わな二メートルほどもありそうな黒人ダンサーに肩を叩かれ誘われるがまま、習い覚えたサルサを一緒に踊ったのである。その時、不覚にも忘れていたが、仲間につけられた蚊取り線香が、私の腰で一緒に踊り狂っていたそうだ。
 フランスの詩人は、海を愛する者は自由を愛する者だと詠い、片想いのことを、仏語で「ラ・ムール・デ・ラ・メール」(「海の恋」)というらしいが、顧みれば、黄昏はじめた私の人生の大半は、どうやら片想いにも似た、海への苦い恋でしかなかったようである。だがまだ、諦めるのは早いのであろう。

ーもし私が人生を肯定して人生は良いものだと言い切るのなら、私はどんな困難にも耐え抜く力を持たなくてはいけない。人生に起こりうるどんな事態も克服できり力が必要である。もし私が人生を否定するなら、私は人生に負けてしまう。人生に負けてしまうくらいならとにかく死のう。しかしそれを望まない以上は、人生を肯定し、すべての困難を克服して生きていこう。

 長い引用をしたが、これはレニ・リーフェンシュタールという女性が、十一歳の少女時代、ある悲惨な事件を目撃した折りの感想である。彼女の非凡な生涯を貫いた、この励ましにみちたことばを最後に、カリブの美しい海へ別れを告げることにしよう。
 アディオス・ビバ・キューバ!



sannbasi.jpg旧市街 旧市街
魚1タクシー2  タクシー
トロピカーナ  野外の「キャバレー・トロピカーナ」


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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