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東北を旅する

 春から、この一夏にかけ、世話をしているインコのP氏が、にわかに老いた。食べる餌の量もめっきり減り、いぜんは枝に留まっていたのに、鳥籠のしたに降りいざるように弱々しく動くようになり、ほとんど居眠りばかりをしている。テレビから歌の音が流れると、以前はそれに張り合うように声高くに鳴いていたのが、ピーとも囀らなくなった。掌のうえで喉を撫でてやると、それが気持よいのかうっとりと両目をつぶっている。青い羽根も色あせ、糞をするにもお尻を振らなければ、なにやらで困難をきたしているらしく、水を飲まないと餌の喉ごしがわるいのか、そして餌を少し食べるとその後、すぐに水を飲むのはどうやら消化を水で促しているらしいのだ。そのせいか、鳥籠は白い糞であちらこちらを汚している。インコの住む美しい館とはいえない。
 と、P氏の老いたる哀れな姿をしみじみと眺めている鏡に、ふと映った我が身を顧みた。いや、インコのことは我が身にも無縁ではなかったのである。

 そして、ふと、男の脳裏に一句が閃いて過ぎった。
             
     行く春や鳥啼き魚の目は泪   (芭蕉「奥の細道」)

 股引の破れも気にせず、三里に灸するでもなく、まして表八句を庵にかける風雅も知らず、男はまだ秋風を肌に感じることもない時節ながら、突然、山と海と平野を無性に眺めたくなる。
 山形県の温泉に行ったことはあるが、まだ、日本海に面する庄内地方へ足を踏み入れたことがない。そこで、初日のみ家人と山形新幹線の大石田から、山に抱かれた温泉郷のひとつ、銀山温泉へ行くことにした。駅を降りると旅館からの迎えの人が立っていてくれた。
「むかしは銀山で栄え、いまはなにもないところだが、テレビドラマのおしんから温泉客が多くなってよ・・・」
「冬は雪が積もって、吹雪になれば人の顔もよう見えなくなるほどでねぇ、藁葺きの家も減って、瓦屋根に似せた トタンを拭いてあるだけの家ばかり、ホレ、この家もあちらの家も」
と、一人よくしゃべる運転手はバスガイドよろしく、乗客を車の前に集め、しきりと案内をするのに余念がない。
 そのうち、川が流れる両側に旅館が居並ぶ温泉街に車はのろのろと入っていく。木造だが三、四階もありそうな古びた旅館が、水量もさほど多くない川の水音に耳を傾けるかのように建っている

銀山温泉1銀山温泉3 
銀山温泉2  銀山坑内跡


 大石田は最上川が流れ、ここに歌人の斎藤茂吉が疎開した家が残り、墓と歌碑があった。

最上川歌碑 
斉藤茂吉の家斉藤茂吉墓 斉藤茂吉墓


最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

 茂吉短歌の絶唱、戦後日本、いや現代和歌の最高峰と言われているのだが、3月11日の震災・大津波とイメージが重なっるせいか、自然と歌の詞章は互いに共振してふるびることがないらしい。 

じゃれる猫ひまわり 
蜥蜴 

 精悍な眼をした猫が横たわり、逆光のせいで鮮明ではないが、赤いひまわりが咲き、トカゲが日向ぼっこをしている。可憐な花が石塀に垂れている。

 そして、ここから、男の一人旅が始まる。陸羽西線から余目(あまるめ)を経由し、まだ日あさければ、酒田にて途中下車をする。バスにて江戸時代米の積み出しで栄えた湊街酒田を偲ばせる山居倉庫を訪れ、雨の降る新井田川を山居橋を渡り、歩いて「本間家旧本邸」へ行くが、ただ田舎の豪商の家なるか。さらに歩いて本間美術館へ行く。二階の展示室に芭蕉の直筆、特に太田垣連月の和歌短冊に見とれる。女流歌人・太田垣連月については、一昔京都の町屋に住む杉本秀太郎氏の表札を見かけ、突然訪問し失礼をしたことがあった。まだ床に寝ていた氏のかわりに、はんなりとしたいかにも京女という奥様が着物姿で、門前まで男を送ってくれたことを思いだす。その氏の書いた本でこの歌人を知ったのだ。そぼ降る雨の庭園より、鳥海山は正面の借景となるはずだが、パチンコ屋「童夢」の大きな広告塔が正面にそそり立つ。
「どうにかならなかったのかしら」と女性客が嘆いていたのが印象的だ。お陰で天候のせいもあるが、旅の目的である鳥海山を眺める機会がなかったのが残念である。せめて吹浦の宿で撮した写真(と思ったがリアルな絵であった)を掲載しておこう。

 急ぎ酒田駅より羽越本線に乗り、吹浦(ふくら)へ行き、ここで一泊する。老婦人二人が切り盛りする民宿は、それは快適(!)であったのだが、まず、吹浦駅に停まっていたタクシーに乗り、海での災難除けのために、海岸の岩に16体の羅漢が彫ってある場所を廻って宿まで行くとする。海辺にでると小雨ながら、海風に吹かれるが、これが男の精気を回復させたらしく、足場の悪い岩から岩をつたい歩き、海の空気を深呼吸してシャッターを押し、そのままタクシーで宿正面に着けると、二人の老婦人が驚いて出迎えてくれる。

   あつみ山や 吹浦かけて夕すずみ (芭蕉)


吹浦の海吹浦の芭蕉 
十六羅漢 

 小さき虫の死骸浮かびし浴槽に浸かり、微動だにもせずに男は、そっと浴槽を出て蛇口をひねった。だがお湯はでてこない。水にて全身を濯ぎ洗い、よれよれの浴衣に使い古した帯びを締めて出ると、赤い暖簾に「女湯」とあったのにびっくり。こうした宿に女性客が来ないせいか、大事には至らない。酒の熱燗を三本ほど飲み、しっとり湿った布団に昏睡する。好きでない小ぶりの蟹が意外に美味かった。

吹浦に寄せる白波は 夜の媼の髪と思へり  
吹浦の十六羅漢棲む宿に 男ひとり泊まりけるかな

目なかいの海にとびこみ この裸身穢れ落として 濯がんとぞねがう

静かなる朝の海辺か 漁り火ふたつ夜の沖 蟹を獲るとぞ

 曇り日の吹浦から鳥海山は望めず鶴岡へでる。バスで市役所前から鶴岡公園にある「藩校致道館」から「致道博物館」に入る。高山樗牛、横光利一の原稿があるも石原完爾の生地なれどもその関係の資料もないようだ。藤沢周平記念館では、文藝春秋の編集担当者宛への名前に見覚えがあった。いかにも藤沢周平文学を育て見守ってきた篤実にして筋の通った人物との印象を受けたからだ。
 館内は盛況で藤沢文学の愛好者がいかに多いかを語っている。
 鶴岡は幾つか骨董店があり、古伊万里があると先夜テレビで報道されたせいか、2、3軒廻ってみたがもうあらかた買われて、ろくなものが残っていない。そば茶碗と現代陶器を数点買い、温海温泉へ向かう。客は一人。サービスは貧寒だが、米と酒は旨い。旅館前から源義経が上陸したとの言い伝えのある鼠が関へ赴かんとバスを待つが来ないため、やむなく旅館の主人が腰をあげ、車を猛スピードで飛ばし、タクシー乗り場へ着けてくれたのは有り難かった。あの勧進帳の有名は舞台は、安宅の関より、この鼠が関が本当との説をタクシーの運転手から聞く。事実の真偽より、運転手のお話しが楽しいのである。
 鼠が関駅の電車へ飛び込むと同時に村上へ向かって車両が動きだす。中学校の兄ちゃんが前のシートに一列に並ぶ。その後ろの窓外に、海辺の家々が並び立ち、日本海がその隙間から見え隠れして列車は走る。

鼠なり関駅に立ちて 夏山を仰ぎみる
夏海や 苫屋の隙を流れ入る

致道館古伊万里 
現代陶器 
 
 村上駅に着く。駅のトイレの隣人が「どこから?」と聞く。「東京」と答えると地元だとの声に、駅前のレストランを教えてもらう。イクラをまぶしたわんこ丼を食べる。カウンターに爺さんが一人座り、昼間から冷酒の「〆張り鶴」を飲んでいる。この二階は旅館となっているらしい。レストランのおねいさんに教えてもらった場所をただ歩く。じりじりと陽射しが暑い。なにもない。曲がり角に大きな石に種田山頭火の句が彫られていた。

   水音に眠られず 思いでのあれやこれや

 その他、土地の俳人が句を寄せている。風鈴の音がする。女性三人にてブティックのような洒落た内装の店である。あまりの渇きにかき氷を一杯所望。その店を出てただ歩く。道を間違えたか、どうにも暑くて耐え難い。タクシーを探すが掴まらない。そのうち、めまいがする。スーパーの隣の薬屋によろけこみ、ハイヤーを依頼。車にて村上の駅着き、旅館へ迎えの車をたのむが、車はないという。仕方なくタクシーで旅館へ着く。突然、朝ご飯しかない、宿泊は前金だと言われる。予約時にそのようには聞いていないのである。ともかく部屋に入り、そのまま、寝入り込んだ。部屋にて前金を払い、風呂の場所を訊いたところ、風呂場は三階の上にあるらしい。エレベーターはこの建物にはないので、階段を使って屋上にあがって欲しいという。手摺りに掴まり、屋上を目指す。まるで登山である。温泉の浴槽から夕暮れの海が目の前にみえる。運転手の話だと、源泉かけ流しだそうだ。ここには若い客しかいないらしい。別料金で夕食を摂る。蕎麦を頼み、冷酒の〆張り鶴を飲む。広い食堂に客は一人。だがこの冷酒の旨いこと!部屋へ戻り、朝まで寝入る。朝食は本館(?)のバイキング料理とのことであった。
 本館は道路を隔てた斜め向かいにあった。大きくて広い。別館で貰ったサービス保証券と朝食券を持ち、地下へ降りる。大勢の客がひしめいている。広い窓から海が一望される。玄関にでると鮭の薫製が吊されている。その恐ろしい形相は圧巻でさえあった。本館のロビーで待ち、送迎バスで駅まで出る。ロビーから眺める日本海の海と砂浜と空が美しく、ここで一息をつく思いをした。

鼠が関鮭の列 
海と空鮭 

 坂町から米坂線に乗る。荒川が静かに流れているが、友人の話しだと暴れ川だそうである。鮎の釣り人を見かける。たった一車両に、退職後の男たちをちらほら見かける。高齢の穏やかな顔には、どこか難民のような様相が漂うようている。越後下関駅で下車。駅から旅館へ電話する。すこし待つとすぐやって来る。やれやれと思いきや、車に乗り込むと「早めに着いた料金は戴きます」との口上。いままで聞いたことがない科白だ。すこしぐらい早いチェックインは大目にみてくれたのだ。ずいぶんケチな旅館らしい。案の定、客は二組だけしかいない。まあ、それだけ経営が逼迫しているのだろうが、ここで友人と一泊明かすことになっている。それでこの旅の最後とする予定なのだ。友人が現れる。ハンチング帽子をまぶかに被り、髭が流行作家の某氏に似ている。友人が「余市」なるシングル・モルトを一本持参してくれた。それをチョコチョコやりながら、早速、坂町の寿司屋で教えられた「大洋盛」の「紫雲」という冷酒を頼み、飲み出すがこれがどうも雲ようにとりとめのない味なので、向かいの別室に用意された夕食ではやはり「〆張り鶴」を飲む。しばし酒置歓談するが、なにを話したやらおぼえていないまま、布団に横たわったらしい・・・。朝、風呂からでるとめずらしい写真をみる。幕末から明治に活躍した西郷、大久保、龍馬等の主要人物が一同に写っている。長崎に一同に集まったらしい。だがどこかで同じ写真をみたかすかな記憶がある。このような匆々たる人物が一同に集まり、写真におさまっていることが、どうにも不思議だ。

荒川風景赤い二本の花
鰻や

 友人の新車(プリウス)で新潟へでる。急に、友人の家に寄る。玄関に奥さんが迎えてくれるが、番犬の犬に盛んに吠えられる。誰も彼も等しく歳をとったという感慨が、男の胸を衝いた。この不況下のご時世、若者もそうだろうが、老人たちも生き辛いのである。東北地方は格別にそうだろう・・・。そこにきて、今回の災害である。
 斉藤潔記念館に入り会津の版画家の描いた雪の町シリーズに、ふんわりと温かい郷愁を呼び起こされる。たしか以前に、福島県立美術館で見たような気がするが、幾度見てもいいものはいい。雪景色の版画の一枚に描かれた「う」というかな文字の有名な鰻屋「えびや」が、いまもあるという友人の一言でそこで昼食を摂ることにする。ようやく目指す鰻屋を探しあてた。幸運にも昼をだいぶ過ぎていたせいで、閉店するところであったらしい。友人は福島の駅まで送ってくれた。車のドアを閉めた。振り返らない。もう先のない前を見て生きていくしかないのである。ああ、ヒロシマ、ナガサキにつづいて、こんどはフクシマが世界的な地名となってしまったのだ。
 いつあの世へ何時いくか知れたものではない年齢にお互いになってしまった・・・・。この国の政治・経済の停滞はいつまでつづくのであろか・・・。
 我らはどじょうのように泥臭く生きてもいていくしかない。だが、ときに金魚のように優美に暮らすゆとりのようなものだけは持っていたいものである。それがこの世で無用な「芸術」という世界に属するものであったとしてもだ・・・・・。

    夢に病んでさざれ石の 苔の蒸すまで



           
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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