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漱石「文鳥」を読む

 漱石の「文鳥」という短篇を読んだ。さすが「明暗」のような小説を書くまでに至るプロの小説家の片鱗がうかがえるものである。
 「自分」が好きで飼った小鳥ではない。鈴木三重吉(後の童話作家)という学生に勧められて、やむなく飼うことになった文鳥の話しだ。主人は小説を書くのに急がしい。神経衰弱気味なのである。そこで気を紛らすためもあって、三重吉の提案をのんで文鳥を飼い、その世話をすることになる。家人も主人の代わりに小鳥の面倒を看ている。だが、冬のある日、縁側に出したまま宴会から帰ってきて、そのまま寝込み、朝、文鳥が死んでいるのを発見する。そこをすこし引用してみよう。
「自分はこごんで両手に鳥籠を抱えた。そうして、書斎へ持って這入った。十畳の真中へ鳥籠を卸して、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。柔らかい羽根は冷え切っている。
 拳を籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静かに掌の上にある。自分は手をあけたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと座布団の上に卸した。そうして、烈しく手を鳴らした。」
 手を鳴らしたのは、女中を呼ぶためである。
 この八行の文章の中に作者は、一切、主観的な言辞を入れず、「自分」も含めた世界を冷厳と突き放した文体で終始する。そればかりではない。文鳥を飼うことを勧めた三重吉へ、こんな葉書を出してもいるのだ。
「家人が餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。」と、義務を尽くさない残酷さをあげつらい、家人を責める文句がこれにつづく。その数行前に、死んだ文鳥を女中に放り投げ、「自分は餌をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔を睨めつけた。」と書いている。「自分」と称するこの短篇の主人公と見られる人物は、どうも尋常な人物とは思われない。自分と他者との関係が捩れているとしか思われないのである。前後の平仄が合わないのだ。こうした非人情かつ性根が捩れた「自分」ー書斎で頬杖をついて小説を書いている男ーは、もちろん漱石その人ではない。 
 この短篇は「文鳥」を介して「自分」を含んだこの人間世界が描かれていることに眼目がある。もちろん、「文鳥」を観察する作者の筆は、さすがと言っていいほど冷静だ。例えば、行水をする文鳥を描く文章はこうである。
「水はちょうど易(か)え立てであった。文鳥は軽い足を水入の真中に胸毛まで浸して、時々は白い翼を左右にひろげながら、心持水中の中にしゃがむように腹を圧(お)しつけつつ、総身の毛を一度にふっている。そうして水入の縁にひょいと飛び上る。しばらくしてまた飛び込む。水入の直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛び込んだ時は尾も余り、頭も余り、背は無論余る。水に浸かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然として行水を使っている。」
 漱石の写実の眼は対象を正確に捉えていて余すところがない。こうした文鳥の動作を描いた文章が、人間世界を映すとあたかも「明暗」のごときに、せっぱ詰まって息詰まるものとなるのを、この初期の短篇にその端緒が既に現れ出でていることを感じて慄然としないではいられない。
 最後に、三重吉の返事に、「文鳥が可愛想な事を致しましたとあるばかりで家人が悪いとも残酷ともいっこう書いてなかった。」
 という文章でこの短篇が終わるのは、当然なことである。作者の筆は整然としたものだ。
 漱石には、人間一個の「自我」とこの世間というものの両者の角逐するところが見えていた。にもかかわらず、その角逐の現場に「自分」を置いてみなければ、英国に留学して西欧の文学を勉学し、神経症にまでなったその根本、即ち、一体に西洋の文学とは何かという問題へ肉薄することなどできはしない。そうしたやむにやまれない、日本の近代人としての使命の自覚があったのに相違ないのである。友人の高浜虚子の奨めで小説を書き出した四十から五十歳までの漱石の十年間ほど、一作家が日本の文明開化の内実に身を挺した沼地の深さを、ただ遠くから想像するばかりである。
 四十歳の漱石の顔に、現代人の男の顔を重ねて、その落差に畏れ入るだけだけでは、どうにも心許ない話しではあるまいか。



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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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