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「政治学」の現在

 一昨年の冬、福井在住の女性書家の依頼で「中野重治の詩」について、恥ずかしい一文を草した。あの暗くねちねちとした作家の文章を再読してみた。酒を呑んでくだを巻いた中学校長が友人へ綴づた小説「五勺の酒」である。というのはすこしまえに、柄谷行人の「政治を語る」の読後、すぐに「戦後精神の政治学」(宮村治雄著)を図書館から借りたからだ。図書館はこちらの都合などお構いなく、図書を貸してくれるので、期限内に読了するのが一苦労となる大変便利な公的機関である。
 ちょうどテレビでは、「官僚たちの夏」と「白州次郎」が終わったところだった。前者が昭和三十年から四十年頃の通産省の役人達が、日本の国益で鎬を削るドラマであるのに対し、後者は軍部の台頭と敗戦にいたる時代を背景に、憲法改正を経て、講和条約へまでに至るGHQとの外交に吉田首相の懐刀として活躍した男と、またその妻の個性ある生き方を描いて、芯のある日本人の存在を知らしめたドラマであった。テレビの効用はそれなりにあるだろうが、歴史の表面をドラマチックに再現するにすぎない。だが志のある学者が書いた本は人をして、熟考させずにはおかない力を潜ませているものだ。
 1945年10月4日、GHQは日本占領に際し、「政治的民事的及宗教的自由ニ対スル制限並ニ人種、国籍、信仰又ハ政見ヲ理由トスル差別待遇ヲ撤廃スル為」、その障害となる「一切ノ法律、勅令、政令、命令及規則ヲ廃止シ其ノ効力ヲ停止」するとの「覚書」を日本に突きつけた。「ニューヨークタイムズ」はこの「覚書」に対し、「日本を占領した米軍は日本人に自由を強制するといったやり方でなくては大した効果を期待出来ないことを覚った」と論説したらしいが、「自由への強制」というこの「逆説的問題状況」が、戦後の「天皇制論の噴出」現象を不可避とした起爆力になったとし、こうした日本側の反応の結果、第一には、戦後の「自由」論に影響を与えたこと、第二に、米軍が強制する「力」の変容(「日本国憲法の発布」と冷戦による「占領軍事力」自体の独裁制の後退)によって議論全体の「後退」という二面性を宮村は指摘している。ここで宮村が言う「逆説的問題状況」は、既に文学においては、1995年の加藤典洋の「敗戦後論」で「ねじれ」として、個々の文学者がどうこれに作家として対応したかを考察しているが、政治学という学門の世界で、同じことがどのように論理的な展開をみせるのかは、また、興味ある場面であろう。
「およそ、自己の出現の条件に対して無自覚な思想は、その条件の消滅を超えて生き延びることは難しい」との宮村の認識は、加藤の文学における問題意識に通底している。そしてこうした条件下において、自己批判を結晶化させた思想に照射しようとして、宮村は「自由への垂鉛」なる序章を認めている。
 それを概括するなら、およそつぎのようになるだろう。
 第一の「共産主義と自由」は、河上徹太郎の「配給された『自由』」なるエッセイの特質と、この河上の一文に違和感を懐いた中野重治の「五勺の酒」のクダの中に、「内面的自由」の確立への萌芽をみようとする。
 第二は、憲法改正の「自主自立性」論争における南原繁の新憲法の「平和主義」と「天皇制」の根本的な矛盾の自覚から、戦後政治の課題を遠望しようする。
 そして第三は、1946年5月に発表された丸山真男の論文「超国家主義の論理と心理」が摘出した、日本人の「自由の主体意識」の脆弱さは、外部的な権力組織だけではなく、国民の心的傾向と行動を一定の溝に流し込む心理的な強制力に転化するとし、丸山がこうした心的傾向に対し、ヘーゲルの「精神現象学」的方法による自分自らの「古層」までをも含むトータルな認識の必要を提示したとする。
 以上のような「序章」を踏まえ、この書の本論では、丸山真男、藤田省三、荻原延壽の三人が書いた著作の検討と省察へと向けられるのであるが、そこに「序章」に素描された3点が、いかに各人の論文にその「自由の垂鉛」が下ろされているかの展開場面に刮目しながら、本論を読んでいきたいと思う。
 マスメディアの報道による現在進行形の「政治」の舞台変化はそれなりに興味深いものである。だが「政治学」という学門が、その現実の現象の進行過程の深部を透徹明視して、その底流にあるものを真に眺望させ、そこに斬り込むダイナミズムがなければ、学門はなんのためにあるのかという批判に晒されざる得ないであろう。
 かつて「象牙の塔」が解体されたことが、また、繰り替えされる羞悪な喜劇だけは、二度と見たくはないからである。
 そして、少し前に読んだ「政治の美学」という一独学者の大著が、保田与重郎、橋川文三、三島由紀夫、カール・シュミット等を、端正にして明晰なる文章に論じ、独自の断面を煌めかした刺激に満ちた射角を提示して、現在の世界的な政治の蠢きを広い視野に解放し、ある予兆を感受させてくれ、私の政治を見る風景を拡大してくれたという点で、魅力に満ちた書物であったことを、ここに特記しておきたいのだ。
 また、中野重治「五勺の酒」から、別儀の入射角から見るべき一節を引用しておくべきだろう。
ー恥ずべき天皇制の退廃から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの国民の革命的な解放があるのだろう。
 





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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