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愛さずにはいられない・・・

 国立歌劇場は、ウィーンのケルントナー通りとリング通りの交点に面したネオ・ロマンティック様式の建築物である。ここはドイツオペラとイタリアオペラの両方が融合する舞台なのだ。指揮者はリヒャルト・シュトラウス、グスタフ・マーラーやヘルベルト・フォン・カラヤン等の錚々たるメンバーが立ったところだ。
 ところで、かつて一度だけここでたしか一幕だけ歌劇を聴いたことがあった。題名はジョルダーノ作曲の「フェドーラ」であったが、席は三階の正面に向かって左側の一番前であった。このため、情けないことに舞台はほんの端しか見えず、ただ歌声と科白を耳で聴くのが精一杯というひどいものだったのは、ツアー旅行の寄り道に過ぎなかったからである。しかたなく、席の前に流れるモニターのテロップに流れる英語を目で追うしかなかったものだ。
 途中から入った私達ツアーの一行は、それがどのようなシーンであるかを思いだすこともできない。わずかに、ある英語の数語が私の記憶に残っていたが、それがどのような場面であるのかと気になっていた。
 ウイッキーの情報によると、この二幕目のアリア「愛さずにはいられない」と「私は泣いているのです」の二つを聞けば、もう、全曲を観る必用はないと言われているらしい。もちろん、プラシド・ドミンゴのテノールでのことにちがいない。
 そこで、昨日、彼の出演しているDVDをわざわざ、聞いてみたのである。アリア「愛さずにはいられない」のドミンゴの歌が終わると、満場の拍手が鳴りやまず、およそ、30秒ほどロリス・イパノフを演ずるドミンゴと皇女フェドーラ・ロマゾフのソプラノ歌手は、拍手が鳴りやむのを待たねばならない有様であった。
 これほどにも、ドミンゴのテノールの魅力は素晴らしいものがある。やさしくて、情熱があり、慎み深いのだ。人間の男の声がこれほどの魅惑に満ちているとは、驚嘆せずにはいられない。
 メトロポリタン歌劇場、指揮者はロベルト・アバド、ソプラノはミレッラ・フレーニという”オペラ界の王族”がそろっていた。ドミンゴもいいが、フェドーラ・ロマノフというロシア貴族夫人に認められる、いわく言い難い独特の性格は、なにか侵しがたい威風と燦めく宝石のごとき美しさがある。大胆不敵にして、直情径行、その裏にはまるでサテンのように、なめらかにして細やかな情愛が潜んでいる。ドミンゴのテノールの音質とこれほどコントラストがあるソプラノはめずらしい。気丈夫な母と心根のやさしい息子という具合なのだ。
 自分の奸智に長けた計らい事が、すべて失敗に終わったことを知ったフェドーラ・ロマノフ皇女は、指輪に仕込んだ毒を飲んで死ぬ間際、母の死を嘆き悲しむロリス・イパノフへふと洩らす、「私があなたの母となりましょう」という科白が歌われる。ここには、「愛さずにはいられない」という男の愛情のうちに、男まさりの女性へ運命に翻弄される一人の男性の、密やかな思慕が隠されているにちがいない。
 皇女を愛さずにはいられないのは、母の死に悲しむ男のこころが求める「グランド・マザー」(ユング)なのだろう。いまいちど、有名なアリアの歌詞を書き記してみよう。

     愛は君に愛さないことを禁ずるのだ
     君の柔らかい手は
     僕を払いのけようとしても
     本当は僕の手を握りしめようとしているのだ
     君の唇が『愛していません』といっても
     君の瞳が『愛しています』といっている

 ここには「禁断の愛」(母子相姦)の淡い影をみることができる。皇女が自ら毒を飲んで死ぬのは、その禁忌から逃れるためである。ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)の泰然たる皇女ぜんとした豊満な肉体に対するに、プラシド・ドミンゴの寂しげに揺れる葦のごとき姿は、この足早に終幕へとひた走る三幕の、メロドラマ調歌劇に秘められたるテーマの、はしなくも一瞬の相貌をみせないではいないのである。
 DVDを観ているうち、三幕目の終盤にわずかに記憶していた英語の文言が聞こえた。私の胸はすこしときめいた。
  ー愛は不公平だけれど、死は親しいものだわ。
 ミレッラ・フレーニが毒を飲み、事切れる寸前に言う台詞だった。
なぜこんな台詞だけが、私のあたまに染みこんでいたのか、いまだに分からない。

 いつからか、朝起きようとしてめまいがしたり、目がまわることがあった。居合の演舞の稽古中に、なんということもないのに、重心を失ってふらつくことがあるかと思えば、やたらに汗をかく。からだの芯から疲労がでてもう横になるだけということが、時々だがあった。これは神経の使いすぎからくるものとばかり考えてきたが、そうでないことが判明した。健康診断で不整脈がでて、循環器の診査をしたほうがいいと言われ、都立の病院へ行ったところ、「心房細動」という病症にあることがわかった。これはほっとくと、脳血栓や脳梗塞に罹りやすらしい。
 「ファーマリン」という薬を毎日飲むことになってしまった。この薬は血が出ると止血が困難とのことである。ところで私は真剣の刀で、居合の稽古中に指や手を斬ることがときおりあるので、すこし不安になった。二回目の診断では、私の脈拍は平均値より、2,30も高いらしいのだ。どうも平常から、胸がコックン、コックンと高鳴りつづけていたものだ。不眠と目眩と疲労が、病症らしい。おどろいたことに、みんな当てはまるではないか。若い頃から、たぶん心臓でやられるのではないかという、予感はあったのだ。母の兄が心臓の病で二十代で夭折している。そして、「リベルテ」という学生時代の一号同人誌に初めて書いた短編小説に、その予兆が書かれているのだ。
 「赤い風船」という題名のこの小説の中で、部屋に偶然に舞いこんできた赤い風船に、主人公の反応は不安と諦観を示し、天井を舐めるように浮かぶ漂う風船をつぎのように描写していた記憶がある。
「その赤い風船は、部屋の天井に心臓のように浮かび漂い、そこから神経のような糸が垂れている」
 そして、主人公はその赤い風船を、自分の宿命のように眺めながら、こんなふうにつぶやくのである。
  ー高いところに住むと妙なものが迷いこんでくるものだ。
 この「高いところ」に、私は形而上的な意味合いをこめたつもりだった。形而上学的な思惟を批判しながら、私は他方で、それに惹かれる自分を意識せざる得なかったからである。戸外の街から、豆腐屋が吹くラッパの音が聞こえてくるが、その日常の響きにも主人公はどこかで惹かれるものを感じている。天上的なものと地上的なものの両極に惹かれて性向がここにみられるのだが、ここから他人に誤解を与える二重的な性格がでてくることになるのであり、醜と美を併呑する奇妙な表現が現れることになる・・・・・。
 処女作にはすべてがあるというのは、不思議な真実だと思わざる得ないのだ。







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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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