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旧い葉書

 いまでは、自筆の手紙や葉書のたぐいを利用するものは少なくなっている。
代わりにインターネットによるメールが、その便利とスピードから多用されているのが現状だろう。だが、ほんの数年ほどまえには、そうではなかった。万年筆やボールペンなどで便せんに書かれた個性的な字が踊り、ぬたくり、あるいは端正な字面が、封筒を切って取り出されたものであった。そこには特有の重みと時間と人の心映えがみえた。書くほうでも下書きをしたり、貰うほうでは受けとったものを一定の時間保存し、あるいわ大事にとっておいたものである。互いに贈与したりされたものには、それ相応の個性とぬくもりがあったのである。
 だが、電子機器の発達と利用が拡大するにつれ、事情は変化した。いまでは、人に出した手紙はよほどのことがないかぎり、保存されることはないだろう。送り主が当人にとり、また精神にとって枢要なる人間に属するか、その内容が事務的にか人生上意味がある場合はともかく、ほとんどの場合はほど経て廃棄されるものと思われる。
 しかし、時により作家や詩人等の往復書簡が出版されることがあるが、これは特別な事例だ。
 これまでその種のもので読んでいて興趣を覚えたものといえば、ヘンリー・ミラーとロレンス・ダレルのものがあった。お互いに挑発と刺激と激励と賛辞が往復し圧巻であった。これには両作家が意気投合して、互いに湧き起こる感情と思想とを、楽器のコラボレーションのように鳴り合わせている壮烈なものであった。しかし、逆に期待に違えるものもある。リルケとホフマンスタールという当代きっての詩人のそれほど、退屈なものはなかった。繊細なる互いの詩人は礼節にこれ勤めたあげく、言葉をあまりに節約し過ぎていたせいであろうか。
 また、哲学者のハイデッガーとヤスパースも同類であったが、これには哲学者ならでしか、理解不能な特別な事情が介在していたに相違ない。ただ社交辞令のやりとりに終始する書簡集を読むほど味気ないものはない。
 総じて相互の友好が良好なうちはいいのだが、芸術家同士の関係などというものは、恋愛同様そんなに長くつづくものではないようだ。ヘミングウエイとフィツジュラルドの二人のものなど、実に読むに耐えないものである。 もっとも最悪なものといえば、一頃は仲の良かった者同士がある時点から険悪となり、貰った手紙類を一挙に灰にしてしまい、それを聞いた送り主のほうで非常に残念がっているという例もある。これはピエール・ルイスとヴァレリーの場合で、ヴァレリーがルイスに送った書簡は、彼にすれば毎朝、あの膨大なノートに生涯の終わりまで綴っていた思索とそれは同等な価値があったにからにちがいないか、ルイスへのヴァレリー一流のソフィティケートされた嫌味の類であったかの、そのどちらかであろう。
 作家等の対談やら座談会も上記同様な模様を呈しているのは、校正段階の光景を想像すればあまりあるものだ。
 以上のこととは別次元なことだが、過去に出した葉書のコピーが整理していて偶然に出てきた。コピーしたからにはそれ相当な理由があったにちがいない。一読して、特段、プライバシーに関わることもないので、ここに筆写してみることにしよう。なぜなら、いまにいたっても生きているテーマがここに顔を出しているように思われたからである。小説家のテーマは本人が思うほど、変化に富んだものではないのが常だからだ。

 

 お手紙落掌。これまでの感想や「批評」やらの中で、君の分析ほどあの小説の中心にある、根本動機に触れてくれたものはありません。お陰であの作者本人が無意識の領域ながらゆさぶられるような思いがしたくらいです。たしかに君のいう「非在なるものの顕現」こそ宿痾のように、わたしの深部に巣くう願望なのですが、それは「リアリズム」の文体では捉えられない。それは「死」に近接するものですが、「生」の領域にある。「幻想」ではなく「現実」のものだ。女性の「性」の不全性とは、そのような現実(幻想)である。「不全性」とはふかく感覚的なものである。
 他者(男)が女性の「性」の「不全性」を知覚する場合、それはいったいどういう事態を意味しているのか。「性」のなかに「生」の謎が潜んでいる。「死」に「生」の単独性が顕れると同様、「性」のなかに「生」の他者性が影を落とす。
 男であり、女であるという根拠はどこにあるのか。そこまで、我々の「生」と「性」は追いつめられているのです。それを表現する手立てはあるのか?「性」の精神性をラディカルに認識したのは、思想家のバタイユですが、柄谷流にいえば、「性」ほど交通的なものはない。だがこの「性」が現代では死んでいる。SEXが露出すればするほど、それは隠蔽されてくる。21世紀には、新しいヘンリー・ミラーがD・H・ロレンスがもとめられる。まったく新しい意匠をもって! 男と女の差異こそ、新しい小説の、特にSFの関心になるだろう。「恋愛」が別種の形を模索している。ヘルマンアフロディットの像はギリシャ人の夢ではなく、現実となるにちがいない。('89/12)



 なにが書かれているのが分明ではない。神秘めかしたペダンティズムが前面に蔽われているせいである。これが保存されるほどに価値があるとは思われぬが、こうしたことばの瓦礫の中から、将来、芽がでてくるものがもしやあるかも知れぬのである。実験の失敗から予想だにしない科学的な発見が存在するように。埒もないことばの残骸の中から、詩人は真実なことばを紡ぎ出すことがあるものだ。



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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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