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ジュニーヌ・ヤンセンの音楽との出遭い

 あるとき、東京文化会館のコンサートの招待券を、さる音楽関係団体のお偉い人から戴いたことがある。中央真ん中のやや後の席で、そこが特別に音響効果がいいという。たしかに、そのときシャワーを浴びるように、全身が音楽の瀑布につつまれて陶然とした感覚には得難いものがあった。その故か、この席の近くで、亡くなった若杉指揮の演奏会を聴きに行ったおり、音楽評論家の吉田秀和氏を見かけたことがあった。音響効果がいいとされる東京文化会館にも、どこよりも音楽を堪能できる席がどうやらあるらしいということを、そのとき知ったわけである。
 それにつれて思いだしたのが、妻と一緒に行った東欧三カ国のツアーで、音楽の都・ウィーンの国立オペラ座の席がひどいものであったことだ。なにしろ、舞台の端しか見えないので、声優の姿はほとんど見えず、私達は舞台より聴衆の方を向いてオペラを観劇しているありさま。演目は「フェドーラ」だったと記憶しているが、私達は仕方なく前の手すりに流れる英語と独語の電気テロップの文字で、「Death is unfair,Love is kind」というような科白を目で追いかけ、ヒロインの女性が悲しみ啜り泣く場面を想像するという、情けない体験を味わったわけでである。
 前置きが長くなってしまったが、先夜、NHKのN響アワーを久しぶりに聴いた。
オランダのヴァイオリニストのジャニーヌ・ヤンセンが、奏でるチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35全曲」であった。切れ長の青い瑪瑙のように光る野性味ある美貌もさることながら、その音楽の豊麗かつ哀切なヴァイオリンの響きは、床の間にいる私をとらえ、天国へ拉っしさるがごとくき愉悦のひとときを享受させてくれたのである。なにもウィーンまで行って最低の思いをすることはないのであった。
 この曲はスイスのコモ湖畔で、神経衰弱で療養中のチャイコフスキーが、若きバイオリニストの友人から、ラロの「スペイン交響曲」を聴かされ、それに惹かれて湧き上がった構想から、一ヶ月足らずで完成した曲である。当初は演奏不能とされ、それから3年後の1881年にやっと初演をむかえたが、批評界の長老に「悪臭を放つ音楽」と酷評された曲であったそうである。
 第1楽章は、アレグロ・モデラート(ほどよく快速に)の短い序奏についてヴァイオリンの独奏がカデンツ風に登場する。第1主題はスラブ風の喜びと哀感が交叉し、ほの暗さを帯びた幅広の歌の旋律はヤンセンによって、自然にのびのびと奏でられ、第2主題は哀愁をただよわせつつ、技巧的な独奏へと流れていく。ここでも、ヤンセンのヴァイオリンには、引き締まった大人の風格と安定感のうえに、艶も潤いも、こぼれる色気もあるが、それは人工的な甘さとは無縁なのである。
 第2楽章は、カンツォネッタ、アンダンテ(ゆっくりと)で、弱音器をつけた独奏ヴァイオリンによる、溶けいるほどの甘美な旋律が歌われ、それがヤンセンの得も言えない、自然の歌いまわしで奏でられて、そのまま切れ目なく終楽章へとつづく。
 第3楽章は、アレグロ・ヴィヴァーチッシモ(快速に、最も生き生きと)となり、管弦楽が最強奏で序奏を終えると、独奏ヴァイオリンが登場して主題の断片をかなり長めに演奏するが、これがロシア民族舞曲風の熱狂へと高まって最終章の結びを迎えるのだ。
 人間は時に戦争で虐殺をやるかと思うと、至宝のような音楽を作るのかと、レーニンという人はそのむかし、つくづくと慨嘆したそうである。
 あらためてジャニーヌ・ヤンセンのヴァイオリニストとしての才能は、全曲を喜びで溢れさせるところだと感嘆してしまった。
 そこでヤンセンのCDで、今度はメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」を聴いた。
この曲は、ベートーベン、ブラームスとともに、ロマン派の協奏曲の傑作として、「3大ヴァイオリン協奏曲」に数えられている名曲だ。ロマン派の古典主義者のメンデルスゾーンは、この曲を切れ目のない3楽章に、6年の歳月をかけて創り上げた。指揮、リッカルト・シャイー。ここでも、ヤンセンの生気溢れるヴァイオリンが、「結婚行進曲」風の主題を奏でて、絵画的な美しい曲想に魅力を添える。
 更に、ヴィオラ奏者の巧者でもある彼女の、マックス・ブルックの「ロマンツェ」の第2楽章。そこにおける、太く、温かく、深いヴィオラの音色は、まだ若いジャニーヌ・ヤンセンの尽きせぬ才能が、いずれ広く、開花するであろうことを、私は信じて疑えない。
 音楽との出遭いは、この人生の宝のようなものだ。私の疲れた神経の弦を、一時でも慰撫してくれた喜びに、深く感謝を捧げたいと思う。





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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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