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未来構想2.0

 東浩紀という人の「一般意志2.0」を読んだ。ぼくは唐突だが「群衆の人」を書いたアメリカのエドガー・アラン・ポーという短篇作家を思い出し、それから「孤独なる群衆」を書いたデビッド・リースマンとディルタイの「自殺論」を芋づる式に思い出してしまった。なんせ陽沈む国ジャパンは、自殺者が3万五千人を三年連続で突破し、交通事故者の1万4千人をかるく追い抜いているというんだからね。これに24時間以上に死んだ者と未遂に終わった人、それに解剖されなかった変死体を勘案すると、どないな数字になるというネン。もう議会制民主主義1.0はアップデイトしなけりゃあかんと思うた。
 おッ! まただ。九坪に建てた小さな家が揺れた。これで今日は朝から、3回の地震なんだ。1年半もかかって、設計士さんへ60枚の設計図と古民家の材木も使って建てた家は、グーテン・ベルグ・リヒターの法則によると、この先、4年の間に70%の確率で震度5以上の震災に遭うという地震研究専門家の予測を拝聴したところナンダ。ぼくの弱くなった心臓は、コクン、コク、コクと、5歳の可愛い少女のおさげ髪ように揺れているのです。作家の高橋源ちゃんみたく、オチンチンのようにナンテ言いません。彼は学生時代に警備隊に捕まり、務所ぐらしのせいであんなになったのと違うのかいナー。
 でも、アラン・ポーさんは、アメリカよりフランスで信奉者がでて、大変だったのだ。だって「群衆の人」は洗練していくと、一人のボードレールという詩人の末期のすがたに似てくると、ぼくは想像するんだけれどもねェ。失語症にかかり、精神のアノマニーの黄昏を歩行する人間や・・・・。
 ところで、「一般意志」なる概念はフランス革命に影響あさからぬあのルソーの「社会契約論」にあるというねん。
 やっぱりルソーおじさんは偉い! ぼくも晴れたメーデーの集会の芝生の上で、「告白録」を読みました。そして、糸のような涙が頬を伝い流れたのを、四十年も忘れられない恋人のように思い出します。
 頭に赤と黒い字で○○回メーデーとプリントされた手ぬぐいを巻き、胸にはタスキを掛けられたあの、畜群的に集団化されたイヤーな気分から、逃れるため読み出したのが「告白録」ですねん。ぼくはあの人の心の底にひりつく孤独を見てしまいました。実母に幼少の頃に死なれた少年時代を過ごしながら、うまいこと家庭教師の職を転々として、やさしい母親で後に愛人のように庇護された夫人に出会い、ピアノを弾き音楽を作っていたあの人の著作「社会契約論」には、なにかがあると想像していました。それは彼のエッセイ「孤独な散歩者の夢想」を読んで感じないはずはありません。東さんもやはり次ぎのような一節に注目したのはぼくと同じでした。
〈この世にはもう隣人も同類も兄弟もない。私は地球の上にいながら、見も知らぬ惑星にいるようなもので、以前住んでいた別の惑星から落ちてきたような気持である〉(第一の散歩)
 東さんは続けてこう述べています。
「つまりルソーは、一般に政治思想家や社会思想家といった言葉で想像されるものとはかなり懸け離れた、現代風に言えばじつに『オタク』くさい性格の書き手だったのである。彼は、人間嫌いで、ひきこもりで、ロマンティックで繊細で、いささか被害妄想気味で、そして楽譜を写したり恋愛小説を書いたりして生活をしていた。『社会契約論』は、そのようなじつに弱い人間が記した理想社会論だったのだ」
 実にそのとおりではないですか。こういう謂わば「内部の人間」こそが、「社会」に繋がることを夢想するものなんです。反=半社会的人間こそが、他者と結ばれたいと熾烈な願望を懐くのです。そこにエロスの闇の世界がうっすらとしたヴェールのようにひろがっているのです。決して逢えない「他者」への願望が生まれ、それはエミリー・ブロンテの「嵐が丘」のように「死」さえも越えるのです。
 ルソーの「社会契約論」はそんなところに生まれたのにちがいありません。であればこそ、凡庸なものになるはずはない。
「ルソーは代議制を否定しただけではない。政党政治を否定しただけでもない。彼は、すべての市民が一堂に会し、全員がただ自分の意思を表明するだけで、いかなる意見調整もなしにただちに一般意志が立ち上がる、そのような特殊な状況を夢見ていた。というよりも、ルソーは、そのような状況が実現しなければひとは決して『自由』にならないと考えていた」
 ここから東さんは、やや強引とも想われる考察で、人間の秩序からモノの秩序に属する「一般意志」の数学的な統治の存在へと、議論を展開します。ぼくはいま「強引」と言ったが、必ずしもそうではない。なぜならルソーが描いた統治の夢は、現代の情報技術社会では「夢」ではなくなっているからであると作者は言います。ここで東さんはハーバマスのコミニケーション論や、ハンナ・アーレントの議論に足を踏み入れてはいますが、グーグルのような検索エンジンに存在する、無意識さえ含んで膨大に存在するデータベースの情報環境にこそ、「政治」を廃棄する未来の希望を描き出そうとしています。
 ぼくら、おじさんたちには、正直、東たちの世代が未来社会を透視する景色はぼんやりとしか見ることはできません。しかし、現代の政治の手法がもはや限界にあるとの漠然とした感覚は持っています。
 そうであればこそ、東の提唱する《人間と動物、論理と数理、理性と感情、ヘーゲルとグーグルーそれらさまざまな対立を「イロニー」で併存させ、接合したところに、構想された民主主義2.0を立ち上げようとする》本書の未来の夢が、より詳細な技術情報の概念図(それは書いてありますがまだ足りません)と、ルソーの「孤独な散歩者の夢想」的な、人間なる具体的な現実性をもって実現されることを、一抹の危惧を懐きながらも期待しないではいられないのです。

 

   一般意志2.0


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Author:masuryuu
仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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