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「武士道の系譜」奈良本辰也

 いま民主党を支える土壌となった一組織が刊行する新聞があった。依頼をうけてつぎなる文章を草したが、原稿は没となった。いま敢えて、六、七年以前のこの拙文を載せておくことにしたい。

              ☆ ☆ ☆
                 
 現代では一般的に、「武士道」というと誰でもが身構える。それは「道徳」という言葉と同じだ。これが私たち戦後に生をうけた世代の精神的な風土なのであろう。それをおかしいとは思わない。
 これから紹介しようとする本は、勿論、明治三十二年に新渡戸稲造が、「貴国の道徳の根拠は?」と滞在先のアメリカで問われ、虚を突かれた彼が、その答えに英語で書いた「武士道」も取り上げられている。また、さらに時代をさかのぼり、 武士が歴史の前面に現れた姿を描いた「保元・平治物語」や「平家物語」まで手をのばし、「武士道」の系譜を尋ねるこの美しい装丁の文庫本は、明敏かつ広闊な展望をもつ歴史家の手によって書かれたものであることはまちがいないところだろう。さらにこの著者が、昭和四十四年に大学にふかく絶望して教職を退き、日本的「理性」の脆弱さに不信を懐いた者であることを、敢えてここ付記しておくべきだろう。
 明治維新により身分制度はなくなるが、身分というものを律していた諸法規は消えても、明治という時代に、江戸時代までの人々を支えていた、その精神的な支柱の残香が生きつづけていなければ、新渡戸が「武士道」などを書くことはあり得なかったであろう。
 動物学者ローレンツによれば、動物の環境がある臨界に至ると、仲間同志が互いに殺し合うそうだ。今、親が子を、子が親を、友達同士が深い理由もなく殺害する事件の頻発は、この動物学者の説とどう関わり合うのか。
 九十年代初頭、ある高名な批評家は、第一次産業から第二次産業に移行する過程で、「公害」が発生したように、第三次産業の発達と高度情報化社会の出現が、人間の自然、即ち「心」に目に見えない損傷の翳を落とすだろうとの予言的な言辞を、私はときおりふと思い出すことがある。
 一日に平均九十名余の自殺者をみるが、これは単に「私的な」事件なのであろうか。
 むかし、「切腹」という映画をみたことがあった。家族の貧苦の末の飢餓と病苦の惨状を見るに忍びず、まだ若い当主は郷土の藩邸の門前に若干の金子の工面を申し出、容れられなければ門前にて切腹すると、切羽つまり武士の恥を捨てる行為の誘惑に負ける。そうした前例に苦りきっていた藩の家老は、この時ばかりは、侍の願い通りの切腹を許すとした。若侍は予期に違えた藩の対応に驚愕するが、妻と子が待つ家族へ最後の決別をした後に必ず戻るどうか一時のご猶予をと、庭砂利石に頭をこすって懇願する。しかし、家老は門前にての武士の一言嘘ではなかろう、即刻貴殿の願いを叶えてさせてくれようとの沙汰。武士の魂である刀さえ売り払い、腰の脇差は竹光であることを承知の上の冷酷なこの言葉に、若侍は武士の意地とばかりに、惨たらしい切腹を遂げる。事の顛末を聞き知った義父は、その場にいた責任者三人へ次々に仇討ちを果たした後、斬り死にを覚悟で藩邸に押し入る。そして奥座敷に祭られていた鎧兜を倒しながら果てるのだ。真に凄まじい「武士道」の、その悲惨と滑稽をリアルに描いた秀作であった。たしか監督は小林正樹、音楽は竹満徹だったと記憶する。
 これは歴史の仮定の話であるが、明治九年、廃刀令が出ず、アメリカのように個人が銃を持つ権利が続いていたならば、いったいどんな事件が、日本に相継いで起こっていたことであろう。そこでは「剣」を持つ人間を律するなんの内的な倫理も規範もないことを思えば、想像を絶する殺伐たる世界が現出していたであろう。
 「武士道」とは何か。現在私たちの精神の荒廃はどこからきたのか。これは私たちが日々向かい合わねばならない重たい課題なのではないか。
戦乱の渦中にあっては、「死」の覚悟なくして「生」への活路は開かれない。そして、その覚悟を美々しく飾り立てる兜や鎧や赤地錦の晴れ姿は、死と紙一重の生への意志が為すぎりぎりの美意識以外のものではないとは著者の感慨である。
 武士の倫理を確立した鎌倉の「御成敗式目」に触れる一方、この倫理を転倒した「太平記」。徳川に武士道を体系化した山鹿素行の儒教を見渡し、赤穂浪士討ち入りの賛否両論を検分しながら、「武」から「文」へ遷る林羅山の「武家諸法度」に及び、遂に合理的な朱子学への批判から中江藤樹の陽明学へと流転していく。
本書の執筆中に、三島由起夫の自刃に出会ったのも、時代というものの因縁かもしれない。彼三島も「葉隠」の有名な一文「武士道とは死ぬことと見つけたり」を著書の冒頭に引用しているが、またその山本定朝が老いて畳の上で病死した運命の皮肉こそ、三島が峻拒した「人生」であったのにちがいない。
 ともあれ本書が、レミ・ド・グールモンの「歴史の中に行為の動機を尋ねてはならぬ。それは大きな児戯である」の一行へ、洵に美しい軌跡を描いて終わる稀書であることは疑いないと思われる。



     武士道の系譜


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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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