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桑中漫談

 場所は浜辺。近くに松の樹が一本。波の音が絶え間ない。薄衣すがたの女の霊が中空を風に漂っているが、二人には見えない。70歳前後の老人は犬を伴う。

【男】ちと、聞いてくれるかな。おれがまだ若い頃、妙な事を言われたことがあるねん。
【老人】(犬の頭を撫でながら)あっちのことかな。「桑中」という題からして、そんな気がするがのゥ・・・・。
【男】ばか言わんこっちゃや。そんなこととはちがうねん。
「あなたは人生が身につかない人だ」
と、むかし、こう言われたことがあるねん。その男は四十ほどで亡くなっちまったんだがね。人生の実相を知る年齢にちょこっと、足乗っけたほどの若年寄が、と思わないこともなかったが、ときおりこれが、ふと気になることがあるねん。
【老人】ほ~、それでおまえさんは、いま幾つにおなりだね。
【男】今年で、六十五とあいなった。こん歳まで生きるなんて、考えもしなかったけんどねエー。
【老人】ハハァ~、(そういうそばから「身につかない人生」の尻尾がようみえるようだーと独語するが口にはしない)
そうかあ~。誰も「俺は幾つまで生きよう」なんて、よう考えんもんやけどなあー。気がついたら、六十になったり、七十になったりするもんと、ちがいおまへんか。腰が痛くなったり、肩がおもくなったり、切れるものがいまいちなんてねェー。
【男】おい!もうそれ以上、言わんといてーな。ところでおまえさんは年寄りの癖して、ばかに若くみえるが、どこぞかに女房に隠れて若いんでも・・・・。
(女の霊は急に聞き耳をたてて、二人の側に近寄る)
【老人】おい、おい、この年寄りをつかまえて、ばか言うんじゃないよ。わしは若いころから、身体にはずいぶんと投資してきたものじゃよ。心身と言ったほうがいいかなァ。二十歳からバーベルを担いで筋トレ、ボクシングをやりつつピアノを習った。二十代から海に潜るは、五十からは山登りだ。それに座禅や、あっ!、まだまだあるがこのへんで止めておこう。みんなどうにもあまり身についたとは言いかねるんでネ。ともかく、自然ほどわしの心身を爽快にしてくれたものはないよ。
【男】その自然というのが、おれには分からない。女というのが人間というよりも、自然に近い生きもののように思えるときがある。自然といえば、もうすぐにも大震災が来ると聞くが、どうも自然というのはそら恐ろしいものとちがうか。
【老人】おまえさんが好きだった荷風散人が関東大震災に遭ったのが四十三歳、太平洋戦争が勃発したときは六十二歳、その四年後のおまえさんと同じ六十五歳で、あのお気に入りの麻布の家を焼失しているねん。千葉県の市川市でズボンを穿こうと倒れ亡くなったのが満七十九歳のときだった。
【男】変なことに嫌に詳しいんだね、あなたという人は。あの人はね。今風に言うと「アール・ド・ヴィーブル」、自分の人生を、自分風に自由に生きた。その生き様が実に立派だったのとちがいおまへんかいなァ。
【老人】親の資産と小説を書く才覚のうえに、孤独死の覚悟というより、猫のように誰にもなつこうとしても、できなかった可愛そうな人だったんだ。つきあった女の数はスゴイものだったらしい。ここにちょうどそのリストがあるんだ。
(女の霊はのぞき込もうと、老人の肩越しに首をのばす。薄衣の裾が紙の上にかかり、風が吹くたびに紙にからまるように裳裾が動く)
なにやら艶っぽい風の奴が吹くせいか、それともわしの目が悪ろうなったのか、よく見えんわい。いずれにしても、短期間しか続かない恋愛だったんだよ。
 若いときに親の支援もあって、アメリカとフランスでの生活をした。その経験があの人の生き方を決定した。特に、フランスの文学にのめりこんだ。わしは荷風散人が詣でたモンパルナスにあるモーパッサンの墓に、その面影を訪ねたことがあるんだ。
【男】それがあなたが行った初めてのパリだった。幾度その話しを聞かされたことだろう。それからあなたはイタリアへ行った。ある女に逢うために。逸楽の恋にはイタリアほど相応しいところはまたとない。
(女の霊はこの男の話しを聞いて、「あっ!」と驚くように身を震わし、まじまじと老人の顔を凝視する。見る見る形相が変わり、怒りに全身を震わし、老人の首に手をかけようとする)
モーパッサンやその先生のフロベールなんか、いま、読む若い人なんかいないだろうな。文学が人生とは無縁なものになろうとしているのとちがいおまへんやろうか。大学から文学部が消えようとしていますねん。
【老人】文明の進展につれ、「学問」の需給関係が変わりつつあるんだよ。「法律」や「経済」は有用だが、「文学」は無用だからね。わしら老人だって同じことさ。いや、この地球だってそんなに長いことはないのかも知れない。自然もやつれてもう何をするかわからない。怖ろしいことだ。
(老人は海をみつめる。「あの女と逢ったのも海でのことだった」と呟く。「わしはあの女を助けることができなかったのだ・・・」。老人は松の樹を眺め、「ああ、いい枝ぶりだな」と思わず小声をだす)
(女の霊は浜辺を見まわし、なにかを捜している様子。「ない!ない! あればあの人に渡してやれるのだが・・・」と口惜しむ風情)
【男】忘れないでくれまへんか。この一幕の題名ですがな。でも、ぜんぜんおもろうないとちがいまっか。わてこのあいだ聞いた話し、してみたくなったさかい。よかですかいなァ。
【老人】なんで早うやらんかい。わてかてつ(吊)ろう年齢でな。もう足腰がコキ(古稀)、コキ(古稀)といって痛むところだらけでな。
(老人、自分の駄洒落に自分で笑う。それから、じっと地平線の彼方へ目を注いでいる)
【男】あのな、小さい子供が夜中におしっこに起きて、トイレに行こうとしなはったのや。するとお父さんとお母さんの部屋の襖がちょっぴり開いていますねん。そや子供やさかいに、ぽっと電気のような明かりが光ったその中を、そっとのぞきこんでねん。
(男はここであたかも女の霊と目が合ったかのように、クスっと笑いあう)      
【老人】けったいな男やなァー。早うしゃべらんかいなー。海から風がふっつり止んでしもうたがな。潮もなんやら浜辺から急に退いたようですわい。
【男】そしたら、お母さんの声が聞こえましたんのや。
「お父さん、もっと開きますか・・・」
【老人】・・・・。ああ、人生は哀しいところやさかいなァ~。
女も自然も舐めたらあかん。沖からの波がだんだん大きくなって、こちらへ向かってやってくるさかい。
(老人はこころが叫ぶ声を聞いた。「おお、神さま〈GOD〉!)
(女の霊にはその声が〈DOG〉としか聞き取れない。犬のしきりに吠える声が波濤にまじりあう)
【男】(繰り返す)「お父さん、もっと開きますか・・・」。なんという可愛い声だろう!
(それから男は沈黙し、やがて独りごちる声が聞こえる)ああ!、人生が身につくとは、どういうことなのであろうか・・・?
【老人】(男に向かって言う)人生を舐めたら、あかんぜよ。




    
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仮に「異邦人」としておく。あられもない空想から、科学的「真実」まで、詩、小説、歴史、哲学、政治、経済、趣味等、この世の人事、出来事、万般に、興味を寄せる者の総称とします。

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